「ん……ぅん……」
じりりりと鳴る目覚ましの音に瞼を開けば、カーテンに遮られて薄暗い部屋に満ちる冷気に顔面が冷えていることにまず気付き、布団の中で暖まった首から下との齟齬に嫌でも意識が覚醒を果たす。
寝ぼけ眼で起き上がりカーテンを開帳すると、冬の希薄な陽射しが靄のように澄み渡り、鈍った頭に喝を入れられるように思考がクリアになっていく。
実に晴れやかな朝だった。明けたばかりの空が、朝の冷気とともに新鮮に輝いている。
午前5時半、子供が起きるにしては随分早い時間帯に、電は起床していた。
「おはようございます、なのです」
枯葉の匂いも久しくなりつつある外の情景を見渡しながら、電は誰ともなしに呟いた。
冷風に張り付いた頬が、それでもふと緩むような、そんな静かな朝だった。
▼ ▼ ▼
駆逐艦・電の朝は早い。
というのも、彼女が暮らす孤児院では、所謂当番制というものが存在し、今日の朝は他ならぬ電の担当なのだ。
当番と言っても、朝ごはんの準備や諸々の管理は当然大人たちがしているので、そう大仰なものではなく、放っておけばいつまでも眠りこけ続けるだろう子供たちを時間通りに叩き起こしたり、朝の体操や朝ごはんにおける挨拶などを主導するといった具合だ。
なにせここに住まうのは言っても聞かぬ悪戯盛りの子供たちばかりだ。数の限られた大人たちだけでは到底手が足りるわけもなく、それ故に電を含めた年長者たちも皆を纏める立場にある立たされているというわけだ。
電とて未だに年少者に分類されるべき年頃なのだが、何の因果かこの孤児院にいる大半は電よりずっと年下の子ばかりで、結果的に年長者として区分けされるに至っている。
無論、そうした事情を置いても、元々軍属だった電にとって朝早くの起床など特に苦にもならず、元来有していた生真面目さや古株としての地位も相まって、子供たちの代表者として周囲に認知されるようになるまで大した時間はかからなかった。
「それではみんな、いただきます」
いただきまーす! という大合唱が、電の静かな声に続くように院内に響き渡った。空腹から掻き込むように猛然と頬張る子、食事よりも隣の子との雑談に熱心になる子、思いがけずごはんを床に落としてしまう子、なんだかよく分からないけどやたらと騒がしい子。席に着いた子供たちはそれこそ十人十色で、わーわーとはしゃぐ彼らを、電は時に優しく、たまに厳しく注意する。その後には決まって「はーい!」という元気のいい返事が届き、多少の時間を置いてだが食卓は秩序ある様相に変わっていった。
親無しという身の上ではあったが、誰もが笑顔でそこにいた。騒がしくも煩わしくはない賑やかな朝の食卓。いつも通りの光景であった。
そう、本来ならば。電もまた笑顔でそこにいるのが日常であるはずなのだが。
【マスター、顔色が優れないと見受けるが】
【あ、ランサーさん……はい、実は今朝の手紙のことで】
【やはり、件の討伐令のことか】
引き攣った表情―――それでもよく注視しなければ分からない程度ではあるが―――を浮かべる電に、傍に霊体化して侍るランサーが念話で尋ねる。
今朝方のこと、朝の寒さに身を引き締める電の枕元にあったのが、今まさに話題に挙がっている討伐令の封書だ。何某かの手段を用いたのか、ランサーの索敵網にすら引っ掛からないままに置かれたそれに書かれてあったのは、まさしく酸鼻極まる内容であった。
無辜の市民五十八名の殺害、
ヘンゼルとグレーテル及びアサシンの討伐。それはまさに市井で騒がれている連続殺人鬼を指しているのだと、疑いようもなく電は理解できた。
電にまず浮かんだのは悲憤の感情だった。軍人としてとか、その性格故にとか、そういう一切合財を抜きにしても、このアサシンたちのやっていることは憤激に値する暴挙であるのだから当然である。電がもう少し直情的な性質であったならば憤懣やる方ない思いを持て余すところであったが、しかし次に彼女に浮かんだのは今後に対する不安であった。
【……こんなこと許せない。電はそう思います。でも、この討伐令が出たせいで街に戦火が広がるのが、電にはどうしても怖いのです】
【なるほどな。お前の懸念はそこにあるか】
電とて、この街とそこに暮らす人々が見せかけの幻であることは百も承知だ。
けれど、かつて自分たちが戦った軌跡の果てに平和の時代を築き上げたこの街が、例え偽物であろうとも戦火に蹂躙される様はできる限り見たくないと、そう思ってしまう心が確かに存在してしまっている。
幻だから、再現されたデータだから、所詮見せかけだけの偽物だから、殺されようが消し潰されようが仕方ないのだと理屈では分かっても、そんな仕方のないことを「仕方ない」と言いたくなかったから戦い続けた彼女にとって、それは一言で片づけられる問題ではなかった。
そして何よりも、この討伐令は紛うことなき"本物"である参加者たちの殺し合いが加速するということでもある。朧気ながらとはいえ聖杯の恩寵を望む自分がこんなことを言うのはお門違いだということは分かるが、それすらも忌避する感情が電にはあるのだ。
自分が一体何をすればいいのか、それすら今の彼女には分かりかねている。
奇跡を望み他者を手に掛けるか、それとも数十人足らずの命を尊重して脱出を目指すのか。そんな、本来ならば第一に決めねばならないことさえ、はっきりと決めることができない。
軟弱な半端者だという自責の念が、電の心をじわじわと侵食していく。
【確かに、追い詰められた少数は生死の淵にあってあらゆる抵抗を行使するだろう。そして同一の標的を複数のサーヴァントが追う以上、そこに大規模な戦闘が勃発するのは自明の理と言える。
……その様子を見る限り、未だ迷いの只中にあるようだな】
うぐ、とうめき声。当然だが、こんな弱音にも等しいことを口走れば、今の電がどっちつかずの状態にあることなど一目で分かることだった。
ランサーの射抜くような視線が痛い。常日頃の鉄面皮から、彼とて電のことを責めているわけではないというのは分かるが、それでも鋼のようなランサーの相貌には拭いがたい威圧感というものが感じられた。
本人に曰く軍属だったらしい彼は、なるほど確かに鎮守府に従軍する怖い上官にも似た雰囲気があった。勿論ランサーはこんな自分のことも見捨てず支えてくれる良いサーヴァントではあるが、時として無言の視線が痛く感じることもあるのだ。
まして今回は完全に自分に非がある。今度こそは何か厳しいことを言われるのではと、心の中で密かに覚悟さえも決めるが……
【……戦いの中にあって、迷いほど致命的な隙はない。しかし、迷うこともなくただ正解と盲信して一つの決断のみをひた走るのは、それ以上に愚かなことだ。
既に残された時間は限りなく少ないが、その逡巡もまた必要であると心得た】
返答は、思いもよらないものだった。
思わず気の抜けた声を出しそうになって、慌てて口を塞ぐ電を、周囲の子供たちが怪訝そうな顔で見つめる。それを受けて連続して慌てそうになる自分を抑えながら、電はランサーに問い返した。
【……失望、しないんですか?】
【何故そうする必要がある。そもそも私はお前の僕、サーヴァントだ。私はお前の采配に従うし、裏切ることも決してない。まして失望などする意義が見当たらん】
相も変らぬ鉄面皮でそう告げるランサーに電は不覚にも返す言葉を見つけることができなかった。
ありがとう、いいやそれともごめんなさい? もしくはこれから頑張ります、だろうか。
言葉を選んでいるうちに、横合いからの「あー! おねーちゃん食べるの遅いんだー!」というけたたましい声に気を取られ、それに構ったり遅れていた食事を再開したりで、とうとう返事をするタイミングを逃してしまった。
やってしまった、と言わんばかりの顔で食後の口を拭く電は、結局気付くことはなかった。
電を見つめるランサーの口元が、ほんの少しだけ緩んでいたことに。
気付くことは、なかった。
「それでは、行ってきます院長先生」
いってきまーす! という本日二度目の大合唱と共に、電は登校すべく孤児院の玄関を後にした。
その周りには小柄な電よりもなお小さい子供たち―――小学校低学年の児童―――が数人纏わりついている。住む場所と出る時間が同じために普段から集団登校をしている彼女たちだが、最近は連続殺人事件の影響もあってかより一層集団での行動が推奨されていた。
見渡す景色はにわかに冬の気配を強めている。快晴の風の強い朝の風景だった。すれ違う人々は白い息を口から吐き、それを風が散らす。
電たちの暮らす孤児院と小学校は、地理的に多少離れた場所にあった。それ故に歩き始めの現在は見知った顔とすれ違うということもなく、ただ子供たちのはしゃぐ声だけがあたりに木霊している。
【マスター、私は周囲の偵察、及び索敵に移ろうと思う】
【あ、はい。それじゃあよろしくお願いしますね、ランサーさん】
遊んで歩く子供たちを見守り、時に行き過ぎた行為を咎めつつ歩いていた電に、ランサーの念話が届く。
ランサーの提案は、昨日までの数週間ずっと続けられてきたものだった。故に電にいちいち確認を取る必要もないと昨日までずっと思っていたのだが、そこはランサーの持つ律儀さが現れた結果である。
とはいえ今日に限って言えばそうもいかない。なにせ聖杯戦争の本戦開始が告げられ、更には連続殺人鬼の主従に討伐令が下ったのだ。浮足立つ参加者は確実に出るだろうし、今まで以上に慎重に事を進める必要がある。
つくづくランサーには苦労をかけてしまうと、電はそう思いつつ先を急ごうとして。
【……いや、その前に少し話しておきたいことがある。構わないか、マスター】
【え? は、はい。大丈夫ですよ、ランサーさん】
【感謝する】
ふと、そんなことをランサーに説かれた。
唐突と言えば唐突なもので、思わず振り返ってしまったほどに思いがけないものだったけれど。ランサーの言葉に遊びや衒いはなくただ真剣さのみが満ちていた。
話とは一体なんだろうか。少しの疑問と、求めには応えたいという生来の気質によって、電は声に耳を傾ける。
【さして時間はかからん。先ほどの話の続きだ。余計な節介かもしれんがな。
……救うべき者を見いだせないという、お前の中の迷いがどうしても消えないというならば、一度過去(うしろ)を振り向いてみるといい】
【……ランサーさん?】
それは、忠言と言うには些か観念的に過ぎる言葉だった。
過去。決して消えない、自分の足跡。それを振り向くとは、一体どういうことなのだろうか。
ランサーは言葉を切り、何かを考えるように目を閉じて。
【答えが出ずとも、真実が見えなくとも。ただ手を伸ばし無様に駆けずり回るだけでも救われる者は存在すると、つまりはそういうことだ。とある少女の受け売りだがな】
小さく息を吐き、そう言った。
再び開かれた瞼から垣間見えるのは、ここではない、どこか遠くを見つめているような目だった。
【あ、あの! それってどういう……】
【……少しお喋りが過ぎた。予定通り、私は偵察へと向かうことにする】
問いかける電から視線を離し、ランサーはそのまま高く跳躍して民家の向こう側へと消えていった。
彼の語った言葉の意味は、恐らく半分も分かっていない。それでも、あの堅物なランサーが何をしたかったのかと考えれば。
(もしかして、電を気遣ってくれた……のでしょうか?)
そんな、少しばかり自分に都合が良いのではないかと思えるような想像が脳裏に浮かんだ。
遠く離れて聞こえていた、子供たちの話す日常の声が、ほんのちょっとだけ自分のほうへ戻ってきた。そんな気がした。
▼ ▼ ▼
いつも使う通学路を、しかし今朝に限っては警察車両が封鎖していた。
けたたましく鳴るサイレンの赤が物静かな冬の早朝に異質な響きを与えている。
黄色い封鎖テープの前に陣取る野次馬の会話に曰く、また殺人事件が発生したらしい。やはりと言うべきか、討伐令が発布されるだけあって件の殺人鬼は犠牲者の量産に余念がないらしい。
誘導や事情説明に忙しい警察を見て、思う。
凄惨な事件現場を遮るというのは警察の立派な仕事である。
そこは素直に勤労への感謝の念が湧くし、お疲れ様だと労いたい。
けれど、いつも使う道が塞がれているというのも事実だ。
他にも道はあるのだから一旦戻って横合いに逸れればいいだけの話だが、何せ子供たちは今まで遊びながらの遅々とした歩みでここまで来たわけで、時間的な余裕はあまりない。
ならばどうしたものかと一瞬だけ考えて。
「本当はいけないことですけど、公園を通っちゃいましょうか」
そういうことになった。
そして電たちは、とある公園内を横断していた。周囲を木々に囲まれた憩いの場、それなりに大きな公園であった。
冬の季節が近づいているからか、春であったならば色とりどりに咲き誇っていただろう花々も散って土の肌を露わにしている。そんな寒季特有の物寂しさを横目に、電たち一行は学校への道のりを歩いていた。
ところで、子供というのは好奇心の塊である。
そもそもがそういう年頃である上、毎日を登下校というルーチンで過ごしている故に、ほんの少しの変化であろうと彼らにとっては容易く刺激的な非日常へと姿を変える。
街全体を包む不穏な空気、登校中に公園に立ち寄るというちょっとした興奮。そして仲のいい同年代とつるんでいるという状況。
それらが重なればどうなるかなど、最早論ずるまでもないだろう。
とまあ、結論から言ってしまえば。
「あ、あの、申し訳ありませんでした!」
子供たちは案の定はしゃぎすぎてしまった、ということになる。
ワアワアと騒ぎながらの歩き道、互いに遊ぶことに夢中になったことによる周囲への不注意。
その果てに起こったのは、なんてことない、ベンチに座っていた男性にぶつかってしまったというだけのことではあったが。
それでも電の監督不行き届きに違いはないだろうと、自罰と申し訳なさにより彼女は頭を下げていた。
「構わん。子供というのは良く遊ぶものだ。そう頭を下げるようなことでもない」
「で、ですけど……」
「構わんと言うに」
不幸中の幸いというべきか、ぶつかられた男性は寛容な人物で、むしろ平身低頭して謝る電のほうを気遣ってくれるほどだった。
しかし相手の優しさに甘えるようなことはしたくないからこそ、電は簡単には引かなかった。ぶつかってしまった男子と一緒に頭を下げ、やってしまったやってしまったと内心はパニック寸前の有り様である。
「その辺にしておけ。誠実さは美徳だが、過ぎれば卑小と成り果てる。お前は、お前の輝きを絶やすべきではない」
そして相手もまた相手、だ。被害者は自分であるだろうに、あくまで電たちを尊重する姿勢を崩さない態度は、直接見たことはなくとも電の脳裏に「紳士」を彷彿とさせた。
そこで何を思ったのか、その男性は手元の時計を見遣ると、窘めるような口ぶりでこう言ってきた。
「それはそうと、だ。見たところお前たちは登校中の身なのだろう?
ならばここで無駄に時間を浪費するわけにもいくまい。そら、始業の時間は迫ってきているぞ」
沈黙。
そこでようやく、電は自分たちが登校中であるということを思いだした。「……あー!」という素っ頓狂な声を思わず上げて、周りの子供たちの手を取ると急いで先を行こうと足を踏み出す。
「あ、あの、本当に申し訳ありませんでした! それと、ありがとうございます!」
「急ぐのは良いが、慌てて転ばんようにな」
相変わらず落ち着いた男性の声を背に受けながら、電はあわわと言いながら駆け出す。子供たちは、これもまた楽しいのか笑顔のままだ。
このまま急げば遅刻だけは免れるだろうと、電は頭の中でそんな思考を働かせた。
【C-5/公園内部/一日目・午前】
【ランサー(
アレクサンドル・ラスコーリニコフ)@Zero Infinity-Devil of Maxwell-】
[状態] 健康、霊体化
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] マスターに依拠、つまりほぼ0
[思考・状況]
基本行動方針:マスターの采配に従う。
1:周辺区域を索敵した後、マスターの元へ合流する。
2:マスターの決断を委ねるが、もしもの場合は―――
[備考]
【電@艦隊これくしょん】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 孤児なのでほぼ0
[思考・状況]
基本行動方針:決めかねている。
1:聖杯を欲しいという気持ちに嘘はない、しかし誰かを傷つけたくもない。ならば自分の取るべき行動は……
2:ランサーの言うように、自分だけの決断を下したい。
3:過去を振り返ってみる……?
[備考]
▼ ▼ ▼
「ふむ」
和気藹々と去っていく子供たちの背中を見送りながら、再び公園のベンチに腰掛ける男がいた。
彼は―――
背の高い男だった。
白い服の男だった。
この国のものではない、遥か異国の姿をした男だった。
時に、進歩的投資家《ミスター・シャイニー》と呼ばれる者でもあり。
時に、史実に名を残す伝説的な電気技師と同じ名で語られる者でもあり。
時に、《白い男》として世を駆ける者でもあった。
「……少女よ、尊さを失わぬ若人よ。
例えお前が人に非ざる者であろうとも、私は、お前が健やかに育まれる明日をこそ望もう」
眩しそうに細められる双眸が見つめるのは一体何であるのか。
それを知り得る者は当人しか存在しない。雷電の王たるこの男が何を見つめ戦うかなど、かのシュトレゴイカバールの黒碑に君臨する機械仕掛けの神でもなければ。
零から推し量ることなど、できはしない。
「だが、しかし―――やはり幼子は良いものだな」
「……その言い方は別の意味で官憲共を騒がせそうだからやめろ。しかも、割と洒落にならん部類の、だ」
だが、何物にも例外というものが存在するように。
ここにもまた、彼の戦う理由を知る者がひとり、存在した。
巌のような男だった。重厚な鞘に納められた、しかし悪逆に際しては即座に鞘走らんとする業物のような切れ味を彷彿とさせる鋼の男だった。
白い男の座るベンチの後ろ、石造りの道を音もなく近づいてきた男だ。
異装の彼―――
ニコラ・テスラが使役する、正しく救世主と呼ばれるに相応しい英雄だった。
その銘をセイヴァー、名を
柊四四八という。
「心外だな。官憲の類に因縁をつけられるようなことなど、一切口にした覚えはないぞ」
「……自覚しとらんのか、お前は」
「何を訳の分からんことを」
若者が二人、取りとめのない雑談に興じる様は市井の一角においてそう珍しいものではないが、しかし彼らはそうした普遍性とは一線を画した位置に立っている。
曰く、《白い男》。夜に現れては犯罪者や怪物を打ち倒す都市伝説的存在。このやや古めかしい会話をしている二人こそが、噂に語られる怪人物そのものであった。
白き異装と旧日本軍の軍服を纏った男達。しかし白―――テスラはともかくとして、その従僕たるセイヴァーが纏うのは軍服ではなかった。
仕立ての良い黒のスーツだった。聡明な顔立ちに良く似合った服装ではあったが、その背にかけた竹刀袋が一抹の違和感を周囲に与えている。
誰も知る者はいまい。彼ら二人が、日付の変わる直前に別れ、それぞれが聖杯戦争に際して疑わしいと感づいた対象を調べまわっていたのだということを。
セイヴァーと呼ばれる彼がたった今、背負った竹刀袋に安置した日本刀型の雷電兵装で禁魔法律家二名を打倒したのだということを。
ニコラ・テスラが進歩的投資家という立場を利用して手に入れた、とある機関端末を調べていたのだということを。
各々の役割を果たしたのちに、今この場を合流地点と定めていたのだということを。
本人たちと、それを天頂から見定める管理者以外に。
誰も、知る者はいない。
「お前の感性はひとまず置いて、だ。こちらの調査は恙無く終わったぞ。
やはりと言うべきか、魂を喰らう魔道書の出所は御目方教の総本山だ。前々から睨んでいた通りの結果だったよ」
「賜った。今までは予感こそあれど確信に至ることができなかった故な、その情報は最後の詰めとして有難い」
御目方教、それはこのK市において最近急激に勢力を増しつつある新興宗教の名前である。
単なる宗教団体であるならば何も問題はなかったのだが、その実態はカルト教団、それも飛び切り性質の悪いタイプであり、聖杯戦争を度外視しても迷惑・犯罪行為が横行しているのが現状である。
しかもその信者と思しき人々が不可思議な魔道書により武装していると来たのだから冗談では済まされない。テスラたちは今までにも何度かそうしたにわか魔術師を撃退してきたが、相手はマスターどころか無辜のNPCだったために、彼らの本拠が御目方教であると特定するのに時間がかかってしまったという経緯がある。
だが、御目方教総本山より出立した信者二名が、まさに魔道書の魔力を行使する現場に立ち会ったならば。
そしてそれを撃退し、直に尋問したとあれば。
最早、そこに疑う余地など微塵も存在しなかった。
「そして、ならばこそ私もお前の奮闘に応えねばならん。私が担当した《永久機関》のことだがな、こちらも先ほど結果が出たところだ」
「どうだった?」
「どうしようもない欠陥品であった。あれが《永久機関》とは、笑わせる」
言葉通りに笑い飛ばし、テスラは皮肉気に目を細める。それは常の大空を見上げる表情ではなく、地を這いずる悪徳を睨む双眸にも似ていた。
「永久機関と想定される絡繰には二種類が存在する。まずは熱力学第一法則を破る第一種永久機関、これはつまり外部から何ら影響を受けることなく無から有を作り出すという、ダグザの大釜の如き御業だ。
そして第二に、熱力学第二法則を破る第二種永久機関。低温から高温へのエネルギー委譲に際して熱量の損失を防ぐ、つまり一度使ったエネルギーを100%再利用するという疑似的な無限導力の再現だ。
かの《機関》は謳い文句を見るに第一種、何もせずとも無限の電力を生み出すというものであったが……」
一瞬、テスラは言葉を切り、続ける。
「実際には、あれは装着者のアデノシン三リン酸を電力とする変換器に過ぎん。その時点で第一種ではあり得ず、しかも電力変換値に上限が存在する以上は第二種でもあり得ん。
《永久機関》なる物は人の生命力を削り取る粗悪品、これでは
オルフィレウスに嘲笑われよう」
オルフィレウス―――歴史上において自動輪を確立させたという稀代の大碩学。その名を語るテスラの表情に浮かぶのは、紛うことなき憤激と侮蔑である。
無論、偽物の永久機関にも、その変換効率の高さや瞬間出力などといった面には目を見張るものがあったというのも事実ではあった。
しかしその大前提として人の命を必要とするとなれば、彼らにとっては廃棄物にも劣る下劣な代物となるのは必然である。
「XX電機にこれを売り渡したのは『ヒムラー』なる人物らしいが、まず偽名であることに疑いはあるまい」
「だろうな。実態がどうあれ、仮にも永久機関を標榜して世に出したんだ。自分が聖杯戦争の関係者であると宣伝しているようなものだし、それに対策を施さぬような愚物ならばそもそもこんな大それた真似はできんだろうよ」
頷くセイヴァーに、テスラもまた同調する。そして、話はこれで終わりではなかった。
「そして私のほうに舞い込んできたのはそれだけではない。これを見るといい」
「これは……なるほど、例の連続殺人事件か」
「ああ。グリム童話を冠した名称、何故か複数存在するマスター、そしてNPCの大量殺戮。全てが不確定要素に包まれた危険存在。
これもまた、私達が片づけるべき問題となるだろう」
テスラが掲げた封書は、言うまでもなくルーラーから提示された討伐令だ。
街を賑わす大量殺戮、それが舞台を盛り上げる単なる演出でないことは、わざわざ討伐令を発布されるまでもなく周知のことではあったが。
改めてその脅威を示されれば、それを放置するというわけにもいくまい。
「こうして並べると分かりやすいが、俺たちだけでは到底手が足りんな。御目方教の魔術師集団、永久機関を語る何者か、討伐令のアサシン……
不確定のものを含めれば更に数は膨れ上がる。分かっていたことだが、一日二日で片づけられる問題ではない」
セイヴァーの言に、テスラもまた無言で頷いた。ミスターフラッグなるK市に君臨する怪人物、海洋周辺に満ちる謎の異常事態、街の外れの森林にあるとされる御伽の城……不確かな噂を含めれば、対処すべき問題は両の手で数えられる範疇を逸脱している。
「分かっているとも。それ故に、日暮れまでは調査に充てることとしよう。幸いなことにこの聖杯戦争にタイムリミットの類は存在せんからな」
読んでいた新聞紙をバサリと畳み、小脇に抱えるとテスラはベンチから立ち上がった。白き偉丈夫は確りと地に足をつけ、ただ前のみを見据え歩き出す。
既にこの場に用はなく、背後に立つセイヴァーもまた彼の歩みに足を揃えた。
「引き続き調査、か。なんとも悠長なことだと言いたいが、確かに事実の確定だけは最低限やるべきことだな」
「然り。無辜なる民が暮らす昼光の世界、それを踏み躙る悪鬼を討ち果たすは闇夜の中だけで十分。
故に、だ」
昼、太陽が照らす光の時間。それは子供たちが健やかに育まれる時間でもあり、市井に生きる人々が生を謳歌する時間でもある。
故にその場に無粋な戦など不要。悪滅の雷電が輝くのは、夜闇の魔性に対してのみで十分なのだ。
だからこそ。
「―――ひとまずは腹ごしらえといこう。なに、お前の分もきちんと用意するとも、セイヴァー」
不遜な笑みと共に放たれた言葉は、しかしそれまでとは違い、何とも気の抜ける内容であった。
【C-5/公園内部/一日目・午前】
【セイヴァー(柊四四八)@相州戦神館學園八命陣】
[状態] 健康
[装備] 日本刀型の雷電兵装(テスラ謹製)、スーツ姿
[道具] 竹刀袋
[所持金] マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の破壊を目指す。
1:基本的にはマスターに従う。
[備考]
- 一日目早朝の段階で御目方教の禁魔法律家二名と遭遇、これを打ち倒しました。
【ニコラ・テスラ@黄雷のガクトゥーン】
[状態] 健康、空腹
[令呪] 残り三画
[装備]
[道具]
[所持金] 物凄い大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の打倒。
0:まずは食事にするとしよう。
1:昼間は調査に時間を当てる。戦闘行為は夜間に行いたいが、急を要するならばその限りではない。
[備考]
- K市においては進歩的投資家「ミスター・シャイニー」のロールが割り振られています。しかし数週間前から投資家としての活動は一切休止しています。
- 個人で電光機関を一基入手しています。その特性についてあらかた把握しました。
- 調査対象として考えているのは御目方教、ミスターフラッグ、『ヒムラー』、討伐令のアサシン、海洋周辺の異常事態、『御伽の城』があります。どこに行くかは後続の書き手に任せます。
最終更新:2016年01月27日 02:42