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LOGE DE FUKASAWA
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LOGE DE FUKASAWA

WILLERMOZ, Jean-Baptiste

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1730-1824

1730年、サン・クロードの小間物商の家に生まれ、早くから絹織物製造・取次業者として商才を発揮し、絹織物商として第一級の位置を占めるに至る。敬虔なカトリックであり,1750年に20歳で入会儀礼を受けるが,どの会所でかは不詳(おそらくAmis choisis?ではないかと言われている)。1752年にParfaite Amitié?会所を創設。1760年,当時のフランス大会所長クレルモン伯の承認を得て3つの会所を統合,Comité des Loges de Lyon?を創設。これは後にリヨン正規親方大会所と改称され,革命前夜にはリヨンに存在するほとんど全ての会所が加わることになる。Willermozは、大会所長を1年務め、ついで、古文書管理人となる。
当初、Willermozは、弟の医師Pierre-Jacques?とともに錬金術に従事するが、1767年、ヴェルサイユで神秘思想家Martinès de Pasquallyに出会い、彼の創設した「選良祭司団」に入会し、神との神秘的交流を目指す密儀実践する。しかし、Willermozは望んだ神的体験を得られず、メスのメイソン指導者Meunier de Précourtを通してドイツの神秘的メイソン団体「テンプル騎士厳守会Strikte Observanz」に関心を抱き、そのフランスへの導入に貢献する。Willermozは、厳守会管区オヴェルニュ地方の「高位階集会」の大会所長に就任した。また執政部の本拠地は、Willermozが1774年にリヨンにて創設した「善行」会所に置かれた。
だが、熱心なカトリックであり、「聖都善行騎士団」の神秘主義的実践を断念することができず、Willermozは、ルター派敬虔主義の流れを汲み、テンプル騎士団の復興を目ざす厳守会の基本思想に賛同できず、1778年にはBienfaisanceを中心にConvent des Gaulesを召集し、矯正スコットランド儀礼を確立し、正統キリスト教的な「聖都善行騎士団」を創立した。この会議でWillermozはスコットランド執政部という厳守会における役職を務め,厳守会内の改革として「リヨン改革Réforme de Lyonを確立した。
ついで、1782年7月から9月,フランクフルト東方で厳守会大会Convent de Wilhelmsbadが開催された。メイソン世界の組織上・儀礼上及び教義上の定式化に対する普遍的な唯一の試みであり、ドイツ,フランス、イタリアを中心に全ヨーロッパから参加者があった。会議では厳守会の起源と中世テンプル騎士団の直接的連続性が否定され、それに代わる厳守会の制度的・精神的基盤が模索された。Willermozは、Ferdinant du BrunswickCharles de Hesse-Casselとともに大会の運営で優位に立ち、聖都善行騎士団のリヨン改革を採用させることに成功する。
以後、Willermozは、精力的な文通や訪問会員の受け入れを通じて「聖都善行騎士団」の普及を推進し、ロシア、スウェーデン、デンマーク、イングランドからドイツ、スイス、イタリア、スペインまでその賛同者を獲得することになる。とりわけ、ドイツの大貴族たちの賛同が、Willermozの栄光を決定付け、「メイソン秘教主義の長老」としての名声を普及のものとする。
しかし革命直前になると矯正儀礼派は停滞し,WillermozはIlluminés d'AvignonDom Pernetyなどと関係を結び直すなど努力を続けた。1793年になると反共和国暴動に対するリヨン包囲という事態となり,目を付けられたWillermozは国民公会に追われ,翌年初めにからくもリヨンを逃れる。テルミドール反動の後再びリヨンに戻り,著作や矯正儀礼派の立て直しに専心した。

200304?? Masanori S.
20060512 Nao T. / L'espace, p.15
20060812 Nozomu T.
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