「ドミーさん、禁煙をしたと聞きましたが?」
「勘弁して下さい。目の前で美味しそうに吸っている貴女を見て我慢できるのでしょうか。」
意地の悪そうに口角を挙げる窶れ目の女性は、既に5本目を堪能している。
この日、ジュリアは要人警護任務をドミニウスと共に遂行し少しばかりだが休憩時間を設けられた。
特に疲労が溜っている訳では無かった。しかし重度のヘビースモーカーの相方が見るからに不機嫌そうに唇を齧り続ける様子を見兼ねた彼は、一回り年下の彼女を気遣う事とした。
「いやぁ、良い景色ですね。グレミカ共和国は由緒正しい歴史を重んじる文化なんでしたっけ?繁華街で多種多様な商売が賑わっている光景は漠然とした意見ですが惹かれる物があります。」
「貴女にしては珍しい意見ですね。」
「金と情報だけの女では無いですよ?」
「あと酒と煙草・・・辺りでしょうか。」
嫌味も無く、揶揄う様に言うドミニウスの言葉に乾いた笑いをするジュリア。
約5年程の腐れ縁から、今では同じ職場で戦う仲間となった二人には丁度良い距離感が生まれている。
ジュリアにとってドミニウスは遠慮も気遣いも特に必要ない、寧ろそれが失礼に値すると言い切れる相手だ。
オペレーター時代、彼をサポートしていた事もあり過去に幾度無く辛辣な指摘をした事がある。
流石に言い過ぎた、と思う事もあるが自己犠牲を選びやすい彼にとっては良い薬だと大雑把な上官は褒めていた。
「あ、すみませんチキンナゲットも追加で。」
「先程グリルチキンを注文しませんでした?急な呼び出しも有り得るんですから食べ過ぎはいけませんよ。」
「何を言ってるんですか、いくらドミーさんの奢りでも一緒に食べてください。」
「ああ、私が奢る前提なんですね。。。」
「部下に奢ってあげるものです。」
先輩が奢る事は業界では当たり前の事であるが、二人は警備会社に同時に就任されている。つまり二人は同期となる。
それに関しては流石のドミーも反論は大人げない、そう考えて口を紡ぐ。
「しかし・・・3年ぶりの喫煙も悪くない。」
「私には考えられません、禁煙して何かメリットがあるのでしょう?」
「健康保持増進、人工肺移植で肺を綺麗に出来ますが、メンテナンスは面倒でしょう。」
「しかし、我らがオフィキスは素晴らしい事にヴィクサー保険があるじゃないですか。半分以上が機械のドミーさんもほぼ無料でお身体を維持しておりますよね?」
「ま、まあ・・・。」
「因みに肺も人工なのでしょう?自浄機能の技術向上で喫煙に伴う疾病リスクはほぼ皆無と聞きましたが。」
「細胞受容器のマナ許容維持が為されている場合の話ですがね・・・。今はヴィクサー技術の向上で気にする事が無い事が幸いです。これ以上は言い負けそうですね。」
彼女の口の上手さに早々と降参し、反論出来ずにカフェオレを啜る。
毎度ながら言い負ける事が多い彼だが、特に煙たがる事も無く少しばかり懐かしさを感じていた。
普段ジュリアはトリシャと組む事が多く、任務では二人のみになる事は殆ど無かった。姉の娘が思春期を迎えた時期となり、昔は懐いていたのに最近辛辣な言葉を投げる事が多くなったらしいが、何故かジュリアを思い出すらしい。
若い子達の考える事は理解出来てないが、特に拒絶されていない事は解っている。しかし彼のメンタルは意外と繊細なのだ。
「ほら、チキンナゲットが先に来ましたね。私も頂きますよ。」
「ええ、どうぞ。個人的にはマスタードソースが好みです。」
「この前の打ち上げでもベーコンにマスタードを塗っていましたね。」
「マスタードは今吸ってるのと相性が良いんです。最近甘めにしているので。」
「煙草基準なのですね、何だか安心しました。ルネもマスタードが好きと言ってませんでした?」
「いえ、彼女は最近マヨネーズに浮気しています。」
「ま、まあマヨネーズも美味しいですから。」
ドミニウスにとってオフィキスはロウテツ時代同様に恵まれた職場だと感じている。
今もこうして任務の合間に軽食を済ます時間もあり、注文を吟味する相方を眺めているこの空間こそ余裕の表れなのだろうと。当時と比べ、ジュリアの表情は少しばかり柔らかくなった様に感じた。あの頃、死の恐怖に苛まれていたジュリアの瞳を鮮明に覚えている。
しかし今の彼女はどうだろう、簡易食しか口にしなかった不健康な彼女が欲張る様に目の前の食事に夢中だ。彼女の話す内容の殆どは食事関係が多い、それ以外となると煙草か金銭関係しか思いつかない。随分と平和思考になったのだろう、オフィキスは戦闘任務も駆り出される事はあるが無害奇獣の運搬及び護衛が殆ど。
世間話をしていたら任務が終わっていた、そんな事が多い日々を過ごしている。三課の先輩方に後ろめたさはあるものの、ザッカード隊長の推薦もあり今この職務に就いた。
「頬張る貴女を見ていると、うっかり平和ボケしそうです。」
「ええ、本当に。」
ジュリアは自らのモチーフである小さな渦巻き状の角を摩っている。彼女はデミス由来の遺伝から左側頭部に角が生えており、天涯孤独である彼女にとって唯一の忘れ形見である。
大切に摩る角を見てドミニウスは思い出す。彼女の様に角を摩る癖のある女性を・・・彼にとっては苦い思い出だ。
一瞬顔色が曇る。それを見てジュリアは彼の考えている事を察する。
「・・・まだ、引き摺っているのですか?」
「いやぁ・・・あまり気持ちが強くないようでして。」
「マーゲリック隊長もリンガルス代表も割り切れと言ってたじゃないですか。まぁ、時間に任せるしかありません。私が角を気にする度に落ち込まれるのも困ります。」
「ハハハ・・・それは申し訳ないです。しかし、当時は貴女に本当に救われました。」
「もう8年前でしょうか。レクイエム作戦の勃発、まさか切っ掛けを作るなんて思いませんでした。」
7年前、離反国のレクイエム作戦が勃発した。
機装都市ヴァレンシア国内紛争、離反軍による大陸占領宣言、神格獣の装置化を目論んだ離反軍により世界は崩壊の兆しを見せていた。上位奇獣、神格獣達の逆鱗に触れた事で「人類殲滅派」の活動が激化し大陸荒廃化は深刻な問題となり、世界そのものが崩壊しかねない事態となっていた。
マディス連邦国防軍だけでは太刀打ち出来ずロウテツ、管理局、人類擁護派の神格獣達、そして各国の有志達と結託して甚大な被害を出しながらも世界を救う事が出来た。
しかし、我々に残された問題は多岐に渡る。これらを解決する為に、残された兵士達は日々問題解決に勤しんでいる。
「アマレダ国家は私達が関与せずとも崩壊しましたし罪悪感はありません。寧ろ、離反軍の傘下に入る措置を取って同胞達を拉致した。その時点で故郷諸共滅ぶ道筋しか見えませんでした。」
「ヴァレンシアは滅ぶべくして滅んだ。シャルナ上官はそう言ってはくれましたが・・・。」
「今は同僚でしょうに。いい加減慣れましょう。」
「彼と同じ事を言わないで下さい・・・。」
「良い人ですよね彼、掃除が好きなのか一番綺麗に事務所を掃除してくれますし。あ、すみませんバニラアイス追加で。」
ジュリアは食後のデザートを注文する。ドミニウスが抱える問題は、ジュリアにとっては過去の話だろう。
しかし彼は嫌な程に察しの良い男だった。ジュリアにも未だ強く怨恨が根付かれている事を。
8年前、アマレダ国家。
皇室圏内帝居。
「連邦国国防軍第6師団兵、ドミニウス氏で間違いない様ですね。認証完了しました。」
「ありがとうございます。」
「皇女殿下は此方に・・・では、内密にお願い致します。」
離反軍による共和国襲撃前日、ドミニウスは同盟関係だったアマレダ国家に数年前から派遣護衛兵として就任している。ドミニウスは密かにアマレダ国家が連邦国を裏切る事は知っており、自らも邪魔者として消される予感はしていた。
彼が付き従う皇女殿下は聡明な少女だ。愛する国を守る為、自らの危険を顧みない慈愛そのものだった。彼女の居る部屋に赴く足取りは重く、暗い表情をどうにか隠そうとする。
ノックを二回、一声を掛けて返事を聞いたのちに入室する。
「あら、ドミニウス!いつ部屋に来てくれるか、ずっと考えていたのよ!」
「遅れてしまい、申し訳ございません。皇女殿下。」
「そんな堅くならないで。私の事はイヴァと呼んでって何度も言ってるじゃない。」
彼に無茶ぶりをする可憐な第二皇女、イヴァレント・クレイ・アマレダは数年間護衛役であるドミニウスをいつも困らせている。
「あくまで私は護衛なんですから・・・。」
「そんな事気にしないで頂戴。さ、私の角を磨いて下さらない?」
「ええ、承知しました。」
ドミニウスは彼女の美しくも不均等に枝分かれした角を優しく磨き上げる。本来、ケルゥス族は他者に角を触れさせない。理由は定かでは無いが、種族特有の生体部位は文明単位で重宝されているという文献が存在する。
ヒューマーである彼は細心の注意を持って接しているつもりだが、随分と親しみを持った皇女殿下はそんな事を気にせず触れさせている。
「最初と比べて、だいぶ上手になったんじゃないかしら?」
「怒られてばかりでしたからね。。。いい加減学びますよ。」
「それにしても貴方、交流会で会った貴族の子に一目惚れされた様ね?返事はしなかったの?」
「止してください、兵士の私にその様な権限もありません。任務で忙しいですので。」
「あら、私の所為だというの?」
顔を膨らます皇女に対し、笑みを浮かべる。
「そんな事ありません、恋愛事に流れる事が無いだけです。」
「何それ、変なの。」
クスクスと笑う。そんな皇女を護衛する事がドミニウスの使命だった。上層部より直々の推薦を受けた彼にとって、この任務は一世一代に近しい程重要な使命だった。
皇女殿下は数日後、帝都の皇族と婚儀を行う。幼き頃より決まっていた政略の道具として。ウルグスでありながら、ヴィクサー技術でさえも回復を見込めない程に病弱な身体はヴァレンシアの技術でなら期待が出来る。
齢14にして帝都に嫁ぎ、ヌーフでさえ知られていない未知の技術で彼女の命を救える。皇帝はそれを期待しているのだ。
「本日は、外出の許可が出ております。ジュリアも休暇を取って此方に来てくれるそうです。如何でしょう?」
「まぁ!それは是非お会いしたいわ!ジュリアとは半年ぶりに会うんですもの!私にとって初めて敬語で話さない友人ですもの!」
「ほんと、失礼な娘で申し訳ないです・・・。」
婚儀が為されば皇女はヴァレンシアに嫁ぎ、以来は国から出る事も無いだろう。情勢から察するに、トルテンタンツに外交を任せ政治関連に口を出すも基本的に皇室へ籠るのだろう。
皇女も治療に専念する事になれば、この様にドミニウスとジュリアに会う事も無くなる。皇女にとって、この日は人生で一番と言える程・・・大切な日になる。
「・・・本当は、ヴァレンシアに行きたくないわ。だって、貴方達に会えなくなるんですもの。」
「何とかして、ヴァレンシアに派遣される様努力します。もし会えましたら、お茶会でもしましょう。」
「ええ、何年でも私は待ちますわ!ふふっ!もう楽しみが出来てしまいました!」
「それは良かったです。」
皇女の屈指の無い笑顔が眩しく感じる。ドミニウスは笑顔を作り、何も掴んでいない左拳を握り締める。
彼にはもう一つ、重要な任務が存在していた。上層部より、情勢そのものを一変させる任務。
イヴァレント第二皇女を暗殺し、自らの存在を抹消する事を。
- この裏切り者め!お前達連邦国は、そこまでして国を滅ぼしたいのか!?
- 皇女は・・・ッヴァレンシアに赴く事で救われる筈だった!何故、何故殺したんだ!!!
- お前を信頼していた・・・皇女の心を照らしてくれると・・・私が、私が大馬鹿だった・・・。
- 自分だけ生きていられると思うな。アマレダはお前を忘れない、決して拭えぬ罪に潰されるが良い。
- 貴方の判断を否定も肯定もしません。しかし、それを抱え込むのは只の大馬鹿野郎です。
「ごめんなさい、貴方にこんなお願いをするなんて。」
「もうわかっていたの、ヴァレンシアでも助からない事くらい。」
「貴方なんかより、私は人を見る目があるの。」
「あの人は私を普通には生かしてくれない。私はアマレダ国家の皇女として・・・ケルゥス族の女として死にたいの。」
「貴方が居てくれて嬉しい・・・。最後に、この景色を見れて良かった。この山々は、私の探検基地なの。」
「ねぇドミニウス、生きたかった私の分まで生きて。酷な事を言ってごめんなさい。」
「・・・表向き、平和的同盟を組んだアマレダは秘密裏にヴァレンシアの研究を手助けした。多大な犠牲の上にレガトゥスが生まれてしまった。」
「もっと早く、情報を掴めていれば違う結末があったかもしれません。ジュリア、一本頂いても?」
「ええどうぞ。火はこちらに。」
喫煙を解禁したドミニウスは、4本目の煙草に火を点ける。
二人にとって真底にしまい込んだ過去は、今でも鮮明に思い出す事が出来る。
「捨て駒扱いだった兵士の私が連邦をも裏切ったつもりでしたが、皮肉にもヴァレンシアの不意を突く事が出来た事で功績を認められてしまった。それを受け入れた自分自身を許せずにいます。」
「安心して下さい、ドミーさん。当時の私だって貴方を何度殺そうと思ったか数え切れません。」
「思っていたよりは憎まれていたのですね。」
「当時はですよ、ええ勿論私も冷徹な兵士の一人です。元より任務は理解していたつもりでした。しかし・・・」
『あの子は二人の心を簡単に溶かしてしまった。』
数年間、国の心臓核に連なる循環をも壊死させ・・・その身全てを腐らす任務に準じていた二人にとって、一人の少女は毒性の強すぎる薬だった。
「お互い、連邦と手を切って良かったですね。」
「ええ、二度と関わるもんですか。」
「知っていますか?オフィキスは情報という名の核爆弾を抱え過ぎた事が災いか、国防庁はいち警備会社を倒産に追い込みたいらしいですよ。」
「全く、困った話です。社員達はその肝心な情報なんて知らないのに。」
「・・・ドミーさん。」
「何でしょうか?」
先程まで、軽口混じりだったジュリアは珍しく真剣な口調で問う。
「彼女の分まで、しっかり生きるつもりでしょうか?」
「・・・当たり前じゃないですか。彼女の知りたかった世界を守る為に、兵士である私はしがみ付く様に生き続けなければなりませんから。」
「相変わらず、自らを苛めるのが好きで安心しました。」
ジュリアは不敵な笑みを浮かべる。
この笑みを浮かべる彼女は、決まって上機嫌な時に見せる表情だ。
「そんな所で安心されても困りますよ、ジュリア。」
「さて、そろそろ休憩は終わりにしましょう。予定より13分程早いですが。」
「相当食べていましたね、充分に動く事は可能ですか?」
「ええ、言わずもがなです。」
「好きですねその言葉。」
「ルネちゃんが良く言うんですよ、このセリフ。」
社員二人は自らの任務へ再度従事する。
護れなかった存在を決して忘れず、己の職務を全うする為に。甚大なる災厄に直面し、今尚折れずに前へと進んでいく。
決して二人は当時の真相を語らない、あくまで冷徹な判断を示したまでと。
抉り続ける罪が、今尚彼らを生かし続ける。この痛みが、あの思い出を強く残してくれる。
功労者達は歩き続ける。これ以上の惨劇を起こさぬ為に。
最終更新:2021年10月28日 00:37