「余罪・・・余罪ありますね・・・」
Eちゃん
Eちゃんとは、大物youtube rカツドンが、
カツドンチャンネルを開設する以前に運営していたブログ「カツドンの絵日記」に登場する人物である。
目次
概要
ブログについて
『やってはいけない事』?
では、Eちゃんはカツドンに何をされたのか。
このブログがインターネットアーカイブのサイトであるWayback Machineにて発掘された2016年末、このことについて説明するとしてツイートキャスティングを行った。
その際、凸者との通話でカツドンとの質疑応答があった。
凸者からの質問とカツドンの回答(一部抜粋)
A.調べてみないと分からない
A.それは答えかねる
A.Eちゃんを余計に傷つけるかもしれないので謝罪のタイミングが来るまで待つ。
- Q.謝罪のタイミングが来ない限り謝る気はないのか?
A.心の中で謝ればEちゃんの心に届くと思う。
カツドンによる事件の説明
ツイキャスの後も、たびたび事件についてカツドンが説明する動画を上げている。Eちゃんについてはっきり触れたものから、動画で数分程度触れただけのものもあり、これまで数本投稿されているのだが動画では以下のことが述べられた。
- 「やってはいけない事」をしたのは事実
- 小さい女の子を見るとデレ〜っとしてしまう。
- Eちゃんに行為を行ったのは「H君」で、彼が主犯であり、自身は誘われて流れで参加しただけ。
- 児童性犯罪などしていない。
- 過去の事を掘り返して突きつけられているだけなので、自分には説明責任はない。あなたたちアンチは僕の足を引っ張って潰したいだけ。
なお、カツドンが後に事件の主犯だとして挙げた「H君」はブログには一切登場しない人物である(他の同級生はサッカーをしていたとブログには記されている。)
初回の動画から数年が経ち、初回と矛盾が生じているが現在は「性犯罪はしていない」というのが全貌である。
また、2023年2月には「Eちゃんの件に関して話させていただきます」2024年2月には「過去の憶測に関して」として説明する動画を投稿。
その際には
- 友人と2人で小学1年生の子供を傷つけた
- 「バカ」「アホ」「背小さいね」などと言葉で傷つけた
- 過去のブログを発掘した人、アーカイブシステム(Wayback Machine)に強い憤りを感じていた
と語った。
日頃からのカツドンが針小棒大に話す癖が出てしまったため、このような騒ぎになったのでは?と推測した視聴者も一定数存在したが、以前と矛盾した内容、不自然な瞬きの多さ、どもりから「何か隠してる、嘘をついてる」と考えた視聴者も多くいる模様。
後日談
一連の騒動の後、ニコニコ動画におけるカツドンチャンネルの転載動画のタグには、
のタグがしばしば見られるようになった
ブログ内容抜粋
※イニシャルのみの人物が複数登場するため、名前を色分けして読みやすくしました。
Tちゃん:カツドン宅の近隣に住む子供。ご近所という点以外カツドンとの接点は特にない。
TKくん:Tちゃんの兄。
Eちゃん:カツドンに「やってはいけないこと」をされた被害者。
↓↓↓本文ここから↓↓↓
小学1年生の女の子に超癒された… 昔のトラウマが癒えていく…
2013年07月29日 21時09分08秒 | (2013)心の快復・日々(2)
さっき夕方5時頃、いつもおなじみの近所の小学1年の女の子のTちゃんと遊んだ。
MYプランター農園で野菜を色々収穫しながら。Tちゃんは野菜栽培に興味津々だ。
トマト、ナス、ピーマン、シシトウ、ニンジン、小カブ、、、
土から引っこ抜いたりハサミでチョキン!って切る収穫作業をTちゃんに自分でやらせてあげて、
ビニール袋に入れてオミヤゲとして持たせてあげた。(子供ってのは自分でやるのが好きなんだよね(^_^) )
↓↓↓
↑ TちゃんにプレゼントしたMYプランター農園の収穫野菜!
↑ Tちゃんのお手手。Tちゃんにあげたピーマン。
このピーマンを、Tちゃんは我慢できなくてその場で解体してかじり始めた(笑)
「中どうなってるのかなぁ?(→開けていい?)」 って言いながらね。なんとも愛らしい子だなぁと思う。
今日はTちゃんのお兄ちゃんの小学4年の TKくん とも結構仲良く話すことが出来て嬉しかった。
TKくんにもシシトウとかをプレゼントした ♪
私はTKくんが苦手だったんだけど、最近はTちゃんを媒介にして少しずつ仲良くなれてきた感じ。よかった。
今日 Tちゃんと遊んでお話しして、なんかすごい癒された…。とても嬉しかった。
あとで自室に戻ってからフトンにうつ伏してワーン!って泣いてしまいたい気持ちになった。
「こんなダメなオレでも好きになってくれるなんて…(泣)」 っていう想いが私の心の奥にあるんだと思う。
この自己否定感の正体は一体…。
そういえば私は中学3年生の頃(今から13年前)に、放課後 近くの児童センターに男友達でゾロゾロと寄り道してて遊んでて、、、
私はそこで小学1年の女の子を深く傷つけてしまったことがあった…。(詳しい内容については伏せることにします…)
( 児童センター = 放課後の小学生たちが遊んでいる施設 )
私が傷つけてしまったその小1の女の子 "Eちゃん" は、中学3年の私のことをとても慕ってくれていた。
(Eちゃんだけではなく、他の小1の子供たちもみんな私に懐いてくれた。私は子供たちと一緒に楽しく遊んでいた。みんな私のことを名前呼び捨てで呼んで慕ってくれた。 …私以外の中3男子たちは子供と遊ばずにサッカーをしていた。 私は元々 子供が大好きなんだと思う。)
ある日 私は「やってはいけない事」をEちゃんに対してしてしまい、Eちゃんを深く傷つけ、、、
私は自分のしたことがとても怖くなって、それ以後 センターに行かなくなってしまった…。 私のことを大好きでいてくれたチビッコのみんなと会うことは もう無かった…。
このことで私は自分のことを激しく責める様になったのかもしれない。その後10年間以上もずっと。
「オレはなんて最悪なんだ…。あんなにオレのことを好きでいてくれたEちゃんのことを傷つけて、恐怖心を植え付ける様なことをしてしまった…。
オレは最悪だ…。」 って、深層心理でずっと自分を責め続けてきたんだと思う。
それによって、その後の様々な人間関係において慢性的に「オレは相手から嫌われている」という思い込みを私は抱く様になったのかも。
(この出来事だけが原因ではないと思うけど)
という経緯があって、私はここ最近までずっと子供と接するのが怖かった。
「オレは最悪な人間だから絶対嫌われてる…」っていう自己否定感があるので、ビクビクして上手く話しかけられないんだ。傷つくのが怖くて。
でも1年前くらいから少しずつ近所のTちゃんととても仲良くなることが出来てきた私は今現在とても嬉しくて感動で、
「こんなオレでも好きになってもらえるんだ…。そうか…もう自分を責め続けなくていいんだ…。」 と自分を激しく否定する事をやめるようになってこれたと思う。
これは『インナーチャイルドの癒し』そのものだよね。ありのままの自分を許すこと…。
確かに13年前私がしてしまった事はいけない事であり、二度としない様に心掛ける必要があると思う。
しかし一方で、もういいんだ、自分を責めなくて。自分を許していいんだ。
今までずっと自分を責めて苦しんできたから、もういいんだよ、苦しまなくて。
13年前に私が深く傷つけてしまった小学1年の女の子のEちゃんは今ごろ19歳だ。
もう立派な大人になってるだろう。
もしかしたらあの時の心の傷を今現在も深層心理で引きずっているかもしれない…。
人と接することに恐怖心を抱いているかもしれない…。
申し訳ない…と私は感じる。
いつか私はEちゃんに謝りたいと思ってる。
この人生の中で再会する事はたぶん無いと思うけど、こう、何と言うか死んだあとで天国とかで再会して謝りたいなぁと思う。
和解したい。
まあでも、地球上にいる今この瞬間においても心の中で「本当にすまなかった…」と念じれば相手の深層心理にキチンと届くらしいから、謝ろう。何度も何度も心の中で。
既に私はEちゃんに対して心の中で何度も謝っている。今現在のEちゃんの深層心理に届いてくれてれば嬉しい。
……そしてこの謝罪は私にとっても有意義なもので、「ごめんなさい…ごめんなさい…」 とフトンの中で言いながら私は泣いている。
『涙を流している時 = インナーチャイルドが癒されている瞬間』であると私は思う。
とても気持ちいいんだ。
Eちゃんに対して「ごめんなさい…」という言葉を発しながら同時に自分のことも許しているんだと思う。
自分を許して、相手を許して、全てを許して…。
人間ってたぶん例外なく誰でも、意識的にしろ無意識的にしろ自分のことを責めているんだと思うから、
こうやって過去の過ちに対して「ごめんなさい…ごめんなさい…」って一人でフトンの中で泣きながら謝って、
それによって自分のことを許していくのがすごく大切なんだと思う。
それはインナーチャイルドの癒しだ。
許していこう。自分のことも、相手のことも。
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今現在、ニートである私の生活の中に『近所の小学1年生の女の子のTちゃんがオレのことを好きで懐いてくれている』という出来事があることは何だか意味深なメッセージの様な気もする。
神さまが
「もういいんだぞ。『自分なんか最悪な人間だから人から好かれる資格なんて無いんだ』なんて思わなくて良いんだ。もう充分苦しんだじゃないか。これからは自分を許して愛していきなさい。」
っていうメッセージとして私とTちゃんを出逢わせてくれたのかなぁ(^_^)
私のことを好きでいてくれるTちゃんの存在に対して「ありがとう…ありがとう…」ってつぶやいて私は泣いている。
私とTちゃんは相性が合うんだと思う。過去世で親友とかだったのかもなぁ。
まあ一緒にいるとちょっとだけムカッとしたりもするけど(野菜に対して乱暴に触ってきたり…(汗) )、、、
でもやっぱりすごく大好きだ。なんて愛しいんだろうって思う。
これからも、まあ基本姿勢として”つかず離れず”を保ちながら、出来るだけもっと仲良くなっていきたい。
※ Tちゃんに対する私の態度は、自分で言うのも何だけどよく出来てると思う。大人としての態度。
子供って言うのは「聞いて聞いて!」っていう承認欲求が強いから、私はTちゃんの話すことに丁寧に反応して頷いている。
「へぇ~そうなんだ!すごいねぇ!」 という感じに。いっぱい話を聴いてあげて、解ってあげる。
過度に子供扱いしないで友達の様な感じで、でも優しくTちゃんの気持ちを理解してあげて、、、
けっこう「ステキなお兄さん」を演じれてるんじゃないかな。(まあ実際は、私もワーンワーン!って泣いてる様な寂しい人間なんだけどね(^_^;;) )
でもTちゃんと接する時には私は頑張って”おとな”になってる。苦ではないんだ。
これも”修行”のような気がする。『相手の想いをキチンと受け止めてあげる』という修行ね。とても大切なこと。
Tちゃんのお兄ちゃんの小4のTKくんと私は相性が悪いと思う。向こうもそう感じているだろう。
でもだからと言ってTKくんとは話さないというつもりは無い。
TKくんとの関係も私にとっては大事だ。Tちゃんも、TKくんも、同等に私にとっては大切な存在なんだと思う。
Tちゃんは私のことをすっごく癒してくれる。ホントに大好きな存在。(傷つけられたりもするけど)
TKくんは私に試練を与えてくれる。彼と話すのは緊張する。彼と上手くやっていくことは私にとって修行そのものだ。
2人とも、同等に大切なんだと思う。
この出会いはとても貴重なものなんだなぁと感じる様になってきた。
今現在の私が抱えている心の問題を、2人はまざまざと突きつけてくれる。
その度その度 私はキチンと自分と向き合って、とても大きくて辛い問題だけれど少しずつ乗り越えていきたいと思っている。
ありがとうございました。
ブログの内容について要約
- 中学3年生の頃、小学1年生のEちゃんを傷つけたことで「自分は最悪な人間、好かれる資格はない」という自己否定感に悩まされる。
- 近所に住む小学生女児のTちゃんと関わっていく内にその傷(自己否定感)が癒やされていく。
- Tちゃんは大好きな存在。相性が良い、とても愛おしく感じる。
- Tちゃんの兄であるTKくんは自分と相性が悪く、自分にとって彼は"試練"である。
- Eちゃんに心の中で泣きながら謝ると、インナーチャイルドが癒やされているようでとても気持ちがいい。謝ることで自分が許されている気がする。
- 今生でEちゃんに再会することはないと思う。あの世で再会して和解したい。
- 自分のことも相手のことも許していこうと思う。
最終更新:2024年10月12日 17:25