帝國陸軍所属

史実の神州丸

昭和8年(1933)4月8日播磨造船で起工され、翌年3月14日進水、神州丸と命名され、同年11月15日竣工した

帝國陸軍が上陸作戦用舟艇母船として建造した最初の船。
強襲揚陸艦の始祖として造船史上に知られる。
ドック型揚陸艦で、船の中に設けたドックに水を入れて、そこに上陸用舟艇を浮かべて、迅速に発艦させるというコンセプトの艦

①満載喫水線よりわずかに高い位置に全通式上陸用舟艇格納庫を設け、船尾スロープより直接進水させ発進させる。

②船体中央部に商船式の舷門を設け、そこからガントリークレーンにより上陸用舟艇を吊り上げ、海面に降ろし発進する。

③前甲板にデリックを設け、これにより上陸用舟艇を吊り上げ、海面に降ろし発進させる。

この3案は全て採用され、神州丸は1時間以内に全上陸用舟艇を発進させる事が可能となったのである。

そしてもう1つの問題、それは飛行機の発進方法である。

これには陸軍は滑走発艦を最後まで執着したのだが、20ノットそこそこの船からの滑走発艦には無理があると、海軍はカタパルトによる射出発進を主張し、結局こちらが採用されるに至った。

航空機格納庫は上甲板の1段上に設けられたが、格納庫後部中央に煙突が通っているため飛行機を格納できず、分解格納の予備機格納庫とされた。格納庫の前面左右には開口部があり、その外にはカタパルトがあり、搭載機はセットされ射出される。この開口部は通常キャンバスが張られている。

なお、搭載機は戦闘機6機、軽爆撃機6機(うち3機予備機)である。


史実では42年3月のジャワ作戦で味方魚雷が誤って命中し転覆したが、再生。45年1月3日、高雄沖で米軍機の攻撃を受け大破炎上の末放棄、同夜米潜アスプロの雷撃を受け沈没した。

転移後の神州丸

転移世界では昭和17年(1942)に直轄領獲得作戦の一環として満足な港など無い辺境地帯への陸上戦力の輸送に使用。作中ではシュヴェリン王国八九式中戦車と歩兵部隊を現地に上陸させた。

また、搭載機が零式水上偵察機に変更されている。

総トン数 8,108総トン
基準排水量 7,180トン
重量トン数 2,628トン
垂直間長 141m
22m
深さ 10.8m
満載喫水 4.2m
主機 石川島製タービン1基
ボイラー 艦本式專燃式2缶
出力 7,500馬力
最大速力 20.4ノット
カタパルト 2基
兵装 75mm高射砲4門
兵装 20mm機銃4門
上陸用舟艇 大発29艇(八九式中戦車搭載)
上陸用舟艇 小発25艇
上陸用舟艇 装甲艇2艇
上陸用舟艇 高速艇甲2艇
搭載機(転移前) 九一式戦闘機6機、九七式軽爆撃機6機(うち3機予備機)
搭載機(転移後) 零式水上偵察機9機(フランケル攻略作戦後8機に減)


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最終更新:2007年01月30日 14:59