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人違いメランコリー

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人違いメランコリー ◆02i16H59NY



【プロローグ】


 たしかアレはアルバート・アインシュタインだったと思うんだが、その言葉に、

 『 同じことを繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である 』
 Insanity is continuing the same behavior and expecting a different result.

 とかいう警句なんだかことわざなんだかよく分からない一言があって、なんでこの俺ことキョン(という名前で名簿に載っている人物)がこんな英語の原文も込みで暗誦できてしまうかと言えば、何を隠そうこの俺が相対性理論で有名なアインシュタインの大ファンだから、といった設定資料集の片隅に載ってはいたものの作者も忘れかけていたような枝葉末節な裏設定をこのたび本邦初公開、なんてわけではもちろんなく、ぶっちゃけ先に挙げたこのまんまの例文を英語の試験で使われたことがあるからさ。悔しくも恥ずかしいことに、その時には『 behavior 』の意味をド忘れして上手い訳が書けず、後から配られた模範解答を見ておいこらふざけるな、と思ったからよーく覚えている。てかそこで『こと』って日本語を当てるのは実際どうなんだ。あまりにファジィすぎるとは思わんかね。
 まあもっとも、俺だってこんなところで英語教師が間違った方向にオリジナリティを発揮した理不尽な問題に対する恨み言を延々愚痴るためだけにアインシュタインを持ちだしてきたわけでは決してない。文系の俺としては質量とエネルギーが本質的に同じものであることを簡単な数式で証明してみせた天才、などと言われてもあまりピンと来ない、つまり何がどう凄いんだかよくわからないお偉い歴史上の人物でしかないんだが、それでもこの人のこの一言が正しいってことは十数年あまりの乏しい人生経験に照らし合わせてみればちゃんと納得できてしまう。
 現役高校生らしく卑近な例を挙げてみれば、期末の試験で見事に赤点を取って、それでも「ヤマが外れただけだ」などとうそぶいて再試験まで遊んで過ごせば、そりゃヤマも何も関係なくまた赤点となってしまうのは必然というものだろう。異なる結果を期待するなら、同じことを繰り返さない――この場合はちゃんと勉強する――ことはどう考えても必要だ。わざわざノーベル賞取ったおっさんにベロンと舌を出されなくても、それくらいの真理を理解する頭は持ち合わせているのさ。アホの谷口じゃああるまいし。

 で、この有難いお言葉を今の俺に当てはめてみると、そういえばうんざりするほど同じパターンを繰り返してたんだよなあ、と再確認させられることしきりだったりする。
 場の展開に流されて、誰かの尻についていって、それでもって――いざコトが起こったら即座にトンズラ。
 もちろん俺にも言い分はある。まずなんといっても俺は荒事には無縁の平々凡々たる単なる高校生だ。殴り合いのケンカにすら縁遠いこの俺が、酔っ払ってはいても本職傭兵のミリタリーお姉さんだとか、中学生とはいえ古泉もびっくりなビリビリ放電超能力者だとかの本気の戦いで助けになれることなどあっただろうか。いやない(反語)。右往左往しつつ戦場に留まって無駄に流れ弾を喰らったり敵の盾にされたり人質にされちまったりする前に、負傷者を抱えてさっさとその場を離れたのはどう考えても正しい判断であったろう。むしろあの局面で早期撤退を決断した判断力を誰かに褒めてもらいたいくらいだ。我ながら古代ローマ式に市民冠の1つくらい贈呈されてもいい働きだったと思うね。
 他にも、間違っても全員で留まって全滅する愚を犯さないためだとか、負傷者の手当てを優先するのが当然だろうだとか、不幸にして相手を倒しきれなかった場合にも強敵の情報を次に繋げてリベンジを図るんだとか、あれやこれやと自己正当化の理由ならいくらでも挙げられるわけだ。後からウダウダと言い訳がましい奴だ、なんて思われてしまうのは俺の本意ではないのだが、しかし、こちらの判断にも一理どころか3つも4つも理があったことはわかってもらいたい。

 ……いやしかしこれは理に叶っていたからこそ、何度も似た行動を取ってしまった、ということなのかもしれないな。
 飽きもせず、同じパターンを繰り返していたのかもしれない。
 俺なんかよりはよほど戦闘向きだったとはいえ、うら若き女性に危険な殺人犯の相手を任せて逃げ出して、でも、そうやって抱えて逃げた仲間は手当ての余地も甲斐もなく、間もなく死亡。
 そんな嫌な展開を、アリソンさん、古泉と立て続けに演じてしまったのかもしれない。
 同情の余地もあるだろうが、反省の余地もたっぷりあるわけってだ。
 「じゃあどうすりゃ良かったんだ?」という話は別としてもな。

 って、なんでこんな後ろ向きなことを1人でグチグチと考えてるんだ、だって?
 そりゃまあ、あれだ。
 マオさんの時と違って、放送で呼ばれるのを待たずして――

 俺は、御坂美琴が「死んでいる」のを見つけちまったからさ。


【1】

 俺がその路地に辿りついたのは決して偶然でも幸運でもなく、ただ単に空を見上げたら見事に宙を舞う人間らしき影が見えてしまったからだった。

 もちろん俺1人だ。
 あの気障ったらしい笑みをもう二度と見せてくれることもないであろう古泉の身体は、多少迷った挙句、ちょうどその時近くにあった猫の額ほどの狭い公園の、粗末ながらも心地よさそうな木陰のベンチに横たえて置いてきた。
 本音を言えばどこまでもいっしょに連れて行ってやりたかったんだけどな。後ろ髪引かれる思いは当然あったよ。だが生憎と俺はそこまで腕力に恵まれちゃあいない。それどころか例の発条包帯(ハードテーピング)とかいうびっくり未来科学アイテムで外からドーピングしてるも同然の両足は既に筋肉痛でパンパンで、決して軽くはない男子高校生1人分の重量を担いで町内をねり歩く余裕は残念ながら残されちゃいなかったってわけだ。
 大体、アリソンさんの時だって俺は結局は諦めて「置いていった」のである。前々からの知り合いだからという理由で、古泉に対してだけ特別扱いするのはまずかろうよ。誰に対して言い訳してるのか俺にもわからんがね。
 流石に2人とも路上に放置するのは忍びなく、それぞれ手近なところで不快にならないだろう場所、直射日光や雨風を多少なりとも凌げそうな場所を見繕って寝かせてきたが、逆に言えば今の俺にできる配慮はその程度が限界でもある。
 そういえば、と今になって思う。
 このドラえもんの四次元ポケットさながらの摩訶不思議なデイパックを使えば、2人とも連れて歩く……もとい、持ち歩くこともできたのかね。しかし仮にできたとしても喜んで試していたかと問われれば首を捻ってしまう。程度はともあれ多少なりとも心を通わせた相手を、地図水食料コンパスその他、もろもろの物品と同等の「モノ」として扱うことに心理的抵抗を覚えてしまうのは善良なる小市民としては致し方のないことだろう。
 さらに言えば、ここで2人の身体を機内持ち込み手荷物扱いで肌身離さず持ち運んでみたところで、それは問題の先送りでしかない。
 つまり、おまえこの死体どーする気だ、ってね。
 この閉ざされた空間の中には、どうやら葬儀屋も居なければ坊主も居ないようだ(もっとも、神父とシスターならそれぞれ1人ずついるとも聞いたが)。だからってそこらに適当に穴掘って土葬で済ますってわけにも行くまいし、大体アリソンさんとかあの人の宗教は何だったんだろうな。まさか仏教とかヒンドゥー教とかブードゥー教とかってことはないとは思うが、金髪碧眼だから欧米人でキリスト教だろ、というのは短絡に過ぎるだろう。キリスト教だって一枚岩じゃないしな。
 何にせよ、下手なことはやらない方がいい気がしたわけだよ。
 それこそテレビゲームよろしく教会にでも運べば神父が怪しい呪文唱えて大金ブン取って死者を蘇生させてくれる、っていうなら俺も喜んでカンオケ引きずって筋肉痛にも耐えて歩き回るがね。どうやら「教会」と記された建物はあってもそんなご都合主義は待ってちゃくれないようだ。それどころかどこを探してもセーブポイントも復活の呪文も見つからないときてる。おいなんだよこのクソゲー。ちょっと開発責任者でてこい。澄まし顔で「仕様です」とでも答えようものなら、温厚なこの俺もパンチの1つくらいは喰らわせてやろうと思っているんだがね。

 ……と、そんな無駄な考察をアリソンさんの時にもしたよなあ、と古泉を残して歩き出して溜息ひとつ、青い空を見上げるともなく見上げて、そういえばいつかこの空を飛ぶとかいった約束もあったよな、でも実現するのは生きて帰れたとしてもいったい何年後になるのかね、とぼんやり口を半開きで呆けること数分、そういや警察署の方のゴタゴタはあれからどうなったんだろう――と振り返ったら、まさに絶妙のタイミングで人間大砲もかくやという勢いで空を飛ぶ小柄なシルエットが視界に入ってしまったというわけさ。
 距離があったのでわかり辛かったが、たぶん人間だろう。
 ここでわざわざ「たぶん」と断ったのは、それが遠目に見ても五体満足には見えなかったからだ。フィギュアスケートのなんだか凄い新技よろしく激いスピンで飛んでいく姿を正確に把握するのは難しかったが、どう数えてみても空中で振り回されてる四肢が三肢になってしまってる。少なくとも1本は不自然に短い。それだけの損傷を受けて頭部らしき部分が残っていたのは不幸中の幸いと言ったところか。
 で、これで本人の望まぬ空中散歩を強いられているその人物が、北高の見慣れたセーラー服に長い髪、つまり露骨なまでの敵対関係となった宇宙人・朝倉涼子だったなら拍手喝采大喝采、ってなるところだったんだがな。
 生憎と、ついさっきお近づきになったばかりのお嬢様学校(本人は冗談めかして言っていたが真実だろう)の制服姿だ。
 見えたのは一瞬ですぐに建物の影に隠れてしまったけれど、こりゃ流石に放ってはおけないだろうよ。一歩間違えれば追い討ちをかけにきた朝倉涼子御一行とこんにちわ、という危険もあるにはあったが、だからって見て見ぬフリを決め込むわけにもいくまい。俺はお世辞にも情に厚い方ではないが、それくらいの責任感ならかろうじてある。絶対戻って来い、なんて言い残して逃げちまった手前もあるしな。
 ま、あの様子じゃ、行ってみたところで何ができるかわからないけれどな。


【2】

 当初予想したよりも遠くまで吹っ飛ばされていたことと、無駄に入り組んで回り道を強いられた街並みのせいで、俺がそこに辿り着けたのは、はてあの光景はひょっとして俺の見間違い・心労の余りに見えた幻覚だったんじゃなかろうか、と真剣に悩み始めるくらいには時間を浪費した後のことだった。
 つまり、手遅れになるには十分過ぎるほどの時間、ということだ。半ば覚悟はしてたけどな。

「あー、…………この状態で大丈夫か、なんて言っても無意味なんだろうが……大丈夫、か?」

 自分でも間抜けかな、と思う俺の呼びかけに、反応する者はとりあえずいない。
 俺はゆっくりとあたりを見回してみる。

 さんさんと太陽の光が降り注いでいる、
 ゴミの臭いも大してしない、明るくて真っ直ぐ伸びているだけの裏路地に、
 既に乾き始めた、鉄錆の臭いのする赤黒いペンキがでたらめにぶちまけられていて、

 その終点、幼稚園児がでたらめにハサミで切り刻んだような有様のフェンスの前に、彼女が転がっていた。

 しつけのなってない子供がオモチャ箱を引っくり返したように、周囲には包帯や絆創膏や消毒液が散らばっていた。
 その中心、したたかに酔っ払って前後不覚に陥った金曜深夜のサラリーマンのように、だらしなく手足を投げ出して。
 彼女が、死んでいた。
 いや、死に掛けていた。
 もう間もなく――死のうとしていた。

「おい……御坂、しっかりしろ。いま病院、いや神社に、」

 俺は呼びかけながら、それでもゆっくりと近づいていった。
 まだ、彼女の胸はゆっくりと上下に動いている。
 まだ、呼吸はしている。
 まだ、生きている。
 まだ。
 今のところは、という限定つきで。
 しかし悲しいかな、アリソンさん、古泉と立て続けに人が死ぬのを看取ってしまった経験値は、もうここで何をどうしようと助かるものではないことを俺に理解させてしまっていた。
 この場に魔法使いでもいればまた違ったんだろうけどな。あるいはブラックジャックみたいな天才外科医とか。
 でも――俺じゃあな。

 途中でブチ切れて失われている左腕の端こそ、どういう手品を使ったのかキツく巻かれた針金によって乱暴に止血されているようだが、彼女がその身に受けた傷はそれ1つではない。細かい裂傷・創傷・擦過傷は数えるのもバカらしくなるほど身体中に刻まれているし、服に隠れて見えない部分にも大小さまざまに赤黒い染みを浮かび上がらせしまっている。
 大きく裂けた制服のシャツの胸元からは、中学生らしいささやかで控えめなブラジャー……ではなく、さらしのように何重にも巻いた包帯のようなものが覗いている。包帯の上には桜色の不思議な文字がぼんやりと光っていて、どうやらこれが少しだけ話に聞いた、ヴィルヘルミナとかいう神社で待ってる異世界超能力メイド戦士の治癒魔法(自在法とか言ってたか? まあ魔法みたいなものだろう)による「処置」だったらしい。ひょっとしたら今の今まで御坂がヒューヒューと聞いてるだけでも苦しくなってくるような呼吸をしていられたのもこの神秘のアイテムのお陰だったのかもしれないが、しかしその包帯は素人目に見ても深刻に思えるほどに赤く染まっていた。折れた肋骨が衝撃でさらにズレ、皮膚を突き破ってしまっているのだ。こうなると包帯に多少の不思議な力があろうと焼け石に水、回復する以上の勢いで血も体力も流れ出してしまうことだろう。また外側がこの有様なのだから肋骨の内側、つまり肺の方もズタズタになってしまっている可能性は高い。
 何より、顔色がヤバい。顔面蒼白を通り越して、これって何て表現すればいいんだろな。もう人間の顔色には見えねえよ。客の来ない閉鎖寸前の蝋人形館からこっそりパクってきた出来のいい人形か何かにしか思えない。そりゃ、あれだけ盛大に文字通りの意味での出血大サービスを繰り広げればこうなっちまってもおかしくないんだろうけど。
 よく知られている話だが、人間はその体内を流れる血の3分の1も失えば確実に失血死するという。ここで大事なのは、別に一箇所から一気に規定量の血を失うばかりが失血死の方法ではないということだ。身体中に刻まれた小さな傷から、それぞれ少量ずつ出血していったとしても、それが合計で一定ラインを超えたら死ぬ。どうしようもなく死ぬ。輸血とかしない限り死ぬ。
 柔道の試合ではないが、「合わせ技1本」というやつだ。一番大きな左腕からの出血を、なんとか縛って止めて「技あり」程度に留めたとしても、そこに「有効」やら「効果」やらに相当する怪我が山ほど積み重なればやっぱり勝負ありってことになっちまう。

 要するに。
 御坂美琴の容態は、どこからどう見ても、お手上げだった。

「ん……っ」
「御坂!? おい御坂! ビリビリ中学生! しっかりしろ!」

 それでも、俺の声が聞こえたのか気配を感じたのか、彼女はゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。
 ひょっとしたら、と思ったね。
 もちろん俺には今更こいつにしてやれるようなことは何ひとつ残っちゃいない。ゆっくり息を引き取る姿をただ見守るしかない状況下、凄まじい無力感を絶賛満喫中なわけなんだが、しかしこいつ自身に意識があるとしたら話は別だ。何と言ってもこの御坂は正真正銘の超能力者、それも超能力者養成の「虎の穴」たる「学園都市」にも7人しかいないという、「レベル5」を誇る「電撃使い」だ。いや聞いた話をそのまま並べてるだけの俺にもその凄さというのはアインシュタインの偉さ以上に理解しづらいものではあるんだが、少なくともこいつのパワーの凄さと応用性の広さはこの目でしっかり確認している。電気を操るだけの一芸しかないとか言ってた割に、放電はするわフェンスは捻じ曲げるわ、果てはみくるビームも裸足で逃げ出す威力の「超電磁砲(レールガン)」ときた。
 となれば、俺には想像もつかないような理系バリバリの応用と発展でもって、自分自身の身体を治せちまうんじゃないか。
 治しきれないまでも、騙し騙しなんとか「保たせて」、本格的な治療ができるまで持ちこたえてくれるんじゃないか。
 例えば超能力で電気と磁気を操って、赤血球の中の鉄を介して強引に流れる血を操作するだとかいった荒技で、多少なりとも何とかしちまうんじゃないか。
 ちょっとだけ、そんな風に期待したんだがね。

「あんた……遅いわよ」
「……すまん」
「なによ、あんた……そんな、しょげかえって……いつものツンツン頭まで、元気ないようじゃない……」
「別にしょげかえってるわけじゃな……って、え?」

 天を仰いで倒れた姿勢のまま、気だるそうな仕草で顔に張り付いた前髪を払うと――どうやら身体を起こすだけの気力もないようだ――、彼女は儚げに微笑んだ。
 意図の読めない独り言と、言いようのない違和感。俺は思わず、口をつぐむ。
 そして、彼女は、

「ほんと、遅いわよ……かみじょう、とうま」

 既に焦点の合ってない、というより曇りガラスのような質感の、もうまともには見えていないであろう目をこっちに向けて。
 夢見るような口調で、俺とは別の男の名を口にした。


【3】

 かみじょう、とうま。
 上条当麻
 なんか最近どこかで聞いた気がするな、と思って自分の拙い脳内メモリに検索をかけてみたら、他ならぬ目の前の御坂美琴から数時間前に聞いたばかりの名前だった。
 確か互いの事情を説明しあっている時に、彼女の知り合いの1人として挙げられていた。白井黒子とかいう女の子の名前と一緒にだ。どこかで会ったり噂を聞いたりしなかったと尋ねられた。もちろん俺の方にはそのどちらにも心当たりはない。その時は別段、ああこいつにも友達や仲間がいるんだな、くらいにしか思わなかったわけだが。

 果たしてこの俺と、その「上条当麻」とやらはそんなに似ているのだろうか。
 姿を見間違え、声を聞き間違えるほどに似ているというのだろうか。
 そんなわけはない。
 もしそうならコイツと初めて会った時にはもうちょっと違った反応があったはずだ。見たところ演技やポーカーフェイスが上手いタイプとも思えなかったし、またあの時にそういった演技をする理由は皆無だったろう。
 似ていたとしても、せいぜいが大体の背格好と、男子高校生という基本的なプロフィールくらいのものだろうよ。
 つまりは――今の彼女の五感は、その程度。
 人の声も聞き分けられず、人の姿もシルエット程度しか分からず、せいぜい判別できるのは男か女か、程度なんだろうさ。
 ついでに言えば、夢と現実、願望と実際の区別もついてるかどうか怪しいもんだね。

 そういう状況下で、彼女の所に駆けつけて当然――
 いや、是非とも駆けつけてきて欲しい奴ってのが、「上条当麻」ってことなんだろう。こいつにとっては。

 俺はその時、どんな表情をしてたんだろうね。
 幸か不幸か近くに鏡なんてなかったし、仮にあったりしたら丁度いい八つ当たりの標的として即座に叩き割ってたのは間違いないだろうさ。顔を見れる位置にいたのは御坂1人きりだが、その御坂に尋ねてみたところでロクに見えちゃいないんだから答えられるわけがない。
 ……答えられるわけがないんだが、俺の沈黙をどう受け取ったのか、彼女はガラス細工の造花のような危うくも透き通った微笑を浮かべて、囁いた。
 溺れる蟻だってもう少し大きな声で喋るだろうっていうくらいの、掠れきった声だった。

「なによ、アンタ……泣いてるの? らしく、ないわよ」

 泣いてねえ。なんでそんな愉快な勘違いができるんだ。
 いやほんと泣きたい気分ではあるけどな。大体なんでこの場に居合わせてるのが俺なんだ。本物の「上条当麻」はどこをほっつき歩いてやがる。こっちはこっちで、まだ古泉関係の心の整理もついちゃいないってのに。

「……? ごめん、よく聞こえない」

 聞こえないってことは、そりゃ聞かなくてもいいことだったんだろうよ。きっとな。
 それにしても、いったい何があったんだ。派手にバトって派手に負けたのは一目見りゃ分かるが、おまえのご自慢の超電磁砲(レールガン)とやらは通じなかったのかね。
 御坂は見るからに苦しそうに顔を歪めて苦笑した。

「その、自慢の超電磁砲を、朝倉ってやつに、跳ね返されちゃったのよ。こう、手を突き出して、ぽーん、って。
 まったく……やられたわ。安い挑発に乗っちゃった、私のミス、なんだけどさ」
「跳ね返した、ね。むしろ撃ち返した、って感じなのかな。なるほどそいつは災難だったな」

 反射……か。
 俺は声に出さずに呟いた。
 なるほど確かに、あの長門の同類たる朝倉涼子なら、それくらいのことはやらかしてもおかしくはない。
 十中八九、例の呪文のような早口言葉(?)の助けを得ていただろうとは思うんだが、逆にそれだけの準備の余裕さえあれば、あいつらは本当に「何でもできる」。連中に出来ないことってのは何なのか、俺のほうが教えて欲しいところだ。
 そんな相手に真正面から最大威力の超必殺技をブチ込んだこの御坂美琴も大概だが、しかし、朝倉涼子は人間心理という一点に限っては長門よりも数段上、という印象があるんだよな。おおかた、バッターボックスから真っ向勝負を挑むような素振りをしてみせておいて、頭に血の昇った投手が自慢の剛速球ど真ん中を投げてきてくれたのに合わせてジャストミート、だけど打者の狙いは最初からバックスクリーンではなくピッチャー返し、投手の側がそれに気づく間もあらばこそ、見事に思惑通りにピッチャー直撃・負傷退場の大惨事――てな流れだったのだろうよ。これが野球の試合ならスポーツマンシップに欠ける危険すぎるプレイとして警告の1つも飛ぶんだろうがね。
 いやはや。
 朝倉涼子は朝倉涼子で、どうやら「学習」して「成長」しているらしい。きっとロクでもない連中と付き合ってるせいだろう。
 少なくとも、俺が最初に殺されそうになった時にはこんな小知恵は使ってこなかった。いや、放課後の教室に呼び出した時のあの手口にその片鱗は垣間見えるけどさ。
 それにしたって、だよ。ただでさえ面倒な奴なのに、どんだけタチ悪くなってんだよ。
 俺は思わず溜息をついた。
 御坂もまた、吐息をついた。一息ごとに取り返しのつかないものが零れ去っていくような、そんな息の吐き方だった。

「ねえ……アンタに、後のこと全部任せちゃっていいかな?」
「……全部って、何をだ」
「黒子のこととか、あと、ここにはいないだろうけど……『妹』たちのこととか」

 妹なんていたのか、こいつ。パッと見た感じは一人っ子って印象なんだがね。黒子ってのは確か後輩だったよな。
 うん、まあ確かに、それはきっと「上条当麻」の仕事なんだろうな。俺が言うべきことでもないだろうがね。

「煮え切らない、言い方ねぇ……」
「悪かったな」
「まあ、いいわ。そーゆーとこは、もともと、アンタに期待してないし……ね」

 悪かったって言ってるだろう。
 てか「上条当麻」もそんなポジションなのか。まだ会っちゃいないが、どことなく共感を覚えてしまうのは気のせいなのかね。

「ねえ……」
「……なんだ?」
「あたし、さ」

 御坂は一言言いかけて、咳き込んだ。
 激しい咳と共に、赤い飛沫が散る。
 それが呼び水となったようで、どこにまだこんなに残していたんだ、という勢いで鮮血を吐く。壊れた蛇口のように垂れ流す。
 ゴフゴフと赤い泡を零す御坂は、このままじゃ自分の血で溺れてしまいそうだ。いやもうとっくに助からないにしても、あえてそんな苦しい終わり方をする必要はどこにもなかろうよ。俺は御坂の背中に手を回し、多少なりともラクだと思える姿勢をとらせてやる。俺の服もみるみる朱に染まっていくが、そんなのもう知ったこっちゃないね。とっくに古泉の血でクリーニングに出すのもバカらしい有様になってるわけだしな。
 見れば、抱き起こされた御坂が、何やらパクパクと口を動かしている。
 酸欠か? それともまだ言い足りないことがあるのか? 聞こえねぇよ、もうちょっと大きな声でだな。
 俺は御坂の口元に耳を近づけて、

「私……御坂美琴は、あんた、上条当麻のことが、好き……だったんだと、思う」

 おい待て。

「だから」

 だから、じゃねえ。

「来てくれて……ありがと。……そして、ごめん、ね……」
「おい御坂、あのな、」

 俺の問いかけにも答えず、言いたいことだけ一方的に言い残して、俺の腕の中の御坂美琴の身体は急に重くなった。
 わざわざ瞼を閉じてやる必要もなく、勝手に静かに両目を閉じていた。
 何故だか妙に満ち足りたような、そんな寝顔だった。
 壊れかけたクーラーのような怪音を上げる呼吸も、もう、いくら待っても聞こえてはこなかった。



【4】

 太陽が傾き始めている。
 気がつけば随分と時間を浪費してしまったらしい。
 御坂美琴という名前で呼ばれていた元は推定40kg台・たぶん血が流れた分だけ軽くなってるはずのまだ温かさの残る有機物の塊を抱き上げて、さてこいつはどこら辺に寝かせてやればいいのかね。この汚れた裏路地が相応しくないのは確かなんだが。
 こいつが最後まで俺のことを「上条当麻」だと勘違いしていたのか、それとも途中でちゃんと気がついていたのか、俺には全く判断しかねる。いっそはっきり言ってやろうかと何度も思ったんだが、ついつい言いそびれた結果がこのザマだよ。アリソンさんからは娘さんへの既に忘れかけてる虫食いだらけの遺言を預かって、今度は恋する乙女から他の男への遅すぎる愛の告白ときた。いつから俺はメッセンジャーが本業になったんだろうね。たぶんハルヒあたりが俺のぼやきを聞いたら「仕事があるだけ有難いと思いなさい!」とでも言い出すに決まっているんだがな。

 ……ああそうだよ。まだ生きていてやれる仕事が残っているだけ有難い話だよ。
 どう考えても俺なんかよりも生存確率の高そうな人たちが次々に倒れて、俺はまだこうして生きている。
 おめおめと生き延びて、そして、やらにゃあならん仕事も山ほど残っている。
 こりゃどう考えても神社に集まっているという正義の味方御一行に事の一部始終を報告し古泉と御坂の死亡を伝え朝倉一味という難敵の討ち損ねを警告するのは俺の役目だ。古泉がメモして俺に託した電話番号も教えてやらなきゃならないし、勢いで預かっちまった遺言2つもそれぞれ適切な相手を探し出した上で聞かせてやらにゃあならん。
 ボーッとしていられるような時間は、本当ならば存在しない。グズグズしているうちに朝倉たちは次の行動を起こすだろうし、携帯電話を持って動き回っている坂井の奴もいつどこで誰に襲われて倒されちまうか分かったもんじゃないし、それはアリソンさん家のお嬢さんについても、御坂に惚れられていたどこぞの色男についても同じことだ。それらの仕事のついでに我らがSOS団最後の生き残りであるハルヒのことを探してやってもいい。
 事態の深刻さも、待ったなしの状況も、ちゃんと全部わかっている。わかっちゃいるんだ。

 けど。
 けどな。
 俺は何度目になるのかわからない盛大な溜息をつくと、御坂をお姫様だっこで抱えたまま、思わずその場にしゃがみこんだ。

 そうは言ってもな――俺だって、さすがに疲れたんだよ。

 日差しが少しずつ傾いていく。影がゆっくり伸び始める。かけがえのない貴重な時間が、さらさらと流れていく。
 それを認識しながらも、俺はしばしの間、立ち上がることもできずにうずくまっていたのさ。



【御坂美琴@とある魔術の禁書目録  死亡】


【D-2/市街地・裏路地/一日目・夕方】

【キョン@涼宮ハルヒの憂鬱】
[状態]:疲労(中)、両足に擦過傷、全身他人の血で血まみれ
[装備]:発条包帯@とある魔術の禁書目録
[道具]:デイパック×3、支給品一式×4(食料一食分消費)
     カノン(6/6)@キノの旅 、カノン予備弾×24、かなめのハリセン@フルメタル・パニック!、
     ハイペリオン(小説)@涼宮ハルヒの憂鬱、長門有希の栞@涼宮ハルヒの憂鬱、発信履歴のメモ
     金属タンク入りの航空機燃料(100%)、ブラジャー@御坂美琴、ゲームセンターのコイン×数枚
[思考・状況]
 基本:この事態を解決できる方法を見つける。
 0:……少しは休ませてくれ。精神的な意味でな。
 1:御坂も適当なところに寝かせてやる
 2:神社に連絡を入れ(あるいは神社に直接出向いて)、事の次第を報告する
 3:アリソンの娘・リリアと、上条当麻を探す。そしてそれぞれに預かった遺言を伝える
 4:涼宮ハルヒを探す



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