「いいから! こっちに来てください!」
女の罵声が、さして多くもない人通りの商店街にこだまする。
「な……! こらっ! 袖を引っ張るな!」
続いて聞こえるのは男の声。こちらは幾分声を潜め、女にだけ聞こえるように努めているようにも見える。だが女は聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、声は女に届いていなかった。
その代わりと言っちゃ何だが、男の手首を締め上げるかのように握るその手は、女の感情をアピールしているかの如くどんどん強くなっていく。
間違いない。彼女は怒っている。
だが男は何故女がそれ程までに激怒しているか分からなかった。その原因を探るべく色々と話しかけるが無反応。前を向いているので顔色までは分からないが、全身からにじみ出るオーラからは明らかに憤怒の色が混じっていた。
通りを暫く歩き、女が止まったのは場末にある喫茶店の前。扉は固く閉ざされ、その店の名を示していた看板は色褪せ、所々ペンキが剥げている。営業を停止して何年も経っているようだ。
所々ボロボロに朽ち果てたビニール製の庇の前で突然女は振り向き、ようやく口を開いた。
「手を出して」
女の、思ったよりも怖いその表情に怖じ気ついたか、男は素直に女の手を握る。白魚のように透き通ったその手を握るのは男にとって通算二度目である。
「目を閉じて」
以前もこんな感じだったかな。喫茶店のバックミュージックがないのはちょっと寂しいぜ。
男は軽口を叩きつつ、そしてこの世界から消えた――
女の罵声が、さして多くもない人通りの商店街にこだまする。
「な……! こらっ! 袖を引っ張るな!」
続いて聞こえるのは男の声。こちらは幾分声を潜め、女にだけ聞こえるように努めているようにも見える。だが女は聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、声は女に届いていなかった。
その代わりと言っちゃ何だが、男の手首を締め上げるかのように握るその手は、女の感情をアピールしているかの如くどんどん強くなっていく。
間違いない。彼女は怒っている。
だが男は何故女がそれ程までに激怒しているか分からなかった。その原因を探るべく色々と話しかけるが無反応。前を向いているので顔色までは分からないが、全身からにじみ出るオーラからは明らかに憤怒の色が混じっていた。
通りを暫く歩き、女が止まったのは場末にある喫茶店の前。扉は固く閉ざされ、その店の名を示していた看板は色褪せ、所々ペンキが剥げている。営業を停止して何年も経っているようだ。
所々ボロボロに朽ち果てたビニール製の庇の前で突然女は振り向き、ようやく口を開いた。
「手を出して」
女の、思ったよりも怖いその表情に怖じ気ついたか、男は素直に女の手を握る。白魚のように透き通ったその手を握るのは男にとって通算二度目である。
「目を閉じて」
以前もこんな感じだったかな。喫茶店のバックミュージックがないのはちょっと寂しいぜ。
男は軽口を叩きつつ、そしてこの世界から消えた――
「もういいわ。目を開けて頂戴」
――女の声に従って目を開ける。
「これは……一体……」
男は面食らったかのように惚けていた。男にとって、セピア調に広がる無人空間は初めてではない。以前に来たことがあった。
だが、以前とは異なる点があった。空から降りしきる水の粒。色も以前より黒ずんで見える。
「ここ……雨が降るんだな。知らなかったぜ。傘の用意をしておくんだったな。濡れるのは嫌だからな」
軽口を叩いた瞬間、女の目が見開いた。
――女の声に従って目を開ける。
「これは……一体……」
男は面食らったかのように惚けていた。男にとって、セピア調に広がる無人空間は初めてではない。以前に来たことがあった。
だが、以前とは異なる点があった。空から降りしきる水の粒。色も以前より黒ずんで見える。
「ここ……雨が降るんだな。知らなかったぜ。傘の用意をしておくんだったな。濡れるのは嫌だからな」
軽口を叩いた瞬間、女の目が見開いた。
――パッシーン――
女の平手が、男の頬に命中した。
「あなた、彼女に何をしたんですか!」
女は本気で怒っていた。男はその剣幕に身動きとれずにいた。
「佐々木さん、泣いているじゃないですか!」
「泣いているって……直接会った訳じゃないのに、何で分かるんだ?」
「この空間を見れば一目瞭然です!」
女は両腕をめいいっぱい広げ、大声で言った……いや、怒鳴った。
「この雨は、佐々木さんの涙です!」
――この空間は、佐々木さんの心境をより濃く表しているのです。佐々木さんが嬉しいときはより明るく、悲しいときはより暗く、怒っているときは大地が揺れるのです――
「そして、泣いているときは雨となってこの空間に現れます。言ってください。何をしたんですか!? 何をして佐々木さんを泣かせたんですか!? 答えてください!!」
以前女は男に言った。この閉鎖空間は《神人》が存在せず、安定した空間を創り出していると。
しかし女は半分嘘をついた。《神人》は確かに存在しないものの、空間は彼女の機嫌によって大きく左右しているのだ。真相は先程女が言ったとおりである。
涼宮ハルヒの閉鎖空間とは異なり、この空間で異常が起きたとしても元の世界に何も影響は与えない。それ故女の組織の人間は彼女の機嫌など何の考慮もしていない。
だが、女にとってそれは歯がゆく、そしてとても悔しいことなのだ。そこまで思い入れをしている理由。それは――
「あたしは、佐々木さんを掛け替えのない友達だと思っています! 組織とか神様とか関係ありません! その友達が泣いているのに、飄々と誤魔化すあなたを許すわけにはいきません!」
女の言葉に、男は再び言葉を失った。そして。
「……すまない。ちょっと、あいつと言い合いになってな。少しきついことを言ったかも知れない。許してくれ」
「あたしじゃなくて、佐々木さんに謝ってください!」
「ああ、分かったよ。それより、ほら」
「……え?」
「お前ずぶ濡れだ」
やや照れくさそうに男が差し出したのは、ハンカチ。女はあまりにも熱中していたため、庇から漏れる雨にも気づかず、ずっと演説をしていたのだ。おかげで体中びっしょりである。
「あ、ああ……すみません。ありがとうございます」
女もやや照れくさそうにハンカチを受け取り、頭と肩、そして自慢の二房の髪に残る剰余水分を拭った。
「ちゃんと涙も拭けよ。雨で隠そうたって無駄だ」
「な……! 泣いてなんかいません! 何を言ってるんですか!」
「ははは、じゃあそう言うことにしといてやる。それより元の世界に戻してくれ。今からあいつに謝ってくるからよ」
「むう……まあいいです。そう言うことなら帰りましょう。でも、帰ったらちゃんと謝ってくださいね」
「ああ。速攻あいつの家まで行ってやる」
先程までの怒りもどこへやら。女はやおら丸くなって、対照的に笑みを見せた。
女は本気で怒っていた。男はその剣幕に身動きとれずにいた。
「佐々木さん、泣いているじゃないですか!」
「泣いているって……直接会った訳じゃないのに、何で分かるんだ?」
「この空間を見れば一目瞭然です!」
女は両腕をめいいっぱい広げ、大声で言った……いや、怒鳴った。
「この雨は、佐々木さんの涙です!」
――この空間は、佐々木さんの心境をより濃く表しているのです。佐々木さんが嬉しいときはより明るく、悲しいときはより暗く、怒っているときは大地が揺れるのです――
「そして、泣いているときは雨となってこの空間に現れます。言ってください。何をしたんですか!? 何をして佐々木さんを泣かせたんですか!? 答えてください!!」
以前女は男に言った。この閉鎖空間は《神人》が存在せず、安定した空間を創り出していると。
しかし女は半分嘘をついた。《神人》は確かに存在しないものの、空間は彼女の機嫌によって大きく左右しているのだ。真相は先程女が言ったとおりである。
涼宮ハルヒの閉鎖空間とは異なり、この空間で異常が起きたとしても元の世界に何も影響は与えない。それ故女の組織の人間は彼女の機嫌など何の考慮もしていない。
だが、女にとってそれは歯がゆく、そしてとても悔しいことなのだ。そこまで思い入れをしている理由。それは――
「あたしは、佐々木さんを掛け替えのない友達だと思っています! 組織とか神様とか関係ありません! その友達が泣いているのに、飄々と誤魔化すあなたを許すわけにはいきません!」
女の言葉に、男は再び言葉を失った。そして。
「……すまない。ちょっと、あいつと言い合いになってな。少しきついことを言ったかも知れない。許してくれ」
「あたしじゃなくて、佐々木さんに謝ってください!」
「ああ、分かったよ。それより、ほら」
「……え?」
「お前ずぶ濡れだ」
やや照れくさそうに男が差し出したのは、ハンカチ。女はあまりにも熱中していたため、庇から漏れる雨にも気づかず、ずっと演説をしていたのだ。おかげで体中びっしょりである。
「あ、ああ……すみません。ありがとうございます」
女もやや照れくさそうにハンカチを受け取り、頭と肩、そして自慢の二房の髪に残る剰余水分を拭った。
「ちゃんと涙も拭けよ。雨で隠そうたって無駄だ」
「な……! 泣いてなんかいません! 何を言ってるんですか!」
「ははは、じゃあそう言うことにしといてやる。それより元の世界に戻してくれ。今からあいつに謝ってくるからよ」
「むう……まあいいです。そう言うことなら帰りましょう。でも、帰ったらちゃんと謝ってくださいね」
「ああ。速攻あいつの家まで行ってやる」
先程までの怒りもどこへやら。女はやおら丸くなって、対照的に笑みを見せた。
男を通常空間へと戻したあと、女は再びこの空間にやってきた。
「でも……泣いてるの何で分かったんだろう? ハンカチを渡されたとき、ドキッとしちゃった。普段は全くそんなことないのに突然優しいところを見せるんだもの。佐々木さんが惹かれるのも分かる気がする……ちょっと、妬けるな」
女はそう零しながら、太陽のないモノトーンの雨空がいつ晴れるか……男が有言実行するのを、今か今かと待ちわびていた。
「でも……泣いてるの何で分かったんだろう? ハンカチを渡されたとき、ドキッとしちゃった。普段は全くそんなことないのに突然優しいところを見せるんだもの。佐々木さんが惹かれるのも分かる気がする……ちょっと、妬けるな」
女はそう零しながら、太陽のないモノトーンの雨空がいつ晴れるか……男が有言実行するのを、今か今かと待ちわびていた。