一人の男がわき目もふらず、走り続けていた。
まるで一羽の鳥が飛び去っていくように家の間を影が縫ってゆく。時折聞こえる音は
サンドマンの脚が屋根をうつ音だ。
だんっ……、だんっ……、だんっ……!
リズミカルに音を刻みながらサンドマンはひたすら走る。行く当てはわからない。ただ立ち止まってはいられなかった。
立ち止まっていては何か嫌なことを考えてしまいそうで……サンドマンはただただ走っていた。
呼吸が乱れて、足がもつれる。空中でバランスを崩し、いつものスピードが出ない。ひどいものだった。
その姿にあの砂漠の健脚、サンドマンの面影はなかった。無理もない。今の彼は悩める青年、サウンドマンだ。
理想と現実のはざまに揺れ、必死で抗おうともがく青年。
故郷を愛し、故郷を背負い……しかしその故郷すらいずれ消えてなくなってしまうと知ってしまった、孤独な青年。
サンドマンは更にスピードを上げ走っていく。全身が休息を求めている。心臓と肺がものすごい勢いで稼働する。骨と筋が軋んで、鳴いた。
音は途切れない。だん、だん、だん……。それでもサンドマンは止まらなかった。止まれなかった。サンドマンはひたすらに走る。
彼は疲れが欲しかった。痛みが欲しかった。なんでもいいから気を紛らわせるものが欲しかったのだ。
感覚でもいい。感情でもいい。なんなら心奪われる風景なんて最高だろう。
なんだってよかったのだ。
ジョニィ・ジョースターが言ったあの言葉を忘れさせてくれるのであれば。
想い浮かべまいとしていた一節が、針のようにサンドマンを突き刺した。
どんなに疲れていても、どんなに身体が痛んでも、歪まなかった顔に軋みが入る。
サンドマンは苦痛に顔を歪めた。遠くどこからか、乾いた声が聞こえてくる。
―――君の部族は、もう、死んだんだ。
硬いアスファルトを蹴った時、足の裏を鋭い痛みが走った。サンドマンは奥歯をぎゅっと噛み、それに耐える。
よろけた身体をたてなおし、そのままの勢いで進んでいく。痛みはそれほど重いものではなかった。
訪れたのが唐突だったのと同じように、消え去っていくのも唐突だった。一瞬だけ走った痛みは宙に消える。
大丈夫だ、まだ走れる。誰にいうでもなく、サンドマンはそっと囁いた。まだ走れる。俺はまだ……―――。
▼
どれほど走ったころだろうか。辺りの風景が少しずつ変わり始め、やがて完全に別のものに代わっていった。
まるで別の世界に入り込んだようだった。閑静な住宅街から一変、奇妙な動物を模した像がいたるところに姿を現したのだ。
奇妙な光景だ。だが、違和感はなかった。サンドマンは脚を緩めるとゆっくりと歩きながら、テカテカと光る像を眺める。
これを作った人は一体何を考えながら作ったのだろう。像の表面をそっと撫でればそれはざらざらとしていて、意外にも生温かい。
サンドマンは口をぎゅっと閉じたまま、思う。彼の故郷にもたくさんの像がある。木で作られ、天を突くように建てられた多くの像。
物心つくころからそこにあり、自分たちを見つめるように立っていた像。
これを作った人もそうなるようにと願って作ったのだろうか。サンドマンは思った。一族を、国を見守るようにと願って作ったのだろうか。
像は何も言わなかったが、サンドマンはしばらくの間じっとそこに立ちつくしていた。
郷愁が彼を包んでいく。サンドマンの脳裏には考えまいと思っていた砂漠の風景がくっきりと浮かんでいた。
故郷を思う気持ちは民族を超えるのだろうか。サンドマンは思う。
そうかもしれない……。そこで暮らし、そこを愛せば、誰にだって故郷は大切なものになる。そしてそこは“帰るべき場所”になる。
人はいつだって、誰だって帰る場所を探しているのかもしれない。そうでなければあまりに寂しいから。
誰もいない静かなる道をたった一人で駆け抜け続ける……それではあまりに孤独すぎるから
そこまで考えて……サンドマンはグッと奥歯を噛んだ。考えてしまったのだ。
ならばサンドマンの生まれ故郷で生まれた白人たち……彼らもまたサンドマンたちと同じなのではないか、と。
白人たちとて同じだったのではないか。聖なる大地は一つだが、それになりうる故郷は人それぞれに、無数にある。
サンドマンにとっての故郷は、白人たちにとってもまた故郷になりうるのではないか。
「……だからと言って」
サンドマンは火傷をしたかのようにさっと手をひっこめると、改めて像を見る。像は突如として生々しく、グロテスクなものに姿を変えていた。
白人を赦す気はさらさらなかった。赦せる理由もない。
彼らは殺すのだろう。そして奪っていくのだ。サンドマンが守りたいと思っていたものを一つ残らず、全て。
いつのまにか止めていた脚を動かし始める。呼吸を整えるように静かに歩き出し、サンドマンは心を落ち着けようとした。
しかしそう簡単に心は静まらなかった。嫌でもジョニィの言葉が蘇ってきて、それは実像として脳の中で浮かび上がった。
山のように積み上げられた死体。池のように広がる血。腐臭を放つ砂漠の風。
額に嫌な汗が浮かんだ。サンドマンは頭を振って、映像を頭の中から追い出す。何度も、何度も。
その像がなくなるまで、繰り返し……。
―――君の部族は、もう、死んだんだ。
それはなかなか難しいことだった。砂漠の砂をすくい上げるかのような、途方もない行為。
それでもサンドマンは何とかしようと繰り返して……―――その時だった。
「―――ッ!?」
突如視界の右端から輝く閃光がサンドマンに襲いかかった。反射的に身体を捻る。右腕の上部分を鋭い爪が、サッとかすめた。
一跳び、二跳びでその場を大きく後退するも追撃者は手を緩めない。サンドマンの肩から脚にかけ、大きく切り裂かんと腕を振るう。
サンドマンは間一髪のところでこれも避ける。返しの切り上げもかわし、さらに後退する。その時ようやく襲撃者の姿を視界に捕えた。
恐竜だ。一メートル大で、テカテカと鱗を輝かせた気味の悪いハ虫類。鋭く伸びた歯と研ぎ澄まされた爪が怪しく光る。
サンドマンはスタンドを傍らに呼び出すと、迎え撃つ構えを取った。更に襲いかかってきた恐竜向かって、スタンドの拳を振るう。
直撃を喰らわせることはできなかったが、恐竜が大きく跳びはねたおかげでサンドマンに余裕が生まれた。
サンドマン、さらに後退。大きく距離を取る。さっきまで眺めていた像を踏み、さらに跳ね、そうしてまたさがる。
恐竜との間に二十メートルは距離を取る。追撃は来なかった。何を考えているのかわからない不気味なにやつき顔で、恐竜はサンドマンのほうを向いているだけ。
睨み合ったままサンドマンはあたりの気配を探った。風が動くのを感じる。もう一匹……いや、後二匹はいるだろう。
状況は予想以上に悪化しているようだった。思わず舌打ちがこぼれる。考え事をしているうちに、まんまと罠の中に飛び込んでしまったということか。
「『イン・ア・サイレント・ウェイ』ッ!」
スタンドの名を呼ぶと、その能力を発動する。あらかじめ拾い上げておいた石、葉、その他投げれそうなものに“文字を込めておく”。
何が起きても対処できるように。誰が襲いかかってこようと迎え撃てるように。
目の前の恐竜からは一切眼をきることなく、辺りの音に注意する。
そう、サンドマンはこのスタンドを“知っている”……。スタンドだけでなく、その持ち主も……。
何かが起きるはずだ……。サンドマンは思った。この絶対的有利な状況で、『あの男』が何もしないはずはない……。
そうして微動だにしないサンドマンの頭上から……突如として声がかけられる。
声の方向を見上げればサンドマンの眼に映ったのは一人の男と、その腕に抱かれ眠る少女。
ディエゴ・ブランドー、そして
ルーシー・スティール。一段と大きくド派手に輝く像の上に立ち、ディエゴが口を開いた。
馬鹿馬鹿しいほどに、丁寧な口調だった。
「やぁ、ご機嫌よう……サンドマン」
「ディエゴ……ブランドー……」
▼
黄色く細ばめられたその目は、凶暴な肉食動物を彷彿させた。獲物を逃がさんとする、捕食者の眼。
サンドマンが黙ったままいるとディエゴは口の端を歪ませ、続ける。
「思ったより元気そうで何よりだよ」
「…………」
「おいおい、そう固くならなくてもいいじゃあないか……一度とはいえ、コンビを組んだ仲だろ?」
「…………」
サンドマンは何も言わなかった。黙るサンドマンを見て、ディエゴは笑みを深める。
嘲るようでもあり、微笑んでるようにも見える。いちいち癪にさわるヤツだ、とサンドマンは思った。
そうやっていつの間にか自分のペースに巻き込んでいく。詐欺師の様な男だ。
サンドマンは右手に潜ませた小石を握りなおした。姿を現さなかったころより一段と相手の行為に注意を払う。
姿を見せないというアドバンテージを捨てた以上、必ずや何かを仕掛けてくる。ディエゴ・ブランドーとはそういう男だ。
「だんまり、か。君と組んでた時は親切にしてやったつもりなんだけどな」
「お前とおしゃべりをするつもりはない。何が狙いだ? 用があるならばさっさと済ませたい」
「やれやれ、へそを曲げられてしまった。世間話もできないぐらいに神経質とはね。
そんなに警戒しなくてもいいだろう? その右手に持った何か、おいてくれてもいいんじゃないか?
何もとって喰おうというわけじゃない。いや、俺がいくら恐竜だからって人喰いはナンセンスさァ……。
それとも……俺みたいな白人野郎とは話す価値もないってつもりか?」
「…………」
サンドマンの影が一段と濃くなったのを見て、ディエゴは満足そうに笑顔を深めた。
ディエゴ・ブランドーとはこういう男だ。まとわりつき、すり抜け、絡みとっていく。
その自信満々の態度が鼻につく。捕え所のなさが苛立たせる。しかしそれすらディエゴの策略の一つにすぎない。
戦うのであれば冷静でなければならない。相手にするのが間違いなのだ。
サンドマンは一旦視線を外すと、そっと息を吐いた。少しだけ気持ちが落ち着いた。
つっかかってくるとディエゴは予想していたのだろう、感心したように唸る。サンドマンは口を閉ざす。何を言っても無駄だろう。
挙げ足を取られ、口車に乗せられるだけだ。表情を変えないように心を空っぽにする。顔の皺ひとつ曲げないようにサンドマンは気をはらった。
ディエゴが口を開く。ゆっくりと、そして仰々しく。
「それか、ああ……―――」
しかし直後の一言が全てを変える。
その時、ディエゴの顔にはこれ以上ないほどの爽やかな笑みが張り付いていた。
思い通りだと言いたげであった。ならば……とディエゴはわかっていて、敢えてそうしたのだろう。
そうしたほうがサンドマンが傷つくと。サンドマンが動揺すると。確信して。
「さては、サンドマン……君、死んだ後から呼び出されたのかい?」
サンドマンの中で再び時が止まった。ジョニィ・ジョースターの言葉を聞いた時のような、真っ暗な何かが彼を見返していた。
▼
「いま、何て、言った……?」
「おや、違ったのか。だとしたら失礼なことを言ってしまったなァ……忘れてくれ、“サウンドマン”」
「……今なんと言ったかと聞いている。答えろ、ディエゴ・ブランドー」
ディエゴの隣に立つ恐竜がせわしなさそうに身体を振った。ディエゴはその上にルーシーをそっと横たえると、顎に手をやり微笑んだ。
沈黙が焦燥を駆り立てる。サンドマンは拳をぎゅっと握りしめた。ディエゴの顔に浮かんだあの笑顔、それをなんとかして剥ぎ取ってやりたいと思った。
ディエゴの顔に張り付けられた、あの勝ち誇ったような笑顔……ッ! 何かしないと爆発してしまいそうだった。
握りしめた拳をすり抜け、小石がボロリと砕けていった。
ディエゴはわざとらしくため息を吐き、これ以上ないほどもったいぶって頭を振った。
劇団員にでもなったつもりだろうか。サンドマンの中で苛立ちが募る。仮にせっついたとしてもディエゴが口を開くことはないだろう。
面白がって余計もったいぶられるだけ……。そうわかっていても……そうわかっていても尚、サンドマンは口を開かずにいられなかった。
ディエゴの言葉を確かめずにはいられなかった。
「“俺が死んだ後”……。つまり俺は死ぬのか。いつ死ぬんだ? どうやって死ぬんだ?」
―――まさかお前が俺を殺したのか。
思わずその問いかけが零れ落ちかけた。それは考えられる未来の一つ。
サンドマンの歴史は大統領と取引をし、ディエゴとチームを組んだところで止まっている。あの直後にサンドマンはこの場に呼び出されたのだ。
サンドマンは知らない。ジョニィ・ジョースター襲撃は失敗に終わるのか成功に終わるのか。そもそもジョニィは遺体をサンドマンに引き渡すか。
いや……それはない、とサンドマンは否定する。
ジョニィのあの鋭い眼光を思い出す。あの男がみすみす遺体を引き渡すなんてことがあり得るだろうか?
いいや、ない。ならば自分は戦ったのだろう。ジョニィ・ジョースターとサンドマン……そして裏に控えるディエゴ・ブランドー。
二人がぶつかり合っているところをディエゴが掻っ攫った? 負傷した隙をつき、サンドマンは用済みと切り捨てられた?
ありえる。十二分にあり得る未来だ。サンドマンはただただディエゴの返事をまった。重々しく、更にもったいぶるであろう男の言葉を待つ。
「ジョニィ・ジョースターだ。お前を殺したのはジョニィだ」
だからこそ、何でもないようにあっさりと言いのけられたその言葉はより衝撃的だった。
サンドマンはしばらくディエゴが何を言っているのか理解できなかった。
ジョニィ? ジョニィ・ジョースター? あのSBRレースに参加していて、つい今さっき会話を交わした? あの青年が? 俺を?
サンドマンの動揺を読み取ったディエゴがにんまりと笑う。嫌な笑みだ。下劣で、品の悪い笑み。
優雅に像から飛び降りると慣れ慣れしくサンドマンに近づいてくる。サンドマンが咄嗟にスタンドを構えなければ肩を組みかねない勢いだった。
少し距離を取って立ち止まると、ディエゴは頬笑みを浮かべたまま口を開いた。面白がっている口調だ。それがサンドマンの神経を逆なですると、承知の上で。
「その顔、さてはジョニィと会ったんだな。いつあった? まさかついさっきだなんて言うんじゃないだろうな?
なんてこった、些かできすぎってものだろう! 自分が殺そうとした相手! 自分が殺された相手!
そんな男とついさっきまで一緒にいた……俺だったらあまりのことに震えるね。寒気だってする。がたがたしちまうぜ」
「…………」
嘘を言ってるのではないか。
サンドマンはディエゴの顔を見つめ、そうも考えた。だがディエゴ嘘をついて何の得をする?
無論ディエゴが信用に値する男だなんて、そんなことは思っていない。だが、それでもサンドマンはディエゴを頭が回る男だと思っていた。
少なくとも下手にばれるよな嘘をつく男ではない。こんなサンドマンがジョニィに尋ね、それだけで崩れる……そんな雑な嘘をつく男では。
「言っておくが、本当のことだぞ」
サンドマンの考えを見透かしたように、ディエゴがそう言い放った。
口調はまじめそのものだった。ニヤつき顔は豹変し、真剣そのものの表情でディエゴは言った。
一瞬、サンドマンはディエゴの言葉を信じかけてしまった。まさにその感情の上げ下げこそがディエゴの策略だと知っていながらも。
しばらくの間、二人とも口を開かなかった。聞こえてくるのは時折ディエゴの隣に立つ恐竜がうなる声、ルーシーがその上で揺れおきる衣擦れの音。
静寂は一分にも満たない短いものだったが、とても長く感じられた。サンドマンを見つめるディエゴ。足元をじっと見つめ、俯くサンドマン。
サンドマンは理解する。
―――そうか、俺は殺されるのか。あのジョニィ・ジョースターに、新たな道を授けた男に、俺は殺されるはずだったのか。
はじめは微かなものだった。ディエゴは最初サンドマンのその変化に気づかなかった。
風のさえずりかと思えた僅かな音。その後に気づいたのは細かな揺れ。ディエゴが気づけば、サンドマンの肩が細かく揺れていた。
何かに堪えるように、感情の起伏を押さえつけるように。
ディエゴはサンドマンにばれないよう、ほんの少しだけ鼻に皺を寄せた。
―――笑っている……? この状況下で……サンドマンが?
サンドマンは笑っていた。声をたてることもなく、歯を見せることもなかったが、肩を揺らし、彼は笑っていた。
それはあまりに壊れきった、疲れ切った笑みだった。とても淋しげな笑顔を彼は浮かべていた。サンドマンは沈黙の一分間、その笑顔をずっと貼り付けていたのだ。
あまりに自分が馬鹿らしく、あまりに何もかもが理不尽で……。もう投げやりな気分で、サンドマンはただ笑うしかなかった。
―――俺は死ぬんだ。殺されるんだ。あのジョニィ・ジョースターに殺される。
怒りがないと言えば嘘になる。ジョニィに対する怒りだ。何故お前は殺した相手にああも素直になれたのか。優しくなれたのか。
俺を殺した罪悪感はなかったのか。よくもぬけぬけと自分と話せたものだ。肝の据わったあの眼はそういうことだったのか。
そうやってジョニィに問いただしたかった。八つ当たり気味に、そう言い放ってやりたかった。
だがそれ以上に……それ以上の虚無感が、サンドマンを覆っていた。厚さもわからない、黒い膜のようなものが彼を覆う。
足元が不安定にゆがんだ。硬い地面に立っているはずなのに、まるで揺れる水面を歩くかのようだった。
こんな短時間の間にこうも俺は立て続けに衝撃を受けないといけないのか。そうサンドマンは自嘲的に思った。
はじめは民族の終わり、続いて自分の死。どちらも自分をひっくり返すには充分な衝撃だ。充分過ぎて、何かもを放り投げたくなるほど。
何故自分は戦っているのだろう。何のためのあのレースだったのだ。
何のためにあれほどの苦しみに耐えたのだろうか。何のために民族全員に追いまわされ、物辛く当てられ、悲しい迫害を受けてきたのか……。
サンドマンの中でわき上がったのは虚しさだ。ゴールのない迷路をただひたすらに歩くかのような、そんなずっしりとした虚無感。
民族が死ぬ、一族が滅ぶ。なるほど、それはサンドマンが危惧した起こりうる未来だった。
それを避けるため必死で走り、殺しに手を染める決意をし……そしてこれからもそのために走り続けようとした。
命をかけ、人生をかけ……今度はその上“自分も生き残る”という更なるハードルをかしてでも成し遂げようとした。
だがそれでも一族は滅ぶ。そして自分は死ぬ。それもジョニィ・ジョースターの手で。ディエゴ・ブランドーに利用され。
お笑い草だ。あまりに惨めだ。それはサンドマンの一族が辿る未来、それの縮図そのものではないか。
白人どもに翻弄され、白人どもに利用され、白人どもに殺される。不都合な真実は隠され、それを告げるのも白人。新たに道を与えたのも白人。
白人、白人、白人、白人……ッ! 滑稽だ! あまりに滑稽じゃないか!
ならばサンドマンが今まで成し遂げたことは何だったというのだ?
今までやってきたこと全部……! 得てきたもの全て……! 身につけたもの、努力したもの、成し遂げようとしたもの、全部、全部、全部…………ッ!
全て、文字通り! ただレールの上を走ってきただけじゃないかッッ!!
与えられたコースに沿い、進んできただけ。自ら選んだと思われた道は……ただ切り取られたトラックでしかなかったのかッ!
考えれば考えるほどおかしかった。そして惨めだった。自分が。そして一族が。
自分たちはどうあがいても死ぬ運命でしかないというわけか? “神”に愛されていない人間には生きる価値もないと?
それが“白人の愛する神”が……選んだ道だとッ……!?
ディエゴは笑顔も、神妙さもその顔からはぎ取ると、ただまっすぐサンドマンの顔を見た。
サンドマンの顔に浮かんだ表情は、見ているほうが心痛むような、悲しげな笑顔だった。泣きたいのを押し殺した先に浮かんだ、歪み切った笑顔だ。
尤もディエゴはそんな彼に同情する気など、一切起きはしなかったが。
「お前の言葉を信じよう、ディエゴ・ブランドー」
「……それはどうも」
「それで、信じた俺に何か言うことでもあるのか?」
ディエゴは肩をすくめた。状況を察するに今から何を言っても無駄になるだろうと思えた。
たった今サンドマンの葛藤を見せられた以上、これから口にしようとすることに彼が賛成するとは思えなかった。
「俺ともう一度組まないか」
「断る」
「だと思ったよ。やれやれ」
乗馬メットからはみ出た髪を撫でつけると、ディエゴはため息を吐いた。
どうも調子が狂う。色々計算外のことが起き、面倒なことになったな、というのがディエゴの本音だった。
最初はからかい半分、搦め手半分のつもりだった。サンドマンはどうやら色々知らないらしい。これは利用できる。ヤツの興味を引き、なんとか利用してやろう……と。
そんな軽い言持ちで話しだしてみれば……なにやらジョニィ・ジョースターと色々あったことがサンドマンの表情から読みとれた。
悲しみ、苦しみ、虚しさ。そんなところか。
馬鹿らしい、とサンドマンの耳に届くないよう、口の中で呟いた。
何を悩む必要があるのだ。何をそんなに苦しむことがあるのだ。
ならば勝てばいいだけじゃないか……ッ! スティール・ボール・ラン・レース? 百万ドルを超える賞金と名誉?
それすらが馬鹿馬鹿しくなるほどの商品が、今目の前に転がっているではないか。あのスティール自身もそう言っていた。
たかが“レース”が“殺し合い”に変わっただけのことだ。ならば悩む必要などない。
勝てばいい。奪えばいい。それだけのことだ。そしてディエゴはそのつもりだ。
―――尤も、俺は大人しく“受け取る”だけで満足するつもりはないがな。
「白人の傲慢さにはもはやあきれ果てた」
脈絡もなく、突然サンドマンがそう呟いた。途端にディエゴは一歩踏み下がり、指笛を吹く。辺りに潜んでいた恐竜に合図を送る。
傍らに立っていた恐竜がその音に反応し、鼻をぴくぴくと鳴らした。そして背中に乗せたルーシーを落とさないよう、二人から離れた位置に飛び下がる。
野性動物でも感じ取れる、不穏な空気が辺りを漂っていた。ディエゴを睨むサンドマンの視線は鋭かった。
そして……何もかもを乗せたように重苦しく、どす黒かった。
ディエゴはそんな視線をそよ風か何かのように軽く受け止めると、首の骨をならし、軽く肩をまわしていた。
戦いの前の準備体操と言ったところか。そこに緊張や重荷を感じ取ることはできなかった。
ディエゴにとって何かを奪う、誰かを打ち倒すということはあまりに軽い、当たり前の行為に思えた。
「組むつもりもないのなら不戦条約は?」
「却下だ」
「“領土不可侵条約”も?」
「馬鹿にするな、“白人”」
「ウィットに富んだジョークと言ってほしいね。俺はイングランド出身だからな」
ニヤッと笑みを見せたディエゴ。その口元で鋭く尖った歯が輝いた。人間にしてはありえないほど、鋭い歯。
サンドマンが腰を低く下ろす。ディエゴが爪と爪をぶつけ合わせ、カチカチという音が辺りに響いた。
空気が張りつめていく。風が奇妙な動き方をした。像と像の間を通り抜け、二人の頬を優しく撫でていく。
サンドマンが口を開く。
「もう何も信用できない」
「それは俺が白人だからか?」
「信じられるの自分だけだってことだ」
「それが白人に与えられた知識を前提に下した判断だとしても?」
「例えそうだとしてもだ」
「なら俺としても仕方がないなァ……」
一瞬の空白。呼吸を整える瞬間、静寂が降る。
「俺が引導を渡してやる、野蛮人」
「一族を舐めるな、白人風情が」
ディエゴの姿が一変する。全身を鱗が覆い、身体が縦に一気に伸びる。
サンドマンの傍らに立つスタンドが、その身体につけた羽を震わせた。まるで踊っているかのようだった。サンドマンの一族が戦いの前に踊りを踊るように。
両者の足元から砂埃が舞った。地を蹴り、弾丸のように空を跳んでいく。
叫び声が重なり合う。ディエゴが爪を振るう。サンドマンが拳を突き出す。
戦いの始まりだ。
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最終更新:2013年03月07日 20:05