諸君らは「春画」というものをご存知であろうか。
少なくとも聞いたことはあと思う。簡単に言えば、江戸時代頃に流行した猥褻絵巻……つまりエッチな絵である。
少なくとも聞いたことはあと思う。簡単に言えば、江戸時代頃に流行した猥褻絵巻……つまりエッチな絵である。
春画は江戸のポルノグラフィであり、基本的に一般に公開するのを躊躇われる存在であった。なので、枕絵、枕草子、ワ印など多くの俗称がある。初期は肉筆画が多かったそうであるが、多色刷りの版画技法によって色刷りの木版画、つまり錦絵が生まれると、一八〇〇年頃から庶民にも普及するようになったという。
しかし、通常の錦絵がほとんど四色から五色の色で済まされていたのに対し、春画は何と十二色近い色が使用され、最高の刷り師が金泥・銀泥もろもろの高級色までもを贅沢に使って刷り上げていた。春画は性におおらかであった当時においても大っぴらに出版できるブツではなく、いわば現代の裏本である。しかしそれによって、数が捌けない分だけ内容は豪華絢爛贅を尽くした一級品であったのである。「浮世絵の最高の技術が結集しているのは春画だ」とまで言わしめているのだ。
何しろ現代の技術を持ってしても五色が限度と言われている錦絵である。当時の職人たちの技術が如何程のものであったのかは想像に難くない。事実、高名な浮世絵師はそのほとんどが春画に手を染め「春画師」となり、そして今日においては芸術作品として世界中で評価されている。
しかし、通常の錦絵がほとんど四色から五色の色で済まされていたのに対し、春画は何と十二色近い色が使用され、最高の刷り師が金泥・銀泥もろもろの高級色までもを贅沢に使って刷り上げていた。春画は性におおらかであった当時においても大っぴらに出版できるブツではなく、いわば現代の裏本である。しかしそれによって、数が捌けない分だけ内容は豪華絢爛贅を尽くした一級品であったのである。「浮世絵の最高の技術が結集しているのは春画だ」とまで言わしめているのだ。
何しろ現代の技術を持ってしても五色が限度と言われている錦絵である。当時の職人たちの技術が如何程のものであったのかは想像に難くない。事実、高名な浮世絵師はそのほとんどが春画に手を染め「春画師」となり、そして今日においては芸術作品として世界中で評価されている。
しかしそれは江戸時代の話である。
春画、ひいては「絵を描く」という行為そのものが希少であった時代は、既に遠い過去のお話なのだ。
春画、ひいては「絵を描く」という行為そのものが希少であった時代は、既に遠い過去のお話なのだ。
今日、人間の持つ技術は日夜目まぐるしく発達し、人々は神の代わりに科学と情報を崇拝する。誰でも好きな時に好きな絵を描き、それを見たり見られたりして一喜一憂できる。スケッチでもしたければ近所の文房具店でスケッチブックと鉛筆を買えばそれでいいし、余裕があるのならばパソコンやペンタブレットを購入してCGに手を出してもいいだろう。それは全く個人の自由である。
現代社会において、絵というものは全く持って希少ではない。
なにしろそこらのコンビにですら数多の猥褻書籍がずらりと売られ、支払い方法さえ知っていれば小学生だろうがエロゲを購入できる時代である。別に本やエロゲでなくとも、適当にパソコンの電源を入れればめくるめくアダルティな世界へと簡単に飛び込めるだろう。全く持って不健全な時代である。
しかも最近はオタク文化なるものが発展しているとかで、同人誌の一般化も目まぐるしいというではないか。誰もが猥褻な絵を描き、そして誰もが猥褻な絵を見ることが出来る時代だ。最も同人誌全てが猥褻とは限らないであろうが。
なにしろそこらのコンビにですら数多の猥褻書籍がずらりと売られ、支払い方法さえ知っていれば小学生だろうがエロゲを購入できる時代である。別に本やエロゲでなくとも、適当にパソコンの電源を入れればめくるめくアダルティな世界へと簡単に飛び込めるだろう。全く持って不健全な時代である。
しかも最近はオタク文化なるものが発展しているとかで、同人誌の一般化も目まぐるしいというではないか。誰もが猥褻な絵を描き、そして誰もが猥褻な絵を見ることが出来る時代だ。最も同人誌全てが猥褻とは限らないであろうが。
猥褻な絵、すなわち春画が高級品として崇拝され、そして同時に「春画師」という職業が、それが大っぴらでないにしろ持て囃されていた時代は、既に終わっているのである。
現代社会において、「絵師」とはなんぞや?
それすなわち、「イラストレーター」である。
それすなわち、「イラストレーター」である。
それでは「春画師」とはなんぞや?
それすなわち、「エロイラストレーター」である。
それすなわち、「エロイラストレーター」である。
あんまりである。威厳の欠片も無い。既に「職人」どころか、むしろ引き篭もりながら不健全で猥褻な絵をこりこり描いている根暗なオタクのイメージが先行する。それが本職だろうが趣味だろうが関係ない。そもそも食い扶持を稼ぐために猥褻な絵を描くしかないなど、何とまあ器の小さきことであろうか。しかも失礼を承知で言わせて貰えば、これは私の個人的見識であるが、猥褻な絵というものは非猥褻なものよりも恐らく敷居は低いであろう。何故かと言えば人々が猥褻な絵に求めるのは技術ではなくエロスだからである。つまり多少技術が無かろうがオカズにできればそれでいいのだ。
中にはそれでいいと言う者も居るだろう。エロイラストレーターに憧れてそういう学校に入ってしまうような者も居るだろう。
そうなのだ。猥褻な絵を描くこと、そしてそれが評価される事が悪ではない。むしろ確固たる技術によって裏付けされた安定感と持ち得るセンスを掛け合わせて絵を描き、更にそれが誰かの自家発電の呼び水になるのは素晴らしい仕事かもしれない。まさにギヴアンドテイク。誰かのためになる仕事ではないか。
そうなのだ。猥褻な絵を描くこと、そしてそれが評価される事が悪ではない。むしろ確固たる技術によって裏付けされた安定感と持ち得るセンスを掛け合わせて絵を描き、更にそれが誰かの自家発電の呼び水になるのは素晴らしい仕事かもしれない。まさにギヴアンドテイク。誰かのためになる仕事ではないか。
だがしかし、それは才能とセンスを努力によって開花させた者にのみ与えられる栄光である。
それほど上手くもない絵をひけらかし、売れたら運が良かった、売れなければ運が無かったで済ませ、そしてたまに描く健全で健康的な絵は全くと言っていいほど誰にも評価されない。まさに「エロいだけが取り柄の絵」を描きつつ日銭を稼ぐ。そのくせ日常的に「春画だなんてそんな尾篭なものは描きたくない」などと零す。というかそもそも実を言うと絵を描くのが個人的に好きなだけであって別にそれに誇りも何も持っては居ない。どころか実を言うと被写体である女たちに自分自身は全く興奮しない上、怠惰で天邪鬼、「好きで描いたものが売れればそれはまあラッキー」という誇りある者にグーパンを喰らわされても何も文句は言えないような事を心の片隅で考え続けており、卑屈なくせに妙に意地っ張り、低評価されれば自分は世界で一つだけの花だからナンバーワンにならなくてもいいとどこぞのJポップの歌詞のような事をたらたらとのたまう。
それほど上手くもない絵をひけらかし、売れたら運が良かった、売れなければ運が無かったで済ませ、そしてたまに描く健全で健康的な絵は全くと言っていいほど誰にも評価されない。まさに「エロいだけが取り柄の絵」を描きつつ日銭を稼ぐ。そのくせ日常的に「春画だなんてそんな尾篭なものは描きたくない」などと零す。というかそもそも実を言うと絵を描くのが個人的に好きなだけであって別にそれに誇りも何も持っては居ない。どころか実を言うと被写体である女たちに自分自身は全く興奮しない上、怠惰で天邪鬼、「好きで描いたものが売れればそれはまあラッキー」という誇りある者にグーパンを喰らわされても何も文句は言えないような事を心の片隅で考え続けており、卑屈なくせに妙に意地っ張り、低評価されれば自分は世界で一つだけの花だからナンバーワンにならなくてもいいとどこぞのJポップの歌詞のような事をたらたらとのたまう。
それは誰だ。
私である。
私である。
◆続