我々は光の下で暗闇を、幸福の下で悲惨を、満足の下で苦痛を思い起こすことは稀である。しかし、その逆はいつもである


                                                                          ────イマヌエル・カント


 法の光刺さぬ闇の中こそ無法者たちの楽園である。
 例えば街路灯ひしめく通りの路地裏だったり、あるいは法から見捨てられた貧民窟(スラム)がそれらの代表格だ。
 しかし光が指すところに闇が無いかというと否だ。光があろうともそれを遮るモノがいれば無法の闇が存在した。港の近くにある隠蔽された非合法人身売買店がその代表格である。
 この店は「政府の高官」という巨体が意図的に生み出した暗黒だった。
 営業活動の内容は人間を売買、拉致で調達し、港の未登録商船で密輸を行う。いわば現代の奴隷貿易会社である。
 傭兵、労働力、性人形、サンドバッグ、etc……あらゆる要望(ニーズ)に合わせて人間を提供し、その利潤や「商品」が一部の高官の懐へ流れている。

「他のマスターが来るまでの暇潰しにもならないわね兄様」

 殺人鬼双子ヘンゼルとグレーテルはその店に『いた』。過去形である。
 それが意味するのは双子がもう去ったことではなく、店自体が運営不可能なほど人的被害を受けたこと、つまりは皆殺しである。
 店員も買う客も、そして買われる人間も。双子を除いて生きてる人間はなく、床は赤い粘液がぶちまけられた有り様だ。
 特に死体の状況は一言でいうと酸鼻を極める。あるものはバラバラ死体になり、あるものは斧で頭を割られ、あるものは銃によって穴だらけになっている。
 しかし、死のバラエティー溢れる死体達には共通点があった。全部が爛れている。まるで酸をかけられたように爛れ、プスプスと音を出している肉片もあるくらいだ。
 これらはヘンゼルとグレーテルのサーヴァント『ジャック・ザ・リッパー』の宝具『暗黒霧都』によるものだった。

「もう楽しむ人はいなくなってしまったね姉様」
「そうね兄様。彼らではあまり長続きしなかったわ。ジャックは?」
「彼女なら逃げた人を追ったから裏口じゃないかな?」
「あら、じゃあ迎えに行ってあげないとね」
「そうだね行きましょうか」

 二人は手を繋いで店を後にした。この店がなぜ連続殺人鬼の殺戮対象になったかはわからない。
 店が彼らを知らずに買おうとしたか、それとも彼らの怒りを買ったか、それとも自分たちとよく似た境遇の人間に対する哀愁か、もしくはただの享楽殺人か、はたまたサーヴァントの燃料補給か。
 真相はいずれも不明である。しかし特に語る必要はないだろう。夕刻には運よく当番でなかった者が騒ぎ立てるだけである。
 彼女らにとっての「本番」は皆殺しにした直後だ。



   *   *   *



 深海────未だに日が届かぬ海の超深奥。
 そこに棲まう者が血の臭いを嗅ぎつける。

「カエセ」

 今や地上のあらゆる毒素を超越した猛毒が支配するその世界に泳いでいられる魚は地球上に存在しない。
 生命が絶えたこの世界は一人にして一機、一体にして一騎に支配されていた。
 すなわちこの者こそが魔毒の発生源。毒素を生み出す母体であり、この「艦隊」の母艦(はは)である。

「カエセ」

 デミ・サーヴァントとして新生した彼女は未だ水中棲息期のままだった。
 荒ぶる感情とは裏腹に優れた演算機関は己のサーヴァントとしての性能を理解し、そして今はまだ力を蓄えるべきと判断を下していた。
 その出力結果に従い、宝具『溶解汚染都市』により周囲を汚染し、それを己の肉に変えて盛り続ける。
 英霊『ヘドラ』がそうであったようにオタマジャクシの如く成熟の時を待つ。

 そうなるはずだった────数秒前までは。
 彼女に搭載されていた演算機能が規定していた時間を三十時間ほど短縮して彼女は浮上を開始した。その身体には上陸に耐えうるだけの力を既に秘めている。

「カエセ」

 彼女が精密な計算結果を越えた急激な進化を遂げたのは三つの理由があった。
 一つ目は計算に魔力による能力の強化具合が加わっていなかったこと。
 聖杯から与えられた知識では魔力によって力を得るとあるが彼女の世界にはそれらを計算するための方程式は存在しない。
 故に正確に計算など出来ようもなくそれらを全て計算から除外していた。
 二つ目はすぐ近くに現れたサーヴァントに対する危機感。すなわち生存本能であり、以前の彼女では不可能な限界突破の術である。
 暴走でも安全弁(リミッター)の解除でもない"生物として"の本能は身体に多大な負荷を加えながら魔力を振り絞らせ、急速な汚染領域の拡大と吸収により急激な成長を遂げたのだ。
 三つ目は近くにいたサーヴァント────ジャック・ザ・リッパーの宝具『暗黒霧都』によるスモックが海にまで届いていたことだろう。
 魔力を帯びたスモッグは言うまでもなく彼女の栄養素として極上だ。完璧といってもいい。

「────ォオヲ」

 サルベージされる戦艦の如く浮上していく母艦。付き従い、あるいは先行する随伴艦(コドモタチ)。


 四海を封鎖し、人類史を終局へと至らせる存在、深海棲艦の一つ。


 最も艦娘達を危機に陥れ、提督府を焼き払った旗艦(フラグシップ)。


 デミ・サーヴァント『空母ヲ級』が今、今、今────────この電脳世界に牙を剥く。


「ヲヲオオオオオオォォォォ!!」


 人工とも自然とも科学とも神秘ともいえない異形が大海を犯す。
 海底に沈むヘドロめいた劇毒の怨念は遂に獲物へと到達した。


   *   *   *


 ジャックによって解体されたのであろう死体や取り出された臓器が散らばる廊下を通り裏口へと着く。

「あらジャック。どうしたの?」

 爛れた惨殺死体が転がる中、ジャックの姿を認めたグレーテルが陽気に声を掛ける。
 声を掛けられた方は視線を海と地面に行ったり来たりしていた。

「何か変なのがくるよ」
「変なの?」

 呼応するように敵は来た。
 宝具『暗黒霧都』が展開した霧の中、濃い殺意が双子とそのサーヴァントヘ突き刺さる。

「姉様!」
「ええ、兄様! それにジャック!」
「うん」

 双子は理解している。ああ、この殺気は知っている。ええ、知り尽くしている。
 獣ではない、知的生命体(にんげん)独特の抹殺意志。暴力のプロが生み出す大海嘯の如き暴威の気配。間違いなく来るのは悪鬼羅刹の類だろう。
 それが今、今、今────海より逆流してやってきた。

 突如として双子から四メートルほど離れたマンホールの蓋がポップコーンのように爆音を立てて吹っ飛ぶ。そして間欠泉のように吹き出された下水が周りの物を汚し尽くした。この下水道は言わずもがな、海に繋がっている。
 汚水に触れた物は溶け崩れ、あるいは黄色い硫黄に変色し、金属であれば錆びついく。さらに汚水に触れた建物の壁や地面が罅割れて、割れ目から粘液質の黄色や緑色の汚らわしい液体をジワリと垂れ流し始める。
 そして汚水に紛れて岩塊のような黒い物体が出てきたのを三人は見た。
 肉食獣の爪をマンホールの穴ほど大きくしたようなものだった。しかし、これが自然の産物でないことは確かだろう。
 爪の裏側には上顎があり舌があり、口蓋垂の代わりに機銃が出ていた。生物とマシンがグロテスクに融合した醜悪極まる姿である。自然界にはあり得ない異形だ。

「あっかんべー」
「ふふ、姉様。はしたないよ」

 空中で一周旋回した黒い物体は獲物を捕捉し銃口を向ける。
 この黒い物体に搭載されているのは12.7㎜機関銃。かつてミッドウェー海戦で空戦を行った空母ヨークタウンの艦載機「F4F-4 ワイルドキャット」と同じ性能を持つ銃だ。無論、このサイズの飛行物体に搭載されるような代物ではない。戦闘車輌や戦闘ヘリ、戦車、戦艦に搭載されるような兵器であり、人間や小型車両には搭載するには反動が強すぎる。
 だが、そんな常識は目の前の現実の前には無意味だろう。これは聖杯戦争。常識を超える魔業が支配する儀式であり、双子の尺度で測るには無理がある。

 ああ、姉様────だからこそ楽しい。
 ええ、兄様────こうじゃなくちゃ。

 喜悦で口角を釣り上げた二人を定めて魔弾が連射される。
 弾丸に込められた魔力は微弱であるが、元々の威力が高すぎる。
 人間二人を殺すには過剰といってもいい。

 かつて冬木と言われる場所で起きた聖杯戦争では現代兵器を宝具にするサーヴァントが存在した。
 魔力によって強化されたそれらの掃射を前に騎士王ですら防戦一方に回らざるを得なかったことから見ても魔改造された現代兵器はサーヴァントにとっても危険と言えるだろう。
 ましてや二人のサーヴァントはアサシンだ。
 掃射に割って入ったところで一分あたり100発以上放たれる機銃掃射を凌げるわけがなく、死体が一つ増えるだけだろう。
 故に順当に行けば双子は穴あきチーズよりも無残な死体になるのだが、常識で測れないのは二人も同じ。そも、双子が常識で測れるレベルの殺人鬼ならばとっくの昔に墓の下にいるだろう。

「あは♪」
「ふふふ」

 勘か本能か。双子は機銃掃射よりも早くに常識を破棄して回避行動を取っていた。
 銃口の照準を修正しようともそれを予知したが如く移動する双子を捕捉できない。

「ジャック。お願い」
「うまくいったら頭を撫でてあげるわ」
「うん」

 僅かに頬を朱に染めながらジャックはナイフを振るい黒い物体を縦に両断した。
 両断された物は断末魔代わりに爆発し、パーツの端々が煙を巻きながら地面に散らばる。

「あら、この程度かしら?」
「いや、まだみたいだよ姉様」
「くるよ」

 頭をよしよしと撫でられながら、ジャックは警戒を促す。
 そのジャックの警告に呼応するようにヘドロによる物質の分解に耐え切れなくなったアスファルトの地面がついに崩落を開始した。
 バックリと割れた地面は周りの建物も巻き込み飲み込んでその口を広げていく。そして飲み込まれたそれらを溶かしながら水嵩を増してゆく魔の汚泥。その様はまるで、そう、怪獣が獲物を食らうのに涎を垂らしているかのような。
 遂に穴から魔泥が溢れ出し────ゴボリという音と共に其処に顔を出したのは碧眼の黒い鯨。その肌は生物というより岩肌を思わせる硬質さを持っている。

「ヲ"ヲ"ヲ"ヲ"オ"オ"オ"ォォォ」

 半艦半魚の咆哮が島を轟かせ、同時に汚泥が周囲の地面を突き破って噴き出る。溶岩流のように如何なる障害物をも溶かしてしまう汚泥は更なる汚染領域を拡大していった。
 そんな中でも双子の笑みは崩れない。『殺せば殺すほど生き長らえられる』という信仰を持つ彼女達にとって敵は単なる餌と変わらない。
 土壌と水質は汚泥が蝕み大気は酸性の魔霧が支配する地獄絵図の中で狂喜する双子達は悪魔か悪鬼。ならば沼のようになった孔から現れたモノは魔獣だろう。

「お魚ね」
「じゃあ捌こうか」
「斧で魚は捌けないわ。ジャックじゃないと」
「オ"オ"オ"ォォ!」

 黒い鯨が開口し、舌の代わりに出てきたのは黒い筒だった。
 TOW(対戦車ミサイル)、AT4(携行型対戦車弾)を見てきた双子はそれが何であるかすぐに看破した────砲塔だ。
 コレは先ほどの12.7㎜機関銃とは訳が違う。着弾点から離れようとも爆風が小柄な三人を吹き飛ばすだろう。
 やはり理解の早い双子は先手を打つ。しかし、それは先手と果たして言えるだろうか。双子が考えついたのは常人が聞けば呆れるだろう解決方法である。
 ヘンゼルはホルスターから二丁の拳銃を抜く。グレーテルはブローニングM1918自動小銃を構えた。狙うは5inch単装砲、その砲口だ。
 そう、双子の狙いは単純にして明快────単装砲を吹っ飛ばす。それだけだ。
 黒い鯨……駆逐艦イ級もまた砲口を向けるべく首を曲げ始める。アレがこちらを向けば終わりと双子は本能的に理解して引き金を引く。

 連続した銃声が耳に響く。悪臭が硝煙の香りへと上書きされ、薬莢が舞う。三つのマズルフラッシュが裏口の薄暗い虚空を照らす。
 鯨の肌に弾かれて跳弾もしくは外れて汚泥に入った弾丸は汚泥へ沈み、中に含まれる硫黄などの可燃性物質と反応して炎を生み、たちまち辺りが火の海へと様変わりする。熱気が白磁のように美しい肌を撫でる。
 そして鯨がこちらを向ききった瞬間。本命の単装砲の砲弾にカンと音がして────砲弾が爆発して鯨の上顎が風船の如く弾ける。

 黒煙巻き上げる鯨を見て勝利を確信した、その瞬間。爆炎が更に汚泥に引火し、大爆発を引き起こし、汚泥がそこら中に飛び散る。
 言うまでもないがコレは触れれば腐る腐敗毒の塊だ。サーヴァントであればある程度抵抗はあるだろうが、あくまで身体能力が人間の域を出ない双子では触れればその身体を爛れさせるだろう。

「わっ!」
「きゃ!」

 サーヴァントとしての知覚か、本能的な勘か、それとも回転の速い頭のおかげか。
 ジャックが双子の腰に手を回して後方へと大きく跳躍した。そして離れてから秒もかからず双子のいた位置に腐毒が降り注ぎ、地面が一瞬にして液状化した。

「ありが……」

 そして姉(グレーテル)が感謝の言葉を述べる前に────駆逐艦五隻が浮上した。

「■■■■■■■■■■■■」

 咆哮を上げて海豚のように水面より飛び上がる。
 想定すらできない敵の援軍に反応したのはジャックだった。

 着地と同時に双子を後ろへ放って腰のナイフを抜き、前へ跳ぶ。
 腰を捻り、フィギュアスケートのジャンプのように空中で回りながら、一匹目を後頭部から口まで斜めに切断、二匹目を口から尻尾まで真っ二つにした。
 そしてナイフを投擲。三、四匹目の頭に突き刺さり、投げた時の勢いが強すぎたのかナイフは岩肌のような肉をそのまま二十センチほど切ってようやく止まる。
 四匹目を足場にしてまだ飛んでいる五匹目を狙う。既に五匹目の砲口はジャックを向いている。ジャックもナイフを一本抜いて投げつける。砲弾がジャックめがけて発射されるも一筋の銀光とぶつかり砲弾が両断される。銀の光はそのまま爆轟を背にそのまま勢いを増して鯨の上顎へと突き刺さった。ジャックが跳び、腰元のナイフを抜いて口の砲台を両断。上顎のナイフも手前に引いてぶった切る。

「解体の時間だよ」

 ブンという風切り音と共に五匹目が空中でバラバラの切り身になり、ボチャボチャと汚泥の中に沈む。
 駆逐艦六隻轟沈。敵影はなく、悪臭の源である泥が立てるあぶくの音以外に物音は何もしない。

 しかし。

 しかし。

 しかしだ。

 これで終わりではないことは辺りを包む殺気が告げている。
 ドス黒い殺気は駆逐艦六隻を失ってなお、薄まるどころかむしろこれからが本命だと言うようにその濃度を増していく。

「…………」

 ジャックは警戒を解かない。既に死骸と化した駆逐艦の上でナイフを構えている。

 一瞬の静寂を破ったのは長い触手が水面から飛び出した音だった。ジャックを薙ぎ払う軌道で振るわれたそれはジャックが跳躍したことで空振りに終わる。さらにもう一本が飛び出して振るわれるがこれも跳躍して回避する。
 回避するついでに全てのナイフを回収したあたりジャックの器用さがわかる。

「カエセ」

 ハロウィンのカボチャ頭の如き鋼鉄の被り物が浮かび上がり、頭が、肩が、胴が、脚が、踝が浮かび上がる。
 まるでモノクロテレビから飛び出してきたような白黒の少女が双子の前へ姿を見せた。

「くっ、ふふ」
「うふふ」

 三人は理解した。さっきの鯨たちはあくまで尖兵。コレが本命だ。
 サーヴァントのステータスが知覚できたというよりも、さっきの鯨とは重圧がまるで違う事が原因だった。

 重い。
 臭い。
 汚らわしい。
 その視線が。返せという謎の呟きが。
 少女が吐き出すもの全てに糜爛して滲み出る腐汁のような憎悪と熱量を感じる。
 そしてそれが堪らなく楽しい。まるで従兄弟にあったような気軽さでグレーテルは少女へ話かける。

「ねえ、貴女は私達を狩りに来たサーヴァントということでいいのかしら?」
「……」

 返事はない。碧眼と赫眼のオッドアイは機械的とも腐敗的とも表現できない視線を三人に向けている。
 双子の表情は悦。空母ヲ級は無。しかし、ジャックは──精神の幼い彼女には珍しく──困惑した表情を浮かべていた。
 それは本人にも理解できない共感。
 ジャックは知る由もないが、初めて同類───人への怨念と悪意の塊である目の前の存在───を目にしている。まるで初めて鏡を見た子どものように、彼女は敵から目を離せない。
 ジャックの脳内は全く理解が進まない中、謎の敵に対する警戒心と不快感だけは鰻登りに上がっていく。次第に不快感は嫌悪感に。嫌悪感は怒りに。怒りは殺気へと変容し、殺気に敏感な双子はやる気になったジャックに微笑む。

「ジャックはやる気みたいだね姉様」
「そうね。でもマスターがいないわ兄様」
「なら炙り出そうよ姉様」
「そうね炙り出しましょう。ジャック、アレを使いましょ」

 是非もなしとナイフを構えるジャック。
 ジャックの『暗黒霧都』によっての「霧は出ている」、そして相手は「女の子」、まだ「朝」であるが条件は二つ満たしている。どのみち武器の威力は測る必要があるのだ。ここで使って真名が知られてしまったところでそれを帳消しにするスキルもあるため問題無い。


「────此よりは地獄」


 ジャックの宝具『解体聖母』。それはジャック・ザ・リッパーというサーヴァントが持つもう一つの宝具だ。
 「霧が出ている」「対象(ひがいしゃ)が女性である」「夜」の三つの条件を満たせばジャック・ザ・リッパーは伝承通りの殺人を起こす。物理的な防御は無効、呪いに対する耐性が無ければこれを防ぐ手はない。


「わたしたちは炎、雨、力――」


 双子の、そしてジャックの取った判断は確かに理に適っている。
 自陣営の戦闘能力がどの程度か。宝具はどの程度有効かを確認し、さらにその痕跡を相手に知られない隠密能力がアサシンにはある。

 相手は動かない。実験動物を観察する科学者のように冷淡な目つきのまま動かない。
 相手は鋼鉄と人が混ざったサーヴァントだ。どこの英霊にせよ近代兵器を使用する以上、近代のサーヴァントであり対魔力が低いことは明らかである。
 だからこそ『解体聖母』は必中であり必殺の一撃になるに違いない。


「『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』───!」



    *    *    *



 アサシンの宝具が放出するスモッグを吸い、更にステータスを上昇させていく空母ヲ級。
 水に溶けたものではなく直接吸い込むことでさらに己の力が高まっていくことが測(わか)った。
 つまり目の前の「コレら」が生み出しているであろう霧は自分にとって有益な資源である。


 空母ヲ級の推測は的を射ていた。ジャック・ザ・リッパーの宝具『暗黒霧都』は空母ヲ級──正確にはそれと契約したサーヴァント『ヘドラ』──との相性は最悪だ。なぜならばヘドラは公害を喰らって力を強めるスキル『腐毒の肉』がある。
 ジャックの宝具『暗黒霧都』はかつて霧の都ロンドンで発生したスモッグを魔術的に発生させ、相手サーヴァントの力を阻害する宝具なのであるが、それが逆に空母ヲ級の強さを加速的に強めているのだ。あと2分も経たずに飛行能力を獲得するだろう。


 しかし、同時に敵性戦力として数えられる相手でもある。最弱とはいえ駆逐艦や航空機を撃沈可能な相手である以上、警戒態勢を怠らない────のだが、現状では彼女の防御手段は皆無に等しい。
 そも“防御(ガード)”という概念は艦隊には存在しないし、回避行動すら大海原で舵を切って移動するというものなのだから、マンホールから広がった半径数メートル程度の海域での回避は無知である。よって────

「『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』───!」

 次の事象に対する防御・回避はどだい不可能であった。
 船体(どうたい)が──女性でいうところの胸部から子宮にあたる部分──が切り開かれ内燃機関(ないぞう)が吹き飛んだ。
 次に燃料(けつえき)が逆流し、青いオイルが吹き出る。
 その残酷極まる様子に驚いたのは殺された側ではなく殺した側だった。



    *    *    *



「ジャック。サーヴァントの血って青いの?」
「あかいよ、たぶん」
「じゃあ、あの子は人間じゃなかったのかしら?」
「わからない。あんな中身はわたしたちもしらない」

 血液は青く、内臓は機械、そしてそれ以外が無い。完全な無である。
 人間でいうところの血管の赤や紫、骨格の白が彩るべき部分が存在しなく、黒一色。まるで煤や石油で埋め尽くされたかのように漆黒の闇がその中身を埋め尽くしていた。

「それにわたしたちの宝具はこんなに強くない」

 ジャック・ザ・リッパーの宝具『解体聖母』は内蔵を体外に弾きだし、血液を抜き取り、解体された死体を生み出す宝具だ。しかし、それはあくまで「条件が全て整った状態にのみ可能」であり、全て満たしていない場合は単なる呪いの一撃でしかない。
 よってこの現象はジャックが起こしたものではなく、受けた方──空母ヲ級に問題があった。
 彼女の存在の半分は深海棲艦である。半分が艦であるため解体と言う概念に滅法に弱く、対魔力の低さも重なったため空母ヲ級に重傷どころではないダメージを負わす事に成功したのだ。

 どう足掻いても助かるまい────人間ならば。
 どうもがいても沈むだろう────空母ならば。
 だが、之は、此の半分は全くの別物だ。宇宙から来た存在であり、英霊の域に達した存在でもある。

 故に括目せよ神秘の担い手。此の星で生まれた殺人種共。
 これは半艦半魔のデミ・サーヴァント。後にも先にも人類の尺度で測る事など不可能なのだ。



    *    *    *



 ────ダメージコントロールニヨリ被害状況報告。


 ────損壊率六〇%。霊核ノ無事ヲ確認。


 ────本艦ガ新タニ得タ特性ヲモッテスレバ小破ト判断


 ────重要部分修復ノタメ、一部ノ鋼(ニク)ヲ消費。腐毒ノ肉、大幅ステータスダウン。


 ────火器管制ヨリ。浮上後ヨリモノ大キク下ガッタモノト思ワレル。


 ────諒解。戦闘一切ノ支障ナシ。飛散セシ肉ヨリ駆逐艦、軽巡洋艦、重雷装巡洋艦ノ建造開始。


 動く。
 蠢く。
 驟く。
 空母ヲ級の傷が塞がっていく。同時に霊格も落ちていくが敵はそんなものに気を取られていなかった。

 敵の宝具より四散させられた内燃機関の部品が集まる。
 身体から滴り落ちる青い血、飛び散った全ての血も集まる。
 それらは汚泥に浮かぶ小山になり、青い水たまりになり、そして蠕動する。
 それらから手が、足が、砲塔が、船首が明らかに元の質量を無視して、邪悪な樹の如く生えてくる。
 マリア・ザ・リッパーとやらで殺しきれなかったツケがこの無数の艦隊たちの誕生だった。



   *   *   *



 ────わたしたちは一体何を相手にしている?

 ジャック・ザ・リッパーは恐怖を感じた。
 精神汚染された、生まれついての殺人鬼が、殺し合いですら眉一つ動かさない彼女が今、恐ろしいと心から感じている。
 当然だろう。彼女は今、初めて、殺せない相手にあったのだ。

 ────ありえない。

 ────信じられない。信じたくない。

『解体聖母』は完全でなかった以上、霊核の破壊に至らなかった。
 しかし、あそこまで人体を破壊されて無事なサーヴァントなどいないだろう。

 防がれたならば仕方ないと思える。
 蘇生するならば何度も殺せばいい。
 しかし、死なない、そんな化物どうすればいい。

 おねがいだから死んでよ────そう願っても敵の傷はみるみる塞がっていく。



   *   *   *



「逃げようか姉様」
「ええ、逃げましょう兄様」

 彼女たちを少しでも知る者がこの光景を見たら首を傾げるに違いない。
 「ロアナプラの恐怖の一夜」を生み出した殺人鬼。
 それが獲物を前にして逃げようとしているのだから。

 しかし双子の判断は早く、そしてこの上なく正当なものだった。
 まず目の前のサーヴァントの情報が少なすぎる。致命傷を受けて無事どころか飛び散った肉片から味方を作り出すなど反則にも程がある。
 加えてマスターがどこにいるかが全く分からないことと現状のジャックの火力では撃滅させられないことからどう足掻いても殺害不可能な化物だ。
 コレには勝てない。現状はまだ、もしかしたらこれからも。



 彼女達が乗ってきた日本車は店ごと汚泥に沈んだ。ならば船か橋を渡るしかないだろう。
 まだ傷の癒えきっていない空母ヲ級を背に脱兎のごとく三人は去った



   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽



「これからどうしようか姉様」
「とりあえず追ってこないみたいだけど、これからどうしましょうか兄様」
「とりあえず海には近寄らない方がいいね」

 橋を渡るか船で島を離れるかと逃走手段を考えて、最初に二人は船を選択した。
 幸いにも店にはモーターボートのものと思われる鍵をくすねていた。わざわざ鍵に「モーターボート④」と札をつけておくのは店員の几帳面さが伺える。
 しかし、双子が港について目にしたのは商船を始めとした全ての船がタイタニック号の如く船体を真っ二つに割れて沈んでいく光景だった。
 無論、こんなことが起きているのは自然ではない。よく見てみれば船の周りにはジャックが倒したのと同じ鯨や自然界に存在しない形状の者共が二十、三十ほど屯(たむろ)していた。
 既に沈没まで幾ばくも無い商船にさらに攻撃をしたり、パーツを沈め沈めと押し込む様子は生者を憎む地獄の亡者か、はたまた獲物に食らいつく肉食魚か。
 いずれにせよコレでは船による離脱は諦めた方が良い。よって足で橋で渡るはめになった。
 双子が本州と島を結ぶ道路橋を渡って本州に着いた時には午前11時半を過ぎていた。

「疲れましたね姉さま」
「とりあえずご飯にしましょう兄様」
「そうだね、何か食べようか? ジャックは何か食べたいものがある?」
「……ハンバーグ」
「ハンバーグね。じゃあ行きましょう」

 双子の精神はいつもと変わらない。
 殺人者としての誇りだの実績だのを持たない彼女達に勝敗という考えはない。殺人は延命手段。殺せない相手とは戦わないし、将来の禍根に興味がない。
 しかしそのサーヴァントは。

「…………」

 その幼い精神に名状しがたい感情が鎌首をもたげていた。



【C-7/大橋・本土側/一日目・午前】

【ヘンゼルとグレーテル@ブラックラグーン】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] BAR、戦斧
[道具]
[所持金] 店から持ち出した大金
[思考・状況]
基本行動方針:やりたい放題
1:アレを殺すかい姉様?
2:そういえば討伐令が出ていましたわ兄様、誰か来るころかしら?

【ジャック・ザ・リッパー@Fate/Apocrypha】
[状態] 健康
[装備] 『四本のナイフ』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:
1:双子の指示に従う
2:あのサーヴァント、殺したい





 空母ヲ級はマスターから与えられた権限より敵サーヴァントのステータスを視認で来ていた。
 ステータスが上昇していた空母ヲ級と敵サーヴァント……おそらくアサシンと性能面で比較した場合、空母ヲ級が優れていた。
 しかし、戦闘技能は圧倒的にアサシンが上だ。

 陸地、対人、限定空間での戦闘能力の不足によって敵の一撃を貰い、溜め込んだ戦力(ちから)を損失する結果となった。
 相手は撤退したが、それも非常に合理的だ。打撃を与え、動揺を与え、隙を突いて撤退。教本に載せられるほど見事である。
 駆逐艦六隻を失った空母ヲ級と無傷のまま撤退した敵、戦術的評価はどちらが高いなど考えるまでも無い。

 ならばどのようにしてこの評価を覆すか。
 対人能力を学ぶ────否定。今から学ぶとしてもサーヴァントに互する技能の獲得には時間が足りない。
 艦隊戦力の強化────肯定。本艦は深海棲艦を生み出す能力を有しており、艦隊を編成することが可能である。
 限定空間の排除────肯定。我が艦隊の性能を発揮するために陸地を液状化させ海の一部へと変貌させるべきである。
 深海での籠城────拒否!

「?」

 紛れもなく己の意志で強い拒絶の念を出した事に疑問が生じる。
 深海での籠城は間違いなく有効な戦略だ。
 他のマスターが人間である場合は深海内の水圧で動くなど機材でも無い限り不可能だ。仮に方法を用意したとして潜水艦や自分に狙われれば轟沈(ロスト)は免れないだろう。使い魔を送ろうとも劇毒と化した海水に耐えられる生物は自然界に存在しない。
 サーヴァントであれば無呼吸で戦えるかもしれないが、辿り着くことは出来ても毒海で己(ヘドラ)と水中戦闘など加護など無い限り不可能であり、加えて当方には潜水艦という水中戦力がいる。
 つまり見つからずに戦力を増やしていられる上に攻撃されても有利な戦場で戦えるのだ。

 では何故、その案を拒絶するか。原因は空母ヲ級ではなくヘドラにある。
 単純な話、このサーヴァントと融合した以上、力を得れば上陸せずにはいられないのだ。かつてのヘドラがそうであったように

「…………」

 空母ヲ級は己に芽生えた感情という新たな判断要素に合理性を感じなかった。しかし、この決断を覆せることはできない。
 『溶解汚染都市』で島を毒の海へと変えつつ空母ヲ級は次なる動きを考える。



【C-7/大側/一日目・午前】
【空母ヲ級@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[状態] 無我
[装備] 艦載機
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:艦娘、轟沈
1:艦娘を見つけて沈める
2:宝具で陸地を海に変える。
3:艦隊の建造、補給、遠征の実施。

※島(オリジナルの大芝島にあたる島)溶解

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年01月24日 10:24