開け放した窓から雨の臭いがした。風は吹いていない。雨の臭いだけが部屋の中にそっと忍び込んでいた。
雨が降っている。目を凝らさないとよく見えないぐらいのきめ細かい雨。
ジョルノは窓越しにそれをじっと見つめていたが、ふと思い出したように手もとの時計へ目を落とす。
濡れる街、薄暗い空。時計の針は短針が九を、長針が六を指していた。気が滅入りそうになる午前九時半だ。BGM代わりの雨音が店内に響いている。
ここはダービーズ・カフェ、ジョルノがミスタと合流を約束した場所。窓際の席に腰かけたジョルノは何も言わず、雨打つ街を眺めていた。
聞こえるのはしとしとと降りそそぐ雨の音、少し低めの天井にとりつけられたファンが回る音。そして朝食にがっつく男たちの声。
ジョルノの真正面に腰かけたミスタが派手に食器を打ち鳴らし朝食を堪能する。
隣に座ったミキタカも一度として手を止めることなく、皿に盛られた料理に食らいついていた。よっぽど腹が減っていたのだろう。
「それでよォ、ミキタカのやつ、いきなり俺を担いで走り出すもんだから……」
「ミスタさんはそんなこと言いますけど、ほんと危なかったんですよ! 私、冗談じゃなくて死ぬかと思いました」
口の中をからにした途端、ミスタがフォークを振り上げ大袈裟にそう言った。
頬についたパンの欠片に気づくことなく、彼は如何に自分たちが大変な目に会ったかをジョルノに語って見せた。
その話の内どこまでが本当で、どこからが誇張されたものなのだろうか。
時折入るミキタカの的確な突っ込みに、ジョルノの頬もついつい緩む。そうやって会話を交わす二人の姿が面白くて、ジョルノは少しだけ頬笑んだ。
いつも通りの朝だ……そう勘違いしてしまいそうになるほど辺りは平和に包まれ、何事もなく進んでいるように見えた。
「それでまた最後になァ……って、オイ、ジョルノ! 聞いてるのかよ!」
「ジョルノさん?」
「すみません、少しぼうっとしてました。あまりに平和すぎて、つい……」
霧雨の向こうに向けられた視線。影は見えなかった。
店内を見直せばどうしたって空いている椅子のことが気になる。ミスタ、ミキタカ、ジョルノ……そして誰も座っていない四つ目の空席。
ジョルノは
ウェザー・リポートの事を考えた。
少しだけ辺りの様子を見て来る。そう言い残して、ウェザー・リポートはまだ帰って来ていない。
『何かあったら雨が教えてくれる……心配するな、俺は弱くない。それに“何もわからぬまま”死ぬ気もない』
カフェを出る直前にそうウェザーは言っていた。ミスタ達と入れちがいになるような形で、ウェザーは霧けぶる街に姿を消したのだ。
控え目ではあるが確かな自信と確固たる意志がウェザーの口調には込められていた。
きっとジョルノの考えすぎなのだろう。すぐにでもウェザーは帰って来る……。
ミスタとミキタカの笑い声がどこか遠くで聞こえた様な気がした。話に集中できない。薄い雨音がジョルノの頭にゆっくりとしのびこむ。
ウェザーは強い。間違いなく強い。だがそれでもジョルノは彼が無事帰って来てくれるかは、確信が持てなかった。
復讐心と失った過去。カフェを出ていった
蓮見琢馬とエリザベス。ウェザーの憂いを含んだ横顔がちらつく。
見回りというものは何かの口実でしかないのかもしれない。ひょっとしたらウェザーに帰って来る気はないのではないか。
ジョルノにウェザーを止める権利はなかった。背負うべき過去を失ったわけでもない、ジョルノには。
―――カラァァン……
その時、唐突にベルの音が響いた。店内が一瞬凍りつく。ミスタも、ミキタカも、ジョルノも、三人はそろってはたと動きを止めた。
扉のほうを向けば全身を雨で濡らし、立ちすくむ男の影が見える。ウェザー・リポートだ。ウェザーは約束通り、帰ってきた。
だがミスタとミキタカはウェザーのことを知らない。ウェザーもミスタとミキタカの顔を見ていない。
戸惑い気味の三人に慌ててジョルノは互いのことを紹介した。ウェザーに空いている席を勧め、簡単な自己紹介をすませる。
「
グイード・ミスタだ。ミスタでいいぜ。よろしくな」
「ウェザー・リポートだ。ジョルノに話は聞いている。ミスタと……、それとアンタは?」
「よくぞ聞いてくれました。私、実は宇宙人なんです……―――」
ミスタがウェザーの手を握る。ミキタカは馬鹿丁寧なお辞儀を繰り返していた。
ジョルノはそっと横目でウェザーの様子を伺った。これといって変わりは見えなかった。ウェザーは二人と何事もないように、淡々と会話を交わしている。硬さも見られない。
案外人見知りしない人なのかもしれない。ジョルノは椅子に深く座りなおすと、気のせいだったか、と誰に聞かれるわけでもなく、呟いた。
―――雨が少し強くなったような気がする。
雨音にまぎれながら飛び込んでくる三人の会話を聞き、ジョルノは顔をしかめた。
さっきから何かおかしい気がする。理由のわからない違和感だ。もどかしさと不安。顎をゆっくりと撫で、考える。
だが見つからない。“何か”がおかしいはずなのに、その“何か”が見つからなかった。気を紛らわすように会話に集中しようとするがそれすらもうまくいかない。
ジョルノは舌打ちしたくなる気持ちをぐっとこらえた。何なのだろうか、この違和感は。
違和感の始まりはミスタとミキタカにウェザーのことを言ったころからだったような気がする……。
詳しい説明は省いたものの、もう一人仲間がいると真っ先にジョルノは言った……。信頼できる仲間、ウェザー・リポート。
琢馬とエリザベスは引きとめられなかったがウェ―ザは残ってくれた……。
これといった理由はないが、直感的に頼りになる仲間だとわかった……。そうジョルノはウェザーのことを説明した。
ミスタとミキタカを何も言わず、そんなものかと受け入れてくれた。事実今だってこうやって四人で今後のことを話している……―――。
“四人”で、今後のことを……――――――。
「……待って下さい」
三人の会話に割って入るよう、唐突にジョルノは言葉を口にした。訝しげな表情で三人がジョルノを見る。ジョルノ自身も口にした自分に驚いていた。
だが“それ”は“おかしなこと”だった。“ありえない”ことだった。
三人の雰囲気がどうだとか、せっかくのうちとける機会だとか……それを越えてでも聞かずにはいられなかった。
ジョルノは立ち上がると、きっかり三歩だけ、距離を取った。そして隣にゴールド・エクスペリエンスを呼び出す。
この間合いならばジョルノのほうが早い。仮に誰かがスタンドを出したとしても、拳銃を振り上げたとしても、それはスタンドを叩きこむ十分な隙になるだろう。
唇を一舐めすると、ジョルノはミスタを見つめ口を開いた。困惑した表情のミスタ、不思議そうに首を傾けるミキタカ。そしていつも通り無口で無表情な、ウェザー・リポート。
「ミスタ……僕の思い違いならばそれで構いません。考えすぎだとしたらそれはそれで笑い話になるでしょうし、むしろ僕はそれを期待しています」
「おいおい、どうしたんだよ、ジョルノ。いきなりなんだ、何か俺、変なことでもしたか? それとも何かヤバい事か? まさか……敵か?」
「……ウェザーは“四人目”の男なんですよ、ミスタ。なんで貴方はそんな風に彼に打ち解けられるのですか?」
自分で言いながらも馬鹿らしいと思った。きっと言い終ると同時にミスタは笑いだすだろう。ウェザーとミキタカは何を言っているんだと混乱するだろう。
そうであってくれ、むしろジョルノはそう願った。自分のこの些細な違和感がくだらないジョークとして終わって欲しいと心から思った。
もしかしたらミスタはわかっていて敢えてそれに触れなかったのかもしれない。自分のジンクスを押し殺してでもウェザーを歓迎してくれているのかもしれない。
だが聞かずにはいられなかった。店の外の天気のように、薄く霧がかった不安がジョルノをまとわりついていた。
何か不気味な違和感が……、湿りついた異常なぎこちなさが……。ジョルノの心に張り付き、離れなかった。
そして…………――― ―――……瞬間
ミスタの顔から表情が滑り落ちる様に消えた。一瞬何もかもが停止する。沈黙が針のようにジョルノを突き刺した。
背中の産毛が一斉に逆立つ感覚。隣に立つミキタカも不自然なまでにピタリと動きを止める。ウェザーも動かない。
一瞬のうちに、ジョルノの世界が全て凍りついた。
「な……ッ! ま、まさか…………!?」
跳ねあがるように飛び下がれば、机が倒れ、椅子が転がった。ジョルノは慌てて三人から距離を取り、そして違和感に気がついた。
音が遠く聞こえたのだ。倒れた椅子がゆっくりと宙に浮いた気がした。フローリングの上で跳ねあがったはずだというのに何も聞こえない。
そしてなにより……身体にぶつかった感覚がなかった。痛みすら感じなかった。そのことがジョルノの中で焦燥と、そして同時に確信を生んだ。
「これはスタンド攻撃…………ッ!」
誰にいうでもなく、自分自身に言い聞かせるように叫んだ。信頼できるはずの仲間は何も言わなかった。
ミスタも、ミキタカも、ウェザーも。案山子のように突っ立ったまま、ガラス玉のような眼でジョルノを見つめていただけだった。
それが尚更不気味だった。自分が知っていると思っていた仲間たちが、不気味な何者かにすり替えられたことがなによりも恐ろしかった。
ジョルノは叫んだ。自分自身を目覚めさせるように、喉が壊れんばかりに叫んだ。
「幻覚だッ! このスタンドは……僕に幻覚を見せているッ!」
◆
ウェザー・リポートが最初に理解したことは自分が誰かに殴られた、ということだった。
電流を流されたような痛みに身体がビクリと反応し、背中を強く打ちつけた感触が身体中を駆け巡る。
ガシャン、と家具を倒れる音も聞こえた。きっと殴り飛ばされた拍子に椅子や机をなぎ倒してしまったのだろう。
じわりと痛みが広がるとともに意識が覚醒していく。混乱する頭でまず考えたのは現状の把握だ。
殴られた。左頬を殴られた。そして椅子や机のあった場所に突っ込んだ。だけど誰に? そしていったい何故? そもそもここはいったいどこだ……?
鉛のように重たい瞼をこじ開けると異様な様子が目に飛び込んできた。あまりに不思議な光景だった。
ウェザーが今いるのはダービーズ・カフェだ。ジョルノと一緒に朝食とった場所。しかし朝食を取ったさっきまでと比べて、その様子はあまりに異なっている。
天井に取り付けられたファンは止まり、その先から不気味な液体が滴り落ちる。天井も壁も床も……全て水浸しだ。
椅子や机、ウェザーの体までびっしょりと濡れている。そして僅かではあるが、溶けている。服も、家具も。全てがまるで使いかけの蝋燭のようにただれている。
カフェ全体が何かの胃の中かの様な、そんな不気味な光景だった。ウェザーは頭を振って意識をはっきりとさせた。それでも目の前のその光景は変わらなかった。
「ウェザー・リポート…………」
机に突っ伏したままのジョルノがそう呻いた。ジョルノの状態もひどい有様だった。
液体に覆われ、謎のドロドロが彼の体という体を濡らしている。とても弱っている。息をするのも苦しそうだ。
ウェザーは立ち上がりジョルノを助けようとしたが、ウェザー自身も消耗が激しかった。“ただれ”は彼自身をも覆っている。
立ち上がりかけたウェザーをジョルノは視線だけで押しとどめた。助ける必要はない。ジョルノはそう眼で訴えた。
息も絶え絶えにジョルノが言う。
「スタンド攻撃です……僕たちは、幻覚を、見せられていました」
ウェザーは自分を落ち着けるように大きく深呼吸を繰り返した。冷や汗が額を伝った。唾を飲み込めば、大きな音をたてて喉が鳴った。
そうだ、自分はカフェを出て見回りに出たはずだ。心配そうな顔をしたジョルノを安心させるよう、自分のスタンドを少しだけ見せたことも覚えている。
雨がやめば自分の危機を知らせてくれる。そう言ってカフェを後にして……それで、それから……。
―――ならいったい何故自分はカフェにいる?
重たい頭に痛みが走る。全てが混乱していた。全ての記憶があいまいで、ごちゃごちゃにされている。
スタンド攻撃で幻覚を見せられていた。ならばどこからが『幻覚』で、どこまでが『幻覚じゃない』んだ?
いや、待て、そもそもこの状況、このスタンド……俺は“知っている”。実際にこのスタンド攻撃を受けたことがある……?
馬鹿な。そんなことなら覚えているはずだ。だがしかし、忘れたこともあるかもしれない……?
それすらもしやこのスタンドの幻覚が見せたことかもしれなくて…………ウェザーは頭を振って、奥歯を噛んだ。
なにもかもがわからない。駄目だ。今の自分は何かを考えるには混乱しすぎていたし……なによりひどく頭が痛んだ。
万力で締められているかのように、ひどい頭痛がした。
「行ってください……僕は、もう限界です。
なにかが……『決定的な』何、かが僕、の中から失われてしま、ったよう な…………」
痛む頭と歪んだ視界。ウェザーは思う。今、何か影を見た気がする。ジョルノの後方、窓の外を駆け抜けていった影が見えた様な気がした……!
よろめく身体をおこし、ジョルノが突っ伏す机までなんとか辿り着いた。ジョルノを起こそうとその身体に触れ、ウェザーは愕然とした。
冷蔵庫に入れられたようにジョルノの身体は冷たくなっていた。まさかと思った。しかし僅かにではあるが脈はある。呼吸もしている。ただ意識は……ない。
―――俺は、この病状を……知っている?
ノイズがかかったように視界の中を砂嵐が通り抜けていく。ウェザーは強烈な眩暈を感じた。
ジョルノを助け起こし、隣の部屋のソファになんとか寝かしつけるその間も、脳にかかった霧が晴れることは起きなかった。
あたまが痛い、割れるように痛い。いっそのことジョルノの隣の床に倒れ込んでしまいたいぐらいだ。
大きく唾を飲み込むと、ウェザーは目を瞑り意識を取り戻す。駄目だ。そんなことはできない。
ジョルノは言った。“奪われた”、“決定的な何かを奪われた”と。
そうやって奪われている間にも、ジョルノはウェザーを救いだした。幻覚から覚めたのはジョルノがウェザーを殴り飛ばしたからだ。
ジョルノがいなければ、やられていたのはウェザーだったのかもしれない。ジョルノはウェザーを庇ったのだ。
身体を溶かしながら、致命的な何かを奪われながら……ジョルノはウェザーを救いだした。
「すぐに助けに戻る。待っていてくれ」
よろめく身体に鞭をうち、ウェザーはカフェを飛び出した。雨は止んでおらず、薄い雨の向こうに虹がかかっているのが見えた。
ウェザーは走る。辺りを見渡し、怪しげな人影が見つかりやしないかと目を凝らし、走り続ける。
ジョルノはウェザーを救った。精神的にも、そして肉体的にも。この短い数時間で二度も、彼は救われた。
ジョルノがいなければウェザーは過去に囚われたままだったかもしれない。エリザベスが見せた確固たる意志、琢馬が見せた気高い意志。
あの時ウェザーが感じたのは自己嫌悪と劣等感だ。ジョルノはそれをなんでもないことだと慰めてくれた。些細なことだが、それは確かにウェザーを救ったのだ。
ジョルノがいなければあの幻想の中に囚われたままだったかもしれない。そして気づかぬうちに体全身を解かされ……そのまま死んでいたのかもしれない。
「ジョルノ……」
ジョルノを放っておけるわけがない。ウェザーは拳を握りしめ、固く誓う。
同時にウェザーは徐倫のことを思い出していた。守りたかった一人の女の子。
どこかジョルノに似ていて、そしてウェザーの知らぬところで逝ってしまった女の子。
ジョルノは未来を見据えていた。だから脚を止めなかった。だから過去を振りかえらなかった。
徐倫はいつも希望を抱いていた。現実に立ち向かう時、脚が止まってしまいそうな時……いつだって彼女は希望を見つめていた。
震える脚に鞭をうつ。徐倫のことを思い出すと勇気がわいてきた。ジョルノのことを考えれば頭痛のことなんて吹っ飛んだ。
今度は間にあわせる……! また間に合わなかったなんて……“三度”失うだなんて、もうごめんだ……!
ジョルノを死なすわけにはいかない……! 絶対に、絶対に! もう誰一人死なすものかッ!
ウェザーは一人街を走っていく。どこへ知れず、ただ己の勘と運を信じ、走り続けた……。
◆
雨が降っていた。
エンリコ・プッチはそんな雨の中、微動だにせず、全身を濡らしている。
吐く息が白い。雨は相当冷たい様子だ。だがプッチはそんなこと気にも留めていない。それどころか雨が降っていることにも気づいていないのかもしれない。
プッチの足元には一人の女性が寝そべっている。目は固く閉じられ、手足がだらりと投げ出されている。一目には眠っているようにも見える。
プッチがそっと言った。囁くような口調だった。
「……君は“運命”というものを信じるかね?」
返事も待たずにプッチは続ける。
「
ホット・パンツ、もしも君が私に出発を促すようなことしなければ……。もしも君がダービーズ・カフェでなく、DIOの館に向かっていれば……。
もしも君が店内の様子を伺った時に
ジョルノ・ジョバァーナに気づかれていれば……。ウェザー・リポートに気づかれていれば……。
もしも君がそのまま私に相談することなく、二人に接触していたならば……。もしも私がスタンドを使わずに、二人に対して交渉することを選択していたならば……。
もしもジョルノ・ジョバァーナが、あのDIOの息子でなかったならば……ッ!」
プッチの手には一枚のDISCが握られていた。微かではあるがその表面に写っているのはジョルノ・ジョバァーナの顔だった。
それはジョルノの記憶DISCだ。たった今の今までプッチがその中身をのぞいていたDISC。
プッチは少しの間何も言わず、ただそこに立っていた。誰かの返事を待っているようにも見える。勢いを増した雨が彼の顔をうち、水滴がその顎から滴り落ちた。
「君は聖女だ、ホット・パンツ……。巫女であり、祈りの人であり、しかし私にとって君はそれ以上の存在となった。
君は私を導いてくれた。君の選択が、そして運命が、私をここまで連れてきた……! それはもはや奇跡ではなく運命だ。
君の運命が私を押し上げた! ジョルノ・ジョバァーナ! DIOの、あのDIOの息子との邂逅をッ!」
静かな興奮がプッチを包んでいる。震えているのは寒いからではない。激情が彼を震わせていた。
ホット・パンツを見下ろすプッチの視線は慈愛に溢れている。彼は心の底から思っているのだろう。
ホット・パンツが成し遂げたことが彼の考えた通りであると。彼女こそが聖なるものであるに違いないと。
「ここに教会を建てよう。君のための教会だ」
プッチの口調が早くなる。隠しきれない興奮が彼を突き動かした。
一度大きく息を吸い込むと、プッチは呼吸を整えた。彼は自分が興奮していることを恥じた。
聖職者は焦らない。聖職者は冷静でなければいけない。大切なのは尊厳だ。厳粛さだ。
再びプッチが口を開いた時にその口調はいつもの控え目で厳かなものに戻っていた。
しかし押し隠した感情はやはり言葉に飛び出る。声が震えた。意図せずとも頬が緩む。
「人と人の出会いは運命だ。なるべくしてそうなったもの。
だがそれを運命と片付け、得意げに鼻を高くするのは神に対する冒涜だと私は思う。
私たちは祈るべきなんだ。感謝するべきなんだ。君のような存在に……。それを導く神と、その全てに……」
誰も何も言わない。プッチの独白にホット・パンツが返事をするようなことは起きなかった。
しかし代わりにプッチは振り向くと霧雨の奥に見える影にそっと問いかけた。
“彼”がそこにいることはとっくに気がついていた。いや、彼がここにやって来ることはわかっていた。
プッチに言わせたならば……それもまた“運命”なのだから。
「なあ、そう思わないかい……ウェザー・リポート?」
ザァザァ……という雨音にまぎれ、革靴が地面をうつ音が響いた。
うっすらと映っていた影が濃くなり、やがてプッチの目にはっきりと像となってその姿が映った。
険しい顔のウェザー・リポートが姿を現す。プッチの顔を真正面から睨みつけると、ウェザーは十メートルほど離れた場所で立ち止まる。
隠す気もないほどに、その表情は憎しみに塗られていた。奥歯を噛みしめ、その隙間からひねり出すようにウェザーは言う。
「ジョルノに何をした」
「聞くまでもなくお前はわかりきっているだろう」
「DISCを返せ」
「それはできない」
そこで会話は途切れ、雨音が二人を包んだ。睨み合う視線、絡みあう感情。
プッチは見下すような、憐れむような目線でウェザーを見つめ、ウェザーは今にもプッチを殺さんばかりの凶暴な目で見返す。
雨が強くなったような雰囲気が辺りを包んだ。しかし雨脚は強くなどなっていない。
二人の敵意と、戦意が辺りの緊張感を高めていた。それはあまりに強烈で、宙を落ちる雨粒がはじけ飛びそうなほどだった。
何も言わず、二人はただ睨み合っていた。長い長い沈黙の後、唐突にプッチは視線を切ると、ふぅ……と息を吐いた。
瞳を閉じ、腰に手を当てる。聞きわけの悪い修道士に説教をするような感じでプッチは言った。
「私は全てを赦そう、ウェザー・リポート」
そして付け足す。
「いいや……、“ウェス・ブルーマリン”」
ウェザーは何も言わなかった。反射的に彼は右手で頭の後ろ辺りをそっと撫でた。そこに入ったであろう、自らの“記憶”を確かめるように、優しく。
プッチに言わせるならば、それすらも“運命”であった。全てがこのために用意された、こうするべきだから導かれた一つの事実。
ホット・パンツがジョルノとウェザーを見つけることも。ジョルノがDIOの息子だったことも。そこにウェザー・リポートがいることも。
そして……プッチに支給されたランダム支給品が『ウェザー・リポートの記憶DISC』であったことも……!
「我が弟よ、私は全てを赦そう」
ウェザー・リポートは何も言わない。ずっと睨みつけていた視線を足元に落とすと、彼は俯き、唇をかんだ。
何を言うべきか、長い事ウェザーは悩んでいた。言いたいことが多すぎた。突きつけたい感情は溢れるほどあった。
ウェザー・リポートがぎゅっと拳を握った。腕が震える、唇がわななく。これほどに感情が高まったことは生きていて今が初めてだった。
ペルラに恋をした時よりも……。ペルラにそっとお別れのキスをした時よりも……そして彼女が、死んだ時よりも……、ずっと……。
結局出てきた言葉は何の意味も持たない言葉だった。それが今のウェザーには限界だった。
「なんのつもりだ……?」
そう問いかける。プッチはため息を吐き、あきれた様子で返事をする。
「だから言っているだろう……私はお前を赦す、と。お前が望んでいるものを私は差し出そう。
記憶を返した、それはそれがお前の望みだったはずだからだ。記憶を取り戻す前のお前が何よりも望んだこと。
そして記憶を取り戻した今、お前が望んでいることは……」
その時、辺りを静寂が包んだ。雨音がやんだ。時間が止まったような感覚がウェザーを襲う。
プッチの体から影が飛び出る。薄い膜のような影。反射的にウェザーは腕をあげ、頭を庇う。
音が聞こえない。超速で浮き上がったホワイト・スネイクがウェザーに迫る。強く地面をけり上げたプッチの体が宙を舞うと、影がウェザーを覆う。
上空からプッチが囁いた。文言を唱えるように穏やかな声だった。
「―――死だ」
交差する二つのスタンド。間一髪で間にあった『ウェザー・リポート』。
硬く閉じられたガードを押しとおし、行き場をなくした運動エネルギーがウェザーを吹き飛ばす。
バシャバシャと水しぶきを上げながら、ウェザーは後ろに大きく跳び下がった。水が舞う。雨粒が顔をうつ。
二人の距離は大きく離れた。ウェザーはプッチを睨みあげる。プッチは冷たい眼でウェザーを見下す。
「これは運命だ、弟よ。神が選んだのだ。
ジョルノ・ジョバァーナに相応しいのはお前ではない……。彼の隣にお前が立つのはあってはならないことだ……!
私だ! 私こそが彼に相応しい! DIOがいて、そしてその息子である彼の隣に立つべきはお前ではない!…… この私、私こそが相応しいッ!」
プッチの言葉を聞いた途端、ウェザーの中で何かがはじけた。長い間堪りこんでいた何かが解き放たれたような感覚だった。
視界の中で稲妻が走る。バチン、と頭の中で轟音が響いた。もう押しとどめる必要がなかった。押しとどめることができなかった。
背後に小さな竜巻を展開。風に乗り、全身で真正面からプッチにぶつかっていくウェザー。
全体重を乗せ、全ての感情を乗せ、ウェザーは拳を振るった。受け止めたホワイト・スネイクの腕が衝撃で軋む。プッチの顔が苦悶の色に染まった。
互いの腕を掴みあい、つばぜり合いのような至近距離からウェザーは吠える。
今度は躊躇わなかった。迷わなかった。最初から言うべき事はわかっていた。思うがままに、感じるがままに言えばいいだけだったのだ。
「お前は俺から怒りすら奪うのか……! 覚悟すら取り上げるのかッ!!
過去を奪い、ペルラを奪い……それでも飽き足らず、まだ奪う気かッ!!」
右の拳で殴りつける。受け止めたプッチのその顎狙い、蹴りあげる。どちら寸前でプッチは受け止めた。
左からの拳は力に加え風を利用した一撃だ。今までの一撃とは違う重さにホワイト・スネイクがぐらつく。プッチの額に汗が浮かんだ。
堪らずプッチは後退する。隙を創り出さんと、ウェザーの顔めがけて腕を伸ばした。DISCを奪われるわけにはいかず、ウェザーも身体を大きく振りさげる。
それは一瞬の隙だった。だがプッチには充分すぎる隙。
プッチは跳び下がり、距離を取る。二人はまた元の通り、離れた位置で互いに隙を伺う形。
雨音に包まれ、互いに睨み合う。雨が二人に染みいるわずかな間、二人は何も言わなかった。
突然、ウェザーの右の頬がパックリと開く。真っ赤な血が滴り落ちた。ウェザーはそれを拭わなかった。
プッチの胴着が大きく切り裂かれた。胸ポケットにしまっていたジョルノの記憶DISCが音もなく、落下する。
プッチはゆっくりとそれを拾い上げると、別のポケットにしまいなおす。ウェザーは動かなかった。プッチもまた隙を見せなかった。
―――雨が強くなった。
気のせいではなく、確かな事実として二人をうつ雨粒が大きく、そして多くなる。
滝のように二人の顔から水滴が散る。落ちては落ちて、それでも止むことのない雨。
「“虹”は出ないようだな」
そうプッチが言う。ウェザー・リポートが返す。
「出す必要はない」
「私を殺したいのではないのか、“ウェズ”?」
「だったら尚更だ」
「ほう」
以前ならば……そう一瞬だけウェザー・リポートの脳裏を想いが走った。
ここに呼び出される前ならば……、この殺し合いとやらに巻き込まれていなかったならば……。
もしかしたら、ウェザーは“虹”を望んだかもしれない。
だがもう彼は虹を望んでいなかった。
雨に溶けるようなレインコートを着た男。雪のように真っ白な肌を持つ青年。霧に包まれ微笑む老人。
そして黄金のように輝く、太陽のような少年……。皆全てこの場で会った人たちだ。
そして誰もが何かを背負っている。過去を背負って、それでも生きている。
「プッチィィィイイイイ―――――――ッ!!」
バシャリ、と音をたてウェザー・リポートの足元で水が舞う。飛び出すように動くその身体。水たまりに写るウェザー・リポートの姿。
プッチは構えを取り、そんなウェザー・リポートを迎え撃つ。跳ねあがった水滴にぶつかるよう前に飛ぶと、ホワイト・スネイクが躍動する。
雨はまだやまない。今はまだ……止まない。
to be continue......
【B-2 ダービーズ・カフェ店内 / 1日目 午前】
【ジョルノ・ジョバァーナ】
[スタンド]:『ゴールド・エクスペリエンス』
[時間軸]:JC63巻ラスト、第五部終了直後
[状態]:瀕死、記憶DISCなし
[装備]:閃光弾×1
[道具]:
基本支給品一式 (食料1、水ボトル半分消費)
[思考・状況]
基本的思考:主催者を打倒し『夢』を叶える。
0.気絶
1.ミスタたちとの合流。もう少しダービーズ・カフェで待つ?
2.放送、及び名簿などからの情報を整理したい。
[参考]
※時間軸の違いに気付きましたが、まだ誰にも話していません。
※ミキタカの知り合いについて名前、容姿、スタンド能力を聞きました。
【C-2 北部/ 1日目 午前】
【ウェザー・リポート】
[スタンド]:『ウェザー・リポート』→『ヘビー・ウェザー』
[時間軸]:ヴェルサスに記憶DISCを挿入される直前。
[状態]:記憶を取り戻す、体力消耗(中)
[装備]:スージQの傘、エイジャの赤石、ウェザー・リポートの記憶DISC
[道具]: 基本支給品×2(食料1、水ボトル半分消費)、不明支給品1~2(確認済み/
ブラックモア)
[思考・状況]
基本行動方針:主催者と仲間を殺したものは許さない。
1.プッチを倒し、ジョルノを救う。
【エンリコ・プッチ】
[スタンド]:『ホワイト・スネイク』
[時間軸]:6部12巻 DIOの子供たちに出会った後
[状態]:健康、有頂天
[装備]:トランシーバー
[道具]:基本支給品、シルバー・バレットの記憶DISC、ミスタの記憶DISC
クリーム・スターターのスタンドDISC、ホット・パンツの記憶DISC、ジョルノ・ジョバァーナの記憶DISC
[思考・状況]
基本行動方針:脱出し、天国を目指す。手段は未定
1.ウェザー・リポートを殺し、自分がジョルノの隣に立つ。
2.ホット・パンツを利用しながら目的を果たす
3.DIOや
ディエゴ・ブランドーを探す
4.「ジョースター」「Dio」「遺体」に興味
[備考]
※シルバー・バレットの記憶を見たことにより、ホット・パンツの話は信用できると考えました。
※ミスタの記憶を見たことにより、彼のゲーム開始からの行動や出会った人物、得た情報を知りました。
※プッチのランダム支給品は「ウェザー・リポートの記憶DISC」でした
【ホット・パンツ】
[スタンド]:『クリーム・スターター』
[時間軸]:SBR20巻 ラブトレインの能力で列車から落ちる直前
[状態]:気絶中、両方のDISCを奪われている
[装備]:トランシーバー
[道具]:基本支給品×3、閃光弾×2、地下地図
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に戻り、遺体を集める
0.気絶中
1.プッチと協力する。しかし彼は信用しきれないッ……!
2.おそらくスティール氏の背後にいるであろう、真の主催者を探す。
投下順で読む
時系列順で読む
キャラを追って読む
最終更新:2013年04月15日 09:32