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岸田

岸田(きしだ、kisida、1982年6月24日 - )は、ミュージシャン、作曲家、作詞家、レコーディングエンジニア。日本の同人音楽サークル『岸田教団』の代表。日本のロックバンド『岸田教団&THE明星ロケッツ』のリーダー、ベーシスト、ギタリスト。

経歴

岸田教団として活動を始めるまで

80年代終盤から90年代前半に巻き起こった第二次バンドブームの世代にあたる岸田は、中学生でヤマハ音楽教室にてベースを習い始める。1年目に表拍、2年目に裏拍、3年目から弦楽器奏者の音楽理論という修行を積むが、高校生のころベースの師匠に「ひとつの楽器を弾けるだけでは食べていけない。」と脅され、アレンジやミックスなど仕事としての音楽を学んだ。楽器を始めるにあたってベースを選んだ理由を聞かれた際には「どうせバンドをやるなら学校内の権力闘争に勝ちたかった。ボーカルやギターに比べて競争率の低いベースならば自分の実力以上のバンドに入れてモテると思った。」と語っている。
学生時代に組んでいたバンドは高校卒業と同時に解散となったが、ギタリストと岸田の2人は、福岡で当時有名だったボーカリストが始めた別のバンドに引き抜かれ、そのバンドでTEENS' MUSIC FESTIVAL 2001に出場し九州大会まで進んでいる。岸田教団&THE明星ロケッツでボーカルを務めるichigoは前年度の九州北代表であり、岸田とichigoはそのチューニングルームで出会った。
TEENS'に出場した事がきっかけでヤマハの事務所に所属することになるが、岸田が楽しみにしていたゲームの発売日にライブの予定を入れられるなど、意識や価値観の違いからバンドメンバーと衝突することが多く大喧嘩の末にバンドを脱退。
その後、音楽専門学校にも通っていたがすぐに辞めている。今でも『音楽専門学校に行くのは時間の無駄、その時間を使って自分なりに工夫して人目に触れる場所に出るべき』という考えを持っている。

岸田教団活動開始~東方系同人サークルとして

レコーディングエンジニア志望であったことから、ミキシングやアレンジなどの作業の練習のために作曲活動をしていたところ、当時プレイしていたMMORPG『ラグナロクオンライン』において「音楽できるヤツを集めてアレンジCDを作ろう。」という趣旨の企画が持ち上がり、その時に知り合った Supply に作品をしっかり発表するように勧められ同人活動をスタートさせた。最初期は個人サイトにゲームの音楽をアレンジした楽曲や岸田が作曲したオリジナルの作品を発表していたが、岸田が好きだった同人作家・イラストレーターの蒲焼鰻が『マリア様がみてる』から『東方』にジャンルを移したことをきっかけに、岸田が「鰻さんのジャケットでCDを作りたい。」と懇願して、1stアルバム『SUPERNOVA』を頒布した。その後も東方アレンジの同人アルバムの頒布や楽曲の発表を続け、2006年末には東方アレンジライブイベント『Flowering Night 2007』への出演が決定する。このライブにバンドとして出演するために、岸田の望む音を出せるメンバーを人格や性格を不問にして集め『岸田教団&THE明星ロケッツ』を結成。以降は『岸田教団&THE明星ロケッツ』としての活動が中心となり、各同人即売会イベントで東方ボーカルアレンジアルバムやオリジナルCDアルバムを頒布、2009年にはワンマンライブツアーを敢行した。

メジャーデビュー以後

前述のライブツアーをきっかけに約1年程度レーベルとの交渉を行い、2010年にシングル『HIGHSCHOOL OF THE DEAD』を発売しメジャーデビューを果たした。デビューに対しては「ファンに『続き』を見せる責任感や義務感を感じていた。」とインタビューで語っているが、メジャーシーンについては「委託先がメジャーレーベルになっただけ。」と語っている。バンドの出自の関係からかアニメタイアップが多いが、バンドとしては同人とメジャーを使い分けて活動しながら、岸田個人としても他アーティストやゲームなどへの楽曲の提供・ギターやベース演奏への参加を行っている。

人物

福岡県出身・在住。血液型 AB。
本名は非公開で本当の名字は『岸田』ではない。即売会イベントのカタログのペンネーム部分に本名を書かれてしまったり、アルバム宣伝用の動画を本名のアカウントで公開してしまったりと、公然の秘密状態である。
名義のローマ字表記は『kisida』で、ローマ字は文字数が偶数の方が美しいという理由で「shi」ではなく「si」を使う。
愛称は「総帥」「ロリコン」など。メンバーや関係者からは「岸田」「岸田さん」「岸田くん」「岸田ちゃん」

岸田の性格についてichigo曰く「こっちの都合を考えずにじゃれてくる感じが、ゴールデンレトリバー(犬、大型犬)っぽい。」
同人音楽サークル『岸田教団』の代表にして『岸田教団&THE明星ロケッツ』のリーダーである。ほとんどの曲で作曲・編曲を担当し作詞も手掛け、レコーディングではギターも弾いている。基本的にはレコーディング・ミキシングエンジニアも務め、初期の作品ではマスタリングも担当。
音楽活動において『いちいち時間を切って借りるのが面倒くさいから』という理由で、福岡市内のマンションの一室を改装し、プライベートスタジオ『studioK2』としている。そのため楽器や機材・オーディオ機器・録音環境に造詣が深く、それらがテーマのインタビューやトークショーなどに度々呼ばれている。
仕事で東京都内への移動も多いが、飛行機があまり好きではないため、陸路がある範囲は基本的に新幹線を利用する。また、都内に引っ越さない理由は、前述のスタジオの移転が手間であること、福岡県と東京都の地価の差のためである。
サウンドハウスでは「プレべしかひかない人」というハンドルネームでレビューを投稿している。
レコーディングエンジニア以外では歴史の教師やラノベ作家志望だった。

影響を受けた音楽

影響を受けたベーシストとして名前が挙げられた人物は『中尾憲太郎(NUMBER GIRL)』『ウエノコウジ(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)』『照井利幸(BLANKEY JET CITY)』『マイク・ダーント(Green Day)』。
影響を受けた音楽ジャンルにはゲーム音楽、90年代中頃のヴィジュアル系・洋楽パンクやロキノン系ミュージックを挙げている。様々なアーティストの音楽を聴いており、影響を受けたアーティストとして今までに挙げられた名前の数は膨大であるが、『麻枝准』『THEE MICHELLE GUN ELEPHANT』『NUMBER GIRL』はよく挙げられる。最初期のウェブサイト内に存在したプロフィールの尊敬するアーティストの項目には『菅野よう子』『高橋コウタ』『久石譲』『BOOM BOOM SATELLITES』『Radiohead』を挙げていた。
『凛として時雨』や『9mm Parabellum Bullet』にハマっていた時期もあり、他にラジオや日記、Twitterで『LUNE SEA』『U2』『GREEN DAY』『ACIDMAN』『ASIAN KUNG-FU GENERATION』『BUMP OF CHICKEN』『RADWIMPS』『ONE OK ROCK』『Skrillex』などのアーティストの名前が挙がったことがある。『I’ve』の大ファンでもある。

初めて買ったCDはファイナルファンタジーのサウンドトラック。音楽雑誌については「スヌーザー嫌いの元ロキノン側寄りで、一番買ってた雑誌はクロスビート。スヌーザー信者だった時期もあるかもしれない。」と答えている。
作詞面では、ゲームや小説の影響を受けている。


趣味・嗜好

喫煙者で、元々は市販の紙巻タバコ(主にラッキーストライク)を吸っていたが、趣味性を求め手巻きタバコを愛煙している。銘柄は気分によるが、ゴールデンバージニアやチョイスのチェリー系シャグが中心。出先では手間やストックの関係から紙巻タバコ(アメリカンスピリット等)を吸う場合もある。
好きな飲み物はコーラで、酒は美味しいと思わないため飲まない。料理も得意としている。
野球を中心にサッカーやF1などの各種スポーツも好きで、ホークスの大ファンである。
服装に特にこだわりはない様子だが、ジャケットを着ている場合が多い。
20代前半頃はバンドの練習をサボるほどのネットゲーマーで、岸田教団や同人での活動の礎になったものとしてMMORPG『エランシア』を挙げている。ゲーム内ではギルド「ロランシア聖騎士団」の団長を務めていた。またMMORPG『ラグナロクオンライン』で知り合った友人とコンピレーションアルバムを頒布したこともある。
シューティングゲームも好み、野球ゲームやシミュレーションゲーム、ノベルゲームや美少女ゲーム、オープンワールド系のゲームもプレイするなどジャンルの幅は広い。初めてプレイした東方Projectの作品は『東方永夜抄』
最終更新:2024年07月03日 22:55