「上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/2スレ目短編/450」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/2スレ目短編/450」(2010/03/13 (土) 15:11:15) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#asciiart(){{{  上条当麻と御坂美琴は、二人並んで冬の海を見つめていた。  冬と言っても今日は小春日和と表しても良いくらいの穏やかな日差しと時折髪を揺らす北風、そして寄せては返すさざ波の音が世界を満たしている。 「……で、何で俺とお前がこんなところにいるんだろうな?」 「……その質問はこれで一五回目なんだけど」  上条当麻と御坂美琴は、二人並んで冬の海を見つめていた。  互いの手を固く握りしめて。  ここは神奈川県の某海岸――手っ取り早く言えば上条が家族とあまり思い出したくない夏のひとときを過ごしたあの海に来ていた。  電車の窓から眺めた景色がどんどん見覚えのある風景に変わっていくのを知って、上条は『やっぱり行き先はあそこなのか。あそこは学園都市指定の流刑地(しまながし)なんかね』と内心でため息をつく。さっきまで自分の対面に腰掛けてあれやこれやと喋っていた美琴は、今は上条の肩に頭を乗せて気持ちよさそうに眠っている。 (降りる駅までもう少しあるし、寝かせといてやるか。俺が何でここにいるのかは起きてから聞けばいいしな)  いつもなら『重い』と言って振り落としたくなる茶色の髪も、今はその感触が心地良い。  他に見知った奴が周りにいないからという理由は脇に置いて、上条は黙って美琴の寝顔を見つめていた。  時間は冒頭に戻る。 「っつーか、一泊二日でこの大荷物は何なんだよ?」  美琴のトランクを引きずりながら、上条がぼやく。 「アンタはずいぶん荷物少ないのね」  上条の荷物が入ったスポーツバッグと自分の小物が入った鞄をぶら下げて、美琴が答える。  二人がこうして並ぶと、カップルと言うよりはお嬢様と使い走りに見えなくもない。  たった一つ二人の間柄を『違う』と言いきれるものがあるとするならば、それは二人が互いの手を握りしめている事だろう。 「……で、何で俺とお前がこんなところにいるんだろうな?」 「これで一六回目。……だから巻き込んじゃって悪かったわね、って言ってるでしょ」  上条の手を握りしめた小さな掌が美琴の感情を上条に伝えるが、上条は電撃使いではないので体内電気の流れから美琴の気持ちを読み取るなんて事はできない。 「事情は話したくなったら話してくれればいいさ。珍しく学園都市の外に出られたんだし、今日は楽しもうぜ。……ま、あの海の家じゃ娯楽なんてほとんどないけどな」  上条はボロっちい外観を持つ、一軒の宿屋を指差す。  その名は海の家『わだつみ』。  宿まで夏と同じだと、何か作為的なものを感じてしょうがない。 「おう、上条当麻さんと美琴さんのお二人様だな。予約は承ってるぜ。おい麻黄! お客さんを二階の角部屋へ案内しな!」  禿頭にねじりハチマキ、『大漁』のロゴと海の絵が描かれたランニングシャツ、そしてステテコ姿の五〇歳過ぎで腹が突き出たいかにも海の家の親父風な男が二人を出迎えた。 (うっわー、ステイルの奴こいつになってたのか……)  上条はこの夏に上条一家と世界を直撃した惨劇『御使堕し』を思い出す。  あの時はいろんな人がいろんな姿に変わっていたのでひどい目にあった。インデックスは母・詩菜に、青髪ピアスはインデックスに、ステイル=マグヌスは海の家の親父に、御坂妹は少年・麻黄に。そして従妹の乙姫は御坂美琴に。 「……あれ?」  上条は親父の言葉に何か引っかかるものを感じて、宿帳をのぞき込む。そこには 『上条当麻・美琴』  と二人の名前が記されていた。しかも美琴の方は名字がない。 「…………あのー、すいません」  上条は二人を部屋へと案内する少年・麻黄の背中に声をかける。 「はい?」 「あの、俺達の部屋って……」 「ああ、今日は夕方から団体さんが入るけど。大丈夫、ちゃんとうちで一番眺めの良い部屋を確保しましたから」  そこまでうちのサービスは悪くないですよ、と麻黄が愛想笑いに本心を滲ませる。 「いやそうじゃなくて。俺達の部屋って一つなんですか?」 「お客さん、夫婦で宿泊なのに部屋二つ必要とか言わないですよね?」 「「ふっ、夫婦?」」  上条の後ろについて歩いていた美琴共々、声を合わせて叫ぶ。 「あーお客さん達、結構若いところを見るともしかして新婚さんですか? たまにいるんですよね、土壇場になって『部屋別々にしてください』って言う方が。大丈夫ですよ。うちは見ての通りボロいけど、防音だけはしっかりしてますから」 「いっ、いや防音がどうとかじゃなくてですね」  見た目一六歳の男と一四歳の女の子をつかまえて新婚夫婦とか言わないで欲しい。  上条は何とか誤解を解こうと身振り手振りで意を表すが、この麻黄という少年には通じない。 「それにさっきも言ったじゃないですか。今日は団体さんが入るんで空き部屋がないんですよ」  麻黄の説明が、上条にはこんな風に聞こえた。  ――何もかもあきらめて、とっとと観念してください。 「いったい何がどうなってやがる」 「私が説明して欲しいくらいよ」  上条と美琴は畳の上に腰を下ろし、ああ疲れたと息を吐く。上条は卓の上に乗ったポットからお湯を急須に注ぎ、湯飲み二つに茶を入れた。そのうち一つをほれ、と美琴の方に押しやると 「今回の宿ってお前が用意したんじゃねーの?」 「違うわよ。私こう言うところに泊まるの初めてだし」  美琴はありがと、と言ってお茶を口にする。 「それもそうか。ここはどう考えてもお前のセンスの範疇じゃなさそうだしな」  この海の家が美琴の選択によるものならあまりにも愉快すぎる、と上条は考える。  何か違う話をしよう。 「お前って、海とか家族で来た事あんの?」 「小学校の頃は何回かね。さすがに中学に入ってからは家族と海に行くなんて言うのはちょっと」  お前それはこの夏家族と海に行った俺に対するイヤミかと言いたくなるがそれを口にするといろいろ藪蛇なので上条はその言葉をぐっと飲み込む。今ここでその話をすれば、電車の中で繰り広げられた『何故上条とインデックスが海に行ったのか』という糾弾が再熱しかねない。 「…………だりー」  上条は大の字になって畳の上に寝転がる。美琴はそんな上条をちらちらと横目で見ながら何かを言いかけては口ごもる。 「ん? 何か話でもあんのか? あるんだったらもっとこっちに寄れよ。つか何でそんな部屋の隅っこに陣取ってんだよ」  その一言で、美琴がさらに部屋の隅へと下がる。心なしか顔も赤い。 「あのな」 「なっ、何?」  上条は立ち上がり、美琴のそばへ歩み寄るとかがみ込んで美琴の顔をのぞき込む。 「意味わかんねーけど、今日は一日なるべくこうしてなきゃいけねーんだろ?」  そして美琴の手を取り、なるべく力を込めないように握る。 「…………………うん」  肯定の意志を伝えると、美琴はぼふんと上条の方に倒れ込んだ。『ふにゃー』という変な声も聞こえる。  何かと勝ち気ですぐにケンカを売ってくる美琴がこの状態なのはあまりにもらしくないし意味も理由もわからないが、これはこれでめずらしい。  どうせ宿代も飯代もタダなのだからと、上条は猫のように自分にすり寄る美琴の頭を撫でてやる事にした。 (は、離れなきゃいけないんだけど離れたくないというか……どうしよう)  御坂美琴はぼんやりとしていた。  確かに上条当麻のそばは居心地が良い。それを認めるのが癪に障ると思うくらいには。  この小旅行は美琴が仕組んだものではない。結果的に上条当麻が強制参加させられる羽目になっただけだ。  そして上条は今美琴のそばにいる。美琴が上条に頼んだからでもあるが、手を伸ばせば届く距離に美琴が望んだ陽だまりがある。  ――もうちょっとだけ素直になってみよう。  日ごろだって十分素直だと美琴は自分を評価しているが、外から見る分には気恥ずかしさが行き過ぎて攻撃的になっている事に、美琴は気づいていない。 「…………ふにゃー」  いつの間にか口癖になっていたその擬音にも、美琴は気づかない。  いつもの『御坂美琴』が今の姿を見れば恥ずかしくて即座に死ぬと思うくらい、美琴の思考は呆けきっていた。  それくらいこの上条当麻という陽だまりは、御坂美琴にとってとても居心地が良かった。  頭の上で上条の囁く声が聞こえる。 「御坂。あとで海行ってみないか。水は冷たいけど見てるだけなら良いだろ」 「…………うん」 「今日の晩飯は七時からだってさ。ここあんまりメニューないんだけどな」 「…………へぇ、そうなんだ」 「あー、後でトランプでもやっか? 俺持ってきてんだ。TVばっかりじゃつまんねーだろ?」 「…………アンタがしたい事で良いわよ」  こうしてこのままいられるのなら後は何でも良いなどと、らしくない考えが頭をもたげる。  耳に響く心臓の鼓動が何だかやかましい。でもこれって私のじゃないわね、とぼんやり思い、美琴は上条の腕の中から顔を上げる。  そこでは、上条が美琴の顔をまじまじとのぞき込んでいた。 (やべえ。御坂が何かバグってる)  上条が美琴の頭を撫で始めて五分が経過したが、美琴が起き上がる様子はない。いつもはこんな不届きな事をしようものなら美琴から電撃だの砂鉄の剣だのが飛んできそうなものだが、今日に限って何にもアクションがない。これはもうバグってるとしか思えないが美琴は御坂妹ではないのでバグると言うより何かが壊れたと表現するのが正しいのかも知れない。  電撃だの雷撃の槍だのなんてものはそばをかすめるだけで心臓に悪いのに実際に降ってこないとなると何となく居心地が悪くなるのは一体何なんだろうか、と上条は思う。よもや美琴によって自分の中で新しい趣味嗜好の境地が開発されてしまったのだろうか。  いやいやいや、と上条は頭を振る。この歳でそんな怪しげな趣味に染まりたくないし開発って何だよそれじゃまるで調教されてるみたいじゃん。  とりあえず美琴の正気(おいかり)を取り戻そう。 「御坂。あとで海行ってみないか。水は冷たいけど見てるだけなら良いだろ」 「…………うん」 「今日の晩飯は七時からだってさ。ここあんまりメニューないんだけどな」 「…………へぇ、そうなんだ」 「あ、後でトランプでもやるか? 俺持ってきてんだ。TVばっかじゃつまんねーだろ?」 「…………アンタがしたい事で良いわよ」  さして興味なさそうな返事しか帰ってこない。  いつもがいつものケンカ友達なのであまり気にした事はなかったが、御坂美琴はれっきとした一四歳の女の子だ。そのオンナノコとこれだけ密着しているのは一六歳の健康な男子高校生としていろいろと不味い。それなのに遊びに誘ったり注意を外に向けてみても、美琴は依然として上条から離れてくれない。しかも夕方に団体客が到着するまで、この海の家の客は自分たち二人きりしかいないのだ。 (どうしたらいいんだろう)  上条の心臓は早鐘のように鼓動を鳴らし、心の中では理性だの常識だのといった壁が古びたモルタルのようにボロボロと崩れ落ちていく。むしろバグってるのは美琴ではなく自分ではないかという疑念に駆られ、顔をお天道様に向けられずに頭が下がる。  そこで、顔を上げた美琴と目があった。  次の瞬間、上条は高速であさっての方向を向き美琴は部屋の対角線上の隅へとんでもない速度で移動した。美琴に至っては上条の目から見てもドップラー効果が出ていたかも知れない。 「いや、あの、えっと、だから、その」 「あの、あのね? わ、私は、その……」  二人は声を揃えて狼狽し、その掌はわたわたと空を切る。  純朴そうに見える少年・麻黄が見たら『いくら何でも初々しすぎるだろこの夫婦(おきゃく)』とでもツッコまれかねないこの状態を打破したのは上条だった。 「み、御坂? 今日は割と良い天気だし、今から海でも行かねーか?」 「あ、そ、そうね。海行こっか。空気も良さそうだし」  美琴は立ち上がり、部屋の出口に向かって歩き出すが何故か右手と右足が同時に出ている。ガシャンガシャンと音がしてもおかしくないような動きを見て上条が苦笑し、美琴の左手を取る。 「ほれ」  ここで変に意識してはよけい気まずくなると、美琴は上条に手を引かれるまま歩き出した。 「おー、冬の海ってのも………………………乙って言うより寂しいなオイ」 「こんな時期に来てる物好きなんて私達くらいでしょ」 「ここが日本海じゃなくて良かったな。向こうだったら俺達今頃大波かぶってんじゃねーの?」 「アンタはいつの時代のドラマを見てんのよ。日本海の全部が全部荒波押し寄せる岸壁ってワケじゃないわよ?」  時折頬を刺す海風が二人の火照りを覚ましていく。  軽口を叩き合えるほどに精神の再建を果たした上条と美琴は、誰もいない浜辺を散歩していた。サクサクと足元の砂を踏む音が会話のすき間を満たし、波の音が抑揚を与える。水平線の彼方には船影の一つも見あたらず、この世界に二人しかいないような錯覚に包まれていく。 「やっぱこの時期の海の水は冷たいのか?…………うっひゃあ!?」  上条はバッシュと靴下を脱ぎ、ジーパンの裾をまくってつま先を海水に浸す。現在の水温は摂氏二度。冷たいなんてものではない。 「ぐ、ぐあ……これはし、死ねる。すげー冷てえ。……しかし! 何のこれしき負けてたまるか! うおぉおおおおおおおっ!」  それでも上条は水から足を出さず、むしろ水際をバシャバシャと勢いよく走っていく。  美琴がそんな上条を微笑みながら見ていると 「ほれっ、御坂!」  上条が美琴に向かって両手で海水をすくい、ひっかけようとする。 「ちょ、ちょっと止めなさいよ! 冷たいじゃない!」  美琴は飛んでくる水しぶきを紙一重でかわす。 「それっ、冷てえだろっ。うりゃっ!」 「もー、止めなさいよね! …………えーい!」  美琴もブーツを脱ぎ素足になると両足を海に浸し、スカートの裾をつまんで上条に向かって海水を蹴り上げる。 「ちょ、ちょっと待て! 足は反則だろうが!」 「そんなルールはありませーん!」 「テメェ……やりやがったな!」 「そっちこそよくもやってくれたわね!」 「うおっ冷たッ!?」 「ぎゃーっ!? 冷たいじゃないのよこの馬鹿!」  二人は濡れるのもかまわずに、子供のように嬌声を上げて水のかけ合いに興じる。  上条は片手で交互に水をかき、 「こんのやろ……くらえウォータースプラッシュ!」  美琴は両足をバタバタさせて、 「それ何の技よ? だったらこっちも連続海水キック!」  しまいには波打ち際で取っ組み合いになる。お互いに海の中に突き落とされまいと必死にもがいて 「…………なあ御坂、何か冷たくね?」 「…………そう言えば結構冷たいかも」  ――冬の最中に頭のてっぺんからつま先まで海水まみれのお馬鹿さん二名、完成。 「……くしゅんっ!」 「大丈夫か?」 「大丈夫。……だと思う」  濡れた足のままブーツを履くのは嫌だとごねる美琴を背負って、上条は砂浜から『わだつみ』を目指して歩いていた。美琴のブーツは上条が指の先でつまんでぶら下げている。 「向こう着いたら先に風呂入れよ。たぶんもう使えると思うから」 「あれ? アンタも入るんじゃないの?」  海の家『わだつみ』に男湯・女湯という区別などない。風呂場は一つきりで、男が使っている時は男湯になり女が使っている時は女湯となるだけだ。 「――ということは、私がもたもたしてるとアンタが風邪引いちゃうかも知れない、と」 「あー、気にしなくて良いぞ。お前の方が先に風邪引きそうだし」 「うーん。……………………………一緒に入る?」 「ぶっ!? お、お前なぁ?」 「冗談よジョーダン。そんな事したら本当に殺すから」  ペチペチと美琴が上条の頭を叩く。 「期待した?」 「うっ…………し、しねーよそんなこと!」  上条は頭をブンブンと振って、美琴を背負い直す。  うっかりすると夏に神裂が風呂に入っている時、見張り役の上条が美琴(乙姫)によって風呂場に放り込まれたあの忌まわしい事件――いやちょっとは嬉しかったけどさ、が脳裏に蘇ってしまう。 「ともかく、団体さんも来るって言うし騒がしくなる前に入っちまえよ」 「うん、じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらう」  美琴が上条にぎゅっとしがみつく。濡れた布地越しに文章で表現してはいけない何かが上条の背中に押し付けられて (ばっ!? テメェ服が濡れてんだからちったあおとなしくしろよ! 俺もいちいち御坂に抱きつかれたくらいで動揺すんじゃねえ!)  人を背負っている時顔はほぼ正面にしか向かないよう人体の構造を作った神様だか万物の創造主に、上条当麻はこの時激しく感謝した。 「ふいー、冷えた体にお湯がしみるぜ」  昔の人は言いました。風呂は命の洗濯よ。  美琴と入れ替わりで脱衣場に飛び込むと、着ている物を全部脱いで上条は湯船にダイブした。ザッバーンと上条の体重&運動エネルギーの分だけお湯が溢れていくのを見て、慌てて蛇口をひねってお湯を足すあたり上条の小市民っぽさが出ているかも知れない。 「それにしても、今日のアイツはいったい何なんだろう? 思春期特有のナントカって奴か?」  頭の上に折りたたんだタオルを乗せて、上条は一人考える。  小旅行とはいえ、今日の美琴はいつもの美琴らしくなかった。  やかましく一人で喋っていたと思ったら『眠くなっちゃった。枕貸して』と言って隣に座るやいなや上条に寄りかかって眠り。  部屋に入れば隅っこで防壁を築いておとなしくなってみたり。  人に抱きついたと思ったらぺしゃんこになったり。  海では子供みたいにはしゃいでみたり。  いつもなら絶対いやがりそうなおんぶも平気で人の背中に乗っかってきたり。  何が本当で、どれが嘘の御坂美琴なのだろう。  美琴が学園都市で見せるあの顔が、美琴の持つほんの一面に過ぎないという事を上条は知らない。人は万華鏡のように、見る角度を変えるだけで姿を変えるという事に上条は気づかない。 「……電撃がこないだけマシか」  そこで上条は自分の右手を見る。  美琴からのリクエストはただ一つ、 『できるだけその右手で自分を掴んでいてくれ』。  これが今日の小旅行に連れてこられた理由なのだろうか。美琴が話したくなるまで待つと言ったが、答えを聞かされないままの上条の胸の中に何となくもやもやとしたものが積もっていく。  ――アイツにとって必要なのは俺の右腕だけなのか?  良いじゃんそれでどうせアイツは俺の事を嫌ってるんだしさと心の中で思いつつそんなのは嫌だと否定する自分に頭からお湯をかけ、上条はわっしゃわっしゃと塩まみれの頭を洗い始めた。 「……いくら海の家とはいえ夏とメニューが変わらないってのはどうなんだろうな」  今は冬なんだけど冬っぽいメニューはないのかよと海の家の親父を片目で睨みつつ、残る片目でラーメンと焼きそばとカレーしかないメインディッシュから上条は焼きそばを選ぶ。美琴も同じく焼きそばを選び、二人はテーブルを挟んで無言でもぐもぐと食べた。  何で冬の海まで来て晩飯が焼きそばなんだろう。 「あのさ……うまいか?」 「……うん」  食べてるものが同じだけに会話が続くわけもなく、沈黙が漂う食事が終わった。麻黄が食器を下げるのを見計らって、上条はTVをつける。 「ほー、学園都市で見るのとちっと番組が違うな」 「そりゃそうでしょ。地方局が入ってるもの」 「んでさ」 「なっ、何よ?」 「何でお前はそんな部屋の端っこにいるんだ? そんな遠距離からTV見なきゃならんほど視力矯正が必要なのか?」 「う、うっさいわね! あ、アンタはもうちょっと女の子と二人っきりって事に気を…………!」  そこで美琴が押し黙る。  あ、何かいつもの美琴に戻ったと上条は思いつつ 「………………………………………………二人、きり?」  今さら忘れかけていた事実に頭をゴガン! と殴られたような衝撃を受ける。  いやだってコイツはあの御坂美琴だし二人っきりって言ってもコイツは中学生だしそもそもコイツは俺の事嫌ってるんだし別に俺が意識したってでもコイツも言われてみりゃ女の子なんだよな。 「――――――――――、はっ!? いかんいかん」  上条はブンブンブンブン!! と激しく頭を振り 「御坂、トランプしようぜトランプ。何やる? 七並べか? ブラックジャックか? ポーカーやるか? ああでも金をかけるのはなしな」 「アンタも人をトランプに誘う割には明後日の方向向いてるじゃない。私こっちにいるんだけど?」  とある少年の平常心(つよがり)はガラガラと音を立てて崩れ去る。  ただトランプをするだけでは面白くない、せっかくだから何か賭けようという事になった。 「金じゃ面白くないしな。こうしないか? 負けた方が布団敷き&負け数が一越す事に肩もみ一〇回」 「乗った! やってやろうじゃない。大覇星祭に続いてケチョンケチョンにやっつけてやるから覚悟しなさい!」 「大覇星祭(だんたいせん)じゃ負けたがな、トランプ(こじんせん)でお前に負ける気はしないね! 今こそ見せてやる俺の実力! テメェは泣きながら俺の分まで布団を敷くがいい! ついでに肩もみで年上に敬意を払ってもらおうじゃねえか!」 「ふん、アンタなんて片手で吹っ飛ばしてやるわよ! せいぜい泣きべそかかないようにすることね!」  公平を期すために種目はポーカー、ジジ抜き、大富豪、スピード、七並べを各五セット勝負。計二五回勝負で勝ち数が上回った方が勝者となる。  一見上条が不利に見えるこの勝負、運や演算能力、記憶力が勝負を左右するゲームなら美琴が圧倒的に有利だが、単純勝負や駆け引きなら上条の方が上回る。よって条件はほぼイーブンだ。  ポーカーで上条はその引きの悪さで美琴にストレート負けを喫したが、ジジ抜きは美琴の手札を引こうとすると面白いくらいに美琴の表情が変わるので、上条は笑いを噛み殺しながら上がりを宣言する。もっとも最後の勝負で美琴が目をつぶってカードを差し出すという戦法を採ったため、上条のストレート勝ちとはならず土がついた。続く大富豪では上条の不幸が炸裂して美琴の四勝一敗、スピードでは上条の反射神経がわずかに美琴の手数を上回り上条のストレート勝ち。  両者の勝ち星は互いに九個。勝負は最後の七並べにもつれ込む。  カードをファローシャッフルしながら上条が 「お前結構やるじゃねえか」  と不敵に笑えば、カードを受け取りながら美琴がニヤッと笑い 「アンタこそ、不幸体質でなかったら良い線行ってたわよあの勝負」  互いの健闘を称え合う。七並べは通常四人くらいの人数で遊ぶのが面白いが、一対一の勝負となるとお互いの手札が読めるため、パスとカードを出す手順を戦略的に組み立てる腹の読み合いがゲームの行方を決める。  そして二勝二敗で迎えた最終戦。 「………………………………………………………………よし、勝った!」 「うがぁああああああああっ! あそこでパスして止めちまえば良かった。負けた……不幸だ」  勝者と敗者が明確に分かれ、敗者は地面ならぬ畳に這いつくばる。 「肩もみはさせられなかったけど、これで勝負は私の勝ちね」 「…………くっそう。んじゃ俺が布団敷くから、ちっとお前どいてて」 「あ、じゃあ私その間にもう一回お風呂入ってくる」 「へーへー、勝者は風呂につかってのんびりしてろ」  上条がひらひらと掌を振って美琴を部屋から追いだす。美琴は一度部屋の中を振り返って意味ありげな視線を向けると、何も言わずに風呂場へ向かった。 「…………どうしよう、今日の話。何て言って切り出せばいいかな」  湯船に肩まで浸かって、美琴は呟く。  今日二人がここに来た理由。  それは上条にも責任の一端があると言えばあるのだが、だからといって美琴は上条を糾弾する気にはなれないしするつもりもない。上条に関係がある事とはいえ、どこまで行ってもこれは自分の問題なのだ。  用意されたのは一泊二日という時間とこの宿。  提示されたのは『自分だけの現実』の再構築。  と言われても何をどうすればいいのか皆目見当がつかない。壁を作っていたブロックを全て壊して違うパターンで組み直してみても、必ず『上条当麻』の部分でで引っかかってしまいまた一から壁を組み直すようなものだ。 「レベル5って言っても大したことないなあ私。アイツはあらゆる意味においてイレギュラーだから、比較対象に入れても仕方がないんだけどさ」  不意に美琴の額にパチッ、と火花が飛ぶ。 「うわっ!? ……危ない危ない。こんなところで放電なんかしたらこの建物丸ごと吹っ飛んじゃうかも知れないわね。のぼせちゃうのも不味いし、とりあえず出ようっと」  美琴は湯船から上がると髪に巻いていたタオルを取り、体を軽く拭う。脱衣場でカゴからバスタオルを取り出すと丹念に体を拭き、下着を身につけ浴衣を着る。 「………………ど、どうしよう」  浴衣の帯を締め終えた美琴の顔が突然青くなる。 「アイツお布団敷くって言ってたからこれから部屋に戻るって事は後は寝るだけって事よね。ふ、二人っきりで今の状態で寝るのは……うう、どうしよう」  脱衣場の棚にもたれかかり、美琴の顔がすごい勢いで百面相を始める。 「あの馬鹿と一つ部屋に二人っきりってのはものすごく危険だけど、アイツが隣にいてくれないとそれはそれで危険かも知れないし。そ、そばにいて欲しいと言うかいて欲しくないと言うか。でもアイツともしも万が一なんてことがあったら……」  ああどうしようと美琴の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返す。  最終的に美琴の全ては、上条自身の与り知らぬところで上条が握っている。  つまるところ、出たとこ勝負で行くしかない。  美琴がそう決意した時にはすっかり湯冷めして、美琴は小さくくしゃみした。 「さて、布団敷くのは良いけどどうすっかな」  上条は物置から二組の布団を取り出し、並べて敷く。 「……いやこれはちっと近すぎだろ」  そこから布団の間を二mほど広げる。 「……、もうちょっと間を開けた方が良いよな、うん」  上条は布団の感覚を三mに広げて 「うがぁもう面倒臭え! こうなったら端と端! これでよし!」  一〇畳の部屋の端と端に一組ずつ布団を引っ張った。上条は戸口に近い方の布団にどっかと座り込み、窓側と戸口側どっちが寒いだろうと真剣に悩む。窓のそばに立ってみても、入り口付近に座り込んでみても、どっちも同じくらい寒いような気がする。そもそも寝間着として着てるのが浴衣なので寒いとかへったくれ以前にもう少し厚着した方が良いんじゃねえのかなどと考えてみるが良い知恵は浮かばない。あれそう言えば夕方に到着するって言ってた団体さんの姿や声がないなどうしたんだろうと首をひねっていると、風呂から上がった美琴が戻ってきた。 「お帰り。布団敷いたぞ。お前窓側な」 「たっ、ただいま。ありがと……くしゅんっ!」 「あれ? お前風呂入ってきたのにまだ寒いのか? 時間があるならもう一回行ってくれば……」 「う、ううん! いいの。十分暖まってきたから」  そうか? と怪訝そうな表情の上条が美琴の毛先を軽くつまんで 「髪がやけに冷たいけど、お前湯冷めしたんじゃねえのか?」 「ちょ、ちょっと! 何勝手に許可も取らずに人の髪に触ってんのよ!」  自分が何の気なしに美琴の髪に触れていた事に気づく。 「あ、ああいやその、悪りぃ。……ところで御坂、夕方に到着するって言ってた団体さん見かけたか?」 「あれ? そう言えば……、見てないわね」 「うーん、そっか。じゃあ俺ちっと聞いてくるよ」  何を? と尋ねる美琴に 「いやほら、団体さんが来てないんだったら部屋を一つ融通してもらえないかって。俺達何か誤解されてるしさ、誤解を解くついでに頼んでこようかと」  スリッパを履いて部屋の外へ出ようとする上条の腕を、美琴が掴んで引き留める。 「御坂?」 「あの、さ。私が今日アンタに頼んだ事、覚えてる?」 「……、『できるだけ右手で御坂を掴んでいる事』だろ? 覚えてるけどそれが」 「馬鹿。別の部屋になったらそれできないじゃない」 「だけど俺達変な誤解されたままだしそれにお前とは知らない仲じゃないけどそれでも一つの部屋で寝泊まりってのは」 「べ、別に良いわよ誤解されたって。どうせこの店の人たちだけだしアンタさえ変な事しなけりゃ何も起きないんだから」 「………………何かあっても知らねえぞ」  上条は美琴に聞こえるようにぼそっと呟くと、美琴の手を振り払って布団の上にドカッと座り込んだ。  美琴は布団の上に座り込み、障子を開けると上条に背を向けて窓の外に浮かぶ月を眺めていた。  空気の澄んだ冬の空に満月は冴え冴えと光り、その輝きは地上と海に余すところなく降り注ぐ。 「御坂、寝ないのか? 風邪引くぞ?」 「アンタもこっち来る? 月がすごく綺麗……」  月なんていくらでも眺められるだろうと思ったが、美琴に見えない手を引かれるように上条は窓際に近づき美琴の隣に席を占める。  上条が隣に座ったのを確認すると、美琴はコツン、と自分の頭を上条の肩に乗せた。 「御坂? やっぱ眠くなったんじゃねえか? 夜更かししないでもう寝ろ……」 「……今日の、事なんだけどさ」  上条の言葉を遮るように、美琴が途切れ途切れに口を開く。上条は黙って先を促した。 「ごめん。アンタ巻き込んじゃって」 「それは午前中にも聞いたな。巻き込んだって何がだ?」 「私の、能力の事なんだけどね。……、ちょっと最近制御がうまくいってないと言うか、特定条件下で軽い暴走を起こすのよ」  特定条件下というのが誰のそばで、何を思ってなのかを美琴は伏せる。 「で、それで機械をうっかりいくつか壊しちゃってね。新しいカリキュラムを組んでもらう間に外へ出てなさいって事でここに来たってワケ。アンタはそのとばっちりを受けたのよ。私自身で暴走をうまく止められないからアンタの右手の出番というか、まあお目付役として来てもらったの。ここにいる間に私が自分だけの現実の再構築ができればそれで良し、ダメならカリキュラムでもう一度鍛え直し。すぐに元に戻ると思うんだけどさ」 「……そっか」  上条は美琴の言葉に深く頷いた。 「俺何でここにいるのかわかんなかったけど。たぶん俺の右手に関係あるんじゃないかと思ったんだけど、当たったな」  上条は美琴に笑ってみせる。 「俺の右手は、ちゃんと誰かの役に立てる。おまけにこうやって旅行もさせてもらえるなんて、案外幸運……」 「ご、誤解しないでよね」  美琴は上条の正面に回り、上条の胸に飛び込むように顔を埋めてその体を抱きしめる。 「私はアンタの右手に用があるんじゃない。アンタに用があるの。アンタが必要なの。アンタにいて欲しいの。……アンタのそばにいたいの。他の何を誤解されてもかまわないけど、それだけは誤解しないで」  美琴の表情は月を背にした逆光に遮られて上条からは読み取れない。けれど上条には今の美琴が泣いているような、何かを悲しんでいるような、そんな風に思えた。そんな風に見えた。  行き場のない上条の両腕が美琴の両脇で動き、布団の上に落ちる。  今の美琴に何を言ってやれば良いのだろう。  つらいのか?  苦しいのか?  悲しいのか?  自分だけの現実の再構築って、俺には手伝えないのか?  ――どれでもない。どれも違う。  上条の幻想殺しでさえ、美琴の憂いを払う事はできない。  上条は天を仰ぐ。  月は無言で二人を照らすが、何も語らない。こんなにもまぶしい光を放っているのに、美琴の心に落ちる影を消してはくれない。  上条は目を閉じ、今日一日を思い返す。電車の中での雑談。二人で見た海。びしょ濡れになるまで遊んだ浜辺。あまりおいしくなかった焼きそば。トランプ勝負。風呂上がりの美琴。  今日の出来事を心の中で並べ直し、上条は美琴を抱きしめる。  本当に必要な言葉は、何も考えずに口からこぼれ出た。 「好きだ」  上条の小さな声を、美琴は聞いた。美琴は驚きを隠せず、上条の腕の中からじっと見つめる。 「あーいや……あの、御坂? 今のはだな、えっと、その、何て言うか」 「もう一回言って。言い間違いだなんて言わせないわよ。……お願い、もう一度」  上条は観念したように目を閉じて 「御坂。………………好きだ」 「ちゃんと私の目を見て言って」  美琴が上条の胸を叩く。  口に出してしまった言葉は取り下げられない。上条は、自分のものとは思えないほど小さな声で 「御坂。好きだ」  それだけを言うのが精一杯だった。 「……………だーもう俺に何度もこんな恥ずかしい事言わせんじゃねえよ!」  美琴はもう一度上条の胸に顔を埋めて 「……アンタがそんな事言ってくれるなんて思わなかった。アンタは私の事なんか眼中にないって思ってたから、すごくうれしい」  今度は悲しそうではなかったので、上条はほっとすると同時に頭の上に疑問符を浮かべる。 「……うれしい? 何で? お前、俺の事嫌ってたんじゃないのか?」 「馬鹿な事言わないでよ。何で私がアンタを嫌うのよ」 「だってお前俺を見かけるとビリビリしてくるし、罰ゲームだって……」 「……好きでもない男の事なんか追いかけ回したりしないわよ。気にくわなければ電撃で焼いて、それでおしまい。そんな奴、顔を見る気もしないわね。罰ゲームだって、あれは、その……勝ったらアンタが何でも言う事を聞いてくれるって言うから……」  美琴が頬を赤く染めてうつむく。握りしめた拳はグーの形のまま上条の胸に添えられた。 「あの……それじゃ俺が勝った場合は?」 「その時はその時で、アンタが私に何を要求するか気になったわよ。『一日彼女になってくれ』とか『デートしてくれ』って言うんじゃないかと思って。……笑うなっ! どうせ都合の良い想像ってのはわかってんだから!」  美琴は再び上条の胸を叩く。  痛い痛いお願い止めてと上条は諸手を挙げて降参する。  そこで美琴がくしゅんっ! とくしゃみをした。 「……、もう遅いし今夜はそろそろ寝ようぜ。お前だって体が冷えて……?」  立ち上がろうとする上条の浴衣の裾を、美琴が引っ張って止める。 「御坂? 寒いなら押し入れからもう一枚掛け布団取ってくるけど?」 「そうじゃなくて。……アンタどこに行くつもり?」 「どこって、そりゃ俺は自分の布団に……」 「ふっ、布団ならここにあるじゃない」  美琴は浴衣の裾をくいくいと引っ張り、上条に座るよう促す。 「ここにある、ってこれお前の布団…………!?」  腰を落としながら、上条の顔が引きつっていく。  まさか。 「ど、どうせ私達夫婦と間違われてんだから一緒に寝たって問題ないでしょ? 防音も効いてるって言うし私はその……寒いし」 「御坂? お前忘れてんじゃないかと思うから一応言っとくぞ。上条さんは健康な男子コーコーセーであってですね?」 「わかってるわよそれくらい! ……わっ、私にこれ以上変な事言わせんなっ!」  両手を振り回して美琴がジタバタと暴れる。その頬を赤くするのは怒りか、照れか、それとも羞恥か。 「……、女の子にそこまで言わせて、悪かった」  上条は窓の外を見る。  先ほどの位置から若干西に傾いた月は輝きをそのままに二人を照らす。上条は美琴を月から隠すように障子を閉めた。 「御坂。……いいんだな?」  上条の問いに美琴は小さく頷く。  上条はできるだけ優しく、美琴を横たわらせた。  美琴は上条を抱き寄せるように腕を伸ばし、今まで誰にも見せた事のない顔で微笑む。  それはとても幸せそうに。  とてもうれしそうに。  陽が昇る。  あるものには騒々しい夜明けの訪れと共に。  あるものには優しい眠りの終わりと共に。  そして等しく平等に、太陽はその恵みを与える。  御坂美琴の頬を、一条の穏やかな光が照らす。髪と浴衣は若干乱れていたがその寝顔は満ち足りて、上条当麻の腕の中で緩やかに微笑んでいるようだった。  上条は、腕の中にいる美琴をじっと見つめていた。――主に寝不足で血走った目と下まぶたにドス黒いくまを作って。 (だーっ! いざコトに至ろうとしたら相手が寝ちまった場合の対処法なんて上条さんの無駄知識の中にはありませんの事よ! 寝込みを襲いたくてもこんな純真な子羊みたいな寝顔されたら罪悪感が押し寄せてですね、馬鹿野郎俺は意味なく興奮してとうとう一睡もできなかったじゃねーか!)  上条の腕の中で美琴がもぞり、と動く。とっさに上条は腕を自分の背中に引っ込めて 「お、おはよう御坂。よく眠れたか?」 「うん……おはよ。……………………………………………………この意気地なし」 「ん? 今何か言ったか?」 「んーん、何にも」  体を引いて離れようとする上条に追いすがるかのように、美琴は上条に抱きつき顔を埋める。 「御坂? 眠いのはわかるけどもうそろそろ起きないと飯の時間が……」 「わかってるわよ。……あと五分だけ、このままでいさせて」  実際この後二五分も美琴は上条にべったりと寄り添い、食事の注文を取りに来た麻黄に『お楽しみ中でしたか。これは失礼しました』というコメントと共に扉を閉められて上条が男らしくない悲鳴を上げた。 『着替えるから部屋の外に出てて』と美琴に追い出され、上条は廊下にしゃがみ込んで人差し指でのの字を書く。 (店の人の誤解は解けないままだし人生の重要な場面で貴重な経験の機会を逃すし何と言うかもう……不幸だ) 「お待たせ。着替え終わったわよ……って、アンタ何してんの?」  美琴は、そのまま廊下を形作る安物のベニヤ板に埋もれてしまいそうなほどしおれた上条を見て 「何があったのか知らないけど元気出しなさいよ。ほら」  ダンゴムシのように丸まった上条の背中をバンバンと叩く。 「いや、ちっと世の中の不幸について思索にふけってたところだ……。ところで御坂、自分だけの現実はその後どうなってる? 昨日の今日で安定するわけないとは思うけど……」 「ああ、それなら」  美琴は上条の目の前で人差し指をピン、と立てる。その指先から青白い火花が飛び 「ご覧の通り、美琴さん完全復活! もう大丈夫」  片目をつぶってみせる。上条は小さくため息をついて 「そっか、よかったな。後は俺がふこ……」 「……かっ、可愛い彼女と旅行に来れたのにアンタは不幸だったの?」  美琴が『もしかして夕べの事を後悔してる?』と頬を膨らませる。  上条は、そんな美琴に手を伸ばし、 「……そうだな。案外俺は幸せだ」  夕べの続きはどこまでできるかなと考えながらその唇を奪った。  ――はずだった。 「……あれ?」  待てど暮らせど待ち望んだ感触が訪れないのを訝しんだ美琴が目を開けると、何やら表現しづらい体勢のまま膝から崩れ落ちていく上条がそこにいた。 「ちょ、ちょっとアンタ!」  支えようとする美琴の腕をすり抜け、上条は床に落ちるとそのまま前のめりに倒れていく。顔面が激しくベニヤ板と接吻しても目を覚ます気配がないあたり、上条の疲労はどうやらピークだったらしい。旦那さんずいぶん頑張ったんですねと呟きながらモップを担いだ麻黄が横を通り過ぎて行く。 「ねえちょっと! こんな良い雰囲気の時に寝ないでよ馬鹿! 起きて、起きてってば!! あーもう私が一番不幸だぁあああああああっ!」 完。 }}} #back(hr,left,text=Back)
*Two_of_us #asciiart(){{{  上条当麻と御坂美琴は、二人並んで冬の海を見つめていた。  冬と言っても今日は小春日和と表しても良いくらいの穏やかな日差しと時折髪を揺らす北風、そして寄せては返すさざ波の音が世界を満たしている。 「……で、何で俺とお前がこんなところにいるんだろうな?」 「……その質問はこれで一五回目なんだけど」  上条当麻と御坂美琴は、二人並んで冬の海を見つめていた。  互いの手を固く握りしめて。  ここは神奈川県の某海岸――手っ取り早く言えば上条が家族とあまり思い出したくない夏のひとときを過ごしたあの海に来ていた。  電車の窓から眺めた景色がどんどん見覚えのある風景に変わっていくのを知って、上条は『やっぱり行き先はあそこなのか。あそこは学園都市指定の流刑地(しまながし)なんかね』と内心でため息をつく。さっきまで自分の対面に腰掛けてあれやこれやと喋っていた美琴は、今は上条の肩に頭を乗せて気持ちよさそうに眠っている。 (降りる駅までもう少しあるし、寝かせといてやるか。俺が何でここにいるのかは起きてから聞けばいいしな)  いつもなら『重い』と言って振り落としたくなる茶色の髪も、今はその感触が心地良い。  他に見知った奴が周りにいないからという理由は脇に置いて、上条は黙って美琴の寝顔を見つめていた。  時間は冒頭に戻る。 「っつーか、一泊二日でこの大荷物は何なんだよ?」  美琴のトランクを引きずりながら、上条がぼやく。 「アンタはずいぶん荷物少ないのね」  上条の荷物が入ったスポーツバッグと自分の小物が入った鞄をぶら下げて、美琴が答える。  二人がこうして並ぶと、カップルと言うよりはお嬢様と使い走りに見えなくもない。  たった一つ二人の間柄を『違う』と言いきれるものがあるとするならば、それは二人が互いの手を握りしめている事だろう。 「……で、何で俺とお前がこんなところにいるんだろうな?」 「これで一六回目。……だから巻き込んじゃって悪かったわね、って言ってるでしょ」  上条の手を握りしめた小さな掌が美琴の感情を上条に伝えるが、上条は電撃使いではないので体内電気の流れから美琴の気持ちを読み取るなんて事はできない。 「事情は話したくなったら話してくれればいいさ。珍しく学園都市の外に出られたんだし、今日は楽しもうぜ。……ま、あの海の家じゃ娯楽なんてほとんどないけどな」  上条はボロっちい外観を持つ、一軒の宿屋を指差す。  その名は海の家『わだつみ』。  宿まで夏と同じだと、何か作為的なものを感じてしょうがない。 「おう、上条当麻さんと美琴さんのお二人様だな。予約は承ってるぜ。おい麻黄! お客さんを二階の角部屋へ案内しな!」  禿頭にねじりハチマキ、『大漁』のロゴと海の絵が描かれたランニングシャツ、そしてステテコ姿の五〇歳過ぎで腹が突き出たいかにも海の家の親父風な男が二人を出迎えた。 (うっわー、ステイルの奴こいつになってたのか……)  上条はこの夏に上条一家と世界を直撃した惨劇『御使堕し』を思い出す。  あの時はいろんな人がいろんな姿に変わっていたのでひどい目にあった。インデックスは母・詩菜に、青髪ピアスはインデックスに、ステイル=マグヌスは海の家の親父に、御坂妹は少年・麻黄に。そして従妹の乙姫は御坂美琴に。 「……あれ?」  上条は親父の言葉に何か引っかかるものを感じて、宿帳をのぞき込む。そこには 『上条当麻・美琴』  と二人の名前が記されていた。しかも美琴の方は名字がない。 「…………あのー、すいません」  上条は二人を部屋へと案内する少年・麻黄の背中に声をかける。 「はい?」 「あの、俺達の部屋って……」 「ああ、今日は夕方から団体さんが入るけど。大丈夫、ちゃんとうちで一番眺めの良い部屋を確保しましたから」  そこまでうちのサービスは悪くないですよ、と麻黄が愛想笑いに本心を滲ませる。 「いやそうじゃなくて。俺達の部屋って一つなんですか?」 「お客さん、夫婦で宿泊なのに部屋二つ必要とか言わないですよね?」 「「ふっ、夫婦?」」  上条の後ろについて歩いていた美琴共々、声を合わせて叫ぶ。 「あーお客さん達、結構若いところを見るともしかして新婚さんですか? たまにいるんですよね、土壇場になって『部屋別々にしてください』って言う方が。大丈夫ですよ。うちは見ての通りボロいけど、防音だけはしっかりしてますから」 「いっ、いや防音がどうとかじゃなくてですね」  見た目一六歳の男と一四歳の女の子をつかまえて新婚夫婦とか言わないで欲しい。  上条は何とか誤解を解こうと身振り手振りで意を表すが、この麻黄という少年には通じない。 「それにさっきも言ったじゃないですか。今日は団体さんが入るんで空き部屋がないんですよ」  麻黄の説明が、上条にはこんな風に聞こえた。  ――何もかもあきらめて、とっとと観念してください。 「いったい何がどうなってやがる」 「私が説明して欲しいくらいよ」  上条と美琴は畳の上に腰を下ろし、ああ疲れたと息を吐く。上条は卓の上に乗ったポットからお湯を急須に注ぎ、湯飲み二つに茶を入れた。そのうち一つをほれ、と美琴の方に押しやると 「今回の宿ってお前が用意したんじゃねーの?」 「違うわよ。私こう言うところに泊まるの初めてだし」  美琴はありがと、と言ってお茶を口にする。 「それもそうか。ここはどう考えてもお前のセンスの範疇じゃなさそうだしな」  この海の家が美琴の選択によるものならあまりにも愉快すぎる、と上条は考える。  何か違う話をしよう。 「お前って、海とか家族で来た事あんの?」 「小学校の頃は何回かね。さすがに中学に入ってからは家族と海に行くなんて言うのはちょっと」  お前それはこの夏家族と海に行った俺に対するイヤミかと言いたくなるがそれを口にするといろいろ藪蛇なので上条はその言葉をぐっと飲み込む。今ここでその話をすれば、電車の中で繰り広げられた『何故上条とインデックスが海に行ったのか』という糾弾が再熱しかねない。 「…………だりー」  上条は大の字になって畳の上に寝転がる。美琴はそんな上条をちらちらと横目で見ながら何かを言いかけては口ごもる。 「ん? 何か話でもあんのか? あるんだったらもっとこっちに寄れよ。つか何でそんな部屋の隅っこに陣取ってんだよ」  その一言で、美琴がさらに部屋の隅へと下がる。心なしか顔も赤い。 「あのな」 「なっ、何?」  上条は立ち上がり、美琴のそばへ歩み寄るとかがみ込んで美琴の顔をのぞき込む。 「意味わかんねーけど、今日は一日なるべくこうしてなきゃいけねーんだろ?」  そして美琴の手を取り、なるべく力を込めないように握る。 「…………………うん」  肯定の意志を伝えると、美琴はぼふんと上条の方に倒れ込んだ。『ふにゃー』という変な声も聞こえる。  何かと勝ち気ですぐにケンカを売ってくる美琴がこの状態なのはあまりにもらしくないし意味も理由もわからないが、これはこれでめずらしい。  どうせ宿代も飯代もタダなのだからと、上条は猫のように自分にすり寄る美琴の頭を撫でてやる事にした。 (は、離れなきゃいけないんだけど離れたくないというか……どうしよう)  御坂美琴はぼんやりとしていた。  確かに上条当麻のそばは居心地が良い。それを認めるのが癪に障ると思うくらいには。  この小旅行は美琴が仕組んだものではない。結果的に上条当麻が強制参加させられる羽目になっただけだ。  そして上条は今美琴のそばにいる。美琴が上条に頼んだからでもあるが、手を伸ばせば届く距離に美琴が望んだ陽だまりがある。  ――もうちょっとだけ素直になってみよう。  日ごろだって十分素直だと美琴は自分を評価しているが、外から見る分には気恥ずかしさが行き過ぎて攻撃的になっている事に、美琴は気づいていない。 「…………ふにゃー」  いつの間にか口癖になっていたその擬音にも、美琴は気づかない。  いつもの『御坂美琴』が今の姿を見れば恥ずかしくて即座に死ぬと思うくらい、美琴の思考は呆けきっていた。  それくらいこの上条当麻という陽だまりは、御坂美琴にとってとても居心地が良かった。  頭の上で上条の囁く声が聞こえる。 「御坂。あとで海行ってみないか。水は冷たいけど見てるだけなら良いだろ」 「…………うん」 「今日の晩飯は七時からだってさ。ここあんまりメニューないんだけどな」 「…………へぇ、そうなんだ」 「あー、後でトランプでもやっか? 俺持ってきてんだ。TVばっかりじゃつまんねーだろ?」 「…………アンタがしたい事で良いわよ」  こうしてこのままいられるのなら後は何でも良いなどと、らしくない考えが頭をもたげる。  耳に響く心臓の鼓動が何だかやかましい。でもこれって私のじゃないわね、とぼんやり思い、美琴は上条の腕の中から顔を上げる。  そこでは、上条が美琴の顔をまじまじとのぞき込んでいた。 (やべえ。御坂が何かバグってる)  上条が美琴の頭を撫で始めて五分が経過したが、美琴が起き上がる様子はない。いつもはこんな不届きな事をしようものなら美琴から電撃だの砂鉄の剣だのが飛んできそうなものだが、今日に限って何にもアクションがない。これはもうバグってるとしか思えないが美琴は御坂妹ではないのでバグると言うより何かが壊れたと表現するのが正しいのかも知れない。  電撃だの雷撃の槍だのなんてものはそばをかすめるだけで心臓に悪いのに実際に降ってこないとなると何となく居心地が悪くなるのは一体何なんだろうか、と上条は思う。よもや美琴によって自分の中で新しい趣味嗜好の境地が開発されてしまったのだろうか。  いやいやいや、と上条は頭を振る。この歳でそんな怪しげな趣味に染まりたくないし開発って何だよそれじゃまるで調教されてるみたいじゃん。  とりあえず美琴の正気(おいかり)を取り戻そう。 「御坂。あとで海行ってみないか。水は冷たいけど見てるだけなら良いだろ」 「…………うん」 「今日の晩飯は七時からだってさ。ここあんまりメニューないんだけどな」 「…………へぇ、そうなんだ」 「あ、後でトランプでもやるか? 俺持ってきてんだ。TVばっかじゃつまんねーだろ?」 「…………アンタがしたい事で良いわよ」  さして興味なさそうな返事しか帰ってこない。  いつもがいつものケンカ友達なのであまり気にした事はなかったが、御坂美琴はれっきとした一四歳の女の子だ。そのオンナノコとこれだけ密着しているのは一六歳の健康な男子高校生としていろいろと不味い。それなのに遊びに誘ったり注意を外に向けてみても、美琴は依然として上条から離れてくれない。しかも夕方に団体客が到着するまで、この海の家の客は自分たち二人きりしかいないのだ。 (どうしたらいいんだろう)  上条の心臓は早鐘のように鼓動を鳴らし、心の中では理性だの常識だのといった壁が古びたモルタルのようにボロボロと崩れ落ちていく。むしろバグってるのは美琴ではなく自分ではないかという疑念に駆られ、顔をお天道様に向けられずに頭が下がる。  そこで、顔を上げた美琴と目があった。  次の瞬間、上条は高速であさっての方向を向き美琴は部屋の対角線上の隅へとんでもない速度で移動した。美琴に至っては上条の目から見てもドップラー効果が出ていたかも知れない。 「いや、あの、えっと、だから、その」 「あの、あのね? わ、私は、その……」  二人は声を揃えて狼狽し、その掌はわたわたと空を切る。  純朴そうに見える少年・麻黄が見たら『いくら何でも初々しすぎるだろこの夫婦(おきゃく)』とでもツッコまれかねないこの状態を打破したのは上条だった。 「み、御坂? 今日は割と良い天気だし、今から海でも行かねーか?」 「あ、そ、そうね。海行こっか。空気も良さそうだし」  美琴は立ち上がり、部屋の出口に向かって歩き出すが何故か右手と右足が同時に出ている。ガシャンガシャンと音がしてもおかしくないような動きを見て上条が苦笑し、美琴の左手を取る。 「ほれ」  ここで変に意識してはよけい気まずくなると、美琴は上条に手を引かれるまま歩き出した。 「おー、冬の海ってのも………………………乙って言うより寂しいなオイ」 「こんな時期に来てる物好きなんて私達くらいでしょ」 「ここが日本海じゃなくて良かったな。向こうだったら俺達今頃大波かぶってんじゃねーの?」 「アンタはいつの時代のドラマを見てんのよ。日本海の全部が全部荒波押し寄せる岸壁ってワケじゃないわよ?」  時折頬を刺す海風が二人の火照りを覚ましていく。  軽口を叩き合えるほどに精神の再建を果たした上条と美琴は、誰もいない浜辺を散歩していた。サクサクと足元の砂を踏む音が会話のすき間を満たし、波の音が抑揚を与える。水平線の彼方には船影の一つも見あたらず、この世界に二人しかいないような錯覚に包まれていく。 「やっぱこの時期の海の水は冷たいのか?…………うっひゃあ!?」  上条はバッシュと靴下を脱ぎ、ジーパンの裾をまくってつま先を海水に浸す。現在の水温は摂氏二度。冷たいなんてものではない。 「ぐ、ぐあ……これはし、死ねる。すげー冷てえ。……しかし! 何のこれしき負けてたまるか! うおぉおおおおおおおっ!」  それでも上条は水から足を出さず、むしろ水際をバシャバシャと勢いよく走っていく。  美琴がそんな上条を微笑みながら見ていると 「ほれっ、御坂!」  上条が美琴に向かって両手で海水をすくい、ひっかけようとする。 「ちょ、ちょっと止めなさいよ! 冷たいじゃない!」  美琴は飛んでくる水しぶきを紙一重でかわす。 「それっ、冷てえだろっ。うりゃっ!」 「もー、止めなさいよね! …………えーい!」  美琴もブーツを脱ぎ素足になると両足を海に浸し、スカートの裾をつまんで上条に向かって海水を蹴り上げる。 「ちょ、ちょっと待て! 足は反則だろうが!」 「そんなルールはありませーん!」 「テメェ……やりやがったな!」 「そっちこそよくもやってくれたわね!」 「うおっ冷たッ!?」 「ぎゃーっ!? 冷たいじゃないのよこの馬鹿!」  二人は濡れるのもかまわずに、子供のように嬌声を上げて水のかけ合いに興じる。  上条は片手で交互に水をかき、 「こんのやろ……くらえウォータースプラッシュ!」  美琴は両足をバタバタさせて、 「それ何の技よ? だったらこっちも連続海水キック!」  しまいには波打ち際で取っ組み合いになる。お互いに海の中に突き落とされまいと必死にもがいて 「…………なあ御坂、何か冷たくね?」 「…………そう言えば結構冷たいかも」  ――冬の最中に頭のてっぺんからつま先まで海水まみれのお馬鹿さん二名、完成。 「……くしゅんっ!」 「大丈夫か?」 「大丈夫。……だと思う」  濡れた足のままブーツを履くのは嫌だとごねる美琴を背負って、上条は砂浜から『わだつみ』を目指して歩いていた。美琴のブーツは上条が指の先でつまんでぶら下げている。 「向こう着いたら先に風呂入れよ。たぶんもう使えると思うから」 「あれ? アンタも入るんじゃないの?」  海の家『わだつみ』に男湯・女湯という区別などない。風呂場は一つきりで、男が使っている時は男湯になり女が使っている時は女湯となるだけだ。 「――ということは、私がもたもたしてるとアンタが風邪引いちゃうかも知れない、と」 「あー、気にしなくて良いぞ。お前の方が先に風邪引きそうだし」 「うーん。……………………………一緒に入る?」 「ぶっ!? お、お前なぁ?」 「冗談よジョーダン。そんな事したら本当に殺すから」  ペチペチと美琴が上条の頭を叩く。 「期待した?」 「うっ…………し、しねーよそんなこと!」  上条は頭をブンブンと振って、美琴を背負い直す。  うっかりすると夏に神裂が風呂に入っている時、見張り役の上条が美琴(乙姫)によって風呂場に放り込まれたあの忌まわしい事件――いやちょっとは嬉しかったけどさ、が脳裏に蘇ってしまう。 「ともかく、団体さんも来るって言うし騒がしくなる前に入っちまえよ」 「うん、じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらう」  美琴が上条にぎゅっとしがみつく。濡れた布地越しに文章で表現してはいけない何かが上条の背中に押し付けられて (ばっ!? テメェ服が濡れてんだからちったあおとなしくしろよ! 俺もいちいち御坂に抱きつかれたくらいで動揺すんじゃねえ!)  人を背負っている時顔はほぼ正面にしか向かないよう人体の構造を作った神様だか万物の創造主に、上条当麻はこの時激しく感謝した。 「ふいー、冷えた体にお湯がしみるぜ」  昔の人は言いました。風呂は命の洗濯よ。  美琴と入れ替わりで脱衣場に飛び込むと、着ている物を全部脱いで上条は湯船にダイブした。ザッバーンと上条の体重&運動エネルギーの分だけお湯が溢れていくのを見て、慌てて蛇口をひねってお湯を足すあたり上条の小市民っぽさが出ているかも知れない。 「それにしても、今日のアイツはいったい何なんだろう? 思春期特有のナントカって奴か?」  頭の上に折りたたんだタオルを乗せて、上条は一人考える。  小旅行とはいえ、今日の美琴はいつもの美琴らしくなかった。  やかましく一人で喋っていたと思ったら『眠くなっちゃった。枕貸して』と言って隣に座るやいなや上条に寄りかかって眠り。  部屋に入れば隅っこで防壁を築いておとなしくなってみたり。  人に抱きついたと思ったらぺしゃんこになったり。  海では子供みたいにはしゃいでみたり。  いつもなら絶対いやがりそうなおんぶも平気で人の背中に乗っかってきたり。  何が本当で、どれが嘘の御坂美琴なのだろう。  美琴が学園都市で見せるあの顔が、美琴の持つほんの一面に過ぎないという事を上条は知らない。人は万華鏡のように、見る角度を変えるだけで姿を変えるという事に上条は気づかない。 「……電撃がこないだけマシか」  そこで上条は自分の右手を見る。  美琴からのリクエストはただ一つ、 『できるだけその右手で自分を掴んでいてくれ』。  これが今日の小旅行に連れてこられた理由なのだろうか。美琴が話したくなるまで待つと言ったが、答えを聞かされないままの上条の胸の中に何となくもやもやとしたものが積もっていく。  ――アイツにとって必要なのは俺の右腕だけなのか?  良いじゃんそれでどうせアイツは俺の事を嫌ってるんだしさと心の中で思いつつそんなのは嫌だと否定する自分に頭からお湯をかけ、上条はわっしゃわっしゃと塩まみれの頭を洗い始めた。 「……いくら海の家とはいえ夏とメニューが変わらないってのはどうなんだろうな」  今は冬なんだけど冬っぽいメニューはないのかよと海の家の親父を片目で睨みつつ、残る片目でラーメンと焼きそばとカレーしかないメインディッシュから上条は焼きそばを選ぶ。美琴も同じく焼きそばを選び、二人はテーブルを挟んで無言でもぐもぐと食べた。  何で冬の海まで来て晩飯が焼きそばなんだろう。 「あのさ……うまいか?」 「……うん」  食べてるものが同じだけに会話が続くわけもなく、沈黙が漂う食事が終わった。麻黄が食器を下げるのを見計らって、上条はTVをつける。 「ほー、学園都市で見るのとちっと番組が違うな」 「そりゃそうでしょ。地方局が入ってるもの」 「んでさ」 「なっ、何よ?」 「何でお前はそんな部屋の端っこにいるんだ? そんな遠距離からTV見なきゃならんほど視力矯正が必要なのか?」 「う、うっさいわね! あ、アンタはもうちょっと女の子と二人っきりって事に気を…………!」  そこで美琴が押し黙る。  あ、何かいつもの美琴に戻ったと上条は思いつつ 「………………………………………………二人、きり?」  今さら忘れかけていた事実に頭をゴガン! と殴られたような衝撃を受ける。  いやだってコイツはあの御坂美琴だし二人っきりって言ってもコイツは中学生だしそもそもコイツは俺の事嫌ってるんだし別に俺が意識したってでもコイツも言われてみりゃ女の子なんだよな。 「――――――――――、はっ!? いかんいかん」  上条はブンブンブンブン!! と激しく頭を振り 「御坂、トランプしようぜトランプ。何やる? 七並べか? ブラックジャックか? ポーカーやるか? ああでも金をかけるのはなしな」 「アンタも人をトランプに誘う割には明後日の方向向いてるじゃない。私こっちにいるんだけど?」  とある少年の平常心(つよがり)はガラガラと音を立てて崩れ去る。  ただトランプをするだけでは面白くない、せっかくだから何か賭けようという事になった。 「金じゃ面白くないしな。こうしないか? 負けた方が布団敷き&負け数が一越す事に肩もみ一〇回」 「乗った! やってやろうじゃない。大覇星祭に続いてケチョンケチョンにやっつけてやるから覚悟しなさい!」 「大覇星祭(だんたいせん)じゃ負けたがな、トランプ(こじんせん)でお前に負ける気はしないね! 今こそ見せてやる俺の実力! テメェは泣きながら俺の分まで布団を敷くがいい! ついでに肩もみで年上に敬意を払ってもらおうじゃねえか!」 「ふん、アンタなんて片手で吹っ飛ばしてやるわよ! せいぜい泣きべそかかないようにすることね!」  公平を期すために種目はポーカー、ジジ抜き、大富豪、スピード、七並べを各五セット勝負。計二五回勝負で勝ち数が上回った方が勝者となる。  一見上条が不利に見えるこの勝負、運や演算能力、記憶力が勝負を左右するゲームなら美琴が圧倒的に有利だが、単純勝負や駆け引きなら上条の方が上回る。よって条件はほぼイーブンだ。  ポーカーで上条はその引きの悪さで美琴にストレート負けを喫したが、ジジ抜きは美琴の手札を引こうとすると面白いくらいに美琴の表情が変わるので、上条は笑いを噛み殺しながら上がりを宣言する。もっとも最後の勝負で美琴が目をつぶってカードを差し出すという戦法を採ったため、上条のストレート勝ちとはならず土がついた。続く大富豪では上条の不幸が炸裂して美琴の四勝一敗、スピードでは上条の反射神経がわずかに美琴の手数を上回り上条のストレート勝ち。  両者の勝ち星は互いに九個。勝負は最後の七並べにもつれ込む。  カードをファローシャッフルしながら上条が 「お前結構やるじゃねえか」  と不敵に笑えば、カードを受け取りながら美琴がニヤッと笑い 「アンタこそ、不幸体質でなかったら良い線行ってたわよあの勝負」  互いの健闘を称え合う。七並べは通常四人くらいの人数で遊ぶのが面白いが、一対一の勝負となるとお互いの手札が読めるため、パスとカードを出す手順を戦略的に組み立てる腹の読み合いがゲームの行方を決める。  そして二勝二敗で迎えた最終戦。 「………………………………………………………………よし、勝った!」 「うがぁああああああああっ! あそこでパスして止めちまえば良かった。負けた……不幸だ」  勝者と敗者が明確に分かれ、敗者は地面ならぬ畳に這いつくばる。 「肩もみはさせられなかったけど、これで勝負は私の勝ちね」 「…………くっそう。んじゃ俺が布団敷くから、ちっとお前どいてて」 「あ、じゃあ私その間にもう一回お風呂入ってくる」 「へーへー、勝者は風呂につかってのんびりしてろ」  上条がひらひらと掌を振って美琴を部屋から追いだす。美琴は一度部屋の中を振り返って意味ありげな視線を向けると、何も言わずに風呂場へ向かった。 「…………どうしよう、今日の話。何て言って切り出せばいいかな」  湯船に肩まで浸かって、美琴は呟く。  今日二人がここに来た理由。  それは上条にも責任の一端があると言えばあるのだが、だからといって美琴は上条を糾弾する気にはなれないしするつもりもない。上条に関係がある事とはいえ、どこまで行ってもこれは自分の問題なのだ。  用意されたのは一泊二日という時間とこの宿。  提示されたのは『自分だけの現実』の再構築。  と言われても何をどうすればいいのか皆目見当がつかない。壁を作っていたブロックを全て壊して違うパターンで組み直してみても、必ず『上条当麻』の部分でで引っかかってしまいまた一から壁を組み直すようなものだ。 「レベル5って言っても大したことないなあ私。アイツはあらゆる意味においてイレギュラーだから、比較対象に入れても仕方がないんだけどさ」  不意に美琴の額にパチッ、と火花が飛ぶ。 「うわっ!? ……危ない危ない。こんなところで放電なんかしたらこの建物丸ごと吹っ飛んじゃうかも知れないわね。のぼせちゃうのも不味いし、とりあえず出ようっと」  美琴は湯船から上がると髪に巻いていたタオルを取り、体を軽く拭う。脱衣場でカゴからバスタオルを取り出すと丹念に体を拭き、下着を身につけ浴衣を着る。 「………………ど、どうしよう」  浴衣の帯を締め終えた美琴の顔が突然青くなる。 「アイツお布団敷くって言ってたからこれから部屋に戻るって事は後は寝るだけって事よね。ふ、二人っきりで今の状態で寝るのは……うう、どうしよう」  脱衣場の棚にもたれかかり、美琴の顔がすごい勢いで百面相を始める。 「あの馬鹿と一つ部屋に二人っきりってのはものすごく危険だけど、アイツが隣にいてくれないとそれはそれで危険かも知れないし。そ、そばにいて欲しいと言うかいて欲しくないと言うか。でもアイツともしも万が一なんてことがあったら……」  ああどうしようと美琴の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返す。  最終的に美琴の全ては、上条自身の与り知らぬところで上条が握っている。  つまるところ、出たとこ勝負で行くしかない。  美琴がそう決意した時にはすっかり湯冷めして、美琴は小さくくしゃみした。 「さて、布団敷くのは良いけどどうすっかな」  上条は物置から二組の布団を取り出し、並べて敷く。 「……いやこれはちっと近すぎだろ」  そこから布団の間を二mほど広げる。 「……、もうちょっと間を開けた方が良いよな、うん」  上条は布団の感覚を三mに広げて 「うがぁもう面倒臭え! こうなったら端と端! これでよし!」  一〇畳の部屋の端と端に一組ずつ布団を引っ張った。上条は戸口に近い方の布団にどっかと座り込み、窓側と戸口側どっちが寒いだろうと真剣に悩む。窓のそばに立ってみても、入り口付近に座り込んでみても、どっちも同じくらい寒いような気がする。そもそも寝間着として着てるのが浴衣なので寒いとかへったくれ以前にもう少し厚着した方が良いんじゃねえのかなどと考えてみるが良い知恵は浮かばない。あれそう言えば夕方に到着するって言ってた団体さんの姿や声がないなどうしたんだろうと首をひねっていると、風呂から上がった美琴が戻ってきた。 「お帰り。布団敷いたぞ。お前窓側な」 「たっ、ただいま。ありがと……くしゅんっ!」 「あれ? お前風呂入ってきたのにまだ寒いのか? 時間があるならもう一回行ってくれば……」 「う、ううん! いいの。十分暖まってきたから」  そうか? と怪訝そうな表情の上条が美琴の毛先を軽くつまんで 「髪がやけに冷たいけど、お前湯冷めしたんじゃねえのか?」 「ちょ、ちょっと! 何勝手に許可も取らずに人の髪に触ってんのよ!」  自分が何の気なしに美琴の髪に触れていた事に気づく。 「あ、ああいやその、悪りぃ。……ところで御坂、夕方に到着するって言ってた団体さん見かけたか?」 「あれ? そう言えば……、見てないわね」 「うーん、そっか。じゃあ俺ちっと聞いてくるよ」  何を? と尋ねる美琴に 「いやほら、団体さんが来てないんだったら部屋を一つ融通してもらえないかって。俺達何か誤解されてるしさ、誤解を解くついでに頼んでこようかと」  スリッパを履いて部屋の外へ出ようとする上条の腕を、美琴が掴んで引き留める。 「御坂?」 「あの、さ。私が今日アンタに頼んだ事、覚えてる?」 「……、『できるだけ右手で御坂を掴んでいる事』だろ? 覚えてるけどそれが」 「馬鹿。別の部屋になったらそれできないじゃない」 「だけど俺達変な誤解されたままだしそれにお前とは知らない仲じゃないけどそれでも一つの部屋で寝泊まりってのは」 「べ、別に良いわよ誤解されたって。どうせこの店の人たちだけだしアンタさえ変な事しなけりゃ何も起きないんだから」 「………………何かあっても知らねえぞ」  上条は美琴に聞こえるようにぼそっと呟くと、美琴の手を振り払って布団の上にドカッと座り込んだ。  美琴は布団の上に座り込み、障子を開けると上条に背を向けて窓の外に浮かぶ月を眺めていた。  空気の澄んだ冬の空に満月は冴え冴えと光り、その輝きは地上と海に余すところなく降り注ぐ。 「御坂、寝ないのか? 風邪引くぞ?」 「アンタもこっち来る? 月がすごく綺麗……」  月なんていくらでも眺められるだろうと思ったが、美琴に見えない手を引かれるように上条は窓際に近づき美琴の隣に席を占める。  上条が隣に座ったのを確認すると、美琴はコツン、と自分の頭を上条の肩に乗せた。 「御坂? やっぱ眠くなったんじゃねえか? 夜更かししないでもう寝ろ……」 「……今日の、事なんだけどさ」  上条の言葉を遮るように、美琴が途切れ途切れに口を開く。上条は黙って先を促した。 「ごめん。アンタ巻き込んじゃって」 「それは午前中にも聞いたな。巻き込んだって何がだ?」 「私の、能力の事なんだけどね。……、ちょっと最近制御がうまくいってないと言うか、特定条件下で軽い暴走を起こすのよ」  特定条件下というのが誰のそばで、何を思ってなのかを美琴は伏せる。 「で、それで機械をうっかりいくつか壊しちゃってね。新しいカリキュラムを組んでもらう間に外へ出てなさいって事でここに来たってワケ。アンタはそのとばっちりを受けたのよ。私自身で暴走をうまく止められないからアンタの右手の出番というか、まあお目付役として来てもらったの。ここにいる間に私が自分だけの現実の再構築ができればそれで良し、ダメならカリキュラムでもう一度鍛え直し。すぐに元に戻ると思うんだけどさ」 「……そっか」  上条は美琴の言葉に深く頷いた。 「俺何でここにいるのかわかんなかったけど。たぶん俺の右手に関係あるんじゃないかと思ったんだけど、当たったな」  上条は美琴に笑ってみせる。 「俺の右手は、ちゃんと誰かの役に立てる。おまけにこうやって旅行もさせてもらえるなんて、案外幸運……」 「ご、誤解しないでよね」  美琴は上条の正面に回り、上条の胸に飛び込むように顔を埋めてその体を抱きしめる。 「私はアンタの右手に用があるんじゃない。アンタに用があるの。アンタが必要なの。アンタにいて欲しいの。……アンタのそばにいたいの。他の何を誤解されてもかまわないけど、それだけは誤解しないで」  美琴の表情は月を背にした逆光に遮られて上条からは読み取れない。けれど上条には今の美琴が泣いているような、何かを悲しんでいるような、そんな風に思えた。そんな風に見えた。  行き場のない上条の両腕が美琴の両脇で動き、布団の上に落ちる。  今の美琴に何を言ってやれば良いのだろう。  つらいのか?  苦しいのか?  悲しいのか?  自分だけの現実の再構築って、俺には手伝えないのか?  ――どれでもない。どれも違う。  上条の幻想殺しでさえ、美琴の憂いを払う事はできない。  上条は天を仰ぐ。  月は無言で二人を照らすが、何も語らない。こんなにもまぶしい光を放っているのに、美琴の心に落ちる影を消してはくれない。  上条は目を閉じ、今日一日を思い返す。電車の中での雑談。二人で見た海。びしょ濡れになるまで遊んだ浜辺。あまりおいしくなかった焼きそば。トランプ勝負。風呂上がりの美琴。  今日の出来事を心の中で並べ直し、上条は美琴を抱きしめる。  本当に必要な言葉は、何も考えずに口からこぼれ出た。 「好きだ」  上条の小さな声を、美琴は聞いた。美琴は驚きを隠せず、上条の腕の中からじっと見つめる。 「あーいや……あの、御坂? 今のはだな、えっと、その、何て言うか」 「もう一回言って。言い間違いだなんて言わせないわよ。……お願い、もう一度」  上条は観念したように目を閉じて 「御坂。………………好きだ」 「ちゃんと私の目を見て言って」  美琴が上条の胸を叩く。  口に出してしまった言葉は取り下げられない。上条は、自分のものとは思えないほど小さな声で 「御坂。好きだ」  それだけを言うのが精一杯だった。 「……………だーもう俺に何度もこんな恥ずかしい事言わせんじゃねえよ!」  美琴はもう一度上条の胸に顔を埋めて 「……アンタがそんな事言ってくれるなんて思わなかった。アンタは私の事なんか眼中にないって思ってたから、すごくうれしい」  今度は悲しそうではなかったので、上条はほっとすると同時に頭の上に疑問符を浮かべる。 「……うれしい? 何で? お前、俺の事嫌ってたんじゃないのか?」 「馬鹿な事言わないでよ。何で私がアンタを嫌うのよ」 「だってお前俺を見かけるとビリビリしてくるし、罰ゲームだって……」 「……好きでもない男の事なんか追いかけ回したりしないわよ。気にくわなければ電撃で焼いて、それでおしまい。そんな奴、顔を見る気もしないわね。罰ゲームだって、あれは、その……勝ったらアンタが何でも言う事を聞いてくれるって言うから……」  美琴が頬を赤く染めてうつむく。握りしめた拳はグーの形のまま上条の胸に添えられた。 「あの……それじゃ俺が勝った場合は?」 「その時はその時で、アンタが私に何を要求するか気になったわよ。『一日彼女になってくれ』とか『デートしてくれ』って言うんじゃないかと思って。……笑うなっ! どうせ都合の良い想像ってのはわかってんだから!」  美琴は再び上条の胸を叩く。  痛い痛いお願い止めてと上条は諸手を挙げて降参する。  そこで美琴がくしゅんっ! とくしゃみをした。 「……、もう遅いし今夜はそろそろ寝ようぜ。お前だって体が冷えて……?」  立ち上がろうとする上条の浴衣の裾を、美琴が引っ張って止める。 「御坂? 寒いなら押し入れからもう一枚掛け布団取ってくるけど?」 「そうじゃなくて。……アンタどこに行くつもり?」 「どこって、そりゃ俺は自分の布団に……」 「ふっ、布団ならここにあるじゃない」  美琴は浴衣の裾をくいくいと引っ張り、上条に座るよう促す。 「ここにある、ってこれお前の布団…………!?」  腰を落としながら、上条の顔が引きつっていく。  まさか。 「ど、どうせ私達夫婦と間違われてんだから一緒に寝たって問題ないでしょ? 防音も効いてるって言うし私はその……寒いし」 「御坂? お前忘れてんじゃないかと思うから一応言っとくぞ。上条さんは健康な男子コーコーセーであってですね?」 「わかってるわよそれくらい! ……わっ、私にこれ以上変な事言わせんなっ!」  両手を振り回して美琴がジタバタと暴れる。その頬を赤くするのは怒りか、照れか、それとも羞恥か。 「……、女の子にそこまで言わせて、悪かった」  上条は窓の外を見る。  先ほどの位置から若干西に傾いた月は輝きをそのままに二人を照らす。上条は美琴を月から隠すように障子を閉めた。 「御坂。……いいんだな?」  上条の問いに美琴は小さく頷く。  上条はできるだけ優しく、美琴を横たわらせた。  美琴は上条を抱き寄せるように腕を伸ばし、今まで誰にも見せた事のない顔で微笑む。  それはとても幸せそうに。  とてもうれしそうに。  陽が昇る。  あるものには騒々しい夜明けの訪れと共に。  あるものには優しい眠りの終わりと共に。  そして等しく平等に、太陽はその恵みを与える。  御坂美琴の頬を、一条の穏やかな光が照らす。髪と浴衣は若干乱れていたがその寝顔は満ち足りて、上条当麻の腕の中で緩やかに微笑んでいるようだった。  上条は、腕の中にいる美琴をじっと見つめていた。――主に寝不足で血走った目と下まぶたにドス黒いくまを作って。 (だーっ! いざコトに至ろうとしたら相手が寝ちまった場合の対処法なんて上条さんの無駄知識の中にはありませんの事よ! 寝込みを襲いたくてもこんな純真な子羊みたいな寝顔されたら罪悪感が押し寄せてですね、馬鹿野郎俺は意味なく興奮してとうとう一睡もできなかったじゃねーか!)  上条の腕の中で美琴がもぞり、と動く。とっさに上条は腕を自分の背中に引っ込めて 「お、おはよう御坂。よく眠れたか?」 「うん……おはよ。……………………………………………………この意気地なし」 「ん? 今何か言ったか?」 「んーん、何にも」  体を引いて離れようとする上条に追いすがるかのように、美琴は上条に抱きつき顔を埋める。 「御坂? 眠いのはわかるけどもうそろそろ起きないと飯の時間が……」 「わかってるわよ。……あと五分だけ、このままでいさせて」  実際この後二五分も美琴は上条にべったりと寄り添い、食事の注文を取りに来た麻黄に『お楽しみ中でしたか。これは失礼しました』というコメントと共に扉を閉められて上条が男らしくない悲鳴を上げた。 『着替えるから部屋の外に出てて』と美琴に追い出され、上条は廊下にしゃがみ込んで人差し指でのの字を書く。 (店の人の誤解は解けないままだし人生の重要な場面で貴重な経験の機会を逃すし何と言うかもう……不幸だ) 「お待たせ。着替え終わったわよ……って、アンタ何してんの?」  美琴は、そのまま廊下を形作る安物のベニヤ板に埋もれてしまいそうなほどしおれた上条を見て 「何があったのか知らないけど元気出しなさいよ。ほら」  ダンゴムシのように丸まった上条の背中をバンバンと叩く。 「いや、ちっと世の中の不幸について思索にふけってたところだ……。ところで御坂、自分だけの現実はその後どうなってる? 昨日の今日で安定するわけないとは思うけど……」 「ああ、それなら」  美琴は上条の目の前で人差し指をピン、と立てる。その指先から青白い火花が飛び 「ご覧の通り、美琴さん完全復活! もう大丈夫」  片目をつぶってみせる。上条は小さくため息をついて 「そっか、よかったな。後は俺がふこ……」 「……かっ、可愛い彼女と旅行に来れたのにアンタは不幸だったの?」  美琴が『もしかして夕べの事を後悔してる?』と頬を膨らませる。  上条は、そんな美琴に手を伸ばし、 「……そうだな。案外俺は幸せだ」  夕べの続きはどこまでできるかなと考えながらその唇を奪った。  ――はずだった。 「……あれ?」  待てど暮らせど待ち望んだ感触が訪れないのを訝しんだ美琴が目を開けると、何やら表現しづらい体勢のまま膝から崩れ落ちていく上条がそこにいた。 「ちょ、ちょっとアンタ!」  支えようとする美琴の腕をすり抜け、上条は床に落ちるとそのまま前のめりに倒れていく。顔面が激しくベニヤ板と接吻しても目を覚ます気配がないあたり、上条の疲労はどうやらピークだったらしい。旦那さんずいぶん頑張ったんですねと呟きながらモップを担いだ麻黄が横を通り過ぎて行く。 「ねえちょっと! こんな良い雰囲気の時に寝ないでよ馬鹿! 起きて、起きてってば!! あーもう私が一番不幸だぁあああああああっ!」 完。 }}} #back(hr,left,text=Back)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー