上空に浮かぶ琥珀色の球体には、一片の欠損すらない。つまるところ、今宵は所謂満月なのだろう。
 煌くのは月だけではなく、数多の星達がその存在を主張するように光を放ち、無限に広がる本来漆黒の闇である空を彩る。
 昨今にしては珍しいことに、この場では天体を観測するのに望遠鏡など必要としないだろう。
 肉眼で十分事足りる。それほどに美しい夜空。雲によって、星達が遮られることもない。
 天体観測を嗜む者以外にとっても、あまりに素晴らしすぎるロケーション。
 しかし、素晴らしすぎるが故に、その夜空はどこか作り物のような雰囲気を醸し出していた。
 青白い月光が、乳白色の石製の建造物――コロッセオを照らす。
 ただでさえ、巨大な建造物であるコロッセオに一人だけという状況。
 月の青白い光、それに照らされたくすんだ白石、そして深夜の陰気さや不気味さは、広大な場所に一人だけという孤独感をさらに煽り立てるだろう。

 ――が、今ここにいる男の場合、話は別だ。

 ここにいるのは、世界各国を放浪しいろんな物を見てきた男。
 ロンドンの貧民街「食屍鬼街(オウガーストリート)」の無法者共を取り仕切っていた男。
 ゴロツキであるにもかかわらず、人一倍おせっかい焼き。
 特異な能力など持ち合わせてはいないが、人を見る目ならば何者にだって勝る。
 ガッシリとした体つき。金色の髪に、親友の師匠より譲りうけたシルクハット。顔面には、大きな傷の痕。

 その男の名は――――ロバート・E・O・スピードワゴン

 後にアメリカに渡り石油王となり、ある程度の年齢以上になれば誰だって知っている『スピードワゴン財団』を設立する男である。
 しかし今の彼には、そんな地位はない。今の彼は、まだただのゴロツキだ。
 彼はそれまで目を通していた地図を乱暴にデイパックに押し込むと、参加者名簿を取り出す。
 そして一つ目の名前を確認したと同時に、口元を苦々しく歪ませた。


 ――何が何だか、全く分かりゃしねェ。

 唐突に訪れた事態への率直な感想だ。
 俺は世界中を旅した。それこそ、色々なモンを見てきた。
 アフリカの珍しい動物だの、アジアの奇怪な植物だの、カリブ海の大木まで吹っ飛ばす竜巻だの、他にも語りきれぬほどに色々な経験を積んだ。
 それでも、俺が知らなかった世界があった。
 『石仮面』、『吸血鬼』、『屍生人』、そして『波紋』。
 石仮面を被った人間は吸血鬼となり、人間を遥かに上回る身体能力を手に入れる。
 吸血鬼は、これまた人間の脅威となる存在である屍生人を作り出す。
 その吸血鬼や屍生人を倒すのが、『波紋』ッ!
 ツェペリのおっさんの教えにより、ジョースターさんが体得した技術。
 特殊な呼吸法――俺には何度やっても出来なかった――が必要らしい。
 『波紋』は吸血鬼共の天敵。
 それを駆使して、ツェペリのおっさんの生命エネルギーを受け継いだジョースターさんはディオを倒した。世界は救われた。
 そして決戦の三ヵ月後、ジョースターさんはペンドルトン家のエリナさんと結婚。
 翌日には、二人でハネムーンに向かう……はずだった。
 見送りに遅刻しかけてた俺は、どうにかこうにか間に合い、二人の幸せを祈った。
 困ったときはいつでも、どこにいても駆けつける。そう、心に誓った。
 そして、ポコが見つけた二人のもとへ駆け寄ろうとした瞬間――見慣れぬ部屋にいた。

 戸惑ってるうちに舞台に現れた東洋人――アラキ・ヒロヒコと名乗った――が、説明を開始した。
 曰く、これから殺し合いをしてもらう。
 曰く、首輪があるから逃げられない。
 ある程度説明すると、アラキは客席で喋っている少女二人に話しかける。
 そしてほぼ同時に舞台の端に現れた女性に手を向けると、その女性が宙に浮かびあがる。
 少女――会話を聞く限り、宙に浮かんだ女性の娘らしい――の声をアラキは気にも止めず、女性はそのまままっすぐと上空へ――
 アラキが何かを言っていたが、それを気にする暇はなかった。
 目の前で死んだのだ。少女の母が。
 様々な考えが脳内を駆け巡った。咄嗟に蘇る数ヶ月前の惨劇。一夜にして七十三人もの人間が、ディオの餌食となった事件。
 またしても、『俺にもさっぱり分からない』何かが起ころうとしているのか?

 いきなり始まった殺し合い。ここで、俺はどうするんだ?
 最後の一人まで残れば、元の場所へ戻れるらしいが……

 アラキの言いなりになって、殺し合いに乗る――――ごめんだねッ!!

 あのアラキだけは、許せん!
 俺の見る限り、残虐性はともかくとして、異常性という観点ではあのディオ以上だろう。
 しかし、それでも俺はあのアラキに反旗を翻すぜ!
 俺は物を盗むが、アラキは命を盗むッ!
 そんな野郎の言うことを聞くだと? 首輪がつけられてるみたいだが、俺は犬猫とは違うぜ!
 尻尾を振って思い通りになるワケがねェ!


 そんなことを考えていたら、いつの間にかここにいた。
 落ち着いて周囲を確認して理解。ここは、知っている場所だ。
 かつて旅をしていた頃に、来たことがある。
 古代ローマ時代の建造物、コロッセオ。イタリアのローマにある建造物だ。
 ……こんなとこで殺し合えってのか?
 半ば呆れながら、アラキの説明を思い出す。

「そういや、地図が入ってるって言ってたな」

 いつのまにか持っていたデイパックを開く。
 アラキの説明通り、食料や水と一緒に地図が入っていたので開く。
 ついでに時計と方位磁石は、ジャケットのポケットにでも入れておく。
 懐中電灯も入っていたが、それは使わない。
 光を点けたせいで、この殺し合いに積極的に参加する気の奴等が来たら困る。
 何より、上空には満月が浮かんでいる。少し薄暗いが、灯りには困らない。
 ……しかしこんなに見事な満月は、滅多に見れるものじゃあねえな。


「何だってんだ、こりゃあよォ……」

 暫し地図を眺めてる内に、不意にこんな言葉が漏れちまう。
 そりゃあ、そうだ。
 俺が今いるのは、コロッセオだ。だから、コロッセオが地図に載っているのは別にいい。
 問題は他の施設名だ。
 エジプトのナイル川、イタリアのヴェネチア運河、おまけにロンドンの食腐鬼街だって!?
 滅茶苦茶もいいとこだぜ! それになんだ、この地形は? 見たこともねえ!

 ――だが……かといって、嘘ってワケじゃあねェだろうな。

 そうだ。嘘である可能性は低い。
 このスピードワゴンの目には、アラキは『楽しみを求めている』人間に見えたッ!
 嘘の地図を渡して参加者を混乱させるのが、アラキの楽しみか? いや、違うな。
 アラキの楽しみは、『殺し合いの舞台に放り込まれた人間達を眺めること』だ。そういうにおいがしたッ!
 ならば、偽の地図など配っても、意味はない。
 アラキは円滑に殺し合いが進むのを望んでいるだろうに、嘘の地図を渡したんじゃあ意味がねェ!
 本物の地図を渡した方が、遥かに殺し合いは円滑に進む。
 つまりこの殺し合いの会場は、『この地図通り』と見るべきだ。
 まっ、地図が正しいかどうかなんて、動いて確認していけばすぐに分かるんだけどな。
 地図をデイパックにしまい、参加者名簿を取り出す。

 ――頼むから、いねェでくれよ……

 心から願って、名簿を開く。
 あの人だけは、いないでくれ。
 あの人は、苦難の末にやっと幸せになったんだ。
 もう、こんな下らねェことに呼び出されたりしねえでくれ……


『会えるといいねえ、仲良しのお友達に』

 いけ好かないアラキの声が、脳裏を過る。
 うるせえ! 黙ってな!
 カウントダウン。三、二、一、零!
 閉じていた目を一気に見開く。

 一番目の名前は――――ジョナサン・ジョースター

 ギリリ、と。無意識の内に歯を軋ませていた。
 せっかく幸せになったってのに、そりゃねェだろ……
 ジョースターさんは強い。
 それこそ、俺なんか百人いたって敵わねェ。
 でも、あの人は心のどこかで、甘い。はっきり言って、甘ちゃんだ。
 ジョースターさんが殺し合いに乗るわけがねえ! むしろ弱者を積極的に守ろうとするだろう。そういう人だ。
 しかし、アラキは得体の知れない能力を持っているのだ。
 少女の母を殺した時に使った能力を。
 『石仮面』とも、『波紋』とも違う能力を。
 そんなアラキに、誰かを守ってる状態で勝てるのか……?
 ジョースターさんは言った。『人間に不可能は無い』と。
 ジョースターさんの強さは、あのディオでさえ最後には認めるほどだ。
 それでも、そんなジョースターさんでも、人を守りながら得体の知れねえアラキと戦えるかは……疑問だ。
 弱者を守るというのは、いくらジョースターさんでも相当の重荷になるだろう。
 あのアラキは、そんなことを気にせず、確実に攻撃を仕掛けてくるだろう。
 となると、ヤバイ。
 しかし……それでも…………


「――ッ!」

 不意に、脳内に電撃が走ったかのような衝撃が走った。

 ――――おい、おい、何を考えてるんだ? 俺はよォ……

 ジョースターさんが参加者を守りながら戦う? 違うなッ!!

 ――――そうだ、俺はジョースターさんに守られるために、あの人についていってるワケじゃあねェ。

 アラキとの戦闘は無理でも、母を殺された少女や、少女と話していた別の少女を保護するくらいは出来る。いや、やってみせるッ!

 ――――今までは、傍観者だった。無力だった。何も出来ねェし、してやれなかった。

 でも、誓ったのさ。
 このクソッタレな殺し合いに連れて来られる寸前に。

 ――――ジョースターさんが困ったとき、いつでも駆けつけるってな。

 そうだ。せめて守るのくらいは、俺がやる。
 ジョースターさんを戦闘に専念させてやる。
 ジョースターさんが困ったときは、いつでも、何処にいても、駆けつける?

 ――――ジョースターさんが困ってるのは、『今』だッ!! だから、今こそが動く時だッ!!


 そうと決めたら、チンタラしてる場合じゃねえ!
 名簿を無造作にデイパックに突っ込むと、さっさとアラキの言っていた支給品を確認して……紙キレ?
 そんなワケがあるか。そう思って紙を上下左右全方向から確認するが、ただの紙だ。
 それも一枚だけでなく、二枚もある。
 捨てちまおうかとも思ったが、何か特殊な使い方があるのかもしれないので、デイパックにしまいこんだ。
 さて、もう一つくらい何かあっていいはずだ。せめて武器を……
 半ば祈りながら、デイパックを弄っていると布のような感触が手に伝わった。
 紙よりマシだと一気に引っ張ると、それはマフラーだった。
 一応巻いといたら、首の防御になる……か?
 そんなことを考えていると、マフラーに巻かれていたのか紙がヒラヒラと落ちてきた。
 文字が書いてあったので、読んでみる。ふむ、どうやらこのマフラーの説明が書かれているようだ。
 なになに、『このマフラーはサティポロジア・ビートルという虫の……――――

 にわかには信じられないが、そんな道具だったのか……
 百パーセント波紋を伝える糸なんてもんが、あったとはな。
 ジョースターさんと合流次第、彼に渡そう。これだけの長さがあれば、戦術の幅も広がるはずだ。
 デイパックにマフラーをしまいこむ。かなり重要な武器となるので、丁重に。
 それを終えると、立ち上がってポケット内の方位磁石を取り出す。
 とりあえずは――繁華街にでも向かってみるとしよう。
 銃はなくても、刃物くらいはあるだろう。マフラーは素晴らしい道具なのだが、生憎俺には使いこなせねェ。
 食料も確保できれば嬉しい。殺し合いを観覧するのが目的であろうアラキが、食料に毒を盛るなんてしてないだろうが、如何せん量が少ねェ。
 それに、ジョースターさんが、波紋探知機にするためのワインを探してるかもしれねェからな。
 ついでに地図が正しいかどうかも確認するか。


 こうして、後に一世紀以上に渡りジョースター家を影から支援していく男は、『今』ジョナサン・ジョースターを影から支援することを決めた。
 これまで、守られてきたからこそ。
 これまで、自分の無力さを痛いほど認識してきたからこそ。
 その決断を下したのだ。

 ……しかしいくら焦っていたとはいえ、名簿にはもっとよく目を通すべきだった。
 そう、言わざるを得ないだろう。
 そこに記載された彼の知る名は、一つではないのだから。



【E-3 コロッセオ/1日目 深夜】

【ロバート・E・O・スピードワゴン】
[時間軸]:コミックス五巻「悪鬼の最期」にて、ジョナサンとエリナを発見した直後。
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:支給品一式(不明支給品×2)、リサリサのマフラー
[思考・状況]
基本:ジョナサン一人に負担をかけぬよう、自分も弱者を守る。
1:とりあえず繁華街に向かい、食料・武器の調達。そして、目的を同じくする物との合流。
2:地図が正確か確認する(現在も、それほど疑っているわけではない)。
[備考]
※ジョナサン以外の参加者を確認していません。

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ロバート・E・O・スピードワゴン 53:sub、sab、serve、survivor

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最終更新:2008年08月05日 23:32