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トリックロジック――(TRICK×LOGIC) 3

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トリックロジック――(TRICK×LOGIC) 3 ◆EchanS1zhg





 ■


「まず、みんなに聞いてもらいたんだが、姫路は……今、声を出すことができなくなってるんだ」

周りを窺うような神妙な顔で、上条くんはこの話をここから切り出した。
聞かされた皆の視線が姫路さんへと集中する。
そこには好奇はあっても、悪意があるわけでなく、むしろいたわりを含むものだったが、彼女はどう感じたのだろうか。
姫路さんは誰とも視線をあわせることもなく、目の前のテーブルのなにもないところをじっと見つめているだけだった。

「それって姫路さんになにかあったってことよね? それが当麻くんの相談事なの?」
「ああ。姫路になにがあったのかを承知して欲しい。……それで、それからそれでも姫路を仲間だって認めて欲しい」

それが俺の頼みだと、上条くんは頭を下げた。
誰も、すぐに答えを返すことはできず、場にうっすらと沈黙の空気が流れはじめる。
これから何を告白されるのか。
まだ言葉はなくとも彼と、隣の姫路さんの様子を見れば、それだけでどれほど重いものなのかは想像できた。

千鳥さんは少し怒っているような、そんな真面目な顔で頷き。
上条くんは無理をしているとわかる優しい顔で姫路さんに『いいか?』と尋ねた。
姫路さんは蒼白な顔で視線を震わせながらこくりと首肯する。
それを見つめる亜美ちゃんの表情はとてもつまらないものを見るようで、
ハルヒちゃんは再びぼくの隣で息を飲んだ。
ぼくは……、ぼくはどんな表情をしていただろうか? それはぼく自身にはわからない。



「どうする姫路? 俺からみんなに話したほうがいいか? それともメモのほうを見てもらったほうがいいか?」

上条くんに尋ねられると、それまで虚ろな様子だった姫路さんはなにか芯が入ったかのように雰囲気を変え、
自分の鞄から折りたたんだメモ用紙を取り出すと、それをテーブルの上で開いた。
そこにはわずかに乱れた文字の羅列が並んでおり、そしてそれらはおそらく彼女自身によって記されたもので、
つまり上条くんが尋ねた『メモのほうを』とは、自分で語るか? と、それを問う意味であったにちがいない。

姫路さんは鉛筆を取り出すと、そのメモ用紙になにかを追記し始めた。
その筆跡はどこか力強く、まるで自分自身を断罪するかのような、ある種の覚悟が垣間見えた。
書き終えるまでの少しの時間。カリカリと紙を引っかく音だけを聞きながら、皆は沈黙してそれを見守る。

そして――

「じゃあ、まずは千鳥からこれを読んでくれ」
「うん、わかった」

――試される時間が始まる。

理解と許容。理解した上での許容。理性と感情と道徳と優しさと厳しさと人間らしさを。
例え相手が刃物を持ってなくとも、例え相手が一言の言葉を発さなくとも、眼差しすら交わさないとしても。
ひとつの過去。たったそれだけの事実が、過ちであろうと栄光であろうと関係なく、危機を生み出すことがある。

それが理解と許容の問題。
安寧の為の鈍感さか、自らを無意味化するような包容力か、動じないが故の許容力か。
または、嫌悪としての拒絶か、不利益対象としての断絶か、それとも保身の為の無視なのか。

選ぶのではなく、選ばされる。本人と上条くんとを除く4人が選ばされる。それが今回の理解と許容の問題。






「あたしは……、本当に何があったのかなんてわからないし、それに……あの死体を見ちゃったしね。
 だから、姫路さんのことが怖いというのがぶっちゃけた本音。
 けど……あたしは当麻のことは信用できると思ってる。だから当麻に免じて姫路さんの言うことも信じるわ。
 過ちを繰り返さないっていうんなら姫路さんはもう私たちの仲間よ」

これが千鳥かなめの回答。

姫路さんが温泉施設の前にあった死体――黒桐幹也という人物だった――を殺した犯人であるのは正解だった。
ディティールは異なるが、大まかな流れとしては推測したとおりでほぼ間違いはない。
温泉から裸で外に放り出された姫路さんは、偶々通りかかった黒桐という人物に優しくし介抱され、
それなのに些細なきっかけからトラウマを発症し、”不本意ながら”に彼を殺害してしまい。そして逃亡してしまった。
口がきけなくなってしまったのはこの結果ということらしい。所謂、心因性失声症というやつである。

情状酌量の余地はある。
それに申告通りなら、姫路さんは心身喪失状態だったのだから責任を問えないという考えもできるだろう。
千鳥さんは、証言の曖昧さを上条くんへの信頼と照らし合わせ、最終的には彼女を信じ、許容することにした。
そこにはなんら駆け引きもなく。
自らの考えをそのまま口に出すことのできる千鳥さんは本当に、お世辞抜きに立派で気持ちのいい人間だ。



「私は、どんな事情があれ人を殺すのは許されないことだと思う。
 殺された人も、残された人に対しても、殺した側の事情で片付けてしまうのはアンフェアな考えだと思うから。
 だから、姫路さんのことを私は弁護しない。ちゃんと自分の犯した罪は償うべきよ。
 けど、それとこれと仲間と認めないかは別問題よね。
 私は姫路さんはいい人だと思うから償うチャンスは与えるべきだと思うし、それを応援したいとも思うわ。
 それに……、そもそも姫路さんが人殺しをしなくちゃならなくなったのは、私のせいだとも言えるし。
 むしろお願いするわ。私にも姫路さんの罪を償う手伝いをさせてちょうだいって」

これが涼宮ハルヒの回答。

姫路さんが温泉から裸で放り出されることとなったのには、彼女が言うとおりハルヒちゃんに遠因があった。
上条くんと千鳥さんが立ち去った後、姫路さんと殺害されていた忍者の人はここにたどり着いたわけだけども、
そこには上条くんたちの帰りを待つ北村くん以外に朝倉涼子という人物もいたらしい。
ハルヒちゃんが言う、SOS団団員ではない知り合いである、あの朝倉涼子だ。
そして、彼女と一緒に温泉で入浴していた姫路さんはそこで彼女に襲われ、ハルヒちゃん以外を殺害するように、
でなければ想い人である吉井明久を殺害すると脅され、そのまま裸で外に放り出されたのだという。

まるでどこかで聞いた話――というか、確実にあの古泉くんと行動方針は同一なのだろう。
ぼくは朝倉涼子という人物自体は知らないが、ハルヒちゃんの周辺事情を聞いていればそう推測するのは容易い。
ハルヒちゃんは彼らの思惑など知るよしもないだろうが、これは正しくハルヒちゃんの存在が原因だ。
また、これは知っている人物が限られる情報なので、この部分に関して言えば姫路さんの証言に信憑性はある。

逆に言えば、ハルヒちゃんの視点からだと姫路さんの言い分は意味不明だろう。
けど、ハルヒちゃんはそれをそのまま受け止めた。
優しさでも許容でもなく、それは彼女自身の強い責任感がなせるものだ。
言動の端々から感じられるが、ハルヒちゃんには無意識として全世界を背負っているという気概がある。
それは彼女が神様だからなのか、それとも人生における全責任は自分にあるという矜持からなのかは不明だけど。
なににしろ、彼女の意識と決断。それはぼくからしても好感の持てるものだった。



「ぼくは、姫路さんに関してはなんとも判別がつかないというのが本音かな。
 許すにしても断罪するにしても、妥当な罰を与えるにしても確証がないというのが正直なところだよ。
 もっとも、今このような状況で日常世界の倫理観が通じるのかって話もあるけどね。
 まぁそれはさておき、ぼくは殺人を最低最悪の行為だと思っている。
 人を殺すということは、自身の望みが殺した相手の人命より優先されると考えたことに他ならないから。
 だから、そんな願いを持つ人間は最低の屑だ。許されていいわけがないと考えている。
 けど、姫路さんのケースは少なくとも聞くかぎりはそうじゃない。
 姫路さんは自らの逃避や欲望のはけ口として黒桐さんの命を意識的に上書きし、塗りつぶしたわけじゃなく
 あくまでリアクションの結果として彼が落命するという事態になった。
 まぁ、ありがちな言葉で言えば”不幸な事故”だよね。
 だから、ぼくは姫路さんを責めることも助けることもしない。それはそのままというのがぼくの答えだよ」

これがぼく自身の回答。

言葉にしたことにも、ぼく自身の感情としても、ここに嘘偽りはないつもりだ。
明らかになってしまえばそれは陳腐とも取れるし、ある一面において姫路さんが被害者なのは事実でもある。
ゆえにぼくからすれば特別嫌悪の対象とはならない。無論、好意の対象にもなるはずがない。なので許容する。

現実的な話をするならば、ここでもし諍いや分裂といった事態が起こったりすれば、そこに取られる労力が惜しい。
なのでこの程度は妥協。必要経費として考える。という計算もいくらかはある。
この先、姫路さんが殺人を重ねられるかというと実行力は乏しそうにも思えるし、そういう意味でも許容範囲内。
あくまで姫路さん程度のリスクなら負えないことはないという判断だ。
非道い考え方だと思われるかもしれないけど、殺人者に対しては冷たいのがぼくだからこの考えはしかたない。



ここまで3人の回答は程度の違いこそあれ揃って許容だった。
当人である姫路さんとすでに彼女の味方となっている上条くんを抜けば、残りは4人。その内の3人までが許容。
多数決ならばもう議論は終わっているだろう。しかし、これは多数決の問題ではない。
この世の正義と真実。不動のそれらに民主主義は採用されない。

最後の一人である亜美ちゃんは、姫路さんの書いたメモを読み終えると冷笑を浮かべてそれを突き返した。



「亜美ちゃん。ちょっとこのメモだけじゃわかんないっていうか……、どうなんだろうなぁ。
 上条くんもみんなもちょっとお人好し(イイヒト)すぎるんじゃない?
 こんなのだったら亜美ちゃんでも書けるしー。
 それに、そもそも人を殺した子の話を信用するのが、おかしくない?
 だって、それって嘘に決まってるじゃん」

これが川嶋亜美の回答。

軽薄で思慮浅い発言だろうか? ぼくはそうは思わない。むしろ非情に現実的で実践的な思考と回答だ。
口調はともかくとして亜美ちゃんの言うことは残酷なくらいに正鵠を射ている。

誰も証人がいない以上、何が起こったかなんていうのは自分の都合のよいように書けるだろう。
実際、姫路さんは見てもいない”師匠”という人物が北村くんと忍者の人を殺害したと推測しているが、
これを信用する根拠はどこにもないのだ。あの二人も姫路さんが殺したと推測することはできる。
朝倉涼子の件にしても、実際にあった彼女とのやりとりがメモに書かれたものと同一かは確かめようがない。
ぼくと古泉くんの場合のようにただ会話しただけで、姫路さんがその情報を利用したという可能性もある。

そもそもとして人を殺した者の話を信用できるか?
信用と罪のあるなしは別問題だが、この問いに正面から反論できる者は稀だろう。
姫路さんを許容した千鳥さんやハルヒちゃんにしても、その部分には正面から向き合ってはいない。
ぼくにいたっては信用なんか欠片もしていない。

だから、皆がこうあってほしいと考える希望的な結論を蹴って亜美ちゃんが彼女を拒絶するのはしかたない。
リスクを孕む因子を集団の中から取り除く。それは徹底的に冷たく、そして正しいことなのだから。
罪を告白する以上、それは姫路さん本人が背負うべきリスクで誰も亜美ちゃんを責めることはできない。

できない……が、
困ったことになったというのが皆の本音だろう。正直ぼくも困ってる。亜美ちゃんまじで空気読めないというやつだ。



「――違うっ!
 このメモだけを見て姫路のことを全部信じろってのは、確かに無茶だって俺にもわかる。
 けど、お前だって見てるだろう? ボロボロの格好をして、姫路がひとりで学校をほっつき歩いていたのを!
 川嶋はあれすらも嘘だって言うのか?」

ここまで姫路さんをエスコートしてきた上条くんがテーブルを叩いて亜美ちゃんに反論した。
姫路さんを信用しうる情報が足りないというのはぼくたち共通の問題だが、彼だけは立場が少し異なる。

元々、彼が姫路さんを保護しようと考え、実際にそうしたのは彼女がボロボロの状態で徘徊していたからだ。
殺害したその場面を見たわけではないが、その直後の彼女に接している分、彼には情報が多い。
今は一応服を着て、身だしなみを整え、その時よりかは冷静になっているだろう姫路さんを見るのと、
殺害直後の時点とその後彼女が立ち直るまでの姿を見てきたのとでは、そりゃあ印象が異なるだろう。
千鳥さんやハルヒちゃんは言うに及ばず、ぼくだってそれを見ていれば彼女に対しもっと同情的だったかもしれない。

「あー、アレね。なんかウザい態度だとは思ったけど……なんか助けてくださいオーラ出してるみたいな」
「だったら! わかるだろう。姫路が俺たちに嘘なんかついてないってことが」
「逆じゃない? あんな見え見えの態度で接してくるとかわざとらしくて演技っぽいし。
 上条くんってばチョロすぎ。やっぱ男の子はこういうおっぱいの大きな子のほうがいいのかなぁ……?」
「そんなこと言ってんじゃねぇだろっ!
 姫路は心底傷ついてまいってたんだ。助けを求められたのはお前も同じじゃねぇのかよ!?」
「だからぁ、なんでそれがこの子が嘘ついてないってことになるのよ!
 あんた頭悪いんじゃない? 逆に、嘘をついてでも生きようとしたって考えられるじゃない!」
「嘘で自分の爪なんか剥がせるかよ。
 可能性があるとか証拠がとかじゃねぇ……そんなもんは姫路を見ればわかるって話なんだ」
「へぇ、すっごい。そんなに女を見る目に自信があるんだ、トーマくんは?」
「いいか。聞けよ。
 姫路は俺の前で、殺してくれって言ったんだ……そんな、そんなことを口走っちまうぐらいに――」
「――それも嘘に決まってるじゃない。あたしだって同じことが言えるもん。亜美ちゃんもう生きてくのがつら~い☆」
「てんめぇ……!」

これはまずい。亜美ちゃんの態度も態度だが、上条くんは思ってた以上に沸点が低いっぽい。
ここで言い争い以上に発展するのは好ましくない。最悪、ぼくが動かないといけないのか? この戯言遣いが?
と、ぼくがそう思ったところで議長が動いてくれた。

「ちょっと待った! 二人とも落ち着きなさい」

そう大きな声を出して、千鳥さんは立ち上がりかけていた上条くんの肩をつかんで座りなおさせた。
上条くんは千鳥さんの顔を見たことで自分が冷静でなかったことを自覚したらしく、溜息をつくと素直に従う。
逆に亜美ちゃんはというと、そんな彼に冷笑を浴びせかけるとぷいっとそっぽを向いてしまった。

「ほら当麻。そのグーの手をパーにする。どんな理由があっても女の子殴ったりしたらあたしが許さないからね」
「ああ、すまねぇ。けど姫路のことは――」
「わーってるつーの。ちょっとあんたは大人しくしとれ」

なんというか貫禄があった。彼女も彼女でこういうのに慣れているっていうか。
ぼくの周りは善人だけど不器用か、段取りのいい性悪ばっかなので、千鳥さんのような真っ当な人はちょっと珍しい。
千鳥さんは上条くんを諌めると、亜美ちゃんの方……にではなく、姫路さんの方をキッと睨み付けた。

「姫路さん。あんたがしたことってのはこういうことだってわかる?
 犯した罪を許されることはあっても、罪を犯したって事実は絶対になくならない。
 それでも受け止めてくれる人はいる。でもそうじゃない人もいるし、それは文句の言えないことなんだよ。
 だから亜美の言葉も甘んじて受けなさい。それはあんたが背負っていかなきゃならないことだから」

千鳥さんの言葉に、顔面を蒼白にしていた姫路さんはこくりと、ただ素直に頷く。
溢れそうになっていた涙が頬を滑り、顎の先から落ちたそれがテーブルの上に小さな水溜りを作った。

「亜美。あんたの言うことはもっともだけど、ここは私の顔に免じて姫路さんを受け入れてくれないかな。
 あたしは当麻のことを信じてる。だから当麻が信じる姫路さんも信じる。
 疑うのは仕方ないよ。私だって怖くないかって言われればやっぱそういうところもあるしね。
 でも疑いながらでもいいから彼女を受け入れて欲しい。でないと――」

姫路さんがひとりぼっちになっちゃうでしょ? と、千鳥さんは亜美ちゃんに、いや皆に聞かせるように言った。

「……べっつに、かなめがそう言うなら亜美ちゃんも我慢してもいーけど……でも、
 亜美だって根拠もなしに疑ってるわけじゃないから悪者扱いしないでよね」

そっぽを向いたままの亜美ちゃんは、そのままばつが悪そうな顔をして渋々といった風に承諾した。
けど、どうやら彼女にはそれでもはっきりさせておきたい疑念があるようだった。
亜美ちゃんは姫路さんを指差し……いや、姫路さんの後ろにあるものを指差して言った。

「バック。どうして2つ持ってきてるの? これって彼女の話と”ムジュン”してるんじゃないかな?」

皆は僅かな疑問を顔に浮かべ、指摘された姫路さんは涙の筋が残る顔にきょとんとした表情を浮かべた。

「そうでしょ? 服も一緒に持ってきてもらってるのに、そっちは忘れてバックだけ……、
 しかも殺した相手のも持っていくなんてどう考えてもおかしいじゃない?
 着るものはなくても、むしろ裸なくらいが油断させるのに都合がよかったけど、
 でも武器になるものは手放せなかったってことじゃないの?」

亜美ちゃんの言う”ムジュン”の意味をようやく理解すると、姫路さんは掌を顔の前でバタバタと振り出した。
そんなのは気が動転していたからだと、そういうようなことが言いたいんだろう。
実際にもそうだったんだろうと想像することは可能だ。
人を殺してしまい、気が動転してその場から少しでも早く逃げようとした。
その時、手を伸ばせば届く範囲に鞄は落ちていた。しかし制服はそうではなかった。それだけだと思う。
思うが……しかし、説得力の欠片もない想像だ。

「姫路は、人を殺めちまって……それで気が動転してたんだから、それぐらい――」
「そんなの、なんの説明にもなんないじゃない!」

その通りだ。これは釈明にも説明にもなりようがない。
混乱してたなんてワイルドカード。説得材料とするには万能すぎてなんの役にも立ちはしない。
とはいえ、逆に姫路さんが嘘をついていると証明するにしても亜美ちゃんの指摘には決定力が不足していた。
じゃあそれが逆に姫路さんが皆を殺そうとする証拠になるのかというと別にそうでもない。
本当に気が動転していた可能性も十分にあるため、解釈はあっても解答のない問題に議論の場は膠着してしまう。

「じゃあ、姫路さんの荷物は私が責任をもって預かるから、それでいいでしょう?」

宙ぶらりんの議場を取りまとめるのはやはり頼りがいのある議長さんこと、千鳥さんだった。

「姫路さんも当麻もそれでいいわよね?
 書くものとか水とかタオルとか必要なものは持っててもらっていいし、困ったことがあったら聞くから」
「千鳥がそうしてくれるなら俺も問題はねぇよ」

上条くんは声に出してそれを了承し、姫路さんは声の変わりに2つある鞄を差し出すことで了承の意を示した。
鞄を受け取った千鳥さんは、じゃあこれで問題はもうない? と亜美ちゃんのほうへと窺う。

「それは……それでいけど……」
「まだなにかあるの?」
「あるにはあるけど……別に、それはいい」

観念したというか、疲れきったという感じで大きな溜息をつくと亜美ちゃんも渋々それを了承した。
だがそれはあくまで千鳥さんに対してでしかなく、
亜美ちゃんは鞄を掴むとすっと立ち上がり、綺麗な足を伸ばし黒髪をなびかせて部屋の出口へと歩き始める。

「ちょっと、どこに行くのよ?」
「どっか適当な部屋。亜美ちゃん寝る時はひとりじゃないとイヤだから」

そして、そう言って部屋を出て行ってしまった。

亜美ちゃんの行動は、所謂こういったシチュエーションにて起こりうる定番中の定番。
所謂、『人殺しと一緒にいるなんて真っ平だ。俺は自分の部屋に引きこもる』というアレだった。
実際にはお目にかかれるとは貴重な光景かもしれない。シチュそのものが現実にはレアであるわけだし。

ともかくとして、亜美ちゃんを追って千鳥さんも出て行ってしまい、
ぼくたちの間での話し合いというのもここでいったん途切れることとなった。
まだまだ話す事柄については尽きないが、インターバルを取るというのならちょうどいい頃合だろう。
いや、こんなことになるならもっと早くてもいいぐらいだったか。

なんにせよ気が休まらない。これっぽっちもぼくたちの関係は気のおけるものへと進展してはいないのだから。






 【幕間 《melancholy girl x3》】


衝突の熱気が失せ静かな、そして微量の緊張を沈殿させる空間へと戻った正方形に近い形のとある客間。
その部屋の中に今、耳を澄ませば辛うじて捉えられるという程度の小さな衣擦れの音が聞こえていた。

「……………………」

やはり下着を有無は重要だ。と、姫路瑞希は下着のありがたさというものを改めて感じていた。
上条当麻から譲り受けた体操着で一応は服を着ているという状態であったわけだが、やはり全然違う。
たった一枚二枚の布地がもたらす安心感。
なるほど、下着というものも人類の英知の結集だったのだと、瑞希は感心し、心の中で先人達に感謝した。

濡らしたタオルで足の裏を拭いてソックスを履く。タイを締めて上着を着ればいつもの学生服姿だ。
瑞希は姿見の前に立ちその中に写る己の姿を確認する。
少し乱れていた髪の毛を手櫛で整え、襟を正し、スカートのしわを伸ばした。これでいつもどおりの自分自身。

「……………………っ」

瑞希は鏡から振り返り、後ろにいた涼宮ハルヒにぺこりと感謝のお辞儀をした。
てっきりどこかへとなくなってしまったかと思っていた服だが、彼女が見つけて取っておいてくれていたのだ。
本当なら感謝にはありがとうという言葉も添えたかったが、しかし口を開いても声は出なかった。
一度は出たのだが、いつものように戻るにはまだなにかきっかけが足りないらしい。

「うん。見つけた時にも思ったけど、姫路さんとこの制服って可愛いわよね。
 やっぱり可愛い制服って羨ましいなぁ。こんなことなら私も北高じゃなく光陽園の方に行っとけばよかったわ」

体操着も惜しいと言ってたハルヒだが、制服姿を見るとそれはそれで気に入ってくれたらしく上機嫌だ。
いや、そう振舞ってくれているのかもしれない。出会ってよりこれまで、何かと彼女は気を使ってくれていた。

「じゃあ座って座って。ほら、ドーナツもたくさんあるし、私たちはちょっとのんびりさせてもらいましょう。
 面倒なことは男連中に任せればいいしね。あ、姫路さんもいーのこと使ってもいいわよ」

言いながら、ハルヒは鞄からドーナツの箱をいくつも取り出し、それを次々と並べてゆく。
あっという間にテーブルの上はドーナツでいっぱいになり、食欲をそそる甘い匂いが部屋中に満ちる。
瑞希はドーナツの山に瞳を輝かせながら座布団の上に座る。そして、テーブルの上の湯のみを手に取った。
一口飲んでみると、彼女が淹れてくれた温かいお茶は、身体の中の緊張を溶かしてくれるようでとてもおいしい。

あの時――温泉施設の前でハルヒの姿を見た時、瑞希は気絶しそうなぐらい驚いた。
彼女があの朝倉涼子と同じ制服を着ていたからだ。そして、自己紹介で彼女は涼宮ハルヒだと名乗った。
多分、ひとりきりだったなら声をかけることもなく見かけただけで逃げ出していただろう。

「……………………」

朝倉涼子のことをより詳しく話し、そして彼女からも聞くべきなのだろうか。瑞希は考える。
しかし、もしかしたら彼女に嫌われてしまうのではないか。そんなことはないと思うのに、躊躇ってしまう。
いやそれよりも、本当はまだ彼女を信じきれてないのではないか、朝倉涼子のように突然牙を剥くのではと
考えている部分があるのかもしれない。人を信じきれないことに瑞希は申し訳なさと悲しみを覚えた。



何も言い出せないままの時間が過ぎ、
瑞希がフレンチクルーラーをもふもふとひとつ食べ終わったちょうどその時、千鳥かなめが戻ってきた。

「ただいまーっと、姫路さん着替えたんだ。その制服かわいいねー。姫路さんの学校の制服?」

かなめはさっきと同じ場所に腰を下ろすと、自分でお茶を入れてグっと一気に飲み干した。
大きな息を吐き、部屋の中を見渡してそしてようやくここにいるべき人間が何人か足りないことに気づく。

「あれ? 当麻といっくんはどこにいったの?」
「姫路さんが着替えるから出て行ってもらったの。
 それで、じゃあそのついでに千鳥さんの言ってたガウルンっていう人のを、……見に行くって」

なるほどねぇ。と、かなめは大量にあるドーナツからゴールデンチョコを選ぶと、パクリと食いついた。

「それで、川嶋さんの方はどうなの? ひとりで大丈夫?」
「うん。この廊下の突き当たりの部屋でね、今は一人になりたいって。
 フロントから鍵持ってきて戸締りはしてもらったし、なにかあったら内線使ってとは言ってあるから、一応は大丈夫」

言って、かなめはポケットの中からいくつかの鍵を取り出した。
鍵そのものは極普通のもので、それぞれに部屋の番号が記された棒状のキーホルダーがついてる。

「これがこの部屋の鍵。
 で、他の部屋のも一通り持ってきといた。寝るんだったら男連中には別の部屋使ってもらいたいしね。
 それで……これがマスターキー。どこでも開けられる鍵ね。何かあった時はこれ使って助けに行くから」

かなめは並べた鍵をジャラジャラと掻き集め、とりあえず使わない鍵は部屋の脇へと寄せた。
そして、この部屋の鍵はテーブルの真ん中に置き、マスターキーは自分のポケットの中に仕舞いこむ。

「じゃあ当麻たちが戻ってくるまでの間、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

かなめはドーナツをまたひとつ取り、何気ない話のようにそれを切り出した。



「姫路さんを襲ったっていう朝倉涼子って子だけど、涼宮さんのクラスメートなんだよね?」

瑞希の中で心臓がドキリと音を鳴らした。

「んー、正確に言うとクラスメイトだった……よ。だって、一学期が終わる前に転校しちゃったもの」
「へぇ、そうなんだ。それで涼宮さんとは仲良かったの?
 その……、彼女のほうはあなたにかなり入れ込んでるみたいなんだけど」

ハルヒの顔が曇る。
いくら与り知れぬところとはいえ、自分のせいで被害を受ける人が出るというのは心苦しいものだろう。
そう瑞希は解釈した。口は出せない。出す資格もない。だから瑞希は聴いて観ることに徹する。

「……ちょっと見当もつかないわ。
 仲が悪かったってこともないし、彼女はクラス委員としては真面目で私にもよくしてくれたんだけど、
 でも言ってみればそれだけよ。学校の外じゃ会ったことないし、友達というほどでも……」
「そっか。じゃあ、朝倉って子が何を考えているかはわかんないか……」

かなめは腕を組んで溜息をつく。ハルヒも小さく息を吐くと腕を組んで同じように目をつむった。
瑞希も、溜息をついたり腕を組んだりはしないが、がんばって考えてみることにする。
辛い記憶ではあるが、その分鮮烈でもある。自分の記憶が助けになればと、その時を思い返し始めた。
そして、些細だが違和感のあるあることに気づく。
新しいメモ用紙に鉛筆を走らせ、それをかなめとハルヒの前へと差し出した。

「”涼宮ハルヒとずっとフルネームで呼んでいた”。かぁ……なるほどちょっと変だね。
 朝倉さんっていつも涼宮さんのことフルネームで呼んでるの?」
「別に、クラスでは普通に苗字で呼んでたけど……どうしてかしら?」

かなめは腕組みしたままで目をつむる。そしてしばらくしてハッと開いた。なにかに気づいたらしい。

「あのさ、転校のことなんだけど、なんかそこに変わったことはなかった?」
「変わったことっていうか、あれは明らかに何か変だったわ。
 前触れもなくその日になって急に海外に転校だってことになって、それで先生も驚いてたみたいだし。
 さすがに私もおかしいと思って、だからちょっと調べてみることにしたんだけど――」
「ふんふん、それでどうだったの?」
「それが、全然。
 彼女の家に……マンションだったんだけど行ってみたら、その日にはもぬけの殻になってて。
 管理人さんとかにも聞いてみたけど、誰も彼女がいつ引越ししたのか、連絡先だとかも知らなかったの」
「朝倉さんとはそれっきり?」
「ええ。こんなところで一緒になるなんて……しかもこんなことをするなんて驚いたわ」

薄気味悪い話だと瑞希は思った。
いきなり消息がわからなくなるなんて、それこそ神隠しか宇宙人の誘拐みたいである。
もしそんなことが起きたのだとしたらと想像すると、記憶の中の彼女がより不気味な存在だと思えた。

「……心当たりがあるかもしれない。もし私の思っている通りなら色々と説明がつくわ」

かなめは何かに納得すると、うつむいていた顔を上げてまっすぐ前を見ながらそう言った。
瑞希は、そしてハルヒも彼女に注目して耳を傾ける。一体、彼女はどのような解答を持っているのか。

「私の周りでも似たようなことがあったんだよね。
 まぁ、それは私の場合まだ現在進行中とも言えるんだけど――」

言いながらかなめは一枚の紙を取り出してそれを広げた。何かと思い覗き込むとそれは名簿だった。
かなめは羅列された名前のひとつに指を当てて話を続ける。

「この”相良宗介”ってのが私のクラスメートなんだけど、実はなんとかって組織の傭兵だったりするの。
 まぁちょっと胡散臭いってのは否定しないけど、本当のことだから信用して。後、これは他言無用でお願い。
 それで、なんでソースケが私のクラスにいるかって言うと、それは私を守るため。
 私ってばひょんなことからテロリストに目をつけられちゃってさ、
 だから極秘任務としてソースケが私を守る為に学生として学校に入り込んできたって話なの」

出そうと思っても今は出ないのだが、ぽかんと開けた口からは言葉が出なかった。
宇宙人。異世界人。超能力者。傭兵やテロリストも、日常の中ではそれらと等しく荒唐無稽に思える。
でも、かなめの周囲ではそれが日常なのかもと瑞希は思いなおした。
記憶が確かなら人型の起動兵器が闊歩する世界のはずだ。ならばそんなこともあるのかもしれない。

「ちなみにそのテロリストってのは、ここの女湯で死んでたガウルンってやつなんだけど。
 まぁ、それはいいとして私が言いたいのは涼宮さんと朝倉さんもそれと同じじゃないかってこと」
「えっと、それってつまり私がいつの間にかにテロリストに狙われていて、朝倉さんが傭兵ってこと?」
「傭兵かどうかはわかんないけど、そういうのだったら辻褄があうと思っただけ。
 知らないうちに涼宮さんは世界の秘密かなんかに触れていて狙われる身だったの。
 そこで朝倉さんが涼宮さんを守るために派遣されてきた。
 で、一旦は問題は無事解決して彼女は姿を消したんだけど、今回の事件が起きて――」
「――また私を守る為に働いてる? あの、朝倉さんが?」

ハルヒは身体を大きくのけぞらせるとうーんと唸り声をあげた。さすがに、簡単には受け入れられないらしい。
やっぱりかなめの言うことは荒唐無稽に思える。まるでスパイ映画かライトノベルのあらすじみたいだ。
けど、どうしてか。瑞希の目にはハルヒの表情は困っていそうでどこか嬉しそうにも見えた。

「そういえば、千鳥さんが狙われた理由って何? 失われたアークでも見つけたとか?」
「えぇ? あぁ、理由か。さぁ、……なんだろう。あたし自身よくわかってないのよね。
 お父さんが国連の高等弁務官だったりするから、その関係かな……?」
「へぇ、なんかすごい。私の家なんか全然普通なのに」

結局のところ。朝倉涼子がどういった理由でハルヒを守ろうとしているのか。その答えは出なかった。
やはり――瑞希としてはもう会いたくないのだが――彼女に直接会って確かめるしかないらしい。

「朝倉さんを見つけたら絶対、姫路さんに謝らせるからね。任せておいて」

ハルヒはまっすぐに、力強い表情でそう断言する。
それが本当にできるのか。とても危険なことじゃないかと、瑞希はそう想像し少し身体が震えたが、
けど彼女の真摯な眼差しに見つめられると、どうしてかそんなことは些細な風に思えて、
少しだけだけど安堵の笑みを浮かべることができた。










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