第078話 二つの決意 ◆7NffU3G94s
「……一応、できるだけのことはしました」
重たい口調、
山ノ上春香の苦虫を噛み潰したような表情からは決して良い結果が生まれた訳ではないことが読み取れるだろう。
小さく頷き、
冴羽リョウは今座っている席の正面を無言で春香に勧めた。
時間にすればそれ程経っていないのだが、診察室に入る前と後とでの春香の様子は一変したと言っても過言ではない。
一つ大きな溜息をつき、春香は口を開いた。
「幸い、目の中に異物は入っていませんでした。ただ思ったより出血の量が多く……」
言葉は続けられることなく、また一つの嘆息がそこに挟まれる。
リョウは春香のペースを崩さないよう、静かに彼女の様子を見守った。
「処置はしましたが、私は外科医ではありませんので専門的な知識というのは持ち合わせていないんです。
すぐに回復できる類の傷ではありませんので、一番は安静にした上ですぐ専門の医師に見てもらうことなんですが……」
「お疲れさん。君も疲れただろう、ゆっくり休むといい」
「!! わ、私はっ」
「ストーップ」
素早い動きで唇に人差し指を押し付けられ、勢いに飲まれた春香は思わず口を紡ぐ。
そんな彼女の様子を見て、ニタリと笑うとリョウはそっと指を離した。
「こういう時は無理しないでいいの、ね?」
「冴羽さん……」
「あの子、まだ目を覚ましてないんだろ? ならそれまで休憩だ」
明るく話すリョウだが、春香に落ちた影が拭われることはない。
自分の力が足りなかったという現実、その苦しみが春香の心を啄ばんでいく。
三人が訪れた、ここ沖木島診療所はそれなりの設備の整った診療所であった。
積もっていた埃がこの診療所が止まっていた時間を表しているが、それでも器具の量からすれば充分である。
きっと先客がいたのだろう、薬品棚などには春香のような素人目でも分かる形での漁られた様子が見て取れた。
しかしそれでも全ての薬品が奪われていないということが、彼らにとっては救いとなる。
春香の沈んだ心が晴れる様子は全くないということ、それにはもう一つ原因があっただろう。
第一回目の放送が行われたのは、三人がまだ診療所へと続く道をゆっくり歩んでいた時のことだった。
呼ばれた人数は決して少なくない。知人はいなかったものの普通の女性である春香は、それでかなりの衝撃を受けた。
疲弊した心で臨んだ手当ても、怪我をしてからの時間の経過も影響していたことで満足な結果が出るかは分からない状況だった。
気を失っていた
七瀬千秋は、春香の施した麻酔により今もまだ眠り続けている。
しかし目を覚ました彼女が自分がどうなっているのかを知ってしまったらと、そんな考えが春香の胃をキリキリと痛めつける。
「春香くん」
「は、はい」
「君、またネガティブなこと考えていただろう。病は気からって言うんだし、ほら。笑顔笑顔」
励ましてくれるリョウの言葉に、春香も少しだけ頬を緩ませる。
しかし、それだけだった。
「……あー、もう。言って聞かないなら、こうしちゃうぞ」
「え、さ、冴羽さ……」
晴れない表情の春香の後ろに、椅子から立ち上がったリョウがすかさず周りこむ。
戸惑いを隠せない様子の春香、リョウはそのまま彼女の胸を背後から思いっきり鷲掴んだ。
「……ぇ」
「そーれ、もっこりもっこり」
「……」
「うーん、いい物持ってるね春香くん。どれ、それじゃあ触覚を楽しんだ後は視覚の方も……」
「?!」
やっと自分の身に何が起きているのか理解できたのか、春香の表情が活気付く。
鼻の下が伸びきったリョウの顔は春香の視界に入らないが、その右手が自身の襟元にも伸ばされる様は捉えられたのだろう。
次の瞬間、春香は腹の底からの悲鳴とともに椅子から転げ落ちるようリョウの拘束から逃げ出した。
「あ、あな、あなた何をっ」
「いやぁ、素晴らしいよ春香くん! ヒップもバストも最高なんて、こりゃ世の男が放っておかないね」
「ふざけないでください、こ、こんな時になんて不謹慎な……」
「不謹慎でも、肩の力を抜くことは大事でしょ。春香くん、彼女はまだ生きているんだ。
あんまり悲観し続けるもんじゃない、それこそ君の身が持たないだろう」
言って、リョウは床に尻餅をついている春香にそっと手を差し伸べた。
しかし警戒しているのか、春香はその手を取ろうか取らまいか迷っているようだった。
リョウは手を引っ込めることなく、ニカッと笑うとずずいとまた一歩春香との距離を詰める。
一瞬春香の肩が大きく震えたが、そんなこと我関せずといった態度でリョウは彼女に向かって手を伸ばし続けた。
「生徒さんを守るんだろう? ほら、しゃきっとする!」
リョウの顔と手を交互に見た後、春香はやっとおずおずと利き手を差し出してくる。
「きゃっ!」
差し出された手首はすぐさまリョウによって絡め取られ、気がついたら春香はリョウに抱き竦められるような体勢になっていた。
春香からすれば何が何だかである、胸の次はこれかと与えられたセクハラで彼女の脳は混乱の極みに陥りかけた。
そんな春香が次に感じたのは、背中を撫で付けてくる優しい体温だった。
ごつい作りからそれがリョウの手であることはすぐに判断できるだろう、だが何故こうなっているのかが春香はまず分かっていない。
分かってはいないが、人の温もりという物は無条件で他者に安心を与える材料の一つである。
最初は呆然と口をパクパクさせる春香だが、今や抵抗をするのも忘れすっかりリョウにその身を預けてしまっているような状態になっていた。
「肩の力はやっと抜けてきたみたいだなー、うん? 大声出すのも、すっきりするでしょ」
その時春香は、耳元で囁かれるリョウの声には人を安心させる魔力が込められているのではないかと、錯覚したぐらいであった。
自然と零れた涙が、今まで不安定であった春香の感情を表面化させる。
春香は泣いた。声を上げることなく、静かにリョウの胸で泣いた。
そして、泣くのはこれで最後だと決意する。
少女のこと、そして守らなければいけない生徒達のためにも春香は強くあらなければいけない。
それは責任感の強い、真面目な彼女らしい誓いだった。
小さく震える春香の肩、リョウはそれを支えるように彼女の腰に回していた手を移す。
肩と背、その両方を撫でながらリョウも静かに目を閉じた。
(春香くん、君は偉い。何もできてないのは俺の方さ……)
シティハンターの異名を持つ自身がこんなことでどうすると、リョウは硬く唇を噛んだ。
リョウには、何かを為すだけの力があるはずだった。
しかし現実、行われた放送の非情さはリョウの予想を超えていて。
その中にはリョウの知人である、
野上冴子の名前も入っていて。
リョウは、このバトルロワイアルという舞台を舐めていた。
自分の仲間は確かに実力も折り紙付である故、安心しきっていたというのもあるだろう。
素人集団相手に自分が遅れを取ることもないと、リョウも思っていた。
それは一種の驕りだったかもしれない。
しかし実際、冴子はリョウの知らない現実でその命を失った。
信じられなかった。それこそ、タフさでなら冴子ほどの鉄の心臓の持ち主が、どうすれば死に至るのかとリョウも思った程である。
また冴子以外にも、失われた命という物は多々あった。
それらは全て、リョウが知らない場で起こった争いだった。
リョウはやっと、この舞台の危険さを理解することができた。
これからは甘さを捨て、危険な人間を発見した場合は容赦なく切り捨てた方が無難であろう。
それこそ先程争った魅上も危険因子として、様子を見に行く機会を作ることが出来たら処分した方が懸命だとリョウは判断する。
(春香くんもあの子も守らなくちゃいけないのに、武器と言えば重たい斧くらい、か。ま、ハンデとして受け取っておこうじゃないの)
そう考えた所で一端首を振り、リョウはその時点でまだ余裕が残っていることに気づく。
ハンデなど関係ないということ、まずそれを認識した上で行動を取らねばいけないとリョウは硬く決意した。
春香は気づいていないが、今のリョウの眼差しはこの島に来てから一番の鋭さを持っている。
野上冴子の死、シティハンターとしてのプライド、織り交ぜになる感情がリョウの誓いをさらに硬くしていた。
【I-07/診療所/一日目・午前九時前】
【男子13番 冴羽リョウ@CITY HUNTER】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式 魅上の支給品 斧 カメラ(三脚、リモコン付き。メーカーなどの詳細は不明)
[思考]:1.危険だと判断できる人間は排除する
2.可能なら魅上の様子を見に戻り、始末する
3.春香を守るが、あわよくば春香ともっこり
4.香、海坊主を探す
【女子15番 山ノ上春香 @BOY】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:1.日々野や一条を探し、必ず守る
2.リョウについて行く
【女子08番 七瀬千秋@ろくでなしBLUES】
状態:眼球に損傷(治療済み・破裂はしてないが、失明の危険はある)、寝ている
装備:なし
道具:支給品一式 弾丸詰め合わせ(※数や種類は不明)
思考:1.太尊との合流
最終更新:2008年02月28日 22:16