九月の狂想曲
九月一八日。
残暑の名残が夕暮れの空気に漂い、風はやや涼しく秋の気配を徐々に感じさせる。
大覇星祭を明日に控え、『彼氏』上条当麻は『彼女』御坂美琴と手をつないで放課後の通学路を歩いていた。
大覇星祭とは九月一九日から二五日の七日間にわたって学園都市で催される行事で、ようするに大規模な体育祭だ。大ざっぱに言えばこの街に存在する全ての学校が合同で体育祭を行うのだが、学園都市は超能力と科学の街だけに、学園都市の外で行われるそれとは少々――いや、多々趣が異なる。
応援の歓声も飛び交うが能力も飛び交う。それが大覇星祭だ。
棒倒しをすれば能力で地面の土を丸ごとすくい上げて土煙を起こし、玉入れをすれば玉の代わりに念力の砲弾や超電磁砲が飛んできてポール籠を薙ぎ倒すと言った事が競技参加者である学生の手によって平然と行われ、かつ認められる。
上条は心の中で自分の出場する競技の数を数えながら、
「いやー、それにしても今年はお前と同じ白組か。良かった良かった、これで白組の勝利は揺るがねえな」
「何言ってんのよ。私一人で全ての勝敗に決着がつくわけないでしょ。全員で頑張ってこその大覇星祭じゃない」
美琴は苦笑しつつ軽く首を横に振って上条の言葉を否定する。
上条と美琴はこの学園都市に暮らす学生で、言わば彼らは明日から行われる大覇星祭の参加者にして主役でもある。
この二人、一年前はそれぞれ白組と赤組に分かれて罰ゲームをかけた勝負を行い、不幸にも上条は美琴に敗北した。
しかし今年は同じ白組、しかも二人は恋人同士なので何かをかけて争う必要もない。
今日はお互いが出場する競技をチェックして、合同参加の競技があったら協力し合おうと作戦を練っていたのだ。
そうだ、と美琴は話を切り替えて、自分のカバンをごそごそと漁ると中から二本の白いハチマキを取り出す。
「アンタの分のハチマキ用意したんだ。明日からはこれを使ってくれる?」
そのうちの一本を『はい』と上条に差し出した。
「ハチマキ? 俺去年使ったのを取っといてあるぞ?」
上条は不承不承美琴からハチマキを受け取った。
見たところ購買部でも売っているような何の変哲もない白いハチマキだ。美琴が持っているのだから常盤台中学の売店で買ったものかも知れない。
上条はまさかこれって最高級の絹(シルク)とか使ってんじゃねえだろうな、と思いながら、
「……まあ、いいけどよ。……ってあれ?」
美琴から渡されたハチマキを広げてみる。
長い。
上条が持っている使い古しのハチマキより一〇センチほど丈が長い。
「へぇ。常盤台中学のハチマキってのは、そこらで市販されてるものより長いんだな」
「違うわよ。それ手作りだから」
美琴は事も無げに告げる。
上条は手の中のハチマキと美琴の顔を交互に見ながら、
「はぁ? お前いちいち布買ってきてこれ縫ったってーのか?」
「そう、アンタと私の二本分。だからちょっと長くしてあんのよ。他の人のと違いが分かるようにね」
常盤台中学の家庭科ではシャツのちょっとしたほつれを直す感覚で骨董品の命を吹き戻すらしいので、ハチマキを手で縫うくらいは朝飯前なのだろうけれども、
「……お前暇なの?」
あっけにとられて尋ねる上条(かれし)。
「彼女が彼氏に手縫いのハチマキを贈る験担ぎって、アンタの学校にはないの?」
質問を質問で返す美琴(かのじょ)。
それはごく一部の女の子の間でまかり通っているおまじないだった。
汗をかいた運動部員にマネージャーがタオルを差し出すように、女生徒が意中の相手に『これ、体育祭で使ってください』とお手製のハチマキを贈ったり、恋人同士がお互いのハチマキに黒マジックで『必勝』と書き込んだり、思い人から自分の使うハチマキにサインを入れてもらうというものだ。
科学が発達した学園都市で呪いというのもナンセンスだが、女という生き物は何にでも運命や不思議な力を感じる事ができるらしい。
常盤台中学に通う『お姉様』御坂美琴は、朝から休み時間の度にハチマキにサインをもらおうと美琴のクラスに押しかける女生徒達に引きつった笑顔で対応し、逆にハチマキのプレゼントは全力でこれを辞退していた。
そもそも常盤台中学の内部も赤組と白組に分かれるというのに、美琴のサインがどれだけの効果があるのかは美琴自身首をひねりたくなるくらい怪しい。
上条は不思議な物を見るような目で手元のハチマキを眺めつつ、
「……そんなしきたり、俺の学校じゃ聞いたことはねーな。彼女がいる奴ならそういうのはこっそりやってっかも知れねーけど」
「あとさ、名前を刺繍で入れてあるんだ。白地に白の糸で縫ってあるから目立たないけどね」
美琴はいたずらっ子がいたずらを仕込んでその成果を予想するようにくすりと微笑む。
上条はハチマキの裾に目をやると、そこには確かに白い糸で漢字四文字が刺繍されていた。
「へぇ。そりゃなかなか手が込んで……っておい。お前、渡すハチマキ間違ってんぞ? これ『御坂美琴』って入ってるじゃねーか。お前が持ってるそっちが俺の分じゃねえのか?」
美琴は何を言っているんだとあきれたような表情で、
「ううん。それで合ってるわよ?」
「何で俺がお前の名前が入ったハチマキを締めんだよ?」
上条には美琴の言葉が理解できない。
美琴は上条が持つハチマキを指差し、
「これで、アンタと私がお互いのハチマキを交換したことになるでしょ? お互い競技場が離れても一緒にいられるようにって。だから私が持ってるハチマキには『上条当麻』って刺繍してあるわよ?」
「あるわよ、じゃなくてだな……」
何と乙女チックな青春学園ドラマだ。一体どこのテレビで放映されてましたっけこんな話。
美琴はにっこり笑うと、
「それ締めて頑張ってね? どこにいてもアンタの事応援してるから。アンタも時間があったら私の応援に来んのよ?」
「はいはい、分かったよ」
「去年はアンタさんざんだったもんねー。今年は頑張ってカッコいいとこ見せてね、彼氏?」
変なプレッシャーがかかったような気がする。
売られたケンカは全て買い、勝負事には勝たねば気が済まない美琴の気質で白組が負けたりしたら一体どうなるのだろうかと思うと、上条は気が重い。
と、
「あ、そうだ。アンタの学ラン貸してくれない? 衣替え前だからまだ出してないでしょ?」
美琴が妙な事を言い出した。
上条は『学ラン?』と聞き返して、
「六月にクリーニングに出して、クリーニング屋から引き取ってきてそのままだからきれいだと思うけど、一体何に使うんだ? まさか背中にでっかい龍の刺繍でも入れる気じゃ……」
「は? 刺繍? 何の話??」
「……いや、何でもねえよ」
『こっちの話。気にすんな』と片手を振ってみせる。
背中に昇り龍の刺繍が入った学ランを着た少年が出てくる、痛快ラブストーリーアニメが最近の上条のお気に入りなのだが、美琴はこの話を全く知らないらしい。
「そういやお前の寮じゃテレビなんてものは見ないんだったな」
「アンタ、今そこはかとなく私を馬鹿にしてる?」
「してないしてない」
上条は片手をわたわたと振って美琴の疑念を否定しながら『これも一種の世代格差(ジェネレーションギャップ)』って奴かな、と心の中で密かにため息をつく。
そんな上条の切ない気持ちを置き去りに、泣いても笑っても明日から大覇星祭が始まる。
残暑の名残が夕暮れの空気に漂い、風はやや涼しく秋の気配を徐々に感じさせる。
大覇星祭を明日に控え、『彼氏』上条当麻は『彼女』御坂美琴と手をつないで放課後の通学路を歩いていた。
大覇星祭とは九月一九日から二五日の七日間にわたって学園都市で催される行事で、ようするに大規模な体育祭だ。大ざっぱに言えばこの街に存在する全ての学校が合同で体育祭を行うのだが、学園都市は超能力と科学の街だけに、学園都市の外で行われるそれとは少々――いや、多々趣が異なる。
応援の歓声も飛び交うが能力も飛び交う。それが大覇星祭だ。
棒倒しをすれば能力で地面の土を丸ごとすくい上げて土煙を起こし、玉入れをすれば玉の代わりに念力の砲弾や超電磁砲が飛んできてポール籠を薙ぎ倒すと言った事が競技参加者である学生の手によって平然と行われ、かつ認められる。
上条は心の中で自分の出場する競技の数を数えながら、
「いやー、それにしても今年はお前と同じ白組か。良かった良かった、これで白組の勝利は揺るがねえな」
「何言ってんのよ。私一人で全ての勝敗に決着がつくわけないでしょ。全員で頑張ってこその大覇星祭じゃない」
美琴は苦笑しつつ軽く首を横に振って上条の言葉を否定する。
上条と美琴はこの学園都市に暮らす学生で、言わば彼らは明日から行われる大覇星祭の参加者にして主役でもある。
この二人、一年前はそれぞれ白組と赤組に分かれて罰ゲームをかけた勝負を行い、不幸にも上条は美琴に敗北した。
しかし今年は同じ白組、しかも二人は恋人同士なので何かをかけて争う必要もない。
今日はお互いが出場する競技をチェックして、合同参加の競技があったら協力し合おうと作戦を練っていたのだ。
そうだ、と美琴は話を切り替えて、自分のカバンをごそごそと漁ると中から二本の白いハチマキを取り出す。
「アンタの分のハチマキ用意したんだ。明日からはこれを使ってくれる?」
そのうちの一本を『はい』と上条に差し出した。
「ハチマキ? 俺去年使ったのを取っといてあるぞ?」
上条は不承不承美琴からハチマキを受け取った。
見たところ購買部でも売っているような何の変哲もない白いハチマキだ。美琴が持っているのだから常盤台中学の売店で買ったものかも知れない。
上条はまさかこれって最高級の絹(シルク)とか使ってんじゃねえだろうな、と思いながら、
「……まあ、いいけどよ。……ってあれ?」
美琴から渡されたハチマキを広げてみる。
長い。
上条が持っている使い古しのハチマキより一〇センチほど丈が長い。
「へぇ。常盤台中学のハチマキってのは、そこらで市販されてるものより長いんだな」
「違うわよ。それ手作りだから」
美琴は事も無げに告げる。
上条は手の中のハチマキと美琴の顔を交互に見ながら、
「はぁ? お前いちいち布買ってきてこれ縫ったってーのか?」
「そう、アンタと私の二本分。だからちょっと長くしてあんのよ。他の人のと違いが分かるようにね」
常盤台中学の家庭科ではシャツのちょっとしたほつれを直す感覚で骨董品の命を吹き戻すらしいので、ハチマキを手で縫うくらいは朝飯前なのだろうけれども、
「……お前暇なの?」
あっけにとられて尋ねる上条(かれし)。
「彼女が彼氏に手縫いのハチマキを贈る験担ぎって、アンタの学校にはないの?」
質問を質問で返す美琴(かのじょ)。
それはごく一部の女の子の間でまかり通っているおまじないだった。
汗をかいた運動部員にマネージャーがタオルを差し出すように、女生徒が意中の相手に『これ、体育祭で使ってください』とお手製のハチマキを贈ったり、恋人同士がお互いのハチマキに黒マジックで『必勝』と書き込んだり、思い人から自分の使うハチマキにサインを入れてもらうというものだ。
科学が発達した学園都市で呪いというのもナンセンスだが、女という生き物は何にでも運命や不思議な力を感じる事ができるらしい。
常盤台中学に通う『お姉様』御坂美琴は、朝から休み時間の度にハチマキにサインをもらおうと美琴のクラスに押しかける女生徒達に引きつった笑顔で対応し、逆にハチマキのプレゼントは全力でこれを辞退していた。
そもそも常盤台中学の内部も赤組と白組に分かれるというのに、美琴のサインがどれだけの効果があるのかは美琴自身首をひねりたくなるくらい怪しい。
上条は不思議な物を見るような目で手元のハチマキを眺めつつ、
「……そんなしきたり、俺の学校じゃ聞いたことはねーな。彼女がいる奴ならそういうのはこっそりやってっかも知れねーけど」
「あとさ、名前を刺繍で入れてあるんだ。白地に白の糸で縫ってあるから目立たないけどね」
美琴はいたずらっ子がいたずらを仕込んでその成果を予想するようにくすりと微笑む。
上条はハチマキの裾に目をやると、そこには確かに白い糸で漢字四文字が刺繍されていた。
「へぇ。そりゃなかなか手が込んで……っておい。お前、渡すハチマキ間違ってんぞ? これ『御坂美琴』って入ってるじゃねーか。お前が持ってるそっちが俺の分じゃねえのか?」
美琴は何を言っているんだとあきれたような表情で、
「ううん。それで合ってるわよ?」
「何で俺がお前の名前が入ったハチマキを締めんだよ?」
上条には美琴の言葉が理解できない。
美琴は上条が持つハチマキを指差し、
「これで、アンタと私がお互いのハチマキを交換したことになるでしょ? お互い競技場が離れても一緒にいられるようにって。だから私が持ってるハチマキには『上条当麻』って刺繍してあるわよ?」
「あるわよ、じゃなくてだな……」
何と乙女チックな青春学園ドラマだ。一体どこのテレビで放映されてましたっけこんな話。
美琴はにっこり笑うと、
「それ締めて頑張ってね? どこにいてもアンタの事応援してるから。アンタも時間があったら私の応援に来んのよ?」
「はいはい、分かったよ」
「去年はアンタさんざんだったもんねー。今年は頑張ってカッコいいとこ見せてね、彼氏?」
変なプレッシャーがかかったような気がする。
売られたケンカは全て買い、勝負事には勝たねば気が済まない美琴の気質で白組が負けたりしたら一体どうなるのだろうかと思うと、上条は気が重い。
と、
「あ、そうだ。アンタの学ラン貸してくれない? 衣替え前だからまだ出してないでしょ?」
美琴が妙な事を言い出した。
上条は『学ラン?』と聞き返して、
「六月にクリーニングに出して、クリーニング屋から引き取ってきてそのままだからきれいだと思うけど、一体何に使うんだ? まさか背中にでっかい龍の刺繍でも入れる気じゃ……」
「は? 刺繍? 何の話??」
「……いや、何でもねえよ」
『こっちの話。気にすんな』と片手を振ってみせる。
背中に昇り龍の刺繍が入った学ランを着た少年が出てくる、痛快ラブストーリーアニメが最近の上条のお気に入りなのだが、美琴はこの話を全く知らないらしい。
「そういやお前の寮じゃテレビなんてものは見ないんだったな」
「アンタ、今そこはかとなく私を馬鹿にしてる?」
「してないしてない」
上条は片手をわたわたと振って美琴の疑念を否定しながら『これも一種の世代格差(ジェネレーションギャップ)』って奴かな、と心の中で密かにため息をつく。
そんな上条の切ない気持ちを置き去りに、泣いても笑っても明日から大覇星祭が始まる。
☆
明けて九月一九日、快晴(どピーカン)。
澄み渡った秋空の下を上条は何やら叫びながら全力疾走していた。
彼の声に耳を傾けると、
「わたくし上条当麻は運営委員の皆様に一言物申しあげたい! 何故借り物競走にこんな指定が入っているのか小一時間問い詰めさせろォおおおおおおおお!!」
上条は悲嘆に暮れながら頭に白のハチマキを締め、右手に紙切れを握りしめて人の溢れる大通りを走り抜ける。
紙切れの中にもう一度視線を落とし、指定された物品を確認した。
ただ今の種目は『借り物競走』。去年美琴が参加したのと同じ競技だ。
上条が引き当てた借り物競走の『物品』は、もはやギャグとしか言えないくらいに難易度が高すぎた。上条以外の他の誰かが引き当てたら即リタイアは間違いない。
借り物競走は観客を含む一千万人超の中から指定の物品を借り受け、ゴールまで走る競技だ。
ただし、学園都市で行われる大覇星祭の借り物競走は外部の学校で行われるものとは規模が大きく異なる。
走るコースは街の中で、しかも学区を三つもまたぐ。決まったコースは指定されておらず、マラソン並の長距離を走りながら借り物の物品を探し、ゴールまで走らなければならない。ここではいかに最短距離で走るかの頭脳プレイが要求される。そして競技範囲の広さに比例して、探す物品の難易度も高いことで有名だった。
さらにはこの『物品』の指定だ。物品は観客から借りても構わないが、
“指定された物品が第三者の所有物である場合、その人物に了承を取った上で、第三者と共に競技場へ向かうこと。”
と言う条件が定められている。
上条は足を止め、デパートの画面に取り付けられた大画面(エキシビジョン)を見上げる。別の競技場で行われているパン食い競争が中継で流されているのを確認し、近くにいた警備員(アンチスキル)に声をかけた。
「すみません。あのパン食い競争ってどこでやってるんでしたっけ?」
警備員とは学園都市では警察に相当する存在で、主に志願した教員を中心として構成される。元々国語や体育の教師なので学園都市内ではそれなりの私服を着て過ごしているのだが、今日の彼らは学園都市の住民や外部から来た観光客と見分けが付くよう、黒を基調とした正規装備に身を固めている。
ヘルメットがないのはせめてもの威嚇防止だろうが、麗しいお姉さんタイプならともかくゴツい野郎の警備員では、いっそヘルメットをかぶっていてくれた方が心の平穏につながる気がする。
それでも彼は上条の問いに答えるべく手にしたパンフレットをパラパラと広げ、鏡の前で毎日練習しましたと言わんばかりのさわやかさを無理矢理醸し出すよそ行きの笑顔で、
「パン食い競争だね? それなら第九競技場だね。ここから二キロほど先だ」
答えはとてつもなく汗臭かった。
にきろ……ッ!? と尋ねた上条がその場でへたり込み、絶句する。
スタート地点からここに来るまで五キロくらいは走った。その上あと二キロ追加で走って『物品』を調達しなければならないなんてあんまりだ。
上条に対し今回指定された『物品』の心当たりは、学園都市の総人口を基準に算出しても二三〇万分の二。そのうち一つはどこにあるか分からないので、二三〇万分の一の確率を引き当てなければならない。
外部から来たお客さんと学園都市の居住者は服装の流行(ファッションセンス)などで割と簡単に見分けが付くので、一千万人を相手にしなくてもいいだけマシかも知れないが、
ちくしょう、と叫んで上条は走った。
『これが不幸でなければ何なんだーっ!!』と叫びながら二キロ先の第九競技場を目指して走る。
澄み渡った秋空の下を上条は何やら叫びながら全力疾走していた。
彼の声に耳を傾けると、
「わたくし上条当麻は運営委員の皆様に一言物申しあげたい! 何故借り物競走にこんな指定が入っているのか小一時間問い詰めさせろォおおおおおおおお!!」
上条は悲嘆に暮れながら頭に白のハチマキを締め、右手に紙切れを握りしめて人の溢れる大通りを走り抜ける。
紙切れの中にもう一度視線を落とし、指定された物品を確認した。
ただ今の種目は『借り物競走』。去年美琴が参加したのと同じ競技だ。
上条が引き当てた借り物競走の『物品』は、もはやギャグとしか言えないくらいに難易度が高すぎた。上条以外の他の誰かが引き当てたら即リタイアは間違いない。
借り物競走は観客を含む一千万人超の中から指定の物品を借り受け、ゴールまで走る競技だ。
ただし、学園都市で行われる大覇星祭の借り物競走は外部の学校で行われるものとは規模が大きく異なる。
走るコースは街の中で、しかも学区を三つもまたぐ。決まったコースは指定されておらず、マラソン並の長距離を走りながら借り物の物品を探し、ゴールまで走らなければならない。ここではいかに最短距離で走るかの頭脳プレイが要求される。そして競技範囲の広さに比例して、探す物品の難易度も高いことで有名だった。
さらにはこの『物品』の指定だ。物品は観客から借りても構わないが、
“指定された物品が第三者の所有物である場合、その人物に了承を取った上で、第三者と共に競技場へ向かうこと。”
と言う条件が定められている。
上条は足を止め、デパートの画面に取り付けられた大画面(エキシビジョン)を見上げる。別の競技場で行われているパン食い競争が中継で流されているのを確認し、近くにいた警備員(アンチスキル)に声をかけた。
「すみません。あのパン食い競争ってどこでやってるんでしたっけ?」
警備員とは学園都市では警察に相当する存在で、主に志願した教員を中心として構成される。元々国語や体育の教師なので学園都市内ではそれなりの私服を着て過ごしているのだが、今日の彼らは学園都市の住民や外部から来た観光客と見分けが付くよう、黒を基調とした正規装備に身を固めている。
ヘルメットがないのはせめてもの威嚇防止だろうが、麗しいお姉さんタイプならともかくゴツい野郎の警備員では、いっそヘルメットをかぶっていてくれた方が心の平穏につながる気がする。
それでも彼は上条の問いに答えるべく手にしたパンフレットをパラパラと広げ、鏡の前で毎日練習しましたと言わんばかりのさわやかさを無理矢理醸し出すよそ行きの笑顔で、
「パン食い競争だね? それなら第九競技場だね。ここから二キロほど先だ」
答えはとてつもなく汗臭かった。
にきろ……ッ!? と尋ねた上条がその場でへたり込み、絶句する。
スタート地点からここに来るまで五キロくらいは走った。その上あと二キロ追加で走って『物品』を調達しなければならないなんてあんまりだ。
上条に対し今回指定された『物品』の心当たりは、学園都市の総人口を基準に算出しても二三〇万分の二。そのうち一つはどこにあるか分からないので、二三〇万分の一の確率を引き当てなければならない。
外部から来たお客さんと学園都市の居住者は服装の流行(ファッションセンス)などで割と簡単に見分けが付くので、一千万人を相手にしなくてもいいだけマシかも知れないが、
ちくしょう、と叫んで上条は走った。
『これが不幸でなければ何なんだーっ!!』と叫びながら二キロ先の第九競技場を目指して走る。
場所は変わって、こちらは第九競技場。
パン食い競争に出場する御坂美琴は、フィールドに用意された選手待機列に並んで自分の出番を待っていた。
フィールドに敷かれた天然芝はゴルフコースのように綺麗に刈り揃えられている。
コースとして用意された四〇〇メートルトラックは、陸上競技で一般的に使用する敷き詰め型の素材でびっしりと覆われ、このままオリンピックで使用しても良さそうなほど手入れが行き届いていた。
ただし、見た目通りの一筋縄ではいかないのが学園都市の競技場で、ボタン一つで埋め込まれた各種機材がガシャンガシャンガシャンと立ち上がり、倒されたハードルがウィーンとか言いながら自動で所定の位置に戻されていく。
小学生の時も、美琴はパン食い競争に立候補して出場した。
もちろん順位は一位。
美琴は『えーともうかれこれ何年連続でパン食い競争に参加してるんだっけ私』と指折り数えつつ、
(パン食い競争に電磁罠とかあり得ないでしょ普通は)
体が冷えないように軽くストレッチしながらコース上に設けられた障害物の数々を睨み付ける。
昨年、美琴がパン食い競争に参加した際ぶっちぎりのコースレコードを叩きだしてしまったため、今年のパン食い競争はコース設定を大幅に変更した。
そうしなければ大覇星祭の名を借りた『実験』が行えないからだ。
今年のパン食い競争の概要は、一周四〇〇メートルのトラックをスタートして、まず五〇メートルを過ぎたところで一〇〇メートルハードル、次は網くぐり。その後コース上に仕掛けられた電磁罠を抜け、最後に紐で宙づりにされた『脳を活性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』を口で取ってゴールまで走る。
怪しげなパンを食べたからといって能力が上昇するとは思えない。そんな味気ないパンより普通のあんパンやジャムパンにして欲しいと密かに思っているのは美琴だけではないはずだ。
『第三〇組、位置について下さい』の声が運営委員からかけられたので、美琴は他の選手達と共にゾロゾロと歩いてスタートラインにつき、スターティングブロックに足を置く。
小学生の頃は良かった。位置についてよーい、ドンで飛び出してパンまで真っ直ぐ走って行けば良かったのだから。
美琴一人のためにパン食い競争は障害物付きパン食い競争に変わってしまった。
本来、こういうのどかな競技に学園都市最高峰のレベル5を参加させるべきではないのだ。
競技開始の号砲と共に美琴はスタートラインから誰よりも速く飛び出し、高反発素材の靴底でトラックを蹴って加速を開始する。
最初は一〇〇メートルハードルだが、このハードルは一つ一つの高さがバラバラに設定されている。つまり走りながらリズムに乗って飛べないのだ。それぞれのハードルの高さを瞬時に判断して最適の高さで飛ばなければ無駄な体力を消耗する。一番高いハードルに合わせて全部同じ高さで飛んでしまうと言う方法も採れるが、『どれが一番高いハードルか』は飛んでみるまで分からない。もちろん一本でも倒せばその場で失格だ。
(くっそー、これ面倒臭いのよね)
心の中でぶつぶつと呪詛を唱えながら、美琴は一つ一つハードルを丁寧に飛び越える。
このあたりは能力レベル云々より純粋な身体能力が問われる。ここで選手の体力と判断力を奪ってしまおうという大層底の浅い設計思想が伺えて美琴は内心笑いたくなった。
お次は網くぐり。
この手の障害物で使われるのは決まってナイロン製の網だ。しかし学園都市では鋼鉄のワイヤーで編まれた網を使用する。網の入り口から出口までは二〇メートルほどだが、網の重さが桁違いだ。
総重量二〇〇キログラム。
しかも、一つの網を複数の選手がくぐるのではなく、網は一人に一つ用意される。この網を能力なり腕力なりを使って持ち上げなければ一メートルも先に進むことはできない。もちろんこの網を燃やしたり壊したりしてはならない。
この競技は能力干渉数値こそ低めに抑えられているが、美琴の能力では細心の注意を払わなければあっという間に指定数値を突破してしまう。
美琴は頭の中で必死に演算し出力を絞りながら鋼鉄製の網を電磁力で少しずつ持ち上げ、その下をくぐり抜ける。最大出力を振り回すことは得意でも、微調整を求められるのが苦手な美琴にとってはなかなかやっかいな障害だ。
鋼鉄の網を抜けトップを走る美琴の前方に、地雷式に設置された電磁罠が牙を剥く。
この罠につかまれば電流が流れ、たいていの人間がその場で失神する。
美琴は高レベルの発電系能力者であるためこの程度の罠など気にもしないが、
パン食い競争に出場する御坂美琴は、フィールドに用意された選手待機列に並んで自分の出番を待っていた。
フィールドに敷かれた天然芝はゴルフコースのように綺麗に刈り揃えられている。
コースとして用意された四〇〇メートルトラックは、陸上競技で一般的に使用する敷き詰め型の素材でびっしりと覆われ、このままオリンピックで使用しても良さそうなほど手入れが行き届いていた。
ただし、見た目通りの一筋縄ではいかないのが学園都市の競技場で、ボタン一つで埋め込まれた各種機材がガシャンガシャンガシャンと立ち上がり、倒されたハードルがウィーンとか言いながら自動で所定の位置に戻されていく。
小学生の時も、美琴はパン食い競争に立候補して出場した。
もちろん順位は一位。
美琴は『えーともうかれこれ何年連続でパン食い競争に参加してるんだっけ私』と指折り数えつつ、
(パン食い競争に電磁罠とかあり得ないでしょ普通は)
体が冷えないように軽くストレッチしながらコース上に設けられた障害物の数々を睨み付ける。
昨年、美琴がパン食い競争に参加した際ぶっちぎりのコースレコードを叩きだしてしまったため、今年のパン食い競争はコース設定を大幅に変更した。
そうしなければ大覇星祭の名を借りた『実験』が行えないからだ。
今年のパン食い競争の概要は、一周四〇〇メートルのトラックをスタートして、まず五〇メートルを過ぎたところで一〇〇メートルハードル、次は網くぐり。その後コース上に仕掛けられた電磁罠を抜け、最後に紐で宙づりにされた『脳を活性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』を口で取ってゴールまで走る。
怪しげなパンを食べたからといって能力が上昇するとは思えない。そんな味気ないパンより普通のあんパンやジャムパンにして欲しいと密かに思っているのは美琴だけではないはずだ。
『第三〇組、位置について下さい』の声が運営委員からかけられたので、美琴は他の選手達と共にゾロゾロと歩いてスタートラインにつき、スターティングブロックに足を置く。
小学生の頃は良かった。位置についてよーい、ドンで飛び出してパンまで真っ直ぐ走って行けば良かったのだから。
美琴一人のためにパン食い競争は障害物付きパン食い競争に変わってしまった。
本来、こういうのどかな競技に学園都市最高峰のレベル5を参加させるべきではないのだ。
競技開始の号砲と共に美琴はスタートラインから誰よりも速く飛び出し、高反発素材の靴底でトラックを蹴って加速を開始する。
最初は一〇〇メートルハードルだが、このハードルは一つ一つの高さがバラバラに設定されている。つまり走りながらリズムに乗って飛べないのだ。それぞれのハードルの高さを瞬時に判断して最適の高さで飛ばなければ無駄な体力を消耗する。一番高いハードルに合わせて全部同じ高さで飛んでしまうと言う方法も採れるが、『どれが一番高いハードルか』は飛んでみるまで分からない。もちろん一本でも倒せばその場で失格だ。
(くっそー、これ面倒臭いのよね)
心の中でぶつぶつと呪詛を唱えながら、美琴は一つ一つハードルを丁寧に飛び越える。
このあたりは能力レベル云々より純粋な身体能力が問われる。ここで選手の体力と判断力を奪ってしまおうという大層底の浅い設計思想が伺えて美琴は内心笑いたくなった。
お次は網くぐり。
この手の障害物で使われるのは決まってナイロン製の網だ。しかし学園都市では鋼鉄のワイヤーで編まれた網を使用する。網の入り口から出口までは二〇メートルほどだが、網の重さが桁違いだ。
総重量二〇〇キログラム。
しかも、一つの網を複数の選手がくぐるのではなく、網は一人に一つ用意される。この網を能力なり腕力なりを使って持ち上げなければ一メートルも先に進むことはできない。もちろんこの網を燃やしたり壊したりしてはならない。
この競技は能力干渉数値こそ低めに抑えられているが、美琴の能力では細心の注意を払わなければあっという間に指定数値を突破してしまう。
美琴は頭の中で必死に演算し出力を絞りながら鋼鉄製の網を電磁力で少しずつ持ち上げ、その下をくぐり抜ける。最大出力を振り回すことは得意でも、微調整を求められるのが苦手な美琴にとってはなかなかやっかいな障害だ。
鋼鉄の網を抜けトップを走る美琴の前方に、地雷式に設置された電磁罠が牙を剥く。
この罠につかまれば電流が流れ、たいていの人間がその場で失神する。
美琴は高レベルの発電系能力者であるためこの程度の罠など気にもしないが、
この罠、合わせ技で指向性のロープが飛んできてその場に拘束される。
選手が誤って罠に触れたり付近で能力を使用すると、選手を探知して捕縛用のロープが体に巻き付き体の自由を奪うのだ。
学園都市は実験都市でもある。
対能力者用の製品もふんだんに開発されており、このロープも数々の実験を繰り返し商品化の一歩手前までたどり着いた一品だ。その技術力には敬服するが、感心したからと言って罠を通り過ぎることができる訳でもない。
よって、ここでは罠を踏まずに通り抜けるのが望ましい。
美琴の前にスタートした選手達もそのほとんどがこの罠に捕まり、満足にパンのところまでたどり着けた者は少ない。こうなるとパン食い競争ではなくサバイバルゲームに近い感覚だ。
美琴は自らの体の周囲に張り巡らされた微弱な電磁波を使って罠の位置をチェックし、一つ一つを慎重に飛び越える。
『まだまだ詰めが甘いわね残念でした』と心の中でほくそ笑みながら美琴が最後の地雷を飛び越えて、
学園都市は実験都市でもある。
対能力者用の製品もふんだんに開発されており、このロープも数々の実験を繰り返し商品化の一歩手前までたどり着いた一品だ。その技術力には敬服するが、感心したからと言って罠を通り過ぎることができる訳でもない。
よって、ここでは罠を踏まずに通り抜けるのが望ましい。
美琴の前にスタートした選手達もそのほとんどがこの罠に捕まり、満足にパンのところまでたどり着けた者は少ない。こうなるとパン食い競争ではなくサバイバルゲームに近い感覚だ。
美琴は自らの体の周囲に張り巡らされた微弱な電磁波を使って罠の位置をチェックし、一つ一つを慎重に飛び越える。
『まだまだ詰めが甘いわね残念でした』と心の中でほくそ笑みながら美琴が最後の地雷を飛び越えて、
着地に失敗し、踵で罠を踏んだ。
「げっ!? うそでしょ?」
シュパン! という何かを発射する音が背後から聞こえ、シュルシュルと蛇が地を這うみたいに空気を切る音が近づいてくる。
美琴は血相を変え、前方につるされたパンに向かって走り出す。あのロープにつかまったら能力を使わずに抜け出すことはできないし、能力を使えば美琴のレベルではその場で失格だ。
ロープの有効範囲はどこまでかを探る暇はない。とにかくここは逃げの一手に尽きる。
「お姉様、頑張ってー!」
「御坂様ー!!」
女の子達の無邪気な声援が聞こえる。彼女たちは今、美琴が未曾有のパニックに襲われていることを知らない。
(あんなもんに捕まったら御坂美琴一生の恥だっつーの! 衆人環視の真っ只中で縛られるなんてまっぴらごめんよ!)
あの馬鹿にだってそんなことは許しちゃいないんだからとあまり関係のないことを頭の中で思いながら、美琴は空中につるされた『脳を活性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』に向かってジャンプ。歯でしっかりくわえて紐から引きちぎるとゴールに向かって残り二五メートルを一目散に走った。
背後からあのシュルシュルという音は聞こえない。どうやら追撃を振り切ったようだ。ロープはゴールまで届く長さほどではないのだろう。
美琴はなだれ込むようにゴールテープを切って、後ろを振り向くと後続の選手達が次々と罠に捕まっているのが見えた。ご愁傷様、と美琴は被害者達に向かって心の中で両手を合わせる。
体力に余裕はあるが、何だか精神的に疲れた競技だった。
美琴が戦利品のパンをかじっていると少し離れたところから白井黒子がスポーツタオルを手に駆け寄ってくるのが見える。
ああ黒子悪いわね、と白井からスポーツタオルを受け取ろうとして、
シュパン! という何かを発射する音が背後から聞こえ、シュルシュルと蛇が地を這うみたいに空気を切る音が近づいてくる。
美琴は血相を変え、前方につるされたパンに向かって走り出す。あのロープにつかまったら能力を使わずに抜け出すことはできないし、能力を使えば美琴のレベルではその場で失格だ。
ロープの有効範囲はどこまでかを探る暇はない。とにかくここは逃げの一手に尽きる。
「お姉様、頑張ってー!」
「御坂様ー!!」
女の子達の無邪気な声援が聞こえる。彼女たちは今、美琴が未曾有のパニックに襲われていることを知らない。
(あんなもんに捕まったら御坂美琴一生の恥だっつーの! 衆人環視の真っ只中で縛られるなんてまっぴらごめんよ!)
あの馬鹿にだってそんなことは許しちゃいないんだからとあまり関係のないことを頭の中で思いながら、美琴は空中につるされた『脳を活性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』に向かってジャンプ。歯でしっかりくわえて紐から引きちぎるとゴールに向かって残り二五メートルを一目散に走った。
背後からあのシュルシュルという音は聞こえない。どうやら追撃を振り切ったようだ。ロープはゴールまで届く長さほどではないのだろう。
美琴はなだれ込むようにゴールテープを切って、後ろを振り向くと後続の選手達が次々と罠に捕まっているのが見えた。ご愁傷様、と美琴は被害者達に向かって心の中で両手を合わせる。
体力に余裕はあるが、何だか精神的に疲れた競技だった。
美琴が戦利品のパンをかじっていると少し離れたところから白井黒子がスポーツタオルを手に駆け寄ってくるのが見える。
ああ黒子悪いわね、と白井からスポーツタオルを受け取ろうとして、
「いた! 御坂ちっと来い!」
スポーツタオルが掌に乗る直前、美琴の視界が高速でブレた。
何故なら息を切らせて競技場に乱入した上条が美琴の手を掴んで勢いよく競技場入り口に向かって逆送を始めたのだから。
「お待ちなさいそこの類人猿! お姉様をどこに連れて行くつもりですの!?」
「悪りぃ白井! こっちも借り物競走で困ってんだ! ちっと御坂借りてくぞ!!」
「え? え? 何?? 何が起こってんの!? 何かどっかで見た覚えのあるシーンだけど誰か分かるように説明してーっ!? もしかして私はここでもスルーされる運命なのーっ!?」
手にしたスポーツタオルを振り回して白井が叫び、
競技場に乱入して美琴の手を掴んだ上条が叫び、
パンをかじったままの美琴が叫び、
美琴に一位入賞のバッジを着けようとした運営委員がぽつんとその場に取り残された。
何故なら息を切らせて競技場に乱入した上条が美琴の手を掴んで勢いよく競技場入り口に向かって逆送を始めたのだから。
「お待ちなさいそこの類人猿! お姉様をどこに連れて行くつもりですの!?」
「悪りぃ白井! こっちも借り物競走で困ってんだ! ちっと御坂借りてくぞ!!」
「え? え? 何?? 何が起こってんの!? 何かどっかで見た覚えのあるシーンだけど誰か分かるように説明してーっ!? もしかして私はここでもスルーされる運命なのーっ!?」
手にしたスポーツタオルを振り回して白井が叫び、
競技場に乱入して美琴の手を掴んだ上条が叫び、
パンをかじったままの美琴が叫び、
美琴に一位入賞のバッジを着けようとした運営委員がぽつんとその場に取り残された。
「こらーっ! ちょっと待ったーっ!! アンタ、一言あっても良いでしょうがーっ!!」
大通りに出た所で待て待て待てーい! と時代劇のお奉行様よろしく叫んで高反発素材の靴底で地面に踏ん張り、上条のダッシュを阻止する美琴。
「……何だよ? 何か文句あんのかよ? お前だって去年説明なしに人を引っ張ってっただろうが」
仕方なしに足を止め、うんざりしたように美琴を見る上条。
「あるに決まってんでしょうが! 私をどこに連れてこうって言うのよアンタは!?」
あーもううるせえな、と上条は頭をガリガリかきながら、
「……お前がパン食い競走に出場してる間、俺は借り物競走だって昨日教えたじゃねえか。んで、借り物競走で借りる物品がお前なんだよ。っつー事で協力してくれ」
かなりの距離を走って疲労しているせいか上条の言葉は投げやりだ。
はぁ? と美琴は口をあんぐりと開けて、
「何? 借り物札に『御坂美琴』とでも書いてあんの?」
「違うけど、限りなく似たようなもんだ」
上条は美琴に指定された『物品』の名前が書かれた紙切れを差し出す。
美琴は紙切れを受け取り開いて中の記述を確認すると、
「……………………………………………………何よこれ」
上条の判断は正しい。正しいがしかし。
ここまでアバウトかつ難易度の高すぎる指定を引いてくるあたり、上条の不幸の度合いが推し測れるというものだ。
そして常盤台中学のエースは彼氏に負けず劣らずなトラブル体質の持ち主だった。何せ自分自身が『借り物』に指定されてしまうくらいなのだから。
美琴はふふん、と鼻を鳴らして、
「アンタ、私が彼女で幸運(ラッキー)だったわね。感謝しなさい、他の男がこんなの持ってきたって協力する気にはならないわよ?」
「……いや、彼女とかどうとかそれ以前に普通に協力しろって」
「にしてもさー、私さっきパン食い競争で体力使ったばかりで疲れてんのよね。ということで」
「何だよ、おんぶか? 仕方ねえな、ほら」
背中を向けてしゃがみ込み両手を差し出す上条。
美琴はノンノン、と人差し指を顔の前で軽く左右に振って、
「ゴールまでお姫様抱っこでよろしく」
「要求すんなそんなの! テメェは人前で俺に何させようとしてやがんだコラ!!」
上条は立ち上がって両手をぶんぶんと振り回し抗議の声を上げる。
「連れてってくれなかったら一緒に行ってあげないわよ? アンタもここまで来てリタイアじゃクラスのみんなに怒られるんじゃない?」
「普通に走れよ普通に! 俺だってかれこれ七キロ走って疲れてんだよホントにもう!!」
上条は涙目だった。
本気で疲れているのだから仕方ないが美琴は上条の叫びを聞き流し、
「それにアンタ、今の私をまともにおんぶできる訳?」
「へ? 何で?」
そこで上条は見る。
美琴今身に着けている常盤台中学指定の本格的な陸上競技用ユニフォームは、高機能性と相まって生地そのものが薄くて軽い。
袖の部分をばっさり切り落としたランニングは汗をかいた美琴の体に寄り添うように張り付いて、下手な水着より布地の下のラインが目立つような気がする。
対して、上条当麻が身につけているのは普通の体操服だ。
彼が日頃通学時に着る学生服よりも素材が薄い。
このまま上条が美琴を背負えば、いつもよりくっきりはっきりぼっきりと文字で表現してはいけない何かが上条の背中に押し付けられるのは予想に難くない。
美琴の足も短パンと靴下と靴以外は全てむき出しになっている。
美琴を背負うと言うことは、そのむき出し部分を両腕で抱え込んで、美琴の太股が上条の腰のあたりに押し付けられたりする。
何をどこまで妄想したのか、気まずげに美琴から視線を逸らす上条に向かって、
「ということでよろしくね、彼氏?」
「……オイ」
「……あーあ、つっかれったなー」
棒読みで疲労をアピールする美琴に、
「あーちくしょう分かったよ! やりゃいいんだろやりゃ!!」
「うん、素直でよろしい」
美琴は上条の首に両腕を引っかけるように回し、上条は美琴の背中と両膝の裏に腕を通して美琴を抱き上げた。
美琴を抱き上げて上条は唸る。
「ちくしょう、ここまでやって入賞できなかったら恨んでやる」
「誰を?」
聞かなくたって分かってる。
こんな馬鹿な借り物を思いついたどこかの運営委員だ。
大通りに出た所で待て待て待てーい! と時代劇のお奉行様よろしく叫んで高反発素材の靴底で地面に踏ん張り、上条のダッシュを阻止する美琴。
「……何だよ? 何か文句あんのかよ? お前だって去年説明なしに人を引っ張ってっただろうが」
仕方なしに足を止め、うんざりしたように美琴を見る上条。
「あるに決まってんでしょうが! 私をどこに連れてこうって言うのよアンタは!?」
あーもううるせえな、と上条は頭をガリガリかきながら、
「……お前がパン食い競走に出場してる間、俺は借り物競走だって昨日教えたじゃねえか。んで、借り物競走で借りる物品がお前なんだよ。っつー事で協力してくれ」
かなりの距離を走って疲労しているせいか上条の言葉は投げやりだ。
はぁ? と美琴は口をあんぐりと開けて、
「何? 借り物札に『御坂美琴』とでも書いてあんの?」
「違うけど、限りなく似たようなもんだ」
上条は美琴に指定された『物品』の名前が書かれた紙切れを差し出す。
美琴は紙切れを受け取り開いて中の記述を確認すると、
「……………………………………………………何よこれ」
上条の判断は正しい。正しいがしかし。
ここまでアバウトかつ難易度の高すぎる指定を引いてくるあたり、上条の不幸の度合いが推し測れるというものだ。
そして常盤台中学のエースは彼氏に負けず劣らずなトラブル体質の持ち主だった。何せ自分自身が『借り物』に指定されてしまうくらいなのだから。
美琴はふふん、と鼻を鳴らして、
「アンタ、私が彼女で幸運(ラッキー)だったわね。感謝しなさい、他の男がこんなの持ってきたって協力する気にはならないわよ?」
「……いや、彼女とかどうとかそれ以前に普通に協力しろって」
「にしてもさー、私さっきパン食い競争で体力使ったばかりで疲れてんのよね。ということで」
「何だよ、おんぶか? 仕方ねえな、ほら」
背中を向けてしゃがみ込み両手を差し出す上条。
美琴はノンノン、と人差し指を顔の前で軽く左右に振って、
「ゴールまでお姫様抱っこでよろしく」
「要求すんなそんなの! テメェは人前で俺に何させようとしてやがんだコラ!!」
上条は立ち上がって両手をぶんぶんと振り回し抗議の声を上げる。
「連れてってくれなかったら一緒に行ってあげないわよ? アンタもここまで来てリタイアじゃクラスのみんなに怒られるんじゃない?」
「普通に走れよ普通に! 俺だってかれこれ七キロ走って疲れてんだよホントにもう!!」
上条は涙目だった。
本気で疲れているのだから仕方ないが美琴は上条の叫びを聞き流し、
「それにアンタ、今の私をまともにおんぶできる訳?」
「へ? 何で?」
そこで上条は見る。
美琴今身に着けている常盤台中学指定の本格的な陸上競技用ユニフォームは、高機能性と相まって生地そのものが薄くて軽い。
袖の部分をばっさり切り落としたランニングは汗をかいた美琴の体に寄り添うように張り付いて、下手な水着より布地の下のラインが目立つような気がする。
対して、上条当麻が身につけているのは普通の体操服だ。
彼が日頃通学時に着る学生服よりも素材が薄い。
このまま上条が美琴を背負えば、いつもよりくっきりはっきりぼっきりと文字で表現してはいけない何かが上条の背中に押し付けられるのは予想に難くない。
美琴の足も短パンと靴下と靴以外は全てむき出しになっている。
美琴を背負うと言うことは、そのむき出し部分を両腕で抱え込んで、美琴の太股が上条の腰のあたりに押し付けられたりする。
何をどこまで妄想したのか、気まずげに美琴から視線を逸らす上条に向かって、
「ということでよろしくね、彼氏?」
「……オイ」
「……あーあ、つっかれったなー」
棒読みで疲労をアピールする美琴に、
「あーちくしょう分かったよ! やりゃいいんだろやりゃ!!」
「うん、素直でよろしい」
美琴は上条の首に両腕を引っかけるように回し、上条は美琴の背中と両膝の裏に腕を通して美琴を抱き上げた。
美琴を抱き上げて上条は唸る。
「ちくしょう、ここまでやって入賞できなかったら恨んでやる」
「誰を?」
聞かなくたって分かってる。
こんな馬鹿な借り物を思いついたどこかの運営委員だ。
美琴は上条に抱えられて競技場に入り、そのまま上条と共にゴールテープを切った。
ゴール直後の上条はその場にがっくりと膝をつき、ぜーぜーはーはーと荒い息を吐いて天を仰いでいる。
いくらここが最新鋭の競技場で、コース全面に衝撃を吸収する最新鋭の素材を敷き詰めてあっても、それが上条の疲労軽減につながることはない。
重い荷物を担いで残り二キロのラストスパートはつらかった。
「重い荷物って誰のこと言ってんのよアンタッ!!」
美琴は上条にずびし、とチョップをお見舞いした。
待機していた運営委員が上条の頭に大きめのスポーツタオルを被せる。続けて酸素吸入用ボンベやスポーツドリンクのボトルがてきぱきと渡されるが、上条は両手がふさがっているためそれらは美琴が慣れた手つきで受け取っていく。
最後に、借り物を確認するべくクリップボードを持った運営委員の一人が上条達に近づいて、品物の名前が書かれた紙切れを受け取り美琴に質問する。
「常盤台中学三年、御坂美琴。『レベル5』です」
『品物』美琴はそこまで一息に答えると、差し出された簡易ID照合器に掌を押し当てた。指紋、静脈、生体電気信号パターンの照合を行って、美琴と品物が一致しているかどうかの確認を取ると、運営委員は美琴に紙切れを返して
「はい、結構です。お疲れ様でした」
くるりと踵を返して去っていった。
彼は記録専門らしく、二人がどうなろうと特に興味はないらしい。
「……にしても、これはないわよね」
美琴は運営委員から返された、今はもう燃えるゴミとなった紙切れを広げてみせる。
ゴール直後の上条はその場にがっくりと膝をつき、ぜーぜーはーはーと荒い息を吐いて天を仰いでいる。
いくらここが最新鋭の競技場で、コース全面に衝撃を吸収する最新鋭の素材を敷き詰めてあっても、それが上条の疲労軽減につながることはない。
重い荷物を担いで残り二キロのラストスパートはつらかった。
「重い荷物って誰のこと言ってんのよアンタッ!!」
美琴は上条にずびし、とチョップをお見舞いした。
待機していた運営委員が上条の頭に大きめのスポーツタオルを被せる。続けて酸素吸入用ボンベやスポーツドリンクのボトルがてきぱきと渡されるが、上条は両手がふさがっているためそれらは美琴が慣れた手つきで受け取っていく。
最後に、借り物を確認するべくクリップボードを持った運営委員の一人が上条達に近づいて、品物の名前が書かれた紙切れを受け取り美琴に質問する。
「常盤台中学三年、御坂美琴。『レベル5』です」
『品物』美琴はそこまで一息に答えると、差し出された簡易ID照合器に掌を押し当てた。指紋、静脈、生体電気信号パターンの照合を行って、美琴と品物が一致しているかどうかの確認を取ると、運営委員は美琴に紙切れを返して
「はい、結構です。お疲れ様でした」
くるりと踵を返して去っていった。
彼は記録専門らしく、二人がどうなろうと特に興味はないらしい。
「……にしても、これはないわよね」
美琴は運営委員から返された、今はもう燃えるゴミとなった紙切れを広げてみせる。
『超能力者(レベル5)』
上条が引き当てた、借り物競走で借りてくる『品物』だ。
上条の不幸は今回も健在だった。
上条が『超能力者』と問われて面識のある人物は、学園都市に七人いる超能力者のうち二人しかいない。
そのうちの一人にして学園都市最強の超能力者はどこの学校の生徒なのか上条も知らないため、自動的に美琴を連れてくるより他になかった。
常盤台中学にはもう一人『触れただけで人の記憶を抜き取る』超能力者がいるが、『とにかく美琴を連れてこなくちゃ』と頭がいっぱいの上条にはそこまで知恵が回らない。
美琴は上条の頭に被せられたスポーツタオルで上条の汗を丁寧に拭い、それから自分の汗を軽く拭き取る。激しい運動で熱した上条の頬にドリンクボトルを押し当て少しでも冷ましてやろうと試みる。
ちなみに、これらは全て上条の腕の中で美琴が行っている上に、借り物競走はカメラによる撮影が行われているため二人の一連の行動は世界中に発信されている。
だが、美琴を抱えたままくたくたになっている上条はそんなことにも気づかない。
運営委員に『表彰がありますのでこちらへ移動をお願いします』と声をかけられ、そこでようやく上条は美琴を地面に降ろし、『んじゃ俺ちっと行ってくるから』とふらふらしながら表彰台の方へ歩いていった。
借り物競走は選手がメインのため『品物』は競技が終われば用済みだ。
美琴はスポーツタオルを首に引っかけ、片手でドリンクボトルを持っててくてくと競技場の隅っこへ歩いていく。
振り返ると三段になった表彰台の一番下に上条が立っている。一位から大幅に遅れたものの、どうやら三位で入賞できたらしい。
表彰台に乗った上条の姿に、美琴は満足の笑みを浮かべた。
上条の不幸は今回も健在だった。
上条が『超能力者』と問われて面識のある人物は、学園都市に七人いる超能力者のうち二人しかいない。
そのうちの一人にして学園都市最強の超能力者はどこの学校の生徒なのか上条も知らないため、自動的に美琴を連れてくるより他になかった。
常盤台中学にはもう一人『触れただけで人の記憶を抜き取る』超能力者がいるが、『とにかく美琴を連れてこなくちゃ』と頭がいっぱいの上条にはそこまで知恵が回らない。
美琴は上条の頭に被せられたスポーツタオルで上条の汗を丁寧に拭い、それから自分の汗を軽く拭き取る。激しい運動で熱した上条の頬にドリンクボトルを押し当て少しでも冷ましてやろうと試みる。
ちなみに、これらは全て上条の腕の中で美琴が行っている上に、借り物競走はカメラによる撮影が行われているため二人の一連の行動は世界中に発信されている。
だが、美琴を抱えたままくたくたになっている上条はそんなことにも気づかない。
運営委員に『表彰がありますのでこちらへ移動をお願いします』と声をかけられ、そこでようやく上条は美琴を地面に降ろし、『んじゃ俺ちっと行ってくるから』とふらふらしながら表彰台の方へ歩いていった。
借り物競走は選手がメインのため『品物』は競技が終われば用済みだ。
美琴はスポーツタオルを首に引っかけ、片手でドリンクボトルを持っててくてくと競技場の隅っこへ歩いていく。
振り返ると三段になった表彰台の一番下に上条が立っている。一位から大幅に遅れたものの、どうやら三位で入賞できたらしい。
表彰台に乗った上条の姿に、美琴は満足の笑みを浮かべた。
☆
イギリスはロンドンの日本人街。
天草式十字凄教用の拠点として与えられた純和風の一室で、五和をはじめとする待機組のメンバーは、多国籍放送で展開中の大覇星祭を鑑賞中だった。
ちなみに録画放送ではない。生中継だ。
ロンドンと学園都市の間にはマイナス八時間の時差が存在するが、そこは天草式にとってさしたる問題ではない。小さなテレビに一〇人単位の人間がかぶりついたらろくに見るものも見られないと、五和はこの日に備えて正副予備三つのルートで録画体制を整えている。
それでもあの人の活躍ぶりを生で見たいとベストポジションをキープしていたが、あの人はなかなか画面に映らない。
開会式からずっとテレビの前で粘っていたがそろそろ限界だ。お手洗いに行きたくなった五和はCMの合間に中座した。
お手洗いから戻って人波をかき分けテレビの前に腰を下ろそうとしたら、
「い、い、五和……」
「どうしたんですか建宮さん?」
神の右席・後方のアックアを前にしてもひるまなかった建宮斎字の声が震えている。
しかも画面を指差しながら。
他の面子も皆似たような反応だ。
五和は建宮のただならぬ様子に一瞬言葉を失って、
「どっ、どいてください! 何が、何があったんですか!? まさかあの人が怪我でもしたんですか!?」
テレビの前に陣取る牛深や香焼を薙ぎ払って視界を確保する。
次の瞬間、五和は見た。
見てしまった。
あの人があの少女を壊れ物のように大事に抱きかかえてゴールテープを切る姿を。
あの人の腕の中であの少女がスポーツタオルであの人の汗を丁寧に拭っているのを。
あの人の腕の中であの少女が冷えたドリンクの入ったボトルを差し出し、あの人がストローをくわえているのを。
上条からはあの少女について、学園都市の外で会った時に『御坂か? 良い奴だよ』と言うコメントをもらっている。
だからあの少女が上条に熱烈なアタックを仕掛けているだけで、自分にも反撃のチャンスはあると思っていた。
女は控えめ。
そして困った時にそっと力を貸すのが良い。
お味噌汁作戦で一度敗北したとはいえ、そこで引き下がる天草式ではない。
奥ゆかしき大和撫子路線でまずはプッシュ、そしてとどめに大精霊チラメイドをと考えていた五和の目論見は木っ端微塵に吹き飛ばされた。
何しろあちらは全世界放映で熱々ぶりをアピールしているのだから。
視線を画面に固定したまま五和の顔色はすーっと血の気が引いていくように白くなる。
……………………………………………………………………………………。
「いっ、五和サン? きっとあいつにも何か事情があったんだと思うのよ? だからその、落ち着いて、落ち着いて。ねっ?」
建宮が場を取り繕おうとするが五和の耳には届かない。
五和は視線をテレビに固定させたまま、
「大丈夫。私は大丈夫ですから―――牛深さん、たしかイモ焼酎補充されてましたよね? 台所の床下収納スペースで見かけたんですけど、あれって新しく買い足した分でしたよね? ……建宮さん、『聖人崩し』の強化について語り合いませんか? ちょうど良いお酒も肴(ビデオ)もあることですし」
俺のイモ男爵は呑まれること確定なのーっ!? と青ざめてその場に崩れ落ちる牛深。
未成年から酌の相手に指名されてびくびく怯える建宮。
巻き込まれぬようじりじりと五和から距離を取る野母崎をはじめとする天草式の皆さん。
「そうだ、どうせなら牛深さんも一緒にいかがですか? サツマイモだかジャガイモだかよく分からない名前ですけど、あれおいしかったですよね」
それは俺の酒なのにーっ! 腹いせで呑むなーっ!! と暴れる牛深を対馬が羽交い締めにしながらアキラメロとなだめる。
「(どうすんですか建宮さん! 離れた距離が愛を育てるだなんて言っておいて、五和の奴完全に鳶に油揚げさらわれちゃってるじゃないですか!)」
「(まさかあの少女があいつの心をそこまでガッチリ掴んでるなんて思わなかったのよ。それに五和だって敗北を糧に立ち上がったはずなのよ!?)」
「(救われぬ者に救いの手を延べるのが天草式ですけど、この場合どうすりゃいいんですか!? キレた五和を止められる奴なんて天草式にはいませんよ?)」
「……才能ない人間が才能ある人間に立ち向かうために研鑽する。それが魔術師でしたよね?」
ボソッと五和に言われてその場でビシィ!! と直立不動になる元・教皇代理とイモ男爵の持ち主。
「そうですよね、建宮さん。だから私達は『聖人崩し』を編み出したんですよね。だったら才能ある人間に立ち向かえるようもっと強化しませんとね。そうですよね?」
才能ない人間(魔術師の五和)が才能ある人間(超能力者の美琴)に立ち向かうために研鑽する。
つまり。
朝まで呑むぞと言外に宣告されて、五和の同僚で尖った黒髪の男および大柄で短髪の男は二人並んでガクガクブルブルと震える羽目になった。
天草式十字凄教用の拠点として与えられた純和風の一室で、五和をはじめとする待機組のメンバーは、多国籍放送で展開中の大覇星祭を鑑賞中だった。
ちなみに録画放送ではない。生中継だ。
ロンドンと学園都市の間にはマイナス八時間の時差が存在するが、そこは天草式にとってさしたる問題ではない。小さなテレビに一〇人単位の人間がかぶりついたらろくに見るものも見られないと、五和はこの日に備えて正副予備三つのルートで録画体制を整えている。
それでもあの人の活躍ぶりを生で見たいとベストポジションをキープしていたが、あの人はなかなか画面に映らない。
開会式からずっとテレビの前で粘っていたがそろそろ限界だ。お手洗いに行きたくなった五和はCMの合間に中座した。
お手洗いから戻って人波をかき分けテレビの前に腰を下ろそうとしたら、
「い、い、五和……」
「どうしたんですか建宮さん?」
神の右席・後方のアックアを前にしてもひるまなかった建宮斎字の声が震えている。
しかも画面を指差しながら。
他の面子も皆似たような反応だ。
五和は建宮のただならぬ様子に一瞬言葉を失って、
「どっ、どいてください! 何が、何があったんですか!? まさかあの人が怪我でもしたんですか!?」
テレビの前に陣取る牛深や香焼を薙ぎ払って視界を確保する。
次の瞬間、五和は見た。
見てしまった。
あの人があの少女を壊れ物のように大事に抱きかかえてゴールテープを切る姿を。
あの人の腕の中であの少女がスポーツタオルであの人の汗を丁寧に拭っているのを。
あの人の腕の中であの少女が冷えたドリンクの入ったボトルを差し出し、あの人がストローをくわえているのを。
上条からはあの少女について、学園都市の外で会った時に『御坂か? 良い奴だよ』と言うコメントをもらっている。
だからあの少女が上条に熱烈なアタックを仕掛けているだけで、自分にも反撃のチャンスはあると思っていた。
女は控えめ。
そして困った時にそっと力を貸すのが良い。
お味噌汁作戦で一度敗北したとはいえ、そこで引き下がる天草式ではない。
奥ゆかしき大和撫子路線でまずはプッシュ、そしてとどめに大精霊チラメイドをと考えていた五和の目論見は木っ端微塵に吹き飛ばされた。
何しろあちらは全世界放映で熱々ぶりをアピールしているのだから。
視線を画面に固定したまま五和の顔色はすーっと血の気が引いていくように白くなる。
……………………………………………………………………………………。
「いっ、五和サン? きっとあいつにも何か事情があったんだと思うのよ? だからその、落ち着いて、落ち着いて。ねっ?」
建宮が場を取り繕おうとするが五和の耳には届かない。
五和は視線をテレビに固定させたまま、
「大丈夫。私は大丈夫ですから―――牛深さん、たしかイモ焼酎補充されてましたよね? 台所の床下収納スペースで見かけたんですけど、あれって新しく買い足した分でしたよね? ……建宮さん、『聖人崩し』の強化について語り合いませんか? ちょうど良いお酒も肴(ビデオ)もあることですし」
俺のイモ男爵は呑まれること確定なのーっ!? と青ざめてその場に崩れ落ちる牛深。
未成年から酌の相手に指名されてびくびく怯える建宮。
巻き込まれぬようじりじりと五和から距離を取る野母崎をはじめとする天草式の皆さん。
「そうだ、どうせなら牛深さんも一緒にいかがですか? サツマイモだかジャガイモだかよく分からない名前ですけど、あれおいしかったですよね」
それは俺の酒なのにーっ! 腹いせで呑むなーっ!! と暴れる牛深を対馬が羽交い締めにしながらアキラメロとなだめる。
「(どうすんですか建宮さん! 離れた距離が愛を育てるだなんて言っておいて、五和の奴完全に鳶に油揚げさらわれちゃってるじゃないですか!)」
「(まさかあの少女があいつの心をそこまでガッチリ掴んでるなんて思わなかったのよ。それに五和だって敗北を糧に立ち上がったはずなのよ!?)」
「(救われぬ者に救いの手を延べるのが天草式ですけど、この場合どうすりゃいいんですか!? キレた五和を止められる奴なんて天草式にはいませんよ?)」
「……才能ない人間が才能ある人間に立ち向かうために研鑽する。それが魔術師でしたよね?」
ボソッと五和に言われてその場でビシィ!! と直立不動になる元・教皇代理とイモ男爵の持ち主。
「そうですよね、建宮さん。だから私達は『聖人崩し』を編み出したんですよね。だったら才能ある人間に立ち向かえるようもっと強化しませんとね。そうですよね?」
才能ない人間(魔術師の五和)が才能ある人間(超能力者の美琴)に立ち向かうために研鑽する。
つまり。
朝まで呑むぞと言外に宣告されて、五和の同僚で尖った黒髪の男および大柄で短髪の男は二人並んでガクガクブルブルと震える羽目になった。
☆
慣れない表彰台から解放されて、上条が『あれ? アイツはどこに行ったんだ?』とキョロキョロ辺りを見回していると、競技場の隅で美琴が手を振っていた。
上条は美琴のそばに疲れた体を引きずりつつ歩み寄り、
「御坂、お疲れ。……付き合ってくれてさんきゅーな」
「三位入賞おめでと。……はい」
あたりに人がいないのを見澄ましてから、美琴は上条の頬に軽くキスをした。
唇を離すとにっこり笑って、
「……アンタが賞取れたお祝い。勝利の女神・美琴さんに感謝しなさい」
上条は美琴の唇が触れた頬に手をやって、
「ばっ!? ……お前何やってんだよ!? こんなところ誰かに見られたらただじゃすまねえぞ?」
口から出るのは感謝ではなく非難だった。
美琴は唇を尖らせて、
「人が見てないのは確認したわよ?」
「確認とかそう言うんじゃなくてだな……」
悪びれない美琴に上条は嘆息して、
「……三位でこれだったら、パン食い競争で一位だったお前はどうなんだよ?」
「……、」
美琴は何も言わず、自分の人差し指で桜色の唇を指差しながらとぼけてみせる。
「……あのな」
場所が場所だけに『そんなんでキスを要求すんなっ!』と叫びたいのを堪える上条。
「お前まだ中学生だろうが! 安い挑発すんじゃねえよ!!」
美琴は小さく舌を出して、
「冗談よ馬鹿。にしてもさ、アンタのおかげで表彰すっぽかす羽目になって今頃あっちは大騒ぎよ? 向こうに戻ったらツッコまれるのは必至だし、だったら今のうちに私だって何かしらご褒美欲しいわね?」
美琴に言いくるめられてるような気がして、上条は何か言い返すネタはないかと視線を方々にさまよわせる。
ふと、美琴の頭の後ろでハチマキの裾が風になびくのが目に止まった。
「ん? アンタ何見てんの?」
上条の視線の先を追い駆けて、美琴が『?』と横を向く。
(いっ、今だ! 触れれば良いんだから破壊力はいらない!)
上条は目をつぶって突撃する。吶喊先は美琴の頬だ。
上条にしてみればかなり恥ずかしいが、ちょこっと唇が触れる程度に頬にキスをして『これでどうだ』と言ってやればそれで良い。
だから上条は気づかなかった。
一歩踏み出した先の地面が光ファイバーのラインでできていて、ごくわずかに他よりも盛り上がっていることに。
(―――え!?)
不用意に踏み出した運動靴の爪先が引っかかり、バランスを失った体が若干前方へ傾いていく。
(嘘だろおい……ッ!?)
咄嗟に両手を振り回して踏み留まろうと試みるが間に合わない。
上条の頭は狙いを定めた位置からやや美琴の後方にずれて。
上条は美琴のそばに疲れた体を引きずりつつ歩み寄り、
「御坂、お疲れ。……付き合ってくれてさんきゅーな」
「三位入賞おめでと。……はい」
あたりに人がいないのを見澄ましてから、美琴は上条の頬に軽くキスをした。
唇を離すとにっこり笑って、
「……アンタが賞取れたお祝い。勝利の女神・美琴さんに感謝しなさい」
上条は美琴の唇が触れた頬に手をやって、
「ばっ!? ……お前何やってんだよ!? こんなところ誰かに見られたらただじゃすまねえぞ?」
口から出るのは感謝ではなく非難だった。
美琴は唇を尖らせて、
「人が見てないのは確認したわよ?」
「確認とかそう言うんじゃなくてだな……」
悪びれない美琴に上条は嘆息して、
「……三位でこれだったら、パン食い競争で一位だったお前はどうなんだよ?」
「……、」
美琴は何も言わず、自分の人差し指で桜色の唇を指差しながらとぼけてみせる。
「……あのな」
場所が場所だけに『そんなんでキスを要求すんなっ!』と叫びたいのを堪える上条。
「お前まだ中学生だろうが! 安い挑発すんじゃねえよ!!」
美琴は小さく舌を出して、
「冗談よ馬鹿。にしてもさ、アンタのおかげで表彰すっぽかす羽目になって今頃あっちは大騒ぎよ? 向こうに戻ったらツッコまれるのは必至だし、だったら今のうちに私だって何かしらご褒美欲しいわね?」
美琴に言いくるめられてるような気がして、上条は何か言い返すネタはないかと視線を方々にさまよわせる。
ふと、美琴の頭の後ろでハチマキの裾が風になびくのが目に止まった。
「ん? アンタ何見てんの?」
上条の視線の先を追い駆けて、美琴が『?』と横を向く。
(いっ、今だ! 触れれば良いんだから破壊力はいらない!)
上条は目をつぶって突撃する。吶喊先は美琴の頬だ。
上条にしてみればかなり恥ずかしいが、ちょこっと唇が触れる程度に頬にキスをして『これでどうだ』と言ってやればそれで良い。
だから上条は気づかなかった。
一歩踏み出した先の地面が光ファイバーのラインでできていて、ごくわずかに他よりも盛り上がっていることに。
(―――え!?)
不用意に踏み出した運動靴の爪先が引っかかり、バランスを失った体が若干前方へ傾いていく。
(嘘だろおい……ッ!?)
咄嗟に両手を振り回して踏み留まろうと試みるが間に合わない。
上条の頭は狙いを定めた位置からやや美琴の後方にずれて。
ちゅ、と。
上条の唇が美琴の耳たぶに直撃する。
上条の唇が美琴の耳たぶに直撃する。
「…………………………………………………………………………、えっと」
上条は自分の唇に、美琴の頬よりやや柔らかくそれでいて少し熱っぽい皮膚の感触を感じた。
鼻先で女の子独特のふわりとした匂いが漂う。
唇が触れた直後に体がビクッと跳ねて、そこから美琴の動揺が伝わる。少しなまめかしい悲鳴も小さく聞こえた気がする。
「……あ、あの、あのですね、御坂さん、これは……その……」
上条が慌てて顔を引き、後ろに二歩下がって両手をわたわたと振りながら『違う、これは誤解なんだ』と弁明するがもう遅い。
美琴は固く目を閉じ、胸の前で右手をグーに固定し、顔を真っ赤にしてブルブルと肩と拳を震わせている。
「あ、あ、アンタは……」
ヤバいこれ激発三秒前!? と上条が土下座の準備に移行しようとするその寸前で。
美琴の両目がキッ! と見開かれ、上条に向き直る。
「……ひぃ!?」
大振りに後方へ引き抜かれた美琴の左腕がピタリ、と静止しそのまま恐るべき速度で上条の右頬に襲いかかる。
(もうダメだ、黙ってこの平手打ちを受けるしか!)
上条は目を閉じ直立不動の姿勢で右の頬を打たれたら左の頬をすかさず差し出すべく心の準備を整えて。
上条は自分の唇に、美琴の頬よりやや柔らかくそれでいて少し熱っぽい皮膚の感触を感じた。
鼻先で女の子独特のふわりとした匂いが漂う。
唇が触れた直後に体がビクッと跳ねて、そこから美琴の動揺が伝わる。少しなまめかしい悲鳴も小さく聞こえた気がする。
「……あ、あの、あのですね、御坂さん、これは……その……」
上条が慌てて顔を引き、後ろに二歩下がって両手をわたわたと振りながら『違う、これは誤解なんだ』と弁明するがもう遅い。
美琴は固く目を閉じ、胸の前で右手をグーに固定し、顔を真っ赤にしてブルブルと肩と拳を震わせている。
「あ、あ、アンタは……」
ヤバいこれ激発三秒前!? と上条が土下座の準備に移行しようとするその寸前で。
美琴の両目がキッ! と見開かれ、上条に向き直る。
「……ひぃ!?」
大振りに後方へ引き抜かれた美琴の左腕がピタリ、と静止しそのまま恐るべき速度で上条の右頬に襲いかかる。
(もうダメだ、黙ってこの平手打ちを受けるしか!)
上条は目を閉じ直立不動の姿勢で右の頬を打たれたら左の頬をすかさず差し出すべく心の準備を整えて。
ぺちっ。
美琴の平手打ちはごく軽く上条の頬を叩いた。
「……はい?」
上条が頬に伝わる予想外の衝撃におそるおそる目を開けると、相変わらず美琴は耳まで赤く染めたまま胸元で右拳を握りしめ、うつむいて肩を震わせて
「……あ、アンタね……あんな、あんな恥ずかしい真似を……人前ですんじゃないわよ。ひ、ひ、人が見てたらどうすんのよ、この変態。く、くすぐったいじゃない……」
美琴としては頬へのキスは問題ないが、耳たぶへのキスはそれなりに大問題だったようだ。
まぁ普通そんなところにキスしたりはしない。
上条は小首を傾げて、
「……お前殴んないの?」
「……アンタは殴って欲しいの?」
常盤台のお嬢様が何やら激しく恥ずかしがって照れている。
上条はとりあえず今の失敗は美琴が見逃してくれたらしいと言うことに安堵し、手をつないで常盤台中学の待機場所へ美琴を連れて行くことにした。
「……するんだったらそんなところじゃなくちゃんとしなさいよ……」
ちゃんと、ってやっぱりほっぺたの方だよなと思いながら上条は美琴の横顔を盗み見る。
美琴は何だか嬉しそうに笑っているように見えた。
「……はい?」
上条が頬に伝わる予想外の衝撃におそるおそる目を開けると、相変わらず美琴は耳まで赤く染めたまま胸元で右拳を握りしめ、うつむいて肩を震わせて
「……あ、アンタね……あんな、あんな恥ずかしい真似を……人前ですんじゃないわよ。ひ、ひ、人が見てたらどうすんのよ、この変態。く、くすぐったいじゃない……」
美琴としては頬へのキスは問題ないが、耳たぶへのキスはそれなりに大問題だったようだ。
まぁ普通そんなところにキスしたりはしない。
上条は小首を傾げて、
「……お前殴んないの?」
「……アンタは殴って欲しいの?」
常盤台のお嬢様が何やら激しく恥ずかしがって照れている。
上条はとりあえず今の失敗は美琴が見逃してくれたらしいと言うことに安堵し、手をつないで常盤台中学の待機場所へ美琴を連れて行くことにした。
「……するんだったらそんなところじゃなくちゃんとしなさいよ……」
ちゃんと、ってやっぱりほっぺたの方だよなと思いながら上条は美琴の横顔を盗み見る。
美琴は何だか嬉しそうに笑っているように見えた。