日本では、1980年代の臨時教育審議会で最初に話題になった「学校選択」が、現実的な課題になってきた。1999年に東京品川区で
小学校が、区を4つのブロックに分け、そのなかの学校には自由に入学できるようにする学校選択制度を実施した。現在複数の自治体が既に検討に入っており、今後多くの地域で
義務教育段階での学校選択が実施されることは確実である。
学校選択といっても、国際的に見ればいくつものパターンがある。
最も完全な形で学校選択制度を実施しているオランダでは、選択の自由は、学校設立の自由と学校における教育の自由とセットになっており、学校選択が確実に実現するように、通学可能地域に複数の学校が存在するように、学校を設置する義務が自治体側にある。(詳細は3年次の「
国際教育論」で扱うが、ホームページに内容は掲載されている。)
ヨーロッパの多くの国では、通学する学校は指定されるが、近隣の学校に変更することは認めるような緩い学校選択を実施している場合が多い。もともと、ヨーロッパでは宗派的に学校が組織されることが多く、一つの学校を指定することに無理があるために、学校選択は当然の権利として実施されてきた。
それに対してアメリカでは、地域に学校をひとつ作ると、土地が広大であるので、事実上選択は困難であり、中学以上では多くのカリキュラムを作ることで、選択の実現を図る方式をとっている場合が多い。
ただ、アメリカでは階層的に住宅地域が決まっており、異なる階層が住む地域の学校にあえて入学させようという意識が強くなかったという特殊性も見逃すことはできない。
そういう中、60年代から70年代に進んだ公立学校の荒廃に対して、学校選択を要求する声が上がり、バウチャー制度の主張なども現れて、いくつかの州や地域で選択制度が導入されてきた。\footnote{黒崎勲『教育と不平等』新曜社}
アメリカでバウチャー制度を最初に提案したのは、新自由主義の立場にたつフリードマンと言われている。しかし、バウチャー制度の具体的なプランを作成した人たちからは、強い批判を受けている。つまり、バウチャー制をまったく自由な選択とするのか、あるいは選択にも規制を加えるのかによって、制度上な差異が生じると言われている。
バウチャー以外に授業料徴収を認めるのか、希望者を能力でふるい分ける入学試験を実施するのか、希望者は定員以内であれば全員認めるのか等。
授業料徴収を認め、入学試験を実施することになると、事実上人種差別的な学校に公費支出を認めることになりかねないというのが、規制論者の主張である。
日本で選択への反対は以下のような論理をとっていることが多い。
第一に、公教育はすべての国民に等しい教育を与えることが目的であるから、通学区を指定し、その中の学校の教育条件を揃えることが大切で、選択を認め、競争を導入すると、「等しい教育を与える」という目的に反することになる。
第二に、選択を認めたら、一部の学校に志望が集中し、受験競争をあおることになる。
第三に、学校は地域に支えられて成立するものであり、選択を認めると地域の学校ではなくなるので、地域と学校の関係を断ち切ることになる。
第四に、学校の改革のためには「参加」こそが大切であり、選択は参加を阻害する。
賛成論は以下のようなものであろう。
すべての人に等しい教育を与えるということは、実際には不可能であり、選択を認めたら一部の学校に集中するという反対論自体が、実際の教育は等しくないことを認めていることになる。等しくない教育を居住条件で押しつけるのは
教育を受ける権利に反する。
選択を認めても、多くの人は近くの学校を選択するはずであり、一部に集中することはない。
地域と通学区とは別の概念であり、地域にはさまざまな要素があり、別の学校に通っていても、地域住民の協力は可能である。
選択をしてこそ、参加もやりやすくなる。
最後に「学校選択の論理」を整理しておこう。
家庭教育の自由と私立学校の自由とが、教育の自由の実質をなしており、学校選択は私立学校か公立学校のいずれかを選択する権利であるというのが、これまでの定説的理解であった。
しかし、これは不正確である。
ヨーロッパでは、通学する学校を行政が厳格に指定することはあまりないことである。どんな国でも、義務教育が成立する初期から、学校がたくさんあって、自由に選択できる状態になっていた国など存在しない。学校の数的制限から、通学する学校は、公立学校の場合自然に定まっていくのであるが、境界領域では隣接学校に通学することは通常認められるのである。そのような中でもドイツのように、宗教的な勢力が拮抗している国では、公立学校も宗派的な色彩をもつことが多く、自分の宗派に合う学校を選択する体制は古くからあった。それを法的に確認したのが、ワイマール憲法である。ワイマール憲法は、住民が宗派学校を設立してほしいと要請すれば、自治体は要望に応じる義務を規定したのである。私立学校を否定し、通学区を厳格に運用するようになったのは、ヒトラー体制においてであった。日本の一九四一年の国民学校令がそれを習って、家庭教育の自由を否定し、通学区指定を厳格化したのは一章で紹介された通りである。
以上のように、ヨーロッパで「教育する自由」が重視されたのは、一面で、階級的区分が教育に比較的密に結合する社会であることの反映でもあった。貴族・有産階級のための大学にまで接続する学校体系と、初等教育どまりの大衆教育が二0世紀半ば近くまで維持されていたことに、それは示されている。
その意味では、早くから同質の教育を国家が保障してきた日本の義務教育体制は、民主主義的な平等主義に基づいていた側面もある。しかし、日本においては、「教育する権利」は、ほぼ国家が独占し、国民は国家が与える同質の教育を受動的に受ける権利(義務)しかもつことができなかった。私立学校が存在しているといっても、それは「教育する権利」を実現するものとは到底いえないものである。
最終更新:2008年08月04日 21:48