『4seasons』 冬/きれいな感情(第十話)/後より続く
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§21
一面の、白だった。
見渡す限りの水田を、降り積もった雪が真っ白に染めていた。
空はどこまでも晴れ渡って青。けれどその青は夏のそれのように原色に輝くものではまるでない。寒々として凍りついたその青は、寒色の名に相応しくくすんでいた。
まっさらな処女雪が、朝の弱々しい光に輝いている。空から振る光より照り返しの白のほうがよほど眩しくて、運転するつかさは大変だろうと、私は少しだけ場違いな心配をする。
自転車を漕ぐつかさは、先ほどから一言も喋っていない。
私は後ろの荷台に女の子座りして、ぎゅっとつかさの身体を抱きしめている。
シャーと軽快に鳴るスポーク。その音が雪に吸い込まれて消えていき、私は顔の周りに白い吐息をまき散らす。
空に架かった電線から、ばさりと雪が落ちてくる。つかさがびっくりして自転車をよろめかして、私はぎゅっとつかさの身体を抱きしめる。やっぱり二人乗りは危ないなと思う。
空はどこまでも晴れ渡って青。けれどその青は夏のそれのように原色に輝くものではまるでない。寒々として凍りついたその青は、寒色の名に相応しくくすんでいた。
まっさらな処女雪が、朝の弱々しい光に輝いている。空から振る光より照り返しの白のほうがよほど眩しくて、運転するつかさは大変だろうと、私は少しだけ場違いな心配をする。
自転車を漕ぐつかさは、先ほどから一言も喋っていない。
私は後ろの荷台に女の子座りして、ぎゅっとつかさの身体を抱きしめている。
シャーと軽快に鳴るスポーク。その音が雪に吸い込まれて消えていき、私は顔の周りに白い吐息をまき散らす。
空に架かった電線から、ばさりと雪が落ちてくる。つかさがびっくりして自転車をよろめかして、私はぎゅっとつかさの身体を抱きしめる。やっぱり二人乗りは危ないなと思う。
『迎えに行く?』そんなそっけないメールが届いたのは朝の十時くらい。着信を告げる振動に私の意識は覚醒していった。
どんな夢を見ていたのだろう。今となってはその残滓すら思い出すことが出来ない。あるいは記憶している現実が本当は半ば夢だったのかもしれない。
けれどベッドの隣にはこなたがいた。目蓋を腫らして、口元に指を当てながら、苦しそうな顔をして眠っていた。その片手が、ぱたぱたと何かを探すように動いていた。ケータイを開きながらそっと身を横たえると、私の身体を見つけたこなたが、嬉しそうな顔をしてしがみついてきた。
『お願い』とだけ返したそっけないメール。きっとつかさには、それだけで通じたことだろう。
どんな夢を見ていたのだろう。今となってはその残滓すら思い出すことが出来ない。あるいは記憶している現実が本当は半ば夢だったのかもしれない。
けれどベッドの隣にはこなたがいた。目蓋を腫らして、口元に指を当てながら、苦しそうな顔をして眠っていた。その片手が、ぱたぱたと何かを探すように動いていた。ケータイを開きながらそっと身を横たえると、私の身体を見つけたこなたが、嬉しそうな顔をしてしがみついてきた。
『お願い』とだけ返したそっけないメール。きっとつかさには、それだけで通じたことだろう。
――部屋を出るとき、こなたは私の頬にさよならのキスをしてくれた。
それはきっとこなたの精一杯の愛情表現で、だから私は今もこの場所に踏みとどまっていられると思う。
それはきっとこなたの精一杯の愛情表現で、だから私は今もこの場所に踏みとどまっていられると思う。
「雪合戦をしよう」
自転車をガレージに入れて戻ってきたつかさに私は云った。
つかさは丸い目をよりまん丸にして驚いた。
「――お姉ちゃん?」
「なぁに?」
「えっと、大丈夫?」
おずおずと、上目遣いでそう云ったつかさに私は苦笑する。
「大丈夫よ。ほら、せっかくこんなに積もったんだから、少しくらい遊んで行こうよ」
そう云って、私は周囲を指し示すようにくるりと回る。
「そっか。そうだよね。うん、いいよ」
つかさは笑ってくれたけれど、私が云った理由に心から納得しているかどうかは怪しい。雪が降ったら雪合戦をするのは普通かもしれないが、こんな日にそんなことを云い出す理由が“せっかくだから”、では弱いだろう。
――本当は、怖かったからだ。
私の心はまだ昨夜の払暁辺りを彷徨っていて、こんな気分のまま日常に満ちた家に入るのが怖かった。
自転車をガレージに入れて戻ってきたつかさに私は云った。
つかさは丸い目をよりまん丸にして驚いた。
「――お姉ちゃん?」
「なぁに?」
「えっと、大丈夫?」
おずおずと、上目遣いでそう云ったつかさに私は苦笑する。
「大丈夫よ。ほら、せっかくこんなに積もったんだから、少しくらい遊んで行こうよ」
そう云って、私は周囲を指し示すようにくるりと回る。
「そっか。そうだよね。うん、いいよ」
つかさは笑ってくれたけれど、私が云った理由に心から納得しているかどうかは怪しい。雪が降ったら雪合戦をするのは普通かもしれないが、こんな日にそんなことを云い出す理由が“せっかくだから”、では弱いだろう。
――本当は、怖かったからだ。
私の心はまだ昨夜の払暁辺りを彷徨っていて、こんな気分のまま日常に満ちた家に入るのが怖かった。
神社の裏手は空き地ではなく、本当は境内の一部だった。
だからこんな風に遊び場にしてはいけないのだけれど、それでも人目につかないこの場所は、昔から私とつかさの遊び場だった。一人になりたいとき、あるいは二人になりたいとき、よくここに来ていた物だった。私たちにとって、その両者はほとんど同義だったのだ。
「わー!」
まっさらな、まだ誰も足を踏み入れていない白。表面が少しだけ凍っていて、足を踏み出す度にざくざくと小気味いい音を立てていく。子供っぽいとは思ったけれど、いくら年を取ってもこの行為が楽しくなくなるとは思えない。私たちは先を争うように雪に足跡をつけていった。靴が完全に雪に埋まる。昨夜は随分降っていたのだなと思う。
「うひゃっ!」
油断していると、突然首筋に雪玉が投げられて、その冷たさに思わず間抜けな声を上げてしまった。
慌てて振り向くと、満面の笑みを浮かべたつかさの足下に、すでに雪玉が何個か出来ている。
「やったなこいつ!」
私も急いでかがみこみ、雪を掬って両手で握る。その間にも、つかさの攻撃がやむことはない。華やいだ笑い声。額に、身体に、足に雪玉が降り注ぐ。
雪玉は、握りが緩いと敵に当たる前にばらけてしまう。けれどしっかり握りすぎていると弾数を稼げない。これで意外と戦術が必要なのが雪合戦なのだ。
私は必死で反撃を開始する。
姉の威厳というものがある。つかさに負けるのは悔しい。たちまち私たちの間を雪玉の弾幕が飛び交っていった。
普段は双子だから姉も妹もないと云っているけれど、それでも私は姉になってしまった。私がこんな性格になった原因の中で、きっとそのことは大きな比重を占めるだろう。つかさがこんな風に女の子らしい穏やかな性格になっていったことも、つかさが妹として産まれたことと深く関係しているはずだ。
ぺしゃり、つかさの鼻っ柱に雪玉が当たる。あははと笑った私の口の中に雪玉が飛び込んできて、慌ててそれを吐きだす。昔はよく雪を食べたりしたな。そんなことを思い出す。
――つかさは、雪合戦もできない子供だった。
他人を傷つけてしまうのを怖がって、雪玉を相手に投げることができない子供だった。だから特訓、あるいは度胸試しと称して、こうして二人だけの雪合戦をよくやった。雪玉を投げるのは相手を傷つけるためじゃない。それをわかってもらいたくて。
雪玉がつかさの身体に当たり、パッと光の欠片が飛び散った。
もし産まれた順番が逆だったなら、私たちはどうなっていたのだろう。そんなことをふと思う。つかさがお姉ちゃんで、私が妹。もしそうなっていたなら、私はつかさみたいに、つかさは私みたいになっていたのだろうか。
きっと、そうはならなかっただろうと思う。
私たちは二卵性双生児だから、持っている遺伝情報が異なっている。いや、例えそれが一卵性双生児だったとしても、母胎内での成長の仕方だってきっと違う。ホルモンの分泌の仕方が違えば脳の形だって変わっていく。人の性格は、持って生まれたものと成長しながら獲得していったもの、その両輪によって形作られるはずだ。きっと生真面目な妹と、優しくておおらかな姉になっていただけだ。
人を形作るもの。性格や体格や能力や好み、あるいは性自認や性的指向まで。その人がそうなった理由を単一の原因に求めることなんてきっとできやしない。その理由は、複雑に絡み合った因果関係のつづれ織りになっていて、それをきっと人は運命と呼ぶのだろう。
――けれど。
けれどもし。
例えばかなたさんが生きていたら、こなたはアセクシュアルとして育っただろうか。
そう考えた瞬間、私の胸がぎゅっと締めつけられたように軋んだ。心臓病の発作かと思うほどに強く。
そこに雪玉が飛んできて、勢いよく私の胸に当たる。
身体から力が抜けていき、私は仰向けに倒れ込んでいく。まるで『恐るべき子供たち』の開幕の情景のように。私が雪玉を胸に受けて倒れるポールなら、つかさはエリザベートだろうか。それともジェラールか、あるいはアガートか。わからない。
でも、こなただけは決まっている。こなたは絶対にダルジュロスだ。圧倒的な魅力でポールの人生に影を落とす、ポールの同性の想い人。
倒れたまま動かない私を心配したのだろう。小走りでつかさが駆けてくる音がする。私は少しだけ乱れた呼吸を整えながら、潤み始めた瞳で空を見上げていた。どこまでも青い空。それは限りなく透明に近い青。
「――お姉ちゃん?」
「嘘つき」
思わず私の口からそんな言葉が飛びだして、つかさがはっと息を呑む気配がする。
こなたは、私のことを好きなんかじゃなかった。つかさたちに向けているのと違う好きを、私に感じてなんていなかった。つかさが云ったことは、嘘だった。
「――ごめんね」
ぽす、と雪に座る音がする。そんなところに座りこんでいたら、きっとお尻が濡れてしまう。浮かんできた涙を必死でこらえながら、心のどこかでそんなことを考えた。
「違う、違うの。そんなこと云いたいんじゃない。ありがとうって云いたかっただけなのよ」
――なのに、なんであんなことを云ってしまったのだろう。
つかさのことを恨んでいるのだろうか。あんなに私のことを応援してくれた大事な妹のことを。つかさのことを羨んでいるのだろうか、悩む必要がないストレートとして育ったことに対して。
けれど心の中のどこを探してもそんな感情は見あたらなくて、私はどうしてあんなことを云ってしまったのかと訝しむ。
「大丈夫。わかってるから」
つかさは、もしかしたら私以上に私のことを知っているのかもしれない。そんなことを考えた。
「――ありがとう」
私がそう云うと、視界を埋める空の中につかさの顔が飛び込んでくる。淡い逆光を背負って、その肌が雪よりも白かった。
そうしてニカリと笑った。歯をむき出した、男の子みたいな笑い方。
姉の、威厳というものがある。つかさの前で泣き出すのは避けたい。
だからこんな風に遊び場にしてはいけないのだけれど、それでも人目につかないこの場所は、昔から私とつかさの遊び場だった。一人になりたいとき、あるいは二人になりたいとき、よくここに来ていた物だった。私たちにとって、その両者はほとんど同義だったのだ。
「わー!」
まっさらな、まだ誰も足を踏み入れていない白。表面が少しだけ凍っていて、足を踏み出す度にざくざくと小気味いい音を立てていく。子供っぽいとは思ったけれど、いくら年を取ってもこの行為が楽しくなくなるとは思えない。私たちは先を争うように雪に足跡をつけていった。靴が完全に雪に埋まる。昨夜は随分降っていたのだなと思う。
「うひゃっ!」
油断していると、突然首筋に雪玉が投げられて、その冷たさに思わず間抜けな声を上げてしまった。
慌てて振り向くと、満面の笑みを浮かべたつかさの足下に、すでに雪玉が何個か出来ている。
「やったなこいつ!」
私も急いでかがみこみ、雪を掬って両手で握る。その間にも、つかさの攻撃がやむことはない。華やいだ笑い声。額に、身体に、足に雪玉が降り注ぐ。
雪玉は、握りが緩いと敵に当たる前にばらけてしまう。けれどしっかり握りすぎていると弾数を稼げない。これで意外と戦術が必要なのが雪合戦なのだ。
私は必死で反撃を開始する。
姉の威厳というものがある。つかさに負けるのは悔しい。たちまち私たちの間を雪玉の弾幕が飛び交っていった。
普段は双子だから姉も妹もないと云っているけれど、それでも私は姉になってしまった。私がこんな性格になった原因の中で、きっとそのことは大きな比重を占めるだろう。つかさがこんな風に女の子らしい穏やかな性格になっていったことも、つかさが妹として産まれたことと深く関係しているはずだ。
ぺしゃり、つかさの鼻っ柱に雪玉が当たる。あははと笑った私の口の中に雪玉が飛び込んできて、慌ててそれを吐きだす。昔はよく雪を食べたりしたな。そんなことを思い出す。
――つかさは、雪合戦もできない子供だった。
他人を傷つけてしまうのを怖がって、雪玉を相手に投げることができない子供だった。だから特訓、あるいは度胸試しと称して、こうして二人だけの雪合戦をよくやった。雪玉を投げるのは相手を傷つけるためじゃない。それをわかってもらいたくて。
雪玉がつかさの身体に当たり、パッと光の欠片が飛び散った。
もし産まれた順番が逆だったなら、私たちはどうなっていたのだろう。そんなことをふと思う。つかさがお姉ちゃんで、私が妹。もしそうなっていたなら、私はつかさみたいに、つかさは私みたいになっていたのだろうか。
きっと、そうはならなかっただろうと思う。
私たちは二卵性双生児だから、持っている遺伝情報が異なっている。いや、例えそれが一卵性双生児だったとしても、母胎内での成長の仕方だってきっと違う。ホルモンの分泌の仕方が違えば脳の形だって変わっていく。人の性格は、持って生まれたものと成長しながら獲得していったもの、その両輪によって形作られるはずだ。きっと生真面目な妹と、優しくておおらかな姉になっていただけだ。
人を形作るもの。性格や体格や能力や好み、あるいは性自認や性的指向まで。その人がそうなった理由を単一の原因に求めることなんてきっとできやしない。その理由は、複雑に絡み合った因果関係のつづれ織りになっていて、それをきっと人は運命と呼ぶのだろう。
――けれど。
けれどもし。
例えばかなたさんが生きていたら、こなたはアセクシュアルとして育っただろうか。
そう考えた瞬間、私の胸がぎゅっと締めつけられたように軋んだ。心臓病の発作かと思うほどに強く。
そこに雪玉が飛んできて、勢いよく私の胸に当たる。
身体から力が抜けていき、私は仰向けに倒れ込んでいく。まるで『恐るべき子供たち』の開幕の情景のように。私が雪玉を胸に受けて倒れるポールなら、つかさはエリザベートだろうか。それともジェラールか、あるいはアガートか。わからない。
でも、こなただけは決まっている。こなたは絶対にダルジュロスだ。圧倒的な魅力でポールの人生に影を落とす、ポールの同性の想い人。
倒れたまま動かない私を心配したのだろう。小走りでつかさが駆けてくる音がする。私は少しだけ乱れた呼吸を整えながら、潤み始めた瞳で空を見上げていた。どこまでも青い空。それは限りなく透明に近い青。
「――お姉ちゃん?」
「嘘つき」
思わず私の口からそんな言葉が飛びだして、つかさがはっと息を呑む気配がする。
こなたは、私のことを好きなんかじゃなかった。つかさたちに向けているのと違う好きを、私に感じてなんていなかった。つかさが云ったことは、嘘だった。
「――ごめんね」
ぽす、と雪に座る音がする。そんなところに座りこんでいたら、きっとお尻が濡れてしまう。浮かんできた涙を必死でこらえながら、心のどこかでそんなことを考えた。
「違う、違うの。そんなこと云いたいんじゃない。ありがとうって云いたかっただけなのよ」
――なのに、なんであんなことを云ってしまったのだろう。
つかさのことを恨んでいるのだろうか。あんなに私のことを応援してくれた大事な妹のことを。つかさのことを羨んでいるのだろうか、悩む必要がないストレートとして育ったことに対して。
けれど心の中のどこを探してもそんな感情は見あたらなくて、私はどうしてあんなことを云ってしまったのかと訝しむ。
「大丈夫。わかってるから」
つかさは、もしかしたら私以上に私のことを知っているのかもしれない。そんなことを考えた。
「――ありがとう」
私がそう云うと、視界を埋める空の中につかさの顔が飛び込んでくる。淡い逆光を背負って、その肌が雪よりも白かった。
そうしてニカリと笑った。歯をむき出した、男の子みたいな笑い方。
姉の、威厳というものがある。つかさの前で泣き出すのは避けたい。
けれど一筋流れ出た涙を、きっとつかさに見られていた。
§22
結局その日は一日何もする気になれなかった。
いのりお姉ちゃんはまだ戻っていない。夕方近くなるまで戻らないとお母さんが云っていた。
つかさは部屋で勉強をしている。
お父さんはクリスマスだろうと気にせず神社で祝詞をあげている。
そうしてクリスマスのリビングでごろごろしている、年頃の女の子二人。まつりお姉ちゃんは、昨日私が家を出てからずっとそこにいたかのように馴染んでいた。
律儀に昨日のテレビ番組の話なんかをするまつりお姉ちゃんに生返事をしながら、見るともなしにテレビを眺めていた。お姉ちゃんは私に何事かあったことには気がついていただろうけれど、一度もそれに触れてくることはなかった。
姉妹なんて、そんなものだと思う。なんとなく色々なことをわかっていながら、あえて踏み込んだりはしない。頼られるまではわざわざ手を差しだしたりはしないけれど、いつだって見守っている。
クラスメイトだったら絶対友達になれないタイプだったけれど、私は多分、まつりお姉ちゃんと仲が良いんだと思う。
「つっまんないテレビだね」
ふてくされたようにお姉ちゃんが云う。
「クリスマスだもん、そんなもんだよ」
画面の中で“オネエ”タレントがシナを作って、スタジオが笑いに包まれる。
「この手のキャラって、どうせ私生活じゃバリバリ男なんだろな」
「知らないわよそんなの」
まつりお姉ちゃんは、身体を揺らして笑った。
ピッ。すぐに飽きてチャンネルを変える。
『――った大雪は恋人たちにホワイト・クリスマスをプレゼントしましたが、一夜明けた今日、各地で交通機関を麻痺させることになりました』
降り積もった雪。駅。行き交う人々。
ピッ。
『――はあなたです』
『何を云う、一体どんな証拠があるのかね』
『証拠ならあります。あなたは全ての写真を処分したと思っていたようですが、この写真が残っていることにまでは考えが至らなかったようですね』
『そ、それは』
『そうです、その部屋で撮られた記念写真。これにコルクボードに貼られた、あなたが見せたくなかったその写真が写ってい――』
ピッ。
『――てるのは大変でした。家事のことなんてろくすっぽやってこなかったですから。ええ、そういう時代でしたからね。お袋や近所の人に色々手伝ってもらって。もう、娘はみんなで育てたようなものですね』
部屋を模したセットで男の人が語っている。
そろそろ初老の域に入ろうかという文化人だった。確か映画監督だったはずだけれど、私はその人の撮った映画を一つも見たことがなかった。テレビに登場する度に映画監督として紹介されるけれど、その人が撮った映画よりその人自身の方が余程有名だろうと思う。
語っているのは、男親一人で娘を育ててきたという内容らしい。
――思い出す。
今朝、泉家を辞去するときに見送りにきた、そうじろうさんのこと。
淋しそうな、申し訳なさそうな、さっぱりしたような、なんとも云いがたい複雑な表情。きっと昨夜こなたの部屋で起きたことを、こなたや私の態度からある程度は察していたことだろう。
そうじろうさんはこなたがアセクシュアルであることを知っている。こなたがそう云っていたのだから、それはもう間違いない。
ならば小父さんは、あのとき私がレズビアンだと知っていて、あのセリフを云ったのだろうか。
『辛いかもしれないけれど、こなたのことをずっと好きでいてやってくれないか』
――確かにとても辛い。
それでもあえて私にこなたのことを好きでいろと、そう云ったのだろうか。報われないことを知っていて、神の無償の愛をこなたに捧げ続けろと。
「――勝手なことを」
ぼそりと、私は呟いた。
「ん? なんか云ったかがみ?」
「なんでもない。本当につまんないテレビだね」
ごろりと寝っ転がる。
つまらないのはテレビだけではないと思う。
つかさは部屋で勉強をしている。
お父さんはクリスマスだろうと気にせず神社で祝詞をあげている。
そうしてクリスマスのリビングでごろごろしている、年頃の女の子二人。まつりお姉ちゃんは、昨日私が家を出てからずっとそこにいたかのように馴染んでいた。
律儀に昨日のテレビ番組の話なんかをするまつりお姉ちゃんに生返事をしながら、見るともなしにテレビを眺めていた。お姉ちゃんは私に何事かあったことには気がついていただろうけれど、一度もそれに触れてくることはなかった。
姉妹なんて、そんなものだと思う。なんとなく色々なことをわかっていながら、あえて踏み込んだりはしない。頼られるまではわざわざ手を差しだしたりはしないけれど、いつだって見守っている。
クラスメイトだったら絶対友達になれないタイプだったけれど、私は多分、まつりお姉ちゃんと仲が良いんだと思う。
「つっまんないテレビだね」
ふてくされたようにお姉ちゃんが云う。
「クリスマスだもん、そんなもんだよ」
画面の中で“オネエ”タレントがシナを作って、スタジオが笑いに包まれる。
「この手のキャラって、どうせ私生活じゃバリバリ男なんだろな」
「知らないわよそんなの」
まつりお姉ちゃんは、身体を揺らして笑った。
ピッ。すぐに飽きてチャンネルを変える。
『――った大雪は恋人たちにホワイト・クリスマスをプレゼントしましたが、一夜明けた今日、各地で交通機関を麻痺させることになりました』
降り積もった雪。駅。行き交う人々。
ピッ。
『――はあなたです』
『何を云う、一体どんな証拠があるのかね』
『証拠ならあります。あなたは全ての写真を処分したと思っていたようですが、この写真が残っていることにまでは考えが至らなかったようですね』
『そ、それは』
『そうです、その部屋で撮られた記念写真。これにコルクボードに貼られた、あなたが見せたくなかったその写真が写ってい――』
ピッ。
『――てるのは大変でした。家事のことなんてろくすっぽやってこなかったですから。ええ、そういう時代でしたからね。お袋や近所の人に色々手伝ってもらって。もう、娘はみんなで育てたようなものですね』
部屋を模したセットで男の人が語っている。
そろそろ初老の域に入ろうかという文化人だった。確か映画監督だったはずだけれど、私はその人の撮った映画を一つも見たことがなかった。テレビに登場する度に映画監督として紹介されるけれど、その人が撮った映画よりその人自身の方が余程有名だろうと思う。
語っているのは、男親一人で娘を育ててきたという内容らしい。
――思い出す。
今朝、泉家を辞去するときに見送りにきた、そうじろうさんのこと。
淋しそうな、申し訳なさそうな、さっぱりしたような、なんとも云いがたい複雑な表情。きっと昨夜こなたの部屋で起きたことを、こなたや私の態度からある程度は察していたことだろう。
そうじろうさんはこなたがアセクシュアルであることを知っている。こなたがそう云っていたのだから、それはもう間違いない。
ならば小父さんは、あのとき私がレズビアンだと知っていて、あのセリフを云ったのだろうか。
『辛いかもしれないけれど、こなたのことをずっと好きでいてやってくれないか』
――確かにとても辛い。
それでもあえて私にこなたのことを好きでいろと、そう云ったのだろうか。報われないことを知っていて、神の無償の愛をこなたに捧げ続けろと。
「――勝手なことを」
ぼそりと、私は呟いた。
「ん? なんか云ったかがみ?」
「なんでもない。本当につまんないテレビだね」
ごろりと寝っ転がる。
つまらないのはテレビだけではないと思う。
いのりお姉ちゃんは、上機嫌で帰ってきた。手にしていたバッグをくるくると振り回し、スキップをしながら鼻歌を歌っていた。
お土産に買ってきたのはクリスマスプディング。
昨夜のことを思い出してしまって、私は慌てて部屋に逃げ込んだ。
お土産に買ってきたのはクリスマスプディング。
昨夜のことを思い出してしまって、私は慌てて部屋に逃げ込んだ。
勉強しないといけないのはわかっている。けれど何をする気力も起きなくて、ベッドに転がったまま天上を見上げていた。
夕方になってやっと動き出した私は、脱衣所で洗濯するものとクリーニングに出すものの仕分けをしていた。昨夜着ていったものはことごとく泥だらけになっていた。こなたはいいと云っていたけれど、服が乾くまで着ていたこなたの服も持ってきている。
アウターはもう全部クリーニングだな。そう思いながら紙袋にぼんぼんと服を突っ込んでいって、はたと私の手が止まる。
こなたに借りたショーツ。フリルレースに薔薇飾りのリボンなんてついた、可愛らしいふりふりのショーツ。それが私の手にあった。
――こなたは、これを私に見せるつもりで買ったのかもしれない。唐突にそう思った。
私に恋をすることができたなら、私を愛することができたなら、そう思ってこなたは私にキスをした。可愛い服を着て、メイクをして気持ちを盛り上げた。こなたはそう云っていた。
もし、こなたが私にときめくことができたなら。自分が私の気持ちに答えられるかもしれないとこなたが思ったなら、きっとその先のことも考えて――。
この純白の、少女趣味丸出しの可愛らしいショーツ。
それが、こなたがイメージする恋なんだ。
こなたはこれを買うときにどう思っただろう。私がこういうのを好きだと思ったのだろうか。これを穿いて私の前に立つ自分の姿を想像したのだろうか。そのときに、ほんの少しでも胸に甘い疼きは訪れたのだろうか。
わからない、それはわからないけれど。
けれどこなたはこれを私に差し出した。『穿かないから』とそう云って私の手にこれを押しつけた。
――こなた。
私は脱力してその場にしゃがみ込む。身体から力が抜けていき、立っていられなくなってしゃがみ込む。
こなたに見捨てられたこのショーツが可哀想だった。こなたが持てたかもしれない、その恋心が悲しかった。
身体も、頭も、痺れたように動かなかった。動かし方そのものを忘れてしまった。そんな糸が切れたような脱力感に支配されていた。
そうして私はやっとそれに気がついた。
アウターはもう全部クリーニングだな。そう思いながら紙袋にぼんぼんと服を突っ込んでいって、はたと私の手が止まる。
こなたに借りたショーツ。フリルレースに薔薇飾りのリボンなんてついた、可愛らしいふりふりのショーツ。それが私の手にあった。
――こなたは、これを私に見せるつもりで買ったのかもしれない。唐突にそう思った。
私に恋をすることができたなら、私を愛することができたなら、そう思ってこなたは私にキスをした。可愛い服を着て、メイクをして気持ちを盛り上げた。こなたはそう云っていた。
もし、こなたが私にときめくことができたなら。自分が私の気持ちに答えられるかもしれないとこなたが思ったなら、きっとその先のことも考えて――。
この純白の、少女趣味丸出しの可愛らしいショーツ。
それが、こなたがイメージする恋なんだ。
こなたはこれを買うときにどう思っただろう。私がこういうのを好きだと思ったのだろうか。これを穿いて私の前に立つ自分の姿を想像したのだろうか。そのときに、ほんの少しでも胸に甘い疼きは訪れたのだろうか。
わからない、それはわからないけれど。
けれどこなたはこれを私に差し出した。『穿かないから』とそう云って私の手にこれを押しつけた。
――こなた。
私は脱力してその場にしゃがみ込む。身体から力が抜けていき、立っていられなくなってしゃがみ込む。
こなたに見捨てられたこのショーツが可哀想だった。こなたが持てたかもしれない、その恋心が悲しかった。
身体も、頭も、痺れたように動かなかった。動かし方そのものを忘れてしまった。そんな糸が切れたような脱力感に支配されていた。
そうして私はやっとそれに気がついた。
――私は、こなたに振られたんだ。
『ごめんね。かがみの気持ちには答えらんない』
そう云ったときのこなたの様子。うつむきがちに涙を拭いながら、けれどきっぱりとこなたは云った。
私の気持ち、それは一体なんだったのだろうと思う。恋とか愛とか欲望とか好意とか。一つ一つの言葉の意味はわかっても、並べてみるとその違いはよくわからない。私はこなたに何をしたかったのか。こなたとどんな関係になりたかったのか。それが私にはよくわからない。
私はそれを一度は手にしたはずだった。あの秋風の吹く美河町の海岸で。
あの日こなたを抱きしめたとき、私の前には一本の道が拓けていたはずだった。こなたと手を取りながら歩いていくその道が、どこまでも遠くその先まで見えていたはずだった。
けれど、今となってはそれがなんだったのかわからない。
私の気持ち。それがなんだったのかわからない。
様々な想いで混乱した頭の中、ただこなたに振られたという事実だけが、べったりと貼りついて離れなかった。
そう云ったときのこなたの様子。うつむきがちに涙を拭いながら、けれどきっぱりとこなたは云った。
私の気持ち、それは一体なんだったのだろうと思う。恋とか愛とか欲望とか好意とか。一つ一つの言葉の意味はわかっても、並べてみるとその違いはよくわからない。私はこなたに何をしたかったのか。こなたとどんな関係になりたかったのか。それが私にはよくわからない。
私はそれを一度は手にしたはずだった。あの秋風の吹く美河町の海岸で。
あの日こなたを抱きしめたとき、私の前には一本の道が拓けていたはずだった。こなたと手を取りながら歩いていくその道が、どこまでも遠くその先まで見えていたはずだった。
けれど、今となってはそれがなんだったのかわからない。
私の気持ち。それがなんだったのかわからない。
様々な想いで混乱した頭の中、ただこなたに振られたという事実だけが、べったりと貼りついて離れなかった。
――ずっと、うつむいたまま。
つかさに発見されるまで、私はそこでうずくまっていた。
つかさに発見されるまで、私はそこでうずくまっていた。
自室に戻っても、私はそこでうずくまっていた。雪に閉ざされた、クリスマスイブのあの部屋で。私の心はあそこから一歩も外に出られていなかった。私の時間はあの夜から止まっていた。
子供の頃から見慣れた自室の中で、床に這いつくばって丸まった私は、広漠とした雪原を幻視する。それは見渡す限り真っ白に広がった、フラットな感情の地平線。
積もっているのは雪ではない。それはあの夜に私の心に降り注いだ、感情の欠片たちだ。しんしんと降る雪のように私の心に降り注いでいた、あの感情。恨みや悲しさや愛しさや願い、そんなものが入り交じって真っ白になったその感情。
それが、あらゆる叫びや願いを飲み込みながら、陽光を照り返してきらきらと光っている。
降り積もった感情の死骸に埋め尽くされて、息をするのも億劫だった。冷たく白い想いの底で、私は膝を抱えてうずくまっていた。
帰り道に見た、どこまでも続く白い雪原。
子供の頃から見慣れた自室の中で、床に這いつくばって丸まった私は、広漠とした雪原を幻視する。それは見渡す限り真っ白に広がった、フラットな感情の地平線。
積もっているのは雪ではない。それはあの夜に私の心に降り注いだ、感情の欠片たちだ。しんしんと降る雪のように私の心に降り注いでいた、あの感情。恨みや悲しさや愛しさや願い、そんなものが入り交じって真っ白になったその感情。
それが、あらゆる叫びや願いを飲み込みながら、陽光を照り返してきらきらと光っている。
降り積もった感情の死骸に埋め尽くされて、息をするのも億劫だった。冷たく白い想いの底で、私は膝を抱えてうずくまっていた。
帰り道に見た、どこまでも続く白い雪原。
あの底に、私の心が埋まっている。
半ば自動的にメールを返す。
みゆきから来たメールは、明日こちらに来てもいいかというものだった。つかさからある程度のことは伝わっているだろう。けれど私はつかさにも昨夜のことは話していなかったから、具体的なことは何も知らないはずだ。それとも、こなたからもう聞いているのだろうか。
――少しだけ。そう、少しだけ億劫だった。
二人が私のために身を粉にして駆けずり回ってくれたことはわかっている。神経をすり減らしながら私とこなたのことを見守ってくれてきたことは痛いほど身にしみている。
けれどあと少し。そのことを話すのはもう少しだけ先にして欲しいなと思った。私の中で心の整理ができるまで。
けれどきっとそれでは遅いのだろう。
――もう、すぐ、受験が始まる。
みゆきから来たメールは、明日こちらに来てもいいかというものだった。つかさからある程度のことは伝わっているだろう。けれど私はつかさにも昨夜のことは話していなかったから、具体的なことは何も知らないはずだ。それとも、こなたからもう聞いているのだろうか。
――少しだけ。そう、少しだけ億劫だった。
二人が私のために身を粉にして駆けずり回ってくれたことはわかっている。神経をすり減らしながら私とこなたのことを見守ってくれてきたことは痛いほど身にしみている。
けれどあと少し。そのことを話すのはもう少しだけ先にして欲しいなと思った。私の中で心の整理ができるまで。
けれどきっとそれでは遅いのだろう。
――もう、すぐ、受験が始まる。
その夜は中々眠れずに、明け方になって少しまどろんだだけだった。
§23
「――そういう、ことでしたか」
目の前の親友が沈痛な面持ちでうなずいた。ふわふわとした、ウェーブがかった桜色の髪。丸く穏やかな顔立ちだけれど、どこかシャープな顎の線。本当に綺麗な子だと、見る度に私は思う。
テーブルにはつかさが作ってくれたきな粉のクッキーとダージリン。みゆきは美味しいとしきりに褒めていたけれど、私には不思議と味がよくわからなかった。なんだか昨日から色々なものが麻痺している気がする。味覚にも視覚にも、何か薄皮が一枚はりついているような感覚。
「――えっと、ごめん。よくわかんないんだけど……」
つかさは紅い顔をして申し訳なさそうに首をすくめる。それも仕方ないかなと私は思う。私だって知識として知っているだけで、その本当のところはよくわかっていない。きっとみゆきだってそう大差はないだろうと思う。
「私も実感としてはよくわかりません。ただ、私たちが人を好きになるようには人を好きになれない、そんな人もいるのだと……」
「わたしが、女の子を好きになれないみたいに?」
「そういうことですね。女の子だけではなくて、男の方も好きになれない、ということなのでしょう」
「こなちゃんは、お姉ちゃんがこなちゃんを好きなようには、お姉ちゃんを好きになれないってこと?」
「そうよ」
私がそう云うと、つかさは不思議そうに首を傾げて唸った。
みゆきもそんなつかさを見て、それから私を見て、困ったように首を傾げていた。
目の前の親友が沈痛な面持ちでうなずいた。ふわふわとした、ウェーブがかった桜色の髪。丸く穏やかな顔立ちだけれど、どこかシャープな顎の線。本当に綺麗な子だと、見る度に私は思う。
テーブルにはつかさが作ってくれたきな粉のクッキーとダージリン。みゆきは美味しいとしきりに褒めていたけれど、私には不思議と味がよくわからなかった。なんだか昨日から色々なものが麻痺している気がする。味覚にも視覚にも、何か薄皮が一枚はりついているような感覚。
「――えっと、ごめん。よくわかんないんだけど……」
つかさは紅い顔をして申し訳なさそうに首をすくめる。それも仕方ないかなと私は思う。私だって知識として知っているだけで、その本当のところはよくわかっていない。きっとみゆきだってそう大差はないだろうと思う。
「私も実感としてはよくわかりません。ただ、私たちが人を好きになるようには人を好きになれない、そんな人もいるのだと……」
「わたしが、女の子を好きになれないみたいに?」
「そういうことですね。女の子だけではなくて、男の方も好きになれない、ということなのでしょう」
「こなちゃんは、お姉ちゃんがこなちゃんを好きなようには、お姉ちゃんを好きになれないってこと?」
「そうよ」
私がそう云うと、つかさは不思議そうに首を傾げて唸った。
みゆきもそんなつかさを見て、それから私を見て、困ったように首を傾げていた。
約束通り、みゆきは家に来た。
クリスマスの次の日、あの夜の翌々日のことだった。
予想に反して、みゆきはこなたから大体のことを聞いていたようだ。とは云っても、聞いていたのはこなたのセクシュアリティに関することではない。
――かがみのこと、振っちゃった。
こなたは、涙声で、そう云っていたという。
詳しいことは私から聞いてくれと、そう云って電話を切られたのだそうだ。
こなたにメールで確認したところ、自分で上手く説明できる自信がないからということだった。あいつも、まだあまり人に会いたくないのかもしれない。
――そんなの、私だって同じことなのに。
こなたにこうやって下駄を預けられること、嫌いではなかった。宿題を頼まれたり、みんなで遊ぶときに連絡を丸投げされたり、服を買いに行ったときに私に選ばせたり。口では文句を云っていたけれど、こなたに信頼されている気がして嬉しかった。面倒なことを私に任せて、アニメやゲームの方ばかりを向いてのほほんと遊んでいるこなたのことは、見ていて私も楽しかった。
けれど今は、そんなこなたの性格が少しだけ恨めしい。
「――かがみさん?」
「あ、ごめん。なぁに、みゆき」
「こなたさんのお話です」
「ああ、そうね、えっと――?」
なぜだろう。まるで聞こえていなかった。
目の前にいるみゆきの声が聞こえていないはずがない。けれど私の耳に、つかさとみゆきの会話は聞き慣れない呪文のように響いていた。意識して聞こうとしないと、右から左へと流れるように通り過ぎていってしまうのだ。
――きっと、全部雪で埋まっているからだ。
そうして私はまた、この部屋にあの雪原を幻視する。
私を埋め尽くすように降り積もった感情の死骸が冷たく凍りついていて、目を、口を、耳を、肌を、あらゆるものを麻痺させている。こんなに現実感を感じられないのはきっとそのせいだ。何もかもがどこか遠い世界のできごとのように感じるのは、きっとそのせいだ。
遠い世界にいるみゆきが口を動かして、聞き慣れない声が聞こえてくる。
「こなたさんにとって、きっとかがみさんに話すかどうかが問題だったのでしょうね、と。かがみさんが知っている以上、私たちが知っていても構わないのだと。そういうお話をしてました」
「――そう。そうなのかな。うん、きっとそうよね」
なんて身のない返事。気の抜けた返し。自分でも喋っていてわかる、私は口先だけで物を云っている。
そんな私を見て、視界の隅でつかさが悲しそうに目を伏せていた。
「ごめん、わたしおトイレいってくるね」
つかさはそう云ったかと思うと返事を待たずに立ち上がり、部屋を出て行った。その背中が不思議と淋しそうに見えて、私はそれがなぜだろうと思う。
二人だけになった部屋は、先ほどよりも少しだけ気詰まりだ。普段みゆきと一緒にいて気詰まりに感じることなんてないのに、今このときは何か重苦しい物がのし掛かっているように感じていた。それはもしかしたら、ただ私の心の中だけにある重石だったのかもしれないけれど。
みゆきは、物思わしげに顔を伏せながら頬に手を当てていたけれど、ふと顔を上げたかと思うとぐいとこちらに身を乗り出してきた。そうしてじっと私の顔を睨みつけて云った。
「かがみさん」
「は、はい?」
その迫力に、私は少しだけのけぞった。みゆきがこんな風に身体を近づけてくることなんて今まであまりなかった。いつもじっと背筋を伸ばしながら、一定の距離を保って話す子だった。
「私は、ここにこなたさんの事情を聞くためだけにやってきたわけじゃないんです」
「――え? あ、そうなの?」
「はい。――あなたが、悲しんでいるだろうと思って……。それで、来たのですよ」
「そうなんだ、ありがとう……」
「……それなのに、かがみさんはあまりそういう様子を見せてくださいません」
「――悲しんでる、わよ?」
何を云い出すのだろうと私は思った。けれどみゆきは私の言葉を聞くと、否定するように首を横に振る。桜色の髪の毛が、優美な描線を宙に描いて舞っていた。
「私は、かがみさんのことを心から尊敬しています。いつも凜と張り詰めていて、前向きに、誠実に、正しくあろうと努力されていて。――なんてきれいな人だろうと、いつも思っていました」
「……みゆ、き?」
突然振ってきた賛辞に、私は呆然とする。みゆきが何を云いたいのかわからなくて、呆然としながら彼女の名前を口にする。
――でも。
みゆきは、私から視線を逸らさずにそう云った。クリスマスイブに私のお尻を叩いたときのように、じっと私の目を見つめながらそう云った。
「泣いて、いいんですよ」
「――みゆき?」
何かが、揺れる。
「愚痴を云って、いいんですよ」
「――みゆき」
みゆきが言葉を紡ぐ度、心の中で何かが揺れていく。
「私は、つかささんじゃありません。かがみさんが護らないといけない、弱味を見せられない妹じゃありません。それに、私はこなたさんでもありません。あなたが愛していて、ほんの少しでも嫌われたくないと思っている人ではありません」
「そんなこと――」
否定しようとして口を開いたそのとき、みゆきが両手でそっと私の頬に触れた。
「私は――ただの親友です。あなたにとって何の重みもない、ただの親友なんです。だから私の前では全部吐きだしてしまっても、崩れてしまっても大丈夫なんですよ」
包み込むように置かれた掌からじんわりと温もりが伝わってきて、その熱が私の心の中に染みこんでいく。
「かがみさんがそれをみっともないと思っていることもわかっています。そんな自分はお嫌いだということもわかっています。それでも、私だけは。私だけは決してそれを嫌いませんから。――だから」
――降り積もった雪のような、その感情。
私の心を凍らせていたその感情が溶けていき、目の端からこぼれ落ちていくのを感じていた。
「――あれ? 私、なんで――」
ポロポロとこぼれ落ちていく涙を止めようとして、私は慌ててぐしぐしと目をこする。けれど涙は拭う端からこぼれ落ちてきて、私はそれがなぜだろうと思う。
泣くような気分ではなかったはずなのに。悲しいなんて感情は、くもりガラスの向こうで渦巻いているような、どこか遠い物に感じていたはずなのに。
みゆきの言葉は、そんなガラスを粉々に砕いてしまっていた。触れられた手の温もりは、凍っていた私の感情を溶かしきってしまっていた。
胸の奥、深いところから嗚咽がせり上がってきて、私の呼吸を震わせる。意志に反して漏れようとする呻き声を抑えこもうと、私は口元を手で覆う。
けれどそんな私の涙を掬って、みゆきはゆっくりと微笑んだ。
その笑顔を見た途端、どこか書き割りのように見えていた現実が、普段通りの厚みを持って戻ってきて。
そうして私は気がついた。
クリスマスの次の日、あの夜の翌々日のことだった。
予想に反して、みゆきはこなたから大体のことを聞いていたようだ。とは云っても、聞いていたのはこなたのセクシュアリティに関することではない。
――かがみのこと、振っちゃった。
こなたは、涙声で、そう云っていたという。
詳しいことは私から聞いてくれと、そう云って電話を切られたのだそうだ。
こなたにメールで確認したところ、自分で上手く説明できる自信がないからということだった。あいつも、まだあまり人に会いたくないのかもしれない。
――そんなの、私だって同じことなのに。
こなたにこうやって下駄を預けられること、嫌いではなかった。宿題を頼まれたり、みんなで遊ぶときに連絡を丸投げされたり、服を買いに行ったときに私に選ばせたり。口では文句を云っていたけれど、こなたに信頼されている気がして嬉しかった。面倒なことを私に任せて、アニメやゲームの方ばかりを向いてのほほんと遊んでいるこなたのことは、見ていて私も楽しかった。
けれど今は、そんなこなたの性格が少しだけ恨めしい。
「――かがみさん?」
「あ、ごめん。なぁに、みゆき」
「こなたさんのお話です」
「ああ、そうね、えっと――?」
なぜだろう。まるで聞こえていなかった。
目の前にいるみゆきの声が聞こえていないはずがない。けれど私の耳に、つかさとみゆきの会話は聞き慣れない呪文のように響いていた。意識して聞こうとしないと、右から左へと流れるように通り過ぎていってしまうのだ。
――きっと、全部雪で埋まっているからだ。
そうして私はまた、この部屋にあの雪原を幻視する。
私を埋め尽くすように降り積もった感情の死骸が冷たく凍りついていて、目を、口を、耳を、肌を、あらゆるものを麻痺させている。こんなに現実感を感じられないのはきっとそのせいだ。何もかもがどこか遠い世界のできごとのように感じるのは、きっとそのせいだ。
遠い世界にいるみゆきが口を動かして、聞き慣れない声が聞こえてくる。
「こなたさんにとって、きっとかがみさんに話すかどうかが問題だったのでしょうね、と。かがみさんが知っている以上、私たちが知っていても構わないのだと。そういうお話をしてました」
「――そう。そうなのかな。うん、きっとそうよね」
なんて身のない返事。気の抜けた返し。自分でも喋っていてわかる、私は口先だけで物を云っている。
そんな私を見て、視界の隅でつかさが悲しそうに目を伏せていた。
「ごめん、わたしおトイレいってくるね」
つかさはそう云ったかと思うと返事を待たずに立ち上がり、部屋を出て行った。その背中が不思議と淋しそうに見えて、私はそれがなぜだろうと思う。
二人だけになった部屋は、先ほどよりも少しだけ気詰まりだ。普段みゆきと一緒にいて気詰まりに感じることなんてないのに、今このときは何か重苦しい物がのし掛かっているように感じていた。それはもしかしたら、ただ私の心の中だけにある重石だったのかもしれないけれど。
みゆきは、物思わしげに顔を伏せながら頬に手を当てていたけれど、ふと顔を上げたかと思うとぐいとこちらに身を乗り出してきた。そうしてじっと私の顔を睨みつけて云った。
「かがみさん」
「は、はい?」
その迫力に、私は少しだけのけぞった。みゆきがこんな風に身体を近づけてくることなんて今まであまりなかった。いつもじっと背筋を伸ばしながら、一定の距離を保って話す子だった。
「私は、ここにこなたさんの事情を聞くためだけにやってきたわけじゃないんです」
「――え? あ、そうなの?」
「はい。――あなたが、悲しんでいるだろうと思って……。それで、来たのですよ」
「そうなんだ、ありがとう……」
「……それなのに、かがみさんはあまりそういう様子を見せてくださいません」
「――悲しんでる、わよ?」
何を云い出すのだろうと私は思った。けれどみゆきは私の言葉を聞くと、否定するように首を横に振る。桜色の髪の毛が、優美な描線を宙に描いて舞っていた。
「私は、かがみさんのことを心から尊敬しています。いつも凜と張り詰めていて、前向きに、誠実に、正しくあろうと努力されていて。――なんてきれいな人だろうと、いつも思っていました」
「……みゆ、き?」
突然振ってきた賛辞に、私は呆然とする。みゆきが何を云いたいのかわからなくて、呆然としながら彼女の名前を口にする。
――でも。
みゆきは、私から視線を逸らさずにそう云った。クリスマスイブに私のお尻を叩いたときのように、じっと私の目を見つめながらそう云った。
「泣いて、いいんですよ」
「――みゆき?」
何かが、揺れる。
「愚痴を云って、いいんですよ」
「――みゆき」
みゆきが言葉を紡ぐ度、心の中で何かが揺れていく。
「私は、つかささんじゃありません。かがみさんが護らないといけない、弱味を見せられない妹じゃありません。それに、私はこなたさんでもありません。あなたが愛していて、ほんの少しでも嫌われたくないと思っている人ではありません」
「そんなこと――」
否定しようとして口を開いたそのとき、みゆきが両手でそっと私の頬に触れた。
「私は――ただの親友です。あなたにとって何の重みもない、ただの親友なんです。だから私の前では全部吐きだしてしまっても、崩れてしまっても大丈夫なんですよ」
包み込むように置かれた掌からじんわりと温もりが伝わってきて、その熱が私の心の中に染みこんでいく。
「かがみさんがそれをみっともないと思っていることもわかっています。そんな自分はお嫌いだということもわかっています。それでも、私だけは。私だけは決してそれを嫌いませんから。――だから」
――降り積もった雪のような、その感情。
私の心を凍らせていたその感情が溶けていき、目の端からこぼれ落ちていくのを感じていた。
「――あれ? 私、なんで――」
ポロポロとこぼれ落ちていく涙を止めようとして、私は慌ててぐしぐしと目をこする。けれど涙は拭う端からこぼれ落ちてきて、私はそれがなぜだろうと思う。
泣くような気分ではなかったはずなのに。悲しいなんて感情は、くもりガラスの向こうで渦巻いているような、どこか遠い物に感じていたはずなのに。
みゆきの言葉は、そんなガラスを粉々に砕いてしまっていた。触れられた手の温もりは、凍っていた私の感情を溶かしきってしまっていた。
胸の奥、深いところから嗚咽がせり上がってきて、私の呼吸を震わせる。意志に反して漏れようとする呻き声を抑えこもうと、私は口元を手で覆う。
けれどそんな私の涙を掬って、みゆきはゆっくりと微笑んだ。
その笑顔を見た途端、どこか書き割りのように見えていた現実が、普段通りの厚みを持って戻ってきて。
そうして私は気がついた。
――この胸に凝り固まっていた、悲しみの深さに。
「――期待、してたんだ……」
止めようもなくわき上がる嗚咽の狭間から、鎧った心の隙間から、漏れ出てきたのはそんな言葉だ。今まで一度として心の表面に浮かんでこなかった、浮かんでこないように抑圧してきた、それはそんな言葉たちだった。
「……ほ、本当はちょっと、期待してたんだ……。こ、こなたは私のこと、好き、なんじゃないかって……心のどこかで、ずっと」
「……ええ」
もう、止めようという努力は放棄した。涙が頬を流れ落ちていくままにして、私は懸命に言葉を継いでいった。
「こなたと、こ、恋人になれるんじゃないかって……」
「……ええ。ええ」
「こなたと、ずっと一緒に、いられるんじゃ、ないかって……」
「……私も、そうなってくれたらどれだけいいと思っていたことでしょう……」
胸の中の黒い塊に触れるたび、全身が痛んで震え出す。流れ出る涙は蛇口が壊れたのではないかと思うほどだった。
こんなものを抱えていたんだなと私は思う。こんなものを胸の中に隠していて、よく今まで平気な顔をできていたなと私は思う。気がついてしまった今となっては、それは無視するには余りにも大きな痛み。余りにも大きな悲しみだった。
苦しくて辛くてどうしようもなくて、私はみゆきの手を掴みながらぎゅっと頬に押しつけた。
すがるように。
溺れる人が藁を掴むように、罪人が蜘蛛の糸にとりつくように、ぎゅっとみゆきの手を握っていた。
そうして子供みたいにしゃくり上げながら、私はそれに気がついた。
――一昨日の夜、私はこなたのためだけに泣いてしまったのだ。
私だって傷ついていたのに。
私だって悲しんでいたのに。
私はそれを無視して、ただこなたのためだけに泣いてしまっていた。
――可哀想だと、私は思った。
叶わなかった私の恋心が、可哀想だった。
「な、なによアセクって……なんでよりによってこなたがそんななのよぉ……わけ、わかんないわよ……」
涙に滲む視界の中で、みゆきがぎゅっと唇を噛むのが見えていた。みゆきは悲しそうな顔をして瞳を揺らしていたけれど、泣き出すことはなかった。ここでみゆきまで泣いてしまえば、こなたと共に泣いた私と同じことになってしまう。
だから、みゆきは泣かなかったのだと思う。
「……なんで、なんで私がこんな目に合わないといけないのよ! ただ、人を好きになっただけなのに!」
叩きつけるようにそう叫ぶと、みゆきはそっと瞳を閉じて、天を振り仰いだ。
――神に、祈るように。
そうして、私の身体を抱きしめた。
両性愛者の私のことを、みゆきは抱きしめてくれたのだ。まるでお母さんが子供を抱くように。ぎゅっと。
その身体の温かさ、柔らかさ。女らしいその丸み。それに心から安堵して、私はどんどん子供になっていく。心を鎧っていた自意識をはぎ取られて、私はどんどん裸になっていく。
「やだっ、もうやだよ私、こんなのもういやだよぉ…」
――きれいになりたい。
――正しくありたい。
そう願って生きてきたのに、私はみゆきの胸の中で厭だ厭だと喚き散らす子供だった。
「……みんな、みんな私に期待するんだ。お姉ちゃんだから我慢しなさいって……、お、お姉ちゃんは格好いいね、強いね。だから、だから我慢できるよねって……。そ、そうじろうさんなんて、私にこなたのことを好きなままでいろなんて……」
「……かがみさんは、格好いいですよ。それに強いです」
「そんなことない! そんなことないもん! 私だって、私だって欲しいんだよ! こなたのことが欲しいんだ! 全部、全部私のものにしたいのよ……こなたぁ……。たまにはわがままくらい、云わせてよぉ……」
背中に回されたみゆきの腕にぐっと力が入って、私はますます強くみゆきの胸に押しつけられていた。包まれているというその感触。こなたも、私に抱かれてこんな風に安心できたのだろうかと思う。
――きっとできなかったことだろう。
なぜなら、私はこなたのことが好きだから。
ぐっと息がつまり、背中がびくびくと波打った。
全身が痙攣しているかのような嗚咽に、私は懸命に息を吸う。そのたびに横隔膜が震え出し、私はこのまま死んでしまうのではないかと思う。
「……云って、いいんですよ。わがままくらい……かがみさんは今までずっと我慢してきたんですから」
「じゃあ! こなたに、私のことを好きにさせてよ!」
嗚咽につっかえながら、私はみゆきに云った。何度も何度も途切れさせながら、みゆきにかなえられるはずもない、醜い願いを口にした。
「……ごめんなさい、それはできません」
「うそつき!」
「……ごめんなさい」
「わかってるわよそんなの! あやまんないでよバカっ!」
「……ごめんなさい」
止めようもなくわき上がる嗚咽の狭間から、鎧った心の隙間から、漏れ出てきたのはそんな言葉だ。今まで一度として心の表面に浮かんでこなかった、浮かんでこないように抑圧してきた、それはそんな言葉たちだった。
「……ほ、本当はちょっと、期待してたんだ……。こ、こなたは私のこと、好き、なんじゃないかって……心のどこかで、ずっと」
「……ええ」
もう、止めようという努力は放棄した。涙が頬を流れ落ちていくままにして、私は懸命に言葉を継いでいった。
「こなたと、こ、恋人になれるんじゃないかって……」
「……ええ。ええ」
「こなたと、ずっと一緒に、いられるんじゃ、ないかって……」
「……私も、そうなってくれたらどれだけいいと思っていたことでしょう……」
胸の中の黒い塊に触れるたび、全身が痛んで震え出す。流れ出る涙は蛇口が壊れたのではないかと思うほどだった。
こんなものを抱えていたんだなと私は思う。こんなものを胸の中に隠していて、よく今まで平気な顔をできていたなと私は思う。気がついてしまった今となっては、それは無視するには余りにも大きな痛み。余りにも大きな悲しみだった。
苦しくて辛くてどうしようもなくて、私はみゆきの手を掴みながらぎゅっと頬に押しつけた。
すがるように。
溺れる人が藁を掴むように、罪人が蜘蛛の糸にとりつくように、ぎゅっとみゆきの手を握っていた。
そうして子供みたいにしゃくり上げながら、私はそれに気がついた。
――一昨日の夜、私はこなたのためだけに泣いてしまったのだ。
私だって傷ついていたのに。
私だって悲しんでいたのに。
私はそれを無視して、ただこなたのためだけに泣いてしまっていた。
――可哀想だと、私は思った。
叶わなかった私の恋心が、可哀想だった。
「な、なによアセクって……なんでよりによってこなたがそんななのよぉ……わけ、わかんないわよ……」
涙に滲む視界の中で、みゆきがぎゅっと唇を噛むのが見えていた。みゆきは悲しそうな顔をして瞳を揺らしていたけれど、泣き出すことはなかった。ここでみゆきまで泣いてしまえば、こなたと共に泣いた私と同じことになってしまう。
だから、みゆきは泣かなかったのだと思う。
「……なんで、なんで私がこんな目に合わないといけないのよ! ただ、人を好きになっただけなのに!」
叩きつけるようにそう叫ぶと、みゆきはそっと瞳を閉じて、天を振り仰いだ。
――神に、祈るように。
そうして、私の身体を抱きしめた。
両性愛者の私のことを、みゆきは抱きしめてくれたのだ。まるでお母さんが子供を抱くように。ぎゅっと。
その身体の温かさ、柔らかさ。女らしいその丸み。それに心から安堵して、私はどんどん子供になっていく。心を鎧っていた自意識をはぎ取られて、私はどんどん裸になっていく。
「やだっ、もうやだよ私、こんなのもういやだよぉ…」
――きれいになりたい。
――正しくありたい。
そう願って生きてきたのに、私はみゆきの胸の中で厭だ厭だと喚き散らす子供だった。
「……みんな、みんな私に期待するんだ。お姉ちゃんだから我慢しなさいって……、お、お姉ちゃんは格好いいね、強いね。だから、だから我慢できるよねって……。そ、そうじろうさんなんて、私にこなたのことを好きなままでいろなんて……」
「……かがみさんは、格好いいですよ。それに強いです」
「そんなことない! そんなことないもん! 私だって、私だって欲しいんだよ! こなたのことが欲しいんだ! 全部、全部私のものにしたいのよ……こなたぁ……。たまにはわがままくらい、云わせてよぉ……」
背中に回されたみゆきの腕にぐっと力が入って、私はますます強くみゆきの胸に押しつけられていた。包まれているというその感触。こなたも、私に抱かれてこんな風に安心できたのだろうかと思う。
――きっとできなかったことだろう。
なぜなら、私はこなたのことが好きだから。
ぐっと息がつまり、背中がびくびくと波打った。
全身が痙攣しているかのような嗚咽に、私は懸命に息を吸う。そのたびに横隔膜が震え出し、私はこのまま死んでしまうのではないかと思う。
「……云って、いいんですよ。わがままくらい……かがみさんは今までずっと我慢してきたんですから」
「じゃあ! こなたに、私のことを好きにさせてよ!」
嗚咽につっかえながら、私はみゆきに云った。何度も何度も途切れさせながら、みゆきにかなえられるはずもない、醜い願いを口にした。
「……ごめんなさい、それはできません」
「うそつき!」
「……ごめんなさい」
「わかってるわよそんなの! あやまんないでよバカっ!」
「……ごめんなさい」
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
慟哭する。
一階にいる家族にまで聞かれてしまうかもしれない。ちらりとそう思ったけれど、そんな理性は感情の濁流に呑み込まれて消えていく。
こなたを好きだということを自覚してからこの一年弱、私は随分涙もろくなったと思う。ことあるごとに涙を我慢できずに、私は泣いてきた。
けれどこんな風に身も世もなく泣きわめいたことは一度もなかった。
――おばあちゃんが亡くなった日。
その日も、私はこんな風に泣いた気がする。
小学校二年生だった。
暑い日だった。
蝉の声にまけじと、つかさと一緒に泣きわめいた。
こんな風に泣くことができたのは、あの日以来だと私は思う。
「……ごめん、ごめんねみゆき……変なこと云ってごめん。でも私だって、そんなこと考えるんだよ。そんな醜いこと、私だって思うんだよ……本当は私って凄い汚いんだ……」
「いいえ、あなたはきれいです。そんなことを思っているかがみさんだからこそ、きれいです」
「……みゆきは、お世辞ばっかりね……」
「お世辞ではないですよ。どろどろとした感情を持ちながら、それでも必死で歯を食いしばりながら懸命に正しくあろうとするからこそ、かがみさんは世界一きれいなんですよ」
慈しむようにみゆきがそう云って。
それを聞いたとき、私の心を抑えていた全ての理性が流れ去っていく。滝のようにこぼれ落ちていく涙に洗われて、私の悲しみが溶けていく。
そうして溶け去った雪原の下から、それが姿を現した。雪解け水にぬかるんだ土の中から、きらきらと輝くそれが姿を現した。
一階にいる家族にまで聞かれてしまうかもしれない。ちらりとそう思ったけれど、そんな理性は感情の濁流に呑み込まれて消えていく。
こなたを好きだということを自覚してからこの一年弱、私は随分涙もろくなったと思う。ことあるごとに涙を我慢できずに、私は泣いてきた。
けれどこんな風に身も世もなく泣きわめいたことは一度もなかった。
――おばあちゃんが亡くなった日。
その日も、私はこんな風に泣いた気がする。
小学校二年生だった。
暑い日だった。
蝉の声にまけじと、つかさと一緒に泣きわめいた。
こんな風に泣くことができたのは、あの日以来だと私は思う。
「……ごめん、ごめんねみゆき……変なこと云ってごめん。でも私だって、そんなこと考えるんだよ。そんな醜いこと、私だって思うんだよ……本当は私って凄い汚いんだ……」
「いいえ、あなたはきれいです。そんなことを思っているかがみさんだからこそ、きれいです」
「……みゆきは、お世辞ばっかりね……」
「お世辞ではないですよ。どろどろとした感情を持ちながら、それでも必死で歯を食いしばりながら懸命に正しくあろうとするからこそ、かがみさんは世界一きれいなんですよ」
慈しむようにみゆきがそう云って。
それを聞いたとき、私の心を抑えていた全ての理性が流れ去っていく。滝のようにこぼれ落ちていく涙に洗われて、私の悲しみが溶けていく。
そうして溶け去った雪原の下から、それが姿を現した。雪解け水にぬかるんだ土の中から、きらきらと輝くそれが姿を現した。
それは氷の彫刻のような何か。
悲しみで彫られ、涙に洗われた、それは透明に透き通る何かだ。
悲しみで彫られ、涙に洗われた、それは透明に透き通る何かだ。
――思えば素敵な恋だった。
こなたに恋していたこの年月。
思い返してみれば素敵なことばかりだったのだ。
惑った春の日も、喧嘩した夏の日も、抱きしめた秋の日も、傷ついた冬の日も。
かたわらにはいつもこなたがいて、こなたのことを見つめることができて、そうしてこなたも私のことを見つめてくれていた。
叶うことはなかったけれど。
成就することはなかったけれど。
きっと上出来な恋だったのだと私は思う。
私のこの恋は、きっときれいな感情だったのだと思う。
思い返してみれば素敵なことばかりだったのだ。
惑った春の日も、喧嘩した夏の日も、抱きしめた秋の日も、傷ついた冬の日も。
かたわらにはいつもこなたがいて、こなたのことを見つめることができて、そうしてこなたも私のことを見つめてくれていた。
叶うことはなかったけれど。
成就することはなかったけれど。
きっと上出来な恋だったのだと私は思う。
私のこの恋は、きっときれいな感情だったのだと思う。
――みゆきが、そう思わせてくれたのだ。
「――私、みゆきと友達になれてよかった」
私がそう云うと、みゆきは私の頭を撫でながら頬を寄せて呟いた。
「――私もです」
そのとき私の頭に何かがぽとりと垂れたように思うのは、きっと気のせいだっただろう。みゆきは、私が泣き疲れて眠り込んでしまうまで、ずっと私のことを抱きしめてくれていた。
私がそう云うと、みゆきは私の頭を撫でながら頬を寄せて呟いた。
「――私もです」
そのとき私の頭に何かがぽとりと垂れたように思うのは、きっと気のせいだっただろう。みゆきは、私が泣き疲れて眠り込んでしまうまで、ずっと私のことを抱きしめてくれていた。
――トイレに行ったはずのつかさは、その日は一日私の部屋に戻ってこなかった。
それが、去年の十二月二十四日――冬の夜に関する顛末の全てだ。
§エピローグ
「――こなちゃん、遅いね~」
「まあ、いつものことじゃない。あいつのことだから、どうせぎりぎりになるんでしょ」
「ふふ、きっと遅くまで勉強していたのかもしれませんね」
「ないない。っていうかセンター前日まで勉強してても、当日遅れちゃ意味ないじゃないのよ。どうせ会場が陵桜大学だからって、気抜いてていつも通りのつもりでいるに決まってるわ」
「か、かがみちゃん、相変わらず泉ちゃんに容赦ないのね……」
「まあ、いつものことじゃない。あいつのことだから、どうせぎりぎりになるんでしょ」
「ふふ、きっと遅くまで勉強していたのかもしれませんね」
「ないない。っていうかセンター前日まで勉強してても、当日遅れちゃ意味ないじゃないのよ。どうせ会場が陵桜大学だからって、気抜いてていつも通りのつもりでいるに決まってるわ」
「か、かがみちゃん、相変わらず泉ちゃんに容赦ないのね……」
――一月十九日。
私たちはひぬみや駅前に集まっていた。待ち合わせ時刻は少し早めに、十分な余裕を持って設定していたはずだった。
今も電車が到着し、沢山の同年代の男女が改札から吐き出されてくる。
けれど、その中にこなたはいない。
こなたを抜かした私たち、私とつかさとみゆきとあやのは、改札からバス乗り場へと向かう人たちの群れを眺めながら、ずっとこなたのことを待っていた。
駅から陵桜大学に向かうバスはこのセンター試験のために増発されているけれど、それでもいっぱいに詰め込まれたバスが発車する度に、なんだか取り残された気分になるのだった。
「うー、なんだかみんなわたしより頭がいいように思えるよぅ……」
「またあんたは……。いいつかさ。あんたはこの一年、誰よりも勉強してきたのよ。それは近くにいた私が一番よく知ってるんだから。自信持ちなさい」
青い顔をしたつかさの手を取ってぎゅっと握りしめると、強ばっていた表情が段々と穏やかなものになっていく。
「……う、うん。がんばる」
そう云って浮かべた微笑みはいつも通りのほんわかとしたもので、私はそれに安心してつかさの背中をぽんと叩く。
本当につかさは、この一年よくやってきた。あんなことがあったにも関わらず、しっかりと前を向いて誰よりも大きく成長していった。きっとそう、私たちの誰よりもずっと。
「えへへ。でもやっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだね」
満面の笑顔でつかさがそう云って、私は少しだけ面食らって顔を熱くする。
「そ、そりゃそうよ。私は私だもの」
私たちはひぬみや駅前に集まっていた。待ち合わせ時刻は少し早めに、十分な余裕を持って設定していたはずだった。
今も電車が到着し、沢山の同年代の男女が改札から吐き出されてくる。
けれど、その中にこなたはいない。
こなたを抜かした私たち、私とつかさとみゆきとあやのは、改札からバス乗り場へと向かう人たちの群れを眺めながら、ずっとこなたのことを待っていた。
駅から陵桜大学に向かうバスはこのセンター試験のために増発されているけれど、それでもいっぱいに詰め込まれたバスが発車する度に、なんだか取り残された気分になるのだった。
「うー、なんだかみんなわたしより頭がいいように思えるよぅ……」
「またあんたは……。いいつかさ。あんたはこの一年、誰よりも勉強してきたのよ。それは近くにいた私が一番よく知ってるんだから。自信持ちなさい」
青い顔をしたつかさの手を取ってぎゅっと握りしめると、強ばっていた表情が段々と穏やかなものになっていく。
「……う、うん。がんばる」
そう云って浮かべた微笑みはいつも通りのほんわかとしたもので、私はそれに安心してつかさの背中をぽんと叩く。
本当につかさは、この一年よくやってきた。あんなことがあったにも関わらず、しっかりと前を向いて誰よりも大きく成長していった。きっとそう、私たちの誰よりもずっと。
「えへへ。でもやっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだね」
満面の笑顔でつかさがそう云って、私は少しだけ面食らって顔を熱くする。
「そ、そりゃそうよ。私は私だもの」
――そう。私は私だ。
あの後も、私たちは普段通りに顔を合わせていた。初詣にはこなたもみゆきもうちの神社まで来てくれて、みんなで合格祈願のお祈りをした。
始業式にもいつも通りに待ち合わせをして、みんなで喋りながら学校へと向かった。
私もこなたも、それまでとまるで変わらない。
私が細かく世話を焼いて。
こなたは空気の読めない発言をして場をひっかきまわして。
私はそれにつっこんで。
こなたがニヤニヤしながら揚げ足を取ってきて。
私は顔を赤らめて。
まるでいつも通り。だって私たちはこれまでと同じ“一番仲がよい親友同士”なのだから。
始業式にもいつも通りに待ち合わせをして、みんなで喋りながら学校へと向かった。
私もこなたも、それまでとまるで変わらない。
私が細かく世話を焼いて。
こなたは空気の読めない発言をして場をひっかきまわして。
私はそれにつっこんで。
こなたがニヤニヤしながら揚げ足を取ってきて。
私は顔を赤らめて。
まるでいつも通り。だって私たちはこれまでと同じ“一番仲がよい親友同士”なのだから。
変わったことと云えば一つある。
私は、あやのとみさおにも、こなたとのことを喋った。
私とこなたのセクシュアリティのこと。私がこなたに振られたということを。
みさおは不思議なほどあっさりとそれを受け入れた。以前から気づいていたのかもしれないし、単純にそれをそのまま受け入れられる性格なだけかもしれない。
あやのは、今も少し身構えるところがあるようだ。あやのの頭の中に、同性愛という可能性が浮かんだことはないのだろう。戸惑いと逡巡。今も少しだけそれを見せるけれど、そのうちにまた元通りの関係になれるだろうと思う。
結局のところセクシュアリティがどう違おうと、その人がその人であることには何ら変わりがないのだから。
私は、あやのとみさおにも、こなたとのことを喋った。
私とこなたのセクシュアリティのこと。私がこなたに振られたということを。
みさおは不思議なほどあっさりとそれを受け入れた。以前から気づいていたのかもしれないし、単純にそれをそのまま受け入れられる性格なだけかもしれない。
あやのは、今も少し身構えるところがあるようだ。あやのの頭の中に、同性愛という可能性が浮かんだことはないのだろう。戸惑いと逡巡。今も少しだけそれを見せるけれど、そのうちにまた元通りの関係になれるだろうと思う。
結局のところセクシュアリティがどう違おうと、その人がその人であることには何ら変わりがないのだから。
「――あ、こなたさん来ましたよ」
そんなみゆきの声に視線の先を眺めれば、流れてくる人波の中、青いアホ毛がぴょこぴょこと見えていた。
「全く、やっとご到着かよ」
そんなみゆきの声に視線の先を眺めれば、流れてくる人波の中、青いアホ毛がぴょこぴょこと見えていた。
「全く、やっとご到着かよ」
――顔を合わせたら、うんと叱ってやろう。
うんと叱って、ふて腐れるこなたを眺めて楽しんで。
そうして一緒に会場へと向かうのだ。
そうして一緒に会場へと向かうのだ。
センター試験が始まり、これから本格的な受験シーズンが到来する。
皆が皆それまでやってきたことを試されるこの時期に、将来に大きな影響を与えることになるこの時期に、私たちは大変な試練を乗り越えてきたのだと思う。
けど、だからこそ根拠のない自信がある。私たちはきっとこれからも大丈夫なのだという、漠然とした自信が。
皆が皆それまでやってきたことを試されるこの時期に、将来に大きな影響を与えることになるこの時期に、私たちは大変な試練を乗り越えてきたのだと思う。
けど、だからこそ根拠のない自信がある。私たちはきっとこれからも大丈夫なのだという、漠然とした自信が。
――一番素敵な未来を思い描こう。
私は、人波の中からこなたが顔を見せるのを、今か今かと待ちかまえていた。
(了)
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『4seasons』そしてまためぐる季節/前へ続く
『4seasons』そしてまためぐる季節/前へ続く