シャイニングドロー

概要


謎の扉の謎の力によって謎の存在であるゼアルとなった遊馬アストラルが示した謎の能力であり、デッキにはない新たなカードを創造する力。

「最強デュエリストのデュエルは全て必然!ドローカードさえもデュエリストが創造する!」という口上、もしくは「デュエリストはカードを導く!我が身が放つ一点の光を目指し、来たれ勝利と希望のカード!」という口上の後、右手に宿った光の力でドローを行う。

作中ではゼアルとエリファスが行っており、後に遊馬とアストラルも唐突かつ普通に行えるようになった。

「シャイニングドロー」だったり「シャイニング・ドロー」だったりする表記ゆれも見られるが、まぁそこは後述する問題に比べれば瑣末なことである。
また、「ファイナル・シャイニングドロー」や「ディスティニー・シャイニングドロー」なる派生形も存在するが、通常のシャイニングドローと何が異なるのかは不明。

仮に後者が「ディスティニードロー」と同じ意味で使われているのだとしたら、後述する茶番要素が更に高まる上に、自力でドローを行っているデュエリスト達の感情を逆撫でする要素まで含まれることになる。


シャイニングドローの問題


デッキにないカードを創造して戦う時点でデュエルの根幹を破壊してしまっているのだが、当初は「ZW(ゼアルウエポン)しか創造してないし問題ないだろ」という要領を得ない擁護意見も見られた。

ただ、この能力もまた予想の斜め下を行くことに定評のあるゼアルらしく、後の展開ではZW以外も普通に創造しており、しかも創造するカードはその場の都合に応じたメタ効果を持っているため、デュエルを完全に後出しジャンケンにしてしまっているのである。
言うまでもなく、この問題は創造するカードがZWだけであったと仮定したとしても、何も変わらない。

限られたカードを使った上での駆け引きこそがカードゲームの醍醐味なのだが、よりにもよってカードゲームを題材としたアニメがそれを完全に破壊するとか、スタッフは一体何を考えているのだろうか?


また、都合に合わせたカードを創造できるのであれば、抵抗不可能の特殊勝利効果を持つカードを創造してしまえばいいだけの話でしかなくなるのだが、そのようなカードを創造したことは1回もない。
創造できる範囲が定められている可能性もあるが、そのような制限を示す描写は一切存在せず、更にはピンチになるまでこの能力を一切使おうとしないため、実質的に手を抜いてデュエルを行っているに等しいことになる。

当のゼアルは「熱いデュエル」を無闇矢鱈にアピールせずにはいられない非常に諄々しい作品でもあるのだが、舐めプ八百長が当然となっている勝負の何に熱くなればいいというのだろうか?



「登場する人物や能力には何かしらの弱点や欠点を設ける」という創作の基本すらできていない有様だが、一応スタッフもそれを設けようとはしていたらしく、「シャイニングドローを行う(ゼアルになる)ためには異世界の力が必要になる」という設定もあったことはあった。

しかし、その制限によってシャイニングドローが使えなくなったという展開は一切なく、そもそも「異世界の力」とやらの詳細が一切不明である上に、後にそのような設定は完全になかったことになってしまったため、遊馬やアストラルは普通にシャイニングドローを行っていたりする。



また、シャイニングドローに因果やリスクが一切伴わないということもあってか、物語後半ではシャイニングドロー及びそれに類似する能力が頻発してしまっており、何を血迷ったのか、カードを創造する者同士によるドロー勝負という前代未聞の茶番まで行われていた。
中でも、【遊馬vsエリファス】戦に至ってはカードの創造合戦になってしまっており、やりたい放題の様相を呈している。

かといって、何のリスクもないこの能力を使わなければ舐めプにしかならないため、まともな帰着点などどこにも存在しないのである。

なお、エリファスは「アストラル世界のドローは全てシャイニングドロー」というとんでもないことを言っているが、それがデュエルと呼べるものではないことなど言うまでもない。
当のエリファスが行った計6回のドローの内の1回はシャイニングドローではないため、そもそもその発言自体が矛盾しているのだが、それ以前の問題である。



このように問題が山積みどころか問題しかない能力であるが、作中で否定されたことは一度もなく、肯定的に捉えられている場面すらある。
口上を鑑みる限りイカサマという意識はないようで、罪悪感も全く見られない。
それどころかこの能力の口上は、「強いデュエリストは皆こういうイカサマを行っている」という風に解釈することもできてしまうため、そういう意味では他の遊戯王シリーズへの侮辱になっているとすら言えてしまう。

シャイニングドローに限らず、ゼアルでは主人公の倫理観が疑われるような場面があまりにも多い。
悪役であるMr.ハートランドのみがこの問題に一石を投じていたのだが、それも遊馬とアストラルが唐突に得た別の能力によって否定されてしまっていた。

そして、流石はゼアルと言うべきなのか、シャイニングドローには更なる致命的な設定も隠されていたのである。


シャイニングドローの正体


事の起こりは、大規模なデッキ破壊が行われた【遊馬vsエリファス】戦。
元がパロディである上にゼアル内ですら2回目となったアストラルの死ぬ死ぬ詐欺*1に伴うデュエルだが、その問題に関しては別の話なので、ここでは語らない。


注目すべきは、「シャイニングドローを1回行った遊馬のデッキの総数が40枚だった」という点である。


遊戯王OCGを知らない者のために解説しておくと、デュエルに必要なデッキは40枚以上かつ60枚以下でなければならないというルールがあるため、もし遊馬のデッキが39枚であったとするならば、遊馬はルール違反を犯しているということになる。
シャイニングドローとかいう特大のイカサマに比べれば実に瑣末なルール違反だと言えるが、勿論そのような描写があったわけではなく、問題はそこではない。

問題となる部分は、シャイニングドローが「新しくカードを創造する能力」ではなく「既にデッキに存在しているカードを書き換える能力」だと判明した点。
カード自体を創造していたのだとすれば、遊馬のデッキは全部で41枚になっていなければおかしいのである。



要するに遊馬は、自分のデッキに残った最後の希望となるカード1枚を別のカードに書き換えていたということである。

一方的に書き換えられてしまったカードがその後どうなったかは不明だが、いずれにせよ、カードとの絆を重視する前三作までの主人公達の怒りを買いそうな行いであり、とても主人公のやることではない。

これと似た能力で書き換えられてしまった《RUM-リミテッド・バリアンズ・フォース》は存在自体が抹消されてしまっているため、やはりシャイニングドローで書き換えられたカードも同じ運命を辿ってしまったのだろうか?

この事実によって、「シャイニングドローはデッキ破壊対策にならない」という擁護になっていない擁護は得たが、その代償は極めて大きかったと言える。

これまでの遊戯王でデッキ破壊が行われた際には「デッキに残った最後の1枚のカードを信じて逆転勝利する」という展開が多かったのだが、何をどう血迷ったら「デッキに残った最後の1枚のカードを書き換えて逆転勝利する」という展開になるのだろうか?
心底理解に苦しむ。



なお、シャイニングドローではないが、これと似た展開は【遊馬vsベクター】戦(2戦目)でも「ダークドロー」と「リ・コントラクト・ユニバース」によって行われており、こちらは合計2枚のカードを書き換えている。*2

デッキ破壊が否定的に描かれるのがいつもの遊戯王であるが、いつものゼアルはデッキ破壊を受けた側が悪になるようである。
例によって、遊馬の悪行は肯定的に描かれてしまっているが……


遊馬先生の人間性


上記の問題だけでも十二分に酷いのだが、問題はこれだけに収まらない。

というのも、この時の対戦相手であるエリファスは、「選ばれなかった魂を糧にして高みを目指す」という信念を持つ非情な人物であり、その信念を遊馬からボロクソに非難されていたのである。
この時の遊馬先生の有難いお言葉は以下の通り。



優等生ばかり選んで後は切り捨てる!みんな同じように可能性を持てねぇってことじゃねぇか!
そんな世界、オレは絶対に認めねぇ!



このセリフ単体だけで既に「自分が認めるかどうかで物事の是非を判断する」という自己中心的な姿勢も晒している上に、そもそも何の反論にもなっていないが、よりにもよって優等生ではない遊馬先生は、このセリフの後に何の脈絡もなくできるようになったシャイニングドローを嬉々として行い、デッキに残ったカードを書き換えているのである。

「選ばれようとしているカードの存在を否定して勝利を目指す」行為は、「選ばれなかった魂を糧にして高みを目指す」行為を非難した人間が行うことなのだろうか?

もうわけがわからない。



そして散々記した通り、この能力は自分のデッキや自力を否定するものでしかないのだが、あろうことか、シャイニングドローを積極的に行っている遊馬は、「オレはデッキを信じる!」「シャイニングドローが行えなくともオレのデッキは応えてくれる!」などとぬかしている。

しかもこの発言は、前者はシャイニングドローを行う前、後者は一旦シャイニングドローに頼ろうとした上で出来なかった後に発せられたものである。*3

この子は先生じゃなく患者の方じゃなかろうか……



また、遊馬が信条とする「かっとビング」は、「勇気を持って一歩踏み出す」「どんなピンチにも決して諦めない」「あらゆる困難にチャレンジする」という意味を持つのだが、シャイニングドローを肯定的に行った結果、彼が「未知なるデッキトップに踏み出す勇気を持たず、困難にチャレンジせずに自分が創造した都合のいいカードを使う」という、「かっとビング」に反する姿勢を持つ人物であることが示されてしまっている。

そして、ピンチになってもそれを打開できるカードを好き勝手創造してしまえばいいだけの話である以上、諦めない姿勢も茶番にしかなっていない。

主人公の必殺技とも言える立ち位置の能力が主人公の品性の疑念に繋がるというのは、なんとも皮肉な話である。
しかし、前述した舐めプ要素や八百長要素に関しても、八百長試合を平然と行える遊馬先生にとっては、何の問題もないことなのだろう。
本人は事あるごとに「全力」を口にしているのだが……


ゼアル信者の反応


例によってゼアルだけは否定するわけにはいかないため、これも他の要素同様に無理矢理な擁護と論点ずらしが見られ、ゼアル信者自身もまたゼアルを肯定できないと感じているということが示されてしまっている。
ゼアルを持ち上げること自体は個人の自由でしかないが、その支離滅裂な主張への同調を強要したり、他作品にゼアルの問題を擦り付けるのはやめていただきたいものである。

以下は主な反発とそれに対する反論。






アテムが任意のカードをドローできてることを否定しろ!

アテムはデッキにある既存のカードをドローしているだけで、カードを「創造」しているわけではない。
また、このようなシーンや能力は原作には一切なく、アニメになる際に唐突かつ勝手に付け加えられた設定であり、しかもその時の脚本担当者はゼアル信者が持ち上げているこいつであったりする。

一応の擁護をするなら、原作初期には千年パズルが光った後に目的のカードをドローしたというシーンが2回ほどある。*4
ただ、これが千年パズルの力なのか単なる演出なのかまでははっきりしておらず、2回の内の1回は遊戯ではなく城之内がドローしている他、もう1回は明らかに遊戯の意思が介在していない。*5
無論、シャイニングドローを使えばいとも簡単に揃えられるエクゾディアパーツ一式を揃えたのも、千年パズルの力などではなかった。

いずれにせよ、これは創造でもなんでもない上に、アニメでのシーンにも千年パズルは関わっておらず、何より遊戯がピンチになる度にこんなことをしているわけではないため、結局何の擁護にもなっていない。



十代が《賢者の石ーサバティエル》でカードを書き換えていることを否定しろ!

あれは書き換えているわけではなく、任意のカードをデッキから手札に加えているだけである。
演出上書き換えているように見えたのかもしれないが、本編を普通に視聴した人間が書き換えと間違う筈もない。*6
また、サバティエルのようなパワーカードを毎回使うことは流石に問題があるためか、使用されたのは登場したデュエル1回限りである。(そもそも十代がデッキに入れ続けているのかもわからない。)
そして、サバティエルを入手・使用したデュエルの脚本担当者は両方ともこいつである。



遊星が《救世竜 セイヴァー・ドラゴン》を創造してドローしたことを否定しろ!

あれは遊星が創造したカードではなく、赤き竜が自身の分身を遊星(やジャック)のデッキトップに勝手に潜り込ませただけである。
当然遊星の意思ではなく、ドローするタイミングやドローするカードを選べるわけではない。
そして、デッキトップに本人の意思とは無関係のカードが出現するという展開の元祖はドーマ編で登場した「名もなき竜」であり、そのシリーズ構成担当者はこいつである。



エクストラデッキのカード創造は否定しないのにシャイニングドローだけ否定するな!

ドローするデッキですらないエクストラデッキの創造をシャイニングドローと同一視することには無理しかないし意味がわからない。
また、遊戯王史上初めてエクストラデッキ*7のカードを創造したと断言できるのはドーマ編であり、つまりはこれもこいつが発端である。
今でこそ当たり前のように行われているエクストラ創造であるが、当時や今も原作崩壊しかないストーリーや視聴者を完全に無視したデュエル*8も含めて大きな非難が向けられていた。
まずエクストラ創造って何?と思う人の方が多いではないだろうか…。



映画でもアテムがシャイニングドローしてるだろ!

これに関しては否定する他ないが、この映画の監督はどういうわけかこいつであり、ゼアル要素のマーキングによって原作の世界観を蔑ろにしているシーンは他にも多々見られる。
この行いは「監督の自慰行為」とやらには含まれないのだろうか?



デッキにないアクションカードに頼る遊矢クソカッコ悪い!

そうですね。
デッキにないカードを創造して使用するシャイニングドローに頼る遊馬先生にも同じことを言えたら気が楽になりますよ。
そしてARC-Vのシリーズ構成担当者は、WDC編の失態から何故か不死鳥のごとく蘇ったこいつである。
ちなみにアクションカードは遊矢だけが使えるわけではない。そしてアクションカードを使う使わないは強制ではない。ルールに則ってデュエルを行なっているためイカサマではない。






最後に1つ断っておくが、少なくとも上記した展開を肯定してはいない。
シャイニングドローが、ただでさえ肯定し難い展開を更に悪化させた結果の産物というだけである。(初登場時の脚本担当者はやっぱりこいつ
問題が問題として認識され反省として活かされていたならば、ここまで酷い能力が登場することはなかったのかもしれない。

そしてアークファイブの次作である遊戯王VRAINSでも、「デッキにないカードに頼る主人公」という負の伝統「ストームアクセス」が受け継がれてしまっている。(シリーズ構成担当者は勿論こいつ
さらに「ネオストームアクセス」という物まで出てきてしまった。
ちなみに批判するとアクションカードガーと言われてしまう。都合の悪いことは書き換えるのが彼らのやり方である。



遊戯王のアニメがスタートしてから現在まで約20年。*9
アニメスタッフが行ってきたことは、「積み重ね」ではなく「切り崩し」だったのではないだろうか。


過去作との比較


前述したように、ゼアル信者は明後日の方向からゼアルと過去作品を比較してゼアルの問題をもみ消そうとしているが、当然ながら、比較に相応しい例は他にある。
このページでは、「遊戯王デュエルモンスターズGX」の91話「ワンターンキルの死神」で登場したデュエリスト「橘 一角」を挙げるとしよう。



彼は「想定していたコンボが決まらず悩んだ結果、死神の力*10に手を染めてしまう」というキャラクター*11であり、デッキ構築の苦労とコンボが成功した時の喜びは、多くのOCGプレイヤーの共感を呼んでいた。

それ故か、一角の人気や知名度は1話限りのゲストキャラとは思えないほど高く、彼の切り札である《一撃必殺!居合いドロー》がOCG化されると決まった際に喜んだOCGプレイヤーは多い。*12



はてさて、「その場の都合に応じたカードしか使わないが故にデッキのバランスが滅茶苦茶*13で、コンボを決めるために必要なカードは好き勝手創造すればいい」ゼアルキャラは、一体誰の共感を呼ぶのだろうか?

また、対戦した十代*14が一角にかけた言葉が洗脳ではなく説得に見えるのは、遊馬のように支離滅裂かつブーメランにしかならない発言*15を一方的にぶつけたからではなく、一角の「このデッキで自分と対戦相手をワクワクさせたい」という気持ちに十代が理解を示していたからではないだろうか?*16

そして何より、GXで「死神の力」として否定的に描写されていた*17ものよりも更に酷い力が肯定的に描かれるというのは、ゼアルがいつもの遊戯王ではないことの証明と言えるのではないだろうか?



もうゼアル以降遊戯王が滅茶苦茶である。



ちなみに、この話の脚本担当者はこいつ
本当に同じ人物か?

手抜きとしか言いようがない効果を持つカードや構成ミスが頻発するゼアルのデュエルと比較すると、なんとも悲しくなる。
まぁ、今回挙げた話にもデュエル構成ミスや無理矢理な展開はあったりするがまだがんばってる方ではある。


まさかのOCG化


何を血迷ったのか、2018年12月22日発売の「20th ANNIVERSARY DUELIST BOX」にて、シャイニングドローが《シャイニング・ドロー》としてまさかのOCG化を果たした。
詳細は以下の通り。


通常魔法
①:自分のドローフェイズに通常のドローをしたこのカードを公開し続ける事で、
そのターンのメインフェイズ1に、
自分フィールドの「希望皇ホープ」Xモンスター1体を対象として、
以下の効果から1つを選択して発動できる。
●デッキ・EXデッキからカード名が異なる「ZW」モンスターを任意の数だけ選び、
 装備カード扱いとして対象のモンスターに装備する。
●対象の自分のモンスターとカード名が異なる「希望皇ホープ」Xモンスター1体を、
 そのモンスターの上に重ねてX召喚扱いとしてEXデッキから特殊召喚する。


当然のことながらシャイニングドローの再現などできるはずもなく、仮に再現できてしまえばデュエルがぶち壊しになってしまうため、その効果は完全に別物になっている。
というか「ドロー」すら行わない。

正規のエクシーズ召喚を放棄したり、ホープと何の関係もないカードがホープ専用カードになる辺りが、なんともゼアルらしいと言える。
しかもこのテキストに従うのであれば、前者の効果で「ZW」を装備しても攻撃力上昇効果は適用されないというグダグダっぷりである。*18



なお、「20th ANNIVERSARY DUELIST BOX」は歴代遊戯王シリーズの主人公のデッキを強化するカードが付属する商品であり、遊馬をイメージしたカードだけがOCGカードとして登場したわけではない。
ゼアル要素とは何か」となった時に、「シャイニングドロー」が頭に浮かんだのだろう。

別に皮肉のつもりでOCG化したわけではないと思うが、結果としてゼアルの問題が再び表に出ることになってしまった。
ゼアルゼアル信者なんてもう意識したくないと思っている遊戯王ファンだけでなく、また自己否定に脅えなければならないゼアル信者にとってもいい迷惑だろう。
これと同じことは、これまた作品の問題の象徴である《スマイル・ワールド》とのシナジーを意識して同商品でOCG化された《EMスマイル・マジシャン》にも言える。*19
が、意外と気にしている人が少ないあたりTPOを弁えている。





というかこうなってくると、これまた同商品でOCG化される《No.39 希望皇ホープ・ダブル》すら遊馬先生の毎度お馴染みダブスタを表現したものと捉えることも可能になってしまう。*20
(イラストが手抜きとも言われているが…)
流石にそこまではしないとは思うが、悪意など一切なくとも問題が表面化してしまう辺り、ゼアルが腫れ物になるのも必然と言えよう。

そしてまたイラストに登場している遊馬先生の自己愛マジパない。
「No.39」といい遊馬先生のカードといいこれで何枚目だよという話だが、これはもうそっとしておいてあげた方がいい気がする……



なお、遊戯王カードWikiにある《シャイニング・ドロー》のページにも、早速ゼアル信者がテンプレとして使っている妄想と結論ありきの言い訳が書き込まれていた。*21

哀しいことではあるが、自分を慰めるために用意した妄想がいつの間にか(本人の中で)既成事実に書き換わるというのは、よくある症例なのである。
荒らしに構う者も荒らしであるため、ここは「自分で見て考えることの大切さを教えてくれているんだ」とポジティブに捉えておいた方がいいのかもしれない。


余談


遊戯王VRAINSの25話~46話まで使用されていたエンディング映像の冒頭では複数のストリートアートが見られ、その中には「Synchro」や「Shining Draw」といった、遊戯王を連想させるものも存在している。

これだけなら単なる歴代作品を意識したファンサービスでしかなかったのだが、このエンディング映像のコンテや演出を担当した人物が、ゼアル信者の劣等コンプレックス対象である5D'sとそのはけ口であるARC-Vで監督を担当した小野勝巳であったため、関連コミュニティが荒らされる原因になっていた。

当初のゼアル信者は、5D's要素であり目立つ位置にある「Synchro」の文字を見つけたことで「小野の自慰行為だ!」*22として叩く理由ができたと狂喜乱舞していたのだが、更に叩く要素はないかと映像を注視した結果、否定するわけにはいかない「Shining Draw」の文字を映像の端から見つけたことで振り上げた拳が行き場を失い、防衛本能がパニックを起こしてしまったというわけである。

彼らは普段からこれに向けられた批判をそのまま小野に擦り付けているため、ブーメランとしての効果は抜群であったと言えよう。



主人公である遊作の境遇とは噛み合わない一方でARC-Vの放火事件とは噛み合ってしまう歌詞も含め、もしかしたらこのエンディングは、ゼアル信者から人権侵害レベルの誹謗中傷を受けていた小野のささやかな復讐要素も含まれていたのかもしれない…信じるのは勘弁な。
あくまで真実は不明であるが、少なくとも、どういった層が遊戯王界隈を荒らしまわっているのかがまた示されたとは言える。


なお、VRAINSの次作であるセブンスにおいて、カードの創造の話が出てきた途端に、アクションカードを貶し、シャイニングドローを意味不明な理由で擁護するアホたちの姿が確認されている・・・

いつになったら一歩踏み出せるようになるのだろうか


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最終更新:2022年01月03日 11:06
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*1 細かいものも含めれば2回どころじゃないが

*2 ベクターの不自然すぎるプレイングミスがなければ書き換えとは関係なく負けていたのだが

*3 しかもこの後普通にシャイニングドローを行った

*4 【遊戯vs爆弾魔】戦と【城之内vs舞】戦で

*5 ついでに言うとカードゲームではあったがデュエルではない

*6 デュエル部分だけを切り取った違法動画などを見てそう感じたのだろう

*7 当時の呼称は「融合デッキ」

*8 ドーマ編のデュエルは不明瞭な点が非常に多い

*9 東映版は含めていない

*10 自分の魂を犠牲にする代わりに望んだカードをドローできる力。当然シャイニングドローと違って代償くらいある

*11 チーム・ユニコーンのメンバーではない

*12 アリガトウ、オレノコナミ

*13 一角のデッキにあったカードからは何とかしてコンボを決めようとする努力が見える

*14 ゼアル信者は遊馬の問題をよく十代に擦り付ける

*15 仮にシャイニングドローを行う遊馬が一角を説教したとして、それは感情を逆撫でする行為としか言いようがないが、ゼアルではそれで相手の態度が急変する

*16 十代は遊馬のように自分のことを棚上げにしながら相手を全否定する人物ではなく、この時も一角にアドバイスを送っている

*17 一角も最終的には死神の力に頼らず自力でドローしている

*18 攻撃力上昇効果を適用するには「ZW」自身の効果で装備していなければならないため。一応もう一つの装備カード化している時の効果は適用される

*19 例によってゼアル信者はこれらでダブスタを披露することになった

*20 その効果は「ダブスタ」というより「マッチポンプ」の方だが

*21 別にあのサイトに限った話ではないが

*22 基がアレなので表現は婉曲した