とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part07

最終更新:

NwQ12Pw0Fw

- view
だれでも歓迎! 編集


愛妻弁当はまだ早い


 ある日の放課後、柵川中学の一年生、初春飾利と佐天涙子は街中でよく見知った人物の姿を視界の端に捉えた。
「ねえ、初春。あれって御坂さんだよね」
「へ? あ、そうですね、御坂さんです」
 佐天の指摘に初春も相づちを打つ。
 二人の視線の先には本屋で立ち読みする御坂美琴の姿があった。その真剣な表情は二人があまり見たことのない物である。
「何やってるんだろう?」
「それは立ち読みでしょう、やはり」
「だよね。でもお嬢様も立ち読みするんだ」
「佐天さん、知らないんですか? 御坂さんって結構立ち読みとかするんですよ」
「ふーん、まあ御坂さんらしいっちゃ、らしいか」
「はい。でも妙ですね」
「何が?」
「御坂さんの読んでる本です、ほら」
「ん? どれどれ?」
 佐天は初春の指示通り、美琴の読む本のタイトルに視線を動かした。
 けれど佐天は何が妙なのかわからず首を傾げる。
「普通の本でしょ」
「佐天さんにとっては普通の本ですけどね。けど御坂さんって立ち読みするのは漫画ばっかりで、ああいう本に興味はないはずなんですよ。あくまで白井さん情報ですが」
「ふーん」
 初春に言われて佐天は改めて美琴の読んでいる雑誌のタイトルを目で追ってみる。
 それはごくありふれたティーンズ向けの雑誌、女子中学生にとっては本当に極当たり前、普通の本であった。
「そんなもんなんだ」



 一方、自分の行動が初春達に監視されていることなど露ほども知らない美琴は、真剣な表情で雑誌を読み進めていた。
「ふむふむ、なるほどね。お菓子をプレゼント、うん、こういうのもありかな。でもアイツの好みからすると、あっちの方が合ってるのよね。おやつなんかよりまず三食きっちり食べることの方が重要そうだし」
 そう呟きながら美琴は雑誌を棚に戻すと、家庭料理を扱った本のコーナーに移動した。

「うんうん。凝った物もいいけど、やっぱり基本は家庭料理よね」
 美琴は家庭料理のレシピ本をパラパラとめくり始めた。
「まあ、基本的なことはできるから別に気にすることもないんだけど、やるからにはやっぱり徹底的にやらないと。それにアイツ、一人暮らし長いくせにあんまり料理得意じゃないって言ってたし。こういうのって結構効果的になったりするのよね」
 何に対してどう効果的なのか、という肝心な部分を深く考えないまま、美琴は先日、上条にお好み焼きを振る舞った時のことを思い出していた。



『別にそんな大げさに美味しいって言わなくてもいいわよ。私だってしょせん素人なんだし』
『いやいや、本当にすげー美味かったって。恥ずかしい話、俺って一人暮らし長いけど料理なんてあんまり上手くなくってさ。こういうまともな料理食えたの、久しぶりなんだ』
『へ、へえー。そうなん、だ……。で、でも私だってそんな慣れてるわけじゃないし』
『それでも俺より絶対に上手い、保証する。それにしても慣れてない、ね……。うーん、慣れてなくてこれって言うんなら、本当にお前って凄い奴なんだな。うん、なんだかよくわかんなかったけど、こういう勝負ならまたいつだって受けて立つぜ。今日はサンキューな、御坂』
『え? ……ま、またって、その、アンタ、私のて、手料理、食べたいって、事、なの?』
『ああ、御坂が迷惑じゃなければな。上条さんはいつでも大歓迎いたしますですよ。あくまで食べる専門だけど』
『そう、なんだ……』
『?』

 その後しばらく上条と会話した結果、料理をあまり得意としない上条は、安くて一見凝っているように見えて実は簡単な上にお腹もふくれる、ある意味における三拍子揃った料理を家では主に作っていること、更に言うなら簡単なように見えて意外と手間のかかる家庭料理という物への強い憧れを持っている、ということまでを美琴は聞き出した。
 もっともこの上条の発言の裏には、インデックスという上条家のエンゲル係数を極限まで押し上げるブラックホールの胃を持つ少女と上条が同居している、という事情が大いに関係しているのだが、美琴がそんな事情を知るはずもない。
 とにかく美琴は上条の舌と胃袋を虜にする手段を手に入れた、そう考えていた。
 上条の周りの女性でこういう事情を知る者はいないはず。
 だからこの路線で攻めれば、また上条との関係を良い方向に変えることができる、そう思ったのだ。



「料理のことがあるから私を邪険にすることはできない、そう思わせられればまた私の勝ちよね。これで二連勝!」
 二、三度瞬きした美琴は小さくうなずいた。
「うん、大丈夫。アイツ、私の手料理、好きって言ってくれたんだもん。また作って上げたら、きっと喜んでくれるわよね」
 手に持った家庭料理のレシピ本を閉じた美琴は頬を染め、はにかんだような笑みを浮かべる。
 本人がどれだけ否定しようともそれはもう、常盤台の超電磁砲でも、学園都市最強のレベル5の顔でもなかった。
 今の美琴の表情。それは紛れもなく一人の女子中学生、恋する乙女、のそれだった。



 そんな美琴の様子を見た佐天は、美琴に聞こえないよう小声で歓声をを上げた。
「うわー、御坂さん、かわいい。ねえ初春、あの御坂さんってめちゃくちゃかわいすぎ……って、何やってるの?」
「はい? ただの隠し撮りですけど、それが何か?」
 声をかけられた初春だったが、彼女は佐天の方を見もせず黙々と作業を続けていく。
 その様子に佐天は若干顔を引きつらせた。
「いや何かって、そんな真顔で聞かれても」
「何がそんなに不思議なんですか、佐天さん?」
「えと、そりゃ、普通に不思議だと思うけど」
「はぁ、そうですか」
 しかしやはり佐天の方を向くこともなく、真顔の初春は手に持った高性能デジカメで美琴の写真を撮り続けていた。

 やがて写真を撮り終えた初春は、ようやくカメラから手を離して佐天の方を向いた。
「ふぅ、これくらい撮れば十分ですね。佐天さん、お待たせしました。ん? どうしたんですか?」
「え、ええっと、その、なんて言うか、終わったの?」
「はい、撮影終了です。これだけあれば白井さんも満足すると思いますから」
「え? 白井さんって……この写真、白井さんのために?」
 きょとんとした佐天の質問に初春はこくりとうなずいた。
「ええ。白井さん、すごく喜ぶんですよ、御坂さんのベストショットをプレゼントしてあげたら。あの頬を染めた御坂さんの写真なんか、きっと大喜びしますよ」
「確かにそれは喜びそうだろうだけど、でもどうして初春がそんなことをしてあげるの? 頼まれてるとか?」
「いいえ、あくまで私が勝手にやってるんですよ。白井さんは大切なお友達ですから。お友達が喜ぶことをするのは当然です」
「はぁ……。ねえ初春、まさか、とは思うけど、プレゼントなんて言いながら、白井さんにその写真を売ったりしてないわよね?」
 訝しげに質問する佐天に、初春は憮然とした表情になった。
「佐天さん、それはいくらなんでも失礼じゃないですか? 大切な友達の御坂さんの写真を、同じく大切な友達の白井さんに売るなんてマネ、私がすると思ってるんですか? あくまでプレゼントするだけです。一円ももらってません」
 静かだが凛とした声で断言する初春。
 その口調に佐天の頭は自然に垂れた。
「ご、ごめん初春。そうだよね、いくらなんでもそんなマネ、あたし達の間で――」
「だけど、御坂さんの写真をプレゼントしてあげたら、なぜか白井さん、常盤台の実習なんかで使うすごく上等なお茶やお菓子をごちそうしてくれるんですよね。それもたくさん写真をあげればあげるほど」
「…………」
「佐天さん、どうして黙るんですか?」
「……ごめん、初春。本当になんかもう、ものすごくごめん。スカートめくる回数、今まで一日十回だったの、七回までに減らすから。だからね、私の知ってる純粋な初春に戻って、お願いだから」
「はい? 何を言ってるんですか、佐天さん?」
 心の底から残念そうな表情で自分の肩に手を置いてくる佐天の顔を見ながら、初春は小首を傾げた。
「…………」
 そんな初春に対して、もはや佐天は何も声をかけることができなかった。
 今の佐天にできることは心の中でさめざめと泣くこと、ただそれだけだった。



 初春達がそんな珍妙なやりとりを続けている事をまったく知らない美琴は、嬉しそうな顔をしたまま本屋を後にした。その手にはもちろん、先程購入したレシピ本が入った紙袋がある。
「佐天さん、御坂さんが出てきましたよ」
「え?」
 美琴が本屋を出たことに気づいた初春が、小声で佐天に声をかけた。
「どうします?」
「どうするって……とりあえず、追いかけようか」
「ですね、また写真のネタがあるかもしれませんし」
「それはもういいって……」



 美琴はブツブツと呟きながら常盤台の寮への家路を急いでいた。
「そうね、ぶっつけ本番でいきなりアイツに食べさせるっていうのもいいんだけど、まずはこの本に載ってる料理を片っ端から練習して、その上でアイツに食べてもらうってのがセオリーよね」

 美琴は上条とよく会う公園の入り口に来たとき、ぴたりと足を止めた。
「ということはやっぱり寮の調理室で練習するしかないわよね。黒子にばれなきゃいいけど」
 それだけは避けないと、と美琴は独りごちた。

 なぜかはわからないが、白井は上条と自分がいっしょにいることを快く思っていない。この間など少し上条と話していただけで、彼女は上条を攻撃したくらいだ。
 そんな白井にもし自分が今やろうとしていることがばれた日には、彼女がどんな行動を取るか想像もできない、そう美琴は考えていた。
 したがって白井にばれることだけは絶対に避けなければならないのである。

「黒子にばれないように練習するんだったら、初春さんや佐天さんの部屋で練習させてもらうのも一つの選択肢なんだけど……。でもあの二人がこのこと知ったら、また私をからかおうとするだろうしなあ。別にあの馬鹿とはなんでもないって言ってるのに、どうしてあの子たちって妙な誤解するのかしら」
 美琴は顎に指を当てるとうーんと唸った。
「やっぱり言わない方がいいか、妙なネタを提供するだけだろうし……。うん、やっぱり内緒にしておこう」
 美琴は一人納得したようにうんうんとうなずいた。



 そんな美琴を近くの物陰に隠れながら見ていた佐天と初春は、小さく、それでいて盛大なため息をついていた。
「御坂さん、もう完全にばれてますから……。それに誤解じゃないでしょう、あんな嬉しそうな顔して。だいたいなんでもない相手なら、どうしてわざわざ本まで買って、練習してまでご飯を作ってあげるんですか……」
「ですよね。お好み焼き屋デートの話だってこっちはもう掴んでいるっていうのに、何を今さら。佐天さん、もしかして御坂さんって、カミジョウさんが絡むとドジッ子になるんでしょうか?」
「かもね。あんな大声で独り言言ってて周りに気を遣いもしないし。そもそもあたし達が常連になってるお好み焼き屋でデートする事自体がうかつだよね」
「はい、情報ダダ漏れです」
「まあとにかく、恋愛ごとに関して言えばあの『常盤台の超電磁砲』も」
「ただの女の子って事ですね」
 初春達はやや困ったように互いに顔を見合わせた。
 しかしその表情には、友人である美琴の新たな一面を知ることができた喜びも含まれていた。

「ところでさ、初春」
「はい?」
「あれ、なんだと思う?」
「あれとは?」
「あれ」
「はあ」
 初春は佐天の指差した方向、公園の中の方へ目を向けた。
 確かに公園の中の方に何か、いや誰かがいるのが見えた。しかもその人影は徐々に大きくなっている。こちらに向かってきているのは間違いない。

 初春は無意識にかわいらしく小首を傾げていた。
「誰かがこっちに向かってきてますね。いったい誰でしょう?」
「うーん。あ、あたし正解わかったかも」
「え、まだ顔もよく見えないくらい遠いのに、わかったんですか佐天さん?」
「たぶんね、ほら」
「ほへ?」
 佐天は公園の中ではなく、その入り口に立っている美琴を指差した。
「どうして御坂さんを?」
「ほら、よーく見てみ初春、御坂さんの様子」
 佐天に促されるように初春は美琴の様子を観察してみた。
 しかし美琴の様子にこれといって特筆すべきところはないように思えた。彼女はただじいっと公園の中を見ているだけだったのだから。
「ただ公園の中を見ているだけみたいですけど」
 初春は不思議そうに佐天を見た。
「ノン、ノン、初春。もう一度よーっく見てみなさい」
 初春はもう一度美琴の様子を見てみた。そして美琴の表情を注意深く見たときに、ようやく自分が思い違いをしていることを理解した。
 美琴はただ見ているのではなかった。彼女はこちらに向かってくる人物を、頬を染め熱心に見つめていたのだ。
「…………!? なるほど!」
「そういうこと」
 佐天は嬉しそうにうなずいた。

 あの現在進行形で恋する乙女、御坂美琴が見つめるような相手はこの世にたった一人しかいない。
 しかもその美琴の目がほんの少し潤んでいるのだから、これはもう間違えようがないのだ。
 美琴が熱を帯びた視線で見つめる相手。
 それは、

「だあ――っ! もう間に合あわね――! 上条さんちの食卓が大ピンチですよ――!!」

 学園都市で最も有名なレベル0、伝説のフラグ男、上条当麻である。



 上条は必死の形相でこちら、というより公園の出口に向けて全力疾走していた。
 その様を見ながら美琴はぎこちない様子で片手を上げた。
「あ、あら、奇遇じゃない、ど、どうしたの、こんなとこ――」
 しかし美琴の挨拶はここで終わってしまう。
 上条がびゅんっという効果音を付けられるほどの勢いで美琴の側を駆け抜けてしまったからだ。
「とこ、ところ……で、ででで……?」
 上条が駆け抜けたあと、そこにはぽつんと一人、美琴が立ちつくすのみだった。



「何あれ……」
「あっさりスルーでしたね……」
 呆然と美琴達の様子を見ていた佐天だったが、急にはっと息を呑むと自分と同じように呆然としていた初春の腕をぎゅっと掴んだ。
 そしてそのまま初春に小声で、けれど真剣な口調で話しかけた。
「何してるの初春? 速く逃げるよ!」
「え?」
「だから危ないから、ほら、逃げなきゃ!」
 再度、佐天は初春を促す。
 しかし初春は未だぼうっと美琴の様子を見たまま動こうとしなかった。
 その様子にイライラした佐天は、ややきつめの調子で初春に声をかけた。
「何やってるのよ!? 初春は知らないだろうけどカミジョウさんが絡んだときの御坂さんって、いつもと比べものにならないほど沸点低いんだよ! このままだと電撃であたし達も巻き添え食らうかもしれないんだから速く逃げな――」
「でも」
「何!?」
 なおも動こうとしない初春を佐天はキッとにらみつける。
「御坂さん、電撃出さないみたいですよ」
「へ? 嘘!?」
 思わずまぬけな声を出した佐天は初春の指差した先、美琴の様子をまじまじと見つめた。
「ほんとだ……」

 確かに初春の言う通り、美琴の周りにはまったく電撃が漂ってはいなかった。これなら自分達が電撃の余波で被害を受けることはないだろう。
 けれど、
「でも御坂さん、とんでもなく怖い顔してるじゃない……。子供が見たら泣くわよ、あれ……」
 美琴は確かに電撃自体は出していなかった。しかし上条をにらみつけるその表情は正に般若のようであり冗談抜きで怖い。
 いや、怖いと言うよりむしろ恐ろしい。そう、いつぞや上条が女性を押し倒す様を目撃したあのときと同じくらい、それくらい恐ろしい表情だった。
 電撃は確かにないかもしれない、しかし上条が無事で済むとも佐天にはとても思えなかった。
「カミジョウさん。身から出た錆とはいえ、ご愁傷さまです……」
 佐天は走り去る上条に心の中でそっと黙祷を捧げた。



 一方、当の美琴は般若の表情のまま上条をにらみつけていた。
「何よ、あの馬鹿……いくらなんでもスルーって事はないでしょう? 私はアンタにとって未だにその程度の存在なわけ? デートだってしたし、手料理だって作ってあげたし、これからだって……。なのにその態度……。そんなこと、許されると思ってるの……? ううん、許される訳ないでしょう……」
 すっと表情を消した美琴は側にある空き缶を掴んだ。彼女はそのまま野球の投球フォームを取ったかと思うと、
「いっけ――!」
 上条に向かって思い切り空き缶を投げつけた。狙いは寸分違わず上条の頭。
「ぐげ!」
 そして空き缶は見事に上条の頭を強襲。彼は綺麗な放物線を描いて地面に倒れることになった。
「やった! 大当たり!」
 ぐっと拳を握った美琴は嬉々として上条の元に駆けていった。



「…………」
 地面に倒れた上条はピクリとも動かなかった。
 そんな上条の側に、ぶちぶちと文句を言いながら美琴が走り寄ってきた。
「アンタね、いくらなんでも私をスルーするってのはどういう了見なのよ。ていうか、どうしていつまで経ってもアンタの検索件数の中で私はゼロ件のままなのよ。ほら、なんとか言ってみなさいよ、ねえ!」
 しかし上条は美琴の声に何の反応も示さず目も覚まさない。よほど当たり所が悪かったのだろうか。
 美琴は顔をほんのわずか引きつらせて地面に座り込むと、上条の体を揺すった。
「ね、ねえ、ちょっと、いい加減に起きなさいよ」
「…………」
 しかし上条が目覚める様子は見られない。
 美琴はごくりとつばを飲み込むと、今度は上条の体を強く揺すってみた。
「ねえ、ねえってば!」
「…………」
 けれど上条は無反応。
「嘘、でしょ……。たったあれくらいで……」
 唇をぎゅっと噛んだ美琴は更に強く上条を揺すった。
「ねえ、ねえ! 起きてよ! 冗談なんでしょ! ねえ! ねえ!!」
 美琴はひときわ大きな声を出した。
 だが上条が未だ何の反応も示さないのを知ると、美琴は地面にうつぶしたままの上条の体をゆっくりと仰向けにし、彼の頭を自分の膝の上に乗せた。

「…………」
 美琴はそっと上条の頭、缶がぶつかったであろう部分を撫でた。
「ねえ、本当に打ち所、悪かったの……? ごめ、ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」
 ぽつりぽつりと呟きながらなおも上条の髪をなで続ける美琴。その瞳には徐々に涙がたまり始めていた。
「ちゃんと謝るから、ねえ、起きてよ。ねえ、とう……まぁあ――――!?」
 突然、目を開いた上条ががばっと跳ね起きた。

 上条はきょろきょろと辺りを見回すと、思い出したかのように顔をしかめ、後頭部をさすりだした。
「いてててて……」
「ち、ちょっとアンタ、大丈夫なの?」
 慌てて美琴は心配そうに上条に顔を寄せた。
 無意識に上条も美琴の方を向く。
「えと、御坂、か……!」
「…………!」
 瞬間、互いの吐息が感じられるほどに顔を寄せ合っていることに気づいた二人は、顔を真っ赤にしてぱっと離れた。

「…………」
「…………」
 気まずい緊張を含んだ空気が二人の間に流れる。
 二人とも無言。しかしお互い相手のことが気になるようで、ちろちろと目だけは相手の方を見ていた。

 やがて意を決したかのように上条は小さくうなずくと、キッと美琴の方を向いた。
「御坂」
 上条の声に美琴は声を裏返しながら応えた。
「は、ハイ?」
「えーと、さっきの、顔が近かったの、とか、そんなのはこの際どうでもいい。えーと、お前なのか、俺に何かぶつけたのは?」
「あ」
 上条の質問に、美琴は途端にばつが悪そうな表情になって露骨に顔を背けた。
「……お前なんだな。何をぶつけた?」
「空き缶……。その、ごめん……」
「ったく……。なんで俺がそんなことをされなきゃいけないんだよ」
「だって……アンタが、私をスルーするから……」
「スルーってなんだよ。そんなことで空き缶ぶつけるか、普通? こっちだってわざとやってるわけじゃないし、だいたい上条さんは急いでたんだから……って、急いで、た……!? み、御坂! 今何時だ!」
「今? えっと、四時過ぎだけど」
「やばい!」
 ばっと立ち上がった上条は、きょろきょろと辺りを見渡すと、地面に落ちていた自分の鞄をあわてて拾った。
「ちょっとどうしたのよ、急に慌てだして?」
「タイムセールだよ、タイムセール! 今日は鶏肉がめちゃくちゃ安いんだ! 今日を逃せば、上条さんちではまた当分の間、動物性タンパク質を取るのが困難になるんだよ! なのにこんなときに限ってタイムセールが一時間早く始まるし……。あー、こんなこと話してる時間もねー! じゃあな、御坂!」
 上条は片手を上げて美琴に挨拶すると、先程以上の勢いで走り出した。逃げんじゃねーぞ俺のチキンちゃん、といったかなりまぬけな叫び声を上げながら。



 美琴は去っていく上条に手を振りながら、ぽつりと声を出した。
「悪いことしたわね……」
 美琴は少しうつむくと、きゅっと口を結んだ。

 また、であった。
 また、自分は上条の事を何も考えずに自分の気持ちだけをぶつけてしまっていた。
 上条は決して美琴をないがしろにしているわけではない。
 ただ今の上条にとってはお腹がふくれるわけでもない自分との語らいよりも、今晩の栄養源を手に入れる方が大切、ただそれだけなのだ。
 そこに悪意はない。ただ衣食住が保証されているエリートお嬢様と貧乏高校生の住む世界の違い、それだけなのだ。
 なのにまた自分はそんな上条の事情を考えることもなく、自分の想いや都合だけを押しつけてしまい、結果として上条に迷惑をかけてしまった。
 美琴はそんな自分が嫌になっていた。

「ちゃんと謝って、お詫び、しないと……」
 無意識に美琴の口から言葉が漏れていた。
「お詫び……」
 もう一度つぶやいて美琴はごくりとつばを飲み込む。

 美琴は今、上条に申し訳ないと思った。
 何かで罪滅ぼしをしたいと思った。
 そうしなければ上条に嫌われると思った。
 上条に相手にされなくなると思った。
 それだけは、絶対に、嫌だった。
 だから上条に嫌われないようお詫びをしなければいけないと思った。
 上条に嫌われないような、さらに上条に喜んでもらえるようなお詫び。

「そうだ、ご飯」
 美琴はばっと顔を上げた。
「ねえ! アンタ、よかったら今日の晩ご飯――」
 思わず上条に声をかけた美琴だったが既に上条は遥か遠くにおり、美琴の声が届くはずもなかった。
「…………」
 美琴は再びうつむいてしまった。

「……馬鹿」
 美琴は自分の頬を軽くはたく。ぺちっという弱々しい音が鳴った。
「どうしてこう、私はタイミングが悪いのよ。ちゃんと謝ることもできないなんて。お詫びだって……。私、アイツの家知らないし、携帯の番号すら知らないのに。こんなんじゃ私、アイツにお詫び一つできない……。馬鹿、本当に私、馬鹿……」
 美琴は再び自分の頬をはたいた。

「?」
 ふいに美琴は足下に何かがあることに気づいた。
「これって」
 足下にあるその物体を拾った美琴は、それを眺めてみる。
「鍵、よね。それも家の……」
 確かにそれは鍵、どこかの家の鍵だった。しかも足下付近にある砂埃でほとんど汚れていないことから、落ちたばかりの鍵だとわかる。
 さらに言うなら鍵が落ちていたのはちょうど上条が倒れていた場所、まさにそこだった。

「…………」
 美琴は小さくうなずいた。
「やっぱりそうよね」
 美琴は確信した、これは上条の家の鍵だと。他にも可能性はあるだろうが、上条の家以外の家の鍵だとは美琴にはどうしても思えなかった。
 根拠はないが、これは神様が与えてくれた上条にきちんとお詫びをするチャンスだと、そう美琴には思えた。
 ならば自分はそのチャンスをちゃんと生かさなければならない、そう思った美琴は携帯を操作するとある番号を呼び出した。



「え? え?」
 美琴が携帯を操作した途端、初春の携帯が着信音を鳴らし始めた。
 ばっと初春の方を向いた佐天は大声を出した。
「ちょっと何やってるのよ初春! こういう時は携帯の電源は切っておくかマナーモードにするのが常識でしょ!」
「ご、ごめんなさい佐天さん! つい!」
 わたわたと慌てながら初春は携帯を取りだした。
「もう、いいから早く音消して!」
「は、はい!」
 ひときわ大きな声で返事をしながら、初春はようやく携帯の電源を切った。
「ふぅ」
 初春の携帯の音が止んだことで、佐天は安堵の息をついた。

「もう、どうするのよ初春、もし御坂さんに見つかりでもしたら」
 しかし初春は佐天に返事をすることはなかった。ただ残念そうに頭を振るのみだった。
「ん? どうしたのよ、初春?」
 その態度に疑問を持った佐天だったが、初春はやはり返事をすることはなかった。ただ諦めきったような表情で、佐天に後ろを見るよう促していた。
 やがてその行動が意味することに気づいた佐天はさあっと表情を青ざめさせた。彼女はそのままそうっと後ろを振り向く。
「……お約束」
「ですね」
 彼女達の背後には穏やかな笑みを浮かべた美琴がいた。
「ねえ佐天さん、初春さん、そんな所で何してるの?」
 美琴が口にしたのはごく当然の疑問。そのまま彼女は笑顔を佐天達に近づける。
「え、えっと、その、あの……」
「別に脅してるわけじゃないけど、説明は、してくれるわよね?」
 穏やかな口調だったが、美琴のその言葉は言霊のように佐天達を怯えさせるのだった。



 物陰から美琴に促される形で出てきた初春と佐天は、諦めたような表情でがっくりと肩を落としていた。
「あ、あのですね御坂さん。これは、その……」
 チラと上目遣いで美琴を見た佐天は、おずおずと言い訳をしようとした。
 だが、美琴は別段気にした風もない。先程と同様の穏やかな表情のままだった。
「ん? どうしたの、なんか怯えてるみたいだけど?」
「は、はい。そりゃあ、ねえ?」
「はい」
 美琴の問いに対して佐天と初春は互いに顔を見合わせてうなずきあった。
「もしかして」
 美琴は初春に顔を近づけて小首を傾げた。
「私の様子をずっと観察してたことに負い目を感じてるとか?」
「…………!」
 美琴の言葉に初春と佐天ははっと息を呑み、助けを求めるように互いを見た。
「うーん……」
 二人のそんな様子を見て美琴は困ったような表情を浮かべる。
「ねえ、なんでそんなに怖がるの? 私、なんにも言ってないじゃない」
「でも……」
「本当に気にしてないんだし、別にいいわよ。ね?」
「は、はあ……」
 なんとか自分達を安心させようと言葉を続ける美琴に、ようやく佐天達の心は少しずつ落ち着き始めた。
 そんな二人の様子を見て取った美琴は、表情をほんの少しだけ変えて本題を話し始めた。
「むしろラッキーだったと思ってるんだから、こっちは」
「へ? それって……?」
「うん、ちょっと二人にお願いがあってね、だから電話したのよ」
「お願い、ですか?」
「そう、お願い。聞いてもらえるかしら?」
 美琴の様子が変わったことがわかった佐天は、チラと初春を見た。
「内容によりますけど。ねえ、初春」
「はい。まあ、私達でできることでしたら」
「もちろんできるわよ。たぶん、私が知ってる中であなた達以上の適任者はいないわ」
「はあ。それで、お願いっていうのは?」
「うん。ああ、その前に確認したいんだけど、確か風紀委員の一七七支部ってキッチンあったわよね?」
「はい、もちろんありますよ。いつもお茶を入れるのに使ってますし、普通の料理くらいなら作れますよ」
「そう。じゃああともう一つ、黒子は本当に今日は風紀委員の会議で支部にはいないのよね?」
「はい。白井さん、昨日からブツブツ言ってましたから間違いありません」
 初春の答えを聞いた美琴は、満足そうにうなずくと相好を崩した。
「うんうん。よし、じゃあ問題なしね!」
「は、はい? 御坂さん、いったい何を?」
「ふふん。じゃあ二人とも、ちょっと付き合って。スーパーに寄ってから、一七七支部に行くわよ」
「へ?」
 やたら嬉しそうな美琴の様子に、佐天達は嫌な予感が脳裏をよぎるのを感じるのだった。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。