リ・コントラクト・ユニバース

ゼアルⅡが持つ能力。

「重なった熱き思いが、世界を希望の未来に再構築する! リ・コントラクト・ユニバース!」という口上の後、掲げたカードを別のカードに書き換える。
作中では敗因となる筈の《RUM-リミテッド・バリアンズ・フォース》を勝因となる《RUM-ヌメロン・フォース》に書き換えており、勝利が確定していたベクターは一転して敗北することになってしまった。



紛れもないイカサマであり、カードゲームの概念やデュエルの意味を完全に崩壊させる能力なのだが、例によって作中で否定されたことは1度もない。
よりにもよって主人公がこのようなイカサマを平然と行う辺り、ゼアル世界の倫理観がこれまでの遊戯王シリーズの倫理観とは大きく異なっていることが窺える。

この能力の被害者であり、元々遊馬を否定する立場のベクターですら否定的な反応を見せていない(驚いてはいたが)のは、ゼアルの異常さを如実に表していると言えよう。



ゼアルⅡ曰く、これはカードの書き換えではなく「リミテッド・バリアンズ・フォースを元の姿に戻しただけ」らしいが、《RUM-リミテッド・バリアンズ・フォース》と《RUM-ヌメロン・フォース》の関連性を示す描写や根拠は後にも先にも一切存在せず、その情報をゼアルⅡが知っていた理由も一切不明な上に、そもそもその発言は自身が数秒前に言った上記の口上と矛盾している。

ついでに言えば、この時の遊馬とアストラルは「熱き思い」など一切持っておらず、むしろその真逆の状態だった。*1



イカサマ後の支離滅裂な自己弁明により、遊馬とアストラルの品性が益々疑われることになってしまっているが、このセリフはサルガッソで行われた一連のデュエル及びストーリーの帰結を完全に放棄したことに伴うアニメスタッフの後ろめたさの表れだと思われ、実際にこの身も蓋もない能力が使われたのはこの1度きりである。

しかし、ほぼ同様の能力であるシャイニングドローはその後も廃止されていないどころか頻発している上、敵も同じような能力を使うようになり、ストーリーの描写放棄も相変わらずであったため、後ろめたい気持ちは反省に繋がるために生まれたものではなく、描写を丸投げした自分の保身から生まれたものであったようだ。

自力を否定してしまうことに怯えた人間は、不真面目に逃げるものなのである。

また、この能力を使わなくなったことにより、ゼアルとゼアルⅡに容姿以外の違いが見られないという別の問題も生まれている。*2



言うまでもないことだが、「卑劣な敵を正々堂々とした戦いで倒す」からこそカタルシスが生まれ、それが主人公の実力や発言の説得力に繋がっていくのである。
しかし、この能力が登場したデュエルは「卑劣な敵を卑劣な手段で倒す」という展開であったため、カタルシスなど生まれるはずもなく、主人公の品性への疑念にしか繋がっていない。

しかもこの時の対戦相手であるベクターはマナー違反は犯してもルール違反は一切犯しておらず*3、デュエル自体は正々堂々としたものだった。
そういう意味では、「正々堂々とした敵を卑劣な主人公が倒す」という誰が「悪」なのだか分からない構図にすらなってしまっている。

なお、この構図に似た展開は過去に【遊戯vsラフェール】戦(1戦目)で物語的な意味を持って行われていたが、こちらは「卑劣なベクターを遊馬が正々堂々と倒した」つもりのようであり、別に遊馬が自滅したわけでもないため、ゼアルに数多あるパロディには含まれないと思われる。



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最終更新:2022年01月12日 10:23
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*1 この時にあった二人の蟠りも結局有耶無耶になった

*2 元々存在意義が疑わしかったが

*3 プレイングミスは犯した