とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

16章-1

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16章 帰省2日目 ただ隣りに


1/3 17:00 雪

 上条刀夜は電話を置くと、すっかり伸びてしまった無精髭を
撫でながらゆっくりと息を吐いた。

美鈴「……それで、警察はなんと?」

 深刻そうな顔でそれを伺う美鈴はダイニングテーブルに刀夜を促した。テーブルには先ほど入れたばかりの紅茶がまだ薄く湯気を立てている。
 刀夜は一旦鈍い返事だけして素直に座ると、紅茶を指にかけたまま、口をつけるでもなくその縁を覗きこんだ。
 美鈴と詩名は一瞬顔を見合わせたがすぐに視線を刀夜に戻した。ふたりとも、きっと自分は彼女のような不安顔をしているに違いないと思った。

刀夜「正月なもんで、人が出払っていると。ただ、とりあえず真偽を確かめるようなことを言ってました」
詩名「……、あらあら……」

 詩名は若干弱々しく口癖を切り出して二の次を探した。

詩名「それでも動いてくれるのであれば一安心というところかしら。やっぱり子どもたちを遊園地に避難させておいて正解でしたね」

 敢えて明るい声で言って刀夜の背中に手を置く。
 刀夜はそれに応えて何とか笑顔を作った。
 大丈夫、いつものことだ、今回もどうにかなる。二人は視線でそう語り合った。

美鈴「少し、休みましょうか」

 三人分の紅茶と菓子が用意されたダイニングテーブルに二人もそれぞれ腰掛け、淹れたての紅茶をすする。

詩名「あら美味しい」

 詩名は軽く言ったが、それは本当に、目を見開くほど美味しかった。紅茶というものはこういう味だっただろうかと思うほど。
 胸のもやもやがほんの一瞬だけすっと消えたような気がした。

美鈴「あはは。娘があんな学校に入っちゃったもんだから、私も外張りくらいはこだわろう……なんてね」

 元々旅掛にそれなりの収入はあったものの、それはあくまで中流家庭の中での話だ。常盤台中学のような超がつくお嬢様学校に娘を入学させるほどではない。しかし持ち前の性格で取りまとめ的役割になることは多く、横の繋がりでは体面を取り繕うのに若干苦労しているのだった。
 彼女の事情は大体詩名にも把握できていたので、困った笑みを浮かべてやり過ごす。

詩名「それに、素敵なお宅ですね」

 洋風ベースのモダンな造りの部屋だ。中途半端な洋風ではなく単なる欧米風でもない、家具や調度のチョイスが単純にセンスの良さを感じられる内装だった。ただ、そのどれもが三人用なのに、全てが整っていて使用感があまりなかった。暖炉もあるのだが今は暗く沈黙を守り、代わりにストーブが青く熱を放っている。

美鈴「まあ、一人きりだと持て余し気味なんですけどね。子供の手間が減ると暇なもんで」
詩名「どうしてもこだわってしまったり、必要以上に片付いてしまいますね」

 二人は互いに苦笑しあう。似たような境遇だからこそ共感できるものがあった。
 現在三人は御坂家に避難している。
 昼間、刀夜は息子《とうま》へ電話した後、美鈴へ頭を下げた。
 理由は後で話す、ここは近く襲撃を受けるかもしれない。もしかすれば美鈴さんも危険な目に合わせるかもしれないが、どうか御坂家へ避難させてほしい、と。
 美鈴はそれを理由も聞かず承諾した。別にお人好しだからというわけではない、ただ詩名は友達だし、上条当麻の親を放っておくことはできないと思った。彼には色々恩がある。
 ただ、そうは言っても気になるものは気になった。

美鈴「……で、そろそろネタばらししてもらっても?」

 少し茶化したように言う。
 刀夜たちに気負いがあるのはすぐ見て取れた。





刀夜「そう……ですね。少し長くなるのですが……」

 刀夜は無理に笑おうとして、結果引きつった苦笑いを作ることに成功した。自分の心情を鑑みればそれは上出来であった。

刀夜「どこから……どこまで話したものですかね……」

 そうつぶやいてティーカップを弄んだ。
 すべて話さないと説明にならないし、ここまで巻き込んでしまった美鈴には説明すべきだと覚悟していたので、その言葉はただの調子付けだった。

刀夜「あいつは…………私の息子は、なんというかその…………そう、『不運』なんです」
詩名「…………」
美鈴「…………はあ」

 目の前の深刻そうな二人にどうリアクションすればいいのか美鈴は迷う。
 そんな美鈴に苦笑を向けてやりながら、刀夜はぽつぽつと語りだした。

刀夜「最初は、なんだったかな。些細な出来事だったかもしれない」

 例えば、出産後すぐに入った保育器の電源が偶然落ちるだとか。
 例えば、たまたま買った離乳食に針が混入してただとか。
 例えば、ベビーカーの車輪のロックが壊れていて、坂を転げ落ちるだとか。
 例えば、乗っていたバスが玉突き事故に巻き込まれただとか。
 小さいものを数えればきりがない。
 怪我、病気、破損、災害…………
 いつも涙が耐えない子だった。
 もちろん幼少期は身を守るすべが無いため怪我が耐えず、いつの間にか小児科医と顔なじみになっていたほどだ。
 私達は何かがおかしいとは思いながらも、その時は一つ一つを不運な事故で片付けるしかなかった。
 しかし、あるとき決定的なことが起こった。
 たまたま入った銀行で当麻が強盗に人質にされた挙句、腹を刺されたんだ。
 正直言って死んでもおかしくない重症だった。あと数分、数ミリ違っていれば当麻は死んでいたはずだった。
 それでも生死の縁を彷徨ったあの子はなんとか一命を取り留めた。恐ろしい不運が襲いかかるが、いつもギリギリのところで回避する。悪運があったのか、単なる偶然なのかはわからない。
 とにかく私達はほっと胸を撫で下ろすとともに、いつか一人息子の身に何か致命的なことが起きてしまうのではないかと、戦々恐々とする毎日だった。
 とは言え、何をどうすればいいのかわからない。
 家庭内は荒れた。
 心がすり減って、それでも耐え続けられるほど、私達は強い人間ではないんだ。
 二人とも当麻のことを想っているのに、どうしていいか分からず些細な事で喧嘩になった。
 そして、そのたびに当麻が泣いた。
 私達は喧嘩の原因を彼に悟られないよう必死だったが、成長してくるとそれも隠しきれなくなった。
「ぼくがいるからでしょ。ぼくがいなければいいんでしょ」
 ある日、大泣きしながら喚き散らされたその言葉に、私達は我に返った。いついかなる時だって味方でいなければならない私達が当麻を、不幸にしていたと。馬鹿だった。分かってはいたのに。
 それから私達は二度と当麻のことで喧嘩しないと誓った。
 だが、そのことと不運なことは無関係だった。
 鬱屈した気分を晴らそうと皆で出かけた旅行先で季節外れのスズメバチに襲われ、狙い撃ちするかのように当麻だけが刺された。
 その事は小さなニュースになったのだが、本当の不運はそれを目ざとい記者に発見されたことだった。
 不運の連鎖の始まり。
 『銀行強盗に刺された不幸な男の子、今度は蜂に刺される!?』
 そんなタイトルだった。
 下卑た、どうでもいい週刊誌の、どうでもいい小さな記事だったと思う。
 それでも噂というものは駆け巡るもので、近所や世間からは哀れみの目で見られるようになった。一時期は気味の悪いくらい周囲が優しくなった。





 話は更に転がる。
 週刊誌の記事が、バラエティ番組のプロデューサーの耳に入ったらしい。
 当時人気絶頂だった女性霊媒師が、占いで有名人に有ること無いこと予言するようなテレビ番組。その番組の新企画で、心霊スポット巡りや取り憑かれた人を除霊するというものがあったそうだ。基本的にはやらせみたいな、素人なのか劇団員なのかも怪しい人を相手にするコーナーだったらしいが、彼らはテコ入れということで、正真正銘事件に何度も巻き込まれている当麻をやり玉にあげようとした。
 私達はもちろん、有名な霊媒師が当麻を見てくださるということで喜んで引き受けた。
 今考えれば愚かだたったと思う。結果論ではあるけれど。あそこで選択を誤らなければ、違った結末になっていたかもしれない。
 夕方。小さな人気のない神社の境内にゴザを引いて、周りにぐるりとスタッフが陣取っていた。
 段取りを説明され、カメラが回ったもののすぐに異変は起きた。
 霊媒師が持っていた金色の高価そうな術具に当麻が触れた瞬間、粉々に砕け散ったんだ。
 私達は血の気が引いた。
 弁償のことだけじゃない、当麻のことを見てもらえなくなるのではと思った。
 しかしそれを見た霊媒師は怒るでもなく、真剣な顔つきになって、
「申し訳ないですが、この坊やはわたくしの手には負えません」
 そう言ったんだ。
 私達はあっけにとられた。
 生放送のテレビカメラが回る前で、いつもは大御所タレントにすら上から目線の彼女が、静かにそう言ったんだ。
 今思えばあの時の姿が、あの方の素だったんだろう。
「難儀な右手だなこりゃあ…………でも、しっかり踏ん張って生きな。きっとコレが活きる日も来るさ」
 霊媒師はそう言って当麻の頭をぐりぐり撫でてやった。その顔は普段テレビでは見たこともないような優しい顔だった。
 だが――――信じてもらえないかもしれない、滑稽な話だが。ほんとうに、これは本当にたまたまだと思っている。
 不運な雷が落ちたんだ。
 当麻にではない。霊媒師にでもない。数十メートル離れた電柱にだ。
 轟音と、とてつもない光。
 何が起こったか理解するのに十秒はかかった。
 皆にとって本当に不運だったのは、霊媒師が見た目以上に高齢で、心臓の持病を患っていたことだった。
 それで、彼女はそのまま地面に倒れ伏してしまったんだ。
 直後に、大地震が起きた。
 馬鹿げてると思うだろう。作り話でもこんなくだらない展開はしないと。とはいっても別に、日本において言えば大したことのない大地震だった。年に何回か、どこかで起こるような規模の揺れだ。
 だけど、それでもこの展開は人を恐怖させるには十分だった。
 揺れが収まる前に、とうとう決壊した。
 一人、二人。霊的現象には慣れっこなはずのスタッフが何かを喚き散らしながら逃げ出した。
 それを皮切りにほとんどのスタッフが釣られるように逃げていく。彼らの表情は忘れたくても忘れられない。
 残っていたのは霊媒師を必死に呼びかける私達と、腰を抜かしながら必死にカメラの向こうの視聴者に避難を呼びかけるレポーターの女の子。あとは、静かになった境内に降り始めた雨を気にするでもなく呆然と立ち尽くす当麻だけ。
「…………また、ぼくのせい?」
 雨音と大人たちの絶叫の中、テレビカメラだけがその消え入るような声を捉えていた。映像はすぐにスタジオに返され、絶句した顔の芸能人達が何を言う前にそのまま緊急特番へと移行した。
 霊媒師の女性は、残念ながらその後病院で亡くなってしまった。
 地震の影響で救急車の到着は絶望的に遅れたんだ。
 自信はないが、彼女の死だけは当麻のせいじゃないと思いたい。彼女の持病はかなりギリギリのところだったらしい。むしろそれに居合わせたことこそが不運なのかもしれない。私達はそう思うことにした。




 だが、世間はそうは見てくれない。
 当時はまだ個人のプライバシーなんかに今よりは甘かった頃で、霊媒師の葬儀の放送でも先の VTR が何度か流された。映像と声は悪意を持って加工されていた。大仰な効果音にスタジオの棘々しい照明。司会者の「謹んでご冥福をお祈りいたします」という言葉に反吐が出た。
 効果の程は甚大という域を超えていた。
 世間の哀れみの目は完全に恐怖のそれに変わった。
 週刊誌にはこれまでの当麻の不運を全て並べ立てられた。人間、生きてれば多少なりとも不運なことなんてある。それなのに、全部あの子が恐ろしい何かであるかのように書かれていた。
 事件後、少しの間はかろうじて幼稚園には通わせていたが、子供は時として残酷だ。本当に酷いことを言われたのだと思う。帰るたびに私達に報告するその悪口を、必死にそんなことはないと否定した。そのうち親御さんからのクレームで幼稚園は行けなくなった。当麻の近くにいると災いが起きる。そう囁かれていたらしい。
 どん底。
 もう誰も知らない土地へ引っ越してしまおうか。
 そう考えていた私達だが、まだまだ転げ落ちる余地があったらしい。
 あの大地震で怪我を負った人が、次々と当麻のせいだと週刊誌で喚き散らしたのだ。たぶん、週刊誌側の誘導尋問だったのだと思う。不安があれば煽るのが彼らの仕事だ。許しはしないが理解はできる。
 だから最初は私達もそれを聞き流した。が、甘かった。
 人間というのは自分に不運が降りかかった時、その理由の無さに一番恐怖するらしい。偶然という理由では割り切れない彼らは、霊だの国だの警察だの医者だのに責任を求めたがる。何故俺だけがこんな目に、何故私の大切な人がこんな目に、なんて。
 そんなとき、近くに当麻が居るとどうなるだろう? その矛先を一心に浴びるんだ。
 当麻は相変わらず不運だった。ほんとうに小さな不運があると、それを目撃した人が、まるで死神をみたかのような顔をして息を呑んだ。そして、もしそのうちの何人は、偶々起こった不幸な出来事の原因、そのやりきれない感情を最終的に当麻に向けるんだ。
 この過程は想像であって、真相は分からない。分からないが、結果として家には大量の落書きと嫌がらせが舞い込み、定期的に通り魔に襲われるようになった。窓はいくら張り替えても割られるため板張りにし、郵便ポストは塞いで局で受け取った。電話番号なんて四回変えてから諦めた。仲の良かったはずの小児科医の先生にも拒絶され、怪我をするたび顔と名前を隠して遠方まで車を走らせた。
 でも、一番当麻にとってきついのは言葉の暴力だっただろう。
 一縷の疑いもなく当麻のせいだと思っている人から「あの人を返して」とか「おまえのせいで」とか言われ続けると、幼い子はそれが真実だと思ってしまうらしい。いつしか「ごめんなさい。ごめんなさい」という言葉が口癖になっていた。その言葉は狂った人たちを一時的に退散させる効果もあるが、より悪化させる危険性の方が大きかった。
 引っ越せば解決できるという発想はもう過去のものだった。この日本のどこに逃げ場があるというのだろうか。
 疲弊しきった私達に、もう残された道は少なかった――――





 そんな時。
「当麻君を私どもに預けていただきたい」
 スーツ姿の男と女が訪ねてきた。
 学園都市人材開発部。名刺にはそう書かれていた。
 当時、学園都市は子供集めに躍起になっていた頃だった。一国の首都の三分の一を一組織が買い上げるなんて、近代史上例を見ない出来事だ。資金力は元より、政治力や交渉力、情報統制力に至るまで、とにかく先進国と渡り合うだけの力を 一教育機関が既に持っていた。
 とは言いつつも、その信頼のほどは上辺のもの。大きすぎる組織力に、理解し難い人体実験、洗脳に近いまでのメディア戦略で『夢の国』と持て囃されてはいたが、そんな都合の良い世界などどこにもないことを我々日本人は歴史から学んでいた。
 今でこそ国の学生の一割以上が学園都市で生活してはいるが、当時はまだそこまでではなかった。出入りの制限がほとんどない代わりに超能力者のような実績も乏しい頃。学園都市に子供、特に一人っ子を預けるなんて、ほとんどが劣悪な理由か親が酔狂なだけだと思われていた。
 そんなだから、もちろん私達も断った。
 もし学園都市が良い環境であったとしても、親である私達が当麻を守らなければならないと強く誓っていた。
 当麻だって、こんな状態で親元を離れられるはずなんてないと信じていた。
 だが、世間の風当たりがますます酷くなっていったある時、当麻が言ったんだ。
「ぼく、学園都市にいきたい!」
 今日みたいな雪の降りしきる寒い日だった。
 どうにか公立の小学校に受け入れてもらえるかというところで。新品のランドセルも買い揃えていた。
 なのにあの子は、今にも泣き出しそうな顔をしながらそう言ったんだ。
 今思えば、疲弊する私達を案じたのかもしれない。いや、単に あの状況に耐えられなかったのか。
 私達は必死にとめたが、あの子はきかなかった。
 何故いきたいか聞くと、楽しそうだからと応えた。見たこともないような乗り物に乗りたいだとか、カッコイイ能力者になって悪者を倒すだとか、科学者になって偉くなりたいだとか。テレビで見た知識を総動員して必死に訴えかけた。
 最後に折れたのは私達の方だった。
 確かに学園都市の人間ならばオカルトなんて信じないだろう。そんな目の低い可能性に賭けたが、結局、いつの間にか成長していた我が子に甘えてしまったのかもしれない。
 結論を先に言ってしまえば、学園都市に行っても元々不運に遭いやすい質だからあいつの立ち位置が変わることはなかった。
 小学校の先生からは、からかいとも、いじめともとれる扱いを受けている。よく喧嘩や揉め事に巻き込まれると聞いた。
 電話や手紙では気丈に振る舞ってはいたが、帰省するときは最後にいつも涙を必死にこらえていたのを昨日のように覚えている。
 中学校に上がると特に荒れた。わざわざ能力を持つ子に喧嘩を売るようなことばかりしていた。
 何度か入院して、学校に呼ばれたこともあった。
 そのときあの子は、
「だって見すごせねぇだろ!! 誰かの不幸をさ。他の誰が見すごしても、俺だけは見すごしちゃだめなんだよ! だから、全部この右手でぶち壊してやるんだ」
 そう言って右手を見つめる顔は笑っていたが、私はあの子がどんどん不運を引き寄せている気がして怖かった。けれども、その行為を止めることもできなかった。実際私達もその意見を否定出来ないんだ。だから私は、むしろ当麻の不運体質を払拭する方法は無いかと悩み続けた。
 しかし、彼はそれで幸せだったらしい。
 この前の夏のことだった。
 自分が誰かを不幸を取り除いて、幸せにできるのが幸せだといった。勝手に不幸扱いするなと。強い意志を持って言っていた。
 そう、結局この物語の主人公は当麻なんだ。
 いつの間にかあの子は成長し、私達にも解決できない何かを自力で乗り越えたようだった。
 あんなに小さかった子が…………
 高校の先生が言うには、確かに当麻は特殊なのは変わらないらしい。ただ、超能力やら最新技術の粋が集まった学園都市においてはまだこちらの世界よりは許容範囲内だと思うとのことだ。何かおかしなことがあれば理由が分からなくても大体能力者か科学者のせいだと思われるので、奇妙なことへの耐性があるらしい。
 それに、当麻のああいう性質を跳ね返すだけの性格が備わっていると言っていた。
 長年の肩の荷が降りたような気がした。
 私達ができるのは、それでもあの子が疲れた時に帰る場所を保ったまま、ただ彼を信じてやることくらいなんだ。





刀夜「……………………」

 だが、そう安々と全てが解決されるわけではない。
 『こちら側』では、未だ当麻を恨みつづける奴が居る。
 実際の所普段は学園都市の入場規制に守られているのだが、帰省時期になるとチラホラと、目を血走らせた奴らを家の前で見かけることがあった。
 まあ。変な話だが理解はできる。
 やるせなくて、どうしようもない。大切な人の不幸なんかの原因を探し続けていたような心の壊れた人たちにとって、真偽はともかくにしろ彼は仇なんだ。とは言え、奴らはもう半分くらい自分たちが間違っていると気づいているのかもしれない。嫌がらせをするだけで、一線は超えない。だから私達も特段逃げるわけでもない。
 当麻も随分前にもう慣れたと言っていた。

 刀夜はまるで独り言をするかのように語ったあと、長い溜息を吐いた。

刀夜「長くなりましたが、要はそういう連中から今一時的に逃げているわけです。ただ……」
詩名「今年は妙ですね」
刀夜「ああ。去年はついに一人も見かけなくなったし、もう無いと思ったんだが……。あ、先ほども言ったとおりそこまで大変なことにはならないはずです。最初の過激な連中は逮捕されてしまいましたし、大抵の連中は徘徊や悪戯する程度ですので」

 刀夜は少し恥ずかしそうに言った。
 ここまで他人に全部話したのは初めてだった。
 美鈴には。というか、上条当麻がとても仲良くしていた美琴の母親には、伝えておくべきだと思ったのだ。懺悔でも乞いでもなく、親の責務として。

刀夜「あの……御坂さん?」
美鈴「え? あっ……、ごめんなさい」

 その言葉にどこか上の空だった美鈴は肩をびくっと震わせ、バツが悪そうにティーカップに視線を落とした。

刀夜「本当にすみません。こんなことに巻き込んでしまって」
美鈴「あ、いえ! 私は全然。……むしろ」

 美鈴は口ごもる。今の上条当麻の話を聞いて、彼女は混乱していた。
 一昔前にメディアを賑わした『不幸な子』の話は美鈴にも覚えがある。あの子が上条当麻だったなんて、と驚いた面もあるのだが、それより何よりもっと重大なことがあった。
 美鈴は、最近夫から聞いた娘の話を思い出した。
 ひょっとしたら、自分はこの二人に頭を下げなければならないのかもしれないと思った。

美鈴「あ、あの!」
刀夜「?」

 リンゴーン、と、その時おしゃれな呼び鈴が鳴った。
 三人は互いに見合わせる。
 様々な想像をしたまま、刀夜が先に立ち上がった。


 ◆





 遊園地は混乱を極める。
 雷轟。倒壊する観覧車。陥没する地面。黒い竜巻に再び雷鳴。
 その大部分が一人の少女によるものであったが、客の誰ひとり、そんなことを考える余裕などなかった。我先に渦の中心から逃げようと逃げ惑う。
 その中心に居た美琴は、むしろそれをわざと引き起こしていた。
 災害級の兵器と災害級の超能力者がぶつかり合うのだ。
 そのくらい本気で逃げてもらわなくては困る。
 駆動鎧は五体。
 美琴が放った電撃の槍は軽くいなされ、大きな半月状にした砂鉄の攻撃は押しつぶされた。
 しかし、わずか二撃の間に看破する。

美琴(全ての駆動鎧が発電能力を持ってるわね。右の一体は更に念動力系保持か、力技では分が悪い。さっきの攻撃を考えれば精神系能力もデフォ? 高速で連携するなら当たり前かしら。あとは、初動が早けど……未来予知能力者なんてレア能力持ってるなんてことないでしょーね!?)

 他方、駆動鎧の側もこの二撃で計算する。第三位の能力は『想定内』だと。
 様子見は終わり。
 四体の駆動鎧が何もない空間から十二メートルほどある、これまた黒い銃器を取り出す。
 学園都市製対戦術兵器ロケット弾。対学園都市製最新兵器を想定したもので、普通の駆動鎧ですら反動に耐えれれない。学園都市内に反する組織を鎮圧するための部隊であるため、そう言った使う状況が思いつかないようなゲテモノを多く所有している。
 結局、第一位のような特例を除けば、能力者など力でゴリ押しできてしまうという考えが体勢だ。馬鹿正直に能力戦を楽しむのも彼らは好きなのだが、残念ながらこれはあくまで仕事なのだった。
 駆動鎧は完全自動によるエイミングで美琴の上半身だけが残るようにロックオンすると、躊躇いもなくトリガーを引いた。
 同時か一瞬前。ザンッ!! という音が降り注いだ。
 美琴が駆動鎧との間に砂鉄の雨を降らした音だった。
 四体中二体の駆動鎧からロケット弾が放たれると、人間の知覚では到底追いつけない速度で二つの弾頭が少女の方へと向かい出す。
 しかし散りばめられた砂鉄はそれより早く、光速をもってして美琴の脳へと弾道信号を送った。砂鉄はただ闇雲にばらまかれたものではなかった。それらは全体として複雑な回路を形成している。
 ――――誘爆が効かないタイプ。右に避けても左に避けても当たる。壁を作るのも間に合わない。爆風で簡単に吹き飛ばされる。そして幸運にも後ろは海。
 弾頭の動きで『判断』した砂鉄の回路は美琴の身体に命令だけを送る。それを受けた美琴は従順に従い強力な斥力をもってして飛び上がる。
 が、当然のごとくホーミングしてくる二発の弾頭。そして残りの二体はこれを狙っていた。
 空中に投げ出された身体をめがけ、彼女の現在の位置よりやや手前で起爆するようセットされた残りの二発が放たれる。
 左右下方、前方、上方から弧を描き迫る弾頭。

美琴「……」

 瞬間。周囲から音が消えさった。
 辺りは炎と黒煙で満たされ、衝撃波が街を駆け巡り、園内のガラス窓が全て砕け散る。
 まるで一瞬で、娯楽の空間が戦場の最前線に瞬間移動したかのようだった。
 爆心地は未だ煙の中。しかしそこはクレーターが開くほど何もないはず。

  「っあーっと」

 それを見て、駆動鎧の一体が大きく伸びをした。
 初めて人間らしさをかいま見せる動きだが、異形のためか、却って不気味な様相である。

  「殺してよかったんでしたっけ?」

 人間の声のような、どこか不自然な音が響いた。
 それは機械音声だったが、洗練されすぎているせいでまるで役者の声だった。

  「できれば生け捕りにということだったが、どちらにせよ報酬は変わらん。報酬はな。ただ教授が欲しがっていた」
  「……って、そりゃ荒れるんじゃないの? 一応下半身狙ったけど、生け捕りどころか脳漿さえ残ってないですよこれ。やってまったもんはしょーがないけどさ!! まあいいや、とりあえずさっさと新宴会戻りましょうよ」
  「…………ふたりとも。油断し過ぎなの」

 ズガンッ!! という頭に走る衝撃とともに二体の駆動鎧の身体がノーバウンドで中を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。追い打ちとばかりにガガガガガと金属同士が激しくぶつかる音がして、その黒い身体が地面にめり込む、




  「……ぜんぜん想定外なの」

 それを何となく眺めていた一体の駆動鎧が感嘆の音を発する。
 攻撃が来た方を見ると、爆心地の後方三十メートルほどのところに浮遊する黒い塊があった。
 その塊は徐々に分裂し、それぞれが三メートル程度の球へと変化していく。
 異変の中心には一人の少女が浮いていた。
 息を切らせた少女はフラフラと揺れながら目をこする。

美琴(……くそ、視力がまだ戻らない)

 少女の両手首と両足首には砂鉄の輪が高速回転していた。それらの輪は園内や地下の金属との引力、斥力で宙に浮かせていて、さらにその輪を軸に身体を支えているのだった。

美琴(緊急回避はどうにでもなるんだけど、如何せん生身の身体には限界があるのよね)

 急激な重力《G》を伴った加速はブラックアウトを引き起こし、最悪気絶してしまう。
 有人の高速戦闘機がミサイルほど早くない理由と同じだ。学園都市の戦闘機はパイロットを凍結することでこれを解決していたが、美琴にそんな芸当ができるはずもない。だから今のような緊急回避はそう何度もできるものじゃないのだ。

美琴(音速を超える戦いはあまり移動したくないんだけど……)

 美琴に限らず、生身の能力者は自分の身体の位置をできるだけ安定させて戦うのが基本だ。一瞬で音速の何倍にも加速できるエンジンを持っていたところで、アクセルを踏みすぎれば死ぬと分かりきっている。
 だから美琴もそういう戦闘スタイルの方が慣れている。
 だが、狂った火力の範囲攻撃を高速に放ってくる相手と対峙したらそんなことに拘泥なんてしていられないだろう。
 ブラックアウト寸前から数秒。ようやく視力が少し回復するも、そもそも夜だから敵の様子はあまり見えなかった。
 もちろんそれより前に電磁波の方が異形達の様子を克明に映し出している。

美琴(無傷…………?)

 中の人間のことを顧みず打った砂鉄のレールガンは、しかし彼らを吹っ飛ばすことしかできなかったらしい。
 軽くこけてしまったくらいの気軽さで奴らは起き上がった。

美琴(火力、防御力、早さ、数、能力…………)

 勝っている要素は少ない。
 分かってはいた。世の中それほど甘くはない。軍隊を相手にしても勝てるというのはあくまで普通の国での話で、学園都市が最新鋭の兵器を持ち出せば逃げるのが精一杯。それらを駆逐できるのは例外級の能力者だけだろう。
 美琴は歯噛みした。

美琴「そんなんじゃ、だめなのよ」

 搦め手ではない、本物を持ちだしたということは、学園都市も美琴と上条の排除、あるいは連れ戻しに本気だということだ。
 これを回避できなければ二人に未来はない。

美琴「だから、退かない!!」

 美琴は隠し持っていたコインホルダーを取り出すと、一気に数十枚のコインを前方へ放り投げた。
 放物線を描くと思われたそれらは美琴が造り出した無数のレールに沿って加速し始め、複雑な軌道を描いて駆動鎧に迫る。駆動鎧は避けようとするが、そのたびにレールが書き換えられ、コインは更に加速した。
 しかしもちろん五十メートルを過ぎるとコインは跡形もなく溶けて消えさる。
 囮。
 コインが消える前に、何千トンもの砂鉄が四方八方から降り注いだ。
 雪崩のような砂嵐は強力に磁石化されていて、駆動鎧にどんどん付着しその質力を増やしていく。
 砂粒に対して空間移動《テレポート》をできるような駆動鎧は居なく、電磁力戦では美琴に一日の長があった。
 風やら火やらで応戦する駆動鎧だが、物量のほうが勝っている。

美琴「ッ」

 しかし力同士のぶつかり合いで、かろうじて念動力系能力を持つ駆動鎧の脱出を許した。それは音速の数倍の速さで突進してくる。
 間一髪。美琴はくるっとまわって上昇することで回避した。
 衝撃波だけでどうにかなりそうだったが、それ以上に重力《G》が掛かり過ぎる。
 単純なパンチを躱された駆動鎧だったが、そのまま直角に方向転換。速度を保ったまま美琴の方を向き直った。




美琴(…………)

 中の人間は凍りづけでもされているのだろうか、人間が耐えられる重力《G》など遥かに超えていた。
 しかし美琴にそんなことを考える時間はない。
 思考スピードとか、他に考えることがあるだとかそういうことではなく、もっと物理的に、人間の反射速度すら遅すぎる。駆動鎧が方向転換したと認知するよりずっと早いスピードで駆動鎧は迫った。
 駆動鎧がその手を伸ばし、少女の身体を柔らかいトマトのように潰してしまおうかという瞬間、しかし美琴の電磁波が緊急回避モードに突入した。
 あらかじめ用意されていたプログラムが発動する。
 多弾レールガン。三センチ大の弾丸に変形した二百個の砂鉄が駆動鎧めがけ降り注いだ。
 弾丸のスピードに駆動鎧の接近スピードが加算され、その身体がやや陥没する。
 が、それまでだった。
 四つの輪で自身の身体を上空へ打ち出した美琴の能力であったが、一秒にも満たない間にその身体は追いつかれる。
 駆動鎧の鋭利な五本の指は、美琴の右腕を全力で掴み、ブチブチッという小さな感触とともに少女は捉えられた――――はずだった。

  「……?」

 少女の身体はそこに無かった。
 代わりに駆動鎧の手にあったのは茶色い髪のようなもの。美琴がつけていたエクステだけだ。
 その一秒の間で現状を正しく理解していたのはその場でただ一人だけだった。

  「お姉さま!!」

 駆動鎧から五百メートル上空に甲高い少女の悲鳴が響いた。
 少女の頭には横にはみ出した二つの角を持つ、奇妙な形の器具がはめられていた。
 その見慣れたツインテールと今にも泣きそうな顔を見て、美琴はその名前を呼ぼうとする。

美琴「ガブッ!!」

 しかし出てきたのは声ではなく鉄臭い液体だった。
 身体に負荷ががかかりすぎた。自分の内臓がどうなったかなんて考えたくない。
 だけど、こんな時だというのに、頭の演算スピードはむしろ高まっていた。
 砂鉄の塊を脱した一体が再びロケット弾を打ち出している。そうレーダーが告げていた。

美琴「ぐ……ろご、にげ」

 言ってから思う。これは無駄な台詞だったと。

白井「飛びますわよ!」

 白井は冬の夜空をランダムに飛び回った。
 しかしロケット弾は正確無比な動きでそれを追従してきていた。白井の限界速度をもってしても徐々に差を詰められる。

美琴(くそっ!)

 レポートしたおかげで配置が崩れた砂鉄をどうにか集めて美琴は誘爆を狙う。
 が、それは全ていなされた。ロケット弾の様子がおかしい。

美琴(あれは……植物??)

 ロケット弾の先端には木の幹のようなものが生えていて、それが腕のように動き全ての砂鉄を弾いているのだ。生物濫造という、肉体強化、質量増大、命属入替、有機硬化の複合能力であったが、そんなことは美琴にとってどうでもよかった。身体が依然回復できないし、回復したところで大きな火力を使うには『動』が基本の白井と相性が悪い。かと言って止まっている暇もない。

美琴「くろこ!」

 美琴はダメ元で目配せするが、白井はそちらを見ない。
 そして何を思ったか彼女は空間跳躍をやめてしまった。
 彼女は涼やかに、自慢のツインテールを掻き上げる。

白井「お姉さま、ちょっと身体をお願いしますの」

 そう言って、白井は無理やり美琴の身体にお姫様抱っこされる形になると、右手を二人の前方に差し出した。

白井「信じてくださいまし」
美琴「……は!?」

 白井の覚悟を決めた表情を見て理解した時には遅かった。
 限界まで加速したロケット弾は二人も知覚できない速度で接近し――――そして風になった。
 耳をつんざく爆発。
 それは数キロ先でのことだ。
 思わず目をつぶってしまっていた美琴だったが、すぐに腕に力がこもる。

美琴「………………バカッ! 何考えてんのよ!!」

 白井の身体は震えていた。美琴はそれが当たり前だと思った。





  「……驚いた」

 声は美琴ではない。
 今の一瞬の間で、目の前に異形の者が現れていた。

美琴「ッ」

 すぐに臨戦態勢に入るが、相手もそれなりに距離をとって警戒しているようだ。
 さっきの爆発の影響か、その駆動鎧は片脚が根本から折れている。
 その切断部分から覗いてるものは金属状の何かであり、人間のものではなかった。

  「何というかな。これでも私は能力開発研究者の端くれでね。能力者の分析には自信があったんだが。第三位の力は我々の想定を遥かに超えているね。それとおさげの君、飛んでるロケットを撃ち返すテレポーターが存在するとは驚きだよ。能力云々以前に試さないだろ普通? その右手、火傷や複雑骨折程度で済んでいるのか?」

 白井は知覚するより早いロケット弾を空間移動《テレポート》したのだった。
 方法は美琴がやったのと同じ。あらかじめ演算処理を脳の中にプリセットし、そのトリガーを自分の意思とは別の条件に設定する。しかし彼女には美琴の電磁レーダーのような発動条件がなかった。だから、自分の身体の損傷をトリガにするしか無かったのだ。
 数センチ、演算速度が遅ければ死ぬ。しかもぶっつけ本番という危険な賭けだった。
 もちろん、成功したところで代償は大きい。白井の右手はもう痛みでどうなっているか本人にも分からない。
 突然、人間の言葉を発しだした異形の者に美琴は少し面食らっていた。
 代わりに彼(?)の疑問には白井が応える。

白井「そんなテレポーターわたくしだって聞いたことがありませんですのよ。たった今しがたまではね。ただ……そうですわね、わたくしは……いえ、わたくしたちは、努力できますの。大切な誰かのためなら、どこまでだって強くなれますのよ」
美琴「…………」
白井「それにあなた、七年でレベル一から五に成長なさったこのお姉様が、よもや身体検査《システムスキャン》からなにも変わってないだなんて思ってないですわよねえ?」

 白井は誇らしげにそう言った。
 もちろん、掃除屋の想定にも御坂美琴の成長率は加味されていた。ただ、それ以上に伸びていたというだけ。

  「なるほど」

 異形の者は静かにそう言うと、精神感応《テレパス》能力で後方の同僚に指示を伝える。
 絶対生け捕り。上司からそういう命令が来たと。
 突然、五体の駆動鎧が二人を取り囲むと、一斉に両腕を上げるポーズを取った。

美琴「うぐっっ!!」

 またしても心理を掌握せんとする攻撃。
 空間が歪んで見え、酷い頭痛が美琴を襲った。

美琴「ッ、黒子!?」

 彼女の絶叫に気づくのが数秒遅れた。
 彼女には耐性が無いはずだ。

白井「ぐっっ……うう。まだ、いけますの。そのために……あの心理掌握に頭を下げたんですもの」

 白井が被っている機械は対心理掌握のヘルメットである。食蜂操祈が、自分の攻撃を破られないように敢えて開発を続けていた代物。彼女が言うには自分以外の攻撃なら余裕で防げる、ということだったが。

白井「あ……、あああああああああああああああああああっっ!!!」

 それも限界が来る。ヘルメットが警告音を発し始め、耳から針で刺すような命令が流れこんでくる。
 このままでは、最も恐れていた展開になってしまう。

白井「ごめんなさい。お姉さま…………」

 白井があらかじめセットしておいた条件が発動する。
 自分の意思、意識が外れた時に、全力で空間転移するプログラムが。

白井「ご武運を。約束は……果たしましたの」

 ヘルメットが限界を表す赤いランプを光らせた瞬間、彼女の身体は遥か彼方へと消えさった。
 あとに残されたのは、白井がずっと左手に持っていた、大きなトランクケース。
 持ち主が消えたそれは蓋がひらき、中をばらまきながら海へと落ちていった。

  「逃がすものか。君も是非欲しいとのことだよ」

 ドッ!!! と海から直径三十メートルはあろうかという水柱が幾本も立ち上がる。それは上空で一瞬止まったかと思うと、驚くべきスピードで白井を追い始めた。水の進行方向が風力操作能力で真空になっている。両者の速度は共に音速を超えていたが、先ほどの攻撃で白井のスピードは低下していた。
 その大災害級の竜巻を凌駕する状況が友人に迫っている状況でも、美琴は動じなかった。




  「!?」

 突然水流が止まると、もがく蛇のようにぐにゃぐにゃと乱れそのまま海へと落下していった。

美琴「黒子…………ありがと。確かに受け取ったわ」

 ズドン、と海から爆発音が轟くと、ジュワッと辺り一面水上気に包まれる。
 海まで落ちると思われた水柱は途中で爆発し、まるで主人を変えるかのように美琴の周りに集まった。
 彼女を中心にギュルギュルと回転した大量の海水が巨大な水球と化し、その周りを幾本もの黒の砂鉄が回転する。

  「ばかな。デュアルスキル!?」

 初めて感情の篭った声が漏れた。
 海水は凝縮されると美琴の背中に集まり巨大な六枚の水翼を形成する。
 その水滴に熱量を加えることでガスバーナーのように噴出力を得て、少女の身体は人体の許すギリギリの速度で加速した。

美琴「んなわけあるか」

 ひとりごとのように吐き捨てると共に巨大な槍と化した砂鉄の塊が一体を捉える。
 が、寸前で空間移動《テレポート》され躱される。

美琴(いや、これでいい)

 一番のネックは急加速に生身の体がついていけなくなることだ。
 常に砂鉄で空気を裂き、音速以上で飛んでいればその問題は軽減される。一瞬でも『操縦』を誤ればソニックブームの餌食になるはずだが、その微調整の手段も既に確立済みだ。
 突然、バンッと凝縮された水翼が空中へ拡散する。
 今や水滴の一滴一滴が彼女の手中であった。それは敵の水流操作を凌駕している。

美琴「そこっ!!」

 空間移動《テレポート》先の空間に起こる初動。
 美琴にとっては見慣れた百分の一秒に満たない出現動作だ。
 そこに直近の水滴を経由し十億ボルトを遥かに超える電流が流れこむ。
 青白く光るそれはそれは通常の雷ではなく、もはや宇宙雷《スプライト》の次元に達していた。駆動鎧がそのまま宇宙に行ける素材だったとしても、その回避は不可能だ。

美琴(まあ耐えられるならそれ以上の負荷を掛けるまでだけどね!)

 僅か数ミリ秒、空が昼のように明るくなった末に大きな雷の音が響き渡った。
 一体の駆動鎧は空中で一瞬静止したが、やがて自由落下を始め海中に沈んでいく。
 美琴は面倒くさそうに頭をかくと、その駆動鎧を適当に磁力で持ち上げ陸の方へ放った。

美琴「あと四体」

 少女の目はまるで獲物を狩る肉食動物のようだった。

  「なるほど」

 先程脚をやられたリーダー風の駆動鎧から重苦しい声が漏れる。
 目の前のまだ思春期まっただなかの少女を、化物でも見るかのように暗い瞳で見つめた。

  「能力《ちから》の使い方については圧倒的にそちらに一日の長がありそうだ。テレポーターの友人が居たことも想定外。空間移動《テレポート》を重要視しすぎてウィークポイントになったのもミスだ。第三位の出力の想定もミス。始末書ものだこれは」
美琴「アンタ……意外におしゃべりね」
  「……」
美琴「あの子が言ったでしょ? 人はね、大切な人のためなら、どこまでも強くなれるし、何にだってなれるのよ」

 確かに襲撃者は美琴の成長を想定していた。
 七年でつレベルを四つ上げた怪傑だ。レベル5の範疇とは言え、夏のデータからまた力をつけていてもおかしくはない。
 だが、ここまでの飛躍は想定外どころではなかった。
 美琴は努力を続けていたのだ。
 上条の力になるために。
 上条の隣りにいるために。

美琴「悪いけど。世界にどう思われようが、私はアイツの傍から離れるつもりはないわよ。どんな手を使ってでも」





 独り言のようにつぶやくと、海から幾つもの真っ白いコインが浮遊し美琴の周りを漂い始める。
 そのコインは二つ目の武器。学園都市で二番目に硬い金属で、それを特定の電磁波でのみ分解できるように改造したものだ。
 一つ目は美琴の背中にあるもの。より具体的には、以前学芸都市で発見した水流操作可能状態の海水を再現するための、超圧縮し持ち運び可能な大きさにした個体。
 その二つの武器の入手こそ、白井に課した無理難題だった。
 普通に考えればそんなものを用意するなど不可能レベルの無理難題。
 実際には元々美琴がひっそりと研究開発していた代物であるのだが、その研究所のセキュリティレベルを考えればどちみち無理難題だろう。

美琴(ていうか黒子のやつ、やっぱり知ってたか)

 できれば知られたくなかった。
 それらは美琴にとって初めて使う明確な武器だからだ。
 人を傷つけるための武器を手にする。それは相応の覚悟を伴う、言い訳できない行為。しかし、美琴はそれを選択した。

美琴(それであの馬鹿の隣りに居られるなら)

 少女は口を固く結ぶ。
 戦況はようやく五分五分だろうか。

  「教授から命令だ。プランEへ変更」
  「……は、くそが」

 リーダー格らしい駆動鎧がわざわざ声にしてつぶやくと、後ろの駆動鎧が予想してましたと言わんばかりに悪態をついた。
 少女と異形の両者はそれぞれの思惑をもってゆっくりと動き出し。
 刹那の後。
 両者の距離は数キロまで開いていた。

美琴「同じ手は食らわない……ってわけか」

 駆動鎧の動きが変わった。空間移動《テレポート》を使いたくないためか美琴同様空を縦横無尽に飛び回る。
 四体はある程度一丸となって飛び回り、全体が電撃回避の電場を作っていた。
 一方美琴は上空へ加速する。同時にコインは駆動鎧めがけ撃ちだされ、砂鉄は砂嵐となって視界を覆った。
 三、四発直撃し、二体の駆動鎧がふっ飛ばされる。が、コンマ一秒も無く体勢は立て直された。

美琴(ちっ、あの硬さが厄介ね)

 しかし奴らは今空間移動《テレポート》を封じられ、出力のいくらかを発電能力に奪われているのだ。せいぜい『ギリギリレベル5の能力を持った戦闘機クラス』の強さでしかない。

美琴「って全然余裕ねえだろうがそれ! ぐにゃっ!?」

 上昇し一体一体相手にしようと思っていた美琴だったが、突如全身を掴まれたような感覚に陥る。

美琴(念動力《テレキネシス》ッッ!?)

 考えるより早く異変が起こる。声が出せない、いや空気が全て消えたのだ。
 肺の中身が奪われて体内に激痛が走る。

美琴(どの範囲まで……いや)

 混乱はするが想定もしていた。
 まだ美琴の制御下にある海水に圧力をかけ、瞬時に一人分の酸素を得る。
 が、一呼吸したところで突如周りの海水が全て干上がった。

美琴「がああっ!!」

 発火能力《パイロキネシス》レベル5、それは水翼を容易く使用できない高温まで爆散させた。
 もちろん人が耐えられるような熱風ではない。
 一瞬、思考より早く砂鉄が壁となり熱風は抑えられたものの次の手が来る。

美琴「ッ」

 美琴は砂鉄の壁を磁力で蹴って再び上昇する。
 少女と異形が壁を挟んで一瞬だけニヤリと笑う。
 逃げの一手、かと思われた美琴だが、そこで『配置』は完成していた。

  「!?」

 数百の浮遊していた白い金属は、二体の駆動鎧を完全に『詰んでいた』。

美琴「堕ちろ!!」





 いくら相手が硬いとはいえそれは無限ではない。
 超高硬度の金属が無数の針に変化し、駆動鎧の脊椎に次々にヒットする。
 結果は一瞬だった。
 音もなく、四五本あるしっぽの幾本かが宙に投げ出される。

美琴「どうせそれが能力の要なんでしょ!? それがなくなれば」

 そう、確かにソレが能力の要だった。
 能力がなくなれば相手はただの高性能駆動鎧だ。美琴の相手ではない。
 だが。
 美琴は暗闇の中、確かにそれを能力で視認してしまった。

美琴(…………え?)

 しっぽからこぼれ落ちた、おそらく能力の元凶であるはずのそれは、赤黒い液体と、薄肌色のぶよぶよした物体だった。
 美琴の高速な演算が無慈悲にもソレを理解してしまう。

美琴(なんで…………)

 木山春生が以前どうやってマルチスキルを実現していたか。
 機械に根付かない能力をどうやって駆動鎧に詰んだのか。
 食蜂操祈はどうやって能力の強化をはかっていたか。

美琴(…………なんで気づかなかったんだろう)

 気づかなかったのか。
 気づきたくなかったのか。
 そう、駆動鎧のあのコブのようなしっぽ、あの節の大きさは丁度、人の頭の大きさくらいだった。

美琴「う……そ」

 その人の臓器に似た物体は空中に四散し、スローモーションのように海へと向かって落ちていく。
 彼女の思考は勝手に目の前の事象から結論を出し、そして脳裏に『最悪』が訪れた。

ーーーーコイツラハ、ドウヤッテハツデンノウリョクヲツカッタンダロウ

 自分は今、一体何を潰したんだろう。
 自分と似た顔の少女の姿がフラッシュバックする。

美琴「あ……ああ、あ……?」

 一秒後に聞こえるであろう己の絶叫を想像し、美琴の身体が総毛立つ。
 駆動鎧はその様子を観察すると、耳まである口を薄く開いた。

  「今だ」

 グワンっ、と美琴の世界が廻った。
 物凄いめまいと頭痛と言えばわかるだろうか。
 心理掌握によくやられる攻撃の数十倍の衝撃。
 美琴は必死に理解しようとした。必死に防衛しようとした。
 しかし頭のなかに入ってくる誰かがそっと耳元でつぶやくのだ。

  「あーあ。殺っちゃったのね」

 一瞬、全身から力が抜け、抵抗ができなくなる。
 自分と、誰かが必死で守ろうとした何かが手からこぼれ落ちた。

美琴(いや、今自分が潰したんだ)

 上空千メートル。視界がゆらゆら揺れる中、地上が目に入る。

美琴「…………」

 彼女は必死に手を伸ばす。
 帰りたい。
 帰らなきゃいけない。

美琴(私は、あそこに。あの人の傍に。ただ……)

 しかしその開いたその小さな手を、彼女はゆっくり握りしめ、静かに引いた。

美琴(……ごめんなさい)

 それっきり、彼女の意識は途絶えてしまった。


 ◆





 1/3 18:50 大雪


 関東では記録的な大雪を観測していた。
 もはや綿ごみのようなぼた雪が音もなく降り注ぐ中、上条当麻は微睡んだ目で座っていた。
 時たま誰かの声がするたび、頭を抱えて震えてしまう。
 自分はどうしてしまったのだろうか。
 こんな弱い人間だっただろうか。
 少しだけ残った、頭のなかの冷静な部分が勝手に分析する。
 なんとなく状況は理解できていた。
 心的外傷《トラウマ》。
 記憶喪失なりたての頃に、無駄に覚えた人の記憶についての知識に、こういうものがあった。
 人間は幼少期にトラウマによって多重人格化することがあるが、その際、記憶を司る扁桃体が人格によって分裂したという報告があるらしい。つまり、普段使っている記憶領域と、別人格が使う記憶領域は違うということだ。
 その場合、主人格にその悪い記憶はアクセスできないよう蓋をされるらしい。
 上条当麻は記憶喪失だ。
 しかし、ほとんどの事を忘れたとはいえ言葉や常識などは覚えている。どこからどこまでを忘れたかという境界は実のところわかっていない。
 なら、その残っていた部分の中に、たまたまクソッタレな記憶が紛れていて、単に今までは蓋をしていただけということもありえるだろう。今それが掘り起こされているのだと考えたら辻褄は合う。

当麻「……」

 合うからといってどうにもできない。
 意識が混濁していてその細かいところがどうなっているかなんていうのは定かではないが、とにかく巨大なうねりのようなストレスで自分は身動きが取れなくなっているらしかった。
 そこまで考えるのに一体何時間掛かったのだろう。
 身体は冷えきって、このままだと死ぬのかもしれないと思った。

当麻「みこ……と」

 口から年下の少女の名前が漏れた。
 少しほっとしたあと、激しく自己嫌悪した。
 なんと、自分という男は今彼女に会いたいのだ。
 酷いことを言ったくせに、彼女に抱きしめて、慰めてもらいたいのだ。
 何かと突っかかってきては軽くあしらわれる女子中学生に、どうしようもなく依存しるのだ。

当麻「はは……」

 彼は更に驚いた。
 その程度で勝手に視界が揺らぐのだ。
 そんな、情けない事情などどうでもいいと思えるくらい、今彼女に会いたかった。
 彼女が今戦っていることすら、思い出せていたかは怪しい。

当麻「みこ……とっ」

 名前を呼べば呼ぶほど視界は揺れたが、溢れるのを必死で耐えた。
 胸を掻きむしって、そのあと髪を掻きむしってみたが、何も変わらなかった。

 バチン。

 と、そういう音がして、上条当麻は顔を上げた。
 聞き間違いだろうか。
 いや聞き間違うはずなんかない。
 上条は立ち上がった。
 同時にものすごく恥ずかしくなった。
 こんな情けない姿を晒したくない。そう思った。
 それでも、それを差し引いても彼の身体は通りへと躍り出ていた。

当麻「……っ。美琴!!!」

 遠くの電灯の下に、ダークバイオレットのジャケット服を着た少女の姿を見つけた。
 視界が悪くてシルエットしか見えないが、髪型はいつもの彼女に戻っていた気がした。

当麻「美琴!!」

 もう一度叫んだ。足がもつれそうだったが彼は駈け出した。
 がすぐに止まった。

当麻「?」





 自分はまだ泣いているのかと思った。
 そう思って頬に手を当てて、何となしにその指を見る
 ぬるりとした赤い液体が付着していた。

当麻「??」

 熱い、頬が熱くなる。
 いや、おかしい。上条は混乱した。
 混乱して美琴の方を見る。
 ヒュンッと白い何かが飛んできた。

当麻「っ」

 それは腕を掠め、遥か後方で大きな音を立てる。
 腕から今度こそ間違い用のない、赤い血がどくどくと流れ出る。
 いつもならかわしていただろうか? 何故今かわせなかったのだろうか? そういう風に考えられないほどには彼の精神は壊れてしまっていた。

当麻「みこ」
美琴「近寄るな!!」

 絶叫は、金属を擦り合わせたかのような金切り声だった。
 そんな声、聞いたことがない。

当麻「ど、どうしたんだよお前」

 声が震えていたのは、寒さのせいだと思いたかった。
 とにかく上条は近づいた。一歩、また一歩。
 そのたびに白い弾丸は身体をかすめていく。
 一発でも直撃したら死ぬかもしれない攻撃だったが、彼は避けることもせず進み続けた。
 だが。

当麻「ッッ」

 彼の歩みは止まった。
 彼女の心底怯える目が見えて、彼は息ができなくなった。

美琴「近寄るなって、言ってるでしょ」

 絞りだすような声だった。

美琴「……よく、わかったから」
当麻「な……にが」

 コインを構えたまま、手が震えていた。

美琴「アンタと……いると、確かに……不幸になる」
当麻「……」

 その言葉より何より、上条には彼女の心底怯えた目が辛かった。
 あの目だ。
 閉じ込めていた記憶が告げる。「私はあなたが怖いので近寄らないで下さい」という、恐怖と嫌悪の気持ちを嘘偽り無く伝えてくるあの目。

美琴「だから二度と……私の前に現れないで……下さい」

 上条は、必死に身体を支えた。
 心を空っぽにしないと崩れ落ちてしまいそうだった。
 冬なのに、上条は全身が熱くて堪らなかった。
 今までのどんな攻撃より痛いと思った。
 心のなかで、いっぱいいっぱい言い訳と疑問の言葉を並び立てた。
 きっと話せばわかると思いたかった。
 でも。

当麻「そうか……わかった」

 彼女のために、きっとそれが一番だと思ったから。
 その声にならない声を絞り出した。
 何でもない風に言えた自信は皆無だった。
 正しく伝わっていたかもわからないその音が終わるとともに、ビュウと突風が吹き荒れて、気づくと彼女はどこにも居なかった。
 彼はとうとうその場に崩れ落ちた。
 全身が力んで、なのに力は入らない。
 別に、何のことはない。
 二人の人間関係が単に終わっただけだ。それだけなのに、この世の終わりよりも恐ろしいと感じた。

当麻(はは、上条さんったらそこまであいつのこと好きだったんだ)

 顔面をめちゃくちゃにしながらようやくそんなことに気づく。
 後方から来る悪魔のうねりももはやどうでもよかった。
 世界を救ったヒーローは、言葉の弾丸であっけなく殺られてしまい、そのまま白い雪に赤くデコレートされた地面に、心底疲れたように倒れ伏した。


 ◆





 1/3 18:26 大雪


 話は少しだけ遡る。

  「あーあーあー! 完全に赤字だよこれ」

 廃墟と化した遊園地のベンチで、リラックスするように座っていた異形の駆動鎧達が声を上げた。

  「こんな化けもんの絶対捕獲とかさー。この装備と人数じゃ無理なのわかってるでしょー実際」

 声は明らかにイライラしていた。イライラが、正確に現れるように音声が造られていた。

  「予定の装備でキツイ相手だからこそ捕獲したいんだろ? 捕獲が簡単な相手など捕獲する必要がない」
  「いや、わかるよわかりますよ? だからそこが毎回おかしーってんだよ。もっと安牌な人員と装備を用意すりゃ赤でないんじゃねーのかってことだよ。見積があめーんだよ。次のボーナスに響くだろおい聞いてんのかクソ教授よぉ!!」

 異形の一体が空に向かって指をさす。
 完全にサラリーマンの飲み会の愚痴と化しているが、喋っているのが異形すぎて異様だった。

  「んでこいつどうするわけ? こんな怪物うちで面倒見きれるのかよ?」
  「まあ、統括理事長の逆鱗に触れない範囲で教授がおもちゃにするんだろう」

 彼らの輪の中心には女子中学生が呆然と立ち尽くしていた。
 目は虚ろだが、確かに彼らを睨んでいる。
 ブツブツ何かを唱えているようだが判別不能だった。

  「これ、人格が完全に掌握できていなくない?」
  「ああ。最後の最後で防壁を張っているようだな。大した娘だよ、そのメソッドについても解析対象だな」
  「は? おいおい冗談きついぞ。これ脱いだ時に後ろからブスリとか洒落にならねーぞ?? 俺は嫌だぞそんなの? 大体なんだよこのプランE。パーソナルリアリティに隙を作るとか博打どころじゃねーじゃねぇか。この機体が学生の脳みそ大量に積んでるとか気付いてもらうのも運だし気付いたところで影響なかったら今頃あの世だぞ?」
  「それについては実験大好き先生に言え。掌握については問題ない。完全な人形になるところが、意志のある人形になったという程度だ」
  「あー、……ああ? よくわかんねーが、それってこれからやらされるエゲツナイ仕事について認識はできるってことか? お気の毒に、すぐ壊れちゃうだろ。正直ぼくちんでもギリギリよ?」
  「まあ壊れたら完全に掌握できるまでだ」
  「うえー。ブラック企業怖い。給料はいいけど。よかったなー俺は操られ組じゃなくて」

 げっそりしていますというジェスチャーをしながら他の駆動鎧を見る。
 四体のうち二体はまるで銅像のようにじっと佇んでいた。と思ったら、唐突にその一体が彼に話しかける。

  「じゃあさー。それ手っ取り早く壊しちゃいましょうよー」
  「お、おう。どうぞ。お任せします。操られ組さん怖いっす」

 操られ組と呼ばれた、まだ幼い女の子のような声を発する駆動鎧は、その大きな体躯を折って美琴の顔を覗きこんだ。

  「というわけで、あなたの彼氏くんをさくっと殺してきてほしいのー」




 灰色の空を一人の少女が飛んでいた。
 セミショートの髪を靡かせる少女の背中からは水の羽根が生えている。
 普段はガスバーナーのような轟音を響かせるその羽根も、今はゆらゆらとはためくにすぎない。
 少女の淀んだ瞳が遥か地上を捉えた。
 何か、大事なものをそこに忘れてきた気がする。
 しかしそれが何かは思い出せない。
 そもそも自分は何故空を流れているのだろうか。
 考えようとしても上手くいかない。
 まるで何かに阻まれているようだった。

美琴(あっ)

 だが、少女はふとその捜し物を見つけてしまった。
 何キロか先の一点を凝視する。
 そうだ、あそこに彼が居る!!
 水翼が轟音を上げ、身体は急加速した。
 周りの雪は一瞬にして水へと変わる。

美琴(はやく! はやく!!)

 それは根源的な乾きに似ていた。
 胸を中心に灼けるような苦痛が全身を襲った。
 一秒でも早く彼の元へ辿り着きたかった。
 彼とくだらない話がしたかった。
 彼の笑顔が見たかった。
 彼に触れたかった。
 彼の隣りに居たかった。
 そして早く彼を――――

美琴「ぶっ殺したいよぅ!!」

 見知らぬ住宅街に落ちるように着地した後で、美琴の頭は真っ白になった。
 今自分が発言した言葉にものすごく違和感があった。違和感があったのに、何が間違いかが分からなかったし、どれも本心であるはずだった。
 違う!!
 本能でも理性でもない、願望にも似た気持ちがそう叫ぶ。
 自分は壊れてしまったのだと思った。
 だけどどこらへんが壊れているのか分からなかった。
 とにかく、彼のことを想えば想うほど彼を壊したくなった。そうなれば自分と一緒だし、とてもいいことに思えた。

美琴「……? …………??」

 美琴は頭を抱えた。
 間違っていないはずなのに、考えると酷いストレスを感じた。
 耐えられない。
 それでばちんと火花が散ってしまった。

当麻「美琴!!」

 びくんと少女の身体が跳ねた。
 鼓動が全身を覆い、顔が耳の先まで熱くなるのを感じた。
 名前を呼ばれるのがとても嬉しくて。
 口角が上がるのを抑えられない。
 さっきまでのつらい気持ちがウソみたいに心が踊った。
 今すぐ彼の胸へ飛び込みたい。
 そんな気持ちで顔を上げる。

当麻「美琴!!」
美琴「―――――ッ」

 彼女は彼に駆け寄ろうと右脚を出そうとしたのに、何故か右腕が上がった。
 彼の名前を呼ぶために口を動かそうとしたのに、何故か白の金属を指先に集めた。
 彼の胸へ飛び込もうとしたのに、何故か彼を効率よく殺す方法を考えた。

――――だめっ!!

 叫びたかったが間に合わない。
 コイルガンとなった白い金属は弾丸より早く美琴の右手から放たれた。

美琴「ぁ…………かはっ」

 強烈な吐き気がする。
 心の中で何かと何かがぶつかって、強烈なストレスになっていることに気づく余裕もない。
 美琴の左手からは赤い液体が流れていた。
 何故かその手はコイルガンを打った右腕を必死に抑えていた。それで撃った時に白い弾丸が掠ったのだろう。
 暴風雪に半分以上隠された前方の人間が倒れないのを見て、ようやく呼吸ができるようになった。
 美琴の電磁波が、彼の姿を舐めるように捉えた。
 彼は状況が飲み込めないようで呆けた顔をしていた。
 かなりアホ面にも思えたが、そんな顔も好きだと思った。

美琴「ッ!!」

 気づくとまた弾丸を撃っていた。
 撃つととても気持ちのいいことに気づいた。
 なるほど、上条を好きという気持ちが昂ぶれば昂ぶるほどぶっ殺すという行為に心が踊った。

美琴「…………あれ?」

 美琴は自分が涙を流していることに気づいた。
 何か知らないが悲しい。
 全くもって自然な行為。喩えるなら、親を大切にするだとか、子供を慈しむだとか、そう言った人間として当たり前だと思っているはずの『愛する者を殺す』という行為を実行することが、とても悲しいことだと思えた。それがどんなに混乱する出来事かは想像してみてほしい。
 なのに、そんな混乱する彼女のことは構わず、愛する者は近づいてきた。

美琴(…………めて…………やめてよ)

 それ以上近づいてきたら、愛おしさがより強くなってしまうと思った。
 そしたら自分は――――




当麻「みこ」
美琴「近寄るな!!」

 信じられないくらい、胸が痛かった。病気をしなくても、これほど痛くなれるんだとびっくりしたほどだ。
 でもそうするしかなかった。

当麻「ど、どうしたんだよお前」
美琴(……わかんないわよ)

 彼の声は震えていた。
 傷付けてしまったのだろうか。
 そう思うと愛おしさが高まって。

美琴(やめて……来ないで……)

 美琴は一発でも直撃したら死ぬかもしれない攻撃を、近づいてくる彼に撃ち続けた。
 そして必死にそらし続けた。

美琴(もう……ほんとに……やめて……こわいよ……)

 ようやく、顔の視認できそうな距離で彼の歩みは止まった。
 美琴は混乱したままだったが、理解はようやくできた。

美琴(怖いなら、嫌いになればいい。そして、嫌われればいい)

 だから、一番二人が傷つくような言葉を探した。

美琴「近寄るなって、言ってるでしょ」

 絞りだすような声だった。

美琴「今回の件で……よくわかったから」

 今回の件。先ほどの…………何かは忘れたが、上条の不幸に係る事件。

当麻「な……にが」

 コインを構えたまま、手が震えていた。

美琴「アンタと……いると、確かに……不幸になる」
当麻「……」

 美琴には、彼の表情がみるみる変わっていくのが見えた。
 ツラそうで、泣きそうで。
 それを見ると、また愛おしさが高まってしまいそうだった。
 美琴は言葉を飲み込んだ。
 彼女は今自分が抱く全ての望みに反逆する行為をしているのだ。
 気が狂いそうだった。
 でも。
 わずかに残った願いだけが彼女を突き動かす。

美琴「だから二度と……私の前に現れないで……下さい」

 きっと、私はあなたを殺してしまうから。
 そう願った。
 もう、上条の顔も見ることができない。

当麻「そうか……わかった」
美琴「ッ」

 美琴は、大きな黒い塊を胸に抱き、それを受け入れることでようやく右手を下ろすことができた。
 そのまま踵を返すと、やがて思い切り走りだし宙に舞う。
 どんどん上って、白いぼた雪を全て水に変えながら、地上より雲の方が近いあたりまで来てようやく振り返る。
 遠く、もはや地形にしか見えない街の明かりを見て美琴は子供のように泣きじゃくった。
 大切にしていたものが直せないくらい壊れてしまったのをみて、途方に暮れる子供のようだった。
 自分はどうすればよかったのだろうか。
 何を言えばよかったのだろうか。
 何が悪くてどう謝ればいいのだろうか。
 そんなことをまとまらない思考で考えた。
 でも、子供だっていつか受け入れなければならないことがあると知っている。大抵、ひとしきり泣いたあとに少しだけ冷静になってそれに気づくのだ。

美琴「うっ、ぐすっ……。さよう……なら……。さようなら。大好きな……当麻」

 その声は空へ消えていくだけで、誰も聞き止めるものはなかった。









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