第072話 もう一度君に ◆SzP3LHozsw


空を見ていた。
濃紺のベルベットに似た明け方の空。
ぬめるように艶のある空は、それだけで吸い込まれてしまいそうになるくらい綺麗だった。
ゆっくりと地平線から白んでゆく様は、頭の中をカラッポにしてくれる効果がある。
まるで刷毛で刷いてでもいるかのようで、地平線の白は徐々にその色を淡いブルーへと変えていった。
ああ朝が来たんだなと、瀬戸一貴は妙に熱ぼったい頭でぼんやりと思った。
人が死ぬ場面を見たのは初めてだった。まして人を殺したのも初めてだった。
伊織が死に、冴子を殺した。
悪い夢でも見ている気分だった。
だが朝になろうと夢が終わることもなく、水の中でたゆたっているようなひどく不安定な感覚だけを残して、今もこうして続いている。
夢であればどれほどいいことか。
しかしどう足をばたつかせても、手で水を掻こうとも、これが現実であることに変わりはない。
見上げていた空から視線を下ろす。がっくりと項垂れると、我知らず涙が地面に落ちた。
俺は何をやってるんだろう。なんでこんなことになっちゃったのか。どうして……。
疑問符ばかりが浮かんでくる。納得する答えなどは何も出ないというのに。
そのとき、耳障りな電子音のあとに、若い男の声でマイクのテストが高らかに鳴り響いた。
あの最初に見た三人の男のうちの一人、おそらく白いスーツを着た男の声に違いなかった。
一貴は耳を塞ぎたくなった。
放送によって改めて伊織や冴子の名前を聴きたくはなかったのだ。
しかし放送では禁止エリアとやらも一緒に流すとされている。気は進まなくともこれを聴かないわけにはいかなかった。
意を決して、男の読み上げるのを待つ。男は事務的に語りだした。
すると、死亡者とされる者の中に、親友である寺谷の名が連なっていた。
一貴は自分の耳を疑った。
だがすぐに伊織や冴子の名も呼ばれ、残念だがこれが死亡者の発表であることに間違いはなさそうだと知った。
眼の前が真っ暗になった。
あの煮ても焼いても食えない寺谷が、どうして……。
とても信じられることではない。
でも……。
そう、伊織も死んでしまった。信じられなくとも、それが事実だった。
だとしたら寺谷とて例外ではないのかもしれない。あいつも死んだのだ。
寺谷のあの小憎らしい嫌味も、説教も、もう二度と聞くことはできない。
伊織のことで相談する必要も、当の伊織が死んでしまってはする意味がなくなっていた。
全てが奪われてしまった。たった一晩で何もかもが変わってしまっていた。
もうどうしていいかわからない。
恋人が死に、友人も死に、そして自分は人殺しとなった。
苦しくて苦しくて堪らなくなった。
それでも、こんなにも苦しまねばならない理由を、一貴は一つだけ知っていた。
静かに顔をあげると、さっきまでと変わらぬ格好で座る女の子が視界に入った。
伊織を殺した張本人――。
こいつさえ居なければ自分が冴子を殺してしまうこともなかった。
逆恨みと言えばそうなるだろう。本来、この子に罪はないのだ。
悪いのはこんなことをさせる人間であり、この子をここまで追い込んだ奴だった。
しかしこの子がここに居なければ二度の悲劇が起きなかったのも事実なわけで、一貴はわかっていながらも憎悪を少女に向けるしかできなかった。
ずっと握っていたスペツナズナイフのグリップの感触を確かめる。ブレードは冴子の額に角のように生えたままだ。
冴子から先端を抜き取り、それをグリップに装着し直し、少女に向けて射出するか……。
真剣に考えてしまう。
あるいは伊織のそばに落ちている包丁を使おうか。そうだ、その方が早いかもしれない。
一貴はふらりと立ち上がると、包丁を拾い上げた。
伊織の血がべったりと付着している。
まだ完全に乾ききっておらず、震える一貴の手を赤黒く汚した。
一貴は穴の開くほどに包丁を見つめた。
これは伊織の血。伊織ちゃんの血。これで伊織ちゃんが……。
そう考えるだけで吐き気がしてくる。同時に、気が昂った。
伊織の命を奪ったこの包丁でこの子を殺せば、少しは供養になるんだろうか。伊織は浮かばれるのだろうかと、本気で悩む。
これをあの女に突き立ててやりたい。何度も何度も、心臓が止まってもなお突き立ててやりたい。
伊織を殺した奴が呼吸をしてるというだけで無性に腹が立った。
一貴は血で滑る柄にぐっと力を籠めると、女の子の後ろに回りこんだ。女の子は体育座りの膝に顔を埋めたまま動かずにいる。
今ならやれる、確実に殺せる。そう思ったとき、一貴は頭上に高々と包丁をかざしていた。
あとは腕をまっすぐ振り下ろせば女の子は死ぬ。伊織の仇を討てるのだ。
包丁を掲げたまま、次第に呼吸が荒くなってくるのを意識する。
だが意思に反して、身体の方は一切動かなくなっていた。
しばらくの間そうしていて、やがて力なく腕を下ろした。結局、一貴にはできなかったのだ。
伊織の仇一つ討てないなんて自分は何て情けない奴なんだと、内心で罵りたくなる。
しかし反面では、これでよかったのかもしれないと、妙に納得している部分があった。
もしここで仇を討ったとしても、それで伊織が生き返るわけでもなかったし、伊織が喜んでくれるとも思えなかったからだ。
それに何より、間違ってとはいえ自分は既に冴子を死なせてしまっている。
人殺しと女の子ばかりを責めることはできなかった。
コーヒーが冷めていくように殺意が失せると、一貴は手にしていた包丁をとり落とした。
包丁はくるりと一回転して切っ先が地面に突き刺さる。
ふっと気を抜いた途端、一貴は強い衝撃を受けてうつ伏せに倒れた。
首を思い切り殴られたんだと思ったが、思った次の瞬間には上手く呼吸ができなくなっていた。
気道に何かが入り込んでくるのがわかる。溺れてしまいそうになる感覚に囚われ、吐き出そうとして激しくむせた。
一生懸命吸い込んでもどこかで漏れているような気がして、一貴は慌てて自分の首を手で押さえた。
ぬるりという生暖かい感触がする。それで初めて自分が撃たれていることに気付いた。
自覚すると痛みまで感じてくる。焼きつくような、これまで味わったことない強烈なもの。
気が狂いそうな痛みと苦しさにもがいていると、視界の端に誰かの足が近づいてくるのが見えた。
もうパニックになりかけていた。だが近づいてくる足から眼を離すことができない。
ヒューヒューと喉にできた穴から音を出して、一貴はほんの少しだけ顔を持ち上げた。
自分と同い年くらいの、いやもしかしたらもっと年下にも見える男の子が、銃口から白煙を燻らせて近づいてきていた。
一貴は自分の死を確信した。
呼吸は上手くできず、血も流れすぎていたため、身体の自由も利かなくなりはじめていた。
これでは逃げることはできない。闘うこともできない。
例えようもない程の恐怖だったが、存外一貴の気持ちは穏やかだった。
けして諦めたわけではない。できることなら生き永らえたかった。
しかし、自分の身体だけにもうそれが難しくなりつつあるということをよくわかっていたし、
今となっては状況がそれを許さないということもよく理解できた。
このままここで死ぬのは仕方がない。だが最後にもう一度だけ伊織の傍に行きたいと、一貴は切に思った。
片手で喉を抑えたまま、伊織のもとへ懸命に這いずる。
何かがすぐ隣を横切っていくのが見えた。あの女の子が逃げていくところだった。きっと銃声で驚いたのだろう。
さっきまで殺すつもりでいたくせに、どうか無事に逃げ切れよと去り行く背中に檄を飛ばして、
それでも一貴は身体を休めようともせず、伊織のもとへと重い身体を引き摺り続けた。
やっとの思いで伊織の傍に寄ると、咳き込み血の混じった痰を吐き、苦しそうに伊織ちゃんと一声呼んでその手を握り締めた。
伊織の手は死後硬直ですっかり硬くなっていたが、一貴は指に自分の指を絡ませた。
仰向けになって空を見上げると、もうそこにベルベットのカーテンはなくなっていて、眼の覚める青さだけが広がっていた。
ああもう完全に朝になったんだなと、一貴はぼんやりと思った。
頭の中では伊織や寺谷達との思い出が駆け回っている。
なぜだか妙に満ち足りた気持ちの中で、一貴は眼を閉じた。
最後に冴子にごめんなさいと呟き、伊織に大好きだよと言って、握る手に力を籠めた。


【E-04/神塚山山中/一日目・午前6時30分過ぎ】
【女子01番 赤木晴子@SLAM DUNK】
状態:精神的に不安定、自分の殻にこもってしまっている・首に切り傷(伊織のタイが巻かれている)
装備:なし
道具:なし
思考:1.何も考えられない
備考:支給品は全て紛失


【E-05/神塚山山中/一日目・午前6時30分過ぎ】
【男子36番 御子柴徹@ルーキーズ】
状態:疲労度中、顔に打撲
装備:9mm拳銃(3/10発)
道具:支給品一式、菊丸の支給品一式、ボウガン(残矢9本)
   (予備弾、矢の支給: 無し)
思考:1.勝負の厳しさを知る(ゲームに乗る)
   2.生き残って川藤を甲子園に連れて行く
   3.女の子(唯)の死に顔が脳裏から離れない


【男子20番 瀬戸一貴@I''s(アイズ) 死亡確認】


※ 一貴、晴子、冴子、伊織の支給品を御子柴が回収したかは次の作者さんに任せます。


投下順
Back:疑念 Next:ボス郎が繋ぐ縁

時間順
Back:疑念 Next:最優先事項

許容範囲 瀬戸一貴 死亡
許容範囲 赤木晴子
空に叫ぶ 御子柴徹

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最終更新:2008年02月13日 21:24