同盟名 |
盟主 |
スタンス |
目的 |
盟主の役割 |
【サイコ】 |
ジョーカー |
自由 |
平和同盟の阻止、自由に楽しむ |
同盟戦争時の最高指揮官のみに限定 |
詳細
我々は集団生活において常に自我を抑圧し折り合いをつけている。
抑圧された自我は集団生活において、効果的に集団として働くために必要不可欠なものであるということは言うまでもない。
これは箱庭において「同盟」という集団も同じである。「同盟」は箱庭において生き残る手段の一つとして自然形成された共同体である。
「同盟」は互いに協力し合う事によって合理的かつ長期的に生き残る事を可能とした素晴らしい手段である。
しかし、同時に「同盟」の指揮者である「盟主」を中心とした共同体の形成により「同盟員」は共同体を維持しようと自我を抑圧し過ぎるあまりに、
いつしか「盟主」の戦力に過ぎなくなってしまった。そればかりか「盟主」も「同盟」の存続を意識するようになり戦争を放棄してしまった。
それの成れの果てが「平和同盟」である。「平和同盟」は自由戦争系の箱庭に生み出された一番つまらない要素である。
自己の島の存続を考えるがあまり、戦争を放棄し己の島や同盟を乱すものは何人たりとも許さないず只々島を発展させるだけの同盟である。
しかし、あくまでも
無法地帯の箱庭は平和系ではない。戦争を適度に或いは多くやりたい人にとっては失望を禁じ得ない状況を生み出してしまうのだ。
先ず、我が同盟はこの「平和同盟」を監視・破壊することが大きな目的である。
しかし、問題は「平和同盟」だけではない。「同盟」自身もやや問題がある。
「同盟」は前述の通り「ひとつの手段」だった。しかし「同盟」の合理性より、島の寿命=所属する同盟の強さになってしまった。
それは、純粋に1島が1島に逆らえなくなった事を意味する。すると必然的に「同盟」が「一つの手段」から「常套手段」に変貌していったのだ。
「常套手段」となった「同盟」は同時にゲーム内においても自我を抑圧することを強いられる。
私は問う。ゲーム内でも現実と同じようにしなくてはならないのか?
そして私はここに宣言する。
自己を抑圧せずに所属できる同盟を作ると。
言い換えれば
盟主も存在せず自由奔放、もし同盟戦争になったらそこで始めて同盟として集団戦争ををする。
私はそんな同盟を作るとここに宣言しよう。
最終更新:2014年08月03日 23:53