いつの日か逃げ去ってしまいたい 暗く深い夜の世界へと
暗闇が世界を満たし 凍てつくような寒い世界へと
名前を持つ者は誰もいない 生きることはお遊びではない
そこでならば 私のこの壊れきった心も隠しきれるだろう
私は 生きたい
そこでなら私は笑っていられる
魂の孤独も きっと満たされて行く
私はきっと見つけられるだろう 優しい安らぎを
暗く 凍てつくような 世界が 真夜中を迎えるころには
◆
窓から射しこんだ月光が舞台を輝かせる。
部屋の床を照らすススポットライトは何処か幻想的で、儚く妖しい。
四人のギャングたちは固唾をのんで二人の『男』が動き出すのを待っていた。
震えは手を伝わり、輝くナイフの切っ先を揺らす。リンゴォの荒い呼吸が部屋に響いた。
対峙する
エシディシは構えを取り、身を沈める。怪物の足の裏でジャリ、と力を込める音が鳴った。
ジリジリと肌を焦がすような緊張感。やがて時間の感覚が狂いだす。
何秒経った……いや、何分……何時間だ?
二人の男はそれでも動かない。
リンゴォのナイフがキラリと光を反射する。エシディシの腕輪がじゃらりと音をたてる。
怪物と達人。勝負は長くは続かない―――決まるならば、一瞬だ。
汗が伝う。
リンゴォの額から滲み出た大粒の雫。
額から頬へ、頬から顎へ。
流れ落ちていく水滴は重力に従い下へ、下へ。
顎の先で水滴は大きく、大きく。
大粒の真珠ほどに膨らんだ蕾は重さに耐えきれなくなり―――ぽちゃりと音をたて、落ちた。
風が動いた。
先に動いたのはリンゴォ、先に拳を振り上げたのはエシディシ。
リンゴォの体が大地を蹴り上げた。
直立していた身体はゆらりと陽炎のように消え、地を這うような低さから一瞬で駆けあがる。
疾風のような動きで低い体勢から一気に駆け上り、右手を一閃。
煌めくナイフが狙うは首。
フェンシングのような美しさ、しかしナイフを握った右手には確かな殺意が込められていた。
僅かながらもリンゴォに後れをとった肉体は怪物の名に恥じない超スピード。
達人級のリンゴォの動きを超越し、エシディシは既に拳を振り上げ終えていた。
必要なのは力だ。必要ならば暴力だ。
柱の男、怪物、モンスター。人間とは違う力を証明するために彼は拳を振るった。
「くッ」
怪物と人間の体格差が仇となる。命を刈り取らんと振るわれた腕は空を切る。
沈んだリンゴォはまだ浮かび上がっていなかった。
ガラ空きの胴体、密着した距離、懐に飛び込む男。ここまで深く、どこまでも近く。
エシディシの顔が驚愕に染まる。ゼロ距離―――エシディシの顔めがけ、リンゴォのナイフが天を突く。
「ッ!」
今度はリンゴォが驚く番であった。変幻自在の肉体を持つことは既に知っていた。
しかし、驚くべきはその速度(スピード)と柔軟性。
首を狙った一撃は皮一枚で逸れる。首を直角と言っていい角度に捻じ曲げたエシディシ。
笑顔を浮かべた怪物は一言。
「残念だったなァ」
唇を釣り上げ、ニヤリと笑う。
空振りに終わった一撃が、今度は外れることなく、リンゴォに叩きつけられた。
男の体は宙を舞い、部屋を横切り、あっという間に、壁に身を沈める。
怪物はふむ、と漏らし自らの拳を見つめた。
直前にリンゴォがガードをとった事、首の関節を外していたため本調子ではなかった事、視線がぶれたことで会心の一撃にならなかった事。
だがそれでもこの一撃だ。それでもこの腕力、迫力、破壊力。
大の男を軽々と、熟練の達人の一撃を避け傷一つ負わず、易々と。
怪物は本物の怪物であった。
リンゴォは身をもって知った。体の震えが警告にも近いものを発している。
コイツは、紛れもない天才だ。
怪物とは何も肉体のことを言ってるのでない。
リンゴォが試練としていくつも潜り抜けてきた殺し合い。それをエシディシは、お遊戯のように何度もこなしてきた。
それこそ、数え切れぬほど、膨大な数を―――。
「むッ」
エシディシは吹き飛ばした男を見、何かに気付き思わずうなった。そして、また笑う。
嘲りでなく、感心したのだ。
リンゴォは確かに一撃でエシディシを仕留める気でいた。しかし、ただやみくもに、何も考えずに突っ込んできたわけではない。
壁に手を突き、リンゴォは立ち上がる。左手にはナイフ、右手には銃を持って。
エシディシに吹き飛ばされることはある意味計算内。
リンゴォは見ていたのだ。床に放り捨てられた銃がキラリと輝いたのを。
ズキリと痛む胸に手をやると、リンゴォは顔をしかめる。
転んでもただでは立ち上がらないのが人間と言うモノ。銃を失ったガンマンはついに獲物を手に入れた。
殺意に染まったナイフと黒光りする銃、その二つをぶら下げるリンゴォの目には―――漆黒の殺意。
二人の戦いはまるでワルツのようだった。
銃を手にしたガンマンにエシディシは迂闊に近づけない。狙いは首元、そうわかっているから銃から目を切ることができない。
流石の怪物も部屋内という狭い空間では、発射されてから弾丸を避けることは難しい。
徐々に、だが確実に生傷がエシディシの体に増え始める。
銃を牽制に、ナイフで切りかかる。
リンゴォは粘り強く待った。戦闘の天才が格下の相手に焦れ、一気に攻め込んでくるところを。
糸を広げた蜘蛛が、蝶を待つようにリンゴォは待った―――!
「ふぅむ、気に入らんなァ……気に入らんぞ、リンゴォ」
怪物が呟く。向けられた銃口の延長線上から身をかわし、エシディシはダンスのように体を動かす。
「変わったと言ったな、俺のことを……。だが俺には、お前も変わったように思えるぞ」
エシディシの首元を狙ったナイフは空を切る。背を大きく後ろに反らしかわした怪物は、そのままバク転、その場を離れる。
向けられた銃口から逃れるように、また動き出す。
放たれた銃弾はいまだゼロ。しかし効果的だ。それでもエシディシは動きを止めるわけにはいかないのだから。
「対等な決闘の先にある『男の世界』、漆黒の意志を持った者による神聖なる儀式。試練は自分をさらなる高みに押し上げる」
「…………」
「そう言ったな、リンゴォ……。お前にとって闘いとはそういうモノだと確かに言ったな?」
リンゴォはエシディシを無視した。実際、言葉を返す余裕もなかった。
喋っている時でも怪物には一部の隙もない。それどころかリンゴォの不用意な一撃に、強烈なカウンターをかましてきた。
幸運なことに、男はこれを紙一重で避ける。
通り過ぎた蹴りは、掠めた髭を焦がすような鋭さ。リンゴォはナイフを振り、相手を牽制、一度大きく距離を取り、間を落ち着けた。
氷水をかけられたように全身に鳥肌が立つ。サウナからたった今出てきたかのように、滝のような汗が噴き出た。
「だが今のお前には違う輝きが見える。漆黒の殺意でない、何かがな……。
何があった、
リンゴォ・ロードアゲイン? 何がお前を駆り立てる?」
「…………おしゃべりな奴だ」
互いに向き合ったままジリジリと二人は円を描くように動く。
リンゴォの手がサッと動き銃口が狙いを定める。エシディシは転がるように身をかわし、襲いかかってくるナイフもさける。
縦に振るわれた銀閃を避け、飛び跳ねるとさらに距離を取る。追ってくるリンゴォに向け壊れかけの机を放り投げた。
男は怯まない。逆に加速する! 体を沈め、下を潜り抜け、一直線に怪物の元へ!
エシディシは見た。リンゴォの瞳に宿る炎は色を変え、燃え盛っていた。
全てを塗りつぶすような黒、自らを焼き尽くす漆黒の炎。その色に混じり、滲み出たのは青い炎。
灼熱より高温で、凍りつくような鋭さを持つ秘めたる殺意。
尖らせたその切っ先は仇を前に、さらなる鋭さを得る―――そして、相手の喉元に食らいつく!
『復讐者』の目―――リンゴォの新たな世界をエシディシは見た。
「MOOOOOOOOOOO!」
怪物が捕えられた。
超スピードの戦いの中でエシディシは選択を迫られていた。この体を守るに使用すべきはどちらか?
即ち、柱の男の妙技、関節外しで敵の攻撃をいなすか? 全てを飲み込む強欲な節制、イエローテンパランスで迎え撃つか?
彼は一族のプライドを取った。それに彼は激しい攻防の中で、いまだ完全にはスタンドを使いこなせてなかった。
故にリンゴォの一撃は直にエシディシを捕え、彼の皮膚を引き裂いた。
振り切ったナイフは右頬を切り裂き、部屋の壁に赤い斑点が飛んだ。
「ぐぅおおおお!」
「―――ッ!」
やみくもに振り回された拳をすり抜け、リンゴォはまた距離を取る。
ナイフでも、怪物を殺すことはできる―――確信は力となり、手段となる。
殺意に身を委ねることはしない。男はもう一度罠を張る。怪物がその手の中に飛び込んでくることを!
怪物が頬を撫でた。べっとりと付いた自らの血、真っ赤に染まった掌を見て彼は呟く。
「復讐か……? お前を駆り立てるのは、新たな道なのか……?」
「道を逸れた訳ではない。俺にはこの遠回りが一番の近道だと思える。
この遠回り、復讐者の世界にも『男の世界』はある。
この道を突き進んだ先に『男の世界』、そしてその先の輝ける道があると信じている」
男の返答に怪物は黙りこむ。熱を持った傷跡、そして痛み。人間に傷をつけられたことが新鮮に思えた。
そして彼は笑った。唇をひねりあげ、目には怪しい輝きが灯っていた。
構えるリンゴォに向かい突っ込み、怪物は吠えた。
「SHYAAAAHAAAA!」
笑う、エシディシは笑う。狂気、感情の高ぶり。
リンゴォの返答を聞き、彼の中で何かが変わった。
荒々しい動きにリンゴォは後手に回る。猛攻を押しのける力は、彼にはない。
純粋な身体能力の差が、暴力として形になっていた。
「そうか、リンゴォ! 貴様にとって復讐は男の道かッ!」
手刀が心臓を抉りださんと放たれた。リンゴォは体を横に傾け、最小限のギリギリの動き。
襲いかかってきた追撃はしゃがみ込み、避ける。
それでも怪物は止めない。ガンマンの苦悩を知ってか知らずか、嵐のような猛攻の勢いは途切れない。
一度でも間違えれば死、一瞬でも気を抜けばお終い。
(……手数が違いすぎるッ!)
ワルツは終わり、激しいタンゴに曲目は変わる。
リンゴォは唇を噛みしめる。振るったナイフも恐れずに怪物は拳を、蹴りを、手刀を。
汗が飛び、血が舞い、皮膚が切られる。
それでも致命的な一撃は受けない。だが相手に致命傷を与えることも、叶わない。
「神聖なる果たし合い、そこには復讐者の輝きもある!
怒りと憎しみ、感情込めた闘いは仇を前にさらなる高みへ自分を押し上げるッ!
そういうことなのか、リンゴォ!」
肉を切らせて骨を断つ―――多少の傷を覚悟のエシディシの攻勢。
圧倒的身体能力と超回復機能、並はずれな一撃では肌も突き破れぬ強固な肉体、豹をも超える超スピード。
だがリンゴォはそれでも前を向く。ふとすれば折れかねない心が燃え盛る。
微かな勝機……蜘蛛の糸ほどか細いかもしれない。だが、それは確かにある。
潜り抜けてきた試練、自分を高めた果たし合い。
光り輝く男の世界。眩い光を目指し、ずっと歩いてきたこの道。
ならばリンゴォは信じるのみ―――自分の世界を……『男の世界』を!
―――世界が止まったように思えた。
極限の中で研ぎ澄まされた集中力か? 滾る感情は時を破り、男を新たな世界へと押し上げたのか?
リンゴォにはわからなかった。どちらでも、何でもいいことのように思えた。
ただ全てがゆっくりに、スローモーションのような世界で彼は道を見た。
勝利の先に光り輝く世界を。エシディシが見せた最初にして、最大の隙を!
ゆっくりと右腕をあげた。闇よりも深く、暗い世界が銃口の先から顔を覗かせる。
もう手は震えていない。向けられた先はエシディシの首元。
怪物の左腕が矢を放つ弓のようにしなる。恐怖は湧いてこなかった。ガンマンの中で冷静な声が囁く。
―――貫け、奴よりも早く。
引き金に力が込められる。全てが静止したような世界。音は無く、彼の指先一つで全てがお終い。
リンゴォは躊躇しない。自分の世界を信じ、目指す先があるならば迷うことはない。人差し指に力が込められた。
銃弾は放たれ、エシディシの首輪を打ち砕く!
―――そのはずだった。そうなるはずだった。
世界が色を取り戻しエシディシの言葉がドリルのように、男の耳元からねじこまれるまでは。
「お前が言う『男の世界』とはその程度だったのか、リンゴォ!」
(乗り越えなくてはならないもの……それは相手か、俺自身か?)
「貴様には失望したぞ……決定的な矛盾をはらんだ貴様ではその世界にいられないッ!」
(『復讐者』の世界……そこには更なる輝きがある。『男の世界』に続く輝きが……)
「男の世界とは神聖なる果たし合い! 漆黒の殺意が行きつく先は相手を飲み込むか、自ら飲まれるかだけだッ!」
(卑劣さのない公正なる戦い。俺はまだ歩ける……この光輝く道を!)
「ならばッ! 一度でも相手を逃し! 自ら死に遅れた『復讐者』にッ!」
(感謝するぞ、エシディシ……対応者でない怪物よ)
「『男の世界』を歩んでいる貴様がッ! なれるわけなかろうがッ!」
ガンマンの手が、震えた。色に染まった瞳が見開かれた。
そして弾丸は、怪物の言葉に反応したのか、ほんの僅かに銃口がずれ、放たれた。
ゼロコンマ一秒、リンゴォの反応が遅れた。
引かれた引き金、放たれた銃弾。
首輪を直撃するはずだった道は横にずれていた。
しかし、それでも首輪は爆破するだろう。中心に当たらずとも、至近距離からの一発は必ずや怪物の頭を吹き飛ばす。
そう思っていた。そうなるはずだった。
怪物が操る黄色のスライムが、首輪を覆っていなければ。
音が返ってきた。時も動きだす。モノクロの世界は色を取り戻した。
そしてリンゴォの世界が急速に動き出す。
弾丸は首輪を爆破することはできなかった。それを確認すると同時に、エシディシの拳が彼を貫いた。
◆
静かだった。音が死んだのではないかと疑うほど、部屋は静まりかえっていた。
四人のギャングたちの先に二人はいる。
男は床に倒れ、その体には巨大な穴が開いていた。
どんな治療も間に合わない。致命傷だった。
怪物は何も言わなかった。倒れ伏した男の隣に立ち、ただ黙って彼を見つめていた。
「一体……どこで間違えた?」
リンゴォは苦しそうにそう呟いた。言葉の途中で激しくせき込み、口元を真っ赤に染めながら、それでも言い切った。
エシディシは黙って首を振る。リンゴォは話を続けた。
「首輪だけ……スタンドでガードしていたのか?」
「お前が首輪を狙っていたのは明らかだったからな。だがこの戦いまで、俺はスタンドをうまくコントロールできなかった。
本来持つ肉体を存分に使うか、少しだけ抑えスタンドを併用するか。そのどちらしかできなかった」
「……そう、だったのか」
「お前の言う『男の世界』は確かに俺を更なる高みに押し上げたぞ、リンゴォ。俺は一段、また高みへと近づいた」
「そう、か……俺は、俺の世界を、信じ切れなかったのか……?」
口から血をまきちらし、内臓をぶら下げ、それでもリンゴォは生きていた。倒れた体を起こそうと自らに鞭を振るう。
震えた手で上半身を起こし、膝をたてる。
誰も何も言わなかった。リンゴォが立ち上がるのを皆が待っていた。
「……お前は何も間違ってなんぞいない。復讐者にも『男の世界』を歩むことはできる。
いや、復讐者こそが『男の世界』を歩まねばならないのかもしれない」
「…………」
「お前はただ誰よりも気高くあり続けようとしたのだ。
理不尽さ、効率、結果。それらをすべて超越した世界でお前は『男』であり続けようとした。
そしてそうしようとたのはほかでもない、お前自身だ。
例え灰になろうとも、その体が燃え尽きる最後の一瞬まで、誇り高く。漆黒の殺意に燃やしつくされようとも、自分自身を貫く」
「…………」
「お前は少し急ぎすぎただけ、ただそれだけだ、リンゴォ。
『男の世界』、そこから遠回りして違う道へと向かう必要はなかった。
ここは誰でもない、お前自身が望み選んだ世界だったのだから」
「…………そう、か」
震える脚はまるで生まれたての動物のように弱弱しい。
だが倒れない。倒れてなるものか。
崩れ落ちそうになる体を気力で支え、リンゴォは前を向いた。
怪物はもう笑っていなかった。
しかし、静かな優しさを込めた頬笑みを浮かべていた。
「ならば……エシディシよ……お前が歩いて見せろ。
一族を滅ぼした我々人間の『復讐者』として……そして更なる高みを目指す『男』として」
エシディシは静かに首を振る。
「俺には俺の歩むべき世界がある。仲間の『夢』と一族の『誇り』……俺は俺の信じる道を歩きたい」
「そうか……」
リンゴォ・ロードアゲインは最後までガンマンであり続けようとした。
手にしたナイフを失っても、彼が銃を離すことはなかった。
ゆっくりと、鉛のように重い銃を持ち上げた。
エシディシは体を沈める。いつでも相手を殺しにかかれる、本気の構え。
「ならば……その道……必ず歩き続けろ」
「当然だ」
受け継がれるのは『男の世界』―――人間から、人間ではないものへ。
弾丸は今度は逸れなかった。胸のど真ん中を打ち抜かれても、エシディシは怯むことなくリンゴォに向かっていく。
右腕を力強く振りかぶる。うねりをあげた握り拳を、思いきり、振りぬいた。
「さらばだ……『男の世界』よ……」
リンゴォ・ロードアゲイン―――それは誰よりも誇り高く『男』であり続けた男の名。
【リンゴォ・ロードアゲイン 死亡】
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最終更新:2011年02月14日 03:54