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―――戦いは長く続かなかった。結末はあっけないほど簡素で単純だった。
戦いの図は追うディエゴ、逃げる
サンドマンの形。
サンドマンは冷静だった。冷静に自分の不利な状況を受け入れ、そして最善の策を取った。
即ち、逃げながらの各個撃破だ。目に見えただけでディエゴを含め二匹の恐竜。ディエゴの性格から考え、まさかそれだけでお終い、というわけはないだろう。
一対多は避けられない……。ならば可能な限り、自分の有利な状況を作り出す。一度に多数を相手にするのでなく、できるだけ一対一の状況を作り出すのだ。
そのためにサンドマンは走った。像と像の間を風のようにすり抜け、乾いた大地を思いきり蹴りあげ、颯爽と駆けていく。
走り出すと、像越しに右側から迫って来る恐竜が見えた。左後方にも二匹、その姿を現す。そして背後からはディエゴ本人、ルーシーを背中に乗せた二匹。
「……全部で五匹」
進路を左に切り、円を描くように駆けていく。ジグザグに像の間を抜け、途中で急に反転。踏み越えたり、出し抜いたり……サンドマンはまずは恐竜たちの包囲網を崩そうとした。
だが恐竜たちはサンドマンのかく乱作戦に粘り強くついてくる。立ち止まりはしても、すぐに気を取りなおしたように包囲網を引き直す。
司令塔のディエゴの裏をかかない限り、ヤツらの連携は破れはしないということか。
「ならば……」
サンドマンは低い体勢のまま、こっそりと指の間から小石を滑り落とした。隠し持っていた木の葉もカムフラージュできるよう、落ち葉に紛らす。
追いすがるならばその足を奪うまでだ。音を乗せた攻撃でまずはその足を駄目にする。そして負傷し、足並みが崩れ、バラバラになったところを一人ずつ、始末する!
サンドマンがスパートをかけ、速度を上げる。たちまち恐竜たちの姿が後方に消え、同時にに叫び声があちこちから挙がった。
それは苛立ち気な声であったり、悪態をつくような鳴き声だったり……。察するにサンドマンの作戦は上手くいっているようだった。
まきびしのように巻いた音、罠のようにひそめたスタンド攻撃。絶えずついてきていたディエゴの姿も消えた。かく乱作戦は成功だ。ここからはサンドマンが追う番だ。
スピードを緩めブレーキ、そして反転。サンドマンは元来た道を引き返すと恐竜たちを探し始める。
小石や葉に込めた音はそれほど大きいわけでない。モノ自体が小さいため、ダメージはせいぜい足の裏に傷をつける程度だろう。
しかしそれで十分だ。痛みに足を止めたならば、包囲網が崩れ、連携が取れなくなり……あとはそこを一匹ずつ殺っていく。
サンドマンの眼光が暗く、鋭くなった。狩られる側から狩る番へ。攻守交代だ。
音と叫びを頼りに一匹ずつ処理していく。あっけないものだった。分断された個の恐竜たちは、あまりにもろく、簡単に倒れていった。
自慢の動体視力も脚が満足に動かなければ意味がない。身体がついて行かず、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の拳を受け一匹、また一匹と倒れていく。
ある恐竜は最後まで必死であがき、ある恐竜は懇願するように泣き叫んだ。哀愁を誘う姿であったがサンドマンは容赦しなかった。
一切の慈悲もなく、スタンドの拳をその鼻先に叩きこんだ。恐竜たちは音を込められ、バリバリと身体を二つに裂かれながら絶命した。
「これで、三匹目……」
どさっ、と音をたててその身体が地面に倒れた。足元に広がる血を目にも留めずサンドマンはすぐに走り出す。
残るはディエゴ本人と、その近くにいた一匹のみ。油断はできない。やはり一番注意すべきはディエゴ本人だ。
風が通り抜けていく。今のサンドマンは冷酷ッ! 残忍ッ! 白人に対する、逆恨み的なテンションが彼の体を突き動かしていた!
少し開けた場所まで出ると一旦立ち止まり、辺りを伺う。音は聞こえず、空気も震えない。
ディエゴはどこにいるのだろうか。まさか逃げてはいないだろうか。
「俺を探しているのか?」
再び声が頭上から降り注いだ。最初の時と一緒だ。サンドマンは反射的に声のほうを見上げた。
見下ろすディエゴ、見下されるサンドマン。状況はディエゴ不利だというのにその気配はみじんも感じさせない。
いつもの余裕さ、優雅さを携え、ディエゴは静かにサンドマンを見下ろしていた。傍にいた恐竜も今はいない。
一対一、絶好のチャンスだ。サンドマンは脚に力を込めた。像の上だろうとこの距離ならば一跳びで詰められる。
「まァ、待てよ。サンドマン」
遮るように、ディエゴは掌を向けると言った。サンドマンの出鼻をくじくように言葉を続ける。
「戦って改めて思ったが、君は相当の実力者だ。称賛に当たる。ここで殺すのはあまりに惜しい」
「…………」
「俺の自慢の恐竜たちがいつの間にか三匹もやられた……ほとんど音もなく、気配も感じさせなかった。見事だぜ。
暗殺稼業でも開けば売れっ子間違いないな……。羨ましいね。ランナーからの転職をお勧めするよ」
「御託はいいからさっさとかかってこい」
「まぁ、待て。そう慌てるなよ……ッと!」
音速で飛んできた小石を器用にかわし、ディエゴはにやりと笑った。こんなときでも笑顔を崩さないその余裕はどこから出てくるのか。
サンドマンはもう一度握っていた石を放り投げる。と、同時に本命の攻撃、音を込めた木の葉も上から舞わせる。
だが全て読み切ったかのような動きで、ディエゴはそれすらもかわした。
よく見ればディエゴの身体には傷一つ、ついていない。これまでの恐竜たちとは違い、サンドマンの音を込めた攻撃を全てかわしたということなのか。
「君が始末したのはあくまで偵察隊だったってことさ」
答えるように、ディエゴがそう言った。
「まさかと思うが恐竜たちがたったこれだけで打ち止めだなんて考えていないだろうなァ、サンドマン?
君を追わせたのはあくまで一部隊でしかないんだぜ。先見隊ってヤツだ。おかげで俺はこの通り、傷一つない」
「…………」
「いやいや、恐ろしいスタンドだ。何て言ったかなァ……そうそう、『イン・ア・サイレント・ウェイ』だったか?
迎撃にはうってつけだ。なんせスタンドの攻撃がスタンドの攻撃らしく見えないんだからな。
音を込めたのは石とか枝とか砂とか……そう言ったものだったんだろうな。
恐竜たちが走ってる途中に呻き声をあげながら倒れていく様は異様だったぜ。もしもあれが俺だったらって考えると……背筋が凍るね」
「…………」
「そう、迎撃にはうってつけ……だがこうやって向かい合ってのサシの勝負ではどうなるのかなァ!?」
言葉を言い終えた瞬間、ディエゴが動いた……! 他の恐竜たちとは比べもにならないスピードだッ!
「WRYYYYYYYYYYYY!!」
「『イン・ア・サイレントウェイ』ッ!」
スタンドの拳をすり抜け、音を込めた投擲も全てかわされる。圧倒的な動体視力だ。そしてそれを可能にさせる身体能力もまた、超ド級ッ!
スタンドのラッシュを潜り抜け、ディエゴがサンドマンに肉薄する。迎え撃つように飛び出たため、避けるのは難しい。
サンドマンは前に傾けた身体を宙で思いきりのけぞらせる。エビ反りのような苦しい体勢だ。顎先をディエゴの鋭い爪が通っていった。
苦し紛れに身体を捻り、蹴りを繰り出す。ディエゴはそれすらもかわす。持ち合わせていた投擲を全て放り投げ、距離を取る時間を稼ぐ。
「無駄無駄無駄無駄ァ! 眠っちまいそうなほどスローだぞ、サンドマンッ!」
だがそれすら無意味だった。あまりの速さにサンドマンの眼にはディエゴの姿がダブッて見えた。
サンドマンの顔が苦痛にゆがんだ。熱ゴテを押しつけられたような、鋭い痛みが脳を揺さぶる。
ディエゴの爪が彼の腕を切り裂いていた。右の上腕、深い筋肉の繊維までざっくり。
続いて頬の肉をごっそりと奪われる。爪跡が真っ赤に染まり、鮮血が舞った。こちらも痛い一撃だ。
口の中まで切り裂かれ、一瞬だけ呼吸が止まった。息をするたびに血の味と臭いがする。
ディエゴは止まらない。畳みかけるように、爪を、そして牙を振るう……!
サンドマンは地面をけり上げた。走るためでなく、砂を使った眼つぶしのため。しかし苦し紛れの雑な一発だ。
当然のようにディエゴはこれすらも避ける。砂粒、一粒一粒が見えているような動きだ。
立ち止まることなく、更にサンドマンに襲いかかるディエゴ……ッ! 鋭い爪を頭上高く振り上げる……!
「『イン・ア・サイレント・ウェイ』」
―――その時、サンドマンがそっと囁いた。
ディエゴが手を伸ばせば届くぐらいの距離にいるにもかかわらず、彼の眼は怪しく輝いている。
その目線はディエゴに向いていない。ディエゴは気づく。後ろだ。サンドマンは後ろを見ている……!
―――次の瞬間、影がディエゴを覆った。ディエゴを丸々押しつぶすには充分すぎるほど、大きな影。
ディエゴは振り向いた。振り向かずにはいられなかった。
そして振り向き、その視界に映ったのは……根元からぽっきりと折れた像だった。
ここはタイガーバームガーデン。金色に輝く怪しげな像はそれこそ百を超えて展示されている。
見る者が見ればそれは全部一緒に見えるだろう。旅行者でもない限り、注意をはらわない置物。ただの風景と一緒だ。
木や葉、ただそこにあるものでしかない。
しかしあらかじめそれを罠として利用しようと思っていたならば……?
走りながらも像に触れ、それを一つの武器として利用としようと思っていたならば……!
「WRYYYYYYYYYYYYYYYY!」
「ぶっ潰れろ」
どれだけ反射神経が優れていようと。どれだけ身体能力がぬきんでていようと。
脱出不可能な攻撃はある。それ以上の質量、物量で上から蓋したならば、逝きつく先は二つに一つだ。
ディエゴに残された選択肢は、スタンド構えるサンドマンに真正面からぶつかっていくか、そのまま像の下敷きにされるか。
そしてどちらを選んでも……タダで済むわけがない。
砂に音を込め、最後の一押し。完全に折れた像がディエゴを押しつぶさんと降りかかる。
ディエゴは動かなかった。ディエゴが選んだのは不動。
迎え撃つサンドマンのほうには向かわず、ディエゴはその場で踏ん張った。
脚に力を込め、腕をあげる。像を受け止めようと全身に力を込める……!
―――ズゥゥゥゥウウウウウンンンン…………ッ!
地面を揺るがすほどの音が響き、砂埃が舞う。サンドマンの見る眼の前で、黄金の像が完全に落下した。
脱出は不可能だった。出ていく影も見えなかったし、像が持ち上がるようなことも起きなかった。ディエゴは像の下だ。
サンドマンは唇をほんの少しだけ曲げた。罪悪感はないが、気持ちのいいものではない。殺しを楽しいと思ったことは決してない。
ただ必要だったからしただけ、それだけだった。気分は晴れなかった。サンドマンはその場を立ち去ろうと、踵を返した。
ジワリと広がる血の池が不愉快だった。たとえ外道の血であろうと、大地に血が流れることは決して歓迎できるものではない。
沈黙が辺りに降りそそいだ。木の葉がそよぐ音すら、辺りには聞こえなかった……。
「おい、サンドマン! いや、ミスター・サウンドマン!」
静寂を破り、突如として聞こえてきた声。ありえないはずのその声に足が止まった。サンドマンは振り向いた。
ディエゴの姿は見えない。黄金に輝く像がそこにあるだけで、声だけがどこからか聞こえてきた。
よくよく耳を澄ませばその声はどうやら像の下から聞こえてくるようだった。どうやって、とサンドマンは思った。
下敷きになればただで済むはずなんてない……! 脱出も不可能だ。逃げ道なんてない事はサンドマン自身がこの眼で、確かに見ていたはずだというのに!
サンドマンが冷静になるまで、長くはかからなかった。よくよく眼を凝らしてみるとディエゴが何をしたかがわかってきたのだ。
滲んだ血はディエゴのものではない。像が完全に落下したにしては隙間がやけに大きい。
サンドマンは用心しながらその場にしゃがみ、隙間を覗き込んだ。そしてやはりそうか、と納得する。
そこにいたのは恐竜をつっかえ棒のようにし、苦しそうな笑顔を浮かべたディエゴだった。
あの瞬間、ディエゴは一瞬だけ像を支えたのだ。自らが操る恐竜を呼び出す一瞬、その時間だけあれば十分だった。
あとは恐竜を盾に像の落下を待つだけ。勿論恐竜はただでは済まない。しかしディエゴは無事だ。
「いやいや、お見事だ。完全にやられたよ。完敗だ、完敗。
言い訳の一つも出ないぐらい、真っさらな敗北だ。お手上げ、お手上げ」
「こんなときだっていうのによく回る舌だ」
「なぁに、すぐに殺されないってわかってればこれぐらいの余裕は出てくるさ」
その通りだった。サンドマンにディエゴを殺す気はない。“今は”まだ。
サンドマンが尋ねる。
「ルーシー・スティールはどこだ?」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、ディエゴはニヤッと笑った。
「俺が素直に答えるとでも?」
「答えないのであれば今度こそ完全に押しつぶしてやる」
「できるものならば、どうぞ」
無言のまま、しばらくの間二人は見つめ合った。折れたのはディエゴのほうだった。
「オーケー、オーケー、降参だ。わかった、君に従おうじゃないか。流石の俺も今回は分が悪い」
音もなく、一匹の恐竜が姿を現す。ルーシーはその背中に乗せられていた。まだ恐竜が残っていたのか、とサンドマンは驚いた。
この様子からすればまだ二匹、三匹……いや、それどころかもっと潜んでいるのではないだろうか。
ディエゴにばれないよう、さり気なくあたりを伺ったが影は見えなかった。油断はできない。
いまだ余裕の見えるディエゴの様子が不気味だった。絶体絶命の危機、サンドマンのさじ加減一つで死ぬのはディエゴだというのに。
追い込まれているのはディエゴのほうだというはずなのにッ!
「丁重に扱えよ、貴重な情報源なんだからな」
ディエゴの神経質な声が聞こえたが、サンドマンはそれを無視した。
恐竜の背中から、そっと地面に横たえる。ルーシーはいまだ眼を覚まさない。
幼い横顔を見つめながらサンドマンは少し躊躇いを感じた。
なんだってやってやる、そう決意したはずだった。
SBRレースに参加すると決めた時、暗殺の依頼を受け入れた時、ジョニィの話を聞いた時……。
分かれ道はたくさんあったはずだ。そして今ここに立っているのは自分が選んだから。
だが、これ以上頑張って何になるというのだろうか。こんな小さくて幼い少女を利用して……それはまるで“白人”と同じじゃないか。
何も知らない、ただ巻き込まれただけの人間を利用する。
サンドマンは
ルーシー・スティールを知らない。ただスティーブン・スティールの妻であるということしか知らない。
だが妻であるならば……きっと何かを知っているだろう。仮に知らないにしても、主催者であるスティールとの繋がりはルーシーが一番太いのだ。
利用してやる……。何も知らないだなんて言わせない。
拳をぎゅっと握りしめ、サンドマンは決意を確かなものにする。そうだ、やってやる。なんだってやってやるとも。
例えそれが無垢な少女を踏みにじる行為になろうとも……。白人たちと同じ、下劣な行為をすることになったとしても……!
サンドマンは振り向くと、ディエゴがいるであろう、像の下を睨みつけた。
そうだ、ならばまずはヤツからだ……。
動けない無抵抗の男を殺す。もはや子供同然の無力で哀れなあの男を、躊躇いなく殺す。
なぜなら……殺らなきゃ殺られる。先に拳を振り上げたのは……お前たち、白人のほうだからだ。
サンドマンは一歩、前に踏み出した。像の下は影に隠れ、ディエゴの様子はわからない。
わからないほうがいいのかもしれない。せめて痛みだけはなく、葬ってやる。それが最大限の礼儀だろう。
サンドマンは更に脚を進めた。像に近づき、そのそばにしゃがみ込み、そして……―――
ルーシー・スティールの腕が、サンドマンを貫いた。
▼
サンドマンの口から血が溢れた。とめどなく血が流れ、全身から力が抜ける。
なんとか立とうと力を込めるが、それは無駄だった。柔らかな地面を爪先が虚しくひっかいた。
崩れ落ちるようにサンドマンの身体は倒れ、そして二度と起き上がれなかった。
ルーシーは平らな表情のままサンドマンの体から腕を引き抜くと、何も言わず彼を見下ろしている。
サンドマンはようやく気がついた。
ルーシーの肌に浮かんだ鱗。奇妙に縦長の瞳。鋭く尖った爪と歯。そうだったのか、と言葉が口から零れ落ちた。
同時に派手に咳こむと、サンドマンは大量に血を吐いた。内臓を貫かれているのだ。もう長くはないことを理解した。
恐竜化したルーシーが機械のようにぎこちない様子で脚を進めると、像の傍にしゃがみ込む。
ただの少女ではびくともしないであろう像に手をかけると、彼女は軽々とそれを持ち上げた。
ディエゴはゆっくりと像の下から姿をあらわにする。身体を伸ばし、服についた血を気味悪そうに眺め、そしてサンドマンの傍に立つとニヤつき顔で口を開いた。
「気分はどうだ」
「最悪だ」
「俺は絶好調さ、野蛮人」
最初から全て計算づくだったのだろう。
サンドマンがルーシーを利用しようとしていることをディエゴは見抜いていたのだ。
そしてルーシーの安全が保障されるまで自分が殺されないことも、ディエゴはわかっていた。わかっていたからこそ、こうなった。
サンドマンは奥歯を噛んだ。今にも死にそうなほど、弱弱しかった。
ディエゴは鼻を鳴らすと、サンドマンを見下ろした。一切の躊躇いも、慈悲も……情けをかける気配を微塵も感じさせなかった。
先のサンドマンとは対照的な冷え切った眼が彼を見下ろしていた。俺もそうすればよかったのかもしれない、とサンドマンはぼんやりと思った。
ディエゴのように冷徹であれば。ディエゴのように全て割りきっていれば。ディエゴのように開き直って、自らのためだけに動けたならば……。
意味のない仮定だった。全ては終わってしまったことだった。
それでもサンドマンは血の池に沈みながら、静かに思いを馳せた。
あったかもしれない未来と、その手から滑り落ちた希望。どこで間違えてしまったんだ、と呟きがこぼれ出た。
何がまちがっていたのだろう。レースに出ることがまちがっていたのだろうか。
やはり一族のしきたりを守っていればよかったのだろうか。白人を理解するには白人らしく、そんな考えが神の逆鱗に触れたというのだろうか。
あの時、あの時、あの時、あの時……。走馬灯のように記憶がわき上がって止まらない。
サンドマンの頬を涙が伝った。悔しかった。砂漠にある、全ての砂粒ほど多くの後悔がわき上がって、感情がせきを切ったように溢れた。
サンドマンは吠えた。大声をあげて、残された力を振り絞って拳を振り上げ、最後の一瞬まで足掻いた。
意味のないことだってわかっていた。どうしようもなく愚かで、惨めで……それがわかっていて一層やりきれなかった。
ディエゴの冷たく、憐れむ瞳を真っ向から見返す。呆れてはてる彼に向って呪いの言葉を吐き続けた。
喉が張り裂けるかと思うぐらい大声をあげた。ただ服を汚すだけとわかっていても、血まみれの拳で、脚で、ディエゴの体を殴った、蹴りあげた。
潔さなどかなぐり捨て、最後の一瞬までサンドマンは抵抗を続けた。ただディエゴを煩わせただけにすぎなかったのかもしれない。でもそうせずにはいられなかった。
ディエゴがその鋭い爪を振り上げる。照りつける太陽が顔に影を落とし、彼がどんな表情をしているかはわからない。
サンドマンはその顔を睨みつけた。もう声を挙げることもできなかった。喉が潰れて、呻き声すらあげられなかった。
しゃがれた声で最後の言葉をつぶやく。誰の耳にも届かないぐらい、か細い声だった。
最後に一粒だけ雫が、頬を伝っていった。
「姉ちゃん……俺は、……―――」
ディエゴが腕を引き下ろした。肉を裂く、ザクッという小気味いい音が辺りに響き渡る。
そしてそれっきり、何も聞こえなくなった。
▼
腹が減っていては戦いはできない。
ディエゴはデイパックを開くと、味気ない食事をほうばりながらルーシーの眼ざめを待った。
辺りには血のにおいが充満していた。恐竜の血、人間の血、野蛮人の血……食欲を削ぐようなむせかえるほどの血の臭いだ。
だがディエゴは一向に気にしない様子で淡々と手をすすめた。
ぼうっと頭を空っぽにして、久方ぶりに頭も体もリラックスさせる。辺りの警戒は恐竜たちに任せている。
完全には信用できないが少しの間だけならば大丈夫だろう。ディエゴは何を見るでなく、何を考えるでもなく、ただ機械的に食事を終えた。
ディエゴは気づかない。いや、はたして彼がいつも通り注意深く、狡猾であったとしても……彼はそれを見て何を思っただろうか。
きっと何も気にしなかったに違いない。そう言うこともあるのかと首をすくめるか、馬鹿にしたように唇を曲げるか。
ルーシー・スティールの頬を涙が伝う。声を殺し、喉を押さえ、彼女は一人涙する。
ルーシーは震える手を抑えるように、そっとその両手で自らを抱き寄せた。血から漂う血の臭いに思わずせき込みそうになったが、グッとこらえた。
ディエゴがサンドマンを殺したのだ。そう開き直るのは簡単なことだった。
だがどれだけそう信じても、どれだけそう言い聞かせても……こびり付いた手の感触が、血の臭いが、微かに残った記憶が、音が、映像が……。
ルーシーは涙した。肩を震わせるでもなく、声をあげるでもなく、静かに涙する。
最後の最後に力を振り絞った一人のインディアンが乗せた音。それは誰にも届かず宙に消えることなく、しっかりと少女の体に刻まれていた。
呪いの言葉だ。どれだけこの世を恨んだ事か、どれだけ未練を残しこの世を去ったのか。どれだけの想い、どれほどの気持ち。
それら全てが一つに集約され、ルーシー・スティールの体に刻まれていた。必死で伸ばした腕は、もしかしたら望まぬ相手に届いたのかもしれない。
ルーシーは想う。こっそりと涙をふき、髪の毛を整えると、眼を開いた。
誰もが必死で生きたがっている。誰もが何かを成し遂げたいと願っている。
ならばどうして救われないんだ。神様はいったい何を見ているのだろうか。
救いを求めて、必死であがいて……なのにどうして。なんで。誰も救われず、こんな虚しい結末しか用意されていないのだろう。
サンドマンに託されたのはきっと偶然でしかないのだろう。
いや、サンドマン自身、きっと託したなんて思ってもいないだろう。無我夢中で伸ばした手がルーシーに触れた、ただそれだけのことだ。
だがそれをルーシーは偶然ですませたくなかった。そこに何か意味を持たせたかった。何かをしてあげたかった。
そうでなければ……あまりにインディアンの彼が、可哀想だったから。
よろめく身体を起こし、眼を見開いた。ディエゴは彼女の眼ざめに気づくと、いつも以上ににこやかな笑みを浮かべた。
ルーシーは何も言わず、ディエゴを見返した。後ろ手に回すと、拾い上げたサンドマンの形見をこっそりポケットに忍ばせた。
「お目覚めか、プリンセス」
「馬鹿な呼び方しないで頂戴」
「最初ぐらいは上品にさせてほしいね。なんせ君の出方次第で、いくらでも野蛮なことになるんだからな」
すぅと細められた眼を睨みつける。黄色く鋭い目に怯みそうになるが、ルーシーは堪えた。
像から優雅に跳び下りたディエゴが迫る。体が震え、思わず後ずさりそうになる。だけどルーシーはそうしなかった。
彼女より孤独で、気高くて、立派に戦いぬいた男が……ついさっきまでいたのだから。
その生きざまを彼女は受け継いでいこうと決心したのだから。
ディエゴに向かって逆に一歩踏み出した。僅かだが、ディエゴの表情に驚きの影が走ったのをルーシーは見逃さなかった。
ここじゃ場所が悪いわ。そう呟いた。それを聞いたディエゴが指笛をならす。途端に恐竜が二匹、とんできた。
ディエゴ・ブランドーを“出し抜いてやる”……。
なんとも無謀で、呆れるような無理難題。だがしかし、やり遂げてやる。必ずや、やってみせる。
振り落とされないよう恐竜の首に固く腕を回し、ルーシーは思った。その目はもはや脅えた少女のものでなかった。
芯を持ったひとりの人間として、戦う一人の人間として……怪しいまでの輝きを、ルーシーはその目に宿していた。
二匹の恐竜がタイガーバームガーデンを去る。そしてそこには誰もいなくなり、侘しいまでの砂埃が一人、通り抜けていった。
【サンドマン 死亡】
【残り 61人】
to be continue......
【E-5 タイガーバームガーデン / 1日目 午前】
【ディエゴ・ブランドー】
[スタンド]:『スケアリー・モンスターズ』
[時間軸]:大統領を追って線路に落ち真っ二つになった後
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:
基本支給品×4(一食消費)地下地図、鉈、ディオのマント、ジャイロの鉄球、ベアリングの弾、アメリカン・クラッカー×2
ランダム支給品2~5(ディエゴ:0~1/確認済み、ンドゥ―ル:1~2、サンドマンが持ってた
ミラション:1、
ウェカピポ:0~1)
[思考・状況]
基本的思考:『基本世界』に帰る
1.人気のない場所を探す。その後ルーシーから情報を聞き出す。たとえ拷問してでも。
2.
ギアッチョの他の使える駒を探す。
3.別の世界の「DIO」に興味。
[備考]
ギアッチョから『暗殺チーム』、『ブチャラティチーム』、『ボス』、『組織』について情報を得ました。
【ルーシー・スティール】
[時間軸]:SBRレースゴール地点のトリニティ教会でディエゴを待っていたところ
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、形見のエメラルド
[思考・状況]
基本行動方針:スティーブンに会う、会いたい
1.ディエゴを出し抜く。
[備考]
※フライパン、ホッチキス、百科事典、基本支給品×1(食料消費1)、サンドマンの死体がタイガーバームガーデンに放置されてます
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最終更新:2013年12月19日 10:05