ラノロワ・オルタレイション @ ウィキ
ラスト・エスコート (前編)
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ラスト・エスコート (前編) ◆MjBTB/MO3I
調査中。調査中。調査中。
僕、黒桐幹也が温泉施設の調査を開始したのは、姫路さんと出会ってからすぐだった。
今は独り。どうしても入りたくないということらしかったので、彼女は入り口に残している。
無理もない。魔窟としか思えぬ"ここ"で彼女に何かがあったのだということは確実なのだ。
きっと入り口で立っているだけで精一杯なんだろう。
今は独り。どうしても入りたくないということらしかったので、彼女は入り口に残している。
無理もない。魔窟としか思えぬ"ここ"で彼女に何かがあったのだということは確実なのだ。
きっと入り口で立っているだけで精一杯なんだろう。
だから孤独に調査する。混乱の極みにいた彼女を置いて、独りで。
さながら探偵気取りだ。以前に橙子さんが言ったからかい混じりの言葉を思い出す。
確か……。
さながら探偵気取りだ。以前に橙子さんが言ったからかい混じりの言葉を思い出す。
確か……。
『……黒桐、本気で探偵でもやってみないか? すごく受けるぞ、きっと』
こんな感じだった気がする。ああ、そうだ、間違いない。こうだ。
けれど今は周りに何と言われようとも"調べる"しかない。
それが今の自分の精一杯なのだから。
けれど今は周りに何と言われようとも"調べる"しかない。
それが今の自分の精一杯なのだから。
「で、これか……」
見つけたのは、死体二つと鷹の骸。そして不気味に切り裂かれたマネキンが一つ。
派手に争った形勢が無いのは"被害者が抵抗しなかった"のか、それとも"抵抗出来なかった"のか。
真実は定かではない。定かではないからこそ、少しばかり恐怖が表れる。
「橙子さんがいればよかったんだけれど……」とつい呟く僕の胸には、一抹の不安と不満が。
これが警察や本物の名探偵ならば、全てが簡単に解決するのかもしれないけれど、如何せん自分は一般人。
"普通"であるから、現状のこの奇妙な状況を見る"だけ"では――――謎は謎のままだ。
派手に争った形勢が無いのは"被害者が抵抗しなかった"のか、それとも"抵抗出来なかった"のか。
真実は定かではない。定かではないからこそ、少しばかり恐怖が表れる。
「橙子さんがいればよかったんだけれど……」とつい呟く僕の胸には、一抹の不安と不満が。
これが警察や本物の名探偵ならば、全てが簡単に解決するのかもしれないけれど、如何せん自分は一般人。
"普通"であるから、現状のこの奇妙な状況を見る"だけ"では――――謎は謎のままだ。
「……まったく」
腹立たしい、と心底そう思う。
いつこもうだ。自分が暢気にしている間に、全てが恐ろしい方向へと進んでいく。
勿論それを防ぐ為にも自分は様々な調査を独自に行ってはいるが、それでも速さが足りないのが常だ。
気付いたときには何もかもが遅すぎる。様々なものが及び知らぬところで進んでいる。
それは"生き残りを命じられ、こんな場所にいる今この時"こそがその証明になっていた。
いつこもうだ。自分が暢気にしている間に、全てが恐ろしい方向へと進んでいく。
勿論それを防ぐ為にも自分は様々な調査を独自に行ってはいるが、それでも速さが足りないのが常だ。
気付いたときには何もかもが遅すぎる。様々なものが及び知らぬところで進んでいる。
それは"生き残りを命じられ、こんな場所にいる今この時"こそがその証明になっていた。
「……駄目だ。今は諦めよう」
遅すぎたからこそ、何が起きたかは現場を見ただけで理解することは出来なかった。
屍や大量の血などといった、視覚的にも辛い現状を眺めるだけ眺めても、何も起こることは無い。
やはり、ここは姫路さん本人に全てを教えてもらうしかないのだろう。
――――けれど、今の彼女には何を訊いても無駄だろう。
というよりも、今の彼女に対して何が起きたのかを訊くのは良心が痛む。
屍や大量の血などといった、視覚的にも辛い現状を眺めるだけ眺めても、何も起こることは無い。
やはり、ここは姫路さん本人に全てを教えてもらうしかないのだろう。
――――けれど、今の彼女には何を訊いても無駄だろう。
というよりも、今の彼女に対して何が起きたのかを訊くのは良心が痛む。
何せ、酷かった。
彼女は精神的な傷を負ったようで、まともに喋れる状態じゃあない。
それどころか目の焦点が合わさっておらず、表情も虚ろだった。
何かを尋ねても震えるだけ。この施設に入ろうとしたときは、首を横に激しく振って嫌がるばかり。
時間をかけてようやく搾り出したのは、彼女の名前が"姫路瑞希"である事だけ。
つまり、そんな境地に追い込まれる程に、ここで起きた出来事は酷いものだったということだ。
だとすれば、安易に尋ねるのは正道に反すると確信出来る。間違いなく、拙い。
今すぐに犯人が特定出来ない事や、真相に辿り付けない事には悔しさを覚えるけれど、仕方が無い。
今は彼女の精神状態の安定が優先だ。
彼女は精神的な傷を負ったようで、まともに喋れる状態じゃあない。
それどころか目の焦点が合わさっておらず、表情も虚ろだった。
何かを尋ねても震えるだけ。この施設に入ろうとしたときは、首を横に激しく振って嫌がるばかり。
時間をかけてようやく搾り出したのは、彼女の名前が"姫路瑞希"である事だけ。
つまり、そんな境地に追い込まれる程に、ここで起きた出来事は酷いものだったということだ。
だとすれば、安易に尋ねるのは正道に反すると確信出来る。間違いなく、拙い。
今すぐに犯人が特定出来ない事や、真相に辿り付けない事には悔しさを覚えるけれど、仕方が無い。
今は彼女の精神状態の安定が優先だ。
「……」
無意識にだったのだろう、気付かぬ内に僕は無言で拳を握り締めていた。
目の前の現実に反撃の拳を繰り出すかのように、硬く、強く。
そうだ。この世界で自身の求めるものを手に入れるためには、拳も想いも硬くなければならないのだろう。
必要なのだ。護る為の、力が。
目の前の現実に反撃の拳を繰り出すかのように、硬く、強く。
そうだ。この世界で自身の求めるものを手に入れるためには、拳も想いも硬くなければならないのだろう。
必要なのだ。護る為の、力が。
「結局、またこんな道だ」
そう。僕は結局、またも同じ道を歩き出そうとしていた。
及び知らぬ場所で"何かをされた"姫路さんを保護したとき、"必ずや吉田さんの二の舞にはさせぬよう勤めよう"と考えたのだ。
自分独りの力では護りきれなかった彼女の、その最期の言葉が封じ込められたレコーダーは、未だ再生する事は出来ない。
事実を確認出来る程、己の力と心は急激な成長を迎えたわけじゃあない。今でも、弱いままだ。
生き残りをかけた"ゲーム"開始から数時間。僕は、"黒桐幹也は未だ何も成し遂げてはいない"。
それでも。実績は無くとも、自身のその望みだけは叶えたい――――せめて、今度こそは。
及び知らぬ場所で"何かをされた"姫路さんを保護したとき、"必ずや吉田さんの二の舞にはさせぬよう勤めよう"と考えたのだ。
自分独りの力では護りきれなかった彼女の、その最期の言葉が封じ込められたレコーダーは、未だ再生する事は出来ない。
事実を確認出来る程、己の力と心は急激な成長を迎えたわけじゃあない。今でも、弱いままだ。
生き残りをかけた"ゲーム"開始から数時間。僕は、"黒桐幹也は未だ何も成し遂げてはいない"。
それでも。実績は無くとも、自身のその望みだけは叶えたい――――せめて、今度こそは。
だけど、このような凄惨な状況を生み出す人間がいるとなると、不安要素は更に増える。
増えたのは何に対しての不安か。答えは簡単、身内に対してだ。
あの"白純里緒"以外にこの様なことが出来る人間がいるとすれば、事態は悪化の一途を辿っていると言わざるを得ない。
式達がただで死ぬことは決して無いとは思うけれど、それでも面倒なことになっているのは確かだ。
状況が状況、場所が場所だ。どこで何が起こっても、決しておかしくは無い。
増えたのは何に対しての不安か。答えは簡単、身内に対してだ。
あの"白純里緒"以外にこの様なことが出来る人間がいるとすれば、事態は悪化の一途を辿っていると言わざるを得ない。
式達がただで死ぬことは決して無いとは思うけれど、それでも面倒なことになっているのは確かだ。
状況が状況、場所が場所だ。どこで何が起こっても、決しておかしくは無い。
どうしても今は、"もしも"を考えてしまう。
例えば"もしも式が強力な力を持った危険人物と出会ったら"といった具合にだ。
自分の周りの人間はそんなものに簡単に屈しないとは思うし、そう信じたい。
だが不安を隠しきれない自分がいる。それは間違いない。
例えば"もしも式が強力な力を持った危険人物と出会ったら"といった具合にだ。
自分の周りの人間はそんなものに簡単に屈しないとは思うし、そう信じたい。
だが不安を隠しきれない自分がいる。それは間違いない。
更に、自分は再び茨の道を選ぼうとしている最中だ。
僕は馬鹿な男だけれど、この状況下で二束の草鞋を履くことでどのような危険が付き纏うのかだけは既に理解している。
下手を打てば全てを失い尽くすことになるだろう。全てを取りこぼした挙句、自身の命さえも落とす、そんな未来が見える。
別に自分は"未来を視ることが出来る魔眼"を持っている"わけではない"けれど、それ位の事ならばありありと想像できるのだ。
しかし、そんな未来へとただただひた走ることだけは許されない。
姫路さんを、そして未だ再会出来ぬ式達を第二の吉田さんにはしたくはない。
それだけは、それだけは絶対に、回避しなくてはならないんだ。
僕は馬鹿な男だけれど、この状況下で二束の草鞋を履くことでどのような危険が付き纏うのかだけは既に理解している。
下手を打てば全てを失い尽くすことになるだろう。全てを取りこぼした挙句、自身の命さえも落とす、そんな未来が見える。
別に自分は"未来を視ることが出来る魔眼"を持っている"わけではない"けれど、それ位の事ならばありありと想像できるのだ。
しかし、そんな未来へとただただひた走ることだけは許されない。
姫路さんを、そして未だ再会出来ぬ式達を第二の吉田さんにはしたくはない。
それだけは、それだけは絶対に、回避しなくてはならないんだ。
その為の力を求めた僕は――――袋から武器を取り出した。力を形として見ておきたかった、それだけだ。
相変わらず今の自分では抜けそうに無い刀に、相変わらず今の自分では聴けそうに無いボイスレコーダー。
僕の袋の中に入っていた武器はこの程度。まるで"それらを扱う事が出来ない"事を"それら自身に笑われている"様だ。
――――でもそんなものはとんだ被害妄想だ。ありもしない嘲笑を一蹴して、僕は元の袋に戻す。
そしてその手はそのまま、血塗られた真紅の袋へと伸びた。そう、それは吉田さんの遺品――――彼女のデイパックだ。
相変わらず今の自分では抜けそうに無い刀に、相変わらず今の自分では聴けそうに無いボイスレコーダー。
僕の袋の中に入っていた武器はこの程度。まるで"それらを扱う事が出来ない"事を"それら自身に笑われている"様だ。
――――でもそんなものはとんだ被害妄想だ。ありもしない嘲笑を一蹴して、僕は元の袋に戻す。
そしてその手はそのまま、血塗られた真紅の袋へと伸びた。そう、それは吉田さんの遺品――――彼女のデイパックだ。
その中から僕は一つ、この凄惨な場に似合い過ぎる物体を取り出した。
右手には、斧の様な形をした武器が在る。その名はブッチャーナイフ。精肉業者が用いる仕事用具だ。
肉を叩き斬る為の野蛮な形のソレは、この場には似合えども――――本来の持ち主の持つ穏やかな雰囲気には似合わなかった。
吉田さんが生きていたならば、こんなものを持って自分と共に走り回ることになっていたのだろうか。まるで想像出来ない。
それに結局あの現場では、彼女がこの武器を使って争った形跡は全く見られなかった。
このナイフは彼女の手に渡りながらも、結局は未だ他人の血を啜ってはいない、というわけだ。
彼女は最期まで無抵抗を貫いたと言うことだろうか。それとも、抵抗する間もなく殺されてしまったか。
これは温泉施設の謎に通じるものがあるけれど、優しかった彼女のことだ――――前者だろうと、なんとなく思う。
右手には、斧の様な形をした武器が在る。その名はブッチャーナイフ。精肉業者が用いる仕事用具だ。
肉を叩き斬る為の野蛮な形のソレは、この場には似合えども――――本来の持ち主の持つ穏やかな雰囲気には似合わなかった。
吉田さんが生きていたならば、こんなものを持って自分と共に走り回ることになっていたのだろうか。まるで想像出来ない。
それに結局あの現場では、彼女がこの武器を使って争った形跡は全く見られなかった。
このナイフは彼女の手に渡りながらも、結局は未だ他人の血を啜ってはいない、というわけだ。
彼女は最期まで無抵抗を貫いたと言うことだろうか。それとも、抵抗する間もなく殺されてしまったか。
これは温泉施設の謎に通じるものがあるけれど、優しかった彼女のことだ――――前者だろうと、なんとなく思う。
そう。そう思うからこそ、彼女をそんな状況に追い込んでしまった自分が許せない。
武器は一応、ある。あの長すぎる刀の様な、自分の手に余るようなものじゃあない。
武器を持っていない彼女の代わりに戦う、その為の武器はこの手の中に存在している。
後は、これから実際にどう動くか。ただそれだけだ。
武器を持っていない彼女の代わりに戦う、その為の武器はこの手の中に存在している。
後は、これから実際にどう動くか。ただそれだけだ。
「……よし」
そろそろ戻ろう。姫路さんを独りで待たせているのだからもたもたしてはいられない。武器をしまって出口へと歩みを進める。
結局今回の謎は解けなかったけれど、いつか姫路さんが自分から話してくれることを祈ろう。そう願って調査を打ち切った。
結局今回の謎は解けなかったけれど、いつか姫路さんが自分から話してくれることを祈ろう。そう願って調査を打ち切った。
――――今度こそ、今を共に歩む少女を護りたい。
◇ ◇ ◇
黒桐幹也と名乗った彼が温泉施設の調査を開始してから、十数分は経過しただろうか。
それでも姫路瑞希は、未だ自分を捕らえる枷から開放されずにいた。
それでも姫路瑞希は、未だ自分を捕らえる枷から開放されずにいた。
枷とは即ち、恐怖である。
騒動の中で放り出された後に出会ったあの青年は、優しい人間だった。
裸で物言わぬままに放り出されていた自分を保護し、言葉を交わそうとしてくれた。
泣き喚く自分を、何も言わずに受け止めてくれた。そんな人。
それは理解している。黒桐幹也が自分に危害を加えなかったことを、姫路は理解している。
けれど、それが逆に怖い。その優しさは、今の彼女にとっては恐怖にしかならない。
どうして自分なんかに優しくするのか。朝倉涼子のように裏があるのではないのか。
今隣に立っているこの男の人が、隙在らば酷い事をするのではないかと、そう考えてしまう。
裸で物言わぬままに放り出されていた自分を保護し、言葉を交わそうとしてくれた。
泣き喚く自分を、何も言わずに受け止めてくれた。そんな人。
それは理解している。黒桐幹也が自分に危害を加えなかったことを、姫路は理解している。
けれど、それが逆に怖い。その優しさは、今の彼女にとっては恐怖にしかならない。
どうして自分なんかに優しくするのか。朝倉涼子のように裏があるのではないのか。
今隣に立っているこの男の人が、隙在らば酷い事をするのではないかと、そう考えてしまう。
朝倉涼子も最初は優しかった。温泉で風呂に入る直前までは、優しかったのだ。
だがそんな優しかった彼女は、他人が及び知らぬ場所で本性を剥き出しにし、襲い掛かってきた。
頭を、最後には首を掴まれ、挙句湯の中に沈められて殺されかかったのだ。
死に対する恐怖と朝倉涼子と言う人間に対する恐怖が、姫路を同時に責め立てる。
その恐怖はパニックとなり、更なる恐怖へと進化し、彼女の心を深く深く抉ることになった。
そうした様々な要因によって顕現された怖れが姫路瑞希の心を蝕んでいくのに、そう時間は掛からなかった。
彼女の瞳に写る世界は、畏怖を抱かざるを得ないものへと変化している。
体は震え、まともに身を動かすことも出来ない。体が動くならもう逃げてしまいたい。
逃げて、独りになって、それからどうするかは考えてはいないけれど。
恐怖は消えない。周りの全てが自分に対する敵のように思える。
だがそんな優しかった彼女は、他人が及び知らぬ場所で本性を剥き出しにし、襲い掛かってきた。
頭を、最後には首を掴まれ、挙句湯の中に沈められて殺されかかったのだ。
死に対する恐怖と朝倉涼子と言う人間に対する恐怖が、姫路を同時に責め立てる。
その恐怖はパニックとなり、更なる恐怖へと進化し、彼女の心を深く深く抉ることになった。
そうした様々な要因によって顕現された怖れが姫路瑞希の心を蝕んでいくのに、そう時間は掛からなかった。
彼女の瞳に写る世界は、畏怖を抱かざるを得ないものへと変化している。
体は震え、まともに身を動かすことも出来ない。体が動くならもう逃げてしまいたい。
逃げて、独りになって、それからどうするかは考えてはいないけれど。
恐怖は消えない。周りの全てが自分に対する敵のように思える。
もはや病だ。彼女をゆっくりと死刑台へと運ぶ、そんな病。
彼女を止められる者は、いるのだろうか。
彼女を止められる者は、いるのだろうか。
◇ ◇ ◇
温泉施設から退出した僕が最初にしたことは、姫路さんに温泉の浴衣と誰かの衣服を渡すことだった。
前者は施設で客が着る為の品。そして後者は女湯の脱衣所で見つけたものだ。彼女の物かもしれないと思って持ってきたのだ。
目の前に差し出されたそれを見た彼女は、最初は躊躇していたのだが、一寸の時間を置いてゆっくりと受け取ってくれた。
本人曰く「……こっちは、私の、です」とのこと。つまり後者の衣服は彼女の所有物だったわけだ。
ナイス僕……と思っていたけれど、それよりも今は、まともに喋ることが出来なかった彼女がそれを教えてくれたことに注目したい。
これは彼女が僅かにでも回復したという証なんだろうか。雀の涙ほどでも近づいてくれたのだろうか。そう考えて、いいんだろうか。
しかし相変わらず彼女は恐怖に身を蝕まれているようで、その立ち姿は未だ心許ない。正直危なっかしい。
下手に触れば粉々に砕け散ってしまいそうだ。虚無が浮かぶ瞳から察するに、彼女の心の壁を無くすにはまだ時間がかかりそうだ。
前者は施設で客が着る為の品。そして後者は女湯の脱衣所で見つけたものだ。彼女の物かもしれないと思って持ってきたのだ。
目の前に差し出されたそれを見た彼女は、最初は躊躇していたのだが、一寸の時間を置いてゆっくりと受け取ってくれた。
本人曰く「……こっちは、私の、です」とのこと。つまり後者の衣服は彼女の所有物だったわけだ。
ナイス僕……と思っていたけれど、それよりも今は、まともに喋ることが出来なかった彼女がそれを教えてくれたことに注目したい。
これは彼女が僅かにでも回復したという証なんだろうか。雀の涙ほどでも近づいてくれたのだろうか。そう考えて、いいんだろうか。
しかし相変わらず彼女は恐怖に身を蝕まれているようで、その立ち姿は未だ心許ない。正直危なっかしい。
下手に触れば粉々に砕け散ってしまいそうだ。虚無が浮かぶ瞳から察するに、彼女の心の壁を無くすにはまだ時間がかかりそうだ。
(余程、酷い目に合わされたんだな……)
犯人だけは解らなかったものの、それでも彼女が疲弊の一途を辿っていることは明白だ。
しつこいようだけれど、そんな状態の彼女に対して何があったのかを単刀直入に尋ねるのは愚の骨頂だ。
心に傷を負っている者を追い立てる行為だけは避けたい。だが、そうなるとどうすればいいのか。
このまま自分と行動を共にする"だけ"では、きっと彼女は何も変わらないだろう。
僕としても、可愛らしい女の子のそんな姿を見るのは辛い。だから。
しつこいようだけれど、そんな状態の彼女に対して何があったのかを単刀直入に尋ねるのは愚の骨頂だ。
心に傷を負っている者を追い立てる行為だけは避けたい。だが、そうなるとどうすればいいのか。
このまま自分と行動を共にする"だけ"では、きっと彼女は何も変わらないだろう。
僕としても、可愛らしい女の子のそんな姿を見るのは辛い。だから。
「少し……お話をしようか。僕のこと、僕の身の回りのこと、色んな事を、さ」
「…………おはな、し?」
「そう、お話。無理なら相槌を打たなくても良いから、少しだけ。ああ、その前に服を着るのが先か」
「…………良い、です」
「…………おはな、し?」
「そう、お話。無理なら相槌を打たなくても良いから、少しだけ。ああ、その前に服を着るのが先か」
「…………良い、です」
着替えが先とは思ったものの、彼女が乗り気になっている内に話を進めようと、僕は壁に背を凭れて話を始めた。
彼女が未だ恐怖に囚われているというならば、自分が助ければ良い。そう判断したから。
まずこの凄惨な状況で放り出された彼女はきっと、否、確実に他の人間を現在進行形で怖がっている。
彼女にとって危険な存在であると繰り返し言ったところで、彼女が完全に心を開いてくれることはないだろう。
だから事態を解消する為に――――このような手を打つ。一方的にでも話をすることにする。
彼女が未だ恐怖に囚われているというならば、自分が助ければ良い。そう判断したから。
まずこの凄惨な状況で放り出された彼女はきっと、否、確実に他の人間を現在進行形で怖がっている。
彼女にとって危険な存在であると繰り返し言ったところで、彼女が完全に心を開いてくれることはないだろう。
だから事態を解消する為に――――このような手を打つ。一方的にでも話をすることにする。
(これで、少し落ち着いてくれれば良いけれど……)
僕が話題にしたのは、やっぱり周りに住む奇妙な人間達のことだった。というかそれくらいしかなかった。
どこか世間ずれしているような恋人、物知り中の物知りで話の長い上司、最近態度が妙におかしい気がする妹など。
物事から恐怖を感じ取っている少女に対する話題としては、少々パンチが効きすぎただろうかと少し危惧しつつ。
けれど現状、しつこいようだけれど話題はこれくらいしかないんだ。許して欲しい。
――――少なくとも、ここに来てから起こった事件については、今は喋る気にはなれなかった。
それに彼女もそれを望んではいないだろう。余計に不安を倍増させるだけだ。
だから、今はただ平和そうな話をするだけだ。
どこか世間ずれしているような恋人、物知り中の物知りで話の長い上司、最近態度が妙におかしい気がする妹など。
物事から恐怖を感じ取っている少女に対する話題としては、少々パンチが効きすぎただろうかと少し危惧しつつ。
けれど現状、しつこいようだけれど話題はこれくらいしかないんだ。許して欲しい。
――――少なくとも、ここに来てから起こった事件については、今は喋る気にはなれなかった。
それに彼女もそれを望んではいないだろう。余計に不安を倍増させるだけだ。
だから、今はただ平和そうな話をするだけだ。
「で、その僕の上司で蒼崎橙子って人がいるんだけど……いやもう本当に話が長いんだよあの人。
校長先生かってくらい饒舌でね。もうちょっと色々と整理してから話してくれれば良いのにさ。
でも橙子さんはただ話が長い人って訳じゃなくて、凄いんだよ。色々と物知りだしね。
それに実は魔…………あ、これは言っては駄目なんだったな。ごめん、忘れて欲しい。
まあとにかく、色々と多趣味なんだよ……見ていて飽きない人さ。君に実際に見せてあげたいくらいに」
校長先生かってくらい饒舌でね。もうちょっと色々と整理してから話してくれれば良いのにさ。
でも橙子さんはただ話が長い人って訳じゃなくて、凄いんだよ。色々と物知りだしね。
それに実は魔…………あ、これは言っては駄目なんだったな。ごめん、忘れて欲しい。
まあとにかく、色々と多趣味なんだよ……見ていて飽きない人さ。君に実際に見せてあげたいくらいに」
橙子さんの話を長いとは言ったが、今の僕も相当だ。けれど反応は少ない。
話題そのものに対して好感触ではないのか、それとも信頼されていないのか。
勝手に話題にされた橙子さんにも申し訳ないけれど、前者の要因もあるとは思う。
いや、けれどそれでもやはり、信頼されていない線が濃厚なのだろう。
こうして話している間、彼女は渡された服を着用しようとするどころか地面に放置して触ろうとしなかった。
自分の服だというのに、普通ならばこれは不可解だ。普通の状況、ならば。
話題そのものに対して好感触ではないのか、それとも信頼されていないのか。
勝手に話題にされた橙子さんにも申し訳ないけれど、前者の要因もあるとは思う。
いや、けれどそれでもやはり、信頼されていない線が濃厚なのだろう。
こうして話している間、彼女は渡された服を着用しようとするどころか地面に放置して触ろうとしなかった。
自分の服だというのに、普通ならばこれは不可解だ。普通の状況、ならば。
嗚呼、やはり心の壁が分厚いことを実感できる。
だが今すぐにと焦らなくとも良い、とも思う。言ってみればこれは長期的なリハビリだ。
心を抉らぬように少しずつ少しずつ距離を縮めていく。そうして、信頼関係を築く。
一気に距離を詰めて、その所為で台無しになっては元も子もない。
いつか自分にも微笑み返して欲しい。そう思うから――――僕は長期戦を選んだんだ。
だが今すぐにと焦らなくとも良い、とも思う。言ってみればこれは長期的なリハビリだ。
心を抉らぬように少しずつ少しずつ距離を縮めていく。そうして、信頼関係を築く。
一気に距離を詰めて、その所為で台無しになっては元も子もない。
いつか自分にも微笑み返して欲しい。そう思うから――――僕は長期戦を選んだんだ。
(僕は、吉田さんの影を追っているのか……?)
そんな時、こんな考えが押し寄せてきた。
ひょっとして自分は、姫路さんを助けることによって吉田さんの件に満足しようとしているんじゃないか。
失敗した自分を無かったことにする為、何も知らぬ被害者にすりよってリセットしようとしているんじゃないか。
一度失敗した計画にもう一度チャレンジしたいが為に姫路瑞希を利用しようとしているんじゃないか。
吉田さんの幻を、姫路さんに重ね合わせて。
まさか、僕は――――。
ひょっとして自分は、姫路さんを助けることによって吉田さんの件に満足しようとしているんじゃないか。
失敗した自分を無かったことにする為、何も知らぬ被害者にすりよってリセットしようとしているんじゃないか。
一度失敗した計画にもう一度チャレンジしたいが為に姫路瑞希を利用しようとしているんじゃないか。
吉田さんの幻を、姫路さんに重ね合わせて。
まさか、僕は――――。
(……なんて、ね。そんな馬鹿な。温泉での誓いを忘れたのか、僕は)
いや、違う。本当は気付いている。こんなものは違うと、確信している。
自分は周りの近しい人間を失うのが怖いから、こうしているだけなのだ。
我ながら自分は人並みに臆病であると思う。思っているから、何もかもを失いたくない。
誰かが死んでしまうのが怖いから、こうして姫路さんを護ろうとしている。
ただ、それだけ。
自分は周りの近しい人間を失うのが怖いから、こうしているだけなのだ。
我ながら自分は人並みに臆病であると思う。思っているから、何もかもを失いたくない。
誰かが死んでしまうのが怖いから、こうして姫路さんを護ろうとしている。
ただ、それだけ。
(どちらにしろ独善的かもしれない……けれど、"普通"はそうだ。それで、良いんだ)
どんなちっぽけな理由でもかまわない。
自分が悲劇に酔わなければ、他人を使ってどうこうしようなどと考えない限りはそれで良いんだ。
この少女を自分の慰めに使うつもりは無いのだから、それでいいじゃないか。
普通の人間だったら、誰かが死ぬのは嫌なものなんだ。
ただ、それだけ。
自分が悲劇に酔わなければ、他人を使ってどうこうしようなどと考えない限りはそれで良いんだ。
この少女を自分の慰めに使うつもりは無いのだから、それでいいじゃないか。
普通の人間だったら、誰かが死ぬのは嫌なものなんだ。
ただ、それだけ。
(だから、ただの"それだけ"の為に、僕はいくらでも時間を費やそう)
自分の隣に立つこんな可愛らしい少女が、苦悶の表情を浮かべて死に至るのは見たくない。
式達はきっと大丈夫だ。自分で自分のやるべきことを見つけ、成し遂げて見せるはず。
あの先輩については心配だけれど――――今の自分ではどうにもならない。
故に今はただ、自分自身が出来る事をするだけだ。自分が、出来る、事を。
式達はきっと大丈夫だ。自分で自分のやるべきことを見つけ、成し遂げて見せるはず。
あの先輩については心配だけれど――――今の自分ではどうにもならない。
故に今はただ、自分自身が出来る事をするだけだ。自分が、出来る、事を。
「……こく、とうさん」
そんな事を考えていた時。隣から聞き覚えのある声が聞こえた。
非常にか細い。元気を失った小鳥の様な、そんな危うさを秘めている。
声の主はやはり、姫路さんだ。
非常にか細い。元気を失った小鳥の様な、そんな危うさを秘めている。
声の主はやはり、姫路さんだ。
「何?」
「ごめん、なさい……」
「……何がだい?」
「ごめん、なさい……」
「……何がだい?」
今にも消えてしまいそうな声で、彼女は突然謝罪を始めた。
僕はどう反応するべきか少し迷ったけれど、このまま会話を続ける事にした。
一体何を謝ることがあるのだろうか、という思いもあったから。
そうすると、姫路さんはゆっくりと口を開き、続きを紡いだ。
僕はどう反応するべきか少し迷ったけれど、このまま会話を続ける事にした。
一体何を謝ることがあるのだろうか、という思いもあったから。
そうすると、姫路さんはゆっくりと口を開き、続きを紡いだ。
「私……貴方がっ、優しいって、わかってる、のに……」
「……のに?」
「……なの、に、怖くて……黒桐さん、優しいのに、怖いんです…………!」
「……え?」
「ごめんっ、なさい……っ! 嬉しいのにっ、私……」
「……のに?」
「……なの、に、怖くて……黒桐さん、優しいのに、怖いんです…………!」
「……え?」
「ごめんっ、なさい……っ! 嬉しいのにっ、私……」
ぼろぼろと、真珠の様な涙を流しながら、彼女は謝っていた。
涙と共に吐露されたのは、複雑な彼女の想い。そうか、君ももどかしい思いをしていたのか。
涙と共に吐露されたのは、複雑な彼女の想い。そうか、君ももどかしい思いをしていたのか。
信じたい。そう考えていたけれど、信じられない。
やはり怖がられていたのだ、僕は。
美しい無償の愛、とまでではなくとも――――何を求めるとでもなく近づいた相手に対して恐怖を感じたのだろう。
僕が彼女と出会うまでのあの短い時間で、何か恐ろしいトラウマでも生まれてしまっていたんだろうな。
それなら。
美しい無償の愛、とまでではなくとも――――何を求めるとでもなく近づいた相手に対して恐怖を感じたのだろう。
僕が彼女と出会うまでのあの短い時間で、何か恐ろしいトラウマでも生まれてしまっていたんだろうな。
それなら。
「……大丈夫だ。もう一度言うよ、君に危害は加えない。それは、絶対だ」
僕は、全てを否定してみせる。
彼女が抱いた恐怖を、彼女が抱いた想像を、その全てを砕こうと、その為に否定する。
「大丈夫だから。君の考える様な、怖い人間じゃあないよ」と、更に言葉を続けて。
彼女が抱いた恐怖を、彼女が抱いた想像を、その全てを砕こうと、その為に否定する。
「大丈夫だから。君の考える様な、怖い人間じゃあないよ」と、更に言葉を続けて。
「君の事を出来る限り護りたい。そして帰ろう。こんな街からは帰って、全部元通りにしよう。
君は君の大事な人達と再会して、僕も僕の大事な人達と再会して、全部終わり。それを、目指そう」
君は君の大事な人達と再会して、僕も僕の大事な人達と再会して、全部終わり。それを、目指そう」
簡単に言葉が届くとは、そうは思っていない。
けれどこれが自分の精一杯だ。今の自分が出来る事を、するだけ。
良かれと思ったことを正しいと信じ、行動に移すまでだ。
けれどこれが自分の精一杯だ。今の自分が出来る事を、するだけ。
良かれと思ったことを正しいと信じ、行動に移すまでだ。
「だから、本当にゆっくりで良い。ほんの少しずつで良いから……一歩一歩、僕に歩み寄ってくれれば良い。
君のペースで、歩いてきて欲しい。僕はいつでも手を広げて待っているから。だから、心配しないで、良いんだ」
君のペースで、歩いてきて欲しい。僕はいつでも手を広げて待っているから。だから、心配しないで、良いんだ」
それが、良い方向へと向いたのだろうか。
「……はい」
なんと、不安定で崩れそうだった彼女が、僕に返事をしてくれたのだ。
気のせいだろうか? 虚ろだった瞳には、少しずつ生気が戻ってきているようにも思えた。
恐怖に囚われていた表情はほんのりと薄れ、可愛らしいものへと戻ろうとしている。
それでも未だ彼女の本来の姿ではないのだろうとは容易く予測できるけれど――――これは大きな進歩だ。
気のせいだろうか? 虚ろだった瞳には、少しずつ生気が戻ってきているようにも思えた。
恐怖に囚われていた表情はほんのりと薄れ、可愛らしいものへと戻ろうとしている。
それでも未だ彼女の本来の姿ではないのだろうとは容易く予測できるけれど――――これは大きな進歩だ。
(やっぱりそうだ。人と人は通じ合えないわけがない……歩み寄れるんだ)
人と人とは歩み寄れる。今なら彼女を護りきれる。事態はきっと良い方向へと向かっていける。
これは驕りではなく、自信。妄信ではなく、決意。僕は一歩ステップアップ。そう確信出来る。
いまならやれる。彼女を護りきってみせる。ここまで出来たんだ、絶対にやる。やってみせる。
人類最悪とやらの思い通りにはさせない、と明確な反逆を唱える資格を意外にも早く得られたのだ!
これは驕りではなく、自信。妄信ではなく、決意。僕は一歩ステップアップ。そう確信出来る。
いまならやれる。彼女を護りきってみせる。ここまで出来たんだ、絶対にやる。やってみせる。
人類最悪とやらの思い通りにはさせない、と明確な反逆を唱える資格を意外にも早く得られたのだ!
「だから、行こう。僕達のペースで、少しずつでも良いんだ」
もうすぐ、夜が明ける。白んだ空を見上げながら、僕は姫路さんに語りかける。
思い描く理想の"いつか"へと彼女を導く為に。彼女の笑顔を取り戻すために。
姫路さんが、友達と笑って過ごせる日々を手に入れるために。
思い描く理想の"いつか"へと彼女を導く為に。彼女の笑顔を取り戻すために。
姫路さんが、友達と笑って過ごせる日々を手に入れるために。
「――――姫路さん」
名を呼ばれた少女が、こちらを向く。
式や鮮花、橙子さんとは違うタイプの可愛らしい顔立ちが、こちらを。
僕はその可憐な花の様な姿がまた闇に引きずり込まれぬようにと願い、
式や鮮花、橙子さんとは違うタイプの可愛らしい顔立ちが、こちらを。
僕はその可憐な花の様な姿がまた闇に引きずり込まれぬようにと願い、
「やっぱり落ち込んだ表情は似合わないな。君は笑った方が可愛らしいよ……皆、そう言うと思う」
視線にこう答え、なんとなく、片手をぽんと彼女の頭に乗せた。
すると、
◇ ◇ ◇
(後編へ)