とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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だれでも歓迎! 編集

ふたつの唇



「私の後に続けて。……Trick」
「……トリック」

 美琴のなめらかな発音に、上条のやや緊張したような棒読みが続く。

「or Treat!」
「オアトリート?」


 今日は一〇月三〇日。
 いわゆるハロウィーンだ。
 日本では菓子業界の商業戦略が徹底しているのか、学園都市でもあちらこちらの店頭で過剰なまでにかぼちゃのお面が飾られている。上条にしてみれば今日という日は女子供、特に同居人が異様なまでに興奮し大騒ぎする日でしかない。
 ところが蓋を開けたら騒ぎ出したのはインデックスのみならずクラスでも何故か賑わっていて、気がつけば上条の部屋でパーティしようという事で土御門、青髪ピアス、吹寄、姫神、風斬といった面子が揃っていた。
 現在上条はじゃんけんで敗北という不幸な結末により、追加のお菓子を買い出しに外へ出てきている。
 そこで偶然、何かを探してうろうろしている美琴とばったり出会った。
「あれ? 御坂、こんなところで何やってんの? お前もじゃんけんで負けて買い出しに行かされた口か? それともあれか、嫌がらせでこんな遠くまで来させられたのか?」
 上条の暮らす寮は、美琴の住む常盤台の学生寮からかなり離れている。有り体に言ってしまえば、今二人がいるこのあたりは美琴達常盤台の学生の行動圏内ではない。
 こんなところで美琴と出くわす事自体が珍しいので、上条は心の中で美琴の気の毒な設定を二つ三つつけ加え、哀れみの視線で美琴を見る。
「ちっ、違うわよ。ちょっと用があって来ただけ。……すぐ帰るわよ」
 掌をわたわたと振りながら、美琴が答える。よく見ると後ろ手に何かを隠し持っているが、上条はそれについては触れないでおく事にした。
「そっか。まあお互いご苦労様って奴だな。んじゃな」
 上条が笑って手を振ると、美琴がくいっと上条の学ランの裾を掴んで引き留めた。
「あれ? お前俺に用があんの?」
「よ、用って言うか、その……アンタ、今日が何の日か知ってる?」
「……ハロウィーン、だよな? 日本じゃクリスマス並みに本来の目的から遠ざかっちまってっけど」
 合ってるか? と添削待ちの上条が美琴に問う。
「アンタでもハロウィーンって知ってんのね」
 美琴は少しほっとしたような表情で
「じゃあ私の後に続けて。……Trick」
 真似をするよう上条に促す。
「な、何だよいきなり」
 何を始める気なんだこのお嬢様は、と上条が身構える。
「良いから。……Trick」
「…………トリック」
「or Treat!」
「オア……トリート?」
 美琴は、渋々ながらも付き合った上条に笑いを堪えつつ
「はい、良くできました。Happy Halloween! ということで不幸なアンタに私からお菓子を進呈。これから女の子だけでハロウィーンパーティやるんで、黒子達と一緒に作ったのをアンタにもお裾分けしたげるわよ」
 美琴は後ろ手に隠していた袋を上条に渡した。かぼちゃのお化けの絵がでかでかと描かれたそれは、大きさこそA4サイズくらいだが手に取るとややずっしりとした重みを感じる。
「……ありがとよ」
 狐につままれたような顔で、上条は美琴から袋を受け取った。
 袋の口はピンクと赤のリボンを重ねてちょうちょ結びを豪華にしたような感じで止められているが、その周囲から食欲を刺激するような甘い香りがふわりと漂う。
 こんなにご丁寧にラッピングされて、これのどこがお裾分けなんだろうと上条は思う。
「なあ。もしかして、お前の野暮用ってこれか? だとしたらはるばるこんなところまで来させちゃって悪りぃな。お返ししたいんだけどあいにく俺は今絶賛買いだし中だし、食い物で返すってのもな……」
「そんなの気にしなくて良いわよ別に。お返しが欲しくてあげたんじゃないし。アンタが喜んでくれたならそれで良いわ」
 上条が驚いたのがよほどうれしいのか、美琴が柔らかく微笑む。
「あ、良い事思いついたぞ」
 上条は楽しい事を見つけたいたずらっ子のように笑う。
「御坂、俺の後に続けて言ってみろ。トリック」
「何すんの?…………Trick」
「オア、トリート」
「……or Treat」
「ではこれをかじれ、御坂」
 上条は袋にかけられたリボンを解き、中をごそごそと漁る。匂いで中に入っているのが何なのかピンと来たらしく、お目当ての物を探り当てると美琴の前にそれをかざした。
「あのさ……これ私が作った奴よね?」
 美琴は上条が取り出したクッキーと、上条の顔を等分に見比べた後『アンタ何やってんの?』という顔で上条を見る。
「他に誰が作るって言うんだ? でも全部かじるんじゃなくて、歯でくわえるようにな。落っことすなよ?」
「…………」
 不承不承、美琴がクッキーの端っこをくわえる。
 そこで上条が美琴の肩を逃がさぬようガシッと掴み、クッキーの反対側をぱくっとくわえた。
「!?」
 突然の上条の行動に目を剥く美琴を正面に見据えたまま、上条はニヤニヤ笑いを浮かべつつ反対側からガリッ、ガリッとクッキーをかじりだした。
「????????」
 硬直したままぴくりとも動かない美琴の対面で上条はクッキーをかじり続けると、ふたつの唇が触れるか触れないかのぎりぎりの距離でクッキーを割った。
 上条はもぐもぐと甘い欠片を噛みしめて
「いたずらはこれで成立か?」
 ごっそさん、と美琴に笑ってみせる。
 美琴は口元に残ったクッキーをかじり、自分を落ち着かせるようにゆっくり飲み込むと
「……あ、ああああアンタね。知らないだろうから教えてあげるけど、今のはセクハラって言うのよ。私とアンタの仲だから今回は許したげるけど、まさか他の女の子にもこんな事してないでしょうね?」
 上条の目をのぞき込むように睨む。
「……あー、その、何だ。セクハラだとは思わなかった。ごめん。でもまぁお前相手じゃないとさすがにこう言う事はできない、かな」
 茶色の瞳と視線が交差して、上条はどぎまぎする心を隠しながら言い訳を探す。
 この手のいたずらはある程度気心が知れた相手でなければまず成立しない。これで吹寄が相手だったらすかさずおでこDXが飛んでくるし、姫神ならお返しにスタンガンをプレゼントしてくれるかも知れない。
 どちらにしても異能の力ではないから上条は防ぎようがないが、これが美琴相手なら話は別だ。美琴の砂鉄の剣も超電磁砲も放たれる前に美琴の体のどこかに触れてしまえば止められる。追いつ追われつの一方的な関係だが、密度だけを問えば二人のつきあいは深い。
 ――毎回命がけって言うのは勘弁して欲しいけど。
「……今のって、本当にいたずら?」
「……、悪りぃ、何か自信なくなってきた」
 上条は視線を明後日の方向へ逸らす。
 美琴は上条を追求するようにじっと見つめていたが、これ以上問い詰めても無駄と判断したのか、袋の中身に手を伸ばし指だけで目当ての物体を探し出す。
「……はい。端っこくわえて」
「あの、御坂さん? 貴女は何を……?」
「アンタもやんのよ。はい」
 唇にクッキーを押し付けられて、仕方なく上条は端っこをくわえた。
 美琴は上条がくわえたクッキーをしばらく見つめていたが、やがて目を閉じえい、と小さくかけ声をつけて反対側にかじり付いた。
「…………」
「…………」
 かじりついたは良いが、肝心の美琴がそこからうんともすんとも動かない。上条が『動け』と目で合図すると、美琴は緊張した面持ちのまま唇でパキン、とクッキーを割った。
 しばし互いに口にした物体を咀嚼して、先に食べ終わった上条が口を開いた。
「あのさ、御坂。……この手のいたずらはぎりぎりまで頑張らないといたずらになんねーんだぞ?」
「……わ、わ、わかってるわよ。でもこれで、私がどれだけ恥ずかしかったかアンタにもわかったでしょ?」
 ぷいとそっぽを向いて、美琴が答える。
「……いやさっぱりわかんないんですけど。お前顔真っ赤にしてぷるぷる震えてちっとも動かねえから。そう言うお前を見ていて俺は面白かったけどな」
 何ならもう一回やってみっか? と上条は三枚目のクッキーを袋から取り出す。
 手を出すか出すまいか。ためらいながら美琴の手がクッキーに伸びる。
 美琴の指がおそるおそるクッキーに触れる直前で、上条の携帯がけたたましい着信音を鳴らした。
 最大音量で周囲に響く音を耳にして、夢から覚めたような表情で美琴が肩をピクリと震わせる。
「わ、私、黒子達待たせてるんだった。そそそ、それじゃね」
 美琴は頭を振るように、自分の行動を咎めるようにその場を小走りに立ち去った。
「あ、待てよ! っておい……ったく。はいはい、こちら上条さんですよ」
『ハァ―イカミやん。女性陣から買い物に追加のリクエストだぜい。何でも良いからケーキ買って来てってお願いだにゃー』
 上条は待ち受け画面で電話の相手が誰かを確認し、スピーカーの部分を耳に当てると予想通り土御門の笑いを堪えた声が聞こえた。おおかた涙目で陳列棚を漁る上条の姿を勝手に思い浮かべているのだろう。
「……それって全額俺持ちとか言わねえだろうな? 男全員で割り勘なら買ってきてやるけど」
『カミやん、相変わらずシビアだね。……泣いても良い?』
「『同情するなら金を出せ』って言葉を知ってるか?……ケーキは七人分だな。適当に買ってくる。細かい注文は受け付けねえからな」
『ああなんか約一名ホールで買ってこいってオーダーが』
「その発言は無視だ無視。……ちっと時間かかるけど買ってくるって伝えてくれ」
『あれ? カミやん買い出しに出てからずいぶん経ってるけどいったいどこまで行ったのかにゃー?』
 土御門の何気ない一言で、上条の背中の筋肉がギクリ、と引きつる。
 液晶画面で時計を確認すると、上条が買い出しのために部屋を出てから軽く三〇分以上が経過していた。
「あ? いやほら、近場のコンビニじゃ買える食いモンの種類も限られてっから。ハロウィーンっぽい物を求めて遠征って奴?」
 上条の苦しい言い訳に、土御門は特に何も感じなかったのか
『まあ何でも良いから早いとこ買い出しよろしくにゃー。じゃないとカミやんの命の保証はできないぜい?』
「…………わーってるよ。じゃあな」
 不吉な会話の終わりを締めくくるべくボタンを押して携帯電話をポケットにしまい、上条は買い物ルートを考える。そこで左手に提げたファンシーな袋を見やって
「……そういや感想を言うの忘れてた。こう言うのってあれだよな、ちゃんと味がどうのこうのって言わないと次の精進につながらないって姫神も言ってたしな」
 とはいえ、いかがしたものかと上条は思案する。
 さっきの今で美琴に電話するのもメールを送るのもどことなく気まずい。
 後で考えればいいかと思い直し、上条は袋を握りしめ、もよりのケーキ屋を目指して重い一歩を踏み出した。

「……ただいま。ごめん、遅くなって」
「御坂さん、お帰りなさい!」
「御坂さん首尾の方は……って、あれ? 何か暗くないですか?」
 いろいろな感情が一緒くたに入り交じった表情で寮に戻った美琴を、初春飾利と佐天涙子が出迎えた。
 あらかじめ用意しておいたらしい、いかにも美琴のチョイスですと言わんばかりのかわいい袋にお菓子を詰めて意気揚々と『ちょ、ちょっと知り合いにお裾分けしてくるね』と出かけた美琴を帰ってきたら質問攻めで冷やかすつもりだった二人は、思いもかけない肩すかしを食らって顔を見合わせる。
「(ど、どうする初春? 御坂さんがこんなダークな状態で帰ってくると思わなかったんだけど。まさかまさかの破局劇? これじゃ『相手はどんな方なんですか』なんて聞くに聞けないわよ)」
「(作戦変更しましょう佐天さん。こんな顔した御坂さんに下手な追求するのはかわいそうですっ。傷心の御坂さんをなぐさめるべく私達が今日のパーティを盛り上げましょう!)」
 二つのベッドの間に置かれたテーブルには所狭しとガレットやクッキーといった焼き菓子やケーキ、ドリンクが並べられている。部屋の壁に施されたのはジャック・オー・ランタンやゴースト、ゾンビの切り抜きといった奇抜なデコレーション。
 本日は女の子だけのハロウィーンパーティ、と言う名のだべり会。
 白井黒子の同僚・初春のたっての希望により『どうせなら美琴達の住む寮でパーティしよう』という話になった。
 常盤台中学に密かな憧れを持つ初春は『やっぱりパーティするなら常盤台でお願いしますって言うか何が何でもぜひにお嬢様っぽい雰囲気で!!』と一方的にまくし立てられ、美琴と白井は顔を見合わせて乾いた笑いを浮かべつつ提案に乗った。常盤台中学の中で初春の持つ『お嬢様』のイメージから一番遠いところに存在する二人としては、本当にもう笑うしかない。
 それでも白井は律儀にも『学校で紅茶って憧れますよね上流階級みたいで!』という初春の絶叫にも似た希望を叶えるべく、お茶を入れるために席を外している。『一回やれば初春もおとなしくなるでしょう』というのが、あきらめ混じりの白井のコメントだ。
「……あのー、御坂さん?」
「ん?」
「何だか元気ないですけど……どうしたんですか? 持って行った袋がないですけど、お裾分けは渡せたんですよね?」
 腫れ物にでも触るように、佐天がおそるおそる美琴に声をかける。
 本来ならここはそっとしておくべき場面だが、今日はパーティという事で四人は集まっている。部屋の持ち主である美琴に元気を出してもらわないと、友人としてもお客さんの立場としても初春と佐天は困ってしまう。
「元気? 元気ならあるわよほら! もうバリバリ全開って奴? あはははっ」
 自分を気にかける四つの瞳を見て、とっさに美琴は立ち上がり年上らしくえへんと胸を反らせてみせる。
 美琴の無理矢理なそのポーズが却って痛々しく思えてしまい、初春は
「こ、このスフレショコラおいしいですね。これって御坂さんが作った奴ですよね? 御坂さんがお裾分けした方も喜んでたんじゃないですか?」
 白い皿に盛りつけられたスポンジ状の焼き菓子を手に取った。
「あー……どうなんだろ。感想は聞いてこなかったから……」
 それを聞いて何やら自己嫌悪に陥る美琴に
「(ちょ、初春! よけい落ちこませてどうすんのよ!)」
「(だ、だってまさかこれくらいでここまで御坂さんがへこむなんて思わなかったんですよっ! 感想も聞けてないだなんて一体どういう状況だったのか想像も付きませんってばっ!)」
 フォローを失敗した二人の前に、天の助けが舞い降りる。
「初春、貴女ががたがた騒ぐからこうして『雰囲気作り込みでお嬢様っぽいお茶』、持ってきましたのよ。ちゃっちゃと手伝ってくださいな。……お姉様、お帰りなさいませ。顔色が優れませんけれど何かあったんですの?」
 ドアを優雅にノックして、紅茶ポット他一式を銀のトレイに乗せた白井が部屋に戻ってきた。
「……初春、佐天さん? そこでどうして二人して救助待ちの一般人みたいな目でわたくしを見ているんですの? お姉様が黙り込んでいるのと何か関係でもあるんですの? ……二人してにじり寄るんじゃないですの! 初春、佐天さん、わたくし熱湯を持ってるんですからカルネアデスの板みたいに抱きつくんじゃありませんのっ!」
 白井としてはノーサンキューな二人分の抱擁を受けて、とてつもない悲鳴を上げる。
 重い空気に耐えられず助けを求める初春・佐天と、熱湯を持ったまま空間移動を行う危険性にたどり着いて身動きが取れない白井と、重い空気の中心核となった美琴の、四者四様のハロウィーンパーティが幕を開ける。

 今や上条の個室となったユニットバスの中に布団を敷き詰め、その上に転がると上条は部屋の持ち主に釣り合わぬファンシーな袋を取り出して、中から菓子をひとつまみ取り出し、頬張る。抹茶色のマカロンが口の中でふわふわと溶け、上条の喉の奥に消えていく。
 美琴からもらった手作りお菓子の数々はうまかった。
 ただ、上条の部屋に集った全員の前で『もらった』と言えばどんな集中砲火を浴びるかわからない。上条は買い出しから帰るとこっそり袋を隠し、一人になったところで改めて味わう事にした。甘い物はそれほど好きというわけではないが、甘さ控えめのそれはいくつでも食べられるような気がした。
「……これのお礼もしてねーし、やっぱ謝った方が良いよな、昼間のあれ」
 上条は袋の中からクッキーを取りだし、端っこをかじって指の間でパキリと割る。 割れた音は予想以上にバスルームの中で響き、その音が上条の心臓にいやな感覚を残す。
 お菓子を挟んで両端を二人でかじるなど、よくあるパーティージョークではないか。上条も自分から仕掛けたことはないが、打ち上げなどで悪いくじを引いていやいややらされたことはある。
 命のやりとりはあるにせよ、もう少しお互いをわかっていると思っていた。だからそれを美琴からセクハラと糾弾されるとは思わず、上条の顔が険しくなっていく。美琴が潔癖症であることを忘れていたのかと考え直し、首を振る。
 ――いや、知らなかった。
 美琴のそう言った一面を、上条は見ていなかった。上条が今まで見てきた美琴像を振り返ると、気が強くわがままで、何かあればぎゃあぎゃあ吼えるところしか知らなかった。過去に宿題の面倒を見てもらったことがあるので、常盤台中学の名に恥じぬ頭脳明晰さは折り紙付きだ。大覇星祭の昼食時にはそこそこ高い家事スキルを備えていることは匂わせていたが、実際に彼女が作った実物を口にするのはこれが初めてだったりする。
 美琴については知らないことの方が多すぎるような気がする。
 記憶を無くす前の自分がどれだけ美琴のことを理解していたのか、今となってはもう知る術もない。下手なことを言えばまた記憶喪失のことを蒸し返してしまう。
 手元に残ったクッキーの欠片をガリガリとかじって、胸元に落ちた粉を布団の外へ落とし、かぼちゃのお化けが書かれた袋を枕元に置いて上条は目を閉じる。
 今考えても結論が出ないことはしょうがない。細かい事を考えるのは嫌いだ。
 出たとこ勝負で行くしかないと、上条は上掛けを引っ張って体の上に乗せた。

 会おうと思えば会えるはずの美琴が掴まらない。
 こちらが逃げまくっても向こうから突っかかってくる美琴が姿を現わさない。
 上条が珍しく自分から電話をかけてもメールを送っても、美琴からの返事はなかった。
 親しい友人と思っていた相手からセクハラされたことが一四歳の精神には堪えたのかと思うと、上条の表情は曇る。
 美琴はそんなことを気にする奴じゃないと思っていた。
 次の日には笑い飛ばしてなかったことにすると思っていた。
 今まで自分が知らなかった美琴の繊細な部分を垣間見た思いで、上条は己を叱咤する。
 心を尽くして、美琴に謝ろうと思った。
 許してくれなくても良いから、軽蔑されても良いから、謝ろうと思った。
 利害ではなく、損得ではなく、一人の友人として美琴の存在を失いたくないと上条は思った。
 学生鞄を担いで上条は走り出す。
 時間が経てば立つほどこの手の問題は深刻化する。今日だけはタイムセールも特売も頭の中から追い払った。
 セブンスミスト。ゲームセンター。鉄橋。コンサートホール前の広場。携帯電話のサービス店。一度だけバイトしたファミレス。黒ずくめ達とやり合った地下街。服を脱ぐ女と出くわしたあの通り。美琴に追いかけ回された交差点。
 美琴と顔を合わせた場所を全て巡っても、彼女の姿を見つけられない。
 人の縁とは不思議な物で、思いもかけぬところで糸がつながったり途切れたりする。それが運命ならば仕方のないことだが、上条はそれを運命と受け入れる前に最後まで抗いたかった。

 夕暮れ時、美琴と『初めて出会った』自販機の前で、上条は美琴を見つけた。

「あ……」
「やっと、見つけた」
 上条の顔を見て少しだけ表情を曇らせた美琴に、荒い息のままの上条が駆け寄る。
「御坂。……元気か?」
 少しだけ硬い表情で上条が笑う。
「あ、うん。元気だけど。アンタはどうしたの?」
 上条を見てやや表情を引きつらせた美琴が答える。
「お、俺か? 俺はご覧の通り元気だ」
 切れそうな息を深呼吸で整えて
「ハロウィーンの菓子、ありがとな」
 うまく笑えているか自信はないが、それでも上条は笑顔を作った。
「……走ってここまで来たみたいだから何か大変な話でも持ち込むかと思ったんだけど、何だそんなこと? 好きでやったことだから気にしなくて良いわよ」
「それだけじゃないんだ。……この間のこと、すまねえ。悪かった。軽はずみだった」
「何の話?」
 美琴はキョトンとした顔で上条を見る。
「ああ、だから、その……お前が『セクハラ』って言った、あれ」
「セクハラ? ……ああ、あれのこと、ね」
 美琴は少しだけ上条から視線を逸らし、頬をわずかに赤らめる。
「いいわよ、あんなの別に。きっ、気にしてないわよ。今アンタに言われるまできれいさっぱり記憶の底から消えてたもん。むしろアンタが無自覚に他の女の子にやってないかどうかが心配ね。私みたいに誰も彼もが心が広いわけじゃないんだから」
 心の広いお前が何故俺をいちいち電撃で追い回すんだよという渾身のツッコミは脇に置いて、上条は美琴がさほどあの事を気にしていなかったことに安堵する。
「お前に何度か電話もしたしメールも送ったけど全然相手してくれねえからきっとすげー怒ってんだろうなと思って」
「別に、怒ってないわよ。ただ、……アンタがあんな事してくると思わなかったから、どんな顔して会えばいいかわかんなかっただけよ」
「それについては本当にすまねえ。俺はお前をもっとわかってると思ってたし、お前は俺をもっと知ってると過信してた」
「……一度だけ、チャンスをあげる」
「チャンス?」
 美琴の言葉に、上条が首をかしげる。
「アンタは私を理解してないってのが今回の件でよくわかった。だから一度だけチャンスをあげる。この機会に私、というか他人を良く理解しなさい」
「……何だか良くわかんねえけど、御坂がそれで納得するって言うなら俺はそれで良いぞ」
 上条は背筋を伸ばし、美琴の言葉を待つ。もとより美琴を不用意に傷つけたという負い目がある以上、美琴から何を言われても文句は言えない。
「私、好きな人がいんのよ。……もし、その人の前で私がアンタにあんな事されたら、私がどう思うか考えてみて」
「……………………すっげーいやだな。というか相手に変に誤解されそうで困るな、そういうの」
 美琴の言葉で上条が顔をしかめた。
 例えば上条が美琴の前で別の誰かとそんな状況に陥ったら、その場で穴を掘って隠れたいくらいに恥ずかしい。美琴でなくても知人とそう言う場面で遭遇したくないと上条は思う。
「……でしょ。だからもうちょっとわきまえてよね」
 なるほど、と上条は思う。
 美琴に限らず相手を思いやると言うことは、自分の行動の先に何があるかを常に視野に入れると言うことだ。
 そう考えると上条のあれはとてもジョークでは済まされない。もしもどこかで美琴の好きな奴に出会ったら、今日のフォローを入れておかないとまずいよなと責任を感じて
「わかった。でまあ、後学のために聞いておきたいんだが、お前の好きな奴って年上か? 年下か?」
 美琴が素直に教えてくれるとは思えないが、それでも上条は一応質問する。
「…………とっ、年上。だけど年上っぽくない」
 美琴が正直に答えた事に若干驚きつつ、上条は情報を引き出すべく次の言葉をつなぐ。
「ほうほう、他には?」
「頭がツンツンしてて、頼んでないのに助けてくれて、いっつも人のことスルーして、でも優しくて、一緒にいると楽しくて憎めない……」
 言葉が一つ紡がれる度に、美琴の頭が何かを上条から隠すように五度ずつ地面に向かって下がっていく。
「そっか」
 上条はその言葉で全てを理解し、納得して微笑んだ。それは美琴が見たこともないような優しい顔で、
「お前、今すっげー良い顔してたぞ。そいつのことが本当に好きなんだな。俺、応援するぜ。俺の知ってる奴だったらお前の事それとなく話してやる。で、そいつって誰だ?」
 美琴は上条の言葉にキッと顔を上げ、上条の顔を信じられないという面持ちで見つめた。
 次に拳を固く握りしめ、肩ごとブルブルと震わせる。
 最後に鞄からコンパクトを取り出すとそれをカパッと開き、鏡の部分を上条に突きつけた。
「わ、私の好きな人は……コイツよ」
 上条は鏡の中をしげしげとのぞき込む。いくら角度を変えても、鏡の中に自分以外風景しか写っていないのを確認して
「…………俺?」
 自分を指差してみる。
 鏡を差し出したまま美琴の顔が徐々に下を向き、地面とほぼ水平に向かい合ったところで縦にコクン、と揺れた。上条の前に鏡を差し出した手は小刻みに震えたままだ。
「…………あの、さ。俺、こう言う時どうリアクションしたらいいかわかんねーんだけど」
「……こっ、こっ、ここまで人に言わせといてまだスルーするかアンタはあっ!」
 美琴が顔を怒りで真っ赤にして鞄を振り回しバシン! と足を踏みならす。
「……悪りぃ。俺の辞書の中にこう言う時の対応マニュアルはねーんだよ」
 上条はガリガリと頭をかき、気弱に呟く。
「お前の事はその……友達だと思ってて。友達の関係、壊したくなかったから」
「……壊す?」
 上条の奇妙な言葉に、美琴は首をかしげる。
 関係が壊れるとは、壊そうと思う要因があって初めて壊れる物だ。上条の主観的思考で『壊す』と言う場合、それは上条がどこかで関係を『壊す』と思う要素がなくては成立しない。
「俺、その……好きっていうか、気になる子がいるんだ」
「……へ、へぇ。アンタからそんな言葉を聞くとは思わなかったわよ。後学のためにぜひ聞かせてもらおうじゃない」
 美琴は頬を微かな痙攣でひくつかせる。
 壊したいとは、そういうことか。
 上条が美琴ではない、他の誰かを想っているから二人の友情が壊れると考えているのかと気づき、美琴の胸がチクリと痛みを発した。
 上条が想う相手は誰だろう。あの銀髪の小っこいシスターか。それとも二重まぶたの地味な少女か。
 聞けば自分の心が引き裂かれるとわかっても、美琴はそれでも引き下がれない。
 今ここで上条から背を向けて立ち去りたくない。
 美琴は固唾を飲んで、上条の言葉を待つ。
 上条はあきらめたような表情で左右を確認し、誰もいない事を確かめてから口を開いた。
「あー……そいつはその、年下なんだけど。何か俺の事やたらと目の敵にしてるし実際そいつのおかげで死にそうになった事は一度や二度じゃねーんだけどさ。結構物知りで何でもできて、気がついたらいろいろ助けてもらってるから年下に思えないって言うか。実際タメ口で喋ってるから」
 ……話がおかしい。どうも噛み合わない。
 上条の話の中に出てくる該当人物がどれだけ検索しても一名しか脳裏に浮かばない結果を見て、美琴はおそるおそる上条に尋ねる。
「…………かっ、かっ、かかか確認するけど。それって……誰の事言ってんの?」
 どうか自分の予想が当たっていますように。外れていませんように。
 上条に問いかける美琴の言葉に、いつもの切れはない。
 上条は大きく深呼吸すると、息をゆっくり吐き出すように言葉を残す。
「だからさ……お前だよ。御坂」
「…………」
「だから、その。俺さえ黙っていれば、お前とはこうやって友達のままで楽しくやっていけると思ってたんだ。電撃でビリビリさせられんのはいやだけど、お前の事は嫌いじゃないって言うか……だから」
「つ、つまり。アンタは私の事を……その……好きなのどうなのはっきりしなさいよっ!」
「うわぁっ!? バカ止せいきなりノーモーションで電撃かますんじゃねえっ!」
 至近距離で美琴から落とされる電撃を、上条は右拳一つを頭上に突き出してすかさず打ち消す。阿吽の呼吸で繰り出されるそれはコントで処理しても良いくらいに滑稽で、上条はただひたすらに泣きたくなった。
「……だからそれを止めてくれって言ってんじゃねーか。心臓に悪いって」
「アンタの話の方がよっぽど心臓に悪いわよ。……まったく」
 自らが発した電撃の跡を隠すように、美琴は軽く左手を振った。
 美琴は隣を歩く上条の前に回り込むと、その歩みを遮るようにやや下から上条の顔をのぞき込んで
「……一つ聞くけど。アンタは私と今のままで良いの? 私がその……友達の先に進みたいって言ったら、アンタは一体どうすんの?」
 頬を赤らめて問いかける。
「そ、それは……その……俺だって……あのな……」
 純情少年といえど上条当麻は健康な男子高校生だ。
 人並みに恋愛には興味あるし異性にモテたいという願望はある。
「だからあん時、いたずらかどうか自信がなくなったって言っただろうが」
 ふたつの唇が触れあう寸前で割れた美琴お手製のクッキーは、二人の心に小さな亀裂をもたらした。
「……とりあえず、何というか、その。……普通のお友達からお願いします?」
「何で最後が疑問形なのよ?」
「俺達って、やたらとケンカというかお前がケンカ売ってきて俺が逃げるパターンばかりだろ? だから、そう言うのはもう止めないかって」
 美琴は足を止め、静かに次の言葉を待つ。
「罰ゲームの時にも思ったんだけどよ。お前は俺の手を引っ張って先を急ぎたがるけど、俺達は断崖絶壁に立って時間の猶予がありませんってわけじゃねーんだろ? だったらもっとゆっくり行こうぜ。俺はお前がビリビリするところとか実は泣き虫だったとかそれくらいしかお前の事を知らないんだし、もっとお前の事をよく知ってからでも遅くはねえと思うんだ。お前だって俺の事、上辺しか知らねーんだろ?」
 ほら、と言って上条は右手を握手の形で差し出す。
 美琴はしばらく上条の右手を見つめた後、自分の右掌を合わせてタッチするようにパンと打ち鳴らし、それから上条の手を握った。
 二人の間で友好的な握手が交わされる。
「……頼むから今後は砂鉄の剣とか超電磁砲は勘弁してくれよな」
「アンタが人の事を馬鹿にしなけりゃそんなことはしないわよ。少しは学習してよね」
「わーってる……って、おいおい? お前何で泣いてるんだよ?」
 上条の手を握りしめたまま、美琴が肩を震わせる。
 それが涙ぐむ時に伴う独特の痙攣と気づいて、上条があたふたと慌てる。
「だ、だって……アンタは……どうせ私のことなんか興味ないと思ってた。今日のことだって……ホントはクリスマスに言うつもりだったんだから」
 予定が狂ったわよ、と目尻に浮かぶ涙を拭いながら美琴が顔を上げる。
「アンタが何の気なしにあんな事してくるから、こっちは内心ドキドキだった。相手が自分に気がないとはいえ、『お前相手じゃなきゃこんな事できない』なんて言われたら、私だって動揺するわよ?」
「そ、そうか。知らないとはいえそれは悪かった。……ところで、セクハラの基準って何になるんだ? 俺そういうのホントわかんねーから知らないうちにあれこれやらかしてるんじゃないかと……思うんですが……あれ?」
 美琴は上条の顔をまじまじと見て、それからあきれ顔のまま盛大にため息をついた。
「つまりセクハラってのはね……」
 美琴は薄っぺらなカバンを持ったまま、上条の背中に腕を回し、
「……こういうのよ」
 ベージュ色のブレザー越しに、わざとらしく柔らかいものを上条の体に押し付けるように抱きついた。
「…………へ?」
 美琴に抱きつかれた上条は右を見て、左を見て、最後に下を向く。
 夕闇が辺りを支配しつつあるとはいえ、まだまだ人通りが多いこの時間で、常盤台中学の制服を着たお嬢様が衆人環視の中どこかの馬の骨に抱きつくと言うことは
「お、おい御坂? 止めろ、離れろおいこらっ! 道路で俺に抱きつくんじゃねえ! 人が見てるだろうが! お前と俺は友達でお前の何かが当たってる、当たってるから! テメェ絶対わざとやってるだろ! ……わかった、わかったこれがセクハラなんだな? 頼むから離れてくれってば風紀委員が来ちまうだろうが!」
 きわどい接触が認められるか認められないかがセクハラとそうでないものの境目を分けると言うことを美琴から学んだ上条は、美琴を寮まで送り届けた後スーパーへの道のりを一人歩いていた。
 特売品を買い損ねてしまったのは財政的に痛いが、引き替えにする何かを見誤るほど上条当麻は愚かではない。
 ……でもやっぱり痛いものは痛い。
 上条は財布の中身をチェックして、涙目になりながらスーパーの自動ドアをくぐり、備え付けられた買い物カゴを取り上げショーケースの中を物色して、今夜のメニューは何にすっかねと考えながら一つ一つ商品の値段を見比べる。ハロウィーンの時期は過ぎたが、かぼちゃが丸のままやカットされたものなどふんだんに陳列されており、今夜はかぼちゃのそぼろあんかけなんかが良いんじゃないかと考えた。
 不意に、ポケットに入れた携帯電話が微かに振動して、メールの着信を告げる。
 上条はポケットをごそごそと漁り、アドリア海に落ちても無事だった携帯電話を取りだして待ち受け画面を確認した。
 送信者は御坂美琴。
 上条は指でボタンをぽちぽちと操作して、メールの内容を確認すると
『アンタ週末暇? 暇よね? 暇だったらどこかに出かけない?』
 という、ようは一方的なデートのお誘いだった。
「……だから何でもかんでも急ぎすぎんなっつーの」
 こちらはまだハロウィーンのお菓子の感想さえ満足に伝えていないのだ。電撃なしのお友達から始めるつもりなのだから、そんなに慌てないで欲しいと上条は思う。
 上条は買い物の手を止めてひとしきり返信に悩んだあげく、返事は保留することにした。
 時間はあるのだ。急ぐことはない。
 上条は買い物カゴを抱え直して、陳列品の物色に意識を戻した。

 翌日から上条はのんびりしている暇などなくなった。
 それは主に朝と夕方の登下校時。
 美琴と上条が抱き合っている(というより、美琴が一方的に上条に抱きついた)姿が噂になって「超電磁砲に男ができた」と広まって、いつか美琴にリベンジしようと企んでいた不良の方々が怒りの矛先を上条に向けて街中を追いかけ始めたからだ。
 美琴はレベル5、対して上条はレベル0。復讐の的にするなら断然後者の方が良い。
 最もそれは上条を鬼神の如く追い掛ける彼らの都合であり、上条にしてみればそんなハラスメントはごめん被りたいと強く希望する。
「……わかった。よーっくわかった。軽はずみな行動が後々えらい騒動を引き起こすってのはよくわかった! だから君達追いかけないで俺はレベル0であって人の話を聞けよお前らああもう不幸だぁぁぁあああぁぁっ!」
 一一月の北風が何事もなかったかのように上条の隣を吹き抜ける
 その風に乗って、今日も元気におなじみの絶叫が学園都市中に響き渡った。


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