戊己校尉は、漢代後記以降に
西域に置かれた軍官。概ね
車師国内に駐屯して屯田兵を擁した。
諸国を
護し
朝貢を受ける
朝廷の
使者としての性格が強い
西域都護とは異なり、諸国の乱や
匈奴の襲来に備える
目次
歴史
元帝初元元年置く。
新の始建国五年、恩信の失が積もり、西域諸国が背いて
西域都護但欽を殺す。以後西域への影響力を失う。
明帝永平十七年、
中興して初めて西域都護、戊己校尉を置く。
翌十八年、焉耆、龜茲が西域都護の陳睦を攻め
没し、
匈奴、
車師が戊己校尉を囲む。
翌
章帝建初元年、戊己校尉を罷めて迎還する。
和帝永元三年、また
西域都護騎都尉、戊己校尉の官を置く。
後漢末の混乱で西域との通行が失われる。
魏文帝横初三年、鄯善、龜茲、于闐の王が使を遣わして
奉献する。西域と通じ、戊己校尉を置く。
位
不詳。後漢では他の
校尉の例に倣えば、秩比二千石か。
職掌
(後漢和帝期)
車師前部の
高昌壁に居る。また戊部候を置き、車師後部候城に居る。相い去ること五百里。
別説に、戊己校尉を置き、車師後部を鎮す、とも
属吏
(前漢)
戊己丞
一人、秩比六百石。
戊己司馬
一人、秩比六百石。
戊己候
五人、秩比六百石。
(後漢和帝時)
領兵
五百人。
属官
(後漢)
戊部候
戊己校尉とは別に車師後部候城に居る。
所属項目(タグ)
関連項目・人物
詳説
-
最終更新:2015年01月29日 23:15