とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part05-1

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 美琴がマロンを助けてから三週間が過ぎた。つまりマロンが完治するまであと一週間ということになる。

 その日も週末ということで美琴は一日中上条の部屋にいて、マロンと遊びつつ上条の勉強を見ていたのだが、
「スースー……」
 今は完全にお昼寝モードに入っている。
 例によって例の如く上条のベッドを占領して眠っているのだが、今日の様子はいつもと少し違う。ベッドの上で眠っているのは美琴だけではないのだ。
「スースー……」
 美琴の傍らにマロンまで眠っていた。
「どうもこの家での順位、俺が最下位になりつつあるような……。一応家主は俺のはずなのに……」
 結果として上条はベッドから伸ばされた美琴の手を握りつつ参考書を眺めるという、上条にとってはあまり効果的とはいえない勉強方法を採る羽目になっていた。
「でも」
 上条はベッドの上の美琴を見た。
「寝てる時は本当にかわいいのにな、コイツ。本人に自身は自覚ないんだろうけど。それに……」
 上条はさらに美琴の傍らに眠るマロンを見た。
 先ほどまで美琴とボールで遊んでいたためだろうか、美琴に体を寄せ、安心しきった顔で熟睡している。
「問答無用でこっちはこっちでかわいいし。……そうだ、写真撮っとこ」
 上条は美琴とマロンが丁度うまくフレームの中に入るようにして携帯で撮影し始めた。
 本人にまったく自覚はないが、その行動はまさしく妻や子にメロメロになっている親バカな父親である。

 そうしているうちに、やがて上条も美琴達の醸し出す穏やかな雰囲気に影響されたのか、器用に美琴の手を握りながらベッドにもたれかかると、座ったまま眠りに落ちていった。
 すやすやと眠る二人と一匹。そんな中で最初に目を覚ましたのは美琴だった。
 目覚めた美琴はまだ勉強しないといけないからと、上条を起こそうとした。しかしその気持ちよさそうな寝顔を見ているうちに、もう少し寝かしておいてもいいかという気持ちが美琴の中に起こり、結局上条はそのまま眠り続けることになった。
 そっとベッドから下りて上条を普通に床に寝かせた美琴はその傍らに座り、彼の右手を自分の脚の上に置く。そして上条の体に自分にかけられていた毛布を掛けると、ベッドの上で眠っているマロンをそっと胸に抱いた。
 美琴は改めて上条をじっと見つめる。

「こんな美少女が側で寝てたってのに、襲おうともしないで無邪気な顔して寝てるなんて。何考えてんのよ、アンタは」
 美琴は上条の頬を指で軽く突いた。
「アンタさ、気づいてる? 私、アンタのこと大好きなんだよ。もちろんマロンのことも大切だけど、ここにいるのがアンタだから、上条当麻だから、私、毎日こんな風にここに来て色々世話焼いてるんだよ。ねえ、私の想い、アンタに届くかな? アンタは私のこと、好きになってくれるかな?」
 美琴はずっと鼻をすすった。
「私、毎日楽しいよ。誰に遠慮しなくたってアンタといっしょにいられるし、ケンカなんかしなくたってアンタは私のことを見てくれる。でもこれって、マロンがいてくれてるから、なんだよね。マロンの世話をするって理由があるから、アンタは私が側にいても普通に受け入れてくれるんだよね」
 美琴は小さくため息をついた。
「そっか、結局私達って、何も変わってないんだ……」
 美琴はゆっくりと首を振った。
「変わってない。だからいつか私達の関係は、昔のように、ただのケンカ相手に戻る……。イヤ、そんなのイヤ……。今楽しいもん、アンタと仲良くできて楽しいもん。知っちゃったから、この楽しさを知らなかったときには、戻りたくないよ……。マロンの馬鹿、どうしてこんな楽しいこと、私に教えたりしたの……アンタが来なければ、知らずにすんだかもしれないのに。どうしてくれるのよ……」
 瞳を潤ませた美琴はマロンの体を優しく撫でた。
「ねえ、当麻。どうすればアンタは私のこと、好きになってくれるの? 教えて、当麻。私、ずっとアンタといっしょにいたいの。ずっとずっと仲良くしていたいの。ねえ、お願いだから教えて、どうすればいいの。ねえ、当麻、当麻……」
 美琴の瞳からぽろぽろと涙がこぼれだした。拭っても拭っても涙はとどまるところを知らず流れ続ける。

 そんな時、暖かい物がぺろりと美琴の頬を拭った。
「え?」
 それはいつの間にか目を覚ましていたマロンだった。
 マロンは心配そうな顔をしてペロペロと美琴の頬を伝う涙を舐め始めた。
 そんな顔をしないで、泣かないで、マロンの目はそう美琴に語りかけていた。
「……ごめん。ありがとう、マロン」
 美琴はマロンをぎゅっと抱きしめた。
 気がつくと、美琴の涙は止まっていた。

「ごめんねマロン。そうだよね、アンタは全然悪くない。だって、今のこの楽しい時間をくれたのはマロンだもん。そうだよ、むしろマロンに感謝しなきゃいけないのよ……。本当にありがとう、マロン……」
 数日後の放課後。その日もなんとか補習を回避した上条は教室で帰り支度をしていた。
 そんな上条にニヤニヤしながら土御門が声をかけた。
「にゃー、カミやん。今日もカミやんは補習じゃないのかにゃー」
「まあな」
「それもこれも全て愛しの美琴姫のおかげというわけなのかにゃー。羨ましいにゃー、舞夏は勉強教えてくれないからにゃー」
「別に愛しとかそういうわけじゃ……まあ、美琴のおかげってのは事実だけどな。じゃあな土御門」
「おう、また明日会おうぜい」

 上条は土御門と別れて教室を出た。そんな上条を追う者も、追求する者も誰もいない。
「それにしても、最初のあれは何だったんだろうな。今となっては誰も何も言ってこない」
 上条はここ最近、すっかりおとなしくなったクラスメートや学校の人間について一人呟いた。
 クラスメート達は美琴が超電磁砲で吹っ飛ばしてからも、しばらくの間は色々と上条に突っかかってきていた。
 しかし人の噂も七十五日というからだろうか、気がついた時には誰も上条が美琴といっしょにいることについて何も言わなくなっていた。
「やっぱりみんな暴れるネタが欲しかっただけってことか。一通り暴れ回ったら後はもうどうでもいいと。なんだかな」
 どこか釈然としない思いが上条の心に浮かんでくる。
 しかし、
「まあ、平和が一番か。これでいいんだよな」
 上条は小さくうなずくと、足取り軽く美琴が待つ校門へ走っていった。

 本命を美琴一人に絞ってくれるなら、上条のフラグ体質で自分達が侘びしい思いをすることもなくなるのでは。ならば浮気せずにおとなしく美琴と結ばれてくれ。
 実を言うとこれがクラスメート達、ひいては学校中の男子生徒達の本心なのだが、幸か不幸か上条は知るよしもなかった。
 学校を出た上条は、自分を待ってくれていた美琴といっしょに並んで歩き始めた。
 上条は隣を歩く美琴をチラリと見た。
「なあ美琴。マロン、元気になってきたよな」
「うん、もうほとんど完治してるって先生も言ってたしね」
「それに拾った時から考えたら、どんどん大きくなってる」
「そうね、あのケージもちょっと手狭かもしれないわね。どうしよ、そろそろ新しいの買う?」
「いや、ケージはもういらない。もうすぐ、いらなくなる……」
「ん? アンタ何言ってるの、ケージがいらなくなるなん、て……まさか……」
 美琴はごくりとつばを飲み込むと険しい顔つきになった。
 それに対して上条の顔からは表情が消えた。
「……ああ。そろそろ、潮時だと、思う」
「イヤよ、何よそれ。そんなのイヤよ、絶対」
 ぴたりと立ち止まった美琴は、上条からじりじりと距離を取りだした。
 上条も立ち止まったが、じっと美琴を見るだけで足を動かそうとはしなかった。
「約束だったろう。マロンの怪我が完治するまでだって。後の事は、ちゃんと考えなきゃいけないって」
「でも、そんな……」
 美琴はぷるぷると首を横に振った。
「お前だって、心のどこかでわかってたんじゃないのか? いつまでもマロンといっしょにいることはできないって。マロンはこれからどんどん大きくなる。わかるだろ、マロンは大型犬のゴールデンレトリーバーの雑種だ。それにマロンの太い足、あれだけでもかなり大きくなることははっきりしてるらしい」
「…………」
 美琴は何も答えなかった。
「あんな寮の部屋で大型犬を飼えると思うか? 散歩に行く時だって、毎回どうやって連れ出すんだよ。チワワみたいな小型犬と違って、きちんと散歩させないとかわいそうなんだぞ。それに大型犬は一度きちんとした躾を受けた方がいいんだ。むやみに人を噛んだりしないようにとか、無駄吠えをしないようにとか。そういうことだってあの部屋にいたままじゃできないんだ。マロンがこれからも人間といっしょに生きていくためには絶対に必要なことができないんだ」
「…………」
 上条の言葉を聞いているうちに、徐々に美琴から表情が消えていった。
 美琴は冷たい目で上条を見つめた。
「……ずいぶん詳しいのね、いつの間に調べたの?」
「カエル先生が教えてくれたんだ。このままじゃ、マロンがかわいそうになるって」
「そう……」
「だからな、ちゃんと俺達でマロンの新しい居場所を探してやろうぜ。確実にマロンのことを託せて、できることなら俺達もたまにはマロンに会えるような、そんな新しい居場所を。な!」
「……うるさい」
「え?」
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、黙れ腐れ馬鹿当麻! 私はマロンと離れたくなんてない、だって私はマロンの母親なのよ! 絶対、絶対、絶対、イヤ! この人でなし! なんでそんな無責任なこと言うのよ! アンタなんて、アンタなんて大嫌いよ!!」
「お前の気持ちもわかるけど、マロンだっていつまでも小さい子犬じゃないんだ! ちゃんと考えてやれよ!」
「黙れって、言ってんでしょうが――!!」
 バチィッと美琴は雷撃の槍を上条に向かって投げつけると、だっと走り出した。
「くっ……」
 間一髪それを右手で受け止めた上条はギリッと奥歯を噛みしめた。
「馬鹿はどっちだ。ちゃんと信頼できる人に託すのだって、飼い主の責任なんだぞ……」

 この日、美琴が上条の前に再び姿を現すことはなかった。
 重い足を引きずりながらなんとか家に帰ってきた上条は、出迎えてくれたマロンの頭を愛おしそうに撫でた。
「悪いな、マロン。今日は美琴、来ないんだ。俺が怒らせちまった」
 上条の言葉を理解しているのかしていないのか、マロンはしっぽを振りながらケージの隅からゴムボールを持ってきて上条を見上げた。
「そっか、ちょっと遊ぶか」
 上条はマロンを抱き上げて床に置くと、ゴムボールでマロンと遊び始めた。
「俺だって、マロンと離れたくなんかない。俺がいて、マロンがいて、美琴がいて、そんな生活が当たり前になってるんだ。誰が、誰がこの生活を終わらせたいもんか。なのに、ちくしょう、美琴の馬鹿野郎が……」
 マロンの相手をしながらごしごしと目元をこすった上条は、携帯電話を取り出した。
 上条が知る、数少ない「信頼できる人」に連絡するために。



 翌朝、上条は気だるそうにベッドから起き上がった。
 頭をゆっくり振ると、あくびをかみ殺しながら目をしばたたかせる。
 何気なく時計を見るとまだ七時にもなっておらず、そのことからも昨夜よく眠れなかったのは明らかだった。
「結局美琴の奴、連絡一つよこさなかったな。けど、いいのかよ、お前はこれで……」
 上条が吐き捨てるように呟いた時、音もなく玄関のドアが開いた。
「……やっと、来たのか」
 玄関に目をやることもなく上条はぼそりと呟いた。
「来たわよ」
 玄関の外に立っていたのは美琴だった。

「先に言っておくけど、私、今日は学校休むから」
 美琴は強い意志をその瞳に宿らせて上条を見た。
 上条も負けじと美琴を見返した。
「奇遇だな、俺もそのつもりだ」
「アンタは成績やばいんじゃないの? そんなことして大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないけど、なんとかするさ。その時はまた勉強見てくれ」
「……気が変わってなければね」
「それは心強い」
 上条はここでいったん言葉を句切った。
「お前も色々言いたいことはあるんだろうけど、まずは腹ごしらえだ。マロンの、な」
 美琴はこくりとうなずいた。
「アンタのも作ってあげるわよ、私も朝ご飯食べてないし」
 朝食を済ませた後、二人は向かい合ったまま黙って座っている。
 やがてぽつりと美琴が口を開いた。
「昨日の夜、寝ないで一晩中考えたわ。考えて、考えて、考えた……」
「それで、どうするんだ?」
「答える前に一つ確認したいんだけど」
「ん?」
「アンタにとって、マロンて何?」
 自分をじっと見つめる美琴を見て、上条はふうと息を吐いた。
「今更適当なこと言ったって仕方ないよな、わかった。マロンは、俺の大切な家族だ」
 上条の答えを聞き、美琴は目を閉じ小さくうなずいた。
「そう、ありがとう。それが聞けて決心がついたわ」
「決心?」
「うん、私、当麻の言うことに従うことにする。アンタが言ってることが一番、正しい、と思うから……」
「そうか。ありがとうな、美琴」
 美琴は静かに首を横に振った。
「ううん、お礼を言うのは私の方。今の生活に浮かれてた私と違って、アンタはマロンにとって一番大切なことを、ちゃんと考えてくれてた。アンタだって、マロンと離れるの辛いのに……」
「何言ってんだ、母親のお前に比べたら大したことねえよ」
「謙遜しないでよ。それよりも、詩菜さんやお母さんにはちゃんと連絡したの?」
「ああ、昨日のうちにな。ん? ちょっと待て、なんでお前そのことを!?」
 上条は目を丸くして大声を出した。
 美琴は小首を傾げてふふんと笑顔を浮かべた。
「アンタこそ何言ってるのよ。アンタが昨日言ったんでしょ、確実にマロンを託せて私達もマロンに会える場所って。そんなの、うちの実家か当麻の実家くらいしかないじゃない。アンタとの付き合いも結構長くなってきたしね、それくらいわかるわよ」
「参ったな」
 上条は困ったように頭をかいた。
「それで、二人共に連絡したの?」
「ああ、向こうの様子もわからないし、どういう形で受けて入れてもらえるかもわからないしな。そもそもマロンを受け入れてくれるかすらわからなかったわけだし」
「で、二人はなんて?」
「結論から言うと、二人とも構わないそうだ。あんなかわいい犬、大歓迎だって二人とも言ってたぜ」
「かわいいって、写真送ったの?」
「そう、やっぱりこういうのはアピールも問題だからな。とびきりの写真を送った、ほれ」
 上条は携帯を開いて詩菜達に送ったという写真を見せた。
「へえ、よく撮れてるじゃない。で、他にはどんな写真撮ってるのよ?」
 そう言いながら美琴はさりげなく上条の携帯のメモリチェックを始めた。
「おおおい、お前、どさくさに紛れて何やってんだ!」
「いいじゃない別に、減るもんじゃないんだし」
「お前そればっかだな、いい加減にしろ! 俺のプライバシーが減るどころかなくなるだろうが!」
「知ってるのは私だけなんだから別にいいじゃない、ケチ」
 上条の携帯を取り合って二人が暴れ始めた時、そのやりとりを妨害するかのように上条の携帯が鳴った。
「さっさと返せよ」
 上条は美琴から無理矢理携帯を奪い耳に当てた。
「もしもし……あ! み、美鈴さん、おはようございます!」
「お母さん?」
 電話の相手は美琴の母、美鈴だった。
 上条は電話に出るとぺこぺこと頭を下げた。
「昨日はすいませんでした、いきなりあんな電話をして。え、ああ母さんとももう、はい。そうですか、ご主人も……わかりました、ありがとうございます。で、結局……はい、なるほどわかりました。それで、いつ? はい、週末、ですか……わかりました。ご足労おかけします、はい、ではまた」
 電話を終えた上条に、美琴は興味津々といった様子で顔を近づけた。
「ねね、お母さん、なんて?」
 しかし上条はそんな美琴を手で制した。
「悪い、説明する前に俺の実家の方にも電話しておかないといけないんでな」
 そう言うと上条は再び電話を耳に当てた。

「もしもし、母さん? うん、今美鈴さんから連絡があった。……うん、じゃあ美鈴さんが言った通りでいいってこと? そう、ありがとう。本当に、感謝の言葉もないよ。あとさ、訓練のことなんだけど……うん、へえ、そうなんだ、今はそんなのがあるんだ。うん、なんか安心した。それから、父さんは? ……そう、なんだよそれ。変にかっこつけるんじゃねえって伝えておいてくれ。でも、良かった、本当に。じゃあ、マロンのこと、本当に頼むから、うん。じゃあ」
 電話を切った上条はほうっと息を吐いた。
「ねえ、もういいでしょ? 説明してよ」
 美琴は目を爛々と輝かせながら上条を見る。もう我慢の限界が近いようだ。
 上条はそんな美琴を見ながらぽりぽりと頭をかいた。

 上条はこほんと咳払いをした。
「えっと、そうだな。まずはマロンの新しい家は、俺の実家に決まった」
「私じゃなくて当麻の家? どうして?」
「うーん、単純に俺の母さんが一番家にいる時間が長いから。俺の父さんもお前の親父さんも、海外赴任で基本的に家にいないし、美鈴さんも大学があるから家を空けることが多い。で、俺の母さんは専業主婦」
「なるほど、そう考えたら確かに詩菜さんが一番適任ね」
 美琴はうんうんとうなずいた。
「家自体は俺の方もお前の方も一戸建てだからなんの問題もないんだけどな、まあそういうわけだ。でも、マロンを育てることに関しては両家が協力するらしい。家が近いし、なによりみんなすっかりマロンが気にいっちまったって」
「みんなって、私や当麻のお父さんも?」
「ああ、母さん達が写真を転送してくれててな。俺の父さんもお前の親父さんも、マロンが気に入ったそうだ」
「そう」
「それに、気に入ったっていうのもあるんだけど、なんか俺の父さんは、俺が頼み事をしてくれたことそのものが嬉しかったらしくて、二つ返事だったそうだ。まったく、馬鹿親だよな」
 上条は刀夜を小馬鹿にしたように笑った。
「馬鹿はどっちよ……」
 しかし美琴は気づいていた。上条の顔に浮かぶ、照れたような、それでいて隠しきれない嬉しさの表情に。
「それから訓練のことだけど、最近は飼い主もいっしょに訓練する必要があるとかで、家に住みながらできる出張訓練サービスが受けられるそうだ。その手続きはもう母さんが済ませたらしい、昨日の今日で」
「そう。なら、マロンは引っ越したすぐ後に訓練所行きになる、なんて寂しい思いをしなくて済むのね」
「そういうことだ。それで後は、いつ、マロンを引き取りに来るか、なんだけどな……。今週末だ」
「今週末? そんな、じゃあもうあと二日しかないじゃない!」
「そうなるな。でも、向こうの都合だってあるし、マロンのこれからのことを考えたら仕方ない事じゃないか? まあ、そういうことだ。で、時間は明後日の日曜日の午後五時。来てくれるのは美鈴さん」
「…………」
「というわけで説明は以上だ。質問は?」
 美琴はふるふると首を横に振った。
「そうか。じゃあ完璧ってわけじゃないけどとりあえずの区切りがついたってことで、後で病院に行くか」
「病院? 何しに?」
「もちろんマロンの怪我が治りきったか確認してもらわないと。それができてないと、電車での移動なんてマロンにさせられない。それにさ」
「それに?」
「一度くらい、マロンと散歩したくないか? 許可もらいたい、だろ?」
 上条の言葉に美琴はぱあっと表情を輝かせた。
「したい、したい! よし、そうと決まったら今すぐ病院行くわよ、マロン! ……あれ、どうしたのマロン?」
「……美琴、俺が言うのもなんだが学習能力持とうな。お前が大声で病院なんて言うからマロン、すっかりおびえてるから」
 こうして二人と一匹は昼食後、病院に向かった。
 病院で冥土帰しに診察してもらったところ、マロンの怪我は既に完治しており、電車での移動も、散歩も構わないということだった。
 そして治療が終わった時に、上条達は冥土帰しに礼を言うと共にマロンのこれからのことを伝えた。
 冥土帰しは黙って二人の話を聞き続けた。彼が口にした言葉はただ一言、美琴に対しての「よく決断したね」という言葉のみだった。



 病院からの帰り道、二人は河川敷にやってきた。二人が何度か決闘したこともあるあの河川敷だ。
 二人は河川敷に降り立つときょろきょろと辺りを見回した。夕方、完全下校時刻が近いこともあって二人以外もう誰もいない。
 上条は人の気配がないことを確認するとキャリーを下ろした。そして鼻歌を歌いながらマロンを出し、ハーネスとリードを付けた。
「さあ、初めての散歩だ。ただ病み上がりってことで今日はちょっと歩くだけだけどな。これから徐々に慣れていかなきゃな、マロン」
「うん、でも本当はその慣れるのだって、私達がマロンといっしょにやっていけるはずだったんだよね……」
「もう言うなよ。俺達が学園都市にいる以上、どうしようもないことなんだ……」
 上条はマロンに付けたリードを美琴に渡すと、右手で彼女の手を握った。
 美琴は小さくうなずくとゆっくりと歩き出した。
「さ、マロン。ちょっとだけだけど、散歩しよ」
 約一月ぶりの外の世界ということで初めは少し緊張していたマロンだったが、すぐに慣れたらしく得意げな表情で意気揚々と歩き出した。
 美琴も上条もそんなマロンを複雑な思いで見つめていた。

 こうして、この日もいつものように過ぎていった。
 そして二日後。とうとう、マロンが美琴や上条と別れる日がやって来た。

「ねえ当麻、やっぱりお母さんに帰ってもらうわけには……いかないよね、わかってる」
 午後四時半。モノレールの駅で上条と共に御坂美鈴を待っていた美琴はこう上条に話しかけていた。
 上条は本日何度目かもわからないため息をついた。
「もう諦めろよ。何も今生の別れってわけじゃないんだ、な」
「うん、でも……」
 美琴は胸に抱いているマロンをじっと見た。
 本来ならば暴れるのを見越してキャリーの中に入れておいた方がいいのだが、どうしてもと言う美琴に折れる形で、こうしてマロンは美琴に抱かれていた。
 しかし、今まで来たこともない場所、そしてどこか悲壮感を漂わせる美琴の様子にマロンはガタガタと震えていた。
「マロン、こんなに震えて怖がってる。ねえ、こんな状態で引っ越せるの?」
「最初だけだ。最初は確かに怖がるだろうけど、すぐに新しい生活にも慣れてくれる。まだ子犬だから大丈夫、ちょっと寂しいけどな」
「……うん」
 小さくうなずくと、美琴はそっと上条に寄りかかる。
「…………!」
 美琴の肩に手を乗せていた上条は、彼女の突然の行動に文字通り固まった。
「ちょ、おい!」
「……お願い、マロンとこうしてるだけじゃまだ足りないの。心の中が」
 不安そうに呟く美琴に上条ははあっとため息をついた。
「こうしてると、お前も普通の女の子って感じがするんだけどな」
「……今だけは怒らないでいてあげる、普段だったら許さないわよ」
「はいはい」
 そう言いながらも上条から離れようとしない美琴と、右手を移動させそんな彼女を抱きしめるような体勢になる上条。
 駅の中になんとも言えない一種独特な空間が形成されていた。

「うーん、親が見てないうちにずいぶんラブラブになっちゃったのね、二人とも。でもいい加減私の存在に気づいてくれてもいいと思うのよね」
「…………!」
 上条達はばっと声のした方を向く。
 そこにはニヤニヤと笑みを浮かべる美鈴がいた。
「か、か、かかかあしゃん!! い、いちゅちゅからそ、しょこに!! みゃだじきゃんじゃないでしょ!!」
「色々とあってちょっと早めに来ちゃっただけよ。それにしても美琴ちゃん、ラブラブタイムを邪魔されて焦ったのはわかるけど、もう少し落ち着いてね」
 美鈴は苦笑いを浮かべながら二人に向かって手を振っていた。
「あ……か、かは……こきゃ……」
「えーと、美鈴さん。美琴が焦って呼吸困難起こしそうになってるんで、あまりこういうことはしないで下さい」
 上条がすっと美琴と美鈴の間になるような位置に立った。
「あー、上条くん、さりげなく美琴ちゃんをかばってる。うーん、やるわね!」
 美琴はぐっと右手の親指を突き出した。
「はあ……」
 上条はこめかみに指を当てた。
「だからそうやって人をからかうのはいい加減止めて下さい」
「えー、いいじゃない。こうやって美琴ちゃんで遊ぶと楽しいんだもん」
「まったく、少しは歳考えてくれよこの人……」
「……何か言った?」
「美鈴さんは今日もおきれいですね」
 急に声のトーンを落とした美鈴に、上条も冷静な態度で返した。しかし上条の表情が多少引きつっているのは紛れもない事実であった。
「うーん? あ、その子がマロンちゃんね! イヤー、かわいい! 写真で見るよりずっとかわいいじゃない!」
 なおも上条を追求しようとした美鈴だったが、ふと美琴が抱いているマロンが目に留まったらしく、あっさり上条を解放した。
「あー、美琴と反応いっしょだ……」
 上条は美鈴の反応にデジャヴュを感じていた。

 そして上条の感想をよそに美琴と美鈴の間ではいつの間にかマロンの争奪戦が始まっていた。
「ねえ、マロンちゃん貸してよ! いいでしょ!」
「イヤよ、どうせお母さんは後でいくらでも触れるんだから今は私がずっと抱いておくの!」
「いいじゃない、ケチ!」
「ケチじゃないわよ!」
「ブー、じゃあ上条くんに抱きつくからそっち貸して」
「こっちはもっとダメ!」
「美琴ちゃんのけちんぼ。減るもんじゃあるまいし」
「減るのよ!」
「……何が? あの、それはともかく二人とも、そろそろ終わりにしないか? 時間もあんまりないし」
「え? あ、そうね。ちゃんとマロンのこととか話しないといけないわね」
 噛みつかんばかりの勢いで美鈴に顔を近づけていた美琴は、あっさりと美鈴から離れた。

 美琴は胸に抱いたマロンの顔を美鈴に近づけた。
「改めて紹介するわね、この子がマロン。一ヶ月前私が拾った犬よ」
「うんうん、上条くんからもらった写真通りのかわいい犬ね。これからよろしくね、マロンちゃん」
 そう言って美鈴はマロンの頭を撫でる。
 初めは緊張して嫌そうにしていたマロンだったが、美鈴から美琴と似たような雰囲気を感じたのだろうか、やがておとなしく頭を撫でられ始めた。
「あら、意外とあっさり撫でられてるわね」
「ふふん。何よ美琴ちゃん、面白くないの?」
「別に、そんなわけじゃ……」
 美琴はすっと美鈴から視線をそらした。実際は自分の母親とはいえ、あっさりとマロンが他人に懐いたことがあまり面白くなかったのだ。
「別に驚くことじゃないでしょ。私達、親子なんだもん。それに見かけだって似てるし」
「いや、見かけなんてあまり関係ないんじゃ」
「親子だから匂いだって似てるんでしょ。ねえ、上条くん」
 急に話を振られた上条はしどろもどろで返事を返した。
「へ? い、いや別に匂いのこととか言われたって俺にはちょっと」
「あらそう? じゃあ私の匂い嗅いでみる? そうしたら美琴ちゃんと比べられるわよ」
「な、何わけのわからないセクハラしてんのよアンタは! 当麻! アンタも顔真っ赤にして反応するな! そんなに人妻がいいのか、そんなに巨乳が好きか!? どれだけ節操ないのよアンタは!」
 つつっと上条に近づきその頭を抱きしめようとした美鈴に、美琴は顔を真っ赤にして吠えた。
 そして美琴は返す刀で上条にも噛みつく。だんだん美鈴への文句より上条への言いがかりの方が強くなっていくのはご愛敬といったところか。
「もう、美琴ちゃんたら短気なんだから」
「アンタが言うな! ほんとにもう……」
「あんまり独占欲が強いと、愛想尽かされるわよ」
「大きなお世話よ!」
 美琴はブツブツと言いながら、マロンに関する基本的なデータの入ったメモリを美鈴に渡した。
 これでもう、今ここでできることは何もない。
 後はマロンをキャリーの中に戻し、美鈴に引き渡すだけで用事は全て終わる。
 美琴はため息をつきながらマロンを撫で続けた。
「本当に、これでお別れなんだ……」
「…………」
 上条は黙って美琴の側にキャリーを置いた。
 美琴はチラと時計を見た。後十分ほどでモノレールが出発する時間だ。
 つまり、マロンといっしょにいられる時間も後十分ほどということになる。
「当麻。手、離してくれる?」
 小さく深呼吸をした後美琴が呟いた言葉に、上条の表情がこわばった。
「どういうつもりだ、美琴。今からお別れっていうときに……まさか、お前」
 美琴はこくりとうなずいた。
「お願い」
「……ああ」
 美琴がマロンをキャリーの中に入れ、ドアを閉めたのを確認した上条は、そっと美琴の肩から手を離した。その途端、マロンはおびえたようにケージの奥に後ずさった。
 美琴はマロンのその態度に一瞬体を震わせたが、小さく頭を振ってすっと立ち上がった。
 その瞳からぽたっぽたっと涙がこぼれ始めた。
「バイバイ、マロン。元気でね」
「美琴……」
 上条は思わず美琴の肩に手を置こうとした。
 だが、
「触らないで」
 美琴の静かだが、それでいて凛とした声に気圧されるように上条は手を引っ込めた。
 美琴は目元をごしごしとこすると、じっと美鈴を見つめた。
「お母さん、マロンのこと、お願いね」
 美鈴はゆっくりとうなずいた。
「月並みなことしか言えないけど、上条さんといっしょに、ちゃんと育ててみせるから。美琴ちゃんが助けたこのマロンちゃんは、あなたが助けたことに意味があるような、そんな生き方をさせてみせるから」
「うん」
 美琴はゆっくりと後ずさり始めた。ゆっくりゆっくりとマロンから、大切な家族から離れていった。
 そんな美琴を見ながら美鈴はすっとキャリーに手をかけて持ち上げようとした。
「あ!」

 その時、突然マロンが暴れ出した。
「ちょっとマロンちゃん、暴れちゃダメよ!」
 慌てた美鈴が思わずキャリーを落とした。そのショックでキャリーの入り口のドアが開いてしまった。美琴が無意識に閉め方を甘くしていたのかもしれない。
 キャリーから出たマロンはまっすぐ美琴に走り寄った。
「え? え?」
 自分に近づいてくるマロンを見た美琴は思わず立ち止まった。
「なんで? なんで?」
 呆然とする美琴。
 しかしマロンはどんどん美琴に近づいてくる。
 そしてとうとう、マロンは美琴に飛びついた。
「マロン!」
 気がついたときには美琴はぎゅっとマロンを抱きしめていた。
 マロンはペロペロと美琴の顔を舐めていた、まるで美琴の頬を伝う涙を拭うかのように。
「いや、くすぐったいよマロン」
 しかしマロンが舐めても舐めても美琴の瞳からは涙が止まらなかった。
「どうして? どうして?」
 マロンは美琴の疑問に答えるかのように必死で美琴の顔を舐め続けていた。
「お前の負けでいいだろ、美琴」
 上条がぽんと美琴の頭に右手を置いた。
 マロンに顔を舐められながら、それでも美琴には今の状況が信じられなかった。

 確かに電磁波に関して鈍い動物だっている。
 しかしマロンは確実に自分の電磁波を嫌っていたのだ。
 だから美琴はマロンと離れる今、電磁波を放ったのだ、マロンと別れやすくなるように。
 なのにそれでもマロンは自分と離されたとき、自分と別れるときに、電磁波よりも自分といっしょにいることを選んでくれたのだ。
 美琴の瞳から流れる涙はまだ止まらない。
 しかしそれが悲しみの涙でないことだけは誰の目にも明らかであった。
 結局その後嫌がるマロンをなんとかキャリーの中に入れると、美琴はそれを美鈴に渡した。
 美鈴はキャリーを受け取るとすっとモノレールに乗り込んでいった。そろそろモノレールの発車の時間だ。
「じゃあね、美琴ちゃん、上条くん」
「うん、さよならお母さん。お父さんにも元気でって言っといて」
「お元気で。後、うちの両親にもよろしくお伝え下さい」
 簡単な挨拶をするうちに、モノレールの発車のベルが鳴り出した。
 美琴はもうキャリーの中のマロンと目を合わせようとしなかった。それがマロンにとっても自分にとっても一番いいことだとわかっているから。

 そうするうちにモノレールのドアが閉まった。ゆっくりと動き出すモノレール。それに従い遠ざかる美鈴とマロン。
 最初は黙って手を振っていた美琴だったが、やがて耐えきれなくなったかのように走り出した。
「マローン、バイバーイ! きっと会いに行くからねー!」
 ホームの端まで来た美琴は立ち止まると、モノレールが見えなくなるまで手を振り続けていた。



「どうする? 今なら無料で貸し出すぞ、ここ」
 手を振るのを止めた美琴の背後に立ち彼女に声をかけた上条は、冗談めかして自分の胸を指さした。
 しばらくじっと上条の胸を見ていた美琴はやがてゆっくりと首を横に振った。
「何言ってるのよ。せっかくマロンが私の涙拭ってくれたのよ、ここでアンタの胸なんて借りたらマロンに会わせる顔がないじゃない。だいたい、女を泣かせるために胸を貸すなんて、アンタにはまだまだ早いのよ」
「……そうか。じゃ、帰ろうぜ」
「うん」
 美琴はたたっと上条の横に並ぶとぎゅっとその腕を抱きしめた。
「でも」
 そのまま上目遣いで上条をじっと見つめた。
「アンタの胸、私専用として予約だけはしといてあげる。だ、か、ら、早く私が使ってあげられるくらいのいい男に成長しなさい。目標は今年中、いいわね」
 上条は困ったような、けれど優しげな笑みを浮かべゆっくりとうなずいた。
「かしこまりました、美琴姫」



おしまい


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