第070話 臥薪嘗胆不倶戴天 ◆SzP3LHozsw


頭上から人の声が降っていた。
死亡者と禁止エリアを読み上げるという、例の放送だった。
杉の幹に背を預けて座り込み、片膝を立てた格好で、すっかり冷たくなった2人を呆然と見つめながら、一条誠は聞くとはなしに流れる放送を耳にしていた。
内容が頭に入ることはない。ただ雑音のように聞こえるだけで、何を喋っているかまでをほとんど理解していなかった。

「クソ……」

一条は呟くように言い、両の掌で頭を抱える。
唯と菊丸の最後が、一条の網膜の裏に焼きついてしまっていた。
眼を瞑るたび、それが見えるような気がしてならない。
それが嫌で、一条は指の隙間から離れた場所に横たわる2人を盗み見た。
つい先頃まで談笑していたはずの唯は、眼から棒を生やしている。菊丸は額に煙草で焼いたほどの穴を開けていた。
2人とも、間違いなく死んでいる。
何かがごおっと音を立てた。胃の中のものを全て戻しながら、音の正体が自分の喉の奥から出ているのだと一条は知った。
吐くものがなくなり、黄色い胃液を垂れ出しても、一条の胸苦しさは治まらなかった。
汚れた口許を制服の袖口で無造作に拭う。放送はいつの間にか終わっていた。
僅かに木々の葉のざわつくほかはしんと静まり返っている。枝葉の隙間から縫う太陽の白い光線が、とても暖かかった。
考えを纏めようと、ごつごつと後頭部を軽く幹に打ちつける。何かがすっぽり抜け落ちてしまったかのようなけだるい虚脱感が一条を襲っていた。
口に残ったすっぱい唾液を地面に吐き出して思う。ここを発つのはもう少し気を落ち着けてからにしようと。
しかし丁度そう思ったとき、射し入っていたはずの陽光が遮られ、辺りが急に薄暗くなったような気がした。
一条は伏せていた顔を上げた。すると逆光の中に、独特のスカルジャケットを着た長い金髪の男が立っていた。
一瞬誰だか気付かなかった。いつの間にこんなに近づかれたのか、それすらもわからなかった。
突然のことに言葉を失っていたが、一条はすぐに相手が誰なのかを理解できた。

「か、神崎……!」

叫ぶと同時に立ち上がっている。それはかつて一条が友と呼び、憧れ慕った男だったのだ。
だが今の二人は、それを懐かしむことも、再会を喜び合うこともなかった。
最早敵同士となってしまった二人の間には、けして埋めきれない深い溝が走っているようだった。
微妙な空気の中で、神崎が暗い色のサングラスの奥から刺すほどに鋭い視線を浴びせかけている。一条は畏怖されまいと懸命にその眼を見つめ返した。

「……何処だ」
「何処? 何処ってなにがだ?」

神崎の質問の意味がわからない。
何を捜しているというのか、そして何故自分にそれを尋ねるのか、一条には皆目見当が付かなかった。

「なんのことだよ」

重ねて訊き返す。
すると忌々しげに舌打ちをして、神崎は口を開いた。

「日々野だ。奴は何処に居る」
「日々野? 知ってるわけねえだろ。こっちが聞きたいくらいだぜ」

神崎が日々野を捜している――。理由は大よそ推測できた。

「そうか。なら奴に逢ったら言っとけ、俺が捜していると」

それだけだった。それだけ言うと、神崎はくるりと踵を返し、何事もなかったようにその場を立ち去りかけた。
一条は躊躇した。今は疎遠になったとはいえ、神崎は憧れの存在だったのだ。
その男が、今の仲間――と呼べるかどうかは不明だが、とにかく日々野とことを構えようとしている。
それもよりによって、この島の中でだ。ただでさえ危険な男が、場の状況に流されたとしたら、それは最悪の事態だって起こしかねない。
現に一見大人しそうにも見えたさっきの奴でさえ、逡巡もせずに銃口を向けてきたのだ。
元々ネジの二、三本ぶっ飛んでいる神崎なら何を仕出かすか、想像するだけで恐ろしかった。



「お、おい、ちょっと待てよ!」

去りかけた背中に、一条が咄嗟に呼び掛ける。顔だけを少し振り向けて、神崎は足を止めた。
長い金髪が風になびいている。
そういえば、この男とこうしてまともに二人だけで向き合うのはいつ振りだったろうと、一条は考えを巡らせた。
たぶん、中学のとき以来のはずだ。

「日々野を捜してどうするつもりだ? まさか、あんたまだ……」
「……奴を見つけ出してぶっ殺す。ほかに理由はいらねえ」
「馬鹿言ってんじゃねえ、んなことやってる場合か! こいつらを見ろよ、今が意地張ってるときじゃねえってのがよくわかんだろうが!」

唯や菊丸を指差す。ちくりと胸が痛んだが、神崎が彼らに一瞥することはなかった。
ついカッとなり、一条は神崎の胸倉を思い切り掴み上げた。サングラスの向こうの醒めた眼を見つめながら、唾を飛ばして言う。

「いいか、復讐だかなんだか知らねえが、とにかく今はやめとけ。そんなくだらねえことしてんじゃねえ。
 日々野が気に入らないならそれでいい。決着をつけたいならそれでもいい。でも今は駄目だ。今はそんなときじゃない。
 わかるだろ、まずはこっから無事に脱出するのが先だ。復讐すんのはそのあとだって遅くはない。そうだろ?」

言い切ってから掴んでいた胸倉を離した。
神崎が素直に聞き入れないだろうことはわかっている。
それでも神崎の中にあの頃憧れた神崎が残っているならば、もしかすると自分の言葉に耳を傾けてくれるかもしれなかった。
一条はそこに賭けていた。

「なあ、どうしちまったんだよ神崎さん。昔のあんたはすげえカッコよかったんだぜ?
 とんでもなくイカれてたけど、それでも薬キメてみたり、いつまでも復讐だなんだって女々しいことは言わなかったはずだ。
 何があんたをそうさせちまったんだ? 頼むから俺の中の神崎狂を変えちまわないでくれ」

サングラスの向こうに懸命になって訴える。神崎をそうまで変えたものの正体を本当は知っていた。
日々野だ。日々野に負けた悔しさと、価値にこだわる執念とが、神崎を狂気の道に走らせてるとしか思えなかった。
長いこと見つめ合う。
きっとわかってくれる。この人ならきっと……。心の中で、頼む頼むと連呼した。
しかしそれでも神崎は表情を変えることすらしなかった。
もう駄目か、やはり伝わりきらないのか、一条がそう焦れはじめたとき、神崎の右手がゆっくりと持ち上がり、掛けていたサングラスを外した。
そして不器用そうに口許をほころばせ、一条に微笑みかけたのだった。

「わかった」

一条の眼を見据えて、神崎ははっきりとそう言った。
わかってくれたのだ。一条は心の底から安堵する思いだった。
きっと神崎が日々野との対決を諦めることはないだろう。今は納得してくれても、いつかまた決着を望むようになる。
それでも、この場でぶつかることを止められたなら、それはそれで意味のあることだった。
少なくとも、この島で起こる惨劇の一つが減る。
知っている人間が冷たくなっていくのを見るのは、もうたくさんだった。
もし神崎が日々野に執着しだしたなら、そのときはまた止めてやろう。それが俺の仕事なんだと、一条は本気で思った。
そしていつかあの頃のような関係に戻れたら最高だった。
バンドに本気で取り組んでいるからもう無茶はできないが、たまに羽目を外すくらいどうってことない。
バイクで夜の街を神崎と並んで走りまわすってのも悪くなかった。

「わかったぜ一条。お前が…………」

だが神崎の言った「わかった」の意味は別だった。

「とんでもねえマヌケ野郎に成り下がったってことがな!」
「……ッ?!」

神崎のパンチは強烈だった。
ほっとして緊張を解いていた一条は、そのパンチをもろに鳩尾の辺りに受け、膝をついて腹を抱えた。
さっき散々吐きまくったはずなのに、喉の奥からはまたすっぱいものがせり上がってきている。
身体の芯に響くような鈍痛に耐えながら神崎を見上げると、今度は顎に爪先を蹴り込まれ、一条は仰向けに吹っ飛んだ。
脳が揺れ、世界が回る。

「復讐をやめろだ? 昔の俺を壊すなだ? テメエふざけたこと言ってんと本当にぶっ殺すぞ?!
 俺は何も変わっちゃいねえ! 今も昔も、俺は俺だ」

混濁する意識の中で、一条は神崎の言葉を聞いていた。
確かにこの人は変っていないのかもしれない。こういう凄まじいまでの反骨心は昔から持っていた。
そういうところに惹かれたこともあったし、かっこいいとも思った。
だが違う、違うんだ。あんたは間違った方向に進んでいると、一条は意識の底で叫んでいた。

「気に入らねえからぶっ殺す、それだけだ。俺を止められると思ってるなら上等だ、止めてみろ」

神崎の言葉が遠のいていった。




















一条が気付いたとき、そこに神崎の姿はなかった。
顎と腹、そして未だ塞がりきらない腕と足の銃創の痛みに耐え、一条は足元をふらつかせて立ち上がった。
そのまま唯と菊丸のもとに行き、そっと二人を抱き上げて杉の根元に運んだ。
二人とも小柄だが、もう死後硬直が始まっていたし、怪我のせいもあって数メートル運ぶのも大変な作業だった。
しかし、一条は黙々とそれをやってのけた。
それから唯の荷物からめぼしい物を自分のデイパックに移し変える。

「ごめんな……。お前の持ち物、貰ってくぜ」

二人に手を合わせ暫く黙祷する。
逢ったばかりで深い繋がりがあったわけではなかったが、それでもやはり別れは寂しかった。
断腸の思いで二人に背を向ける。こんなところに残していってすまないと言い残して。

「神崎……」

どっちに行ったかもわからない神崎を追うために、一条は歩き出した。
神崎の最後の言葉を思い出す。神崎は止めてみろと言っていた。

「止める、か……」

口に出して言ってみる。
その決心はついているが、実際にそれができるかどうかとなると怪しくなってくる。
神崎は強い。勝てないかもしれない。
それでもやれるのは自分だけなのだと、一条は自らを奮い立たせた。

「あの馬鹿野郎が」

そう呟いた一条の横顔は、ひどく寂しげだった。



【E-06/神塚山麓付近/1日目・午前8時ごろ】

【男子03番 一条誠@BOY】
状態:左腕上腕部、右足大腿部に銃創、こめかみから出血、腹部、顎部にダメージ(時間が経てば回復)
装備:NightOptics D-321-G Goggle
道具:支給品一式×2、蛇神のバット@Mr.FULLSWING
思考:1.自分、襲ってきた男(御子柴)、主催者達、殺し合いに乗っている全員に強い怒り
   2.神崎を見つけたら止める
   3.日々野、イブ、春香を捜す(春香優先)
   4.殺し合いを止める


【E-07/神塚山麓付近/1日目・午前8時ごろ】

【男子09番 神崎狂@BOY】
状態:健康
装備:なし
道具:支給品一式(※ランダムアイテムは不明)
思考:1.日々野と決着をつける




空に叫ぶ 一条誠
許容範囲 神崎狂

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最終更新:2008年02月15日 18:38