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人間失格×らき☆すた

人間失格×らき☆すた

 私に渡された三枚の写真には、同一人物が写っているらしい。
一枚目は小学校低学年の時の写真だ。
喩え凶悪殺人犯であれ幼い時を映した写真には、
可愛らしい子供の姿が映っている。そして私はそういった写真を見るたびに
悲しくなるのだ。こんなに可愛い時期があったのに、
どうして道を踏み外してしまったのだ、と。
だがこの写真を見ても、どうしても憐憫の情は湧いてこなかった。
そもそもその写真に写っている子供が全く可愛くないのだ。
少なくとも、あの女は人間を失格するべくして生まれてきた、
そう思わざるを得ない程には、憎らしい容姿をしていた。
 どの要素がこの童女を憎らしく見せているのか。
それはこの目に尽きる。
世の中の全てを睨み上げると同時に、
世の中の全てを見下すような矛盾に満ちた瞳。
この瞳を私は今まで何度恐れてきただろうか。
 二枚目は大学時代のものらしい。
三枚の写真の中では一番私が知っているあの女──柊かがみ──の面影を宿す一枚だ。
だからだろうか。こんなにもこの写真を破り捨てたくなる衝動に駆られるのは。
まるで今にも、写真の中の女が喋り出しそうな恐怖に襲われる。
見ているだけで不愉快な一枚である。
 さて、最期の一枚であるが…。
これも柊かがみのものであるらしい。なんとも形容しがたい姿が映されている。
いつの頃撮ったものかも不明だ。最早柊かがみを思わせるパーツなんて、
吊り目しか見当たらない。

いや…それ以前に、だ。この写真に写されているのはそもそも人間だろうか?
私も多数の精神疾患を抱えた人間を見てきた。
不幸な人間も多く見てきた。
だが、そういった人間達とは何かが違う。
不幸な人たちも精神疾患を抱えた人たちも、ある一点は共通していた。
あらゆる感情の重みに潰されている、という一点だ。
その重み故に、感情それ自体を一時的に封印してしまっている人間も居た。
だがこの写真に映っているモノは違う。感情というよりも
心そのものを──封印というよりむしろ──捨ててしまっている、
そんな印象を受けた。

 あの女の事など最早どうでもいいが、
写真と一緒に渡された三枚の便箋の内、一枚目を広げ、目を走らせた。
一体何が起これば人は心を捨て去れるのか、少しだけ興味を惹かれたのだ。


 「一枚目」
 物心ついたときから、私は周りよりも優れた存在であろうとしていた。
幼稚園や小学校ではクラスメイトと張り合い、
また家庭でもつかさやまつり姉さんと張り合っていた。
 この気質を幼い時は、単に負けず嫌いなだけだ、と思っていた。
だが実際は違った。単に、人間を見下していただけなのだ。
見下している対象より自分が劣ってしまう、それだけは避けねばならない。
その思い故に、私は周囲より優れた存在であろうとしていたのだ。
本当に何様のつもりだったのか。今思い出すと呆れてしまう。
自分は人間ではなく、より高次の存在、例えば神のようなものだと
思いあがっていたのだから。

 尤も、これはある意味啓示めいた思いあがりだったのかもしれない。
その後、見事に人間としての道を踏み外すことになるのだから。
それも、私の傲慢極まりない思いあがり故に。
尤も今の私に取ってみれば、人間を超えた存在である神も、
人間未満の存在である私も、人外という意味において等価だ。

 話が少し横道に逸れた。
さて、本題に戻すとしよう。
小学校高学年くらいからは常に学年トップクラスの成績を収めていた。
学年トップクラスにランクイン、これは中学校に入っても続いた。
もう中学生になる頃には、つかさを以前のような競争相手として
見る事は無くなっていた。むしろ、保護の対象だった。
優れている姉は不出来な妹を保護しなければならない、
そのような義務感に目覚めたのだ。
これも所詮は思いあがりでしかなかったが。
 とにもかくにも、中学時代までは私は無敵だった。
劣等感というものを知らなかった。
女王、当時の私を形容するのならばこの名称が相応しい。
尤も、実態は裸の女王様でしかなかったのだが。
 県内トップクラスの進学校、稜桜学園高校にもあっさりと合格した。
実際、つかさに勉強を教えながらでも難なく受かったのだ。
 稜桜に難なく受かった、その事で私の天狗っぷりは頂点に達した。
まだ稜桜に入ったわけでもないのに、
既に稜桜でも女王を気取る自分の姿を夢想していたくらいだ。

 だがそんな私の夢想も、稜桜高校入学後まもなく瓦解する事になる。
女王ではなくなってしまったのだ。

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 一枚目の手紙はそこで終わっていた。
私はこの女の事なんて、高校時代の三年間しか知らない。
だから、幼い時の話が書かれていたときは新鮮さを期待したものだ。
私の知らない柊かがみ、それが書かれているのではないのか、と。
 だが実際には、私のよく知っている柊かがみ像しか書かれていなかった。
高慢で尊大で傲岸不遜な柊かがみ。
新鮮味なんて全くなかった。
 それでも二枚目を手に取ったのは、気になる文節があったからだ。
柊かがみの唯我独尊が高校入学後まもなく打ち砕かれた、
という意味の最期の二行だ。
思い返しても、高校時代三年間通じて彼女は間違いなく女王気取りだった。
周りを蔑むようなあの目に射竦められていた日々も、
昨日の事のように思い出せる。
 だが、彼女は夢想が高校入学後まもなく瓦解した、と書いている。
女王ではなくなった、と。
 私が見てきた、周りを常に見下す高慢なあの女は
一体何だったのか。
どうしても気になった。
 その疑問を氷解させるべく、私は二枚目の便箋も開いた。


「二枚目」
 高校の入学式、新入生代表の挨拶を任されたのは私ではなかった。
はるばる東京から通う事になった、眼鏡をかけた女子だった。
私は楽々とこの高校に受かってはいたが、トップで合格した訳ではなかったのだ。
尤も、その事を自覚してなお私の自信は崩れなかった。
どうせ2年進級までにはあの女子も私の足元に跪く、
そう思っていた。今までどおり、勝てると思っていたのだ。

 新入生代表の彼女とは、クラス代表の委員会で初めて話すことになった。
私はC組のクラス代表に選出され、彼女は別のクラス代表に選出されていた。
いや、私の場合は選出されたわけではなく立候補した、
というのが真相ではあるが。
 彼女と話したところ、正直な話、拍子抜けしたのを覚えている。
私を押しのけてトップ入学を果たしたくらいだから、
もっと怜悧な話をする女子だと思っていたのだ。
だが、彼女の話し方は非常におっとりしていた。
話し方だけではない、物腰もおっとりしたものだった。
 彼女の物腰や話し方に甘さを感じ取った私は、
早くも次の中間テストで彼女を抜きされると確信した。
本気で勉強すれば彼女なんて目じゃない、そう思っていた。
 だから私はその日以来、必死で勉強した。
予習復習、欠かした日はない。
 しかし、中間テストは彼女の勝利に終わっていた。
いや、勝利、という言葉を使うのはおかしいかもしれない。
私が勝手に競争意識を持っているだけだったのだから。
だから、私の敗北に終わった、そう表現するべきだろう。
 その日以降も私は予習・復習を続けた。
だが期末テストでも敗北した。彼女とはよく話をするようになっていたのだが、
どうも彼女は家でそれほど勉強しているわけではないらしい。
なのに、必死に勉強した私が敗北した。
この事実を突きつけられた私は、最早女王を気取る事はできなくなった。

 それでもその事実を認めたくない私が自己の中に同居していたのも確かだった。
だからこそ、私は以前より一層周囲を見下すようになった。
周囲を見下すことで、自身の優秀さを確認するかのように。
 どうしても勝てないあの女のせいで、私の三年間は地獄と化したのだ。
そう、それから彼女に私が勝つ事は三年間遂に訪れなかった。
それは勉強に限った事ではない。スポーツも、スタイルも、
告白された回数でさえ彼女には及ばなかった。
 だから私は、事あるごとに言い訳めいた行動を取る様になった。
例えば、つかさの勉強を頻繁に見るようになったのも、
テストで彼女に勝てない理由付けの為だ。
テスト前日までつかさの勉強に付き合っていたから私は負けました、
そう自分に言い聞かせる事で、どうにか自尊心を保っていた。

 けれども、オアシスはあった。
それが親友、泉こなただ。
つかさと並び、私が常に優越感を持っていられる人間だ。
こういう存在と一緒に居ると、心の底から安心できた。
 そしてこなたはつかさと違い、私が弱さを見せられる存在でもあった。
つかさの前では完璧な存在でありたかったが、
こなたの前ではそのような使命感は沸かなかった。
つかさと違い、守る必要性を感じなかったから。
それに加えて、こなたの前でどんな醜態を演じたとしても、
こなたより下の存在になることはない、そう思う事ができたのだ。
恐らくそれはこなたの能力が低いから、というよりむしろ、
こなたが所謂オタクと呼ばれる存在だったからだろう。
私も他の一般人と同じように、オタクを一段下の存在だと見ていた。
その証拠に、こなたと同じく能力の低い存在である日下部の前では、
醜態を演じるような真似はしたくなかった。
むしろ、スポーツ万能という点においては、
日下部にすらコンプレックスを抱くようになっていたのだ。
だが、こなたもスポーツ万能ではあるが、
その点にコンプレックスを抱いたことはない。
あの女に出会い、私が完璧な存在ではないと思い知らされてからは、
些細なことでも私は劣等感に苛まれるようになっていた。
それでもこなたの前では、安心して素の自分でいられたのだ。

 こなたが居たお陰で高校三年間、どうにか修了することができた。
尤も、大学受験は最悪だった。
結局第一志望に落ち、受かったのは第二志望の私立だった。
浪人を考えないでもなかったが、経歴に傷を付けるのが嫌で第二志望へと進学した。
それともう一つ。弁護士を考えていた私は、
法科大学院への進学を前提に進路を選ぶ必要があった。
法科卒業後三振した時の年齢を考えれば、
公務員転向の為にも浪人は避けるべきだと考えた。

 ああ、思えばこの時に私は既に自信を喪失していたのだ。
かつての、中学時代までの私ならば、
そもそも司法試験に落ちる事など考えなかったはずだ。
それが、あの女に三年間かけて殺され続けたお陰で、
私の万能感は尽き果ててしまった。
第一志望に落ちたことよりも、あの女の存在が私から自信を奪ったのだ。
入学式からずっと付き纏っている、あの女へのコンプレックス。
それに打ち克つ事ができなかった。
 ただ、それでも私にはまだプライドがあった。
負け続けたにも関わらず、プライドは残り続けていた。
それが悲劇に繋がっていった、そう今では思っているが。
そのプライドは私の口を介して、こなた達に「第一志望に受かった」、
そう言わせていた。
勿論、大学名を誤魔化して伝えたのではない。
元々何処の大学を受験するのかさえ言っていなかった私は、
第二志望の大学を第一志望だと偽ってこなた達に伝えたのだ。
 それまで意固地に、何処の大学を受験するのか言っていなかったのが幸いした。
いや、今思い返すと私は分かっていたのかもしれない。
元々第一志望に受かる見込みなんてない、だから予め保険かけとこう、と。
 かくして私の高校生活は終わりを告げた。
あの陳腐極まりない卒業式と共に。
 ああそうだ、もう一つ書くべき事があった。
卒業式後、クラス会があったらしい。らしい、
というのは私は呼ばれなかったからだ。
峰岸や日下部には友情を感じたことがあったが、
私の一方的な思い込みでしかなかった。
それにしても…桜庭先生も出席したらしいじゃないか。
先生からでさえ、私は嫌われていたのだ。
ああ、人間を見くびっていた。きっと私が周囲を見下していた事なんて、
皆心の何処かで分かっていたのだろう。



 そのような紆余曲折を経て、私の大学生活は始まった。
大学の近くにアパートを借りて、一人暮らしもスタートした。

 サークルにも加入したが、すぐに辞めてしまうことになる。
ああ、新歓の飲み会でやらかしてしまったのだ。

 周囲からアルコールを勧められても、私は意固地に拒否した。
「まだ未成年なんで」そう繰り返した。
 私の真面目っぷりに苦笑しながらも、先輩は執拗に勧めてきた。
「悪法もまた法なりし、か。将来有望じゃないか。
でもさ、ここは一口だけでも飲んどきなよ。
それで合わないと感じるようなら、無理に薦めたりしないからさ」
 そう言って薦めてくるのだ。一口だけでも飲んでおけば、
その後の大学生活も変わったかもしれない。
たった一口すら拒んだ事、それが私の大学生活を狂わせた。
「だから、未成年者の飲酒は法律で禁止されてるでしょうっ。
貴方も法学部生ですよね?そしてここは法学研究会ですよね?
なのに法律を軽んじるような事が許されると思っているのですか?
それと、無理にアルコール勧めるのはアルハラじゃないっ」
 私は毅然とした口調で、ヒステリックに怒鳴りつけた。
法学研究会、きっと真面目な人たちが集まっており、
司法試験にも有意義だと思っていた私の理想が砕かれたのが
ショックでついつい怒鳴ってしまっていた。
 辺りは水を打ったように静まり返り、刺すような視線が私に注がれた。
その視線に、私は無言の声を聞いた気がした。
「空気読めない」「偉そうに」「可愛げがないね」
「お前に法律の何が分かる」「協調性がない」「何様のつもりだ」
声こそ発していないが、彼ら彼女らの視線はそう語っていた。
居たたまれなくなり、私は五千円札を投げつけると
逃げるように居酒屋を出た。
サークルにはその後、顔を出す事はなくなった。

 この事件があった後は、学内で新たな人間関係を築こうとは
思えなくなった。元々学歴にコンプレックスを抱えていたが、
あの事件のせいでより一層この大学の学生が下衆な存在に思えてしまったのだ。
だから私は、クラスの必修でも周囲の人間に話しかけようとは思わなかった。
孤独なら孤独で結構、そう思っていた。

 だがこの決意も、二ヶ月経たずに崩れることになる。
それを強く意識したのが、学食だった。
周囲は楽しそうに談笑しながら昼食を摂っているのに、
私は一人ぽつんと昼食を摂っている…。
これが酷く惨めな事に思えたのだ。
周囲の笑い声が私への嘲笑にも感じられた。
一人でご飯を食べている私を笑っているように思えたのだ。
 それに耐え切れなくなった私は、
クラス内で何とか友達を作ろうと思いたった。
だが、遅すぎた。クラスは既にグループが形成されていたのだ。
私の付け入る隙なんて、何処にも見当たらなかった。
そう、結局話しかける事すらできなかった。
 だが学食で一人昼食を摂るのも限界に近づきつつあった。
そんな心理状態が続いていたある日のことだ。
私はトイレの個室で一人篭っていた。
その日は朝からお腹の調子が悪かった。
どれだけ篭っていたのだろう。30分くらいは篭っていたのかもしれない。
そんな時、隣の個室に誰かが入る音がした。
だが、続いてきた音は、衣擦れの音でも排泄音でも無かった。
トイレではおよそあり得ない音が聞こえてきたのだ。
それは、紛れも無く咀嚼音だった。
脂汗滲む腹痛の中で私は思った、「あ、これはアリだ」と。
トイレでご飯を食べれば周囲の目を気にしなくて済む、と。
 その思考の異常さに気づいた時、私は胃の内容物を吐き出してしまった。
隣から聞こえていた咀嚼音は消えた。続いてドアの開く音が聞こえ、
個室から逃げるように遠ざかる足音が私の耳に届いた。
今思えば、あの人も私の仲間だったのかもしれない。
そうでなければ、トイレで食事なんてしないだろう。
 その日以来、私は学食を利用しなくなった。
無論、トイレで食事を採るような事もしなかった。
家が学校から近い事を利用して、一々家に帰って昼食を食べたのだ。
家と学校を一日に二回も往復しながら私は誓ったものだ。
秋季は午前か午後に履修科目を偏らせよう、と。
 少なくとも、学食を利用せずに済むという点に関しては
家が学校から近い事が幸いした。

 「学食を利用せずに済むという点に関しては」という留保がつくのは、
勿論欠点があるからに他ならない。
そう、学校から近いが故に、通学路の一つともなっていたのだ。
だから部屋に面した道路から、時折学生達の話し声が聞こえてくる。
仲良さそうに喋りあう学生達の声が。
それだけではない。同じアパートに住む学生達が、
度々友人を部屋に連れ込む姿を目撃しなければならないのだ。
 部屋に居る時ですら、私は疎外感に苛まれ続けなければならなかった。
それでも学校に居る時よりは幾分かマシではあったが。

 友人が居ない、という事は孤独感に苛まれるだけではなく、
大学生活においてはハンデとなって付き纏う。
例えば普段の講義の時、出席カードを友人の分まで提出している
という光景は一年の春季から既に見慣れたものとなっていた。
友人が居るからこそ、できる芸当なのだろう。
 ああそうだ、一年次春季のテスト期間の時
私は友人を作る機会に恵まれた、と錯覚したのだった。
とある講義が終わった後、私は面識の無い人間にいきなり話しかけられた。
ノートをコピーしたいので貸してくれ、という話だった。
丁度その時期、クラスメイト達が必修の時間を利用して
ノートを交換しあうという光景を見ていた私は、
そういった関係に憧れていた。
だから私は嬉々としてノートを差し出した。
ここから友人関係に発展していくかもしれない、
その期待に私の胸はときめいていた。
だが、その期待は裏切られる事となる。
それ以来、その人にあった事は無い。
ノートも帰ってこなかった。

 それでも単位取得に手間取る事はなかったが。
それくらい、テストは簡単だった。結局この時私は知る事になる。
所詮大学の単位取得など、出欠の確認を取る講義を除けば容易であるという事を。
出欠の確認を取る講義であっても、出席さえしていれば問題は無い。
いや、出席を採点項目に加えていない講義を狙って履修していけば、
学校にはほとんど登校しなくとも単位取得は可能ということになる。
この、一旦入学すれば卒業するのは楽、という日本の大学のシステムも
私にとっては不幸に作用する事になるのだが。

 テスト期間が終わると、夏休みに突入した。
この夏期休暇、不必要なまでに長かった。
友人の居ない私に取っては、地獄のように退屈な日々。
そんな折だった。つかさから電話がかかって来たのは。
久しぶりに皆で集まって遊ぼう、という旨の電話だ。
 その皆、というのが誰を指すのか私には分かっていた。
私とつかさとこなたと、そしてあの女だ。
だから私は断った。あの女の事だから、どうせ充実した日々を送っているのだろう。
折角高校を卒業してあの女から逃れたというのに、
再び会おうという気が起ころうはずもない。
決して超えられない壁として私の前に立ちふさがった完璧な存在、
そんな女にどうして今の私が会うことができよう。
孤独な大学生活は辛かったが、あの女に会う事がないだけ
まだマシだと言えた。
 それでも私にとって、つかさからの電話は一筋の光をもたらした。
そう、空の果てのような退屈を打破するための、
地の底のような孤独を打破するための方法が提示されたのだ。
 その日以来、私はつかさやこなたに電話する日が続いた。
つかさからの誘いは適当に理由をでっちあげて断ったが、
電話で人と話すことで退屈を紛らわせようと思ったのだ。
 しかし、その電話もしなくなった。
その理由として、こなたやつかさに電話すると必ずといっていいほど
あの女の話が出てくる事が挙げられる。
「TOEICでスコア700叩きだしたんだって。凄いよねー」
「サークル掛け持ちしてて大変らしいよ」
「理系って宿題いっぱい出て大変らしいね」
「夏休みのはずなのに、合宿とかで学校ある日より忙しいんだって」
etcetc…
 結局、あの女から逃れても、あの女の影は未だ私に付き纏い続けていたのだ。
あの女の充実した学園ライフをこなたやつかさの口から聞くのが恐ろしくて、
つかさやこなたに電話することさえ容易ではなくなった。

 結局、9月に入るとこなたやつかさに電話する事も無くなった。
代わりに、峰岸や日下部に毎夜の如く電話するようになった。
だが、そのような日々も長く続かなかった。
9月も三週目になる頃だろうか。日下部から言われてしまったのだ。
いい加減しつこい、と。私もあやのも迷惑しているんだ、と。
ああ、そうだ。更に胸に突き刺さる事も言われたんだ。
「そうやって都合のいい時だけ人に縋ろうとするから、
卒業式後の打ち上げにも呼ばれないんだよ」
 目の前が真っ暗になったのを覚えている。
 その日以来、日下部にも峰岸にも連絡することはなくなった。
ああ、その日、私はうまれて初めてアルコールを飲んだ。
煙草も吸った。半ば自棄になったように、
コンビニでアルコールを購入したのを覚えている。
コンビニの店員は新入りだったらしく、年齢の証明は求められなかった。
アルコールを傾けながら、私は後悔したものだ。
どうせ法律違反を犯す事になるのなら、新歓の時に飲んでおけば良かった、と。
そうすれば、大学生活が狂うこともなかったのかもしれない。
一体あの時の正義感は何だったのだろう、生まれて初めて自分を嘲笑したのを覚えている。
 この辺りからだ。私がインターネットに依存するようになったのは。
特に、匿名掲示板は私のオアシスとなった。
そこでなら、私は他人とコミュニケーションを図れた。
そうして私の昼と夜は逆転した。
昼よりも、深夜の方が人が多かったのだ。

 いつの間にか、秋季の授業も始まっていた。
だが私は、春季と違いあまり大学に行く事はなくなっていた。
昼夜逆転の生活習慣となったせいで、登校それ自体が億劫になっていたし、
何よりも必修以外は講義に出なくても単位取得ができる事を知ってしまった。
苦痛を感じてまで無理に登校する意味があまり見出せなくなっていたのだ。
 外出すること自体少なくなった私は、見た目にもあまり執着しなくなっていた。
鏡に映した自分は、もうかつてのかがみではなくなっていた。
そうこうする内に正月になったが、私は実家にも帰らずにひたすらアパートで過ごした。
親に合わせる顔などない、と思っていた。
 そうだ、この頃から私はいわゆるオタク趣味を楽しむようにもなっていた。
オタクカルチャーが蔓延る匿名掲示板に常駐していれば、
私がオタク化するのも時間の問題だったのかもしれない。
ゲームや漫画、アニメに感情移入している時だけは現実を忘れていられた。

 滑稽だ。そもそも私がこなたに対して安心感を得ていたのは、
オタクという属性それ自体を見下していたからだった。
気付けば、自分もまたオタクとなっていた。
これが滑稽でなければ喜劇だ。
それでもその事に気づいた時には、私は涙を抑える事ができなかったが。
もう、私が他人に優越感を抱く余地はなくなってしまったのだから。

お前達の喜劇は、私にとっての悲劇だ。
笑いたければ笑え。いくらでも泣いてやる。

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 二枚目の手紙は、高校三年間と大学一年生の時を綴ったものだった。
状況だけ見れば、何処の大学にも一定数は存在するであろう大学生にしか見えない。
だが、高校当時の柊かがみを知っている私から見れば、
目を覆いたくなるような堕落ぶりだ。
一年足らずで、彼女から気品という二文字はなくなってしまったのだ。
 これ以上手紙を読むのは辛かった。
あの女は嫌いだが、それでも人が堕ちていく様を見るのは
あまり気分のいいものではない。
 それでも三枚目の手紙を手にとってしまうのは、
あの写真が気になったからに他ならない。
あの三枚目の写真に写る”人間ではない何か”はどう形成されたのか。
私は急く心を抑えながら、三枚目の手紙に目を走らせた。


「三枚目」
 大学二年生の日々は、飛ぶように過ぎた。
まともに勉強した記憶は無い。
司法試験を目指していた私は何処へ行ったのか、当の私にも分からない。
成人式も当然のように欠席した。
親からは出るようにと再三電話がかかってきていたが、私は意固地に拒んだ。
日下部と顔を合わせるのが気まずかったのだ。
 ゼミも履修しなかった。生身の人間と議論をする、
などという事は最早私にとっては恐怖以外の何者でもなくなっていた。
 昼過ぎに起きだして、電脳世界に深夜までこもり続ける日々。
引きこもりと何ら変わる事はない。
 そうだ、哲学の本に手を出すようになったのも、
大学二年生の時からだ。ニーチェやキルケゴールと言った実存主義哲学を
好んで読み耽った。孤独の中で読んだ彼等の本は、
私の心の中にニヒリズムとペシミズムを徐々に植えつけていった…。

 そんな日々に嫌気が差し、
私が漸く生活を立て直そうと動いたのは、大学三年生の時であった。
 立て直そうと思えたのは、つかさのおかげだった。
二年生から三年生にかけての春休みの時期に、
つかさから頻繁に電話がかかってくるようになっていた。
どうやら、成人式すら欠席した私を心配してくれているらしかった。
 妹の優しさに涙が出ると共に、もう一度やり直そうとも思えた。
つかさにとって誇れる姉でありたい、今更ながらそのような思いが芽生えていた。
忘れもしない5月5日、私の誕生日につかさは言ってくれたっけ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
と。
 その日から私は大学生活をやり直す為の具体的なプランを練るようになった。
まずは秋にある行政書士試験へ向けての勉強。
今から司法試験は絶望的かもしれないが、
在学中にせめて法律系資格を一つでも取得しようと思ったのだ。

 それともう一つ。アルバイトを始めようとも思うようになった。
今更大学で友人を作る事など不可能に近いが、
アルバイト先でならできそうな気がした。
新しい出会い、それをアルバイトに求めていたのだ。
 アルバイトの求人雑誌を眺めながら私が選んだのは、
ケーキ屋での接客だった。家からは遠いが、
大学から遠いというのは魅力的だった。
同じ大学の学生達に愛嬌を振りまくのが憚られたのだ。
どうせ媚びる態度を取るのなら、一年の時に媚びておけば良かった。
そう思うのが怖かったから。
 電話した所、面接の日程を告げられた。
早速履歴書を仕上げ、私は面接に向かった。
が、結局そのケーキ屋の敷居を跨ぐ事は無かった。
見てしまったのだ、そのケーキ屋であの女が働いているのを。
あの、高校の入学式以来目の敵にしてきた女のエプロン姿を。
店の前まで来ていながら、私の足は固まった。
あの女はここに来てなお、私を邪魔しようというのか。
大体、家が金持ちなのにどうしてアルバイトなどする必要がある。
私の頭の中をノイズのように、怒りの声と疑問の声が駆け巡った。
結局、私はその場から逃げるように立ち去った。
面接を断る旨の連絡もしなかった。

 それでもアルバイトそれ自体を諦めたわけではなかった。
私はすぐにアミューズメント施設へと応募した。
つかさに健全である事をアピールする為にも、アルバイトも友達も必要だった。
アミューズメント施設で働くような人は、
きっと気さくな性格をしていると思ったのだ。
 面接では出勤できる日にちだけ聞かれ、その場であっさりと採用が決まった。
出勤初日は大変だったけど、
教えてくれた人がとても親切で胸が熱くなったのを覚えている。
人と話すのなんて本当に久しぶりで、思ったように話せなかったが
「ゆっくりと慣れてくれればいいですよ」
と優しく微笑んでくれた。真面目そうだから期待している、
とまで言ってくれた。
ここでならやり直せるかもしれない、友人も作れるかもしれない、
そう思えた。もう一度、失われていた青春を取り戻そうと思った。
 しかし、その期待は儚く散った。

 あの女がまたしても私の眼前に姿を現したのは、
私が5回目のバイトに入った時の事だ。
あの女は多数の友人を引き連れて、私が働くアミューズメント施設へとやって来た。
私の顔は引き攣った。私が望んで手に入れられなかったもの、友人。
それをあの女は、あっさりと大量に手に入れていたのだ。
暗く沈んだ思いを抱えつつ、バックヤードに私は篭って仕事をするフリをした。
とても応対などできやしない。
 見せびらかすために現れたのか、そう疑心暗鬼に囚われたが違った。
他のバイトメンバーの話によると、どうもお得意さんらしかった。
私は不運を呪った。私が行く先々、あの女の息がかかっている。
いや、不運だと言うのなら、あの女との出会いそのものが不運だったのかもしれない。
 そして私は店長直々に頼まれた。
あの女の居るグループの接客に当たるように、と。
他のバイトメンバーは手一杯らしかった。
私は必死に言い訳を作って断った。あの女の前に出るのだけは避けたい。
その思いから、必死の形相で断った。しかし、店長は承諾しなかった。
当たり前だ、他のメンバーが手一杯なら、
手の空いている私に接客を命じるしかないのだから。
「腹痛なので早退しますっ」
 結局、私はヒステリックに叫ぶと手早く着替えて帰ってしまった。
店長の呆気に取られたあの顔は、今でも忘れられない。
 その日以来、私がアルバイト先に顔を見せることはなくなった。
早退後二日目まではアルバイト先から電話もあったが、無視を決め込んだ。
 結局私は、あの優しく教えてくれた先輩バイトの期待に応えられなかった。
その事実は、私の胸を鋭く刺した。もう、二度とアルバイトをする気は無くなった。
また期待を裏切るのが怖くなってしまったのだ。

 そうしてまたネット依存の日々に戻った。一旦外へ出てしまえば、
何処へ行ってもあの女に出会いそうな気がして怖かったから。
あの女の影に怯える日々、それが続いた。
時折つかさの優しさを思い出し、行政書士の勉強もするのだが
どうしても勉強の合間合間にネットを覗き見てしまう。
リロードキーを連打するその姿は、完全なる中毒者のものだっただろう。

 結局、行政書士試験は落ちた。当たり前の結果にも関わらず、
私は落ち込んだ。つかさの優しさ、それを裏切ったような気がしたのだ。

 だが、私が落ち込んでも時は流れ続ける。
大学三年生の秋、といえばそろそろ就職活動に突入する時期である。
行政書士に落ちておきながら法科大学院へ進学するなんて、
底なし沼に自ら身を投じるようなものだ。
いや、そもそも法律の知識なんてほとんどない。
講義なんてほとんど出ずに、
概要だけ見て楽そうな講義だけで単位取得してきたのだから。
 だから私は、就職ガイダンスへと出席した。
そこで言われたのは、自己分析が大切だという事だった。
模擬エントリーシートも配られた。次のガイダンスまでに埋めてくるように、
との事だった。
 部屋に戻ってから模擬エントリーシートを見て私は愕然とした。
そこに書かれていた項目は、残酷なまでに私をいたぶった。

【大学時代に最も力を入れて取り組んだ事は何ですか】

【貴方は友人からどのように言われていますか】

【最も印象に残る経験について記入して下さい】

【リーダーシップを発揮した体験を記入して下さい】

【サークル活動・ボランティア活動・アルバイト等を通じて得たものは何ですか】

 改めて突きつけられ、
何もしてこなかった大学生活に対する絶望が背筋を冷たくさせたのを覚えている。
 模擬エントリーシートを埋めることなんてできやしなかった。
二回目の就職ガイダンスは欠席した。

 結局、私がようやく重い腰を上げて就職活動を開始したのは
大学四年の五月頃からであった。

 特に就職したくなったわけではない。
何もしないこと、その事が非常な恐怖となって私を襲い、
就職活動へと駆り立てていた。
面倒なエントリーシート提出がないところにエントリーしていった。
あんな残酷な項目、書けるわけがないのだから。
 けれども、エントリーシート提出がなくとも、面接はある。
私が避けてきたあの残酷な問いは、面接の場で言葉のナイフとなって容赦なく私を抉った。
面接ではあの模擬エントリーシートと、ほとんど同じ事について聞かれた。

「大学時代に最も力を入れて取り組んだ事は何ですか」
 何もしてこなかった。強いてあげれば、匿名掲示板の巡回程度か。

 こんな事面接の場で言えるわけもなく。

「貴方は友人からどのように言われていますか」
 そもそも友人が居ない。
ああそうだ、高校時代に私が友人だと思っていた人間からは、
”都合のいい時だけ人に縋ろうとする”って言われたんだ。
卒業式後の打ち上げに呼びたくない、そう思われていたんだ。

 こんな事言ったら不利になる。

「最も印象に残る経験についてお話下さい」
 無い。
ああ、アルバイト先に私が常々コンプレックスを抱いていた
あの女が現れた事があったか。

 こんな事喋ったら、落としてくださいと懇願しているようなものだ。

「リーダーシップを発揮した体験を聞かせてください」
 皆無。絶無。無。
本当に頭の中が空っぽになった問いだ。
酸欠の金魚のように口をパクパクさせる事しかできない。

 そもそも何も言えなかった。

「サークル活動・ボランティア活動・アルバイト等を通じて得たものは何ですか」
 サークルもボランティアもやっていない。
誰かボランティアの一環として、私の友達になってほしいくらいだ。
アルバイトを通じて得たものも無い。数日で逃げ出したのだから。

 アルバイトをしていた事さえ、伝えられなかった。

 5社目くらいで、私は挫折した。
心が挫け、精神が折れた。面接に行けば、
大学生活がいかに空虚なままに終わったかという事を改めて突きつけられる。
それに耐えられなかった。
生まれて初めて、ストレス性胃潰瘍で吐血したのもこの時期だ。

 それからは、就職活動を一切しなくなった。
ひたすら匿名掲示板や動画サイトを巡ることで現実逃避を続けた。

 夏ごろに、大学から卒業記念写真撮影の案内が届いた。
私はすぐに破り捨てた。空虚なまま終わっていく大学生活に、
思い出として残す価値を見出せなかった。
卒業アルバムも頼まなかった。
 そうこうする内に、秋になった。
大学のリクルートボードに貼られた秋採用の文字も見えないフリをした。
本当に情けない、つかさもこなたも初夏には内定を得ていたというのに。
 秋といえば、内定式の時期だ。私には縁のない儀式が、
10月1日に執り行われた。つかさはスーツを新調したらしい。

 冬。この時期も残酷だった。
街を歩けば、卒業旅行を呼びかけるポスターがそこかしこに貼られている。
駅前のキャッチも、卒業旅行のパンフレットを狙い済ましたように私に手渡してくる。
友達が居ない私には縁のない話だ。
レールを外れてしまうと、世のイベントのほとんどが縁の無いものになる。
その事をほとほと痛感した冬だった。
 自分がレールを外れても、世の人々はライフステージに合わせた
イベントを楽しみ人生を謳歌する。その事に耐えられず、
この頃から私はアルコールやニコチンに逃げるようにもなった。
最早電脳世界でさえ、没頭できなくなっていた。
現実にすぐ引き戻されるのだ。
だがアルコールが頭に回っている時は、まだ逃げていられた。
 実家にも帰らず、アルコールに頼ったまま年が明けた。
そういえば、大学時代結局一度も実家には帰らなかった。
 勿論実家からはしつこく一度は帰るようにとの電話はあったが。
そして卒業式シーズンを迎えると、別件で実家から電話がかかってきた。
一応アパートの契約更新はしたという事を伝える電話だった。
それともう一点。卒業式に着る振袖はどうするのか、という電話だった。
私は断った。どうせ卒業式なんて出るつもりなかったから。
 それでも、つかさは綺麗な振袖を着て卒業式に出席するのだろう。
そして、別れを惜しむように涙を流すのだろう。
気がつけば、つかさにも追い抜かれていた。

いや、本当は遥か昔につかさの方が大人になっていたのかもしれない。
 私は、暗い部屋の中にすっかり大人の女性としての魅力を備えたつかさの
姿を見たような気がした。

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最終更新:2008年10月05日 17:23
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