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 学校は文字文化に関わって文化を教える組織として成立したことは度々述べた。当初から法律家と聖職者を養成するのが、学校の役割であったから、単にアカデミックな教科だけを教える組織ではなかった。もちろん宗教組織が聖職者を養成するために組織した教育機関では、その中心に倫理的な内容が含まれていた。日本の寺、例えば延暦寺や永平寺は教育機関でもあるが、そこでは「修行」という言葉に表されるように規律や道徳的な修得が重要な位置を占めていた。
 学校教育に関していえば、学校を教科的学習に重点を置く考え方と、むしろしつけに重点をおく考え方とが並立して存在してきた。宗教と教育の関係に関する考え方の相違である。先進国で成立した義務教育制度は概ね宗教を学校に持ちこまない体制(世俗性)が原則とされたが、宗教団体が学校を作ることを否定もしなかったから、宗教的なモラルの教育を軸に据える学校も少なくない。このように、教科学習以外の側面については異なった考え方があることをまず確認しておく必要がある。
 しかし、いずれにせよ、学校生活に関わる指導ではなく、家庭で行なうしつけの一種である「生活」を指導に関わるようなことを教えるものではなかった。
 ただ、人間が多数集まってひとつのことを共同して行う以上、そこに規律や規則がなければならないことは言うまでもない。完全に世俗化された学校でも、学校の秩序を維持するための規律は存在するし、その規律を守らせるための指導や破った場合の指導が不可欠である。
 更に学校は社会の伝統や価値観を子どもに伝達させることを期待されてきたから、何らかの形で「しつけ」を行うことがその任務であると考えられる。
 このようなことが、原則的な教科以外の指導、通常生活指導と読んでいる側面を要請している。ただ、実際の教育現場のことを考えるためには、一般的にそうした指導がどのように行われるべきかを考えるのではなく、実際にどのような問題が生じているかを主な考察対象とする必要がある。ルールや規律はそれを破る者がいる時点で具体的な問題となるからである。そして、教育の現場では生活的な側面でさまざまな問題が生じている。学級崩壊、不登校、いじめ、暴力等々。このような問題が生じており、またそれに対する対処の原則や方法についても、教育現場ではいろいろな考え方があるのが実態である。
 この節の見出しは「生活指導は必要か」となっている。それはふたつの意味がある。
 ひとつは、学校の世俗性を徹底した考えは、「しつけは家庭の役割、あるいは権利」という考え方である。これは逆に学校は家庭の権利たるしつけをするべきではないという主張になる。特に欧米では「しつけ」は宗教の役割と考えられ、宗教は様々な宗教や同じ宗教でも宗派に分かれているから、学校がしつけを行うと、それと異なる価値観にたつ宗教の人は信教の自由を犯されることになり、学校のモラルに関わる教育を強く否定するわけである。この考え方からすると、生活指導は最低限の学校秩序固有の問題に限定されるべきであり、通常の幅広い生活指導などは行うべきではなく、何か指導上の問題が生じたらそれは家庭の責任に任せるべきであるということになる。
 日本ではこのような宗教的な対立はあまりないから、この面での生活指導への消極論はあまり存在しないが、ただ、価値観やモラルに関わる教育に関しては、強い対立も存在するので、このようなレベルでの生活指導消極論をまったく考慮しないのは、実際の問題を見逃すことになるだろう。
 第二の側面は、生活指導はできるだけ少ない方がいいという考えがある。必要だとしてもそれは必要悪であり、その意味で生活指導の必要性は常に最小限にしておこうという考えである。これは「自律的な人間を育てる」と考え方と結びつくことになる。
 これらの考えに対して、実際の学校現場では様々な問題が起きてきたことは否定できないし、また今でも起こっている、そして、一般的に家庭での教育機能が落ちたと認識されているから、(そのことが検証されているわけではないが。)学校での生活指導を積極的に行う必要があるという考えがある。事実として学校での生活指導はどんどん肥大化し、現在では「生活科」が設置されている。

{学校の肥大化と生活科}

 以上のような変遷は、「学校の肥大化」という批判を招くことになった。あまりに学校が多くの機能を引き受けすぎているという批判である。この議論は、特に「生活科」が設置されたときに集中的に起こった。生活科は、社会と理科の教科を小学校の1、2年生に関して廃止し、その代わりに置いた科目であるが、名称のごとく、家庭での教育力が低下し、十分な生活関連の訓練ができなくなったために、学校でそれを補充するという趣旨だったからである。

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第5節 生活

第1 目標
 具体的な活動や体験を通して、自分と身近な社会や自然とのかかわりに関心をもち、自分自身や自分の生活について考えさせるとともに、その過程において生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ、自立への基礎を養う。

第2 各学年の目標及び内容

〔第1学年及び第2学年〕
1 目標
(1) 自分と学校、家庭、近所などの人々及び公共物とのかかわりに関心をもち、集団や社会の一員として自分の役割や行動の仕方について考え、適切に行動することができるようにする。
(2) 自分と身近な動物や植物などの自然とのかかわりに関心をもち、自然を大切にしたり、自分たちの遊びや生活を工夫したりすることができるようにする。
(3) 身近な社会や自然を観察したり、動植物を育てたり、遊びや生活に使うものを作ったりなどして活動の楽しさを味わい、それを言葉、絵、動作、劇化などにより表現できるようにする。

2 内容
〔第1学年〕
(1) 学校の施設の様子及び先生など学校生活を支えている人々や友達のことが分かり、学校において楽しく遊びや生活ができるようにするとともに、通学路の様子などについて調べ、安全な登下校ができるようにする。
(2) 家庭生活を支えている家族の仕事や家族の一員として自分でしなければならないことが分かり、自分の役割を積極的に果たすとともに、健康に気を付けて生活することができるようにする。
(3) 近所の公園などの公共施設はみんなのものであることが分かり、それを大切に利用することができるようにするとともに、身近な自然を観察し季節の変化に気付き、それに合わせて生活することができるようにする。
(4) 土、砂などで遊んだり、草花や木の実など身近にあるもので遊びに使うものを作ったりして、みんなで遊びを工夫することができるようにする。
(5) 動物を飼ったり植物を育てたりして、それらも自分たちと同じように生命をもっていることに気付き、生き物への親しみをもちそれを大切にすることができるようにする。
(6) 入学してから自分でできるようになったことや日常生活での自分の役割が増えたことなどが分かり、意欲的に生活することができるようにする。

〔第2学年〕
(1) 自分たちの生活は近所の人や店の人など多くの人々とかかわっていることが分かり、日常生活に必要な買い物や使いをしたり、手紙や電話などで必要なことを伝えたりするとともに、人々と適切に応対することができるようにする。
(2) 乗り物や駅などの公共物の働きやそこで働いている人々の様子が分かり、安全に気を付けてみんなで正しく利用することができるようにする。
(3) 季節や地域の行事にかかわる活動を行い、四季の変化や地域の生活に関心をもち、また、季節や天候などによって生活の様子が変わることに気付き、自分たちの生活を工夫したり楽しくしたりすることができるようにする。
(4) 身の回りにある自然の材料などを用いて遊びや生活に使うものを作り、みんなで遊びなどを工夫することができるようにする。
(5) 野外の自然を観察したり、動物を飼ったり植物を育てたりして、それらの変化や成長の様子に関心をもち、また、それらは自分たちと同じように成長していることに気付き、自然や生き物への親しみをもちそれらを大切にすることができるようにする。
(6) 生まれてからの自分の生活や成長には多くの人々の支えがあったことが分かり、それらの人々に感謝の気持ちをもち、意欲的に生活することができるようにする。

第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い
1 指導計画の作成に当たっては、次の事項に配慮するものとする。
(1) 地域の社会や自然を生かすとともに、それらを一体的に扱うように学習活動を工夫すること。
(2) 自分と地域の社会や自然とのかかわりが具体的に把握できるような学習活動を行うこと。
(3) 生活上必要な習慣や技能の指導については、社会、自然及び自分自身にかかわる学習活動の展開に即して行うようにすること。
(4) 言語、造形などに関する指導との関連を図り、指導の効果を高めるようにすること。
\end{quotation}
現行学習指導要領では、1年と2年の区分はなくなった以外は、あまり変化はなく、また、新学習指導要領でも、基本的な変化はないが、内容に関して、次第に例示が増えている。しかし、生活科においては、学校がおかれている社会環境や自然環境によって、学習する内容が変わってくるから、要するに何をやるかが、学校に任されるようになってきたといえるだろう。ただ、新学習指導要領では、特別支援教育の重視という全体的方針との関連で、「身近な幼児や高齢者、障害のある児童生徒などの多様な人々と触れ合うことができるようすること」という「内容の扱い」が付け加わっている。
 生活科の新設は、学校によって様々な影響があるだろうが、学校の肥大化と呼ばれる事態が進んだこと、戦後改革時に行なわれた生活カリキュラム的要素が部分的に復活したと考えてよいこと\footnote{それは、総合的学習の時間の新設によっても、促進された。戦後生活カリキュラムが、基礎学力の低下という批判で消えていったが、PISAの結果によって、総合的学習の時間が削減されたことは、似た現象である。}
最終更新:2008年09月03日 21:51