「如是畜生発菩提心」
嘗てこの八文字により成仏した玉梓は、一人の妖人の企てにより、あっさりと再び闇に墜ちた。
如是如来、発畜生心……だとすれば、仏と畜生、或いは凡夫との間に、そもそも本質的な差などあるのだろうか。




多大なる犠牲を払い、二本の村雨を確保して城に集った犬塚信乃・石川五ェ門・神谷薫の三名。
だが、仲間達の犠牲に意義があったのかが決まるのは未だこれから。
天守の屋根の上、村雨剣を捧げ持ち深い瞑想に耽る信乃。
それを見守っていた五ェ門は、物騒な殺気の接近にいち早く気付いた。
わざわざ屋根に上り刀を抜いて接近して来るとあっては誰何すら必要ない。
瞑想中の信乃と斉藤の死で衝撃を受けている薫を護る為、五ェ門は斬鉄剣を抜き立ち向かう。
本来、屋根の上で戦うとなれば盗賊でありこうした場所に慣れた五ェ門が有利。
特に斬鉄剣がある今は、五ェ門がその気になれば地形自体を自在に操れるのだし。
しかし、信乃や薫から敵を遠ざけなければならない状況では跳び回って相手から離れる訳にもいかないし、城を崩すなど論外。
已む無く足を止めて渡り合う内、五ェ門は相手の剛剣の正体に気付く。
「天然理心流……!?」
己の流派を言い当てられて、相手は初めて表情を変える。
「あんた、何者だ?」
五ェ門を己と縁がある尊攘浪士の類と思ったのだろうか。
「拙者は石川五ェ門と申す」
秀吉の時代に生きた先祖ではなく二十一世紀の……という話は敢えてせずにおく。
当然、相手は五ェ門を初代の石川五右衛門と考えるだろう。
それなのに天然理心流の知識を持つとすれば……
「つまりここに来てから土方と沖田と会ったって訳か。それなのに仕留めておかないとはな」
この台詞で、相手が近藤勇である事はほぼ確定。
尤も、その風貌からして、天然理心流の遣い手と悟った時点で予想は出来ていたが。
「言っとくが、俺はあいつ等ほど甘くはねえぞ。最初から三人がかりで来た方がいいんじゃねえか?」
近藤の好戦的な物言いに反感を抑えきれない五ェ門。
「芹沢殿も斉藤殿も、この不条理な事態に翻弄される女人を守る為に闘い、命を落とされた。
 なのに、同じ新選組でありながらお主は……!」
思わず発した怒りの叫び。
目まぐるしい展開や薫へのフォローで考える暇もなかったが、五ェ門も芹沢や斉藤の死を消化しきれなかったのだろう。
だが、五ェ門の叫びが近藤の心に響く事はなかった。
「ふん、芹沢はともかくあの斉藤にそんな下らない甘さがあったとはな」
「っ!!」
心無い言葉に怒った五ェ門は近藤に最速の一撃を放ち、近藤もそれを真っ向から迎え撃つ。

鈍い音と共に五ェ門が吹き飛ぶ。
「ちっ」
吹き飛ばした近藤は、首筋に流れる血を拭いつつ舌打ちする。
今の五ェ門の一撃は大したもので、あのまま振り切っていれば先に近藤の首が斬られていたかもしれない。
だが首に届く直前、五ェ門は確かに刀の速度を緩めた。
自分でもそれに気付いたのだろう、五ェ門は大きく踏み込み敢えて近藤の鍔に打たれる事で斬られるのを防いだ。
五ェ門が肝心な所で攻撃を躊躇った直接的な原因はおそらく斉藤。
先程、近藤は城の辺りから斉藤の殺気を感じた。
あの時点では城まで相当の距離があり、気のせいかとも思ったが、それでも近藤は城へと来る事にしたのだ。
斉藤が既に死んでいるのならばそれも無意味だった訳だが、あれが気のせいでなかったなら斉藤が死んでから大して経っていない。
直前に斉藤の死を目の当たりにし、その死に感銘を受けていた為に、五ェ門はその仲間の近藤への攻撃を躊躇ったのだろう。
「張り合いのない。こんな事なら城の傍でやり合ってた連中の方に行くべきだったか」
そもそも近藤の目的は、先程の老人との立ち合いで感じた、死を間近にした時に気組みが高まる感覚をもう一度確かめる事。
三対一で闘えば目当てが果たせるかと期待してみれば、向かって来たのは一人だけ、それも力を出し渋る有様。
失望を感じつつ、近藤は城の天辺で大剣を持つ男の方へと向かう。
男の様子に、先刻の老人と少女に似た気配を感じ、似た相手と闘えば同様の状況を再現できるかと考えたからだ。
だが、その近藤の前に、もう一人の女が剣を構えて立ち塞がる。
構えを一見して戦う価値のある相手ではなさそうだと無視しようとする近藤に、女が告げた。
「斉藤……斉藤一を斬ったのは私よ」

斉藤を殺したという女と剣を交える近藤。
それ程の腕があるとも思えないが、何らかの嵌め手を使って来る可能性を考え、始めの数合は慎重に様子を見る。
これだけの打ち合いでわかったのは、女の言い分が全くの嘘ではない事、しかし近藤にとっては無益な敵であるという事。
今、突きと同時に手首を翻しこちらの防御を掻い潜ろうとした技は、未熟ではあるが確かに斉藤の秘技。
仮にこの娘に未開花の才が秘められていたとしても、見ただけで真似できるほど斉藤の剣は甘くはない。
本気で立ち合ったのならばこの女が生きている筈もないのだから、おそらくは斉藤が教えたのだろう。
新選組でも仲間にすら手の内を明かす事を好まず、ましてや教える事など滅多にしなかった斉藤一。
それが出会ったばかりで秘術まで伝授したとなると、恋慕か同情か、相当の思い入れを持っていた事は確実。
ならば故意にしろ過失にしろ腕の劣る娘が斉藤を斬る事も有り得るし、斉藤が斬人の味を教える為に敢えて斬らせた可能性すらある。
元々近藤に斉藤の仇を討つつもりなどなかったが、斉藤が敢えて斬らせたかもしれないとなれば尚更だ。
となれば近藤にとってこの女との立ち合いは無価値……ただ一つの使い途を除けば。
「薫殿!」
叫んで駆け上がって来る五ェ門。
その身ごなしは先程より更に鋭く、薫という女を守らんとする志により身体能力が増している模様。
背後から迫って来る五ェ門を感じながら近藤は薫に片手平突きを放ち、同時に逆手で腰の鞘を握る。
薫を突き殺す事で五ェ門の怒りを煽り、直後に来る必殺の一撃を鞘で凌ぎ、振り向きざまの一撃で勝負、というのが近藤の目論見。
体勢的に明らかに不利だが、そうして己を追い込む事で秘められた力を引き出し、使いこなす術を学ぶのが近藤の目当てなのだ。
そして二本、いや、三本の剣が振るわれ……

渾身の一撃を払われた事で体勢を崩し、あらぬ方向に飛び出す五ェ門。
無論、五ェ門の身軽さならば瞬時に体勢を立て直して着地する事は可能だったろう。
しかし、五ェ門はそれをせず、結果、五ェ門は屋根の上に転倒し、転がり、遂には屋根から零れ落ちる。
それ程の衝撃を、五ェ門は目の前の出来事から受けていたのだ。
薫が近藤の剣に貫かれた事、そして己の必殺の一撃を払い近藤を守ったのが薫であった事に。
元々、薫が近藤の前に立ち塞がったのは信乃を守る為というだけではない。
近藤の様子を観察して、その根底にあるものが同じだと、即ち近藤も死に場所を求めているのだと気付いたのだ。
無事だと信じているつもりだったが、心の奥底では、剣心が生きていないであろう事はわかっている。
天海が見せた剣心の死の映像、幻術による虚偽でない根拠は何もないが、論理を越えた説得力があった。
加えて、城での無二斎との戦いの直後に感じた殺気、あの時は意識が混濁していたとはいえ、あの強烈な気配は確かに武蔵のもの。
剣心が傷付き斃された仲間を放置して一人で逃げる筈もないし、武蔵が無事で闘い続けている事は論理的にも剣心の死と同義。
もしも剣心が死んでしまったなら、薫はこれから何の為に生きればいいのか、そもそも生き続ける意味があるのか。
と言って剣心が、他にも何人もの人々が身に換えて守ってくれた命を簡単に投げ出す訳にもいかない。
そんな感情を隠し持っていたからこそ、薫は近藤の殺気の裏に潜む、死への志向を感じ取る事が出来た。
そして、薫がこの事に気付けたという事は、新選組や密偵としての豊富な経験と洞察力を持つ斉藤も薫の心を見抜けた筈。
その斉藤が死に際に不殺だけでは活人剣とは言えない、というような趣旨を言い遺したのも薫の記憶には残っている。
つまり、剣心の死も薫の気持ちも悟っていながら尚、一人で活人の道を歩めと斉藤は言ったのか……
薫が近藤に剣を向けた背景には、このような想いがあった。
元々、悪即斬を唱える斉藤が首領に仰いでいたくらいだから、近藤もただの人斬りの筈がないのだ。
今の近藤の言動は、何らかの原因で薫のように自棄になっているせいなのではないだろうか。
ならば近藤を救うのが斉藤への恩返しでもあり活人剣の道……なのだが、具体的にどうすれば良いかの見通しは薫にはない。
だが手を拱いているよりは剣を交えて何かを掴もうと試みるのが活人剣の道と考え、腕の差も顧みず薫は勝負を挑んだ。
結果として、薫が何も掴む前に近藤は薫を殺しに掛かり、五ェ門も戻ってこの決着となった。
薫の見通しが甘すぎたと言えば、それは反論の余地のない事実であろう。
しかし、あの瞬間に薫の心を奪ったのはそんな事ではなく、近藤に迫る五ェ門の刃。
近藤を死なせまいとしたのか、五ェ門が人を殺すのを防ぎたかったのか、咄嗟の思いを説明するのは薫本人にも困難。
とにかく、薫は己が刺されるのも気にせず、全霊で五ェ門の刀を払い除け、その渾身の一撃を防いで見せた。
死の間際の薫に、一撃を払われた五ェ門を見る余裕はなく、屋根から落ちたなどとは知る由もない。
そもそも、仮に落ちたとしても五ェ門ほどの達人などどうとでも出来るのは確かだし。
だから薫は最後に近藤を見て、その無事だけを確認する。
「良かった……」
それが、神谷薫の最期の言葉であった。

緋村剣心、斉藤一、石川五ェ門……その他にも幾人もの一流の剣客が命を賭して守って来た神谷薫の最期。
その死はあまりに呆気なく、彼女の為に命を失った多くの達人たちの死までも無意味にするもののようにさえ見える。
しかし、近藤にとってだけは、薫の行いと死は無意味ではなかった。
本来、薫の腕では五ェ門の決死の一撃を妨害するなどとても不可能だった筈。
それを為させたのは、五ェ門が近藤を殺すという事態を防ぎたいという強い想い。
心の力を剣に乗せるという点では、近藤が模索する天然理心流の極意と同じ。
あの程度の腕で一瞬とはいえ五ェ門に拮抗したという事は、気合いによる腕の底上げ比率では薫の方が上だったとも言えよう。
その原因を上げるとすれば、近藤が死と直面する事で気組みを上昇させたのに対し、薫の動機は己の死よりも重大な事だったから。
何せ、薫は自身が近藤に殺される事を全く無視し、五ェ門の一撃を防ぐ事に専心したのだ。
そして、死よりも重大な動機の為に剣を振るう事で死に直面する以上に気組みを高められるなら、近藤にも同じ事が可能な筈。
己の命を危険に晒してまで新技の開眼を目指すのも、命より大切なものがあるからこそなのだし。
思えば、己の死とそれに直面した時の気の高まりを経験してしまった為に、近藤はいわば死に捉われていたのかもしれない。
確かに死は重大な出来事だが、それが全てではないというのに……
薫の最後の行いは、確かに近藤の心に大きな影響を与えた。
だからと言って表に出る行動が決定的に変わる訳ではないし、今後も敵を求め殺し殺される事を続けるだろう。
それでも、薫によって近藤勇は剣客として活かされた事に違いはないのだ。

【神谷薫@るろうに剣心 死亡】
【残り十二名】

【ほノ参 城外/一日目/夜中】

【石川五ェ門@ルパン三世】
【状態】腹部に軽傷、動揺
【装備】斬鉄剣、打刀(刃こぼれ)
【所持品】支給品一式
【思考】基本:主催者の企てを打ち砕く。

【ほノ参 天守閣の屋根/一日目/夜中】

【近藤勇@史実】
【状態】軽傷数ヶ所
【装備】虎徹?
【所持品】支給品一式
【思考】基本:この戦いを楽しむ
一:強い奴との戦いを楽しむ (殺すかどうかはその場で決める)

この御前試合の首謀者たる果心居士の目的、それは仏の失墜であった。
まず、成仏した玉梓の伏姫や八犬士への思い入れを突いて魔に還したのだが、それはあくまで実験であり手段。
玉梓が堕ちた事により、仏という存在が迷妄や欲望を完全になくした訳ではないとわかる。
ただ、迷いを抑える智慧と、欲心を制御する理性を備えているに過ぎないのだ。
迷いを去りたいという心自体が迷いと成り得るのはよく言われる事だし、他者を救いたい思うのも見方によっては一種の欲。
そうした欲や迷いを完全に制御できるからこそ仏なのだろうが、効果的に一突きして心の均衡を崩してしまえば……
玉梓が堕ちたのはその意味で諸仏に対する効果的な第一撃となった。
全知である仏にとっては、玉梓に起きた事もその心の動きも掌の中にあるように読み取れる。
自力成仏ではなかったとはいえ、一度は悟りを開き仏となった者が再び妄執の中に沈んだ実例は仏の意義を揺るがせる事実。
そして、これは果心が計画した事ではないが、自力成仏し如来となった天海が新免無二斎にあっさりと斬られた事。
殺傷を生業とする武芸者がその一点で何者にも優るというのは、外から見れば当然の論理だが、当事者にとっては話は別。
諸仏の中でも有数の徳と智を備えるに到った天海が、妄執と欲望を糧とする人斬りに容易く敗れるのを見て平静ではいられない。
加えて、果心が遺した蠱毒の仕掛けにより、殺し合いが進む毎に力を増して行く剣客達。
剣客が仏を滅ぼすのに力など必要ない事は無二斎が証明したようなものだが、力が増せば自然と注目せざるを得なくなる道理。
ただでさえ仏を斬る技を持つ剣客達、果心の予想をも遥かに超える高次元の闘いにより、その力は既に根本仏にも等しいだろう。
このまま行けば十方世界の仏の慈悲と因果の理は圧倒され、全ては剣客達に象徴される勝負と殺戮の法により支配される。
元々、慈悲を本質とする仏にとって、戦士の心は、無量の知により理解する事は出来ても、実感として体得するのは困難。
嘗て仏と天部の戦神が争いになった時も、仏は阿修羅に近い性質の明王となり闘う事でしか、戦神と触れ合う事は出来なかった。
戦い殺し合っても神仏にとって死はさしたる痛手ではなく、永く闘いながら未だに仏は天部の神々と融和できてはいない。
ましてや剣客とは力なき人の身でありながら戦場に身を置く事を決意し、技により戦神をも上回る強さを得た者達。
その心は闘神死神よりも更に苛烈であり、仏と真の意味でわかり合うなどまず不可能。
一方的に祈り救済する程度の薄い関係ならともかく、深く関わるなら相手を此方の価値観で染めてしまうしかない。
そして、剣が仏に代わる法となれば、無視すれば衆生が闘争に苦しむのを見過ごす事となり、関われば染められるのは仏の側。
先行きが見え過ぎるだけに、さしもの仏も心を乱し、乱れれば島から発散される殺気に巻き込まれ、修羅へと変貌して行く。
御前試合の決着を待たずして、既に仏の法体系は寸断され崩壊しようとしていた。

秋山小兵衛と近藤勇の決闘の最中に忽然と姿を消したかのように見えた魂魄妖夢
だが、実際には妖夢は微動だにしていない。
ただ己の心を、存在を全宇宙を覆うまでに拡げ、そのせいで人の肉眼では見えなくなっただけの事。
入滅・遷化・往生・屍解……悟りを開いた者は消滅したり別世界へ去ったように見える事があるが、実際にはそうではないのだ。
心を宇宙を覆う程に広げ、一切を内に含める事こそが無外流の目指す心の持ちようだと、小兵衛は教えてくれた。
無我とは己を消してしまう事ではなく、逆に大きくし宇宙自然と一体化する事で容易には捉えられぬようになるのだと。
例えるならば水月……実体は一つでも地上全ての水面に像を作り、水を汲まれたり水面が乱されても月自体が揺らぐ事はない。
無論、言葉で説明されただけで理解できた筈もなく、妖夢がこの奥義を体得したのは、小兵衛が殺された瞬間。
瞑想しながらもすぐ近くで戦闘が起き小兵衛が危機に曝されているのを感じつつ動かなかったのは、小兵衛の意志を感じたからこそ。
向かい合って座禅を続けた事で、妖夢と小兵衛の間には気配で互いの意図を察せる程度の繫がりは出来ていた。
小兵衛の意志により留められ已む無く迷走を続けていた妖夢。
やがて小兵衛は近藤に斬られるが、この時、妖夢は小兵衛が己の中から消えていない事に気付いたのだ。
確かに小兵衛は死亡し、霊も魂も消え去ったが、小兵衛の意志・教え……より本質的な部分は妖夢の中に残っている。
そしてそれは小兵衛だけではなく、命を落とした仲間や、頓悟して姿を消したと思っていた師匠も同じ。
何処かへ行って居なくなってしまったように見えても、本当は皆、妖夢のすぐ傍に寄り添ってくれていたのだ。
ただ今迄の妖夢が、未熟の為に彼等の存在を感じる事が出来なかっただけ。
そして、未熟さ故に察知できなかったのは他者の事だけではなく、自身の心の真の在り方についても同様。
これに気付いた瞬間、妖夢は大悟した。
師の教え、修行の日々、戦いの経験、半霊を失い霊の束縛から解放された事、歪んでいるとはいえ仏の光を直に受けた事……
これまで積み上げられた悟りに繋がる全ての要素が、一つの洞察により結合し、妖夢は一瞬で悟りに到ったのだ。
通常人なら肉体と一体化している霊を妖夢が分離させられたように、心も本来的には肉体や霊魂に囚われたものではない。
先入観を捨てて素直に解放すれば、心は限界を越えて拡がり、宇宙を包括する。
妖夢の心に師や仲間達が居るように、十方世界と合一した妖夢は己の像を、御前試合を見つめる諸々の仏の中へと送り込む。
そして妖夢は剣を、一本の剣を抜き放つ。
小兵衛に心法を教え込まれた今の妖夢にとっては、手にした刀を己と一体化するなど容易い事。
楼観剣と白楼剣の二本の刀も、妖夢の肉体と半霊が二体でありながら一つであったように、一本の剣の如く扱える。
つまり、楼観剣の長さと白楼剣の切れ味を同時に扱う事が可能なのだ。
楼観剣……その物理的長さは尋常の日本刀の域を出ないが、真の刀身は実体を越えて無限に達し、正に妖夢にのみ扱える宝剣。
三千世界をも貫くこの長さを利用して妖夢は十方世界を薙ぎ、全ての仏の心中の迷いを、白楼剣の力で斬り捨てる。
自身が悟りを開く事で仏達の迷いをも切り裂いた魂魄妖夢。
無論、迷いを一時的に消したとしても原因が取り除かれなければただの一時凌ぎ。
確かに仏も覚者である以上、一瞬でも迷いを断つ事が出来れば自力で持ち直す可能性もあるだろう。
だが、仏達を惑わせた源である剣客達が健在である限り、すぐに再び元の迷いに捉われる可能性の方が高い。
そこへ、楼観剣白楼剣に続くもう一本の剣が仏達の許に現れ、危機を救う事になった。

「三世の諸仏、十方の如来よ。どうか我らの捧げる剣を受け取り給え」
大剣を掲げた信乃の言葉が天に響く。
そう、村雨を仏に捧げる事こそが、多大な犠牲を払ってまで信乃が行おうとした儀式。
神仏に剣などの武具を捧げるというのはよくある話だが、大抵は象徴的な意味しか持たない。
だが、玉梓の結界が消え、異界の仏とこの島を遮るもののなくなった今なら、実際に剣を受け取らせる事が出来ると、信乃は考えた。
神仏と比較的近しい距離で生きて来た信乃だからこその発想であり、客観的に見れば甘い見通しであったとも言える。
しかし実際に儀式を行った結果、信乃の手から剣は消え失せ、これは仏が村雨を受け取った証と見て良いだろう。
信乃の強い想いが仏に通じたのか、或いは剣士である妖夢が仏達に影響を与えていた為か、何にせよ村雨は仏達の手に渡った。
一本の村雨に対し仏の数は無量だが、悟りを開き物理的論理的制約を幻と断ずる仏にとってそれは問題にならない。
全ての仏が同時に村雨を手にし、それは即ち村雨同士の絆を通しもう一本の村雨丸、それを持つ信乃との間に繋がりが出来たという事。
己の村雨を握りしめた信乃は、あらん限りの想いと意志を剣に注ぎ込んだ。
剣客という異質な存在の思考を流し込まれ、仏達が動揺している時であれば、徒に混乱を助長する結果になる危険もあった。
しかし、今回は直前に妖夢の一撃によって迷いを断ち切られていた事が幸いする。
剣客の思考は、武人ではない、もしくは武道より悟道を選んだ多くの仏にとっては理解できる代物ではない。
それでも、迷いを消し澄んだ心で信乃の意志を受け取る事が出来た仏達は、信乃の想いを体感する事は出来たのだ。
強大な力に脅かされ、信じていた道が否定されるような事態に惑ったのは、この島に来てからの信乃も仏と同様。
塚原卜伝宮本武蔵……信乃は今回の御前試合で途轍もない強さを誇る兵法者と出会った。
仁義や道理を踏み付けにしながら、窮極ともいえる境地に達した彼等は、人倫を全ての基とする信乃の信念を壊しかねない存在。
それを目の当たりにしても、己の道を貫き、修練を積んでいずれ彼等を上回り正道を示す志を、信乃は失ってはいない。
そして、信乃と同様の志を本来は仏も持っている筈なのだ。
修証一如などというように、修行により悟りを開いた者は、更なる修練により己を高めようという志向が強くなるもの。
現在の醜態は、仏の時間間隔からみてあまりに急な展開による混乱、他力成仏の正覚が浅い仏の動揺の伝染がもたらしたのだろう。
だが、一度立ち直り、前向きの強い意志を受ければ、今度は偉大な如来達が修行の浅い仏の心をも統率する。
今は剣客達に圧倒されていても、めげずに修行と功徳を積み、いつか乗り越える事を目指せば良いのだ。
本来、仏とは永劫と言える歳月を無限に近い転生を経つつ修業に費やして漸く辿り着ける存在。
彼等は二人の剣客の導きによりその本義に戻り、再び修行の日々へと還った。
仏の復調と共に空を彩る光は普段の平穏さを取り戻し、十方世界を揺るがす異変も収まって仏のみならず衆生も救われる。
無論、それとは別に、島における剣客達の闘争は何事もなかったように続くのだが。
彼等の闘いの決着までは、永遠の存在たる仏から見ればほんの一瞬。
そして、人間の尺度から見てもその時は間近に迫っていた。

【魂魄妖夢@東方Project 遷化】
【残り十一名】

【ほノ参 天守閣の屋根/一日目/夜中】

【犬塚信乃@八犬伝】
【状態】健康
【装備】村雨@???、小篠の鞘@八犬伝、折れた打刀
【所持品】支給品一式、こんにゃく
【思考】一:毛野の死の真偽を探る。
二:桐一文字の太刀、『孝』の珠が存在しているなら探す。
【備考】※義輝と互いの情報を交換しました。義輝が将軍だった事を信じています。
※果心居士、松永久秀、柳生一族について知りました。

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最終更新:2015年12月29日 14:48