彼女が水着に着替えたら
一杯で二人分のドリンクも何とか消化した。
サンドイッチもソーセージの盛り合わせも最後は上条が一人で全部食べて、
「そんなにサンドイッチのマスタードって辛かったか? 俺とお前でそこまで味覚が違うとも思えねーんだけど」
「お願いだから今は何も言わないで……」
カフェテリアから出てパーカーをクロークに預けても、上条の左腕にしがみついたまま美琴は茹で上がったほうれん草のようにぐったりとしていた。茹で上がったと言えば美琴の顔は茹でだこか何かのように真っ赤になったままだ。赤くなってげんなりという美琴もなかなか珍しい。
「体調悪いんだったら帰るか?」
これ以上視覚と触覚による衝撃を被りたくない上条がそう尋ねると、上条の腕にしがみついたまま美琴はふるふると首を横に振った。
互いに理解不能の精神的ダメージを負ったまま、上条と美琴は腕を組んで滑り止めでコーティングされた通路をペタペタと歩く。
俺この施設ほとんど分かんねえんだけど次はどこ行きゃ良いんだろうなと周りをキョロキョロ見回して、上条はとあるプールのそばで奇妙な立て看板を見つけた。
「何だこりゃ?」
立て看板にはこの辺にATMでもあったっけ? と思いたくなるような一言が施設利用案内として書かれている。そして、立て看板はとあるプールのあちこちに立てられている。
立て看板にはこう書かれていた。
サンドイッチもソーセージの盛り合わせも最後は上条が一人で全部食べて、
「そんなにサンドイッチのマスタードって辛かったか? 俺とお前でそこまで味覚が違うとも思えねーんだけど」
「お願いだから今は何も言わないで……」
カフェテリアから出てパーカーをクロークに預けても、上条の左腕にしがみついたまま美琴は茹で上がったほうれん草のようにぐったりとしていた。茹で上がったと言えば美琴の顔は茹でだこか何かのように真っ赤になったままだ。赤くなってげんなりという美琴もなかなか珍しい。
「体調悪いんだったら帰るか?」
これ以上視覚と触覚による衝撃を被りたくない上条がそう尋ねると、上条の腕にしがみついたまま美琴はふるふると首を横に振った。
互いに理解不能の精神的ダメージを負ったまま、上条と美琴は腕を組んで滑り止めでコーティングされた通路をペタペタと歩く。
俺この施設ほとんど分かんねえんだけど次はどこ行きゃ良いんだろうなと周りをキョロキョロ見回して、上条はとあるプールのそばで奇妙な立て看板を見つけた。
「何だこりゃ?」
立て看板にはこの辺にATMでもあったっけ? と思いたくなるような一言が施設利用案内として書かれている。そして、立て看板はとあるプールのあちこちに立てられている。
立て看板にはこう書かれていた。
『ご利用は計画的に』
「……、はぁ?」
上条は目の前に広がるとあるプールを見つめ、その周囲で遊ぶ若者達の行動を目で追い掛ける。
プールには飛び込み台が設置されていた。水泳の高飛び込み競技でも使えそうな本格的な飛び込み台だ。
飛び込み台の高さはそれぞれ五メートルと一〇メートル。腕に自信のある水泳部出身らしい女の子が一〇メートルの高さから飛び込んでノースプラッシュを決めている。
プールの端っこでは水面に浮き輪を浮かべ、通路から助走をつけた少年が浮き輪の中心めがけて大ジャンプを繰り出したり、何事かを叫んでプールサイドを蹴って水中に突っ込むお客もいる。
ここは飛び込み専用プール。
文字通り『飛び込む事』だけを考えられて作られたプールだ。
他のプールは全面的に飛び込み禁止だが、このプールだけは飛び込む事を前提として作られた、ようはストレスを発散したり解消したりするためのプールだ。
プールを挟んで上条達の反対側では、手をつないで助走をつけて仲良く飛び込むカップルや、飛び込む直前で華麗なバク転を決めて入水する若者もいる。そして、誰一人泳いでいない。
ここは飛び込むためだけに作られたプールで水深は一五メートル。
飛び込んだまま潜水を楽しむのも良いが、潜るための用具や重りもつけない生身の体では、慣れた者でないとプールの底に手をつけるのは難しい。
つまり、『他の人間が飛び込んできて接触しても大事故になってもましてや溺れても当局は一切関知しませんので自己責任でお楽しみ下さい』というのが立て看板の趣旨なのだ。
ストレス発散用のプールで水の代わりにストレスを溜めてどうする。小さい事は気にするな。
たったの一行しかない利用案内からそんな意志が読み取れそうな、かなり投げやりなプールだった。いや、飛び込むのだから投げやりではない。むしろ投げっぱなし。
「御坂、気分転換にこれなんかどうだ? 心の中の鬱憤を大声で叫びながら飛び込めば、お前もちったあ元気出んじゃねーの?」
ほれあんな風に、と肘に当たる美琴の何とも言えない感触を意識の外に追いやって、上条はプールを指差す。
美琴がちらりと上条を見上げて、上条の顔の一点を見つめて視線がピタリと止まる。
「ん? 顔にパンくずでも付いてっか?」
上条は右手で口の辺りを払ってみるが、特にパンくず独特のぶつぶつした感触はない。
美琴はそれを見てグリン!! と視線をプールの方へ逸らし、上条と組んでいた腕を放した。
「やる気になったか? さあ思い切って飛び込んでこい!!」
上条が脳天気に応援すると、美琴はいっちにーさんしーとストレッチを始める。気合いが入っているあたり、よっぽど日常生活でストレス溜まってたんだなーと上条は思いつつ、美琴がストレッチを終えるまでは後ろを向いている事にした。
「……行くわよ」
後ろを向いたままの上条が振り向かなくても分かるほど大きく息を吸って、次の瞬間美琴が滑り止め加工された通路をどだだだだーっ!! というものすごい足音を立てて走り出した。
とてもではないが、かわいい水着を着たかわいい女の子の足音とは思えない。
彼女はよっぽど胸の内に何かを溜め込んでいたのだろう。
上条は背中越しに頑張れよーと声をかける。
上条の背後で徐々に小さくなっていく足音が消えて、美琴が飛び込んだ水音はいつまでも聞こえない。
「……? どうしたー?」
何も音が聞こえないので上条が不審に思って振り向くと、プールの縁ぎりぎりのところで美琴が動きを止めていた。
「何だ? 飛び込むのが怖くなったのか? 後ろから押してやろうか? いっそ蹴飛ばして」
「……アンタも一緒にやるの」
美琴はプールサイドから小走りに上条の元へ戻ってきた。胸元のリボンの辺りがちょっと揺れてたような気もするがたぶん気のせいだろうと上条はギュバ!! とあらぬ方向へ視線を逸らす。
「? 一緒にって? ……ああ、なるほど」
向こう岸では相も変わらず先ほどのカップルが手をつないでプールに飛び込んでいる。
つか、アイツらこれで何回目だ。それは何かの宗教か?
まあ手をつないでやるくらいなら良いかと思って上条が美琴に手を差し出すと、
「ううん、アンタが私をおんぶして」
「何でだよ! それは本当にストレス発散に必要なのか? 俺にいらねえストレス溜めてどうすんだよ!?」
上条は理不尽さのあまり絶叫する。
美琴は何一つ悪びれることなくしれっとした顔で、
「いいじゃない、私達恋人同士なんだからそれくらいしたって。いっそお姫様抱っこで飛び込んでみる?」
「それくらいもこれくらいもあるか! お前自分が今どんなカッコしてっか分かって言ってんだろうな?」
「ここはプールで、私もアンタも水着よね? 何かおかしいところでもあるのかしらー?」
上条を見て意地悪く笑う。
上条は元気になったらなったで性質悪いよなコイツと思いながら、
「……まあ、たまにはいいか……」
あくまでもこれは美琴が言い出したことであって俺の願望じゃありませんよとポーズをつけて、
上条は美琴の目の前で背中を向けて両手を後ろに差し出しその場にしゃがみ込む。
美琴は上条の背中に乗ると上条の肩越しに手を伸ばしプールを指差して、
「行けっ! 走れっ! 上条当麻号!!」
「だあーっ! 俺は彼氏でも下僕でもなく馬にランクダウンかよ!?」
飛び込み専用プールはストレス発散のためのプールだ。ストレスを溜めてどうする。
上条は美琴を背負いその場でぐっと立ち上がる。背中に何か当たってるけどこの際無視だ無視と歯を食いしばって、上条はプールめがけて走り出した。
走って、加速をつけて走って、上条は通路を蹴り飛ばし、高く跳躍して叫ぶ。
飛び込み専用プールはストレス発散のためのプールだ。
美琴から受ける逆セクハラっぽいストレスを吹き飛ばすべく、腹の底に思い切り力を込めて
「ふこ――――――――――――――――――――――――……?」
上条が最後まで叫びきる前に、耳元で美琴が何かをささやいた。
何をささやいたのかは、二人が着水する衝撃とザッブーン!! という水音で完全に聞き取れなかった。
上条は目の前に広がるとあるプールを見つめ、その周囲で遊ぶ若者達の行動を目で追い掛ける。
プールには飛び込み台が設置されていた。水泳の高飛び込み競技でも使えそうな本格的な飛び込み台だ。
飛び込み台の高さはそれぞれ五メートルと一〇メートル。腕に自信のある水泳部出身らしい女の子が一〇メートルの高さから飛び込んでノースプラッシュを決めている。
プールの端っこでは水面に浮き輪を浮かべ、通路から助走をつけた少年が浮き輪の中心めがけて大ジャンプを繰り出したり、何事かを叫んでプールサイドを蹴って水中に突っ込むお客もいる。
ここは飛び込み専用プール。
文字通り『飛び込む事』だけを考えられて作られたプールだ。
他のプールは全面的に飛び込み禁止だが、このプールだけは飛び込む事を前提として作られた、ようはストレスを発散したり解消したりするためのプールだ。
プールを挟んで上条達の反対側では、手をつないで助走をつけて仲良く飛び込むカップルや、飛び込む直前で華麗なバク転を決めて入水する若者もいる。そして、誰一人泳いでいない。
ここは飛び込むためだけに作られたプールで水深は一五メートル。
飛び込んだまま潜水を楽しむのも良いが、潜るための用具や重りもつけない生身の体では、慣れた者でないとプールの底に手をつけるのは難しい。
つまり、『他の人間が飛び込んできて接触しても大事故になってもましてや溺れても当局は一切関知しませんので自己責任でお楽しみ下さい』というのが立て看板の趣旨なのだ。
ストレス発散用のプールで水の代わりにストレスを溜めてどうする。小さい事は気にするな。
たったの一行しかない利用案内からそんな意志が読み取れそうな、かなり投げやりなプールだった。いや、飛び込むのだから投げやりではない。むしろ投げっぱなし。
「御坂、気分転換にこれなんかどうだ? 心の中の鬱憤を大声で叫びながら飛び込めば、お前もちったあ元気出んじゃねーの?」
ほれあんな風に、と肘に当たる美琴の何とも言えない感触を意識の外に追いやって、上条はプールを指差す。
美琴がちらりと上条を見上げて、上条の顔の一点を見つめて視線がピタリと止まる。
「ん? 顔にパンくずでも付いてっか?」
上条は右手で口の辺りを払ってみるが、特にパンくず独特のぶつぶつした感触はない。
美琴はそれを見てグリン!! と視線をプールの方へ逸らし、上条と組んでいた腕を放した。
「やる気になったか? さあ思い切って飛び込んでこい!!」
上条が脳天気に応援すると、美琴はいっちにーさんしーとストレッチを始める。気合いが入っているあたり、よっぽど日常生活でストレス溜まってたんだなーと上条は思いつつ、美琴がストレッチを終えるまでは後ろを向いている事にした。
「……行くわよ」
後ろを向いたままの上条が振り向かなくても分かるほど大きく息を吸って、次の瞬間美琴が滑り止め加工された通路をどだだだだーっ!! というものすごい足音を立てて走り出した。
とてもではないが、かわいい水着を着たかわいい女の子の足音とは思えない。
彼女はよっぽど胸の内に何かを溜め込んでいたのだろう。
上条は背中越しに頑張れよーと声をかける。
上条の背後で徐々に小さくなっていく足音が消えて、美琴が飛び込んだ水音はいつまでも聞こえない。
「……? どうしたー?」
何も音が聞こえないので上条が不審に思って振り向くと、プールの縁ぎりぎりのところで美琴が動きを止めていた。
「何だ? 飛び込むのが怖くなったのか? 後ろから押してやろうか? いっそ蹴飛ばして」
「……アンタも一緒にやるの」
美琴はプールサイドから小走りに上条の元へ戻ってきた。胸元のリボンの辺りがちょっと揺れてたような気もするがたぶん気のせいだろうと上条はギュバ!! とあらぬ方向へ視線を逸らす。
「? 一緒にって? ……ああ、なるほど」
向こう岸では相も変わらず先ほどのカップルが手をつないでプールに飛び込んでいる。
つか、アイツらこれで何回目だ。それは何かの宗教か?
まあ手をつないでやるくらいなら良いかと思って上条が美琴に手を差し出すと、
「ううん、アンタが私をおんぶして」
「何でだよ! それは本当にストレス発散に必要なのか? 俺にいらねえストレス溜めてどうすんだよ!?」
上条は理不尽さのあまり絶叫する。
美琴は何一つ悪びれることなくしれっとした顔で、
「いいじゃない、私達恋人同士なんだからそれくらいしたって。いっそお姫様抱っこで飛び込んでみる?」
「それくらいもこれくらいもあるか! お前自分が今どんなカッコしてっか分かって言ってんだろうな?」
「ここはプールで、私もアンタも水着よね? 何かおかしいところでもあるのかしらー?」
上条を見て意地悪く笑う。
上条は元気になったらなったで性質悪いよなコイツと思いながら、
「……まあ、たまにはいいか……」
あくまでもこれは美琴が言い出したことであって俺の願望じゃありませんよとポーズをつけて、
上条は美琴の目の前で背中を向けて両手を後ろに差し出しその場にしゃがみ込む。
美琴は上条の背中に乗ると上条の肩越しに手を伸ばしプールを指差して、
「行けっ! 走れっ! 上条当麻号!!」
「だあーっ! 俺は彼氏でも下僕でもなく馬にランクダウンかよ!?」
飛び込み専用プールはストレス発散のためのプールだ。ストレスを溜めてどうする。
上条は美琴を背負いその場でぐっと立ち上がる。背中に何か当たってるけどこの際無視だ無視と歯を食いしばって、上条はプールめがけて走り出した。
走って、加速をつけて走って、上条は通路を蹴り飛ばし、高く跳躍して叫ぶ。
飛び込み専用プールはストレス発散のためのプールだ。
美琴から受ける逆セクハラっぽいストレスを吹き飛ばすべく、腹の底に思い切り力を込めて
「ふこ――――――――――――――――――――――――……?」
上条が最後まで叫びきる前に、耳元で美琴が何かをささやいた。
何をささやいたのかは、二人が着水する衝撃とザッブーン!! という水音で完全に聞き取れなかった。
上条と美琴は造波プールで脚を投げ出して座っていた。
造波プールとは実際の海岸をイメージして作られた、手前は浅く、奥に向かって行くほど深くなるプールと言えば分かりやすいだろうか。
五〇メートル先に設置された大画面(エキシビジョン)では、どこか遠い南の島の海岸が映し出されていた。大画面の根元からは映像に合わせて最大一・二メートルに達する人工の大波がきゃあきゃあ騒ぐお客をさらうのだ。
上条や美琴のように遊び疲れた者達は浜辺にあたるプールの『裾』で寝っ転がったり体育座りしたりしながら寄せては返すさざ波に体を浸していた。
遠くの方では女の子二人組が柔軟体操に挑戦しているらしく『ほら見て見て初春、柔らかいでしょー? ここって傾斜がついてるから左右開脚とか前屈もしやすいんだよ』『ぶふへっ!? 佐天さんこんなところでそんな事しちゃダメです!!』と言ったかしましい声も風に乗って聞こえてくる。
上条と美琴は美琴が前、上条が後ろと縦に並んで、いわゆる恋人座りで大画面をぼんやりと眺めていた。美琴は上条の胸元に背中を預けて寄りかかり、上条は若干後ろへ体を引き気味に腰を下ろす。
飛び込み専用プールで何かを吹っ切ったらしい美琴に引きずり回されて、ジャグジープールでは泡にまみれてぶくぶく沈み、渓流プールでは足首までを水に浸して水の掛け合いで遊び、競泳プールでは一〇〇メートル三本勝負で上条の一勝二敗だった。
けだるい疲労感を肩に乗せ、二人はくつろぐ。
美琴は五〇メートル先に見える常夏の海に目を細めながら、
「海、行きたかったな……」
「海ねえ……お前が海に入ると片っ端から海水を電気分解とかしないの?」
「するかっ! ……いつかは一緒に行けると良いなぁ」
「潮水はべたべたするし、人は多いし、砂浜は貝殻だらけだし、飯はまずいし、行ってもいいとこなんかないと思うんだが」
美琴は上条の頭をぺしっとはたいて、
「雰囲気の欠片もない事を言うんじゃないわよ。……学園都市は便利だけどどこまで行っても人工物ばかりだし、どこかで知り合いに会うかも知れないから気が気じゃないのよね。『外』だったら、周りは知らない人ばかりでしょ? 二人っきりみたいなもんじゃない」
そしたら、と美琴は一拍置いて、
「海で泳いでさ、夜になったらこうして二人で砂浜に座って星空を眺めて、流れ星を探すの。学園都市じゃたくさんの星は見えないから」
「流れ星、か……」
それは実に少女趣味(ロマンチック)だと上条は心の中でぼやく。
「アンタも一緒に探すのよ? 二人で行くんだからね」
美琴は上条にぐっと寄りかかり体重を預けて、上条の両腕を引っ張ると自分の体の前に回させる。上条は咄嗟に腕をほどこうとするが、美琴が上条の両手首を握って離さない。
「こら、逃げるんじゃないの」
「逃げるなったって……」
上条は力ずくで美琴を振り払おうとしたが、そんなところでムキになるのは大人げなく思えてきたので、そっちはもう放っておく事にした。
「なあ御坂。お前、本当にこれで良いのかよ。俺はお前の彼氏だけど男で、こんなにベタベタくっついてて、その……ちっとは身の危険とか感じたりしないのか?」
美琴は一瞬動きを止め、握っていた上条の手首から自分の手を離すと
「きゃー、私こわーい。………………とでも言えば喜ぶのかアンタは」
視線を大画面に向けたまま告げる。
「……私はさ、アンタの事好きだからそばにいたいし、いつだって抱きしめていて欲しい。アンタは私の恋人。そうでしょ? だったらそれくらい考えたって当たり前じゃない」
女はそれで良いかもしれないが、そうはいかないのが男というものだ。
このお嬢様はそこら辺分かってんのかよと上条が心の中でぶつぶつ文句を唱えていると、
「……あのさ」
打って変わって言いにくそうに、美琴が切り出す。
「……何だ?」
「だから最後に、…………き、き……キスして」
「……、」
「……ここを出たら、夏の魔法が解けちゃうもん。ここを出たら私は夏服を着て、常盤台中学の生徒に逆戻り。アンタがずっと気にしている義務教育中の中学生に戻っちゃうから……だから最後に」
「……、最後って何だよ? 別に俺達がこれで終わりって訳じゃねえだろが」
え、と美琴が小さく漏らす声を打ち消すように、
「そんなに焦んなよ」
上条は美琴の肩越しに前を見て告げる。
「お前はさ、何か俺のことで勝手に一人で悩んで、俺の手を引っ張ってどんどん先に進もうとするけれど……何をそんなに急いで、何をそんなに焦って、何を悲劇のヒロインぶってんだよ? そんなに先を急いだら、俺もお前も二人でいることにいつか疲れちまうんじゃねえのか? とてもじゃないけどお前が言うような一生の片思いは続けられねえぞ? お前は俺を一生かかって振り向かせるんだろ? 俺達はいつかあの画面に映ってるみたいな海に行って、お前は俺と一緒に『外』に行くんだろ? だったらもっとのんびり行こうぜ。……つか、何で泣いてんだよ?」
美琴は何でもないわよと少しだけ鼻を啜って、
「……私は、アンタの言う通りガキで、わがままで、やきもち焼きで、ガサツだけど……アンタのこと、誰よりも好き。ううん、愛してる。これからもアンタのそばにいて良い?」
「それは俺に聞くことじゃねえよ。お前が自分で決めろ。俺はやりたい事をやっている時のお前が好きなんだから、お前のやりたいように選べよ」
美琴は黙ったまま上条の腕の中で一八〇度向きを変えた。
それが美琴の選択だった。
美琴はそのまま目を閉じて、少し血の気のない唇を差し出すように鼻の頭を斜め上に向ける。
上条は両手を美琴の頬に添えた。
掌から美琴の震えが伝わる。
上条は軽く息を吐いて呼吸を整えると、
造波プールとは実際の海岸をイメージして作られた、手前は浅く、奥に向かって行くほど深くなるプールと言えば分かりやすいだろうか。
五〇メートル先に設置された大画面(エキシビジョン)では、どこか遠い南の島の海岸が映し出されていた。大画面の根元からは映像に合わせて最大一・二メートルに達する人工の大波がきゃあきゃあ騒ぐお客をさらうのだ。
上条や美琴のように遊び疲れた者達は浜辺にあたるプールの『裾』で寝っ転がったり体育座りしたりしながら寄せては返すさざ波に体を浸していた。
遠くの方では女の子二人組が柔軟体操に挑戦しているらしく『ほら見て見て初春、柔らかいでしょー? ここって傾斜がついてるから左右開脚とか前屈もしやすいんだよ』『ぶふへっ!? 佐天さんこんなところでそんな事しちゃダメです!!』と言ったかしましい声も風に乗って聞こえてくる。
上条と美琴は美琴が前、上条が後ろと縦に並んで、いわゆる恋人座りで大画面をぼんやりと眺めていた。美琴は上条の胸元に背中を預けて寄りかかり、上条は若干後ろへ体を引き気味に腰を下ろす。
飛び込み専用プールで何かを吹っ切ったらしい美琴に引きずり回されて、ジャグジープールでは泡にまみれてぶくぶく沈み、渓流プールでは足首までを水に浸して水の掛け合いで遊び、競泳プールでは一〇〇メートル三本勝負で上条の一勝二敗だった。
けだるい疲労感を肩に乗せ、二人はくつろぐ。
美琴は五〇メートル先に見える常夏の海に目を細めながら、
「海、行きたかったな……」
「海ねえ……お前が海に入ると片っ端から海水を電気分解とかしないの?」
「するかっ! ……いつかは一緒に行けると良いなぁ」
「潮水はべたべたするし、人は多いし、砂浜は貝殻だらけだし、飯はまずいし、行ってもいいとこなんかないと思うんだが」
美琴は上条の頭をぺしっとはたいて、
「雰囲気の欠片もない事を言うんじゃないわよ。……学園都市は便利だけどどこまで行っても人工物ばかりだし、どこかで知り合いに会うかも知れないから気が気じゃないのよね。『外』だったら、周りは知らない人ばかりでしょ? 二人っきりみたいなもんじゃない」
そしたら、と美琴は一拍置いて、
「海で泳いでさ、夜になったらこうして二人で砂浜に座って星空を眺めて、流れ星を探すの。学園都市じゃたくさんの星は見えないから」
「流れ星、か……」
それは実に少女趣味(ロマンチック)だと上条は心の中でぼやく。
「アンタも一緒に探すのよ? 二人で行くんだからね」
美琴は上条にぐっと寄りかかり体重を預けて、上条の両腕を引っ張ると自分の体の前に回させる。上条は咄嗟に腕をほどこうとするが、美琴が上条の両手首を握って離さない。
「こら、逃げるんじゃないの」
「逃げるなったって……」
上条は力ずくで美琴を振り払おうとしたが、そんなところでムキになるのは大人げなく思えてきたので、そっちはもう放っておく事にした。
「なあ御坂。お前、本当にこれで良いのかよ。俺はお前の彼氏だけど男で、こんなにベタベタくっついてて、その……ちっとは身の危険とか感じたりしないのか?」
美琴は一瞬動きを止め、握っていた上条の手首から自分の手を離すと
「きゃー、私こわーい。………………とでも言えば喜ぶのかアンタは」
視線を大画面に向けたまま告げる。
「……私はさ、アンタの事好きだからそばにいたいし、いつだって抱きしめていて欲しい。アンタは私の恋人。そうでしょ? だったらそれくらい考えたって当たり前じゃない」
女はそれで良いかもしれないが、そうはいかないのが男というものだ。
このお嬢様はそこら辺分かってんのかよと上条が心の中でぶつぶつ文句を唱えていると、
「……あのさ」
打って変わって言いにくそうに、美琴が切り出す。
「……何だ?」
「だから最後に、…………き、き……キスして」
「……、」
「……ここを出たら、夏の魔法が解けちゃうもん。ここを出たら私は夏服を着て、常盤台中学の生徒に逆戻り。アンタがずっと気にしている義務教育中の中学生に戻っちゃうから……だから最後に」
「……、最後って何だよ? 別に俺達がこれで終わりって訳じゃねえだろが」
え、と美琴が小さく漏らす声を打ち消すように、
「そんなに焦んなよ」
上条は美琴の肩越しに前を見て告げる。
「お前はさ、何か俺のことで勝手に一人で悩んで、俺の手を引っ張ってどんどん先に進もうとするけれど……何をそんなに急いで、何をそんなに焦って、何を悲劇のヒロインぶってんだよ? そんなに先を急いだら、俺もお前も二人でいることにいつか疲れちまうんじゃねえのか? とてもじゃないけどお前が言うような一生の片思いは続けられねえぞ? お前は俺を一生かかって振り向かせるんだろ? 俺達はいつかあの画面に映ってるみたいな海に行って、お前は俺と一緒に『外』に行くんだろ? だったらもっとのんびり行こうぜ。……つか、何で泣いてんだよ?」
美琴は何でもないわよと少しだけ鼻を啜って、
「……私は、アンタの言う通りガキで、わがままで、やきもち焼きで、ガサツだけど……アンタのこと、誰よりも好き。ううん、愛してる。これからもアンタのそばにいて良い?」
「それは俺に聞くことじゃねえよ。お前が自分で決めろ。俺はやりたい事をやっている時のお前が好きなんだから、お前のやりたいように選べよ」
美琴は黙ったまま上条の腕の中で一八〇度向きを変えた。
それが美琴の選択だった。
美琴はそのまま目を閉じて、少し血の気のない唇を差し出すように鼻の頭を斜め上に向ける。
上条は両手を美琴の頬に添えた。
掌から美琴の震えが伝わる。
上条は軽く息を吐いて呼吸を整えると、
美琴のおでこに自分の唇を軽く押し当てた。
上条は唇を離し余裕綽々の顔をビキビキ引きつらせながら、
「………………………………これだってキスだよな?」
「…………………………」
美琴からの言葉はない。
上条が美琴から手を離しても、美琴は視線を固定したままぴくりとも動かない。
「……………………………………清いお付き合いとしてこれはセーフだよな?」
繰り返し問いかけても言葉はない。
言葉の代わりに、青色リトマス試験紙を酸性溶液に漬けた時みたいに向かい合って正座した美琴の首から上が赤く染まる。
美琴の視線が落ちて、美琴の両手が上条の両肩に置かれる。赤くなった顔を世界の全てから隠すように、美琴の額が上条の右肩に押し当てられる。
ずるい、と熱を帯びた吐息混じりの呟きが聞こえた。
「ずるくねーよ。……ずるく、ねーよ」
本当は美琴の気持ちに応えたかった。
けれど、できなかった。
説明できないしこりのようなものが心に引っかかって最後の最後でどうしても踏み出せない。
上条は心の中で渦を巻き始めた戸惑いと共に、
気づいた。
「………………………………これだってキスだよな?」
「…………………………」
美琴からの言葉はない。
上条が美琴から手を離しても、美琴は視線を固定したままぴくりとも動かない。
「……………………………………清いお付き合いとしてこれはセーフだよな?」
繰り返し問いかけても言葉はない。
言葉の代わりに、青色リトマス試験紙を酸性溶液に漬けた時みたいに向かい合って正座した美琴の首から上が赤く染まる。
美琴の視線が落ちて、美琴の両手が上条の両肩に置かれる。赤くなった顔を世界の全てから隠すように、美琴の額が上条の右肩に押し当てられる。
ずるい、と熱を帯びた吐息混じりの呟きが聞こえた。
「ずるくねーよ。……ずるく、ねーよ」
本当は美琴の気持ちに応えたかった。
けれど、できなかった。
説明できないしこりのようなものが心に引っかかって最後の最後でどうしても踏み出せない。
上条は心の中で渦を巻き始めた戸惑いと共に、
気づいた。
「……、なあ御坂。向こうで長い黒髪の女の子と頭に花をいっぱい乗っけた女の子がこっちを見てっけど、あの子達ってお前の知り合いか?」
美琴は女の子二人の手を引っ張っていずこかへと立ち去った。
その場に取り残された上条はプールで遊ぶのもこれにてお開きと判断し、一人で滑り止めでコーティングされた通路をペタペタと歩き更衣室へ向かった。
美琴の友達ならちゃんと紹介してくれればいいのにと思ったが、二人を見た美琴は血相を変えていた。実は彼女達はここで出会うはずのない常盤台中学の後輩で、美琴は口止めしに言ったのかも知れないと上条は推測する。
そう言えば彼女たちの会話の中に『生でこちゅー』なる生ビールとデコレーションケーキの中間みたいな単語が混じってたが、あれはいったい何だったのだろう。
更衣室のロッカーから着替えを取り出しながら上条はそんな事をむにゃむにゃと考えつつ、持ってきたタオルでツンツン頭をゴシゴシと拭いて、髪を適当に乾かした。それから脱いだ水着を畳んでビニール袋に入れると持ってきたスポーツバッグに放り込み、Tシャツを頭からかぶる。
皮膚をこする合成繊維の感触と温度で、ようやく水から切り離されて人心地ついたような気がする。ウォーター・パークは水辺だから水着を着るのは当然だが、やはり服があるというのは安心感につながる。
そこで上条は唐突に美琴の水着姿を思い出し、ぶわっと顔が赤くなった。
あの水着は美琴によく似合っていた。見た瞬間彼女が中学生である事を忘れてしまった。
上条の頭の中からはあの姿が離れない。しばらくはいろいろな妄想や夜の蒸し暑さと合わせて眠れぬ夜を過ごす事になりそうだ。
上条は身支度を調えロッカーの扉を閉めてスポーツバッグを手に提げると、更衣室の外へ出た。受付カウンターでICバンドを返却し、チップに残った電子マネーを精算してもらうと、ロビーのそこかしこに置かれているいかにも高級品ですと書いてありそうな一人がけ用ソファに腰掛けて、体重を預ける。
その場に取り残された上条はプールで遊ぶのもこれにてお開きと判断し、一人で滑り止めでコーティングされた通路をペタペタと歩き更衣室へ向かった。
美琴の友達ならちゃんと紹介してくれればいいのにと思ったが、二人を見た美琴は血相を変えていた。実は彼女達はここで出会うはずのない常盤台中学の後輩で、美琴は口止めしに言ったのかも知れないと上条は推測する。
そう言えば彼女たちの会話の中に『生でこちゅー』なる生ビールとデコレーションケーキの中間みたいな単語が混じってたが、あれはいったい何だったのだろう。
更衣室のロッカーから着替えを取り出しながら上条はそんな事をむにゃむにゃと考えつつ、持ってきたタオルでツンツン頭をゴシゴシと拭いて、髪を適当に乾かした。それから脱いだ水着を畳んでビニール袋に入れると持ってきたスポーツバッグに放り込み、Tシャツを頭からかぶる。
皮膚をこする合成繊維の感触と温度で、ようやく水から切り離されて人心地ついたような気がする。ウォーター・パークは水辺だから水着を着るのは当然だが、やはり服があるというのは安心感につながる。
そこで上条は唐突に美琴の水着姿を思い出し、ぶわっと顔が赤くなった。
あの水着は美琴によく似合っていた。見た瞬間彼女が中学生である事を忘れてしまった。
上条の頭の中からはあの姿が離れない。しばらくはいろいろな妄想や夜の蒸し暑さと合わせて眠れぬ夜を過ごす事になりそうだ。
上条は身支度を調えロッカーの扉を閉めてスポーツバッグを手に提げると、更衣室の外へ出た。受付カウンターでICバンドを返却し、チップに残った電子マネーを精算してもらうと、ロビーのそこかしこに置かれているいかにも高級品ですと書いてありそうな一人がけ用ソファに腰掛けて、体重を預ける。
御坂美琴は読心能力者(サイコメトラー)ではない。
だから、美琴の買い物が終わった後佐天が『へっへっへ、こりゃ面白い事になってきましたよー』とデート当日の尾行を決意したり、あまつさえ佐天が友人の初春に話を持ちかけて『じゃあ、私は白井さんにデートを邪魔されないよう偽情報を流しておきますから!』とタッグを組んだことなど読み取れる訳もなかった。
「……はぁ……まさか佐天さんと初春さんが来てるなんて」
思いもよらなかった。
あの二人の行動力を甘く見ていたかも知れない。
しかも彼女達は割と長い時間、美琴達を尾行していたらしい。
美琴は口外して欲しくないあれやこれやを言い含めた後、二人をスイーツエリアまで送り届けた。あまりの迂闊さに脱力して上条と別れた地点に戻ってきたら、上条はいなくなっていた。
仕方がないので近くのクロークに頼んで上条のICバンドを追跡探信(サーチ)してもらったところ『どうやらお連れの方は更衣室に引っ込んだみたいですね』と濃い髭を蓄えたむさ苦しい係員から返事が戻ってきた。
このウォーター・パークに設置されているスピーカーは、音楽と一緒に『人の耳には入らない』特殊な音波を流している。それをお客が身に着けているICバンド内のチップにぶつけることで探索する、一種のソナーの役目も果たしているのだ。
だから、美琴の買い物が終わった後佐天が『へっへっへ、こりゃ面白い事になってきましたよー』とデート当日の尾行を決意したり、あまつさえ佐天が友人の初春に話を持ちかけて『じゃあ、私は白井さんにデートを邪魔されないよう偽情報を流しておきますから!』とタッグを組んだことなど読み取れる訳もなかった。
「……はぁ……まさか佐天さんと初春さんが来てるなんて」
思いもよらなかった。
あの二人の行動力を甘く見ていたかも知れない。
しかも彼女達は割と長い時間、美琴達を尾行していたらしい。
美琴は口外して欲しくないあれやこれやを言い含めた後、二人をスイーツエリアまで送り届けた。あまりの迂闊さに脱力して上条と別れた地点に戻ってきたら、上条はいなくなっていた。
仕方がないので近くのクロークに頼んで上条のICバンドを追跡探信(サーチ)してもらったところ『どうやらお連れの方は更衣室に引っ込んだみたいですね』と濃い髭を蓄えたむさ苦しい係員から返事が戻ってきた。
このウォーター・パークに設置されているスピーカーは、音楽と一緒に『人の耳には入らない』特殊な音波を流している。それをお客が身に着けているICバンド内のチップにぶつけることで探索する、一種のソナーの役目も果たしているのだ。
ここはホテルの一室だった。
美琴は佐天と初春をスイーツエリアまで送り届けた後、部屋に備え付けられたユニットバスを利用してシャワーを浴びていた。
シャワーの蛇口をひねって頭上からざぶざぶ降り続けていたお湯を止めると、両手を使って頭の後ろで髪をまとめてぎゅっと絞り、水分を落とした。あらかじめ濡れない場所に避難させておいた大きめのバスタオルを取って体に巻き付け、ユニットバスを出る。
美琴は佐天と初春をスイーツエリアまで送り届けた後、部屋に備え付けられたユニットバスを利用してシャワーを浴びていた。
シャワーの蛇口をひねって頭上からざぶざぶ降り続けていたお湯を止めると、両手を使って頭の後ろで髪をまとめてぎゅっと絞り、水分を落とした。あらかじめ濡れない場所に避難させておいた大きめのバスタオルを取って体に巻き付け、ユニットバスを出る。
スイーツエリアに足を踏み入れる直前、佐天は振り返って美琴に告げた。
『いやー、彼氏さんは御坂さんに冷たいって聞いてましたけど、そんなことないじゃないですか』
初春は告げた。
『ちょっとぶっきらぼうみたいですけど、ちゃんと御坂さんのことあれこれ気にかけててうらやましいです』
二人は声を揃えて、
『御坂さんって彼氏さんにメチャクチャ愛されてますよ。彼氏さん、御坂さんにメロメロじゃないですかー』
『そのメロメロってどう考えても死語じゃない? 現代でも通用すんの??』
あの二人はどこを見てるんだと美琴は思う。
上条は女性客とすれ違う度に、美琴の隣からその女性客のいる方へすいと体を入れ替えてしまうのだ。美琴はそんな上条の頭を今日一日で何度はたいたか数え切れない。
そう説明したところ佐天は美琴に『わかってないなぁ』と言いたげな顔をして、
『……御坂さんってホント女の子ですねー。そのすれ違った女性のお客さんだって、反対側に男の人を連れてませんでしたか?』
あたし、御坂さんの彼氏さんに同情しちゃいますと佐天が告げて、そうですよと初春が相槌を打つ。
これ以上はヒントあげませんから頑張ってくださいねー、と笑う二人と別れて、美琴はこの部屋に戻ってきた。
ヒント、と言われても美琴には納得できない。
(あの馬鹿、私よりちょっと……いやちょっとじゃないけどさ。スタイルのいい女の人が通りかかるとすぐそっちに行こうとすんだから。彼女の前で他の女に色目使ってんじゃないっつーの。他の人に私の水着姿を見せたくないとか、そう言う気の利いた台詞の一つもない訳?)
そこで何かが心に引っかかった。
引っかかったが、何が引っかかったのか良く分からない。
佐天達の言葉と何か関連するようだったが、恋愛経験の少ない美琴の中でうまく形を結ばない。
そんなことより少し急いだ方が良い。
美琴がこの部屋へ戻ってきてすでに三〇分近くが経過している。今頃上条は一階のロビーでイライラしながら美琴を待っているだろう。
心の中の引っかかりは首を横に振って追い払い、着替えを終えて備え付けのドライヤーで手早く髪を乾かし、常盤台中学指定ドラムバッグに手荷物を詰め込んで美琴は部屋を出た。
美琴としてはちょっと背伸びした水着で、少しだけ勇気を出して色仕掛け(らしきもの)に挑戦してみた。上条は喜んでくれたらしいのだが、美琴の予想と言うか希望とはおよそかけ離れた反応だった。
泣き落としも今ひとつで、隠し持っていた切り札の投入がことごとく外れた徒労感に美琴は肩を落とす。
おでこにキスは上条が自分からしてきたことなのでそれはそれで良いとしても、
(……何が足りないんだろうなぁ。母さんの言う通りもっと大胆に……いや、それは無理! さすがに無理!! ポーカーフェイスに口から出任せのハッタリだって結構精一杯なのに!!)
念のため確認するが、御坂美琴は読心能力者ではない。
当然、上条が何を思っていたかわかるはずもない。
上条が美琴を遠ざけようとする理由に心当たりはあるのだが、
上条の気持ちが掴めなくて何となくやりきれない。
美琴は小さくため息をついて、下りのエレベーターに乗り込んだ。
軽く頬を親指と人差し指でつまんで引っ張ると表情を強気な笑顔に戻す。
弱気になるのはまだ早い。
今日はまだ終わっていないのだから。
『いやー、彼氏さんは御坂さんに冷たいって聞いてましたけど、そんなことないじゃないですか』
初春は告げた。
『ちょっとぶっきらぼうみたいですけど、ちゃんと御坂さんのことあれこれ気にかけててうらやましいです』
二人は声を揃えて、
『御坂さんって彼氏さんにメチャクチャ愛されてますよ。彼氏さん、御坂さんにメロメロじゃないですかー』
『そのメロメロってどう考えても死語じゃない? 現代でも通用すんの??』
あの二人はどこを見てるんだと美琴は思う。
上条は女性客とすれ違う度に、美琴の隣からその女性客のいる方へすいと体を入れ替えてしまうのだ。美琴はそんな上条の頭を今日一日で何度はたいたか数え切れない。
そう説明したところ佐天は美琴に『わかってないなぁ』と言いたげな顔をして、
『……御坂さんってホント女の子ですねー。そのすれ違った女性のお客さんだって、反対側に男の人を連れてませんでしたか?』
あたし、御坂さんの彼氏さんに同情しちゃいますと佐天が告げて、そうですよと初春が相槌を打つ。
これ以上はヒントあげませんから頑張ってくださいねー、と笑う二人と別れて、美琴はこの部屋に戻ってきた。
ヒント、と言われても美琴には納得できない。
(あの馬鹿、私よりちょっと……いやちょっとじゃないけどさ。スタイルのいい女の人が通りかかるとすぐそっちに行こうとすんだから。彼女の前で他の女に色目使ってんじゃないっつーの。他の人に私の水着姿を見せたくないとか、そう言う気の利いた台詞の一つもない訳?)
そこで何かが心に引っかかった。
引っかかったが、何が引っかかったのか良く分からない。
佐天達の言葉と何か関連するようだったが、恋愛経験の少ない美琴の中でうまく形を結ばない。
そんなことより少し急いだ方が良い。
美琴がこの部屋へ戻ってきてすでに三〇分近くが経過している。今頃上条は一階のロビーでイライラしながら美琴を待っているだろう。
心の中の引っかかりは首を横に振って追い払い、着替えを終えて備え付けのドライヤーで手早く髪を乾かし、常盤台中学指定ドラムバッグに手荷物を詰め込んで美琴は部屋を出た。
美琴としてはちょっと背伸びした水着で、少しだけ勇気を出して色仕掛け(らしきもの)に挑戦してみた。上条は喜んでくれたらしいのだが、美琴の予想と言うか希望とはおよそかけ離れた反応だった。
泣き落としも今ひとつで、隠し持っていた切り札の投入がことごとく外れた徒労感に美琴は肩を落とす。
おでこにキスは上条が自分からしてきたことなのでそれはそれで良いとしても、
(……何が足りないんだろうなぁ。母さんの言う通りもっと大胆に……いや、それは無理! さすがに無理!! ポーカーフェイスに口から出任せのハッタリだって結構精一杯なのに!!)
念のため確認するが、御坂美琴は読心能力者ではない。
当然、上条が何を思っていたかわかるはずもない。
上条が美琴を遠ざけようとする理由に心当たりはあるのだが、
上条の気持ちが掴めなくて何となくやりきれない。
美琴は小さくため息をついて、下りのエレベーターに乗り込んだ。
軽く頬を親指と人差し指でつまんで引っ張ると表情を強気な笑顔に戻す。
弱気になるのはまだ早い。
今日はまだ終わっていないのだから。
「しっかし、それにしても……」
上条は、恋愛とはもっと気楽なものだと思っていた。
クラスの仲間に聞いても『昨日デートしたんだぜー』とか『彼女の部屋に行ってさー』などと言ったゆるい会話ばかりで、上条のように彼女からさんざんお説教や講釈を喰らい、あげくの果てに挑発されるという話は聞いた事がない。一体何が間違っているのだろうとひとしきり悩んで、上条は考えるのを止めた。
考えるのはあまり好きではない。それに、考えるなら美琴と一緒に考えるべきだ。
だんだん面倒になってきたので上条は心の中で適当に話をまとめる。
おーやっぱこういうところのソファって豪勢だなぁなどと背中を押し付けたり座ったままポンポン飛び跳ねながらふかふか加減を楽しんでいると、
「お待たせー」
上条が今腰を下ろしているソファの後方、受付カウンターからではなく上条の前方から美琴が現れた。
美琴は常盤台中学の夏服に着替えて、手には今朝と同じく常盤台中学指定のドラムバッグを提げている。濡れていた髪はサラサラに乾かされ、艶のある輝きを取り戻していた。
上条は美琴の不審な出現に首を傾げて、
「……あれ? お前とっくに着替え終わってたのか? だったら声かけてくれれば……」
「ううん、今終わったところだけ―――ど?」
美琴は上条の膝の上に勢いよく横向きに座って、自分の左手首に巻いたICバンドを上条に見せた。これがまだ美琴の手首に付いていると言う事は、美琴は受付カウンターを通っていないと言う事になる。
上条は美琴を膝の上に乗せたままジタバタ暴れて、
「ぶっ!? バカ、俺の膝の上に座るな!! 他にも空いてるソファはあるだろが!! とっとと降りろ!!」
よく見ると美琴のICバンドにはもう一つ見慣れないチップのようなものが取り付けられている。ICバンドにも男性用女性用って分かれているのかなと不思議に思って、
「あれ? お前のICバンドについてるそのもう一つのチップって、女性専用のステキ機能とかラッキーなおまけがついてくるとか、何か特別なものなのか?」
「ああ、これはね」
美琴はちらりとICバンドを見やると、
「ホテルのカードキーの代わりなのよ。カードキーと紐付けられていて、代わりにこっちでもドアが開けられるの。便利でしょ?」
バンドの付いた手首を指差す。
「そりゃ便利そうだけど、それで何のドアを開けるんだ?」
「ホテルのカードキーなんだから、開けるのはホテルの部屋のドアに決まってんじゃない」
「……へ?」
美琴は何を言ってるんだこの馬鹿はと言いたげな表情で、
「だから、着替えんのにこのホテルの部屋を借りたのよ。日焼け止め塗ったり色々下準備するのに、更衣室じゃ全部はできないもん。上に部屋借りたから着替えに行こうってアンタに声かけようとしたら、アンタさっさと更衣室に行っちゃうんだもの。仕方ないから私一人で上で着替えてたのよ」
「……どうりで、お前がここの使い道に詳しいはずだ」
上条はソファの背もたれに両手を広げ、ロビーの高い天井に顔を向けて嘆息する。
ホテルに泊まってそのまま各種リゾート施設に繰り出す事は誰でも予想できるが、借りた部屋で『カップルが支度する』などと言う、やけに思わせぶりな台詞は実際に利用してみなければ思いつかない。
「……話が逸れたけど、俺の膝から降りろよ。そろそろ帰るんだからとっとと精算して来いって」
「んー、泳いで疲れちゃったからちょっと休憩?」
「だったら他のところに座れ。席ならいくらでも空いてんじゃねえか」
美琴は上条の言葉を聞き流しツンツン頭を一房つまむと、
「髪の毛ちゃんと乾いてないじゃない。拭いてあげるからじっとしてて」
上条の膝の上に乗ったまま、美琴は足下のドラムバッグに手を伸ばすと器用にファスナーを開けて中からタオルを一枚取りだし、上条の湿ってややつぶれ気味なツンツン頭をゴシゴシと拭き始める。
「うわっ、俺の膝の上でジタバタしたらお前の体がグラグラ揺れて俺も一緒にグラグラすんだろが! 拭いてくれるのはありがたいけど、だったら降りてからやってくれよ!!」
「あーはいはい、ちゃんと髪の毛拭けないから私の体に手を回して固定しててくれる?」
美琴は上条の膝の上から降りるつもりはないらしい。これって結局美琴がやりたがってた『彼氏の膝の上に横座り』じゃねーかと気がついて、
それだけじゃない。
上条の目の高さと同じ位置に、美琴のサマーセーターに刺繍された常盤台中学の校章がある。
それって、
それってつまり。
上条は、恋愛とはもっと気楽なものだと思っていた。
クラスの仲間に聞いても『昨日デートしたんだぜー』とか『彼女の部屋に行ってさー』などと言ったゆるい会話ばかりで、上条のように彼女からさんざんお説教や講釈を喰らい、あげくの果てに挑発されるという話は聞いた事がない。一体何が間違っているのだろうとひとしきり悩んで、上条は考えるのを止めた。
考えるのはあまり好きではない。それに、考えるなら美琴と一緒に考えるべきだ。
だんだん面倒になってきたので上条は心の中で適当に話をまとめる。
おーやっぱこういうところのソファって豪勢だなぁなどと背中を押し付けたり座ったままポンポン飛び跳ねながらふかふか加減を楽しんでいると、
「お待たせー」
上条が今腰を下ろしているソファの後方、受付カウンターからではなく上条の前方から美琴が現れた。
美琴は常盤台中学の夏服に着替えて、手には今朝と同じく常盤台中学指定のドラムバッグを提げている。濡れていた髪はサラサラに乾かされ、艶のある輝きを取り戻していた。
上条は美琴の不審な出現に首を傾げて、
「……あれ? お前とっくに着替え終わってたのか? だったら声かけてくれれば……」
「ううん、今終わったところだけ―――ど?」
美琴は上条の膝の上に勢いよく横向きに座って、自分の左手首に巻いたICバンドを上条に見せた。これがまだ美琴の手首に付いていると言う事は、美琴は受付カウンターを通っていないと言う事になる。
上条は美琴を膝の上に乗せたままジタバタ暴れて、
「ぶっ!? バカ、俺の膝の上に座るな!! 他にも空いてるソファはあるだろが!! とっとと降りろ!!」
よく見ると美琴のICバンドにはもう一つ見慣れないチップのようなものが取り付けられている。ICバンドにも男性用女性用って分かれているのかなと不思議に思って、
「あれ? お前のICバンドについてるそのもう一つのチップって、女性専用のステキ機能とかラッキーなおまけがついてくるとか、何か特別なものなのか?」
「ああ、これはね」
美琴はちらりとICバンドを見やると、
「ホテルのカードキーの代わりなのよ。カードキーと紐付けられていて、代わりにこっちでもドアが開けられるの。便利でしょ?」
バンドの付いた手首を指差す。
「そりゃ便利そうだけど、それで何のドアを開けるんだ?」
「ホテルのカードキーなんだから、開けるのはホテルの部屋のドアに決まってんじゃない」
「……へ?」
美琴は何を言ってるんだこの馬鹿はと言いたげな表情で、
「だから、着替えんのにこのホテルの部屋を借りたのよ。日焼け止め塗ったり色々下準備するのに、更衣室じゃ全部はできないもん。上に部屋借りたから着替えに行こうってアンタに声かけようとしたら、アンタさっさと更衣室に行っちゃうんだもの。仕方ないから私一人で上で着替えてたのよ」
「……どうりで、お前がここの使い道に詳しいはずだ」
上条はソファの背もたれに両手を広げ、ロビーの高い天井に顔を向けて嘆息する。
ホテルに泊まってそのまま各種リゾート施設に繰り出す事は誰でも予想できるが、借りた部屋で『カップルが支度する』などと言う、やけに思わせぶりな台詞は実際に利用してみなければ思いつかない。
「……話が逸れたけど、俺の膝から降りろよ。そろそろ帰るんだからとっとと精算して来いって」
「んー、泳いで疲れちゃったからちょっと休憩?」
「だったら他のところに座れ。席ならいくらでも空いてんじゃねえか」
美琴は上条の言葉を聞き流しツンツン頭を一房つまむと、
「髪の毛ちゃんと乾いてないじゃない。拭いてあげるからじっとしてて」
上条の膝の上に乗ったまま、美琴は足下のドラムバッグに手を伸ばすと器用にファスナーを開けて中からタオルを一枚取りだし、上条の湿ってややつぶれ気味なツンツン頭をゴシゴシと拭き始める。
「うわっ、俺の膝の上でジタバタしたらお前の体がグラグラ揺れて俺も一緒にグラグラすんだろが! 拭いてくれるのはありがたいけど、だったら降りてからやってくれよ!!」
「あーはいはい、ちゃんと髪の毛拭けないから私の体に手を回して固定しててくれる?」
美琴は上条の膝の上から降りるつもりはないらしい。これって結局美琴がやりたがってた『彼氏の膝の上に横座り』じゃねーかと気がついて、
それだけじゃない。
上条の目の高さと同じ位置に、美琴のサマーセーターに刺繍された常盤台中学の校章がある。
それって、
それってつまり。
女の子を膝の上に侍らせてその胸元に顔を埋めて喜んでるどっかのエロ親父と同じ姿に見えないか?
とたんに上条の背中から嫌な汗が噴き出し、だらだらと背筋を流れ落ちていく。
「み、御坂さん。可及的速やかにわたくしめの膝の上から降りていただけないでしょうか?」
「何で? 髪の毛乾ききってないからもうちょっとそのままね」
「決してあなた様が重いなどとは一言も申し上げませんが、できれば降りていただけないでしょうか?」
「いや」
「何でだよ! 人前でこんなこっ恥ずかしい真似させんの止めてくれよ!! 周りの人が見てるだろ!?」
「……それだったら気にしなくて良いわよ」
「……、何で」
美琴はそこまで言い切れるのか。
「だってここ、そう言うとこだもん。誰も他人の事なんか気にしないわよ。むしろ変に恥ずかしがったり照れてたりするとかえって浮くわよ?」
「え? ……ちょ……げ…………」
上条が辺りを見回すと美琴の言葉通り、誰もこっちを見ていない。
プールで遊んでいた時も、途中から美琴の方に神経を集中していたので気づかなかったが。
二人の周りはカップルだらけ。というよりいちゃついているカップルしかいない。
上条は思い出す。
『お気楽な大学生達の定番デートコースなのよ』
定番デートコースでは、カップル達の行動も定番通りだった。
すなわち、
「ここじゃ恥ずかしがってたら負け、他のカップルに見せつけてなんぼって訳。……はい、乾いたわよ」
美琴は上条の髪の毛に指を差し入れ乾き具合を確かめながら、
「だからアンタも私を膝の上に乗せたくらいでオタオタしないの。あっちなんかもっと大胆な事してるわよ? ……ほら」
美琴が指差すその先に上条が視線を向けると、
「―――――――――――――――――――――――――!」
もはやここには絶対書いてはならないほどいかがわしい行動を起こしているカップルの姿に
「み、御坂! 膝から降りろ! いや降りるな! つかお前もあんなの見ちゃいけません!」
穴があったら隠れたいがそんなものはないので、ひとまず美琴の体を遮蔽物代わりに自分の視界からヤバいものを遠ざけようとする上条。
カップルにあてられてもうダメだ今度こそ脳が冒されるとビクンビクン体を震わせた上条に抱きつかれ、あまつさえ胸の辺りに上条が頭を突っ込んでいるので笑って良いんだか泣いて良いんだか怒って良いんだか複雑な表情の美琴。
上条は今にも涙腺が崩壊しそうな顔で美琴の胸元から顔を上げると、
「……なあ御坂。俺を煽らないでくれよ。そりゃ俺はお前が思うような理想の彼氏とは違うかも知んねーけど、俺にだって一応考えってもんがあるんだからさ。俺達は節度あるお付き合いを心がけてんのに、彼女のお前が真っ向からそれに歯向かってこんなもん見せて、俺を煽ってどうすんだよ?」
美琴はキョトンとした顔で、
「……そんな事言ってんのアンタだけなんだけど?」
「……は?」
目を丸くする上条。
美琴はやれやれと言った表情で、
「私からすればアンタは一応年上、付き合うのに何の制限もないのよね。アンタが勝手にこっちに中学生中学生ってごちゃごちゃ変なもんを押しつけてんじゃない。アンタの配慮や気遣いには感謝してるけど、それって私が遠慮しなきゃいけない理由になるの?」
「なっ……ちょ、ばっ、お前、自分が何言ってるか分かってんのか? お前言ってる事メチャクチャだぞ!? 殊勝なことを言っていたお前はどこへ行った? 夏の魔法とか何とかは何だったんだよ??」
「……ああでも言わないと、二人でプールに来たのにアンタは素っ気ないままなんじゃないかなって。周りはカップルだらけなのに彼氏に放置されるなんて、あんまりでしょそんなの」
美琴は上条の膝に乗ったまま、上条の頭をやや強引に胸の前でかき抱く。
美琴がまだ義務教育中の身だからと考えて上条は一線を引いているが、美琴からすれば上条の臆病のツケを払わされているように思えるのかもしれない。
そこまで考えてから、上条は長く大きなため息をついて抵抗を止めた。
「……………………悪りぃ」
「何でアンタがそこで謝るのよ。アンタは別に悪い事してないでしょ? アンタから見れば私は中学生で、その辺りの話は前にもさんざんアンタから聞かされてんだしさ」
どうせ片思いが勝手にやってる事なんだからアンタは謝らなくて良いの、と呟く美琴。
もしかしたら、
美琴が上条の手を引っ張って先を急いでいるのではなく、
上条が美琴を待たせているのでもなく、
上条の考えだけが正しい訳でも、美琴だけが正しい訳でもない。
二人の行く道に明確な答えはまだ出せず、上条の心の中に残る正体不明のわだかまりも解決できない。
上条は胸の内にくすぶったもやもやを抱えたまま苦し紛れに、
「御坂。……言っとくけどこう言うのは今だけ、ここでだけだからな」
「私が素直に聞くと思う?」
美琴の茶色の瞳が上条を見下ろす。
説得はあきらめた。
きっと口先の言葉では美琴に勝てない。
上条は観念したように美琴を抱きしめる。
「まったく。人の気も知らずに好き勝手しやがって」
ここにいる間だけ使える、夏の魔法を言い訳にして。
「み、御坂さん。可及的速やかにわたくしめの膝の上から降りていただけないでしょうか?」
「何で? 髪の毛乾ききってないからもうちょっとそのままね」
「決してあなた様が重いなどとは一言も申し上げませんが、できれば降りていただけないでしょうか?」
「いや」
「何でだよ! 人前でこんなこっ恥ずかしい真似させんの止めてくれよ!! 周りの人が見てるだろ!?」
「……それだったら気にしなくて良いわよ」
「……、何で」
美琴はそこまで言い切れるのか。
「だってここ、そう言うとこだもん。誰も他人の事なんか気にしないわよ。むしろ変に恥ずかしがったり照れてたりするとかえって浮くわよ?」
「え? ……ちょ……げ…………」
上条が辺りを見回すと美琴の言葉通り、誰もこっちを見ていない。
プールで遊んでいた時も、途中から美琴の方に神経を集中していたので気づかなかったが。
二人の周りはカップルだらけ。というよりいちゃついているカップルしかいない。
上条は思い出す。
『お気楽な大学生達の定番デートコースなのよ』
定番デートコースでは、カップル達の行動も定番通りだった。
すなわち、
「ここじゃ恥ずかしがってたら負け、他のカップルに見せつけてなんぼって訳。……はい、乾いたわよ」
美琴は上条の髪の毛に指を差し入れ乾き具合を確かめながら、
「だからアンタも私を膝の上に乗せたくらいでオタオタしないの。あっちなんかもっと大胆な事してるわよ? ……ほら」
美琴が指差すその先に上条が視線を向けると、
「―――――――――――――――――――――――――!」
もはやここには絶対書いてはならないほどいかがわしい行動を起こしているカップルの姿に
「み、御坂! 膝から降りろ! いや降りるな! つかお前もあんなの見ちゃいけません!」
穴があったら隠れたいがそんなものはないので、ひとまず美琴の体を遮蔽物代わりに自分の視界からヤバいものを遠ざけようとする上条。
カップルにあてられてもうダメだ今度こそ脳が冒されるとビクンビクン体を震わせた上条に抱きつかれ、あまつさえ胸の辺りに上条が頭を突っ込んでいるので笑って良いんだか泣いて良いんだか怒って良いんだか複雑な表情の美琴。
上条は今にも涙腺が崩壊しそうな顔で美琴の胸元から顔を上げると、
「……なあ御坂。俺を煽らないでくれよ。そりゃ俺はお前が思うような理想の彼氏とは違うかも知んねーけど、俺にだって一応考えってもんがあるんだからさ。俺達は節度あるお付き合いを心がけてんのに、彼女のお前が真っ向からそれに歯向かってこんなもん見せて、俺を煽ってどうすんだよ?」
美琴はキョトンとした顔で、
「……そんな事言ってんのアンタだけなんだけど?」
「……は?」
目を丸くする上条。
美琴はやれやれと言った表情で、
「私からすればアンタは一応年上、付き合うのに何の制限もないのよね。アンタが勝手にこっちに中学生中学生ってごちゃごちゃ変なもんを押しつけてんじゃない。アンタの配慮や気遣いには感謝してるけど、それって私が遠慮しなきゃいけない理由になるの?」
「なっ……ちょ、ばっ、お前、自分が何言ってるか分かってんのか? お前言ってる事メチャクチャだぞ!? 殊勝なことを言っていたお前はどこへ行った? 夏の魔法とか何とかは何だったんだよ??」
「……ああでも言わないと、二人でプールに来たのにアンタは素っ気ないままなんじゃないかなって。周りはカップルだらけなのに彼氏に放置されるなんて、あんまりでしょそんなの」
美琴は上条の膝に乗ったまま、上条の頭をやや強引に胸の前でかき抱く。
美琴がまだ義務教育中の身だからと考えて上条は一線を引いているが、美琴からすれば上条の臆病のツケを払わされているように思えるのかもしれない。
そこまで考えてから、上条は長く大きなため息をついて抵抗を止めた。
「……………………悪りぃ」
「何でアンタがそこで謝るのよ。アンタは別に悪い事してないでしょ? アンタから見れば私は中学生で、その辺りの話は前にもさんざんアンタから聞かされてんだしさ」
どうせ片思いが勝手にやってる事なんだからアンタは謝らなくて良いの、と呟く美琴。
もしかしたら、
美琴が上条の手を引っ張って先を急いでいるのではなく、
上条が美琴を待たせているのでもなく、
上条の考えだけが正しい訳でも、美琴だけが正しい訳でもない。
二人の行く道に明確な答えはまだ出せず、上条の心の中に残る正体不明のわだかまりも解決できない。
上条は胸の内にくすぶったもやもやを抱えたまま苦し紛れに、
「御坂。……言っとくけどこう言うのは今だけ、ここでだけだからな」
「私が素直に聞くと思う?」
美琴の茶色の瞳が上条を見下ろす。
説得はあきらめた。
きっと口先の言葉では美琴に勝てない。
上条は観念したように美琴を抱きしめる。
「まったく。人の気も知らずに好き勝手しやがって」
ここにいる間だけ使える、夏の魔法を言い訳にして。