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 新学習指導要領に基づく教育が開始されているが、大幅な学習内容の削減や総合学習の導入などによって、教育内容に関する論議、とくに学力論争が激しく行われている。特に、これまでの日本では、教育内容は国家によって厳密に規定され、逸脱を許さないものと多くの教育関係者に理解されてきた。特に戦前は、国定教科書を使用し、教える内容だけではなく、その方法や時期まで枠づけられていたから、教師の多くは、教える内容は他律的に与えられるものであるという意識をもっている。そして、教科書を自分たちで選択すくことができなくても、それほど強い疑問が起きていないのである。
 しかし、本当に、教育内容は国家が厳密に定めてきたのだろうか。また、国家が国中の教育内容を統制することなど可能なのだろうか。また、そもそも教育内容とは何か、誰がどのようにして決めるのか。そうした問題をここでは扱うが、まず、具体的な事例を紹介しておこう。
 長野県伊那市に伊那小学校という、非常に古い学校がある。市の名前が学校の名前であることから、最も中心的な学校であることがわかる。
 伊那小学校は、その教育方法によって全国的に知られ、これまで何度もテレビ等のメディアによって紹介されてきた。そして、毎年2月に教育研究集会を開催し、そのときには全国から3000名ほどの見学者が訪れる。
 教育内容の原理として「系統カリキュラム」と「生活カリキュラム」のふたつがあることは、よく知られているが、伊那小学校の実践は、後者の典型的な事例と言える。戦後のアメリカによる教育政策の転換の中で、生活カリキュラムの実践が導入され、本郷プラン、大石田プランなどの意欲的な教育計画が構想され、実践されたが、学力低下という不安の中で、ほとんどが消滅していった。伊那小学校の実践は長く生活カリキュラム的な要素を維持しただけではなく、20年ほど前からより徹底した方法を取り入れて、今日に至っているのである。
 その新しい手法とは、クラスで動物を飼育することを通して学習していく方法である。以前NHKで紹介されたときには、2年生が犬を飼育する実践であった。
 まず犬を飼うことがきまって、犬小屋を作る必要が生じた。そのためには、材料を購入しなければならない。そのためには資金がいる。クラスで相談した結果、クラスの生徒に酒屋を営む家庭があったので、酒瓶を集めて、その酒屋さんでお金に換えてもらうことにした。そして、ビールや一升瓶の値段、他方犬小屋のために必要な材木の値段を確認し、どれだけ瓶を集めればよいかを計算する。そして、集めて酒屋さんにもっていくと、瓶がどのように作られ、回収され、再利用されるかを、店の人(生徒のお父さん)がていねいに説明してくれる。
 それから、材木を購入して犬小屋作りをみんなでやる。完成したところで犬が登場し、毎日教室に朝つれてきて、放課後犬小屋に戻す。授業中の餌や排泄物の世話などは、当然授業の一環と考えられている。
 こうして、算数、国語、図工、生物、社会などの科目を実質的に学んでいくのである。
 昨年、伊那小学校の実践をビデオ化したものがあるが、それは豚を飼育するクラスの一年間の実践である。
 ここでは飼育している豚が妊娠、出産するので、子豚たちの世話をし、食肉にされるために運ばれていくのを見送るまでが撮られている。
 このように伊那小学校では、ほとんどのクラスで動物が飼育され、農家の協力で、通常の学校では扱わないような動物まで飼育する。そして、飼育する以上、相当な時間がとられるし、普通の学習も飼育の過程に、ある部分は折り込まれる。
 このような授業形態や内容は、学習指導要領にあっているのだろうか。
 多くの人たちは、なぜ学習指導要領からの逸脱という批判を受けないのか、疑問に思うだろう。このような実践をしている以上、他の多くの学校のように教科書を消化することは難しいだろうし、学習指導要領が想定していない授業形態をとっていると考えられるのではないだろうか。
 しかし、実際には文部省の人たちが注目もしており、訪問もしているという。
 国家基準としての学習指導要領とは、一体何なのか、それは本当に拘束しているものなのか、あるいは、現場の人たちが拘束されていると思い込んでいるだけなのか、あるいは、拘束されるかどうかは、実践の内容ではなく、地域の人たちの評価などのような外的要因によって左右されるものなのか。
最終更新:2008年08月04日 21:17