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 社会の中に存在する「教育」は、国家が法律で規定している学校から、塾や家庭教師のように、私的なものまで様々な形態のものがある。まず、公教育と言われる国家が法律で規定している教育機関に関する教育費を考えてみよう。

(ア) 公費(設置者負担主義) 
 学校にかかる費用は、学校の設置者が負担するのが原則となっている。学校教育法は次のように規定している。

学校教育法5条 学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いて       は、その学校の経費を負担する。
学校教育法6条 学校においては授業料を徴収することができる。ただし、国立又は公立の小学校及       び中学校又はこれらに準ずる盲学校、聾学校及び養護学校における義務教育について       はこれを徴収することはできない。

 日本では、学校の設置者は、国、地方公共団体、学校法人のみである。
 学校教育法5条の規定を、「設置者管理主義」「設置者負担主義」という。この規定によって、国立や公立であれば、国や公共団体が、学校の費用を負担する義務をもつ。
 しかし、実際には多くの例外があり、かつ収入と支出の制度面で設置者負担主義を十分に実施することも困難である。日本の税制では、地方税の割合が低く、地方交付税や補助金によって地方財政が成立している状況があり、もともと設置者である地方自治体に十分な財源がないために、設置者としての必要な費用をもっていないことがあげられる。そのために、補助金及び生徒からの徴収費用が少なくない。
 設置者負担主義の例外として、義務教育学校の教師の給与がある。公立の義務教育学校は「市町村」が設置するが、教師の給与は、県と国が半分ずつ分担している。
 ところで、ここには大きな現実的問題が存在している。
教員数については、法令による定数がかなり厳格に決まっている。それは教員の給与の半分を国が負担しており、残りの半分を都道府県が負担しているという、設置者負担主義の例外からきている面が強いと言えるであろう。
 教育条件を向上させるためには、教員数を増やすことがプラスになることが多いだろう。もし、設置者たる市町村が教員給与の負担をするのならば、増やすことは市町村の判断で行える。しかし、給与を負担していない以上、また義務教育の機会均等の条件を保障するために、全国的な統一基準を作るために、定数が定められているのである。
 ところが、学級の人数との関連で、学級定数を超えたり、また割ったりすると、一定期間前には学級の編成変えをしなければならない。それは子どもたちに大きな負担になるし、教育効果を低下させざるをえない。それを避けるためには、市町村は独自に給与を支払って教員を雇用する必要がある。
 同じようなことは、栄養士やスクールカウンセラーの配置、障害児用の補助教員等についてもいえるのである。
 もちろん、このことは全体的な税・財政構造との関連抜きには解決できないことであるが。アメリカでは、教育税を徴収する場合が多く、教育のために徴収する目的税として、今でも存在している。地方税の一種であり、教育のためだけに使われる。
 これは、移民が子どもたちを学校に通わせるために、地域で教育費用を出し合った伝統を引き継いでいるが、明確な教育税は1812年からであり、財産税を教育税として充当させている地域が多い。

Q 教育のために使用する目的税(教育税)はあったほうがいいか。

(イ)私費
 憲法では、「義務教育は無償とする」とし、教育基本法では、「義務教育は授業料を徴収しない」と規定している。憲法と教育基本法という、どちらも「基本的な法律」であるにも拘らず、異なる規定をしていることになる。
 常識的に言えば、「義務教育は無償とする」という規定は、欧米で実施されているように、義務教育においては学校に費用を徴収されることはないという意味であろう。しかし、教育基本法は、「授業料を徴収しない」と限定的な規定を定め、授業料以外の費用を徴収することを認めている。教科書代のように、かつては有償であったのに、現在では無償になっているように、時代で変化したものもある。
 欧米では、義務教育は無償である、と規定されていることは同様であるが、通常、教材、教具、行事費用(遠足等)も含めて公費で賄われており、義務教育の学校にかかる費用を私費負担することは、ほとんどない。因みに、私が娘をオランダの学校に1年間通わせて、学校から徴収された費用は「父母会」の経費のみであり、それは義務ではなかった。
 ただし、生活部分(食費)などは、個人負担である。
 したがって、教育にかかる必要で私費負担するのは、義務教育段階では、習い事等に限定される。
 しかし、日本では教科書以外の教材費が膨大にかかり、給食費、遠足・修学旅行代、制服等の決められた様式の用具、など多額の費用がかかる。これは憲法違反というべきなのだろうか。

(ウ)公費(補助金)
 公立・私立を問わず、多額の公費補助が行われている。これは、校舎、施設、教材等、さまざまな分野に及び、標準的な学校の状況が規定され、その一定部分を援助する形で行われる。
 本来自治体が十分な財源をもっていれば、補助金の必要性は低いのであり、その方が運営上好ましいと考えられる。しかし、他方自治体が自由に運営していくと、自治体によってかなり大きな格差が生まれる可能性があり、その是非は人によって評価が異なるのではないだろうか。
 補助金のシステムは、国全体として必要な教育条件を充足させていくためには、有効な手段となる。学校にコンピュータを導入するときなど、文部省が積極的に補助を行うことで、どの学校にいてもコンピュータを学ぶことができる条件が整備される。しかし、あらゆることがらを国全体として揃える必要はなく、そのバランスが難しい。

(エ)共同負担
 教育費用は、教育を受ける個人や設置者以外にも、さまざまな形態で負担する人・組織がある。
 イギリスの貴族の学校であるパブリックスクールでは、裕福な貴族が中心となって、基金を作り、貴族であれば貧しい人でも学べる機会を保障していたとされる。
 また、アメリカの有力私学は、卒業生を中心とする多額の寄付によって、部分的に費用を賄っている。多額寄付者の子弟が、優先的に入学できるシステムは、アメリカの私学ではめずらしくない。(ただし、アメリカの大学は、卒業することが難しいので、そうした優先入学でも、卒業資格を得られる保障はない。)
 民間の機関が提供する奨学金なども、こうした共同負担のひとつと考えることができる。
最終更新:2008年08月04日 21:30