そう云って、こなたは喋るのを止めたのだ。そのときこなたの口から漏れ出た吐息は、ため息なのか嗚咽なのかよくわからない物だった。よくわからないなりに、それは明確に話を止めるピリオドなのだった。
今は何時くらいなのだろうかと思う。もう日付は変わっているだろうか。クリスマスの当日になっているだろうか。
けれどクリスマスになっても、きっとこの部屋に奇跡はやってこない。聖霊の導きも父の許しも三博士の祝福も、夜の底に沈むこの部屋にはやってこない。
だって、もしクリスマスの夜に私たちの元に奇跡がやってくるのなら、一体どうして三年前の今日、こなたの身にそんなできごとが起きなければいけなかったのか。
こなたは、ずっと泣いていた。男の子の話になってから、ずっと泣いていた。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、過去の失敗を口にして。友達との別れを口にして。その度にこなたの中で何かがわななくのだろう、小刻みに身体を震わせた。
そんなこなたを抱きしめながら、私も流れていく涙を拭うこともできずにただ聞いていた。
最初のうちは合いの手を入れていたけれど。そうしてなるべくいつもみたいな会話になるよう、からかったりもしたけれど。こなたが泣き出してから私は何も云うことができなくなっていた。
――どうして。
そんな単語だけが頭の中をぐるぐると駆けめぐっていた。どうして私の大切な人がこんな目に遭わないといけないのか。どうして私が大好きな人が泣かないといけないのか。どうしてこなたが苦しまないといけないのか。
こなたは、どうしようもなく彼のことを傷つけたと思う。あの茜差す太宮で見た、彼の横顔を思い出す。こなたを見つめる彼と、彼を見つめるこなたのことを思い出す。二人ともぐっと唇を引き結んで、何かに耐えるように見つめ合っていた。気を抜けば濁流に流されそうになりながら、全身全霊を篭めて踏みとどまっている。そんなぎりぎりの瀬戸際で、二人とも懸命に前を向いていた。
彼のプライドはずたずたになっただろう。つき合っていたはずの、ずっと好きだった女の子。思いを決してその子を抱きしめたときに、返ってきたのがこれ以上ないほどの明確な拒絶だったなら。中学三年の多感な時期、それは怖ろしいほどのショックになっただろう。
それでもあのとき彼の顔に浮かんでいたのはただ悲しみだけで、恨みや憎しみなんて欠片も見あたらなかった。きっと素敵な男の子だったのだろう。こなたが“誠実だ”と云った意味がわかる気がした。
そうしてそんな彼を傷つけないといけなかったこなたが、今はただ悲しい。
――うぐ、と腕の中でこなたが嗚咽を漏らして、私はより一層強くこなたのことを抱きしめた。
こんなに触れてしまって大丈夫だろうか。こんなに強く抱きしめてしまって平気だろうか。それが少しだけ心配になった。
自分が両性愛者だと気がついたときに調べた本に、アセクシュアルのことも載っていた。アセクシュアルの人は性的なものに限らず、スキンシップそのものを嫌がる場合もあるようだった。
けれどこなたの場合は違うだろう。自分からあれこれと触れてくるし、抱きしめたときも『暖かい』と顔をほころばせていた。こなたが嫌がるのは性的な物だけで、こなたが理解できないのは性欲それ自体なのだろう。
――そうして、私は気がついた。
あの、困ったような顔。
最近見せるようになったあの顔は、恐らくは抱きしめられたときにその意図がわからなくて浮かべる戸惑いだ。その抱擁が性的な意味を含むのか、それともただ親愛の念からくるスキンシップなのか。それを判断できなくて混乱したこなたの心が、きっとあの顔を浮かべさせるのだ。
――それが、アセクシュアルとして生きるということなのだろう。
アセクシュアルは、疾患でも障害でもなく、ただのセクシュアリティだ。それは私が両性愛者であったり、つかさが異性愛者であることと同じように、ただそうであるというだけだ。そこにはトラウマも遺伝子も育て方も関係がない。ただ、こなたはそうだった。
その青い髪がさらさらと綺麗なのと同じように、そのエメラルドグリーンの瞳が深い色をして煌めくのと同じように、ただこなたはアセクシュアルだった。そんな単純で身も蓋もない事実、それだけだ。
――他者に対して性欲を持たない。
アセクシュアルの一番狭義の定義はそのようなものだったけれど、他にも様々な要素があるようだ。セクシュアリティとしては未だ明確な定義がなくて、精神科医や心理学者によっても定義が異なるし、それを自称する人も千差万別だ。
他者に対しては向かわないけれど、性欲それ自体は持つ人もいる。手を握ったり肩を抱いたりすることも嫌がる人もいる。多少の性的接触なら受け入れることができる人もいる。それを生理的に嫌悪する人もいる。
けれどこなたがアセクシュアルだと云ったとき、私は驚くと同時に、少しだけ腑に落ちた気がした。
『だってそういうのよくわかんないんだもん』
スカートの中が見えるのも気にせず、足を広げて椅子にまたがっていたこなたのことを思い出す。
『もういっそ男子みたいに濡れるの気にしないでそのまま帰ろっかなー』
梅雨の時期、傘を忘れたこなたはそんなことを云っていた。ブラや身体の線が透けてもいいやと云っていたこなたに、私は『恥じらいを持て』と云ったのだ。
『ふー、暑い暑い。こんな日は制服がスカートで良かったって思うよねー』
真夏の電車の中、男の人が見ているのもまるで気にせず、こなたは平気でスカートの中を下敷きで扇いでいた。
性的な関心というものが理解できなければ、自分の身体に対して向けられるそれにも無頓着になるのだろう。一見恥じらいがないように見えるこなたのそんな態度も、そういう視線が理解できないがゆえの行動だと思うと、なんだか納得できる気がした。
自分の幼い身体を逆手にとってスクール水着を着てみたり、男の人の前でコスプレ姿を晒したり、18禁の同人誌を作者の目の前で買ってみせたり、べたべたとどこまでも無邪気にひっついてきたり。性的な衝動を持つ私なら恥ずかしくてできないそんな行動も、こなたはまるで顔を赤らめることもなく平気で行っていた。
ときに呆れるほど男の子みたいに。
ときに目を見張るほど女の子らしく。
こなたから受けるそんなイメージは、こなたがアセクシュアルであることと関係があるのかもしれないと私は思う。
こなたは、いつだって周りの人の本質を見通した。見た目に惑わされず、その人の性格のいいところだけを見つめて、そうして素直にそれを賞賛してくれた。
つかさが天然だけど優しくて、実は芯がしっかりしていることだとか。みゆきが博識だけどドジなところもあって、上手く周りに溶け込めないと気にしていることだとか。私が――実は寂しがり屋だったりすることだとか。
こなたはよくそれをネタにして遊んでいたけれど、そうやって弄られることを不愉快に感じる人は誰もいなかった。それはこなたがそのことを認めてくれているのがわかるから。こなたが自分のことを理解してくれているんだとわかって、嬉しくなるからだ。
こなたは、ただ真っ直ぐにそれを見つめて、そうしてそれを褒めることで周りの人を幸せにしてしまう。本人が気にしていたり、気づいてすらいなかったりする特徴を、全部“萌え要素”に変換することで、その人を救ってしまう。
そんな風にこなたが他人の心の形を見通せるのは、もしかしたら肉体に惑わされることがないからかもしれないと私は思う。性欲を感じないこなたにとって、そういう衝動がまるでないこなたにとって、他人とはあくまでもその人の心そのもので、肉体はただの付属物にすぎないのかもしれない。
だから、照れもせずに他人のことを褒められる。
であるならば、それはこなたが持っている素敵な個性以外の何物でもないと私は思う。決して“異常”だとか“ハンディキャップ”だとか“障碍”だとかではありえない。
今は何時くらいなのだろうかと思う。もう日付は変わっているだろうか。クリスマスの当日になっているだろうか。
けれどクリスマスになっても、きっとこの部屋に奇跡はやってこない。聖霊の導きも父の許しも三博士の祝福も、夜の底に沈むこの部屋にはやってこない。
だって、もしクリスマスの夜に私たちの元に奇跡がやってくるのなら、一体どうして三年前の今日、こなたの身にそんなできごとが起きなければいけなかったのか。
こなたは、ずっと泣いていた。男の子の話になってから、ずっと泣いていた。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、過去の失敗を口にして。友達との別れを口にして。その度にこなたの中で何かがわななくのだろう、小刻みに身体を震わせた。
そんなこなたを抱きしめながら、私も流れていく涙を拭うこともできずにただ聞いていた。
最初のうちは合いの手を入れていたけれど。そうしてなるべくいつもみたいな会話になるよう、からかったりもしたけれど。こなたが泣き出してから私は何も云うことができなくなっていた。
――どうして。
そんな単語だけが頭の中をぐるぐると駆けめぐっていた。どうして私の大切な人がこんな目に遭わないといけないのか。どうして私が大好きな人が泣かないといけないのか。どうしてこなたが苦しまないといけないのか。
こなたは、どうしようもなく彼のことを傷つけたと思う。あの茜差す太宮で見た、彼の横顔を思い出す。こなたを見つめる彼と、彼を見つめるこなたのことを思い出す。二人ともぐっと唇を引き結んで、何かに耐えるように見つめ合っていた。気を抜けば濁流に流されそうになりながら、全身全霊を篭めて踏みとどまっている。そんなぎりぎりの瀬戸際で、二人とも懸命に前を向いていた。
彼のプライドはずたずたになっただろう。つき合っていたはずの、ずっと好きだった女の子。思いを決してその子を抱きしめたときに、返ってきたのがこれ以上ないほどの明確な拒絶だったなら。中学三年の多感な時期、それは怖ろしいほどのショックになっただろう。
それでもあのとき彼の顔に浮かんでいたのはただ悲しみだけで、恨みや憎しみなんて欠片も見あたらなかった。きっと素敵な男の子だったのだろう。こなたが“誠実だ”と云った意味がわかる気がした。
そうしてそんな彼を傷つけないといけなかったこなたが、今はただ悲しい。
――うぐ、と腕の中でこなたが嗚咽を漏らして、私はより一層強くこなたのことを抱きしめた。
こんなに触れてしまって大丈夫だろうか。こんなに強く抱きしめてしまって平気だろうか。それが少しだけ心配になった。
自分が両性愛者だと気がついたときに調べた本に、アセクシュアルのことも載っていた。アセクシュアルの人は性的なものに限らず、スキンシップそのものを嫌がる場合もあるようだった。
けれどこなたの場合は違うだろう。自分からあれこれと触れてくるし、抱きしめたときも『暖かい』と顔をほころばせていた。こなたが嫌がるのは性的な物だけで、こなたが理解できないのは性欲それ自体なのだろう。
――そうして、私は気がついた。
あの、困ったような顔。
最近見せるようになったあの顔は、恐らくは抱きしめられたときにその意図がわからなくて浮かべる戸惑いだ。その抱擁が性的な意味を含むのか、それともただ親愛の念からくるスキンシップなのか。それを判断できなくて混乱したこなたの心が、きっとあの顔を浮かべさせるのだ。
――それが、アセクシュアルとして生きるということなのだろう。
アセクシュアルは、疾患でも障害でもなく、ただのセクシュアリティだ。それは私が両性愛者であったり、つかさが異性愛者であることと同じように、ただそうであるというだけだ。そこにはトラウマも遺伝子も育て方も関係がない。ただ、こなたはそうだった。
その青い髪がさらさらと綺麗なのと同じように、そのエメラルドグリーンの瞳が深い色をして煌めくのと同じように、ただこなたはアセクシュアルだった。そんな単純で身も蓋もない事実、それだけだ。
――他者に対して性欲を持たない。
アセクシュアルの一番狭義の定義はそのようなものだったけれど、他にも様々な要素があるようだ。セクシュアリティとしては未だ明確な定義がなくて、精神科医や心理学者によっても定義が異なるし、それを自称する人も千差万別だ。
他者に対しては向かわないけれど、性欲それ自体は持つ人もいる。手を握ったり肩を抱いたりすることも嫌がる人もいる。多少の性的接触なら受け入れることができる人もいる。それを生理的に嫌悪する人もいる。
けれどこなたがアセクシュアルだと云ったとき、私は驚くと同時に、少しだけ腑に落ちた気がした。
『だってそういうのよくわかんないんだもん』
スカートの中が見えるのも気にせず、足を広げて椅子にまたがっていたこなたのことを思い出す。
『もういっそ男子みたいに濡れるの気にしないでそのまま帰ろっかなー』
梅雨の時期、傘を忘れたこなたはそんなことを云っていた。ブラや身体の線が透けてもいいやと云っていたこなたに、私は『恥じらいを持て』と云ったのだ。
『ふー、暑い暑い。こんな日は制服がスカートで良かったって思うよねー』
真夏の電車の中、男の人が見ているのもまるで気にせず、こなたは平気でスカートの中を下敷きで扇いでいた。
性的な関心というものが理解できなければ、自分の身体に対して向けられるそれにも無頓着になるのだろう。一見恥じらいがないように見えるこなたのそんな態度も、そういう視線が理解できないがゆえの行動だと思うと、なんだか納得できる気がした。
自分の幼い身体を逆手にとってスクール水着を着てみたり、男の人の前でコスプレ姿を晒したり、18禁の同人誌を作者の目の前で買ってみせたり、べたべたとどこまでも無邪気にひっついてきたり。性的な衝動を持つ私なら恥ずかしくてできないそんな行動も、こなたはまるで顔を赤らめることもなく平気で行っていた。
ときに呆れるほど男の子みたいに。
ときに目を見張るほど女の子らしく。
こなたから受けるそんなイメージは、こなたがアセクシュアルであることと関係があるのかもしれないと私は思う。
こなたは、いつだって周りの人の本質を見通した。見た目に惑わされず、その人の性格のいいところだけを見つめて、そうして素直にそれを賞賛してくれた。
つかさが天然だけど優しくて、実は芯がしっかりしていることだとか。みゆきが博識だけどドジなところもあって、上手く周りに溶け込めないと気にしていることだとか。私が――実は寂しがり屋だったりすることだとか。
こなたはよくそれをネタにして遊んでいたけれど、そうやって弄られることを不愉快に感じる人は誰もいなかった。それはこなたがそのことを認めてくれているのがわかるから。こなたが自分のことを理解してくれているんだとわかって、嬉しくなるからだ。
こなたは、ただ真っ直ぐにそれを見つめて、そうしてそれを褒めることで周りの人を幸せにしてしまう。本人が気にしていたり、気づいてすらいなかったりする特徴を、全部“萌え要素”に変換することで、その人を救ってしまう。
そんな風にこなたが他人の心の形を見通せるのは、もしかしたら肉体に惑わされることがないからかもしれないと私は思う。性欲を感じないこなたにとって、そういう衝動がまるでないこなたにとって、他人とはあくまでもその人の心そのもので、肉体はただの付属物にすぎないのかもしれない。
だから、照れもせずに他人のことを褒められる。
であるならば、それはこなたが持っている素敵な個性以外の何物でもないと私は思う。決して“異常”だとか“ハンディキャップ”だとか“障碍”だとかではありえない。
――だって、そんなこなただから私は好きになったのだ。
「――かがみ、わたしのこと好きなんだよね?」
沈黙の中、泡のようにぷかりと、こなたの口から言葉が浮かび上がってくる。
それに気づいていなかったら、こなたがあんなことを話すはずがない。そんなことは最初からわかっていたことだった。だから私は隠すことなくうなずいた。こなたに対して、初めてその想いを口にした。
「――そうよ。ずっと好きだった。ずっとずっと、あんたのことが好きだったのよ」
「――ん。あんがと」
「……いつから、気づいてたのよ」
「そんなに前からじゃないよ。お墓参り行ったあとくらいかな」
「隠してたつもりだったんだけどな」
「そだね、隠してた。でもあの日、かがみはわたしのこと好きだって云ってくれたじゃん」
「あ、あれはでも……。そういう意味で云ったんじゃないわよ」
「そうなんだけどね。それまでのこととかそれからのこととか、色々考えてみたんだよ。そしたらなんかわかっちゃった」
こなたは、宙を見つめながら夢見るようにそう云った。一体どういう光景を思い浮かべているのだろう。その光景を、一つ一つ覗いてみたいと思った。一つ一つ覗いて、そうしてその全てを打ち壊してしまいたい。そのとき私は、本気でそう思っていた。
「……ごめんね、こなた。本当にごめん」
「なんで……なんで謝るの?」
「だって、怖かったでしょ?」
私がそう云うと、腕の中のこなたはうつむいた。うつむいて、視線を逸らして、そうして抱きしめた私の腕を外して逃れようとする。けれど私はその度にこなたの身体を抱え直して、これ以上逃げられないように抱きしめる。やがて観念したようにその動きを止めて、こなたはうつむいたままぽつりと云った。
「――少し、怖かった。またあんな風になっちゃうんじゃないかって」
顔に当てた袖をぐしぐしと動かしている。拭っても拭っても、こぼれ落ちる涙は止まらないようだった。
――それに気がついたとき。
私がこなたに寄せている感情がただの友情ではないと気がついたとき、こなたは一体何を思ったことだろう。私は暗澹とした気持ちでそれを想像する。
高校生になって、心から信頼できる親友たちができて、きっとそれまで表に出せなかった本当の自分を、こなたはさらけだすことができたのだろう。『ありがとう』とそうじろうさんは云っていた。こなたは明るくなったと、そう云っていたのだ。
――なのに。
よりによって、一番の親友となった私がこなたに性的な関心を寄せていたのだ。
それを思うと恥ずかしくて、情けなくて、いたたまれなくなる。こなたのことを裏切った。そんな気がした。
こなたはアセクシュアルである自分が異性を傷つけてしまうのを怖がって、この三年間意図的に男の子を遠ざけてきたのだろう。口ではロマンスがどうのと云いながら、まるで彼氏を作ろうとしていなかったことからも、それはよくわかる。そうして異性を遠ざけて、同性の友達の中でこなたは心から安らぐことが出来ていたはずだった。
――なのに。
まさか、同性の私に恋心を寄せられるだなんて、思いもしなかったことだろう。
――死んでしまいたいと、産まれて初めて思った。
こなたへの恋心を自覚して、色々なことを考えた。受け入れがたいと思ったこともあった。どうして自分がと悩んだこともあった。それでも私はそのようである自分のことを恥じたことはなかった。こなたへの想いそのものを否定しようとしたことはなかった。
けれど、このとき初めて、私は自分の恋心を恥じたのだ。
「――でも!」
弾かれたようにこなたは顔を上げて、じっと私の目を見つめ出す。目尻に溜まっていく涙が表面張力の限界を試すように膨らんで、そうして次々に流れ落ちていく。
「嬉しかったよ。わたし、凄く凄く嬉しかったよ。だからそんな顔しないでよ」
「――こなた」
どうしてなのだろう。どうしてこなたはこんな風に、私のことをいつでも救ってくれるのだろう。
溢れそうな想いを一体どう伝えればいいのかわからなくて、私はただこなたのことを抱きしめた。それ以外のことは何もできなかった。それ以上のことは、私には初めから許されていなかった。
そうして思う。
――もし。
今までの一年間。こなたへの想いを隠しながら過ごしたこの一年間、もし一度でもその想いを溢れさせてしまっていたなら。理性の手綱を放棄して、もし一度でも欲望のままこなたに対して性的な行為に及んでいたなら。
一体何が起きたことだろう。
こなたの心にどんな傷を与えたことだろう。
それを考えると、背筋が粟立つ思いがするのだった。
「かがみだったらって思った。本当にわたし、かがみだったら大丈夫かもしれないって思ったんだよ。――わたしにも、ちゃんと恋ができるかもしれないって」
私の頬に手を当てて、こなたが云う。流れる涙をせき止めるように手を当てて、こなたが云う。
「でも、駄目だった。可愛い服着て、メイクなんかもやってみて、気持ちを盛り上げてキスしてみたけど――駄目だった。ねぇかがみ、わたしとキスしてて、どんな気持ちだった? 恋していると、キスってどんな感じなの?」
「――頭の中が真っ白になって、何も考えられなかったわ。心臓が爆発しそうで……た、倒れそうになるくらい体中が痺れてて。嬉しくて、でも切なくて、叫び出しそうだった……」
「――そう……わたしは、そんな気持ちになれなかったよ。ただ唇だって思っただけだった。唇が唇に触れてるんだって。それがかがみの唇なんだって思ったら嬉しくなったけど、それって、ほっぺでもおでこでもあんまり変わんないなって思った」
そう云って、こなたは私の頬にキスをした。いや、それはキスではなかったかもしれない。ただ涙を口に含もうとしたのかもしれない。それでもこなたの唇が触れた箇所が、じんと熱を帯びるように痺れていく。なんて浅ましいのだろうと私は思った。
「――苦いね」
「――そうね……凄く苦い」
口に含まなくてもよくわかる。
それが、私の初めての恋の味。
沈黙の中、泡のようにぷかりと、こなたの口から言葉が浮かび上がってくる。
それに気づいていなかったら、こなたがあんなことを話すはずがない。そんなことは最初からわかっていたことだった。だから私は隠すことなくうなずいた。こなたに対して、初めてその想いを口にした。
「――そうよ。ずっと好きだった。ずっとずっと、あんたのことが好きだったのよ」
「――ん。あんがと」
「……いつから、気づいてたのよ」
「そんなに前からじゃないよ。お墓参り行ったあとくらいかな」
「隠してたつもりだったんだけどな」
「そだね、隠してた。でもあの日、かがみはわたしのこと好きだって云ってくれたじゃん」
「あ、あれはでも……。そういう意味で云ったんじゃないわよ」
「そうなんだけどね。それまでのこととかそれからのこととか、色々考えてみたんだよ。そしたらなんかわかっちゃった」
こなたは、宙を見つめながら夢見るようにそう云った。一体どういう光景を思い浮かべているのだろう。その光景を、一つ一つ覗いてみたいと思った。一つ一つ覗いて、そうしてその全てを打ち壊してしまいたい。そのとき私は、本気でそう思っていた。
「……ごめんね、こなた。本当にごめん」
「なんで……なんで謝るの?」
「だって、怖かったでしょ?」
私がそう云うと、腕の中のこなたはうつむいた。うつむいて、視線を逸らして、そうして抱きしめた私の腕を外して逃れようとする。けれど私はその度にこなたの身体を抱え直して、これ以上逃げられないように抱きしめる。やがて観念したようにその動きを止めて、こなたはうつむいたままぽつりと云った。
「――少し、怖かった。またあんな風になっちゃうんじゃないかって」
顔に当てた袖をぐしぐしと動かしている。拭っても拭っても、こぼれ落ちる涙は止まらないようだった。
――それに気がついたとき。
私がこなたに寄せている感情がただの友情ではないと気がついたとき、こなたは一体何を思ったことだろう。私は暗澹とした気持ちでそれを想像する。
高校生になって、心から信頼できる親友たちができて、きっとそれまで表に出せなかった本当の自分を、こなたはさらけだすことができたのだろう。『ありがとう』とそうじろうさんは云っていた。こなたは明るくなったと、そう云っていたのだ。
――なのに。
よりによって、一番の親友となった私がこなたに性的な関心を寄せていたのだ。
それを思うと恥ずかしくて、情けなくて、いたたまれなくなる。こなたのことを裏切った。そんな気がした。
こなたはアセクシュアルである自分が異性を傷つけてしまうのを怖がって、この三年間意図的に男の子を遠ざけてきたのだろう。口ではロマンスがどうのと云いながら、まるで彼氏を作ろうとしていなかったことからも、それはよくわかる。そうして異性を遠ざけて、同性の友達の中でこなたは心から安らぐことが出来ていたはずだった。
――なのに。
まさか、同性の私に恋心を寄せられるだなんて、思いもしなかったことだろう。
――死んでしまいたいと、産まれて初めて思った。
こなたへの恋心を自覚して、色々なことを考えた。受け入れがたいと思ったこともあった。どうして自分がと悩んだこともあった。それでも私はそのようである自分のことを恥じたことはなかった。こなたへの想いそのものを否定しようとしたことはなかった。
けれど、このとき初めて、私は自分の恋心を恥じたのだ。
「――でも!」
弾かれたようにこなたは顔を上げて、じっと私の目を見つめ出す。目尻に溜まっていく涙が表面張力の限界を試すように膨らんで、そうして次々に流れ落ちていく。
「嬉しかったよ。わたし、凄く凄く嬉しかったよ。だからそんな顔しないでよ」
「――こなた」
どうしてなのだろう。どうしてこなたはこんな風に、私のことをいつでも救ってくれるのだろう。
溢れそうな想いを一体どう伝えればいいのかわからなくて、私はただこなたのことを抱きしめた。それ以外のことは何もできなかった。それ以上のことは、私には初めから許されていなかった。
そうして思う。
――もし。
今までの一年間。こなたへの想いを隠しながら過ごしたこの一年間、もし一度でもその想いを溢れさせてしまっていたなら。理性の手綱を放棄して、もし一度でも欲望のままこなたに対して性的な行為に及んでいたなら。
一体何が起きたことだろう。
こなたの心にどんな傷を与えたことだろう。
それを考えると、背筋が粟立つ思いがするのだった。
「かがみだったらって思った。本当にわたし、かがみだったら大丈夫かもしれないって思ったんだよ。――わたしにも、ちゃんと恋ができるかもしれないって」
私の頬に手を当てて、こなたが云う。流れる涙をせき止めるように手を当てて、こなたが云う。
「でも、駄目だった。可愛い服着て、メイクなんかもやってみて、気持ちを盛り上げてキスしてみたけど――駄目だった。ねぇかがみ、わたしとキスしてて、どんな気持ちだった? 恋していると、キスってどんな感じなの?」
「――頭の中が真っ白になって、何も考えられなかったわ。心臓が爆発しそうで……た、倒れそうになるくらい体中が痺れてて。嬉しくて、でも切なくて、叫び出しそうだった……」
「――そう……わたしは、そんな気持ちになれなかったよ。ただ唇だって思っただけだった。唇が唇に触れてるんだって。それがかがみの唇なんだって思ったら嬉しくなったけど、それって、ほっぺでもおでこでもあんまり変わんないなって思った」
そう云って、こなたは私の頬にキスをした。いや、それはキスではなかったかもしれない。ただ涙を口に含もうとしたのかもしれない。それでもこなたの唇が触れた箇所が、じんと熱を帯びるように痺れていく。なんて浅ましいのだろうと私は思った。
「――苦いね」
「――そうね……凄く苦い」
口に含まなくてもよくわかる。
それが、私の初めての恋の味。
「ごめんね。かがみの気持ちには答えらんない」
――わかっていた。それは云われなくてもわかっていた。
けれど改めてこなたの口から云われると、それはやっぱり苦しくて。心臓が錐で刺されたように痛んだ。
けれど改めてこなたの口から云われると、それはやっぱり苦しくて。心臓が錐で刺されたように痛んだ。
「……でもお願い。それでもお願いかがみ。これからも、わたしの一番の友達でいてくれる? わがままだって、わかってるけど……」
「――あ、あたりまえじゃないの! あんたから目を離したら何しでかすかわかんないじゃない。た、頼まれたって放ってなんておけないわよ」
いつもみたいに強い口調で云おうとしたけれど、まるで駄目だった。声は掠れていて弱々しく、ろれつも回らないでつっかえた。私のセリフは、そんなみっともないものだった。
「――ありがとう」
けれどこなたはくしゃりと笑って。
そうして私の胸に飛び込んでくる。
ふわりとした柔らかな感触。ひるがえった青い髪。
私の背中にぎゅっと腕を回して、すがりつくように胸に顔を埋めていた。
あの秋の海岸で、そうしてきたように。
みゆきみたいに大きかったらよかったのにと私は思った。みゆきみたいに女らしい胸だったら、もっともっとこなたのことを包み込めるのにと、私は思った。
けれどこんな私の中途半端な胸でも、もしかしたらこなたが産まれて初めてすがりつくことができた胸なのかもしれない。そう思うと、なんだか自分の身体が誇らしかった。
「――あ、あたりまえじゃないの! あんたから目を離したら何しでかすかわかんないじゃない。た、頼まれたって放ってなんておけないわよ」
いつもみたいに強い口調で云おうとしたけれど、まるで駄目だった。声は掠れていて弱々しく、ろれつも回らないでつっかえた。私のセリフは、そんなみっともないものだった。
「――ありがとう」
けれどこなたはくしゃりと笑って。
そうして私の胸に飛び込んでくる。
ふわりとした柔らかな感触。ひるがえった青い髪。
私の背中にぎゅっと腕を回して、すがりつくように胸に顔を埋めていた。
あの秋の海岸で、そうしてきたように。
みゆきみたいに大きかったらよかったのにと私は思った。みゆきみたいに女らしい胸だったら、もっともっとこなたのことを包み込めるのにと、私は思った。
けれどこんな私の中途半端な胸でも、もしかしたらこなたが産まれて初めてすがりつくことができた胸なのかもしれない。そう思うと、なんだか自分の身体が誇らしかった。
「――魔法使いちゃんは、彼のことが好きだったみたい」
――唐突にこなたが呟いて。
私はその意味が飲み込めたと同時に、ぐっと天を振り仰ぐ。
先ほどを倍して膨れあがった涙の川が、こなたの頭にこぼれ落ちていかないようにと、そう思って上を向く。
――そんなのは。
――そんなのは、余りにも悲しすぎる。
まなじりから溢れた涙が、耳の裏を伝って首筋へと流れ込んでいく。
涙に滲んだ視界の向こう、ぼんやりと壁掛け時計の文字盤が見えていた。
私はその意味が飲み込めたと同時に、ぐっと天を振り仰ぐ。
先ほどを倍して膨れあがった涙の川が、こなたの頭にこぼれ落ちていかないようにと、そう思って上を向く。
――そんなのは。
――そんなのは、余りにも悲しすぎる。
まなじりから溢れた涙が、耳の裏を伝って首筋へと流れ込んでいく。
涙に滲んだ視界の向こう、ぼんやりと壁掛け時計の文字盤が見えていた。
――十二時。
物なべて祝福されるべき聖夜に、神の奇跡などどこにもない。
雪に閉ざされたこの部屋に、聖霊の気配などまるでない。
ちらばったクラッカーの紙テープ。
飾りつけられたクリスマスツリー。
壁にかけられたガーランド。
そんなクリスマスムードに溢れたこの部屋に、神への祈りに満ちたこの部屋に、ただ私とこなたの啜り泣きだけが響いていて。
雪に閉ざされたこの部屋に、聖霊の気配などまるでない。
ちらばったクラッカーの紙テープ。
飾りつけられたクリスマスツリー。
壁にかけられたガーランド。
そんなクリスマスムードに溢れたこの部屋に、神への祈りに満ちたこの部屋に、ただ私とこなたの啜り泣きだけが響いていて。
私は初めて、クリスマスを憎んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『4seasons』 冬/きれいな感情(第十一話)へ続く
『4seasons』 冬/きれいな感情(第十一話)へ続く
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- 切なすぎて胸が苦しいよぉ… -- 名無しさん (2008-11-08 01:59:32)
- 4つ下の人、凄い -- 名無しさん (2008-09-17 20:43:34)
- むごい…むごすぎる…………………………o rz -- 名無しさん (2008-08-22 00:00:35)
- すごい悲しすぎて…死にたくなった。 -- 名無しさん (2008-08-14 23:20:16)
- もう二人ともあまりにも可哀想すぎる…まさかこんな残酷な悲劇になるとは思っていなくて、今まで何度も読み返していた記憶を消してしまいたいくらい落ち込みました。でも、こんなきれいな文章を書ける人はそうそういないと思います。最後まで見続けようと思います。 -- 名無しさん (2008-08-11 23:51:43)
- 相変わらずの凄まじい美文、感嘆致しました。
ただし、セクシャルマイノリティの友人を持つ者としては、アセクシャル=恋愛感情が持てないという説明には、少々疑問が残ります。
これが伏線なのか否か、それは続編を待ちますが、まさにアセクシャルの人間の立場からは微妙なものですし、
そこを誰よりも繊細に描いてきた作者様でもありますので、一応疑問を呈してはおきます。
-- 名無しさん (2008-08-10 16:21:50) - ダメだ…涙が…
うpろだにこのSSとかみ合う画像があってもう涙腺が… -- 名無しさん (2008-07-31 23:18:42) - 前編を読み進めるうちにここでのこなたは周囲に受けのいいキャラクターを
演じる一種の人格障害なのかな?と思っていたがこなた自信の受け止めは
アセクシュアル。アセクシュアルゆえに周囲に合わせるように演じていたと言う事なのか -- 名無しさん (2008-07-30 00:15:11) - 正直、アセクシュアルという概念は初めて知りました。自分の無知を棚上げするつもりではないですけど、作者さんの知識量は半端じゃないと感服します。
それにしても、重く、切ない話です。この長編を追いかけて来るうちに耐性が出来たのか、今回は涙無しに読めましたが、心臓を鷲掴みにされるような心苦しさを感じました。
この話がどのような結末を迎えるのか…。慟哭するしかない悲運が待つのか、或いは微笑むことの出来る救済が待つのか…。
結末を知るのが怖い気もするのですが、しかし、その結末に思いを馳せずに居られない。心して続編を待たせて頂きたいと思います。 -- 名無しさん (2008-07-29 06:17:36) - いわゆるプラトニックならOkなのかな -- 名無しさん (2008-07-28 22:20:27)
- 号泣。 -- 名無しさん (2008-07-28 19:13:01)
- ある意味でこなたがノーマルだったより、かがみには救いがあるんだけど……
しかし、最愛の人の苦しみと引き替えであるのが堪らないところ。
それでも、互いの存在はやっぱり大いなる救いだと思う奴もいるわけで。 -- 名無しさん (2008-07-28 14:57:37) - もうGJ。
としか・・・・・・・・ -- 名無しさん (2008-07-28 07:49:14) - アセクシュアルってはじめて聞いたけど、自分も少しそんなところがある…
読んでるあいだずっと頭の中混乱しっぱなしだった… -- 名無しさん (2008-07-28 00:37:43) - こなたアセクシャル設定、よりにもよって最初にこの作者さんに使われちゃったよ。
もうどうやっても二番煎じorz -- 名無しさん (2008-07-28 00:34:19) - 本当にこの作品すごい…。二次創作物でなければ売られててもなんも違和感が無い。 -- 名無しさん (2008-07-28 00:02:54)
- アセクシュアルと誤認される物にまだ思春期に達していない。というのもあるそうで
こなたの場合身体的成長が小学生で止まっているから心の成長も遅れているだけ・・・と思いたい -- 名無しさん (2008-07-27 23:34:26) - 切な過ぎます・・・ホント皆と同じで何て言ったら良いのか言葉が(苦 -- kk (2008-07-27 22:44:17)
- こなたA説は時々出てたけど、こういう風に使われると切ないっすねぇ…… -- 名無しさん (2008-07-27 22:08:05)
- すごい感動したのに…それを言葉に出来ない悔しさを初めて感じました。だから一言GJ!!!という言葉だけでも贈らせてください。 -- 名無しさん (2008-07-27 21:53:06)
- そうじろうさんがかがみ言っていた
「辛いかもしれないけれど、こなたのことをずっと好きでいてやってくれないか」
それはこの事だったのかな。アセクシュアルという言葉を初めて知りました。
誰かに好かれてもその感情や行為に嫌悪しか感じられないのは悲しいな -- 名無しさん (2008-07-27 21:37:07) - 何か書き込みたいんだけど思いつかない
とにかく、このssとその作者は凄過ぎる -- 名無しさん (2008-07-27 19:12:18)