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早川由紀夫の「甲状腺への疑念」が的外れで「カルト教祖の断末魔」のようで、どうしようもない。

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早川由紀夫の「甲状腺への疑念」が的外れで「カルト教祖の断末魔」のようで、どうしようもない。


2013.03.19
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ここでは管理人が早川由紀夫氏のブログエントリー「甲状腺検査への疑念」の内容に指摘したいと思う。

「検査を受けてほしくない」早川由紀夫。その理由は?

  • 検査しても治らない。
検査は治療ではないから当たり前だ。検査とは治療などが必要かどうか判断するためのものだ。この甲状腺検査の場合、今後の推移を判断するために行うもの。この早川由紀夫の指摘は、まったく意味がない。

  • 2年前の事故当時、福島県は安定ヨウ素剤を配布しなかったし、避難も必要ないと言った。その判断に誤りがなかったのなら、検査は必要ないはずだ。いま検査が必要だとするなら、当時の判断が誤りだったことを認めて謝罪して責任を取るのが先だ。

早川由紀夫氏が何を言いたいのかわからないが、「判断が正しいければ検査は必要ない」とするのは間違いなのは常識的な判断ができる人なら理解できるだろう。

ストレスの回避する意味
判断が正しいかどうか別として、検査は治療するべきかどうか判断するためのもので、治療の必要がない人ならば、人々の安心や信頼を得るのに必要なことだ。つまり「必要のないことを再確認する」ことであり、それが「甲状腺がんになるかもしれない」というストレスを軽減することになる。

ストレスを甘く見ないほうがいい。検査もしないで「がんになるかも」と不安を抱えながら生活するより、客観的な判断(検査)で経過を見ていくことのほうがストレスが軽減され、これが精神的肉体的な健康の繋がるのは自明である。

社会的合意(コンセンサス)と検証の意味
「絶対こうなる」と分かっていても実験(検査や調査など)をして確認しなければ、その論は脆弱だ。また、今回のような放射能リスクの場合、これは社会的な合意を得るためにも必要なことだ。「理論的にこうなるはずだ」とある研究者が考えても、実験で再現されなければその理論が間違っているかもしれない。もし万が一予想が当ってもはずれても「現実を直視」するべきだ。「甲状腺がんが有意に増えた」可能性も有り得る。これを検証するためにも検査するべきなのは当然。

もちろん、治療するかどうか判断する指標としての意味
つまり甲状腺に異常が見つかった場合は治療など適切な対処が必要なのは当然なのだ。この必要な対処に検査は必要なのは誰にでもわかること。福島の人の安心を得るためだけではない。実際に目の前の現実に対処して医療行為の判断をするためにも必要なのだ。

もう一つ重要なこと:今後のベースライン
データを何回か時系列で比較していくことで分かることがあるかもしれない。そのためにも調査は有用だ。実際チェルノブイリでの甲状腺検査を「事故前に生まれた子と事故の数カ月後に生まれた子」で比較して、甲状腺がんと放射性ヨウ素の因果関係を証明したこともある。調査は必要なのだ。


甲状腺検査の結果=現実に向き合いたくない心理
  • いたずらに不安がる住民を安心させるための検査だともし言うなら、この検査によって異常と判定される子どもへの対応策をあらかじめ提示してほしい。これまでの検査結果によると、100人にひとりの割合でB判定が出る。

この文章の意味がよくわからない。この早川由紀夫という人は「どういう対応がされるか未確定ならば、検査をしないほうがいい」と言いたいようだ。これは「現実を知りたくない、知らせたくない」ということだろう。

「勉強しないと死ぬぞ」と人々を脅かした人とは思えない。「勉強しないと放射能で死ぬ」と言っておいて、「検査して現実を知ることはならぬ」というのはどういう理屈だろうか。この矛盾を合理的に判断すると「私の思考に都合の良いように考えて行動するべきだ」と叫んでいる裸の王様かカルト教祖。

もはや、早川由紀夫の知識や理解力では、「放射能リスクを判断することが不可能」であることは明々白々になってきた。彼自身がそれを感じているのだろう。だから、信者が「賢くなってはならぬ」「現実を知ってはならぬ」と言っているのだと見える。

  • 3万8000人検査して、3人ががんだと判定されて、すでに手術されたという。必要ない手術ではなかったのか。異常と判断された子どもが必要ない手術を強いられるないようにしてもらいたい。とくに、対照群として検査された他県でB判定を受けた子どもへの対応を慎重にしてほしい。

これは早川由紀夫の「疑義」ではなく、勝手な要望である。しかし治療を受ける人は必要な治療を受ける権利があり、必要のない治療なら拒否する権利もある。これは医師がどんなに薦めても患者(未成年なら保護者)が判断することである。そこにどれだけ合理的な説明がされているかを問題にするべきで治療方針に「こうしてほしい」など、関係のない人間が口を挟むことではない。検査は拒否可能なはずだ。

「必要のある手術ができないリスク」は気にしていない早川由紀夫
しかも「必要のない手術のリスク」をさかんに気にしているが「必要のある手術ができないリスク」を気にしていないところが全くもって矛盾している。


当然「多発」の意味が理解できてない。鵜呑みにしてるだけの早川由紀夫
  • この検査数で3人のがん発見は、疫学では多発というらしい。多発がなぜいま生じたのか。1原発事故のせい、2検査方法のせい、3原発事故前から原因が内在していた。さて、このどれだ。

「この検査数で3人のがん発見は疫学では多発」という早川由紀夫の認識は、かなりバイアスが存在する疫学の専門家(津田氏)の発言によるものだ。果たして本当に「多発」なのだろうか。

「3万8000人の中での3人」と「甲状腺がんは100万に1人か2人」という結果を単純比較しているが、前者は積極的に甲状腺の異常をみつける検査での値であって、後者は「何かしらの症状を理由に(たまたま)甲状腺がんがみつかった値」である。この場合「多発なのかどうか」は判断できないはずだ。
詳しくはこちら 甲状腺検査においての疫学専門家の意見:津田敏秀氏

この事実=「数字の性質の違い」を理解できない人と、あえて「理解しようとしない人」がいる。たとえ科学的、論理的な思考が出来る人でさえ、認知的不協和に陥るとこういう合理的な判断ができなくなってしまうのだろう。疫学の専門家を自称する大学教授でさえ、二つの数値の性質の違いを考慮せずに「多発」という結論を結びつけてしまうのだ。
※中には自身の反原発運動(思想)に都合悪いものは見えないフリを意図的にしてる人もいるかもしれない。

「無駄で有害」と印象操作するしかできない「砂上の楼閣」
現状では、福島県に改善を求めるのはむずかしい。親たちが無駄な(むしろ有害な)検査をわが子に受けさせないようにするのが、もっとも迅速で効果的な対応策である。周りの空気に流されて、よく考えないままわが子にこの検査を受けさせるのは、避けるべきだ。

何が「無駄で有害」なのか、これだけの文字量を使っても、この早川由紀夫は一切示すことができていない。不安を煽って信じこませる人がよく使うテクニック(?)である。根拠もろくに言わないで前提を決めつけてしまう印象操作だ。

甲状腺の超音波検査は精度が高く痛みを伴わない
甲状腺の超音波検査は、いきなり全員に針を刺すわけではない。そして「しこりや嚢胞が発見されない」という事実は、不安をかかえる多くの人たちにひとまずの安心を与えることができる。もちろん、今後もその経過を継続して見ていくことでさらに「無駄な不安」がなくなり、合理的な判断ができる。放射能由来でない甲状腺がんも発見できるというメリットもあるのだ。

一次検査は超音波を使った検査だということは、2ページを見れば明らかだ。
http://www.env.go.jp/jishin/rmp/conf-health/b02-mat09.pdf
いわゆる小さな病変(しこり等)を見つけるためには、精度が高く痛みも伴わない超音波検査が適しています。県民健康管理調査における甲状腺検査では、一次検査で一定の所見が認められた受診者には、二次検査を実施し、その中で必ず血液検査を実施しています。超音波による一次検査の段階で全ての受診者に針を刺すよりは、必要な場合にのみ限定して血液検査を実施するようにしています。

ここでもし「嚢胞やしこりが無い」ということは、あくまでも「現在において」である。安心してしまって、今後の継続的に検査を受けなくなったら問題ではある。しかし、リスクが非常に少ない「検査を最初から受けないでおいたほうがいい」というのは明らかに間違った判断だ。

一時検査で細胞診が必要となったとしても、それは患者のリスク判断である。(当然殆どの人が二次検査をするはずだが)これは患者の選択の自由が守られるはずだ。

リスクの程度を知り、合理的に判断するべき
このサイトでも私(管理人)は何度も「リスクは程度を天秤にかけて考えることが重要である」と言っている。例えばCTなどの検査でも外部被曝はするが、それ以上に「病気を見つける」メリットが大きければ検査することで意味がある。闇雲に特定のリスクのみを気にするのは合理的な判断とは言えない。

早川由紀夫はリスクの程度を知ることを拒否しようとしてるのだ。

このような甲状腺検査でのデメリットは殆ど無いといっていいだろう。経済的な負担もなく少し時間が拘束されるだけだ。痛みもない。このリスクが殆ど無い検査を「やめろ」というのは「安心するな」という言葉ともとれる。

特定のリスクのみを取り上げて非合理的に不安を煽る姿はカルト教祖のよう
必要のない手術をリスクを気にして、必要な手術を見つけられないリスクは気にしない。というのは偏った思考だ。これは持論に都合の悪いことは隠したいという心理が現れている。カルト教祖にとっては、不安や恐怖で信者を縛ることが有効だ。この不安という魔術が解毒されてしまっては、求心力がなくなることを理解しているのだろう。これはまるで「カルト教祖の断末魔」の告白である。

ここでもう一度言う。この大学教授は「勉強しないと死ぬぞ」と言ったその口で「事実を知るな」と言っているのだ。これは笑うところだろうか。
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