瞼が持ち上がる。
でも俺の視界に映ったのはいつもの自分の部屋なんかじゃなかった。
鼻につく磯の香り。波の音。
海だ。
「目が覚めたか」
俺を現実に引き戻す低い声。
俺はこの声を知っている。
ここで出会った警察官のゴルゴさんの声だ。
「……はい」
一度だけ強く瞼を閉じて俺は頷いた。
そう。
俺は今とんでもないことに巻き込まれている。
生まれてからこの方、こんなに命の危機を感じたことなんてない。
見知らぬ誰かと殺し合えなんて……映画でしか見たことのないような話だ。
帰ったら絶対にこの体験を生かした映画を作ってやる、と心中で決意して、俺はゴルゴさんに向かい合った。
「俺、またいつのまにか気絶しちゃって……迷惑かけてすみません」
「う、うむ……。いや、迷惑など……」
微妙に歯切れの悪い返答にハテナマークが頭に浮かぶけど、それは今は置いておいて。
「ここ、どこですか?」
「うむ。どうやらこの辺りのようだ」
そう言ってゴルゴさんが広げた地図を覗き込む。
指されているのは島の西部、D-1というエリアにある海岸沿いの道路だった。
理由はよくわからないけど気絶してしまった俺をゴルゴさんがここまで運んでくれたんだろう。
「これからどうしますか?」
「もうすぐ6時だ。それが過ぎてからこれからの行動を考える」
6時。
それはあのジイさん達が言っていた放送の時間だ。
自分の置かれている状況を嫌でも認識してしまい、冷たい汗が背中を流れ落ちた。
(唯……、外村妹……)
名簿にあった2人の年下の女の子達の顔が浮かぶ。
幼馴染みと後輩はどうしているだろう。
無事だろうか。怖い思いはしてないだろうか。
それに。
「……西野……」
「……寝言で何度もその名を呼んでいたな」
思わず口をついて出た名に、ゴルゴさんがポツリと反応した。
「……大切な、女の子なんです」
そう言って唇を噛み締めた俺に、ゴルゴさんは小さく頷きを返す。
「……ゴルゴさん、彼女っています?」
「なっ?!う、うむ……まぁ、その、なんだ……」
頬を染めつつしどろもどろになるゴルゴさんがあまりにも意外で、俺の口元が緩む。
なんかいいよな、こういうの。
人の意外な一面を見るのってなんだか親しみがわくって言うか。
まぁ、こんなガタイのいい厳つい人が頬を染めて照れる様はちょっと気色悪かったりもするけど。
『あー、あー、ただいまマイクのテスト中。ただいまマイクのテスト中』
鈍いノイズをたてながら、突然にその声が周囲に響き渡った。
慌てて時計を確認すると6時丁度。
放送、だ。
ゴルゴさんに視線を向けると、物凄い険しい表情をして声を届けているスピーカーを睨んでいる。
『よし、聞こえてるな。午前6時になったので、これから
第一放送を流すぞ。一回しか言わないからよく聞くように』
あまり音響のよくないスピーカーを通して聞こえてくるその声の主が誰なのかはわからない。
あのジイさんはもうちょっと違う口調だった気がするし、後2人いた内の1人だろうか。
確か放送で告げられるのは禁止エリアってやつと……死亡者の名前。
ゴルゴさんに習って名簿を広げた俺の手がじっとりと汗ばむ。
(頼む……!誰の名前も呼ばれないでくれ……!!)
ぎゅ、と目を瞑り深く息を吸い込もうとしたその時。
淡々とした声がまるで正確無比なアナウンサーの様に続きを発した。
『まず、午前0時から6時までの死亡者だ。
進藤ヒカル、
安仁屋恵壹、
小早川瀬那、外村美鈴、
清熊もみじ、寺谷靖雅、
大場浩人、葦月伊織、野上冴子、南戸唯、
菊丸英二、滝鈴音、
魚住純、以上13名』
「…………」
深く吸い込んだ息が肺で止まる。
汗が、額から吹き出て俺のこめかみを伝う。
『続いて、禁止エリアの発表をする。午前8時にD-6、9時にG-8、10時にF-4。以上三箇所が禁止エリアだ』
続けられた言葉は確かに俺の耳には届いているのに、情報として脳には到達してこない。
『外村美鈴』
『南戸唯』
その名前は彼女達のもので。
この声は死んだ人間が誰かって伝えるもので。
だから彼女達は。
「……嘘だっ!!」
名簿がぐしゃりと俺の手の中で形を変える。
海から流れてくる潮風がびっしょりと濡れた俺の額を撫でる。
「嘘だ嘘だ嘘だ!!」
「……真中」
「嘘だ嘘だ嘘だ!!」
「……真中!」
凄い力で肩を揺さぶられ、俺は視線を上げた。
険しい顔のゴルゴさんが、更に険しい瞳で俺を見ている。
「……落ち着くんだ」
「何……言ってんだ……!死んだって言われたんだぞ、死んだって!!唯と外村の妹が……!!死んだって死んだって!!」
死んだ。唯が、外村妹が、死んだ。
その言葉と2人の顔がぐるぐると頭の中を回る。
昨日まで、2人とも普通だっただろ?
唯はまた大騒ぎしながらうちに飯食いに来てたし、外村妹も偶然学校の廊下で会った時に「受験勉強ちゃんとしてるんですか?」なんて耳の痛い台詞を言ってたし。
普通だったんだ。
普通だったんだよ、昨日まで、普通だったんだよ……!!
「……こんなの、嘘、ですよ、ね……?」
俺の肩を痛いくらいに掴むゴルゴさんの腕に縋りつく。
否定して欲しい。
2人は生きてるって、こんなの嘘だって。否定してくれ。
頼むから、頼むから……!!
俺を見下ろすゴルゴさんの瞳が陰り、ゆっくりと視線が落とされる。
人が言いにくいことを言うときにする仕草ってのは皆似たようなものなんだと変に冷静などこかで感心する。
そして。
「わからん」
搾り出すように告げられたその言葉が、俺の心に突き刺さる。
「そ……んな……」
口が渇く。
舌が上手く動かせなくて……声が掠れる。
「……っ!わからんって……!あんた警官なんだろ?!なんとかしろよ!」
「……うむ……」
「なんとかしてくれよ!頼むから……頼むから……!!」
ゴルゴさんの腕に縋りつく俺の姿は、第三者から見たら酷く滑稽なものだろう。
でももちろんそんなことに構う余裕なんて俺にはなくて。
「嘘だ……嘘だ……」
体の力が抜けて、縋りついていたゴルゴさんの腕から俺はズルズルと滑り落ちる。
汗ばんだ掌に張り付いた砂を握り締め、俺は唯と外村妹の名を呟く。
それからどのくらいの時間が経ったのだろう。
ゴルゴさんの手が、遠慮がちに俺の肩に置かれた。
「……真中。移動するぞ」
「…………」
「動かなければ状況は変わらんぞ」
「ほっといてくれ!!」
ゴルゴさんの手を力いっぱい跳ね除ける。
驚いた顔をするゴルゴさんに、俺はもう一度叫ぶ。
「動きたくない!もう考えたくないんだ!!俺のことなんてもうほっといてくれ!!」
「馬鹿者!!」
怒声とともに俺の視界が揺れる。
左頬が、衝撃から数秒遅れて熱を持つ。
殴られたんだ、って気がつくまでには更に数秒が必要だった。
吹っ飛ばされて尻餅をついた俺を、圧倒的な威圧感でゴルゴさんが見下ろす。
体格と同じように厳つい顔をしたゴルゴさんが、ゆっくりと口を開いた。
「……西野はどうする」
『西野』。
まるで魔法のようにその名前が俺の心に染み込んでいく。
それは大切な名前。
いつだって俺に前に進む力をくれる、大切な女の子の名前。
「…………西野」
声に出してその名を呼ぶ。
「…………西野、は……」
きっと、待っている。
俺を。俺が迎えに行くのを。
(――――――行かなきゃ……。俺は、西野を)
混沌としていた頭に、一筋の光が差した気がした。
(あぁ……やっぱり)
西野はいつだって……離れていたってこうして俺を導いてくれるんだ。
俺が間違わないように、逃げないように、行く道を照らしてくれる。
だから俺は。
「……すみません、ゴルゴさん」
痛む頬を押さえ、俺は立ち上がった。
砂を払い、ゴルゴさんを見上げる。
「……俺、西野を探しに行きます」
まだ、唯と外村妹が死んだなんて信じられないけど。
悲しんでいいのか怒っていいのかすらもわからないくらい混乱してるけど。
それでも俺は西野に…………会いたい。
俺に何ができるのかわからないし、何も出来ないかもしれないけど……それでも俺は西野を守りたい。
この想いだけは確かなモノだから。
「……一緒に行ってくれますか?」
ゴルゴさんに問う。
この人にとって、多分俺は足手まといだろう。
俺は喧嘩なんかしたことないし、何か特別な能力や特技があるわけじゃない。
だけど、1人よりも2人のほうが探し人を見つける可能性が高くなる気がする。だから。
「一緒に西野を探してください」
改めてゴルゴさんに頭を下げた。
「……うむ」
少しの間の後にゴルゴさんが厳かに頷く。
ゴルゴさんの心にある一つの罪悪感なんて全く知らない俺は、その間がどういったものなのか考えようともしなかった。
今はただ目の前の現実だけを見て……自分の目的だけを見ようと思ったから。
西野に会いたい。
彼女を守りたい。
悲しむのも怒るのも……全てはその後に。
「ありがとうございます!!」
同行を了承してくれたゴルゴさんに再度頭を下げる。
一瞬複雑な顔をしたゴルゴさんは、表情を元に戻すとおもむろに地図を広げた。
「……目的地はここだ」
ゴルゴさんが指し示したのは鎌石村というところにある役場だった。
「ああいった放送をするということは当然放送機材のある場所にヤツラがいる可能性が高い。この地図の中で考えられるのはこの鎌石村役場と鎌石小中学校だけだ」
「なるほど……」
「だが、ここから小中学校はかなり距離がある。ならばまずは近場からだ。……恐らく両津ならそう考える。とりあえずはヤツと合流したいからな」
「わかりました」
ゴルゴさんの言葉に頷き、ぎゅっと拳を握り締める。
俺のほうは西野の居場所の当てなんて全くないからとりあえずゴルゴさんの行くところについて行くだけだ。
とにかく歩き回るしかない。
早速足を踏み出したゴルゴさんの背中を追おうとしたとき、俺は突然あることに思い至った。
「そういえば……俺、自分の支給品ってやつ、確認してなかった」
「……っ」
隣に立つゴルゴさんが息を呑む。
それを不思議に思いながら俺は自分のバッグをガサガサと探った。
だけど。
「……時計、地図、水、食べ物……。特に武器になりそうなモンなんてないけど……」
「ま、真中……それはだな……」
なんだか口ごもるゴルゴさんを首をかしげて見上げた俺は、再び「あ」と声を上げた。
「……もしかして……ハズレ……とか?」
そんなものあるのかわからないけど。
実際に俺のバッグには武器は入ってないし、何よりもあのジイさん達が親切に全員分支給してくれるとは限らない。
悔しい気もするけど、他に考えれらない。
「……ハズレ……」
驚いた様子でゴルゴさんが呟いた。
その表情は何故だか曇っている。
その意味を考えることなく、俺はゴルゴさんを急かして足を進める。
今は1分1秒でも惜しいんだ。
だって――――――西野はきっと、俺を待ってくれているから。
「それはそうと、真中」
「はい?」
「もう一度言う。私の名はゴルゴじゃない、
ボルボ西郷だ」
「……あれ?」
――――――――――――多少のハプニングがあったとしても、俺は君を見つけてみせる。
だから、待っててくれ。