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いわて急行鉄道社史②

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1944年〜1947年
8月 西滝沢〜岩手山間を走行中の貨物・第1308列車が機銃掃射を受け車掌車が被弾、乗務員1名が死亡、同じく1名が重症。陸軍省の要請で内陸線盛岡駅周辺の地下化工事が開始される。また、12日には岩手山演習場での陸軍総実習及び出征式に向かわれる天皇陛下のお召列車を東京〜演習場前間で極秘に運行。
10月 世田米事故が発生する。同日、種山駅構内で入替用機関車が突風により脱線。
昭和20年(1945年) 1月 運輸通信省により、東亜東北急行が国鉄に吸収され、内陸線、大水線がそれぞれ国有化、旧・内陸線には再び「第二東北線」に改称される。
3月 東京大空襲の被災者を東北方面へ運ぶ為の疎開専用列車が運行される。
4月 西水沢駅に焼夷弾が投下され、木造駅舎と停車中の普通・第4214列車と、特急・第2419列車で火災が発生した。
6月 陸軍小山飛行場への物資輸送を目的とした新路線(西水沢〜若柳間)の建設が開始される。
7月 岩手県沿岸で連合国軍による被害が増大。大水線が鉄類回収により運行中止。
8月 盛岡空襲、花巻空襲で第二東北線に甚大な被害。盛岡駅付近で機関車故障により立ち往生していた急行・第7014列車が機銃掃射を受け50名余りが死亡。第二花巻駅では停車中の高速・第9012列車が駅構内に居た旅客全員を乗せて上り本線を逆走し北花巻隧道内に退避したことから、第二花巻駅では死者が1人も出なかった。15日、終戦。午前中は戦時ダイヤでの運行であったが、正午の玉音放送後は本数を削減して運行した。
昭和21年(1946年) 3月 大船渡港がGHQの拠点港となった為、大水線がGHQ専用線として運行を再開する。西水沢〜若柳間が完成するが、1度も運行される事なく廃止される。その際に余剰になったレールを、鉄類回収後運行が出来なかった水沢地方鉄道に譲渡する。
5月 GHQ専用列車優先でダイヤ改正が実施される。GHQ専用列車の「オクダコニアン号」、「スノーバンタン号」がそれぞれ運行を開始する。同時期に関東方面からの買い出し客が激増する。
10月 岩急沿線都市開発部を設立する。
昭和22年(1947年) 3月 1日にGHQの指導を受けた国鉄が第二東北線と大水線を新会社「岩手急行電鉄」に売却、蒸気機関車18両と旧型客車42両を譲渡。第二東北線が「内陸線」に改称される。
4月 内陸線の東京方から電化工事を開始する。
10月 盛岡駅付近の地下化と内陸線全線の電化が完成。電化に合わせてデハ100型電車20両を国鉄郡山工場にて製造し運転を開始する。
12月 デハニ100型を4両製造し内陸線に追加投入。EF58型電気機関車を1両導入する。

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