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 学校は当然、教師にとっても、生徒にとっても「安全」な場所でなければならない。しかし、事故や犯罪、そして、いじめ等によって、しばしば安全は破られる。ここでは、安全に関する法律的な問題について考察しよう。
 安全に関する最も基本的な規定は、憲法13条であるとされる。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 国民が個人として尊重され、生命を最大の尊重がなされることが規定されている。特に、義務教育においては、生徒は「義務」として学校に通うのであるから、そこが安全であることは絶対的な条件である。
 学校教育法は次のように、その旨を規定している。

学校教育法
21条第二十一条  義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 八  健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。

 そして、安全を配慮する責任は誰にあるのだろうか。第一には教育委員会である。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律
23条教育委員会の職務権限
 九  校長、教員その他の教育関係職員並びに生徒、児童及び幼児の保健、安全、厚生及び福利に関すること。

 そして、文部科学大臣と都道府県教育委員会には、市町村教育委員会を指導する責任がある。

 48条 文部科学大臣又は都道府県教育委員会の指導・助言及び援助
 三  学校における保健及び安全並びに学校給食に関し、指導及び助言を与えること。 (同法)

 しかし、現場の学校の責任者である校長には、この安全配慮義務に対する明示的な法的規定は存在しない。




 学校には安全配慮義務がある。安全配慮義務とは、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」55)S50.02.25 最高裁第三小法廷・判決 昭和48(オ)383 損害賠償請求 これは国の国家公務員に対する安全配慮義務が問われた事件である。であり、「人としての尊厳を保ちながら、安全に生活・労働できる程度のもの」新潟地裁判決というものである。基本的には憲法13条及び民法1条の規定から導かれる。56)http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogo-horitu4.htmに簡潔な解説がある。
 民法1条は次の通りである。

 第一条  私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ 
 ○2 権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス 
 ○3 権利ノ濫用ハ之ヲ許サス

 生徒と学校の関係は当然法律関係において生じている関係であり、学校が管理運営しており、生徒は教師の指導に下にあるから、学校は生徒の安全を最大限配慮しなければならない。これは校舎等の建築物から授業の運営、特別活動などすべての領域において妥当する。もちろん、生徒は教師の予想を越えた行動をすることがあり、また、教師の管理が及ばない場合もあるから、すべて学校で起きた事故について100%学校に責任があるとはいえないが、教育上最大限の配慮が必要であることは言うまでもない。

(ア)設計
 施設の設計段階で、安全が配慮されていることは絶対に必要であろう。

前回の窓からの転落事故に関して、60センチ程度の高さに窓を作ったのが、採光のためであったとしても、それによって安全が犠牲にされることは間違いである。採光と安全の両方とも満足する設計が可能であるから、この場合、明らかに設計ミスといえる。

難しいことは、設計を担当する者と、学校で実践をしている者とが異なることであり、設計者は、子どものことを詳しく知っているわけではない。

その中で、危険性が見逃される可能性がある。

Q 自分が通った学校で、施設が危険であった事例を思い出してみよう。

 現代学校教育論で扱った転落事件訴訟での判断をみておこう。
 判決は、中学としての安全指導は、生活指導の一環として行っており、事故前においても、廊下等でふざけないことを全校生徒に対して注意していた」ことを認めている。しかし、そうした生活指導には自ずから限界があり、「物理的な転落防止用の設備を設置すべきであった」と結論を出している。つまり、「建物各部の設計に当たっては、児童、生徒等は行動が極めて活発であること、危険に対する判断能力が未発達であること、など、その特性を十分理解し、危険のないよう行き届いた配慮が必要である」としている。
 つまり、子どもは、通常ふざけるものであり、それはいくら注意しても、なくすことはできないという前提で、安全配慮した設計が必要であるというのである。
 もちろん、これは、中学生に関することであるが、小学生の場合には、危険について十分認識できないから、ふざけていなくても、危険に直面することを考慮することが必要であろう。プール取水口事故も、その観点から、網をかぶせない設計であったことは、安全配慮を欠いたものというべきであろう。
 しかし、残念ながら、学校の設計と教師とは、まったく別であることがほとんどであり、教師たちの安全意識を参考にして、設計が行われることが、どれだけあるかは、疑問である。

(イ)メンテナンス
 設計・施工段階で安全が考慮されていても、老朽化すれば危険になる。階段の手摺り、ドア、また実験器具など。かつては新しい施設であっても、時代が進むにつれて、より安全な施設や設備が開発された場合、それに替えることも必要であろう。

   学校での事故防いで 市民団体が一宮市に要望 窓ガラス改善を/愛知
 
  子どもを水の事故から守る運動などに取り組んでいる一宮市の「子どもの安全
 と健康を守る会」(中野見夫会長)が二十九日、市に、増加している学校事故の
 防止と無過失責任による学校災害補償法の制定を求める要望書を提出した。
  会によると、学校での事故は毎年増加しており、一九六九年度から九三年度ま
 での二十五年間で、全国で二倍以上になった。要望書では、(1)学校事故防止
 への万全の努力(2)子どもの安全を重視し、子どもの利用する施設の一宮市独
 自の建築基準を作ってほしい(3)無過失責任による学校災害補償法の制定に向
 けて努力を、などの点を要望。特に「市内の小中学校の校舎の窓は、薄い一枚ガ
 ラスになっていて危険だ」として、窓ガラスにさんをつけるか、強化ガラスに替
 えるよう、市側に要求した。
  対応した稲垣克己助役らは「要求は多岐にわたるので、研究させてほしい。ガ
 ラスの問題については、もっと勉強させてほしい」と答えた。57)朝日新聞 95/08/30

 ここでは、強化ガラスが開発され、それを使用すれば、子どもの事故は少なくなることが主張されているが、このような事例は多数あるだろう。暖房器具なども、昔は非常に危険なものであったが、より安全な暖房器具が開発されている。

 KKS WEB NEWS 1997
  プールの排水溝、約1割の学校で危険な状態  文部省が調査
 
  排水溝のふたが固定されていない
  学校プールの安全性に黄信号が点滅――夏の水泳シーズンを前に、文部省ではさきごろ学校に設置されているプールの排水口の安全性を調査したが、約一割の学校で排水口にふたが固定されておらず危険なことが分かり、同省では改善を促す通知を各教育委員会に出した。
  学校プールは循環ろ過式のものが多く、排水管につながる排水口のふたが外れていたために、水泳中に子どもが吸い込まれて死亡する事故が平成六、七年に全国で四件起きている。そのため、同省では昨年五月に十一年ぶりに実態調査をしたが、今回の調査はその後の改善状況について今年二月から三月にかけて追跡したもの。
  対象は私立校を含むプールを設置している全国の小・中・高校など三万一千九百七十三校。それによると排水口のふたを「ネジ・ボルト等で固定済み」の学校は、二万九千二百十六校(九一・四%)で、改善が必要な「要改善」の学校がまだ二千七百五十七校(八・六%)あった。
  要改善のうち「ふたの重量のみで固定」と回答した学校が二千六百八十三校(八・四%)で、「ふたなし」と回答した学校が七十四校(〇・二%)。このうち「改善計画がある」としているのは「ふたの重量のみで固定」と回答した学校では二千三百三十三校(八七・〇%)、「ふたなし」と回答した学校では二十六校(三五・一%)だったが、今後の改善計画について「なし」と回答した学校が前者では三百五十校(一三・〇%)、後者では四十八校(六四・九%)あった。
  一方、排水管口の吸い込み防止用金具の有無については「ある」と答えたのは二万五千三百五十四校(七九・三%)で、「なし」は六千六百十九校(二〇・七%)。そのうち改善計画を持っているのは、全体の約七割の四千六百六十五校だったが、約三割に当たる二九・五%の千九百五十四校が「改善計画なし」と回答している。
  排水口のふたをネジやボルトで固定している学校は、前回の六四%から九一・四%と大きく増えた半面、まったく今後の改善計画を考えていない学校もあることから、同省では、今回の調査結果を踏まえて「依然として安全管理の徹底が図られていないのが実情。子どもたちの命にかかわることなので、積極的に改善に取り組んで欲しい」と事態の深刻さを受け止めて、早急に改善するよう強く要望している。58)http://www.kknews.co.jp/kenko/pool.html

 こうした調査の結果か、文部省は以下のような通達を教育委員会に対しておこなっている。

 平成11年8月6日
 各都道府県教育委員会
 学校体育主管課長 殿
 
 文部省体育局体育課長
 北 見 耕 一
 
     学校水泳プールの安全管理について(通知)
 
  学校水泳プールの安全管理については,かねてから適切な管理・指導をお願いしているところであり,特に,プールの排(環)水口には,堅固な格子鉄蓋や金網を設けてネジ・ボルト等で固定させること等について,平成11年6月25日付け文体体第232号(文部省体育局長通知)において周知をお願いしているところであります。
 しかしながら今夏,大変遺憾ながら,[[小学校]]の水泳プールにおいて,排水口に体の一部が吸い込まれて,児童が死亡する事故が発生しております。(別添参照)
 事故原因については現在調査中ですが,プール指導,夏休み中のプール開放等児童生徒が学校水泳プールを使用している時期でもあり,同様の事故の再発を防止するため,学校水泳プールの安全確認・管理に当たり,前記体育局長通知及び下記の点に留意されるよう,取り急ぎ再度の周知をお願いします。
  記
 1 排(環)水口の蓋等の固定については,目視のみによる確認でなく,必ず触診及び打診等により,蓋等の欠損,変形,ボルト等固定部品の欠落・変形等がないか確認し,必要に応じて取り替えるなどの措置を講じること。
 2 プール使用時においては,必要な監視員等を配置するなど事故防止のための監視体制の充実を図ること。
 3 水泳プールのその他の施設・設備についても,プール使用期間中は,常時安全確認を行うこと。59)http://www.monbu.go.jp/tsuuchi/html3/00000042.html

(ウ)教育計画
 理科実験の事例は、無理な教育計画が事故を招いたと考えられる。
 この事故で確認できることは、アスベスト金網を取り除いて加熱したことは、危険であることは、教師自身が理解しており、あえてそれを行った点で、過失があったことは否定できない。しかし、一方で、安全で正式なやり方をしている限り、時間内に実験を行うことができず、中途半端な授業になってしまうことも、十分予想されていた。判決は、その点について明確に、「授業の都合が実験の安全性をないがしろにすること」はできない、と断じている。しかし、補償の問題としては、これで済むとしても、教育の問題として済むだろうか。
 この教師が、意図的に危険をもたらそうとしたわけではないことは明確である。しかし、危険であることは自覚していた。そのために、注意を繰り返し行いつつ、実験をした。
 時間がなければ、教師だけが実験を行って、生徒はそれを見ている、という方法も考えられる。しかし、教師は、おそらく、生徒が実際に実験をしてこそ、効果があると考えたのであろう。とするならば、実験を行う際に、十分な時間を確保するシステムがなかったことが、最も問題となる。実験は、理科の授業で毎回行うわけではないだろうし、1時間の授業で十分な場合もあるかもしれない。そうすると、この過酸化水素水の実験では、2時間続きに臨時に時間を編成し直せる、というような保証が必要なのであろう。小学校の場合には、学級担任制であるために、容易であるが、中学校の場合には、学校全体の協力体制が整っていなければ、そうした調整は不可能である。
 そうすると、教育内容から、危険な単元が次第に消えていくという事態になる。臨海学校がほとんどの学校で行わなくなっていったのも、そうした理由からである。
 学校教育としてではないが、昔は、休日に教師が引率して、ハイキングに出かけたり、あるいはスポーツをしたものである。しかし、ハイキングなどで、たまに事故が起こり、親が教師に責任を追求する事態が重なって、次第にそうした休日の指導は行われなくなった。
 そして、現在では、休日に部活等の試合を除いて、教師がボランティアで子どもとスポーツなどをすることを、管理者は抑制する傾向がある。
 体育などは、端的にこうした抑制的な姿勢が現れる。次の事例を見てみよう。

  両親と市、和解へ 金銭請求放棄 相模原の学校事故死訴訟 /神奈川
  相模原市の市立鵜野森中で体育祭の予行練習中に組み体操の「人間タワー」が
 崩れ、死亡した三年生の男子生徒(当時一四)の両親が、市に約七千万円の損害
 賠償を求めていた事故について市は十四日、両親側との和解条項が整ったことを
 明らかにした。二十日の議会承認を経て、二十八日に横浜地裁で正式和解を成立
 させたい意向だ。60)朝日新聞 95/03/15

 組体操や騎馬戦が危険なものであることは、誰でも知っている。それを危険だから、行うことを回避するか、あるいは、あえて行うか。何か、有効な考え方があるのだろうか。
 現在の学校体育の問題は、かなり危険なことも取り入れながら、それを教える側に、十分な専門的な知識や技能をもつことを求める、あるいは、そうした力量をもった者だけが、危険な授業を行うことができるような体制にすることも考えねばならない。

(エ)担当者
 日本の体育は、学校体育であるので、特に小学校の場合、専門的な技能を欠いている場合が多い。次の記事を見てみよう。

   教員の救命訓練充実 小学校での水死事故で教育長答弁 草加市議会
  草加市議会は11日、一般質問が行われ、田中與志子議員(共産)が、
 一昨年夏、市内の小学校の水泳教室で女子児童が水死した事故にからめ、
 救急隊による教員の救命訓練の状況などプール指導についてただした。
  小沢博教育長は、「全校でシーズン前に実施しているが、さらに回数や
 内容の充実を検討したい」などと答弁した。
  同市消防本部によると、昨年は6―7月にかけ、市内の全小学校では、
 教員に人工呼吸や応急手当てなどの訓練を実施したが、中学校では11校
 中8校で行っているのが実情だ。同本部では「反復訓練が望ましい」とし
 ている。61)朝日新聞 92/03/12}

 つまり、ここでは、水泳指導をしている教諭たちが、事故が起きたときに、救急措置が十分にできないことが示されている。ヨーロッパのように、水泳指導は、かならず市のプールで行われ、指導は学校の教師ではなく、プールに勤めている水泳指導員が行うために、こうした訓練は、少なくとも日本よりはきちんと行われていると考えられる。
 小児科医の妹尾佳均は、次のような指摘をしている。

 水泳授業に臨時職員を
  てんかんの既往がある、または現在てんかんの治療を受けている小中学生にとって水泳の授業は大きな心の壁になっている。てんかんという病名を持っただけで、それが過去のものであっても、水泳の授業を受けることができないか、あるいはたとえできたとしても"監視付き水泳"をするということになる。 
 今の学校はもうずいぶん前からがちがちの事なかれ主義を貫き、そのために多くの弊害がでているにもかかわらず未だに省みられることがない。
 学校においては事故があってはならないという至上主義はその教育の本質をどうしようもなくゆがめてしまった。
  詳細は不明だが、ある学校でこどもがてんかんということで水泳授業が受けられず、ほかのこどもたちが水泳を楽しんでいるとき、運動場の片隅で草むしりをさせられていたことが発覚し問題になった。人権侵害といってもおかしくない事件である。
 この子どもの受けた心の傷を思うと胸が大変痛む。このようなこどもの心を無視した行いが学校で平然と行われたことに背筋が寒くなる。これが教育といえるのか。62)http://www.harenet.ne.jp/senohpc/opi/swimcla.html\footnote{

Q 学校体育ではなく、社会体育に移行するのと、学校体育を維持して、教師の危機管理能力を高めることと、どちらが、安全を高めるためによいだろうか。(どちらにしても、実現可能性を考慮する必要があるが。)

(オ)対応
 事故が起きた場合、迅速な対応が求められるが、しかし、現場では必ずしも適切な対応がとれらていないとされる。以下の報道。

 救急車、認めぬ校長も 安全対策に不安半数 教育法学会・小中高調査
 
  学校で子どもがけがをして、救急車を呼ぶべきなのに校長が認めないなど、救
 急態勢に不安のある学校が少なくないことが、日本教育法学会の学校事故調査小
 委員会(座長・喜多明人早大教授)が実施した全国調査で分かった。一日、北海
 道大学で開かれた同学会の定期総会で報告された。学校安全に関して、まとまっ
 た調査は全国初という。
  学校内や学校行事で子どもがけがをしたり死亡したりする事故が増え、学校側
 の救急措置のまずさから訴訟になる例もあることから、救急態勢・安全対策を調
 べた。調査は昨年九月、千葉、京都、島根など十府県の公立小、中学校と高校千
 二百校の養護教諭にアンケート、五百三十九校(四五%)から回答を得た。
  その結果、半数以上の養護教諭が学校の安全対策に不安をもっていることがわ
 かった。事故を未然に防止して、被害を最小限にする「安全配慮」について「不
 十分」「やや不十分」という回答が五六・四%。施設・設備の安全点検が「不十
 分」が五〇・七%、救急用具・備品が「十分ではない」は四四・七%だった。
  特に指摘されたのは「学校がなかなか救急車を呼ばない」。けがや体の不調を
 訴えた子どもを病院に運ぶ手段は「ケース・バイ・ケース」(四九・五%)「教
 員の車」(二三・二%)「タクシー」(二五・二%)。「救急車」は〇・四%。
  養護教諭が「救急車を呼ぶべきだ」と思ったのに呼ばなかった理由として、「
 生徒の動揺を気にした」(八校)「一般の教職員が消極的」(四校)「校長が認
 めなかった」(三校)などがあげられた。この判断を「校長ら管理職」がしてい
 る学校が三分の一を占めるなど、救急対応についての明確な指針がないことが改
 めて浮き彫りになった。63)朝日新聞  96/06/02

 半数の養護教諭が、不安をもつような対応がなされており、その判断は校長ら管理職によって行われているということである。生徒に不安を与えるので、救急車を呼ばない、というようなことも報告されている。

(カ)生活指導
 授業以外の場面で生じる事故についても、学校・教師は安全に対して責任がある。休み時間中のふざけやいじめの問題などである。もちろん、これらに対しては、学校側が認識しにくい側面があるし、また、生徒自身の責任もありうる。特に上級学年になった場合には、ふざけて遊んでいる場合やいじめによって生じる結果については、ある程度認識でるから、学校側の責任は軽減されるとしても、基本的に学校・教師に安全に対する配慮義務があることは否定できない。
 まずいじめの問題について考えてみよう。
 法的に責任が生じるには、ある問題が予見可能であること、回避可能であることが必要であるが、いじめはこのふたつがともに困難である場合がある。しかし、学校には、いじめは常に発生する危険性があることを認識し、その発生について注意しておく責任があると考えられる。そのような姿勢があるかどうかで、実際に生じているいじめを認識できるかどうかが左右されるだろう。通常払うべき予見のための注意を払わないことによって予見できなかったとしたら、それは予見不可能であったという結論にはならないと考えるべきである。予見不可能とは、通常払うべき注意をはらっていたのに、生徒のいじめが意図的に教師に隠れて行われ、教師にはその情報が一切なかったというような状況であろう。実際に、いじめの認識は教師の意識レベルや教師と生徒との信頼関係によって大きく左右されるのであるから、予見責任があるという前提で予見可能性を考える必要がある。
 回避可能性についても大きな困難が伴うことはよく指摘されるところである。
 教師に隠れたいじめが、教師に知られるためには、誰かが知らせなくてはならないが、逆にいじめを知った教師がいじめ対策にのりだせば、誰が知らせたかという犯人さがしがいじめグループによって行われ、更にいじめが深刻化する場合すらある。従って最も大切なことは、普段から「人間を尊重する」姿勢で教育活動を行い、いじめが人間の尊厳を侵す行為であることを実感できるような日常生活の指導を行っていることであり、そういう活動の上に実際におきたいじめへの取り組みをすることであろう。
 これまでの悲劇的な結果をともなったいじめ事件では、こうした教師の当然のあり方の逆、つまり、教師が生徒間のいじめを助長してしまうような事例も少なくないことを考えると、上記のような原則は非常に重要であると考えられる。実際に、テストを行い、様々な生徒の評価活動をしている教師は、気づかない内に生徒への差別的取り扱いをしてしまい、それがいじめを誘発するような場合もあることを認識しておく必要がる。64)「いじめに関する学校の法的責任と限界」羽山健一 が参考になる。http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk152a1.htm
 一般教育科目で行った「教育学」で取り扱った鹿川君事件を振り返ってみよう。(「教育学」テキストを各自参照すること。)
 当初いじめグループに属していた鹿川君が、ターゲットの転校によっていじめの対象となったのが2学期であり、はじめの内はふざけのようにも見えたが、次第にいじめは拡大し、特に葬式ごっこをしようとして、教師4人にも色紙へのサインを求められたのであり、いじめを認識できなかったということはありえないわけである。このとき、教師たちはサインをすることに問題を感じ、抵抗したことも予見していたことを示している。しかし、有効な対応をとらなかったという意味で「回避可能性」を十分に追求しなかったことは否定できない。この学校はいじめ対策についてはかなり熱心にしていたのであるが、実際に生じているいじめへの具体的な取り組みは不十分であった。
 判決においてもこうした責任は認定された。65)判決文は http://www.asahi-net.or.jp/~fl5k-oot/sikagawa.htm
 では休み中の事故などはどうだろうか。
 ここでは日本とヨーロッパの学校の時間設定についての違いをまず説明しておこう。現在の日本の制度ではヨーロッパとは異なるが、今後学校で仕事をする人たちが知っておくことは有効であると思われる。
 次のフレネ学校の時間割を見てみよう。昼休み以外には休み時間が存在しないことがわかる。これはヨーロッパの学校の一般的な形である。つまり、昼休みのような長い休み時間以外は、授業が始まったらそこまですべてが学校の管理責任にあることが示されているのである。実際に教員室に帰ることがあっても、管理責任は存在している。
 しかし、日本の学校では時間割上休み時間があるために、その管理責任があいまいになっている。これをどう考えるか。
 実際に休み時間中に起きた事故はたくさんある。  


 更に放課後の事故なども問題となる。この場合、通常は放課後校庭で遊んでいたとか、あるいは放課後残って何かの作業をしていた場合は異なる意味をもっている。また、2004年におきた奈良県の小2女子殺害事件では、放課後一旦帰宅後、再び学校で作業をするために、急いで帰宅中の事件となったが、この場合学校が作業を課していたために急いだとすると、学校の責任はどうなるのかという問題が今後発生する可能性はある。
 最終的には賠償責任等が発生するかどうかは、純粋に法律的な問題であるとしても、学校や教師としては、責任をとわれなくても、最大限の注意を払って安全に生徒が生活・学習できるように配慮することが求められることは言うまでもない。そのためには、どんな危険が発生するかについての正確な判断力が教師には求められる。
最終更新:2008年08月03日 12:03