これは古い話。欲望が生み出した不幸の始まり……。
-願い事、ひとつ-
多少名の知れた大道芸人がいた。
人に笑顔を与える事が誇りだった彼。腕も良ければ、仕事にも人一倍情熱を持っている。
笑顔……彼自身も笑顔を絶やさない。それは笑顔を知らない奴が笑顔を与える事など出来ないという信念。
――時は1789年の3月。フランス革命の近い頃。
人に笑顔を与える事が誇りだった彼。腕も良ければ、仕事にも人一倍情熱を持っている。
笑顔……彼自身も笑顔を絶やさない。それは笑顔を知らない奴が笑顔を与える事など出来ないという信念。
――時は1789年の3月。フランス革命の近い頃。
◇
フランス北部のとある森。
その日は空が青かった。雲一つない晴天だ。
だが気温は低い、例を見ないほど低い。南で生まれた彼には、それが相当堪える。
「うひぃ……」
フランスという国はあまり寒くはならない場所だが、これは異常気象とも言うべき寒さだ。
と、そこに彼のくしゃみが響き渡る。
「くっそぉ……お、見えた見えた」
彼の視線に映るのは、森と一体化するように存在する古びた屋敷。これでも人が住んでいる。
今回の仕事は、屋敷の主の誕生パーティで芸を披露するというもの。そこそこ名の知れた貴族らしいが、貴族の趣味より大道芸が
好きという変わった人だという。
貴族なだけあり、報酬も良い。何より集まる人々も同じように大道芸好きが揃っているというので、彼は久々のやりがいがある
仕事に心を躍らせた。
しかし、本当に古びた屋敷だ。一体何年に立てられた物なのだろうかと、疑問に思ってしまう。
だが、それは遠目から見た感想。こうして近づいてみると、立派な庭が出迎えてくれる、趣のある屋敷である。一瞬お化け屋敷を
想像した彼は、一息ついて胸を撫で下ろした。
で、再びくしゃみを響き渡らせる。
――早く屋敷に入れて貰おう。
風邪を引くまいと思い、門の前に立つ。
……庭に立つ、一人の少女と目が合った。
青い髪が美しい、まるで人形のような少女だ。
その日は空が青かった。雲一つない晴天だ。
だが気温は低い、例を見ないほど低い。南で生まれた彼には、それが相当堪える。
「うひぃ……」
フランスという国はあまり寒くはならない場所だが、これは異常気象とも言うべき寒さだ。
と、そこに彼のくしゃみが響き渡る。
「くっそぉ……お、見えた見えた」
彼の視線に映るのは、森と一体化するように存在する古びた屋敷。これでも人が住んでいる。
今回の仕事は、屋敷の主の誕生パーティで芸を披露するというもの。そこそこ名の知れた貴族らしいが、貴族の趣味より大道芸が
好きという変わった人だという。
貴族なだけあり、報酬も良い。何より集まる人々も同じように大道芸好きが揃っているというので、彼は久々のやりがいがある
仕事に心を躍らせた。
しかし、本当に古びた屋敷だ。一体何年に立てられた物なのだろうかと、疑問に思ってしまう。
だが、それは遠目から見た感想。こうして近づいてみると、立派な庭が出迎えてくれる、趣のある屋敷である。一瞬お化け屋敷を
想像した彼は、一息ついて胸を撫で下ろした。
で、再びくしゃみを響き渡らせる。
――早く屋敷に入れて貰おう。
風邪を引くまいと思い、門の前に立つ。
……庭に立つ、一人の少女と目が合った。
青い髪が美しい、まるで人形のような少女だ。
「遠いところをわざわざご苦労様です」
彼より少し年上の若い執事の後について廊下を歩く。
今、彼は屋敷の中を案内して貰っている最中だ。
荷物は割り当てられた部屋に置き、こうして屋敷を回ってみる。想像以上に広く、そしてどこか暗い印象を持つ。
「いえいえ、こちらもこの仕事は楽しみにしていたんですよ」
「それは何よりです。あぁ、こちらが旦那様のお部屋でございます。現在は留守にしておりますが、お帰りになられましたら改めて
挨拶をお願い致します」
「はい」
この屋敷の主の部屋。その前の廊下には巨大な窓が張られ、前庭が一望する事が出来る。
そして彼の目に付いた、先ほどの少女。庭木を眺めるその顔。
……先ほど目が合ったときと変わらぬ顔。笑顔のない顔。
その顔が、やたらと頭にこびりついていた。
「あの、あそこにいる女の子は?」
溜まらず執事に尋ねる彼。
「ホープ様でございますか? 旦那様の娘ですが」
「娘さんだったんですか。可愛らしい子ですね」
「はい。人ではないのですがね」
当然といわんばかりの執事の口調に、彼は目を丸くした。
人ではない? 人ではないのに娘? 一体何を言っているのだろうか。
彼の頭を疑問符が駆けめぐる。
「私(わたくし)が屋敷に来る前、このお屋敷に旦那様が住み始めたときの話ですが、ある日突然旦那様の部屋に大きな鞄が
置かれており、しかもその中に入っていたのは少女だったのです。その上信じられませんでしょうが、その少女……ホープ様は
ゼンマイ仕掛けの人形なのです」
「ぜ、ゼンマイですか」
「はい。そして動き出した彼女は、まるで人のように動き、喋るのです。そして名乗った名前がホープ。確か……希望、という意味です」
希望……。
だが、彼は彼女からそれを見出す事は出来ない。
希望とは縁遠い、暗い顔だった。
「悲しげな子と思われたでしょう。ホープ様は旦那様と十年ほど付き添っていますが、ホープ様はあまり表に感情を出さないのですよ」
「何かあったんですか?」
「はい……本当の父親を思い、寂しがっている。旦那様はそう仰っておりました」
「そうなんですか……」
「はい。ですが、私はホープ様はあの儚げな面持ちが美しいと、思っていますが」
悲しみを浮かべる事が美しい。
そんな事があるのだろうか……笑顔を大切にしてきた彼にとって、それは理解しがたい言葉だ。
「失礼、お喋りが過ぎましたね。では次の場所へご案内します」
「あ、はい……」
……今、窓越しに、再び彼女と目が合った気がした。
彼の脳裏に深く焼き付いてくる、彼女の顔。
その夜、ついに寝る瞬間まで彼女の顔を頭に思い描く事となってしまった。
彼より少し年上の若い執事の後について廊下を歩く。
今、彼は屋敷の中を案内して貰っている最中だ。
荷物は割り当てられた部屋に置き、こうして屋敷を回ってみる。想像以上に広く、そしてどこか暗い印象を持つ。
「いえいえ、こちらもこの仕事は楽しみにしていたんですよ」
「それは何よりです。あぁ、こちらが旦那様のお部屋でございます。現在は留守にしておりますが、お帰りになられましたら改めて
挨拶をお願い致します」
「はい」
この屋敷の主の部屋。その前の廊下には巨大な窓が張られ、前庭が一望する事が出来る。
そして彼の目に付いた、先ほどの少女。庭木を眺めるその顔。
……先ほど目が合ったときと変わらぬ顔。笑顔のない顔。
その顔が、やたらと頭にこびりついていた。
「あの、あそこにいる女の子は?」
溜まらず執事に尋ねる彼。
「ホープ様でございますか? 旦那様の娘ですが」
「娘さんだったんですか。可愛らしい子ですね」
「はい。人ではないのですがね」
当然といわんばかりの執事の口調に、彼は目を丸くした。
人ではない? 人ではないのに娘? 一体何を言っているのだろうか。
彼の頭を疑問符が駆けめぐる。
「私(わたくし)が屋敷に来る前、このお屋敷に旦那様が住み始めたときの話ですが、ある日突然旦那様の部屋に大きな鞄が
置かれており、しかもその中に入っていたのは少女だったのです。その上信じられませんでしょうが、その少女……ホープ様は
ゼンマイ仕掛けの人形なのです」
「ぜ、ゼンマイですか」
「はい。そして動き出した彼女は、まるで人のように動き、喋るのです。そして名乗った名前がホープ。確か……希望、という意味です」
希望……。
だが、彼は彼女からそれを見出す事は出来ない。
希望とは縁遠い、暗い顔だった。
「悲しげな子と思われたでしょう。ホープ様は旦那様と十年ほど付き添っていますが、ホープ様はあまり表に感情を出さないのですよ」
「何かあったんですか?」
「はい……本当の父親を思い、寂しがっている。旦那様はそう仰っておりました」
「そうなんですか……」
「はい。ですが、私はホープ様はあの儚げな面持ちが美しいと、思っていますが」
悲しみを浮かべる事が美しい。
そんな事があるのだろうか……笑顔を大切にしてきた彼にとって、それは理解しがたい言葉だ。
「失礼、お喋りが過ぎましたね。では次の場所へご案内します」
「あ、はい……」
……今、窓越しに、再び彼女と目が合った気がした。
彼の脳裏に深く焼き付いてくる、彼女の顔。
その夜、ついに寝る瞬間まで彼女の顔を頭に思い描く事となってしまった。
◆
屋敷に到着してから2日後。主の誕生パーティまであと2週間。
その頃になれば月は4月。屋敷の庭にも、様々な花が色づく季節がやってくる。
だが、まだその彩りが訪れていない庭に、やはりあの少女……ホープは立っていた。
幾多の庭木を隔て、その姿を見つめる彼。
結局、あれからホープの悲しげな顔を忘れる事が出来なかった。気にしないと思えば思うほど、その印象は強くなる。
――仕事柄なのだろう。
彼は、いつしか彼女を笑わせてみたいと思うようになっていた。
後悔はしていない。そういう面倒な事であっても、彼はいつも通りの仕事への情熱でやり通すつもりだ。
だから、彼は隔たりを乗り越え、彼女の隣に立った。
早速向けられる、笑顔のない顔。不安の篭もった顔。
「えっと、こうして改めて挨拶するのは初めてですね。初めまして」
「……初め、まして」
ちゃんと会話は出来るようだ。それに思ったより警戒はされていない。
彼は笑顔を浮かべ。ポケットの中に手を入れた。
そして、そこから手を抜き出すと……。
「あっ」
とてもポケットには入りそうにない大きな花を取り出し、それをホープに差し出す。ちょっとキザな挨拶だが。
「まだ春には遠いので、今はこの一輪の花で我慢を。お父様の誕生日には、もっとすごい物を見せますから」
ポケットと花、そして彼の顔を順番に見比べるホープ。
一体何が起きたのか、不思議で仕方ないのだろう。
だが、やがてその不思議を突き詰めるのを諦めたのか、彼から花を受け取る。
「春になれば、この庭にも色とりどりの花が咲くんですか?」
「色々と……でも、あまり花の名前は分かりません」
「それは僕も一緒ですよ」
相手は貴族の娘。さすがの彼も緊張している。
その様子を察したのか、ホープは彼をじっと見つめて一言。
「あの、普段の口調で、構いませんよ」
「え……あっはは、バレたかぁ。堅苦しいのはどうも苦手なんだよね」
そんなに分かりやすかったのかと、苦笑いを浮かべる彼。
「今の、どうやったのですか?」
「花を出した奴? あいにく商売の事は他言無用でね、教えられないんだ」
その言葉に、がっかりといわんばかりに眉をひそめるホープ。
見た目より幼い子なのか……彼の頭に疑問が過ぎる。
「お父様の誕生日は、もっとすごいんですか?」
「うん、まだどこにも見せた事がない新しい芸とかやろうと思ってるんだ」
「……ポケットから、お城みたいに大きな物を出したりするんですか?」
「し、城みたいのは無理だなぁ……そんな物持ってたら歩けないよ」
想像していたより面白い子なのかも知れないと、彼はまた苦笑いを浮かべる。
「わたしにも、出来ますか?」
「え? まぁ簡単なのなら練習すれば……なるべく器用な方がいいけどね」
その言葉を聞き、ホープは眉をひそめる。
顔を見れば一瞬で分かった。彼女は不器用なのだと。
「えーっと……だ、大丈夫大丈夫! 練習すれば何とかなるって……多分」
「多分、ですか……」
「……うん、多分」
はっきり言ってしまえば、この仕事はセンスも重要だ。
後からついてくるものとはいえ、このセンスがなければいくら頑張っても良い芸にはならない。
彼から見て、そのセンスがホープに備わっているか……お世辞でも、そうは思えなかった。
その頃になれば月は4月。屋敷の庭にも、様々な花が色づく季節がやってくる。
だが、まだその彩りが訪れていない庭に、やはりあの少女……ホープは立っていた。
幾多の庭木を隔て、その姿を見つめる彼。
結局、あれからホープの悲しげな顔を忘れる事が出来なかった。気にしないと思えば思うほど、その印象は強くなる。
――仕事柄なのだろう。
彼は、いつしか彼女を笑わせてみたいと思うようになっていた。
後悔はしていない。そういう面倒な事であっても、彼はいつも通りの仕事への情熱でやり通すつもりだ。
だから、彼は隔たりを乗り越え、彼女の隣に立った。
早速向けられる、笑顔のない顔。不安の篭もった顔。
「えっと、こうして改めて挨拶するのは初めてですね。初めまして」
「……初め、まして」
ちゃんと会話は出来るようだ。それに思ったより警戒はされていない。
彼は笑顔を浮かべ。ポケットの中に手を入れた。
そして、そこから手を抜き出すと……。
「あっ」
とてもポケットには入りそうにない大きな花を取り出し、それをホープに差し出す。ちょっとキザな挨拶だが。
「まだ春には遠いので、今はこの一輪の花で我慢を。お父様の誕生日には、もっとすごい物を見せますから」
ポケットと花、そして彼の顔を順番に見比べるホープ。
一体何が起きたのか、不思議で仕方ないのだろう。
だが、やがてその不思議を突き詰めるのを諦めたのか、彼から花を受け取る。
「春になれば、この庭にも色とりどりの花が咲くんですか?」
「色々と……でも、あまり花の名前は分かりません」
「それは僕も一緒ですよ」
相手は貴族の娘。さすがの彼も緊張している。
その様子を察したのか、ホープは彼をじっと見つめて一言。
「あの、普段の口調で、構いませんよ」
「え……あっはは、バレたかぁ。堅苦しいのはどうも苦手なんだよね」
そんなに分かりやすかったのかと、苦笑いを浮かべる彼。
「今の、どうやったのですか?」
「花を出した奴? あいにく商売の事は他言無用でね、教えられないんだ」
その言葉に、がっかりといわんばかりに眉をひそめるホープ。
見た目より幼い子なのか……彼の頭に疑問が過ぎる。
「お父様の誕生日は、もっとすごいんですか?」
「うん、まだどこにも見せた事がない新しい芸とかやろうと思ってるんだ」
「……ポケットから、お城みたいに大きな物を出したりするんですか?」
「し、城みたいのは無理だなぁ……そんな物持ってたら歩けないよ」
想像していたより面白い子なのかも知れないと、彼はまた苦笑いを浮かべる。
「わたしにも、出来ますか?」
「え? まぁ簡単なのなら練習すれば……なるべく器用な方がいいけどね」
その言葉を聞き、ホープは眉をひそめる。
顔を見れば一瞬で分かった。彼女は不器用なのだと。
「えーっと……だ、大丈夫大丈夫! 練習すれば何とかなるって……多分」
「多分、ですか……」
「……うん、多分」
はっきり言ってしまえば、この仕事はセンスも重要だ。
後からついてくるものとはいえ、このセンスがなければいくら頑張っても良い芸にはならない。
彼から見て、そのセンスがホープに備わっているか……お世辞でも、そうは思えなかった。
芸人としては、会話に置いても上手でなければならない。
だが、先ほどのホープとの会話、彼からすれば納得のいけるものではない。
無論、普段からあんなに会話のテンポが悪い訳ではない。むしろ彼はお喋りな方だ。
しかしどうだろう、ホープを前に行えた会話はしどろもどろに苦笑い付き。
「自信なくしちゃうなぁ」
ベッドに横たわり、天井に向かって呟く。
会話だけでは笑ってもらえない。それは最初から分かっていた事だった。
しかしそれ以前の問題だ……彼女を前にして、なかなか頭が回らないのだ。
さてどうしたものか……せっかく顔を合わせたのだから、どうせなら最初に決めた事をやり通したいと思う彼。
夕食の時間を使用人に伝えられるまで、その思案は続いた。
無論、答えなど出るはずもないのだが。
だが、先ほどのホープとの会話、彼からすれば納得のいけるものではない。
無論、普段からあんなに会話のテンポが悪い訳ではない。むしろ彼はお喋りな方だ。
しかしどうだろう、ホープを前に行えた会話はしどろもどろに苦笑い付き。
「自信なくしちゃうなぁ」
ベッドに横たわり、天井に向かって呟く。
会話だけでは笑ってもらえない。それは最初から分かっていた事だった。
しかしそれ以前の問題だ……彼女を前にして、なかなか頭が回らないのだ。
さてどうしたものか……せっかく顔を合わせたのだから、どうせなら最初に決めた事をやり通したいと思う彼。
夕食の時間を使用人に伝えられるまで、その思案は続いた。
無論、答えなど出るはずもないのだが。
続