新生人工言語論
作り方の流れ+α
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☆以下は少し専門用語が混じるので、読み飛ばして構いません。
人工言語作成の過程は言語学の潮流に似ている。
古めかしい分け方だが、生成と認知を2大派閥とすると、言語学は生成から認知に流れてきた。
一昔前は生成一色に近かったが、最近は認知がトレンドになってきている。生成は主に文法を扱う。
パラメータ理論のころが最も言語類型論や言語普遍性と距離が近く、人工言語作成に有益だった。
人工言語の作者はまず文法から作るものだ。語彙や語法から拡充させることはないだろう。
したがって生成を学んで――特に言語普遍性と言語類型論を学んで――文法作りに役立てると良い。
古めかしい分け方だが、生成と認知を2大派閥とすると、言語学は生成から認知に流れてきた。
一昔前は生成一色に近かったが、最近は認知がトレンドになってきている。生成は主に文法を扱う。
パラメータ理論のころが最も言語類型論や言語普遍性と距離が近く、人工言語作成に有益だった。
人工言語の作者はまず文法から作るものだ。語彙や語法から拡充させることはないだろう。
したがって生成を学んで――特に言語普遍性と言語類型論を学んで――文法作りに役立てると良い。
参考文献
B・コムリー(1992)『言語普遍性と言語類型論』ひつじ書房
C・アジェージュ(1990)『言語構造と普遍性』白水社
B・コムリー(1992)『言語普遍性と言語類型論』ひつじ書房
C・アジェージュ(1990)『言語構造と普遍性』白水社
これらは文法を作る際に非常に役立つ。一通り読んでおけば様々なタイプの言語を構築することができるだろう。
コムリーの特に語順に関しては異論がある。このサイトでは彼の理論に反した内容を書いている。
本が全て正しいわけではない。しかし読者は基本的に本を信用すべきだ。何せ出版社が目を通しているのだから。
コムリーの特に語順に関しては異論がある。このサイトでは彼の理論に反した内容を書いている。
本が全て正しいわけではない。しかし読者は基本的に本を信用すべきだ。何せ出版社が目を通しているのだから。
言語学関連の文献に人工言語が登場することはまずない。
当然、言語の作者にとって言語学の大半の本は役に立たない。
本に書いてあるデータを流用して役立たせる以外、我々にとって言語学書に価値はない。
当然、言語の作者にとって言語学の大半の本は役に立たない。
本に書いてあるデータを流用して役立たせる以外、我々にとって言語学書に価値はない。
ところが中には人工言語について触れている本もある。実はこのコムリーがそうだ。
コムリーは何度か人工言語という言葉を用いている。ただし、エスペラントなどを挙げはしない。研究型として挙げているだけだ。
概して人工言語を口にする本は作者にとって有益だ。というのも言語作りに直結した情報をくれるからだ。
コムリーは何度か人工言語という言葉を用いている。ただし、エスペラントなどを挙げはしない。研究型として挙げているだけだ。
概して人工言語を口にする本は作者にとって有益だ。というのも言語作りに直結した情報をくれるからだ。
基本的に人工言語に近い分野の本を読むと、効率良くデータを得られる。
人というのは繋がっているもので、人工言語とその近辺の分野の著者・訳者を見ると面白いことが分かる。
人というのは繋がっているもので、人工言語とその近辺の分野の著者・訳者を見ると面白いことが分かる。
アジェージュの訳者は東郷雄二だが、氏は人工言語についてコラムを「言語」に載せている。
人工言語と言語の構造・普遍性が近縁だという証拠だ。
更にアジェージュは『言語の夢想者』を書いたMヤグェーロと関連がある。
人工言語と言語の構造・普遍性が近縁だという証拠だ。
更にアジェージュは『言語の夢想者』を書いたMヤグェーロと関連がある。
こういう人間同士の繋がりを知っておくと、本を選ぶ際に役立つ。
言語学書は大抵高い。1冊5000円とかザラだ。
そのくせ言語の作者にとって有益となるデータは端々にしか現われない。
したがってたくさんの言語学の分野の本を買うハメになる。
読者は大学生前後が多いだろうから、経済的な障害が付きまとう。
そこで、効率の良いデータ探しが重要視される。
言語学書は大抵高い。1冊5000円とかザラだ。
そのくせ言語の作者にとって有益となるデータは端々にしか現われない。
したがってたくさんの言語学の分野の本を買うハメになる。
読者は大学生前後が多いだろうから、経済的な障害が付きまとう。
そこで、効率の良いデータ探しが重要視される。
さて、そうして生成を学んで文法を作ったら言語の骨子はできあがる。
だが語彙や語法がなければ言語とは呼べない。生成はこの時点で限界だ。
語法や語義を決めるには人間が概念をどう捉えているかとか、比喩能力をどう言語の経済性に結び付けているかなどを知る必要がある。
そうなると生成は用済みで、認知に周ることになる。
だが語彙や語法がなければ言語とは呼べない。生成はこの時点で限界だ。
語法や語義を決めるには人間が概念をどう捉えているかとか、比喩能力をどう言語の経済性に結び付けているかなどを知る必要がある。
そうなると生成は用済みで、認知に周ることになる。
こうしてみると将に言語学が歩んできた潮流を模倣しているかのようで面白い。
言語学の潮流が言語作成の手順に合致するのは偶然だろうか。
いや、私は言語学者も自然言語を分析する際、言語の作者と同じようにまずは言語の骨子が目に入ったのではないかと思う。
そうして先に文法が研究され、言語の骨子が分かるにつれて他の分野の問題が目に入ってきたのだろう。
大きな言語学の潮流を見ていると、そう思わざるをえない。群小な分野では逆の流れもあったけど。
言語学の潮流が言語作成の手順に合致するのは偶然だろうか。
いや、私は言語学者も自然言語を分析する際、言語の作者と同じようにまずは言語の骨子が目に入ったのではないかと思う。
そうして先に文法が研究され、言語の骨子が分かるにつれて他の分野の問題が目に入ってきたのだろう。
大きな言語学の潮流を見ていると、そう思わざるをえない。群小な分野では逆の流れもあったけど。