上条当麻の憂鬱
「もう絶交だかんね!!」
「ああいいともさ!! こっちだってテメエの面を見ずに済むんだから願ったり叶ったりだ!!」
よくある、かどうかはともかく、どことなく『よくある』シチュエーションである。
ふとしたきっかけでケンカになり、感情が高ぶった所為で双方引っ込みがつかなくなって、決まり文句というか、この場で言い争いを打ち切るために使われる常套句。
そんな定番なエスカレートした口げんかをやらかした二人の男女。
一人はツンツン頭髪が特徴以外はいつの時代も普遍の定番学生服、学ランを着ている一人の男子高校生。
一人は学園都市有数のお嬢様学校ゆえ高潔感を醸し出す常盤台中学の制服を身に纏う一人の女子中学生。
ケンカの原因など、基本は些細なものだ。
しかし、些細なことだとしてもそれが深みにはまればケンカ自体は大きくなってしまう。
二人は正にそんな感じだった。
むろん、原因など知る必要はない。原因が何であれ、少女が『絶交』を言い出すほど憤慨したということは、少年が言ってはならないことを口にしてしまったからだ。
こうなるともう泥沼である。言い争いは苛烈を極め、言わない方がいいことまで言い合ってしまうから、これは完全に悪口合戦だ。
ちなみに大抵の場合、口喧嘩は基本、罵り合いな訳で頭が冷えてくると、ずーんと頭をもたげ、濃い青の波線を三本ほどこめかみに浮かべながら『何であんなことを言ってしまったんだろう』と後悔する羽目になる。
それは少年も例外ではなく。
激しく後悔した。
この何でもないケンカがまさかあのような事態を生み出してしまうとは。
もちろん、この時の少年=上条当麻は知る由もなかった。
少女=御坂美琴が踵を返すのを見てから自分自身も踵を返す。
二人は振り返ることなく、それぞれの帰路に就く。
バンっ!
上条は部屋に戻るなり壁に鞄を叩き付けた。
どうやらまだ怒りは収まっていないらしい。
美琴に何と言われたかは、さておくが、ここまで上条が怒りを露わにするのは珍しいことだ。
むろん、無かったとは言わないが、誰かにためにキレることはあっても、私利私欲でキレるのはおそらくなかった。
まあ、何万何億と繰り返したオティヌスの作り上げた世界の中で、妹達の総体に吐露したセリフがそれに当たるのかもしれないが、それにしたって、今回の怒りはテイストが明らかに違う。
さて、そんな様子を見てしまえば、この部屋の居候二人組、銀髪碧眼で白い修道服のシスター少女・インデックスと金髪隻眼でマントととんがり帽子以外は申し訳程度に黒布で秘部を覆うほとんど全裸の少女、に見える(すでに力の大半は失っているが)魔神・オティヌスは、ちょっと慄かざるを得ない。ちなみにオティヌスの体長は十五センチメートルほどなので、どんな姿だろうと今の彼女に下賤な思いを抱くのは男どころか人として失格である。
とは言え、同居している以上、意味も分からず不機嫌な上条と一緒にいるのは正直居た堪れないわけで、
「えっと……とうま? 何があったのかな……?」
インデックスが苦笑満面に問いかける。
「…………なんでもねぇよ」
もちろん、上条はどこかやさぐれて答えるが、
「しかし人間よ。お前がそういう態度では我々もちょっと居辛いのだが?」
「……」
オティヌスの珍しい苦笑の続きを聞いて、初めて上条は肩越しに二人に視線を送った。
なるほど。
確かに二人とも怯えている。これでは上条が悪者だ。
少しだけ。
上条当麻の頭は冷えた。
「ああ……実は……」
切り出した声はそれでも少しドスが効いていたりするのだが。
「「はぁ……」」
上条の釈明を聞いたインデックスとオティヌスの答えは盛大な溜息だった。
「何だよその反応!」
もちろん、上条はそんな二人の態度が気に入らない。
別に味方をしてほしいとか、一緒になって美琴を悪く言ってほしい、などと思ってはいないが、心の底から呆れられた態度を見せられては、まだ頭に血が上っている上条では憤慨せざるを得ないというものである。
「いや……まあ、とうまの言い分は分かるんだよ。分かるんだけど……ちょっと二人とも大人気無さ過ぎるかなって……」
「だな。少なくとも後半分はどう聞いてもどちらにも非があるとしか思えん」
ところが、先ほどまでとは違い、インデックスとオティヌスは上条に恐れを抱くことは無かった。
というか二人の戦慄は完全に霧散していた。
凄まれた声をかけられたところで、ムキになった幼子が喚いた、としか感じなかった。
証拠に二人とも、両手を広げて、かぶりを振り、「やれやれ」と言ってたりするのだから。
「ねえ、とうま。前にひょうかが言ってたことがあるんだけど」
「何だ?」
「ケンカができる友達って本当はすごく仲が良いんだって。ケンカができるのは仲直りもできるって信じてるからだって言ってたんだよ」
「要するに本音をぶつけ合える相手、って意味だ。普段のお前はどこか本心を隠すというか、常に相手の立場で考えることを優先させることが多いから、腹を割って話し合える相手とは、お前にとって相当貴重だと思うのだが」
「む……」
「まあ、本音を言えば、私はとうまと短髪の縁が切れるならそれでいいんだけど、ケンカ別れはやめた方がいいと思うんだよ。仮にお別れすることになったとしても二人とも納得した形で後腐れなく、が一番いいかも」
インデックスが無邪気な笑顔を向ける。
見た目、聖少女の笑顔は心に安らぎを与えるものだ。
むろん、上条も例外ではなく、しかし、少し納得できないので、
「お前は……俺の方が悪い、とか思ってんのか……?」
「ううん。とうまの方が、なんて言わないよ。というか、とうまの話を聞いてるとどっちもどっちって感じが思いっ切りするし」
「口喧嘩なんて本人同士はともかく、他者から見ればそんなものだ」
「う……」
二人のなんだか自嘲気味の笑顔に、上条のボルテージはどんどん下がっていって、
「しかし私からすれば羨ましい話かもしれないな。貴様から本音というか貴様自身を余すところなくぶつけられる相手など希有な存在と言っても過言ではあるまい。私はもちろん、そっちの魔道図書館相手にそこまで激しく言い争う貴様の姿など想像できん」
「不本意だけど、その点は私も同じ意見かも」
インデックスとオティヌスの柔らかな笑顔は、上条当麻のやさぐれた心を癒すには充分だった。
今、初めて思う。
上条当麻は、今この場に、この二人の少女が居てくれたことがこれほどまでにありがたいことだったとは、と。
次の日、上条当麻はインデックスとオティヌスに言われたという事もあるのだが、年上の自分が年下の美琴に対して逆上するのはどうかという思いも湧いて、頭が冷静になったものだから、一晩中思い悩み、朝が来たところで思ったことはただ一つ。
――とりあえず、御坂に謝ろう――
である。
というわけで放課後。上条はいつも美琴と出くわす公園のオンボロ自販機へと来ていた。
あの自販機は美琴愛用でもあるし、ほどなく会う事が出来るだろう、と呑気な事を考えながら。
そして予想通り。
上条の視界には向こう側から歩いてくる見慣れた亜麻色のショートカットの少女が入ってきた。
(ふぅ……)
ため息に苦笑を乗せて、上条は美琴へと進む。どうやら向こうも上条に気付いたようだ。
「よ、よう……」
それでも挨拶が苦笑でどもってしまったのは昨日の後ろめたさがあるからだろう。
対する美琴は、
「あ、上条さん。ごきげんよう」
一瞬、上条は何が起こったのか分からなかった。
「今日もいい天気でしたね。とと、すみませんけど私、ちょっと用事があるんです。それじゃ」
『笑顔』で美琴は一言二言だけ言って、実に自然な動きで慌でも焦るでもなく、するりと上条の横を通過する。
しばし時間が止まっていた上条だったが、我に返って即座に振り返ってみたが、美琴の背中を眺めるまでしかできなかった。
なんとなく。
美琴が振り返るとは思えなかったから。
上条はどことなく違和感を感じていた。
さっき見た美琴は昨日のことを少しも気にしてなさそうだった。
というか、昨日のことが無かったようですらあった。
それに何より。
つい昨日までは上条当麻のことを『アンタ』としか言ってなかった彼女が、初めて『上条さん』と言ったのだ。
一体、これはどういうことなのか。
美琴の機嫌は悪くなかった。それは絶対に絶対である。
しかし、何か違和感がある。昨日のことをなかったことにしたとは思えないし、上条が知る彼女の性格を思えば昨日の今日で頭が冷えているとは思えない。
仮に冷えているのだとしたら、彼女も上条同様、どこか後ろめたい態度を取ったと思うのだが、そう言った感じすらしなかった。
一体どういうことなのだろう。
上条当麻は頭の上にはてなマークをいくつも点滅させながら、とりあえず、昨日のことは許されたのだろうか、などと考えつつ、インデックスとオティヌスが待つ自室へと戻っていった。
「で、とうま。短髪と仲直りできたのかな?」
昨日の今日である。やっぱりちょっと気になっていたのだろう。
インデックスが夕食時に何の気なしに問いかけてきた。
「あー……仲直りというか何と言うか……とりあえず御坂はもう怒ってなさそうだった……笑顔で挨拶してきたし」
「その割には浮かない顔をしているな?」
オティヌスは上条の頭の上に正座して何故かメロンパンを食べている。
おかげで、上条の髪はパンくずだらけだ。何と言ってもメロンパンのパン屑が落ちる率は半端ではない。
何故かオティヌスはメロンパンが気に入って、ほぼ毎日、要求された上に、普段は上条の肩に座っているくせに食事のときだけは上条の頭の上で食べ散らかすものだから、一度、「止めてくれ」と懇願したことがあったんだけれども、その時の上条とオティヌスの会話である。
「何だ? 私は食事をしてはいけないのか?」
「いや、食うなとは言わんが俺の頭の上で食うのはやめてほしいってことだ。特に風呂上がりだった日にゃ目も当てられんし」
「……」
「? どうした?」
「えーい。うるさいうるさいうるさい」
「って、おいコラ地団駄踏むなよ! 地味に痛いんだぞ!?」
「まったく。本当に貴様はまったく。そう言えば貴様の髪の毛はチクチクするな。えーい抜いちゃえ抜いちゃえ」
「いていていていて。こら! マジで抜くんじゃない! てか、キャラ変わってんじゃねえかお前!!」
「ばーかばーか。貴様のばーか」
「ちょっと待て。なんだかこのやり取り、どこかで見た気がするんだが……」
「詳しくは、『とある魔術のインデックスたん』をどうぞ、なんだよ。ちなみにオティヌスがメロンパンにしたのは元ネタが理由かも」
「いきなり割ってくるなよインデックス! しかも、俺たちの方じゃなくてカメラ目線てのはどういうこった!?」
とまあ、こんな感じだったものだから、上条の頭の上でオティヌスが食事することを容認というか、完全に諦めて受け入れた。
さて話を戻して、オティヌスの言葉を聞いた上条は、
「何と言うかこう……昨日までの御坂じゃないような気がして、すげえ違和感があったんだよ」
「ふーん。短髪もとうまに悪いと思ったのかな? でも気まずいから逆に思い切って笑いながら声をかけたのかも」
「そう、かなぁ……」
インデックスの予想にも上条は釈然としない表情を浮かべるのみだった。
そんなこんなで一週間ほど経過して。
学校への道すがら、または遊びに行った町中で。
上条当麻は何度か御坂美琴とすれ違ってはいたんだけれども。
その間、笑顔で挨拶をされるのだが、今までのように勝負を申し込まれるとか妙に絡まれるとかはもちろんなくて、言葉を交わしても二言三言であっさり『美琴から』話を打ち切ってそそくさ離れられる日が続いていた。
その間、美琴はずっと『上条さん』と呼んでいた。
ただ、近寄ってはこないし、出くわした時の距離間のままで少し話をしただけですぐ立ち去っていく様に上条の違和感はまったく拭えなかった。
そう。それはまるで――
「なるほど。そういうことでしたの」
上条の説明を聞いて、白井は盛大な溜息を吐いていた。
そんな日が続いたこともあって、インデックスとオティヌスは「気にする必要はないんじゃない?」と気遣ってはくれるんだけれども、どうしても上条はこの違和感がどこか嫌だな、なんて考えながら歩いていたところ、御坂美琴の後輩にして風紀委員のツインテールとですの調の丁寧語を使うのが特徴の白井黒子がたまたま自分を見かけて、『少しお話したいことがありますの』と声をかけてきたものだから、上条の方も聞きたいことがあったので即座に承諾してすぐ近くにあった喫茶店に入って、一週間前の美琴と自分のことと、ここ一週間の美琴の様子を説明した結果が白井黒子の反応だったのである。
「ということは、あの日、御坂は部屋に戻ってからも少しおかしかった、ってことか?」
「ええ、そうですわ。つい、その前の日までは必ずと言っていいほど毎日、わたくしが砂と血を吐きそうになるくらい、上条さんのことを話されておられましたのに、その日を境に突然、パッタリ何も言わなくなりましたの。これは何かあったのでは、と思ったもので上条さんに何があったかをお聞きしたまでですわ。お姉様にお尋ねしても、“まあそんなことはどうでもいいじゃない”と笑顔でやんわりと断れ続けられましたものでして」
ここで白井はティーカップを上品に口に含み、
「まあ、わたくしとしてましては真相が分かりましたし、それはわたくしにとりましてとても有意義な事でしたから喜ばしいのかもしれませんの。これでお姉様と上条さんの縁が切れたかと思うと、内心、ザマミロ&スカッとさわやかの笑いがこみあげてきそうなことなのではありますが……」
「すでに笑っているようだが?」
「おっと、つい本音が」
白井の答えに、今度は上条がため息一つ。
「で、俺はどうすればいいと思う?」
「どうすれば、とは?」
「だから、御坂が俺のことを顔見知りって反応するだけの現状をどうすればいいかってことだ」
「いや別にどうする必要もないんじゃないかと思いますわよ。わたくしの気持ちは別にして、上条さんもお姉様とは知人として振る舞えばよろしいのでは?」
「……それって『友達以下』だよな?」
「そうなりますわね。ですが、お気になさらずともよろしいかと。知人、顔見知り程度であれば、上条さんもお姉様に追い回されずに済むわけですし」
「まあ……それはそうなんだが……」
上条は何か面白くない。
確かに美琴に散々付きまとわれて鬱陶しいと思ったことはあったし、うんざりしたことも数知れずだ。
しかしだからと言って、つい先日までは『友達』とか『妹分』とか思っていた相手に知人という『他人』扱いされるのは気分が悪い。
「あれ? 黒子どうしたの? 上条さんと二人でこんなところで」
突然、振ってきた声に上条と白井は同時に顔をそちらへと向けた。
そこにいたのはきょとんとした表情の御坂美琴。
その後ろには、なんだか困った笑みを浮かべた初春飾利と佐天涙子の姿もある。
「へぇ……さては黒子。とうとうアンタも倫理的にも真っ当な異性に興味が沸いたのかしら?」
右手人差し指と親指で顎を挟んで目を細めるその姿は何とも面白いものを見つけた悪戯小僧の顔である。
『上条と美琴以外の女性が一緒にいるツーショット』。
そんなものを御坂美琴が見てしまえば、次の瞬間、この場が血を見る惨劇に見舞われる、もとい、すべてを一瞬で無に帰す最大級の雷撃が落ちることだろう。
言い換えるとゼウスの雷。
だから、それが分かる上条と白井は、
「ちょ、ちょっと待て、御坂! 誤解するなよ!? 俺は別に白井とは……!」
「そ、そうですわお姉様! わたくし、上条さんには思うところなど微塵もありませんし……!」
二人揃って手と首をぶんぶか振りながら焦って答えるが、
「え? そうなの? それは残念。上条さんなら女性に優しいし、正義感も強いし、黒子にピッタリだと思ったんだけどなぁ……あ、でも上条さん、是非、黒子を同性愛から卒業させてくれませんか! 私も協力しますので!」
実にいい笑顔の美琴である。そこには一切の不機嫌さも感じられない。むしろ本当に二人を応援しようという笑顔である。もちろん、からかってやろうという野次馬根性も加味されているわけだがそれはまあいいとしよう。
「(おい白井! お前、普段、御坂に何やってんだよ!?)」
「(べべべべ別に何もしておりませんわよ! じゃれついてくる子猫のようなスキンシップくらいですわ!!)」
「(ホントかよ!? あの御坂の態度、どう見ても厄介払いしたいって顔じゃねえか!!)」
「(う゛……それはその……)」
「ん? 何をひそひそ内緒話してんの? あ、ひょっとして私たち、やっぱり邪魔?」
美琴は再び悪い笑顔になって二人を眺めてから、
「初春さん、佐天さん、私たちは外しましょう。ここは若い者同士でってことで」
言って、二人の背中を押して出口へと向かう。
「お姉様!?」「御坂!?」
「それじゃ黒子ごゆっくり」
満面の笑顔で言って美琴は姿を消した。
残された二人。
「……こ、これは正直言って相当深刻な事態のようですわね……まさかあのお姉様が上条さんとわたくしの組み合わせであのように誤解されますとは……」
「……」
心の底から引きつりまくった表情を浮かべる白井に、何故か上条はもやもやが内側から沸き起こり、黙り込んでしまうのであった。
やっぱり面白くない。
やり場のない怒りにも似た苛立ちを感じながら。
「というわけで、心の底から大変不本意な事でございますが、お姉様と上条さんに本当に仲直りしていただく作戦を練るべく、みなさんに集まってもらいました次第ですの」
白井黒子が、こほんと咳払い一つしてから宣誓する。
ちなみにここは上条当麻の部屋だ。
あの後、すなわち、美琴が上条と白井の話し合いの場に現れた後、どことなくイライラした表情の上条に、白井から提案して、初春と佐天を巻き込んでの作戦会議である。もちろん、インデックスとオティヌスもこの場にいて、二人は最近の、上条当麻の不貞腐れているようなそれでいて物悲しげな表情に耐えきれなくなってきていたこともあり、本音は上条と美琴の仲を修復させるつもりなどさらさらないのだが、だからと言って、今の上条と一緒にいるのはとても居た堪れないことから、白井と同じく不本意ながらもこの作戦会議に参加することにしたのである。恋敵を一人でも上条から遠ざけられる大チャンスでありながら、上条の不機嫌な表情を見せられるのはそれはそれで困るというのはまったく難儀なことだ、と二人は内心苦笑していた。
「さて、今回のお姉様と上条さんのケンカの原因は先ほど、お聞きしましたからどうでもいいとしてまして、問題はどうやってお姉様を元に戻すかでございますが」
「って、ちょっと待つんだよ。短髪は怒ってるんじゃなかったの?」
いきなり『元に戻す』という意味不明の単語が出てきたので即座にツッコミを入れるインデックス。
「そうですよ白井さん。『元に戻す』って何ですか? てっきり上条さんが御坂さんに許してもらうための、そういう作戦を立てるものだと思っていましたよ?」
「私も、例えば、上条さんが平身低頭誠心誠意、お得意の綺麗な土下座を決めるとか、の話し合いだとばかり」
もちろん、佐天と初春も追随してきて、
「そうは申されましても、佐天さんと初春もご覧になりました通り、先ほどのお姉様のあの態度、怒っているように見受けられましたの?」
「まあ……確かに怒っている、という感じはしませんでしたが……」
「上条さんは如何でした?」
「ああ……俺もケンカした後、何度か御坂と言葉を交わしているけど、怒っているふうには見えなかったし、あの笑っている顔も演技とは到底思えんかったが……」
「そういうことです。つまり、お姉様はすでに怒っているというわけではありませんの。むしろ平常心そのもので上条さんやわたくしたちと接しているのですわ」
「だとしたら、そこの男とその女はすでに仲直りとやらをしているということではないのか?」
体長十五センチメートルのオティヌスが腕組みをしながら上条の右肩に座って疑問の声を上げる。
「いいえ違いますわ。仲直り、という言葉は適切ではありませんの。単刀直入に申し上げますとお姉様は上条さんに対して『他人行儀』の姿勢を取っている、ということですわ」
他人行儀とは、他人に対するように、打ち解けないこと。また、その様であり、すなわち美琴は上条を『知人』、『顔見知り』程度の認識で、無碍にはできないが、かと言って親密になるつもりもない、そういう余所余所しい礼儀正しさで上条と接している、そういうことである。
「あー……それで『元に戻す』、と……」
佐天は困った顔になっていた。そして、初春もインデックスもオティヌスもようやく白井の言った意味が分かり、同じように困った顔をした。
どうりで、あの美琴が上条のことを『上条さん』と呼んでいたはずだ。本来であれば『アンタ』よりも礼儀正しいはずなのに、言われてみれば、『上条さん』はどこか余所余所しい響きがあるし、『アンタ』と呼ぶ方がよっぽど親しみがあるように思える。
とは言え、そんな簡単に切り替えられるものだろうか。
が、実は、ある意味簡単に切り替えられるものなのである。なぜならば、
「そういうことですわ。お姉様は学園都市二三〇万人の頂点、七人しかいないレベル5の一人。そのハイレベルな『自分だけの現実』、いわば思い込みが災いして、本気で『上条さんと絶交する』を『自分だけの現実』にインプットしたものですから、今のような態度になってますの」
「つまり、短髪を以前の短髪に戻すには、そのインプットした『情報』を取り除くってこと?」
「そうなりますわね。ですが、誰よりも確固たる『自分だけの現実』を持つレベル5(お姉様)にそのような真似ができるとなると……」
ちらり、と白井は上条に視線を送った。
「いや、それは無理だな。『意志』は『異能の力』ではない。『幻想殺し』でどうにかなるものではない」
白井の意図を読んだオティヌスがあっさり否定。
「では上条さんが御坂さんを口説く、というのどうですか!」
勢い込んで提案してきたのは、ぱぁっとした笑顔の佐天涙子。
しかし、
「却下だな」「論外ですわ」「うまくいくはずないよ」
即座に否定してきたのはオティヌス、白井、インデックスである。むろん、そこには根拠など存在しない。圧倒的なまでの感情論である。
しかも、返答までわずか0.2秒。
「あの……お三方は『上条さんと御坂さんを仲直りさせる』つもりだったんじゃ……?」
「「「……」」」
三人とも意見してきた初春と目を合わせようともしない。
世の中には頭では理解しているつもりでも心では理解できないことが多々あるのだ。
「じゃあ逆に聞きますけど白井さんは何かアイディアがあるんですか?」
ぶすっとして佐天が問いかける。
「ええ、もちろん。そうですわね、数十通りの方法は考えましたが、ただし、その場合、シミュレートしてみますと、すべての方法がわたくしの望む結果とは違う結果になりそうですから、わたくしの中ですでに却下した次第ですの」
一体何を考えたのだろうか。
「じゃあ、私の案として、とりあえず、さっき私が言いました『上条さんの誠心誠意平身低頭土下座』で――」
「それも駄目かも。だって、短髪はとうまを『他人』扱いしてるってだけで、『怒ってる』わけじゃないから許しを請う意味が無いんだよ」
「あー」
「ふむ。ではとりあえず『トモダチ』になってみるのはどうだ? 他人行儀とは言え、知人で顔見知りというところをその女は崩していないのであれば、不可能ではないと思うが」
「なるほど。『まずはお友達から』ですか。いいですね。そんで上条さんのフラグ構築能力を鑑みますと前よりもいい関係になるかもしれませんし」
「だめだな。この方法は」
佐天の言葉を聞いて、即座にオティヌスは自分の提案を取り下げた。当然、ずっこける佐天涙子。
「インデックスさんは如何ですの?」
「ううん……難しいんだよ……短髪ととうまを仲直りさせて、だけど、必要以上に親密にさせないとなると……」
「ですわよねー」
「えっとーお二人さん? 本当に御坂さんと上条さんを仲直りさせたいつもりあります……?」
しみじみ頷き合っているインデックスと白井に、初春は苦笑満面でツッコミを入れた。
結局。
打算と保身が渦巻く中では妙案が浮かぶことはなく、作戦会議は成果もへったくれもなかった。
そんなガールズトークの中。
上条当麻は一人、ある決意を固めていた。
幸いというか何と言うか。
おそらくはペア契約だったってことで二人揃わないと解約できなかったためか、はたまた『美琴から頼んだ』記憶が残っているからか。
上条の携帯には美琴のアドレスが残っていたし、着信拒否設定にもなっていなかった。
上条は、その晩、美琴に連絡を入れた。
おそらく、夜分に呼び出しても今の御坂美琴は門限を理由にやんわりと断ってくることを見越した上で。
また、平日でも完全下校時間を理由にやんわりと断られるような気がしたので。
休日の土曜日に何か予定があるかをそれとなく聞いて。
何もなさそうだったから、なら少しだけ付き合ってもらえないかと、あの鉄橋下の河原に午後三時頃の約束で呼び出した。
夏の夜に、上条が初めて美琴と『まとも』に勝負した場所である。
もっとも、その結末はかなりぐだぐだで、結局、決着はつかずじまいだった訳だが、今回は上条当麻の方から御坂美琴へ『勝負』を挑んだ。
もちろん、美琴は微妙な表情を作って、
「ええっと……上条さん、今なんて……?」
「俺が勝ったら、前のお前に戻ってもらう。そう言った」
「何でまた? だって、私たち二人が望んだじゃないですか。『絶交』ってのは、なのにどうして?」
「……」
美琴のキョトンとした表情はまったく崩れない。
素なのだ。葛藤も動揺もない。本当に訳が分からないから上条に確認している、ということなのだ。
「ていうか、勝負って、まさか上条さん、私と、というか女の子とケンカするってことですか? 場合によっては女の子を殴る、ってことですか? さすがにそれはドン引きなんですけど」
「じゃあ、俺がお前を捕まえたらにしようぜ。いわゆる鬼ごっこってやつだ。ただし、テメエは俺に捕まらないために何やったっていい。電撃浴びせようが、砂鉄の剣を使おうが、超電磁砲を撃とうが。範囲はこの河原お互いの視界にお互いを捉えられる中だ」
「まあそれなら……てか、『鬼ごっこ』て。随分緊張感を感じない勝負ですよね?」
「そうでもないぜ。俺はお前の電撃攻撃をかいくぐらなきゃならねえ。相当の覚悟がなきゃできねえよ」
上条当麻は怯まない。
幾度となく御坂美琴の電撃を見て浴びて受けて来た身にも拘らず、だ。
「分かりました。でもさすがに制限時間無制限ってことないですよね? それじゃ上条さんが諦めない限り終わんないわけですし」
「制限時間九十分でどうだ? 人の集中力は長くて九十分。それ以上は続かない」
「あーうん。それくらいなら。でも多分ですけど私、負けませんよ? だって――」
美琴はちょっと苦笑しながら呟く。強がりでも何でもない。純然たる事実のみを告げているのである。
なぜならば、
「なら、行くぜ!」
上条は吼えて、地を蹴った! 一直線に美琴へと向かう!
「まだ、私の口上の途中なんだけど……まあいいです」
少し呆れたため息を吐いて、美琴は両手を天に向けて広げた。
刹那、上条は足を止めた。視線を上空へと見やる。
そこには美琴が呼び寄せた『雷雲』が渦巻いていて。
それがあたかもこの周囲、全体を覆っているように錯覚して。
「くっ!」
上条は右手を開いて、天へと向ける。
しかし、
「――だって、私はもう、上条さんの『右手以外なら攻撃が当たれば効果がある』って知っているんですから」
美琴がどこか困ったように呟くと、
「あがっ!?」
地面から発生した稲光の柱が上条を下から襲う! 足を貫き、制服を切り裂く!
そのまま雷撃の余波で体が宙に浮き、
直後に落とされる雷撃! 宙に浮く上条にかわす術はない!!
「ぐぉぉぉぉああああああああああああああああああああああああ!!」
まともに喰らって地面にたたきつけられる!
「あ……ぐあ……」
少し瞳孔開き気味なってもぞもぞと蠢く上条に、美琴は同情の眼差しを向けて、
「その……やめません? 私もう上条さんに負ける気しませんから勝負にならないですし。まあ電圧は抑えてありますので命に別条はないですけど」
残酷なまでの宣言。
上条当麻は、この初手でいきなり心が折れそうになった。あの何万何億と繰り返したオティヌスの創り上げた世界の中よりも心が折れそうになった。
曲がりなりにも『あの世界』は何度も何度もやり直された。無限の地獄だろうと『次』があった。
しかし、今回に限っては『やり直し』は存在しない。『一度きり』しかないのだ。
だから、あの時以上に心が折れそうになった。
これまで何度も美琴の雷撃をその身に受けてきた。それは鉄橋だったり銀世界だったり町中だったりどこかのグランドだったりと。
その時の美琴の雷撃にはまだ、上条を思う気持ちを電撃越しに感じられたのに。
打ち消した時でさえ右手の熱さの中に暖かさを感じられたのに。
今の攻撃にはまったくそういった意志は見受けられなかった。感じられなかった。
『仕方ないから相手してあげるけど止めた方が良いわよ』という気遣いながらの冷徹で寒々しい熱さだった。
完全に『他人』に対する『行儀』でしかない冷たさだった。
――こんな美琴を本当に俺は戻せるのか――
それでも上条は負けるわけにはいかない。折れそうになる心を奮い立たせて立ち上がる。
「バっカやろう!! 始まったばかりで諦めるなら最初から勝負を挑んだりしねえ!!」
再び御坂美琴へと突撃!
美琴は当然、対策を講じる。
今度の武器は砂鉄の剣。
いや、砂鉄の剣ではなくあの雪原で見せた美琴の周囲をうねる黒い砂鉄の鞭。その数もちろん八本。
近づけさせない手段として『威嚇』もないこともない。確かに、この砂鉄の鞭はビジュアル的に結構怖い。まるで巨大で漆黒の蜘蛛がそこにいるような気がするからだ。
無いのだが、なんとなくすべてを陥れる蜘蛛の巣の錯覚すら見える気がする。
しかし。
(……アレは一本でも俺の右手が触れればすべて破壊されるのは知っているはずじゃ?)
当然、上条には疑問が浮かぶ。あの時の美琴ならまだしも、今の美琴がそんな馬鹿な攻撃をするだろうか、と考えても無理はない。
八本のうちの一本が上条めがけて進撃を開始した。
鞭というよりは、まるで獲物を見つけた蛇のように素早くうねりながら。
美琴の瞳は――
前髪の影に隠していた。
ゆえに美琴の考えは読めない。
とりあえず。
とにかく。
それでも右手以外が当たればダメージがあることは変わりがないので上条は『右手』で砂鉄の蛇を粉砕する。
当然、その一本を起点に砂鉄の『蜘蛛』は木っ端微塵に四散した。
いや、正確には『砂鉄』に戻された。
粉砕の余波と周囲に吹いている少し寒さを感じるそよ風に『砂鉄』が地に帰ることなく、上条と美琴の視界を覆い尽くすくらい霧のように漂っている。
とは言え、お互い相手が見えないわけではない。しっかりとその視界に捉えることはできる。
「あー死なないとは思いますけど相当痛いと思いますから」
美琴が困った笑顔で呟くと、
「!!!!!!!!!!!!!!?!」
宙を舞う砂鉄の霧が『電磁力』によって四方八方どころか周囲三百六度すべての角度から上条へと襲い掛かる!
言うまでもなく、この襲撃に右手一本では対応できるはずもなく。
しかも砂鉄の霧はもちろん水分でできているわけではない。一つ一つの細かい粒子はすべて『固体』の鉄だ。
それはすなわち、
ミクロの『鈍器』にして『鋭利な刃物』という凶器であることを意味する。
「………………っ!!!!!!!!!!!!」
上条は声にならない悲鳴を上げるしかできなかった。
全身が黒い霧によって。
右手以外の全身が
叩きつけられ切り刻まれる。
恐るべき攻撃だ、と上条は思った。
初めて御坂美琴に敵わない、と上条は思った。
再び地に倒れ伏す。
美琴は相変わらず困った笑顔で頬をポリポリ掻いていた。
どれだけの時間が過ぎただろう。
しかし、上条は美琴に触れるどころか、近づくことすらできないでいた。
『幻想殺し』という唯一の武器という名の弱点を知られてしまっている相手には到底敵わない。しかも相手は『他人扱い』するから、ある意味『慈悲』もない。直情的にも感情的にもならないから、冷静に状況を分析して効果的な攻撃のみが繰り広げられる。
だから、上条当麻に為す術は無かった。
何度も地に叩きつけられて、地を舐めて、這いつくばり、起き上がる。
それを繰り返すしかできなかった。
しかし、繰り返せば繰り返すほど。
相手は疑問が湧く。
あの何万何億と繰り返した世界の中でもオティヌスは上条に疑問を持った。
へこたれない上条に多大な疑問を持った。
同じように。
御坂美琴も疑問を持つ。
どうして上条当麻が何度倒されても立ち上がり自分に向かってくるのかが理解できなかった。
あの日あの時あの場所で、美琴が言った『絶交』を承諾したのが上条なのに。
だったら、どうして縁を切りたいそんな相手にムキになって突っかかって来るのか。
どうして、前の御坂美琴を望むのか。
美琴には分からなかった。
どう考えても解らなかった。
「……どうして、ですか?」
だから聞く。
分からないなら分かる相手に聞くまでである。
「……どうして、上条さんは前の私を望むのですか?」
「御坂……」
「『絶交』を言い出したのは確かに私の方からです。ですが、上条さんは『承諾』しました。なのにどうして『前の私』になってほしいのですか?」
ただし、上条には分かっていた。
今の質問は別に美琴の心境に変化があったわけでも何でもない、ただの確認作業でしかないことを。
だから答える。
上条当麻の気持ちが届かないと分かっていても。
上条当麻の心の内を知ってもらえないとしても。
それでも答える。
「お前に『アカの他人』扱いされるのが嫌だからに決まってんだろ」
「え?」
「白井が言っていたよ。お前は学園都市最高の『自分だけの現実』を持つレベル5だってな。つまり、俺なんかよりもずっと『確固たる意志』を持つことができるってことだろ。そいつが『俺と絶交する』という『自分だけの現実』を確立させたって言ってたんだよ」
「まあ、そうですね。だから私は上条さんに『他人行儀』な態度を取れるようになったわけですから」
この期に及んでも美琴の素の表情は崩れない。
しかし。
「けどな、俺は『レベル0』なんだよ。『幻想殺し』って能力を持っちゃいるが、『自分だけの現実』って観点で考えると、俺はお前の足元にも及ばないくらいずっと下にいるんだよ。それこそ文字通り雲泥の差とか天地の差だ。その意味が分かるか?」
「それは……えっと。ごめんなさい。分かりません」
「――っ!! あのなぁっ! あえて表現するけど『俺』は『都合よく』お前を『他人扱いする』なんてできねえんだよ!!」
「!!!!!!!!!!!!!!!?!」
初めて美琴の表情に衝撃が走った。
「妹達の一件から始まったお前との邂逅! 夏休み最後の日! 大覇星祭! 罰ゲーム! 病院を抜け出した街灯下! ロンドン地下街! ベツレヘムの星! 呼び出された鉄橋! ハワイ! 一端覧祭! 東京湾! そしてデンマークフレデリシアまでの雪道! どれをとっても、どれか一つ欠けてもいいとは思わねえ!! 無かったことになんてできやしねえ!! だから『お前を他人扱いする』なんてもうできない!! そんな『都合よく』、お前みたいに意思を書き替えることなんてできないんだよ俺は!!」
上条当麻の魂の叫び。
しかし、先ほども言ったように上条はこの叫びが美琴に届くとは思っていない。
単純に、今、自分の思いの丈をぶつけたに過ぎない。
ただし、言葉にすることは大切だ。
例え、届かないとしても、『言葉にしなければ』最初から届くことがないからだ。
『届かない』よりも『届かないだろうけど』は、はるかにマシなのだ。
事実、美琴は再び問いかけた。
言葉にしなければ、おそらくはとどめを刺しに来て上条の意識を飛ばし、制限時間を越えさせたであろうけれども。
言葉にしたからこそ、御坂美琴は再び上条当麻に問いかけた。
「だったら、どうして私の『絶交する』という提案を受け入れたのですか?」
「……」
「私の提案を受け入れなければ、今の私たちではなく、以前の私たちのままだったはずです。後から悔むならどうして、私の提案を受け入れたのですか?」
少女の瞳はどこか怒りに満ちていた。
これまでは愛想笑いくらいしか向けてこなかった彼女が、明らかに上条に対して『怒っていた』。
『他人』であれば『怒る』必要などないはずなのに、流してしまえばいいはずなのに、彼女は『怒っていた』。
とは言え、その怒りは『呆れ』に近いものでもある。『やらなきゃいいのに何でやったの?』といった白眼視のものである。
こう言われてしまえば上条は自嘲するしかない。
「そうだな……謝って済むとはまったく思っちゃいないが、あん時の俺は頭に血が上り過ぎてたってことだろ。だから心にもないことを売り言葉に買い言葉で言っちまった、ってところか……だから、今、最大級の罰を受けている。お前に『アカの他人扱いされる』って罰をな……」
「……」
今度は美琴が黙り込む番だった。
過去を『思い出』にしてしまった自分と、過去を今でも『現在』と捉える上条。
いくら『他人』でも、相手の気持ちは伝わってくるものなのだ。
たとえ『何とも思ってなくて』も、真摯な相手の気持ちは伝わって来るものなのだ。
が、伝わってきた来たのはまずかったのかもしれない。
なぜならば、
「う……」
美琴の顔色が変わった。何かよろめき、目の焦点がずれ始めた。
「御坂……?」
当然、その様子は眼前にいる上条は即座に分かる。
「だ、め……」
「え?」
いぶかしげな声を漏らす上条だが、美琴は気付かず頭を押さえるのみ。
「何……書き換えたはずなのに……何かが私の中から……だめ……」
美琴が狼狽し始めると同時に、彼女の身体から稲光が弾けた。
それも一つや二つではない。数と輝きがどんどん増していく。
「かみ……じょうさん! 逃げて!!」
「!?」
「早く! 何かが私の中から理解不能の何かが!! 制御し切れない力が暴発します!! この辺り一帯を吹き飛ばします!! だから!!」
御坂美琴が悲壮な表情で上条当麻に逃走を促している。
「どういうことだ!?」
「分かりません! ですが今、ここにいるのは危険です! だから逃げて!!」
「お前はどうなる!?」
「私なら……大丈夫です!! 爆発は私を起点に『外に広がる』から……です!! ですが上条さんは確実に巻き込まれます!! だから……早く!!」
上条は考える。
今、なぜ、美琴が暴発しようとしているのか。どうして爆発するのか。
美琴が言っていた通りで『制御しきれない何か』が原因だということは分かる。
では、それは何なのか。
何がトリガーとなったのか。
考えるまでもなかった。
上条の言葉が、気持ちが美琴に届いたからだ。
制御しきれない何かの正体は分からないが、上条当麻の『偽らざる心』が御坂美琴が自身で封じた『心』を揺さぶったからだ。
だとすれば、上条当麻の取るべき道は一つだ。
ここで、上条が逃げ出せば、おそらく美琴の暴発は収まることだろう。何と言っても原因は上条の言葉なのだから、その原因がなくなれば収束するのは自明の理だ。
しかし、それは同時に、今、表に出ようとした『心』を二度と封じ込めてしまうことと同意語もであるのだ。
だから、
「逃げない」
上条当麻は力強く答え、そして右手を広げて御坂美琴へと翳した。
「何をしているのです!? 私には分かります! いくら上条さんの右手でも『この力』は防ぎきれません!! それは『過去』が証明しているではありませんか!!」
そう。美琴の暴発は右手以外も呑み込む広範囲に渡るものだ。
そんなもの、上条が受け切れるはずがない。
現に、上条当麻は、妹達を助けるため命を投げ出そうとした美琴を制止するために立ちはだかったその時に、『その暴発』をその身に受けたのだ。
右手があったか無かったかではない。全包囲攻撃では上条の右手は何の役にも立たないからだ。
美琴はそれを言っているのである。
「逃げるわけにはいかねえ……ここで逃げちまえば、もう俺とお前は完全にお別れだ……だから逃げない!!」
「!!!!!!!!!!!!!!!?!」
一瞬、美琴は虚をつかれた表情を浮かべたが次の瞬間、
御坂美琴を中心に、あたかも世界中が震撼したかのような爆撃音を伴って、上条当麻の意識も含めたこの地帯一帯を光の奔流が呑み込むのだった。
(……)
次に上条が意識を取り戻した時、いつの間にか周囲は闇に包まれていた。街灯すらその機能を果たしていなかった。
(いったい何があったんだっけか……)
ぼんやりと、天を眺めて考える。まだぼやけていはいたが上条には厳かに瞬く星空が見えた。
(あ……そうか……)
しばしの考慮で上条は思い出す。
自分は御坂美琴の暴発に巻き込まれて意識を失ったことを。
八月二十一日の夜と同じように意識をダークアウトさせられたことを。
「ん……?」
不意に何かが自分の頬に跳ねた気がした。
同時に声が降ってきた。
「やっぱり馬鹿でしょ……アンタ……」
すぐ傍から静かな声が聞こえてきた。
少しだけ視線をズラす。そこにはどこかどんよりした無表情の御坂美琴がいた。
どうやら上条は美琴に膝枕されているらしい。
八月二十一日の夜と同じように柔らかくも暖かな感触に身を委ねているらしい。
「……っ! 御坂お前……今……!」
上条はハッとしたが美琴の耳には届いていない。
しかし今までとは違う。
届いていないのではなく、耳には入っているがそれどころではないので『聞こえていない』だけだ。
だから美琴は続ける。
静かに、少し重く。そして続ければ続けるほど、嗚咽が込み上げてくる。
「何も関係ないじゃない……目を瞑って……私のことを知人、アカの他人扱いしてしまえば、アンタはアンタの日常で生活できたのに……」
「うぐぁ……」
起き上がろうとして、しかしダメージが残っている上条は再び美琴の太ももへとぽすんと落ちる。
「何でこんなにボロボロになって……短い間だけど……心臓も止まっていたかもしれないのに……」
「ん……へへへ……」
思わず笑いを洩らす上条の頬に今度こそ実感して分かる何かが跳ねる音。
ふと見上げると、御坂美琴が泣いていた。
八月二十一日の夜と同じように泣いていた。
「何でそんな顔で笑ってられるのよ……」
上条当麻には分かった。
御坂美琴に何が起こったのか。
御坂美琴の心に何があったのか。
とめどなく上条の顔に跳ねる美琴の涙がそれを知らせてくれる。
上条の呼び方が変わったことが教えてくれる。
だから答える。
八月二十一日の夜と同じように。
しかし、
八月二十一日の夜と違う言葉で。
「お前が戻ってきてくれて良かったと思ったからさ」
そのまま『右手』を翳し、
「だから――」
美琴の前髪へと弱々しく、しかし優しく触れる。
「捕まえ――た――」
「馬鹿……制限時間なんてとっくに過ぎてるわよ……」
翌日の放課後。上条はいつも美琴と出くわす公園のオンボロ自販機へと来ていた。
あの後、美琴は上条に肩を貸して上条を上条の自室へと運んだ。出迎えたインデックスに上条を任せて立ち去った。
インデックスは美琴に何か言いたげな表情を見せいていたが、美琴の前髪の影に瞳を隠した重苦しい表情に言葉を呑み込んだ。
上条も美琴に何も声をかけなかった。
もっとも、それでも上条にはなんとなく予感があった。
あの自販機に来れば必ず美琴が待っている。そんな気がした。
そして予想通り。
上条の視界には自販機の前で佇んでいる見慣れた亜麻色のショートカットの少女が入ってきた。
(ふぅ……)
鼻で一つ息を吐いてから上条は美琴へと進む。どうやら向こうも上条に気付いたようだ。
「よ、よう……」
それでも挨拶が苦笑でどもってしまったのは昨日のことがあるからだろう。
対する美琴は、
「はい」
言って、上条へと何かを投げた。明るく元気に。
それを『右手』で受け取る上条。手の中にはひんやり冷えた『ヤシの実サイダー』と書かれたジュース缶があった。
「昨日のお詫び。私の奢りよ。ありがたく受け取んなさい」
実は本日は結構寒いのだが、『奢り』と言われてしまえば、冷たいものでも受け取らなければならないし、お礼を言うのが筋である。
「ありがとよ」
「ちょっといい?」
「何だ?」
「立ち話も何だし、あっちのベンチで」
「分かったよ」
言って二人は肩を並べて歩き出す。ふと上条が美琴の手元に視線を移すとそこにはホットの『スープカレー』が握られていた。
「お前、また自販機を蹴って出したのか?」
「まさか。奢りって言ったでしょ。それに去年の秋から改修されたのかしんないけど、蹴ってもなかなか出なくなったのよ」
「どっかの誰かさんが蹴りまくったんで目撃者から通報でもされたんじゃねーの?」
「そんなドジ踏んでるつもりなかったんだけどなぁ。アンタと黒子以外に見られた覚えないんだけど――って、まさかその通報者ってアンタ?」
「んな訳ねえだろ。こちとら、就業時間中は校外に出てはならないって校則をかいくぐって何度も脱走したことある身だ。自分が悪事働いてんのに人の悪事をチクるなんて真似するかよ」
「なるほどね」
そんなたわいもない会話を交わしながら歩く。
しかし上条は嬉しかった。
他人行儀ではないバカな会話を美琴とかわせる現実が嬉しくて楽しかった。
昨日までの美琴だったら、自販機の時点で別れているし、何より奢ってもらえるはずもない。
さて、お目当てのベンチが見えてきた。
夏に『今の上条』が美琴と初めて会話を交わしたベンチ。その後、白井黒子とも出会い、そして忘れることなどできない御坂美琴の軍用クローン、妹達の一人、実験の最後の犠牲者、今は亡き一〇〇三一号と出会った場所だ。
二人同時に座って二人同時のぽしゅっとプルタブを上げて二人同時に一口すする。
「……アンタに謝んなきゃいけないわね」
ぽつりと美琴から切り出した。
「何を?」
「一週間前のことよ。アレは私もどうかしてた」
「仕方ねえさ。俺が言ってはならないことを言ってしまった所為だ」
「その原因は私の余計な一言でしょ。だったら、私の方が悪いわよ」
「……」
「ゴメン……」
「お互い様だ」
言って上条は再び『ヤシの実サイダー』を一口すする。
「馬鹿……」
呟く美琴もスープカレーを口元に運び、
「って、そういやちょっと待て! よく考えたら何でお前は『暖かい』飲み物で、俺は『冷たい』飲み物なんだよ!? この『寒い』時期に!!」
「っ!!」
上条はジト目で睨みつけて美琴に詰め寄った。
「お前……確か、さっき、『今回は蹴って出したわけじゃない』っぽい言い方したよな? だとしたら、この結果はあり得ねえんじゃねえの……? 嫌がらせ目的だったら『少し話をしたい』なんて殊勝なことは言わないだろうし……」
「えーと……そのー……あははははははははは……」
上条の問いかけに、美琴は気まずくて言葉を濁しながら上条と視線を合わせようともしない。それも上条が何度か執拗に視線を合わせようとするのを避けまくる徹底ぶりだ。
「ほっほ~う。つまり美琴センセーは今回はたまたま二本出たんで冷たい一本を俺に押し付けようと?」
「べ、別にいいじゃない! アンタももう何口か飲んじゃってるんだから同罪で共犯なの!」
「テメエ! だったらお前のスープカレーをよこせ! 俺だってこんな寒い時に冷たいものなんて飲みたかねえよ!」
「あ、こら! 何してんのよ! てか、どこ触ってんのよ! こらぁっ!」
「へっへーん! もーらいっと!」
「ああ!」
上条は手際良く美琴の手からスープカレーをひったくり、即座にゴクリと一口飲み、
「ぷっはー。相変わらずコンセプトは謎だけど、寒い時期は案外いけるなこれ――って、あれ? どうした御坂?」
ふと美琴を見れば、そこにはなぜか顔を赤くしてあうあうしている彼女がいて。
「んー?」
上条が少し様子がおかしい美琴を覗き込もうと顔を近づけたその瞬間、
「とうま……なんか短髪と『本当に仲直りできた』みたいだね……?」
「上条さん……どうやらお姉様を『元に戻した』ようですわね……?」
いきなり思いっきりドスの利いた声が振ってきた。それもよく知っている声が二つ。
ぎぎぎぎぎと上条が壊れたロボットのように首を声のした方へ向けると、
「お、お前ら……いつからそこに……?」
上条はガタガタ震えながら問いかける。
「今日はとうまがほしゅーが無いって言ってたから、がっこーまで迎えに行く途中に、とうまと短髪が一緒にいるのが見えたから来たんだよ」
「わたくしは自販機の無線警報が詰め所に入ったので真相を確かめに来ましたら、お姉様と上条さんが一緒に歩いていたものですので」
上条の全身から冷や汗と脂汗が噴き出す。
問答無用。
無言だというのに、上条当麻を見つめるインデックスと白井黒子の全身からその言葉が体現されていた。
そう言えば、昨日の晩の様子からすれば美琴が白井に元に戻ったことを話しているとは思えない。
まあ、しんみりした話し合いの最中であれば彼女たちの前髪を濃くした殺気の視線を向けられることはなかっただろうけど、その後の場面から見られてしまえば、傍から見れば弁解の余地はない。しかも、それが『上条から美琴が口を付けた飲みかけのジュース缶を強奪して、それを飲んでしまう』という暴挙であればなおさらだ。
上条自身は、友達同士の回し飲みという意識だったかもしれないが、如何せん、相手が女の子でしかも思春期の入口に入ったばかりの女子中学生が相手ではあまりにもデリカシーが無さ過ぎたと言っても過言ではない。
したがって。
なんだか文章では表現してはいけない惨劇が御坂美琴の目の前で繰り広げられたことは語るまでもないだろう。