世界9大列強の一国で3億とも4億とも言われる人口を誇る超巨大国家

レムリア王国からみて最も遠い東方の国
中央世界から遠く離れた極東の地に存在する彼の国は、でありながら列強として君臨する唯一の国家

人口30,000万人余。が、これすらも平民のみの数字であり、他の階層は算入されていないのだ。
 およそ100万人の王侯貴族、1000万人の士族、300~400万人の聖職者……そして500万とも600万とも言われる賤民をも含めれば、32,000~33,000万人にも達するだろう。
 ……これはアルフェイム人口の1/6、他の大文明圏の3倍に近い数字であった。

単独でこれ程の巨大文明圏に成長できたのには、理由がある。
 後に“帝國”の研究によって明らかになるのだが(本編である昭和20年前後にはまだ未解明である事に留意)、実は清華は……と言うよりもこの文明圏は『二つの大文明圏とその周辺の中小文明圏が統合』して生まれた“巨大文明圏”なのだ。(北部は麦を主食とし、南部は米を主食とする理由もこれで説明がつく)

他の地域とは異なり文明圏間の距離が近接していた上、大河が多いために陸輸だけでなく海運も可能だった点を“帝國”の研究者は指摘しているが、何れにせよこれだけの領域を統一した清華開祖は間違いなく世界屈指の“英雄”と言えるだろう。

 ……が、これだけの領域である。全国を完全な統制の元に置く事は不可能……と言わないまでも非常に困難である。
 それ故、清華開祖は郡国制を採用し、特に辺境には実子に大領を与えて配した。秦・蜀・楚・呉・越・斉・燕・趙・魏・韓の“清華十王国”である。
 他にも多数の諸侯・貴族を各地に配し、その地域の要とした。
 彼等は俗に『十王爵、一千諸侯、三千卿、七万大夫』と称される清華の譜代直参貴族であり、その詳細は以下の通り――

王爵 1000万石前後の国(州)守
公爵 20~50万石前後の郡守或いは郡守格(最低基準10万石以上)
侯爵 2~5万石の県守或いは県守格 (最低基準1万石以上)
伯爵 2~5万石の領主或いは領主格 (最低基準1万石以上)
卿爵 3000~1万石の領主或いは領主格
上大夫 500~3000石の領主或いは領主格
下大夫 500石未満の領主或いは領主格

  *“王侯”とは王・公・侯・伯、“諸侯”とは公・侯・伯、“王侯貴族”とは王・公・侯・伯・大夫を指す。

 こうして見ると、貴族とは『領地を有する(と見做される)者』だということが判る。如何な大禄――この場合多くは一代限りだが――を得ようと、領主でなければ士に過ぎぬのだ。
 貴族とは、領地を治めて地域の安定を図ると共に、一朝事ある時は兵を率いて駆け参じる藩屏であり、
 士は、その文武でもって主君に使える官である、という訳だ。
 ……尤も現在では軍事権まで有している完全な“領主”は王のみであり、公侯は統治権のみ、伯以下に至っては徴税権を有するだけの存在に過ぎないが。

(ちなみに上で“石”――清華の1石は約210L――という単位が使われているが、これはかつて江戸期以前の“帝國”の様な租税形態を用いてきた時の名残であり、最早完全に形骸化している。『1石=領民1人』と考えた方が早いだろう)




なお、精華と間違えやすく正しく『 清 華 』と覚える事が重要ですw


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最終更新:2007年09月11日 08:56