ガチャ!
階段の踊り場にて焔火と言葉を交わした界刺はそのまま歩を進め、2階にある自身に宛がわれた病室―彼には個室が与えられていた―へ戻る。
『光学装飾』にて自室に大勢の少女達が見舞いのために訪れていることを事前に察知している碧髪の少年は、その意味を噛み締めながら扉のノブを回す。
「おっ!こりゃまた、何とも豪勢な見舞い客だ」
開けた扉の先に居るのは、いずれも有名なお嬢様学校へ通う少女達。若干知らない少女達も居たが、
それはそれとして彼女達の訪問を迎え入れるためにも、界刺は少女達の名前を丁寧に読み上げていく。
「涙簾ちゃん、バカ形製、サニー、珊瑚ちゃん、華憐、嬌看、遠藤ちゃん、フィーサ、マーガレット、津久井浜、菜水・・・後の方々はどちらさんで?」
「私?私は
雪白すみれ(ゆきしろ―)。へぇ・・・この人が、晶子ちゃんが言ってた界刺さんって人か」
「雪白さんは、グルメ巡りの最中に知り合った私の友達なんですよ」
「へぇ・・・でも、そんな娘が何でこんな所に?」
「実は、今日の午後から彼女や津久井浜さん達と一緒に第5学区グルメ巡りを敢行することになってまして。
そのついでと言っては何ですけど、界刺さんが大怪我したと耳にしたのでこうやってお見舞いに。
これ、差し入れのメロンです。予め切り分けていますから、できるだけ早く召し上がって下さいね。雪白さん。冷蔵庫に入れるのを手伝って下さい」
「りょーかい」
「おぉ・・・ありがと」
常盤台中学の制服に身を包む菜水と
花盛学園の制服に身を包む雪白すみれが、見舞い品の高級メロンを手際良く冷蔵庫へ収めていく。
メロンなど年に数回食べるかどうかレベルの品である。しかも高級と来た。その甘さを想像して思わず口内に涎が満ちる界刺へ菜水が挙げたもう1人の少女が口を開く。
「あらあら。それにしても、貴方ともあろう人間がここまで深手を負うなんて・・・一体全体どういうことなのかしら?ねぇ、フィーサさん?」
「そうね。こっちは『大覇星祭』で前の借りを返すつもりなのに・・・(ブツブツ)」
「界刺殿。失礼を承知でお聞きしますが・・・その怪我は“件の男”と何か関係が?」
「ッッ!!!」
以前一杯食わされた男が大怪我を負っている現実を未だに飲み込めていない津久井浜とフィーサの疑問をマーガレットがはっきりと言葉に出す。
それは、ある少女―“件の男”と界刺が出会った切欠になってしまった―
苧環華憐の表情を硬直させるのに十分な代物であった。
実は、彼女達(【『
ブラックウィザード』の叛乱】に関わった者を除く)は界刺が大怪我を負って入院することになった具体的な理由を知らない。
もちろん、苧環や鬼ヶ原達は【叛乱】に関わった月ノ宮や真珠院達を問い詰めたが事態が事態なだけに月ノ宮達は事情を詳しく説明することができなかった。
メディア等の情報程度では到底納得できる筈も無い。『容態は安定している界刺が後で説明する』という形製の必死の説得で何とか抑えたくらい苧環達は気を逸らせていた。
「・・・・・・そうだ。簡潔に言えば、俺は野郎に負けた。でも、何とか生き残った。んで、“当面の間は野郎が俺を狙って来ることも無くなった”・・・かな」
「界刺さん・・・!!」
「華憐。まぁ、何とか生き残れた。これが動かしようの無い『結果』だ。俺が生き残った事実は動かない。
だから・・・あんま自分を責めんな。俺は今回のことで君を恨んだりしないし憎くも思ったりしない。な?」
「は、はい・・・はい・・・!!!」
苧環の涙声混じりの返答に、界刺は目の前の少女がここへ来るまでに抱いていたであろう凄まじい負い目を察する。
きっと、今でも彼女はあの時のことを後悔している。それは、おそらくこれからも。故に、自分ができるのは彼女へ自分の想いを正直に述べること。後は・・・彼女次第だ。
「(ね、ねぇ晶子ちゃん?なんか、すっごく物騒な話を耳にしている気がするんだけど?あの界刺・・・先輩って何か変な奴に狙われてるの?)」
「(私もよく知らないけど・・・苧環さんを尾行していたヤバ気な男の標的になっちゃったみたいで・・・)」
「(あぁ、ストーカーって奴?お嬢様学校の学生を付け狙う奴って居るもんね)」
「(ハハハ・・・)」
鼓膜を叩く不穏な会話に雪白が我慢できずに友人である菜水へ問い掛け、彼女の説明が終る前に勝手に事故解決する。
そんな友人の有り様に、触り程度とは言え界刺が常盤台学生寮を去った後に“件の男”が『殺人鬼』であることを津久井浜と共にフィーサから聞いている菜水は苦笑いするしかない。
「・・・ふ~ん。前は遠目から見ていただけだったけど、さすがに男性恐怖症だった鬼ヶ原が一目惚れするだけの男・・・だわぁ」
「追敷様・・・///」
「別に照れるようなことじゃ無いわぁ。これで、私の胃痛も少しはマシになるし(ボソッ)」
「???」
苧環へ優しく声を掛ける界刺の姿を見た茶髪の少女が、改めて自身の派閥に所属する鬼ヶ原が惚れた男への評価を口にする。
彼女の名は
追敷風潮(おいじき かざしお)。常盤台に存在する派閥の1つを取り仕切る少女・・・と言えば聞こえはいいのだが、彼女の場合は最初から派閥の長になるつもりは無かった。
ストレス反応を操作する自身の『心理刺激』によって鬼ヶ原を始めとする幾人もの後輩の面倒を見ていく内に結果的に派閥の長になってしまったのだ。
そのせいか、別の大きな派閥にへーこらしたりする等の中間管理職的な生活を送る羽目になり、最近では胃痛が持病となって来ている始末である。
そんな彼女がここへ来たのは、ひとえに鬼ヶ原を後押しするためである。自分が好きになった男が重傷を負ったと聞いてずっとネガティブになっていた彼女を、
派閥の長である追敷は優しく、そして温かな言葉で励ました。面倒見の良い(+この機会に界刺をもう一度見たくなった)彼女も同行すること、
加えて『引力乙女』の月ノ宮・真珠院・遠藤も見舞いへ向かうことを聞いた鬼ヶ原は自分なりの覚悟を決めてここへ来たのだ。
「それより・・・鬼ヶ原。さっ」
「あっ・・・(ゴクッ)・・・界刺様」
「ん?なんだい、嬌看?」
「お、お昼はもうお済みなんですか?一応看護師さんに説明して、界刺様のご飯はオーバーベッドテーブルに・・・」
「・・・あぁ。そういやまだだった。んじゃ、さっさと食べよっかね」
鬼ヶ原の指摘を受けて、界刺は昼食がまだだった事実を今更のように思い出す。葉原や焔火、そしてこの場の会話ですっかり頭の外へ吹っ飛んでいた。
なので、手に持つ占星術本をベッドの枕元へ置き、オーバーベッドテーブルを動かしてベッドの上で食事を摂る準備を始める界刺だったが・・・
「フン!・・・む~」
やはり、片手しか使えない身であるために常のように細やかな準備をこなすことができない。幸い利き腕は右なために相当な支障は無い。
しかし、片手だけというのは体全体の動きにも影響する。無理に動けば、左腕から激痛が発せられる。
実際、ここへ転院する前の食事の際も結構困った。スプーン等で利き腕が塞がれるため、椀さえまともに持てないことが途轍も無く不便であった。
「界刺様。テーブルは私達が動かしますから、ベッドに早く座って下さい」
「・・・悪ィ」
「いえ。サニー先輩。真珠院さん。遠藤さん」
「「「(コクッ)」」」
見るに見かねた『引力乙女』の申し出を複雑な表情で受ける界刺は、素直にベッドへ戻る。1分後彼女達の働きによって食事の準備ができ、少年は遅めの昼食を摂り始める。
「(ズズズ)・・・・・・(パクッ)・・・・・・(モグモグ)・・・・・・」
箸・スプーン・フォークを使い分け、淡々と食事を進める界刺。だが、今回も左腕が全く使えないために時間が掛かる。
白飯を掬おうとすると椀が動くのでギプスの先で椀を止め、スープをちまちまスプーンで掬うのが面倒臭くなって右手で椀を持って汁を喉へ流し込む。
食事1つでここまでストレスを感じることは早々無い。しかも、周囲の目線が自分の食事の摂り方へ集中していることがストレス増大に拍車を掛けていた・・・そんな時。
「はい、界刺様」
「・・・・・・いいよ、嬌看。これくらい何とでも・・・」
「でも、界刺様は苛立っています。やっぱり食事は楽しくないと。そうですよね、菜水先輩?津久井浜先輩?」
「・・・ですって、津久井浜さん?」
「・・・あらあら。私達が“出遅れる”なんて。これは『食物奉行』として恥ずべきことですわ」
鬼ヶ原が白飯の入った椀を持ち、界刺の左手の代わりを申し出る。男の意地として“そういう”ことだけは彼女達へさせたく無かった少年はやんわりと断ろうとするが、
少女は自身恋する少年の拒否を遮るために『食物奉行』として常盤台中学で名を馳せる菜水と津久井浜を焚き付ける。
「菜水・・・津久井浜・・・」
「食事で顔が曇るなんてことがあったら駄目ですよ、界刺さん?この食事を作って下さった方々へ申し訳無いとは思いませんか?」
「この食事には、入院中の方々が1日も早く良くなるよう丹精が込められている。それなのに、患者である貴方がそんな曇り顔では食物そのものにも失礼では?オホホ」
「・・・・・・」
「まぁ、バカ界刺が食事のような細やかな作業に四苦八苦しているのは動かしようの無い『現実』だし、ここはあたし達が一肌脱ぐとしましょうか」
「流麗の言う通りね。界刺さん・・・これ以上の我儘は許しませんよ?」
『食物奉行』が以前と同じように食物や食事を作った者達への拘りを少年へ伝える。そこに込められた労わりも同時に少年へ。
そんな彼女達に呼応するかのように今まで沈黙を守っていた形製と水楯も己の意思を界刺へ示す。
「むむむ・・・」
「
界刺得世。今この時くらいは素直に皆の世話になりなさい。皆・・・貴方をずっと心配していたのよ?」
「フィーサ様の仰る通りです。界刺殿。くれぐれも皆様のご厚意を無下には為されぬよう。遠藤。鬼ヶ原さん達と共に界刺殿をお手伝いするのです」
「はい!」
それでも男としての意地が少女達の厚意を素直に受け取ることに抵抗を示す界刺を、フィーサとマーガレットが神妙な顔付きを伴いながら諭す。
『皆』という言葉の中に自分達も入っていることは殊更強調はしない。しなくても、眼前の男にはわかっている筈だ。
「界刺さん」
「華憐・・・」
「私は今でも後悔している。あの時、あなたとあの男を出会わせてしまった私自身の行動を。だから・・・これくらいはさせて。
これくらいなら、私はあなたの足手纏いにはならないから。絶対に・・・絶対にならないから」
「・・・・・・」
『皆』の厚意を浴びる界刺の右手を掴むのは、未だ後悔をし続けている苧環その人。ぎこちない笑顔を浮かべ、唯々後悔の念を吐く少女の脳裏に思い浮かぶのはあの路地裏。
『戦場』において足手纏いと断じられた苧環は、だからこそ己にはどうすることもできない現実に歯噛みする。
彼は生き残った。喜ばしき結果だ。彼は重傷を負った。悲しい結果だ。そこに、苧環華憐の存在は関係無い。『無力』という言葉をこれ程強く実感したことはまず無い。
「・・・・・・足手纏いなんかじゃ無ぇよ」
「えっ・・・?」
だが、彼は否定する。少女に同情したからでは無い。あの殺人鬼に殺され掛けた時、走馬灯のように脳裏を駆け巡った人間の中に・・・苧環は確かに居たのだから。
「本当にヤバくなった時に・・・華憐の姿が見えた。華憐の声が聞こえた。君だけじゃ無い。涙簾ちゃんも、形製も、鈴音も、桜も、向日葵も、珊瑚も、嬌看も、遠藤ちゃんも、
フィーサも、マーガレットも、津久井浜も、菜水も他の皆も居た。皆の存在が俺を生き残らせた」
「界・・・刺さ、ん・・・!!!」
「こんな俺を好きって言ってくれた君達のためにも絶対に死ねねぇって思った。少なくとも、あの時の俺にとって君は足手纏いなんかじゃ無かったよ。
むしろ逆だ。君の・・・君達の存在があったから俺は生き残ることができた。・・・ありがとう。皆・・・本当にありがとう」
「「「「「!!!!!」」」」
苧環の手を掴み返す碧髪の少年は、自分を死地から『救い出してくれた』存在達へ頭を下げながら感謝の想いを吐露する。
自業自得の名の下に、今まで出会った『他者』の光を受けて自分は生き残ることができた。故に感謝する。何処までも感謝する。
『自分』を最優先にする男の、これが最大限の誠意。そして・・・
「・・・ハァ。こうなったら、今くらいは君達のお世話になるか。食事はやっぱ楽しんでナンボだよな、うん。・・・まぁ、頼むよ」
根負け。この表現がきっと一番正しいのだ。少女達の厚意を無下にすることはできない。マーガレットの言う通りだ。
つまらない意地を張って、自分を心配してくれる彼女達の顔を曇らせては本末転倒である。偶にはこういうのもいい。
「わ、わかったわ!!よ~し、ならこの苧環華憐の誠心誠意を箸に込め・・・」
「ちょ、ちょっと苧環!何勝手に箸を持ってるんだ!!?バカ界刺の箸はあたしが・・・」
「鬼ヶ原さん。申し訳ありませんが、得世様のお椀はこの
真珠院珊瑚が・・・」
「こ、こればかりは真珠院さんでも譲れな・・・」
「な、何だか真珠院さんと鬼ヶ原さんの視線が恐いです!!遠藤は、こんなお2人を見るのは初めて・・・」
「水楯様!そういえば、春咲様と一厘様は・・・」
「(隙を見て水のお代わりを界刺さんへ提案して・・・)春咲さん達は午後から病院へ来るみたい。159支部の人達と一緒って・・・」
「おっ!このほうれん草のおひたしおいしー。病院食もレベル高いなぁ。雪白さんも津久井浜さんもどう・・・」
「あら。では、わたくしも・・・」
「私はパスしとく。・・・この際、皆でメロンを食べるのも・・・」
「・・・・・・・・・食事が全然進まないんだけど?というか、自分で食ってた時より遅いんだけど?つーか、食事が止まってるんだけど?てか、食事が無くなっていくんだけど?」
と思いきや、何故か自分の口へ全く食物が運ばれてこない事態に界刺は唖然とする。目の前で繰り広げられる少女達の自由奔放さに目を白黒させる少年へ・・・
「・・・プッ!まぁ、いいんじゃない?さっきまでのどんよりとした雰囲気よりはさ?ねぇ、マーガレット?」
「フッ・・・全くもってその通りかと。追敷先輩はどう思われ・・・追敷先輩?」
「(あう・・・!!鬼ヶ原が余所様と面倒を起こしてる・・・これは胃薬の出番の予感!!!でも、今日は持っていない・・・あっ、そうだ。
ここは病院。近くには薬局がある。よしっ、後で買ってこよう!!)」
笑みを浮かべているフィーサとマーガレットが声を掛け、派閥所属の後輩が友人へガン付けを行っていることに内心慌てている追敷は近くの薬局で胃薬を購入することを決断する。
その最中でもヒートアップしていく『界刺へ食事を食べさせるのは私だ』議論に、当の界刺は唯一言・・・こう漏らしたのであった。
「・・・腹減った」
「にしても、病院の真ん前で形製の名前を拝むことになるとは思わなかったぜ。確か、爺さんが会長を務めてるんだっけ?」
「うん。あれは『形製グループ』が興した病院の1つだね。精神関係に特化した形製病院と総合的な医療を施すこの病院は連携面含めて上手くやってるみたい」
「ふ~ん。・・・さっきまで気にして無かったけど、真刺と仮屋様は?皆と一緒に来てるんだろ?」
「不動さんと仮屋さんはここへ来た時にアホ界刺が居なかったから花盛支部の人が入院している部屋へ行ってる。
成瀬台が強襲された時に不動さんが直接助けた人の様子を見て来るって言ってたよ」
「そっか。・・・あぁ、そういや・・・珊瑚ちゃん。晴天達はどんな調子?怪我の具合とかさ」
「金束様達は全員完治しました。本当なら、金束様達と共にお見舞いへ・・・という予定だったのですが・・・」
「・・・?」
「『フ、フン!!アタシ達が受けた痛みを知る良い機会になったでしょーよ!!ま、まぁ命に別状が無いみたいだし!!見舞いも大勢居るみたいだし!!
別にアタシ達がわざわざ出向かなくても問題無い無い!!あの男の女ったらし振りに巻き込まれるのはゴメンだわ!!!』とか何とか・・・。
最初は見舞いへ行く気でいた銀鈴先輩、銅街先輩、鉄鞘先輩も最終的には金束様の意見に押し負けてしまって・・・何というか、金束様も妙な所で素直じゃ無いんですよね。
界刺様が重傷を負ったと聞いた瞬間4名の中で一番取り乱していたのは、他ならぬ金束様ですのに」
「・・・アイツ等にも心配掛けちまったか。珊瑚ちゃん。晴天達によろしく伝えておいてね」
「もちろんです」
騒々しい昼食も終わり、イマイチ満腹感を得られていない界刺は水楯が入れてくれた水で喉を潤しながら形製や真珠院と言葉を交わしていた。
昼食前に比べると病室内に居る人間は若干減少している。第5学区グルメ巡りへと旅立った―この病院に花盛支部の風紀委員が入院していると聞いた瞬間即座にグルメ巡り敢行を唱えた―雪白他菜水と津久井浜に、
胃薬購入のために出掛けた追敷の合わせて4名が居ない状況である。つまり・・・ここに居るのは“突っ込んだ会話を行える”メンバーなのだ。
(ちなみに、菜水と津久井浜が残した『仮屋さんに出会えたのは幸運だった』の一言が界刺の耳から離れてくれないのは彼のみぞ知る話である)
「『“当面の間は野郎が俺を狙って来ることも無くなった”』・・・この言葉の意味を教えてくれるかしら、界刺得世?」
「・・・・・・全部打ち明けるわけにもいかねぇんだ、フィーサ。だから、抽象的な説明でいいか?皆もいいかい?」
「「「「「(コクッ)」」」」」
フィーサの問い掛けを切欠に、界刺は具体的な言及は避けた上でオフレコ厳守で事情を説明していく。
「ようは、俺を殺し掛けた殺人鬼は誰かさんの手で“討たれたことになってるの”。でも、俺はあの野郎が死んだとは正直思えない。
だが、野郎も今回の件で結構傷を負っている。だから、すぐには行動を起こさないと思う。また、“討たれたことになってる”以上“表”へ早々顔を出すような真似はしねぇ。
でないと、“討ったことにした”誰かさんの面子を潰すし自分自身にとっても不都合が発生しかねない。
加えて、野郎は自分を害さない限りは仕事に無関係な人間を極力手に掛けないことを信条としている。俺に手を出したこと自体はその信条の例外らしいけどな。
でもさ、俺を殺すことを最重要に置いているんだったら俺が手術を受けてる時にでも・・・それこそここへ転院して来る時にでも襲撃を仕掛けて来ても良かった筈だ。
野郎の実力なら可能だった筈だ。それが無いってことはだ・・・俺を殺すことは仕事じゃ無いし、野郎は引き際をちゃんと心得ているってことだ。これでいいかい、フィーサ?」
「・・・つくづく面倒ね。それって、本当に“当面の間”だけの猶予期間じゃないの。もし、何らかの偶然でまた殺人鬼と出くわしたら・・・」
「んふっ。まぁ、本当に討たれているなら俺としては万々歳なわけだけど甘い楽観論に浸るわけにもいかねぇ。<ダークナイト>もしばらく使えないし」
「使えない?」
「うん。俺が乱暴に使った挙句壊しちゃった。しばらくは前まで使っていた通常の警棒で何とかするしかないんだよねぇ。
そもそも、今回の件で悪目立ちした『
シンボル』に目を付けた連中は他にも居るだろうし。例えばスキルアウトとかね。そういう連中への対策もしっかりしねぇと」
淀みの無い界刺の説明に潜む意味の大きさにフィーサは戦慄していた。それは、きっとこの場に居る少女達全員の共通認識だろう。
“討たれたことになってる”・・・つまりは治安組織の上層部が殺人鬼を庇っている可能性があること。
引き際をちゃんと心得ている・・・すなわち快楽のままに無計画に殺人へ手を染める者では無く最悪(さいぜん)のタイミングで行動を起こす理性ある殺人の鬼だということ。
しかも、常盤台学生寮で目にした強力な武装<ダークナイト>を界刺は失ったというのだ。左腕も全く使えない。
能力そのものの行使には然程影響は無いのだろうが、それでも不安になる気持ちを少女達は抑え切れない。
「ねぇ、界刺?」
「何だ、形製?」
「もうすぐ退院するんだよね?20日の午後だっけ?今日が18日だから明後日だよね?」
「まぁね。あのカエル顔のお医者さんの辣腕が無かったら、夏休みを明けても入院生活だったかもしれねぇよな・・・ホント」
「・・・『外』に行かない?21日の朝からさ」
「・・・学園都市の『外』って意味か?」
「うん。界刺の部屋を改装してたら、君が『外』へ出掛けるために必要な事項を殆ど記入していた申請書を見付けたんだ」
「(・・・忘れてた。そういや俺の部屋って形製達に改装されたんだった・・・こりゃ退院したら速攻で部屋を確認しねぇと!!)」
真剣な表情を浮かべる形製と改装されていた事実をようやく思い出して青褪める界刺の間にあるのは、学園都市の『外』へ出掛けるために必要な申請書3枚。
能力者である界刺達学生が『外』へ外出する際には様々な手順が必要となる。これは、その内の1つなのだ。
「不動さん達とも話し合った。苧環達とも相談した。活動を休止した『シンボル』への危害を防ぐにはどうしたらいいんだろうって。その時に君の申請書を思い出した。
ようは、“初動”への対処が肝心なんだよね。この手の事柄は時間が過ぎる程に退行する。ピークの最初をどうにかやり過ごせば被害を最小限に留められる。スキルアウトとかが相手なら特に」
「・・・つっても、何処へ行くんだ?あんま遠いと申請が通るかどうか・・・」
「得世様。その点についてはご安心を。向かう先は私の別荘です。以前私の実家が学園都市のすぐ外にあることはお伝えしておりますよね。
実は私の別荘も学園都市の近辺に存在するんです。得世様の療養も兼ねて皆様と協議した結果・・・(ゴソゴソ)・・・せ~の!」
「「「「「(バサッ!!)」」」」」
「・・・!!!」
界刺の眼前へ広げられたのは、自身が書いた申請書と全く同じ様式の紙束。各紙の上部分を見ると『シンボル』メンバーの他真珠院や鬼ヶ原達の名前があった。
「これはコピーしたモノです。申請書自体は皆様既に提出されています。一厘先輩だけはまだですが・・・得世様と同じタイミングであればギリギリ何とかなるかと」
「風紀委員会の橙山先生や緑川先生に話は通してある。それでもバカ界刺含めてあたし達の申請が通るかどうか確実なことは言えないようだけど・・・」
「一応断っておくけど、私とマーガレットは所用があるから同行しないわ。まぁ、『引力乙女』の遠藤は月ノ宮達と共に申請書を出したけど」
「・・・ふむ」
真珠院や形製達の気遣いが骨身に染みる。申請そのものが通るかどうかはわからない。幾ら話を通した所で申請書を見た“上”が『No』と判断すればそれまでである。
界刺の場合は申請から外出するまでの期間が通常以上に短い。果たして上手くいくのか・・・提案側の形製達も確信を持てないようだった。
目的地欄が空白なままの申請書を凝視する界刺の言葉を少女達は唯々待つ。微妙な沈黙が室内へ充満する・・・
『Astrological Signs<黄道十二宮ヲ守護スル星ヨ> Libra Palace<彷徨ウ風ヲ乗セル天ノ秤ヲ以テ運命ヲ弄ベ>』
そんな“停滞”を無理矢理動かすかのように、遠きかの地で赤毛の少女は呪文を詠唱する。占いという名の気紛れな風を天秤へ乗せ、
“均衡”の意味を持つ『天秤宮』の性質をもって彷徨う風(うらない)と現実を釣り合わせる。ここへ魔道書『星体観測』による“ブースト”も組み合わせた結果・・・
「ぐああああぁぁぁっっ!!!??」
「「「「「ッッッ!!!??」」」」」
激痛が界刺を襲う。激痛の発生源は少年の尻。正確には尻に刻まれた魔法陣・・・『天秤宮』を示す文字が脈動し、
“ブースト”によって生じた激痛が体中を駆け巡る少年は思わず前屈みとなり悶絶する。
「ど、どうなされました得世様!!?」
「グウウウゥゥッッ・・・!!!」
「左腕なのか、界刺!!?で、でもそんな体勢だと却って腕に負荷が掛かる!!水楯さん!!」
「えぇ!!」
突如悶絶し出した界刺へ驚愕する少女達の中でいち早く我に返った形製と水楯が、脂汗を浮かべている少年の体を優しく起こす。
前屈みだった状態に比べれば、左腕への負荷は全くと言っていい程掛かっていない筈だ。
「(こりゃ・・・位置的には『天秤宮』の魔法陣が刻まれてる箇所だな。・・・リノアナが『今』、何かしたってのか?俺が『金牛宮』を使ったからか?
この激痛はリノアナに魔法陣を刻まれて以来・・・・・・『天秤宮』・・・“中立”・・・バランス・・・・・・『占いの反映』。てことは・・・・・・)」
碧髪の少年が悶絶した原因が重傷を負った左腕にあると考えている少女達とは違い、界刺は激痛の発生源が尻であること、また以前にも同じような経験があったことを踏まえ、
今回の激痛は自身へ『惑星の掟』を施した赤毛の魔術師の仕業であると推測する。『今』というタイミングで彼女が目に見える行動を起こした意味・・・
そして『占いの反映』を効果とする『天秤宮』の性質を考え・・・自分が手に持つ『外』へ出向くための申請書も合わせて思考した結果・・・彼はある1つの推論に辿り着く。
「・・・・・・形製」
「な、何!?まだ痛みが・・・」
「いや・・・それはどうでもいい。今回の申請・・・良い対策だよ。・・・乗った」
「ッッ!!そ、そう・・・。でも、本当に通るかどうかはあたしも余り自信が・・・」
「“それならきっと大丈夫だ”。おそらくだけど、この申請は通るよ。一応随行メンバーにお前等の名前も書いておけば完璧だろう」
「界刺・・・?」
「(そうなんだろう、リノアナ?今までだって君は『天秤宮』を俺へ行使していた筈。なら、君の『今』の目的は・・・きっと・・・)」
形製の怪訝な視線を無視しながら、界刺は真珠院の言われるままに目的地欄等を埋めていく。これは、きっと『科学』と『魔術』の融合(カオス)を求めた少女の招待状。
生粋の『科学』の住人である自分が『魔術』を用いた。だから、赤毛の少女は『天秤宮』を行使することで少年を導く招待状を痛みと共に送ったのだ。そう界刺は考えている。
「よし。これで完成っと。後はリンリンだけだっけ、バカ形製?」
「そうだね。一厘ももうちょっとしたらこの病院へ来るだろうし、その時に回収かな。フフッ・・・これであたしも“アレ”を試せる良い機会を得られる・・・フフッ」
「“アレ”?何だそりゃ?」
「・・・あたしの『分身人形』ってさ、『心像』を理論とした能力でしょ?だから・・・『外』へ出る機会を利用して能力強化の試行をしようかなって。
まぁ、強化って言っても部分的な弱点解消に努めるような形になるだろうけど」
形製の精神系能力『分身人形』は、五感で感じ取り意識化する『知覚心像』及び『知覚心像』を脳内にある情報で補足・判断し識別する『記憶心像』の2つの性質へ干渉する能力である。
強力な洗脳・読心能力を有する『分身人形』だが、やはり弱点というモノは存在する。
「弱点?・・・『相手と目を合わせる』ってヤツ?」
「うん。あたしの場合目視で相手を認識し、目視で相手へあたしを認識して貰わないといけない。その結果、『あたしと相手が目を合わせる』ことが能力行使の条件になってるんだよね」
「まぁ、その分と言っちゃ語弊はあるけど人形自体の力は強力だよな。1人3体まで『分身人形』を重ね掛けできるし」
『分身人形』は人形の重ね掛けが可能な能力である。形製は10体までの人形を生み出すことができるが、対象者1人に対して3体まで仕掛けることが可能だ。
無論単純に力が倍化するという都合の良い能力では無い。しかし、それなりの強化効果は存在する。
そんな『分身人形』の弱点は、やはり『形製と相手が目を合わせる』必要がある点に尽きるだろう。
「前にさ、アホ界刺の『光学装飾』の補助であたしの視力をアップさせたことがあるじゃん。これで、遠くに居る仮屋さんへ『分身人形』が仕掛けられるかってテストをさ」
「あぁ。でも、結局駄目だった。同時にバカ形製と仮屋様の視力を同時に上昇させてテストしてみたけどやっぱ駄目だった。
『自分だけの現実』の影響なんだろうけど、やっぱ“直に”相手とお前の目が合わないと駄目っぽいよな。“直に”ってのを“近い距離”って言い直してもいいけど」
「でもね・・・きっとだけど界刺限定なら・・・『今』のあたしなら努力次第でその弱点を克服できると思うんだ。
頑張り次第だけど、もしかしたら3体分消費してようやく1体分の効果が出るような形になるかもだけど」
「あん?・・・『光学装飾』で俺とお前の視力をアップさせることで俺へ『分身人形』を仕掛けるってことか?・・・でも、何で俺限定なんだ?」
「そ、それは・・・えと・・・んと・・・『心像』の特性っていうか・・・・・・」
「???」
頬を朱に染めモジモジし始めた形製の言わんとしていることが読めない。第一光学系能力者である界刺にとって精神系能力は畑違いである。
精神系能力は電気系能力や念動能力並に自由度が高い能力である。用いる理論も多種多様。ぶっちゃけ、界刺自身も『心像』のことを全て理解できているわけでは無いのだ。
「あっ・・・」
「嬌看?」
そんな中、この場における形製以外の精神系能力者
鬼ヶ原嬌看だけが形製の心意に気付いた。所属する派閥長が精神系能力者であることも大きいのだろう。
名門常盤台へ通う者として、形製と同じく顔を赤くしながら大和撫子は先輩の心を少年へ向けて代弁する。
「・・・正確には『記憶心像』ですけど、形製先輩は界刺様が好きです。大好きです」
「・・・お、おぅ」
「その想いは形製先輩の心へ深く深く刻まれていると思います。外界からの影響なんて関係無い、揺らぐことの無い形製先輩の本心そのものです」
「・・・・・・お、おおぅ」
「『記憶心像』を有する『分身人形』なら、界刺様への強大な恋心を有する形製先輩なら、『光学装飾』の補助+界刺様限定で遠距離から目を合わせても『分身人形』を行使することができるようになっても不思議ではありません。
え、えぇと・・・こ、恋で『自分だけの現実』が変化した事例もあると・・・・・・う、噂で聞いたことがありま、すし」
「・・・ちなみに、その噂って俺と出会う前に聞いてたり?」
「・・・・・・はい」
「・・・・・・嬌看って、バリバリの男性恐怖症だった頃でもやっぱ“そういう”話には興味を惹かれていたんだね?」
「・・・・・・かもです」
「成程。・・・・・・何つーか、背中がムズ痒くなるな」
完璧に赤面状態な鬼ヶ原を眺めながら、界刺は形製の心意をようやく悟る。悟って、背中どころか心までムズ痒くなる感覚を覚える。
同時に彼女達の本気度もヒシヒシと感じる。『外』の話もそう、能力強化の話もそう、皆が皆『シンボル』のために・・・界刺得世のために頑張ってくれている。それが嫌でも理解できる。
「・・・・・・ありがとな」
「あたしが好きでやってるだけだから、そこまで気にしないで。界刺には色々付き合って貰うつもりだし」
「・・・・・・」
「読心はしないよ。安心して」
「そうか。・・・皆・・・・・・本当に世話になる。えーと・・・・・・まぁ、一丁よろしく。俺も俺なりに皆の厚意に応えられるように頑張るよ」
「「「「「(コクッ)」」」」」
「(少し変わったかしら?どう思う、マーガレット?)」
「(変わったというよりは、皆の本気度を感じ取ったが故に以前見せていた胡散臭さでもって相対するわけにはいかないと界刺殿自身が判断されたのでしょう。
私達を含めたこの場に居る人間の存在が界刺殿の窮地を救ったと彼自身が発言されていますしね。きっと、彼も彼で今回の件で色々思う所があるのかもしれません)」
「(そう、ね。・・・マーガレット。仮に、私達が界刺得世の窮地の場に遭遇すれば・・・)」
「(はい。この身を賭して彼をお助け申し上げます。界刺殿には五体満足で『大覇星祭』に出場して貰わなければなりませんし)」
「(・・・フフッ。まぁ、そんな場が到来しないことを今は祈ってるけど)」
10日以上前に見た雰囲気とはまた違ったモノを醸し出している界刺に目を細めるフィーサとマーガレット。
来る『大覇星祭』で彼へ借りを返す身として、界刺には五体満足で居て貰わなければ困るというモノ。
それ以上に、重傷を負った彼が落ち込んでいないかフィーサ達なりに心配していたのだから目の前の光景くらい自分達が認めた男には“生み出して貰わなければ”割りに合わない。
無意識ながらも笑みを浮かべる2人の視線の先で・・・穏やかながらも騒々しさが再び復活して来た病室内で、少年と少女達が思い思いに会話を重ねていく・・・
コンコン!
そんな折に部屋の扉を叩く音が皆の耳へ届く。『光学装飾』にて誰よりも先に車椅子を操る来訪者を看破した碧髪の少年は、
これから自分が為すであろう“仕事”を再認識する。事の顛末を聞いた時からこうなることは予想が付いていた。故に驚きも無い。
ならば、為すことを為すだけ。これも、自分へ向けて熱く語った“風嵐烈女”への誠意。それを示すために、ノブを回しながら扉を開ける159支部リーダーの名を呼ぶ。
「よぉ、破輩。リンリンと鉄枷の件だろ?いいぜ。付き合うよ。リンリンから申請書を回収する“ついで”だ。旅行前の『支度』はさっさと終わらせちまおうっと」
continue…?
最終更新:2014年01月08日 21:31