遠くから戦いの音が聞こえる。
 昔、自分の生きていた時代では当然のように聞こえていた雄叫びが一向にせず、代わりに砲撃の音が空に響く。
 陸から若干離れているためか、磯の臭いはせず、代わりに鉄が溶けたときに発するあの悪臭がする。


「砲撃っていやぁ黒ひげの船長思い出すな」


 ヘクトールが独りごとを呟く。
 闊歩する街は静寂に満ちている。市民達は眠り、照明以外の機械は稼働していない。恐らくはルーラーによる神秘秘匿のための処理だろう。サーヴァントではなく市民全員を眠らせるという方法に違和感があるが、眠らされたおかげで先ほどの気が狂うような攻防を見ずに済んだのは幸せともいえる。。
 ヘクトールと、あのデカイ機械人形に乗っていた男のおかげで守られた街中を歩いて、ようやく目当てのものを二つ同時に見つけた。

 一つは自身の宝具『不毀の極槍』。熱されて赤く光っており、穂先に刺さったアスファルトが融けてタールになっている。
 そしてもう一つは全力を使い果たして地面に大の字で寝ている白い男。
 彼がいなければこの街も、自分も、自分達の後ろの山にいるマスターもとっくに消滅していたに違いない。
 心から感謝し、その首に手をかける。
 無論、首をへし折るために。


「悪いな。こんな時じゃなきゃオジサン、勝てそうになくてよ」


 幸いなことにまだ深海棲艦達はこの街中まで攻めてきていない。
 核熱を世界の裏側か、次元の彼方まで吹っ飛ばしたあの輝きの一撃。
 あれほどの攻撃を消し去れるコイツを倒すのは今しかない。
 ヘクトールは戦士だ。ギリシャのトロイア戦争ではアキレウスでさえ死の覚悟なしでは勝てなかったほどの英雄だ。
 しかし、同時に戦略家であり政治家である。必要とあれば尻尾を巻いて逃げるし、このように汚い手も使う。


「恨むのならマスターじゃなくて俺にしてくれよ」


 断じてマスターの命令ではない。ヘクトールの独断だ。
 というよりもあの少女はマスターとしての自覚も、人間としての自覚もないだろう。
 故にヘクトールが考えて動かねばなるまい。純粋な彼女が手を血で汚すとしてもそれは今じゃない。
 しかし────


「おい、貴様何をしている」


 横っ面をから体当たりされてヘクトールがのけ反る。
 ヘクトールの凶行を止めたのはただ一人、彼こそ────


「それでもトロイア戦争最高の戦士か貴様!」


 セイヴァー。ある意味でアキレウスに匹敵する勇者(バカ)なのだ。




「へえ、あのアキレウスと間違えられるとはオジサンも捨てたもんじゃないね」
「誰がアキレウスと言った。貴様の事を言ったんだぞヘクトール」


 セイヴァー……柊四四八は彼の正体を看破していた。
 ドゥリンダナ、すなわち絶世剣デュランダル。それを槍として投擲する宝具を持つサーヴァントなど『輝く兜のヘクトール』をおいて他にない。
 そう確信したからこそ、今のヘクトールの凶行に憤りを覚えずにはいられなかった。
 拳を振り上げ、その顔面に叩き込む。しかし黙って殴られるヘクトールじゃない。


「あらよっと」


 回避してカウンター一発。ジャブ程度の、牽制目的の一発だ。
 だが、耐久値がEランクの四四八にとっては剣呑極まる。
 身を捻って何とか紙一重で避けるが躱しきれず、戦神館自慢の軍服に掠って千切れ飛ぶ。
 返礼に一撃。アッパーを顎から叩き込む。


「いつまで余裕のつもりだ。ひきつっているぞヘクトール!」


 ヘクトールが繰り出す顔面への蹴りを股下をくぐり抜けて避け、立ち上がる勢いを込めた裏拳を食らわす。
 さらに殴り、蹴り、畳み掛ける。


「イリアスにおいてトロイアにその人ありと言われた大英雄がこの程度か! アキレウスにやられて腑抜けたのか!!」
「生憎とこれがオジサンの力ですよ。どうしてそんなに持ち上げられてんのかは知らねえけど卑怯な手は使うし騙し討ちだってしてやらぁ」




 ヘクトールと俺、二人のステータス差を考えれば信じられないほど俺が優勢だ。
 しかし、いつまでも避けることなどできず、ついにヘクトールの拳が俺を捉えた。

「グァ、ハッ」

 瞬間。全身がバラバラになりそうな衝撃が俺を襲うが、上等だやってやる。
 血反吐を吐いてそれでも殴りかかる。

 拳を叩きつけ、叩きつけられ、殴り、蹴られて、互いに血の糸を口から垂らしながらそれでも殴りかかる。
 何度も、何度も何度でも。一言言ってやるために、睨みつけながら拳を交わす。


「貴様は何者だ! あのギリシャに! あのアキレウスに、神の恩恵を持つ英雄に立ち向かい続けたのは何のためだ!」
「さあて、何だったかねえ! 忘れちまったなぁ!!」


 クロスカウンターで互いの顔面が潰れる。ダメージは自分の方が圧倒的に大きいが、相手の頭を叩き起こすのに痛みなど気にしてられるかよ。


「なら教えてやる! 貴様が守ったのは“日常”だ!!
 弟の義憤を赦したのも、弟を差し出せば終われる戦争を続けたのも最終的にはそれを善と認めたからだろうが!!」


 神を敬い、家族を愛し、国を守る。
 当時のギリシャであれば敗北者は全てを焼かれ辱しめを受けるのが当然で、だからこそヘクトールは勝利を目指した。
 ギリシャ神話最高の英雄アキレウスに最高位の女神ヘラ、更には数々の英雄を相手に十年も耐えたのがその証拠に他ならない。
 勝てない戦だと悟り、同国民が手足を千切られ、カラスに啄まれる日々を耐え続け、己が絶命した後も勝利を目指した。
 ただの怠け者がやれることじゃないんだよ。
 そんな奴が義で己の身を省みずに戦ったニコラ・テスラを殺そうとするなど何の冗談だ。


「それが……一体今何が関係あるってんだ!」
「貴様が今、殺そうとしていた男はなァ! 貴様と同じく日常を守ろうとした男なんだよ!」


 人の世から悲しみを無くすために戦い続けた《白い男》。
 この男もまた世界の敵となって日常を守った英雄だ。
 故に俺のマスターとして選ばれたのだ。
 いや、もしかするとあの男だからこそ俺が召喚されたか。


「だから俺が守る!」


 俺は肘打ちを鳩尾に叩き込み、ヘクトールは頭突きで俺の鼻骨をへし折る。
 よろめいて、だけど俺たちは睨み合うんだ。


「守るなんて難しいこと言うねえ。あんたも見ただろう。あの怪物を。あの力を」
「それがどうした。言っておくが俺はもっとヤバい奴を後3人知っているぞ。だがな、それでも俺は世界を守れたんだよ。この程度の力でもな」


 虚偽ではない。柊四四八が行った三つの偉業……『甘粕事件』、『第二次世界大戦の回避』、『第四盧生の封印』を成し遂げたのは総て自力だ。
 甘粕事件はともかく残り二つは完全に人の力によるものであり、都合のいい幻想(ユメ)の力など一切使っていない。


「じゃあオジサンのマスターも、いや他のマスター達も救ってくれんのかい?」
「当然だ。だが、守るのはお前の役目だ」
「オジサンは救ってくれないのかい?」
「助けはするがサボらせはしないのが俺の信条だ。自称怠け者は特にな」


 そうかいと言ってヘクトールは剣を抜く。
 四四八も竹刀を袋から抜いた。




 ヘクトールは知っている。魔術王を名乗った者が引き起こした人理焼却事件を。
 それを防ぎ、人理を修復した一人の人間を。
 そうとも、夢ではない。大義を為すのは現実の意志。幻想(ユメ)から持ち帰ることが許されるのはそのための誇りだけ。


「んじゃあ腕試しだ」


 ヘクトールは地面から剣を抜いた。
 槍ではない。剣である。柄は短くなり、人が振り回せる長さの──後に『不毀の極聖(デュランダル)』と呼ばれる剣を。


「その竹刀はあんたの宝具かい?」
「いいや、マスターの私物だ」
「そうかい」


 ヘクトールは剣を振り上げ、セイヴァーへと突き進む。
 あの竹刀が宝具ではないときいても油断する気が起きなかった。
 あの白い男をそこらのマスターと一括りになどできはしない。必然、そいつの私物を武器としてサーヴァントが持つ以上、殺傷力はあると考えていい。


「これを凌げないようじゃあ救うなんて言葉、信じられないぜ」


 信じさせてほしい。
 故に一斬。そのためだけにもう一つの宝具も使う。
 魔力をまた使うが、マスターには後で謝っておこう。
 剣を振りかぶり、一気に降り下ろす!


「『不毀の(ドゥリンダナ)────』」



 ヘクトールはセイバーかランサーで召喚される英霊だ。
 しかし、どちらのクラスであっても必ず剣と槍の宝具を持参する。
 『不毀の極槍』と対になる剣の宝具。聖剣となる前の純粋な──渾身の斬撃。


「『────極剣(スパーダ)』!」


 そして同時。


「碩学機械・電磁兵装(テスラマシン)」


 セイヴァーの竹刀も雷電を帯びて真一文字に斬撃が繰り出された。


「抜刀!」


 光る二つの刃がぶつかり、十字(クロス)を描いたのは一瞬、すぐにセイヴァーの竹刀が押される。
 元より筋力のステータスが違うのだ。押されるのは当然だろう。
 片足を地面につけ、堪えるセイヴァーと上段から圧すヘクトール。
 このままセイヴァーが潰れるのは目に見えていた。
 何の捻りもない展開にヘクトールの胸中で失望の念が沸く。


 一般的に竹刀は剣道の稽古に使われる道具として知られる。
 本物の刀を素人が振り回すのは危険だからだ。だが竹刀が絶対安全かというとそれも否である。
 むしろ稽古道具という認識が強いため油断してしまうため、玄人の使う竹刀ほど危険に満ちたものはない。
 幕末に活躍した武装組織「新撰組」。その構成員の一人に斎藤一という剣術の達人がいた。
 この人物は晩年に撃剣師範から退き老後を送っていたのだが、ある日。竹刀で突きの練習をしている者を見かけた。
 その者に突きを教える形で竹刀を振るったところ、斎藤の放った突きは空き缶を貫通したという。
 他にも竹刀で面金(剣道の頭の防具)を叩き割った話や、助走をつけて武者の兜を叩き砕いたなど真偽定かならぬ話がいくつも存在する。

 無論、ヘクトールの宝具が一般的な防具以下などということはあり得ない。竹刀で鍔競り合うことすらできず一方的に断たれて終わりだ────ただの竹刀ならば。
 セイヴァーの振るう竹刀は電磁兵装(テスラ・マシン)。瞬間的な威力ならば鋼鉄の戦闘機械すら破壊可能な威力を誇る兵器だ。
 結果、初速を殺せることに成功した。緩衝材として役に立てばいい。ヘクトールの宝具に打ち勝つなどという幻想は最初から抱いていない。

 極刃を受けた竹刀の刀身がついに切断される。
 ヘクトールの斬撃がセイヴァーに迫る。
 ぶつかったことで勢いは殺されたがセイヴァーの頭を叩き割るには十分だ。


「刮目しろ大英雄! これが俺の覚悟だ!」


 セイヴァーの頭を叩き割るまでの刹那、ヘクトールは目の前の光景に瞠目する。




 スキル『心眼(真)』は可能性を見つけるもの。
 そしてスキル『無形の輝き』は人の可能性を保証するもの。
 あらゆる難行、あらゆる試練。それを乗り越える人の輝きがここに顕象する。

 セイヴァーが実行したのは度し難く、されど勇気あること────宝具を白羽取りして受け止めたのだ。
 宝具に対抗できるのは宝具──そう言ったサーヴァント戦の大前提を吹き飛ばし、真の勇気の輝きが輝く兜の瞳を照らした。
 自らの電磁抜刀によって少なからず帯電していたため手袋が弾け、爪が割れ、血煙が吹き出る。
 だが斬撃は止まった。止められたのだ。


「どうだヘクトール! これでもまだ信じるに足りないか」


 セイヴァーが汗をダラダラ流しながら吠える。
 宝具の白羽取りなど正気の沙汰ではない行為を実行に移し、そしてやり遂げた。
 馬鹿ではあるが、偉業である。ゆえにヘクトールは認めざるを得ない。


「いや、信じるさ。セイヴァー。お前に賭けよう」


 ヘクトールは剣を再び鞘へ収めた。



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最終更新:2017年05月14日 11:56