ひとごろし(前編) ◆uOOKVmx.oM
「チアキ、よつばの目を塞いでいろ。ついでにお前も目を瞑れ」
「はぁ? 何言ってるんだパタリロ。意味が分からないぞ」
意味不明なパタリロの言葉にチアキは首を捻った。
危ない奴が近くにいるのに目を瞑ったら、もっと危ないのではないか?
大体、よつばが見なければちよを襲った相手かも判別つかないだろうに。
「いいから二人とも目を瞑って、ぼくが良いと言うまで開けるな」
再度強く念押しされると何となく従わなければいけない気になってしまう。
そこまで言うなら見ない方が良いのだろうと、よつばの目を塞いで目を瞑った。
家族でTVドラマを見ている最中にキスシーンが出てきた時も、こんな感じだったかな。
そんな事を思っていると、いつの間にかパタリロは走り出していた。
まるで寝た子を起こさないよう気を使っているかのように静かだった。
「はぁ? 何言ってるんだパタリロ。意味が分からないぞ」
意味不明なパタリロの言葉にチアキは首を捻った。
危ない奴が近くにいるのに目を瞑ったら、もっと危ないのではないか?
大体、よつばが見なければちよを襲った相手かも判別つかないだろうに。
「いいから二人とも目を瞑って、ぼくが良いと言うまで開けるな」
再度強く念押しされると何となく従わなければいけない気になってしまう。
そこまで言うなら見ない方が良いのだろうと、よつばの目を塞いで目を瞑った。
家族でTVドラマを見ている最中にキスシーンが出てきた時も、こんな感じだったかな。
そんな事を思っていると、いつの間にかパタリロは走り出していた。
まるで寝た子を起こさないよう気を使っているかのように静かだった。
訳が分からないで戸惑うよつばを抑えながら、チアキはふと思う。
不審人物がちよとよつばを襲った相手だったら、パタリロはどうするのだろう。
銃を撃つだろうか、それとも話し合うだろうか。出来ればそんな奴は懲らしめて欲しい。
二度と悪い事をしないように、見えないところでキツく懲らしめて欲しい。
そう思う。でも――それが他力本願だと分かっていた。
よつばに「ちよは大丈夫だよ」と囁きながら、心に湧き上がる「大丈夫じゃない」という
思いを誤魔化していた。
不審人物がちよとよつばを襲った相手だったら、パタリロはどうするのだろう。
銃を撃つだろうか、それとも話し合うだろうか。出来ればそんな奴は懲らしめて欲しい。
二度と悪い事をしないように、見えないところでキツく懲らしめて欲しい。
そう思う。でも――それが他力本願だと分かっていた。
よつばに「ちよは大丈夫だよ」と囁きながら、心に湧き上がる「大丈夫じゃない」という
思いを誤魔化していた。
「良し、もう目を開けていいぞ」
「随分かか……オイ、何だここは?」
数分ぶりに開いたチアキの目に映ったのは、住宅街だった。
チアキの住む大型マンションとは違い、一戸建てがズラリと規則正しく並んでいる。
どの家も庭らしい空間を持たない、都心の住宅事情を彷彿させる狭苦しい造りだ。
太陽は眩しく、絶好の洗濯日和だというのにベランダにはシーツの一枚も出ていない。
閑静な住宅街というよりもゴーストタウンという言葉が脳裏に浮かんだ。
「なー、ちよはどこだ? なー?」
「え-と……」
よつばの疑問に答えようにもチアキにだって良く分からない。
言葉に詰まっているとパタリロは二人を乗せ、立ち並ぶ住宅の一軒へと入って行く。
表札には『魔夜』と書いてあった。聞いたことがあるような無いような変な名字。
パタリロは玄関先で靴を脱ぐ事もなく、ズカズカと上がり込むとリビングのソファーに
二人を下ろした。リビングには大きなソファーが幾つかと豪華なテーブル。
それと良く分からないけど高そうな絵や壺、難しそうな本の詰まった本棚。
床には悪趣味な柄の絨毯と虎の敷物が敷かれている。
あまり自分では住みたいとは思わない感じの、一言で言うと成金趣味な家だった。
「随分かか……オイ、何だここは?」
数分ぶりに開いたチアキの目に映ったのは、住宅街だった。
チアキの住む大型マンションとは違い、一戸建てがズラリと規則正しく並んでいる。
どの家も庭らしい空間を持たない、都心の住宅事情を彷彿させる狭苦しい造りだ。
太陽は眩しく、絶好の洗濯日和だというのにベランダにはシーツの一枚も出ていない。
閑静な住宅街というよりもゴーストタウンという言葉が脳裏に浮かんだ。
「なー、ちよはどこだ? なー?」
「え-と……」
よつばの疑問に答えようにもチアキにだって良く分からない。
言葉に詰まっているとパタリロは二人を乗せ、立ち並ぶ住宅の一軒へと入って行く。
表札には『魔夜』と書いてあった。聞いたことがあるような無いような変な名字。
パタリロは玄関先で靴を脱ぐ事もなく、ズカズカと上がり込むとリビングのソファーに
二人を下ろした。リビングには大きなソファーが幾つかと豪華なテーブル。
それと良く分からないけど高そうな絵や壺、難しそうな本の詰まった本棚。
床には悪趣味な柄の絨毯と虎の敷物が敷かれている。
あまり自分では住みたいとは思わない感じの、一言で言うと成金趣味な家だった。
「二人とも、しばらくここで大人しくしていろ」
「なに言ってんだよ、バカ野郎」
「そーだぞ。ちよをたすけるっていってたろ! おまえ、うそつきかー!」
よつばがパタリロの自分勝手な言葉に両手を挙げて講義した。
当然だろう。ちよを助けると言っていたのに、いつの間にか逃げ出していたんだから。
「行くさ。ぼくが様子を見てくる。チアキ、よつばを抑えていろよ。絶対手を離すな」
「やだ! よつばもちよをたすけにいくんだー!」
チアキは黙っていた。なんと言っていいか分からなかった。
ちよを助けたいという気持ちに嘘はない。よつばを応援したい。
でも――心の底では危険人物との遭遇を先延ばしに出来た事にホッとしていた。
この世界に放り出されてから出会ったのは百戦錬磨のパタリロと純真無垢なよつば。
今までチアキは恵まれていたのだ。
その恵まれた境遇が彼女に一歩踏み出すことを躊躇させていた。
『パタリロが何とかしてくれるなら、それで良いかもしれない』
何かが起こっても誰かが何とかしてくれる。そう思いながら、よつばを抑えていた。
そんなチアキの耳元でパタリロが囁く。チアキにだけ聞こえるような小さな声で――
「さっき不審者に死体が刻まれていた。多分ちよって子だ」
「!?」
「お前たちに無残な死体も殺し合いも見せたくないんでな」
それだけ言うとパタリロはチアキの返答を待たずに駆け出した。
さっきの場所へと戻るのだろう。そして一人で不審者と対面するのだろう。
「こらー! にげるのかー!」
「おいバカ野郎、すぐに戻るんだろうな?」
「もしも三時のオヤツまでに帰らなかったら、後の予定は任せる!」
まるでちょっとそこまで買い物に行って来る、と言わんばかりに気軽な言葉を残して
鈍重そうなペンギンの着ぐるみを着たまま、パタリロは軽快に走り去っていった。
「なに言ってんだよ、バカ野郎」
「そーだぞ。ちよをたすけるっていってたろ! おまえ、うそつきかー!」
よつばがパタリロの自分勝手な言葉に両手を挙げて講義した。
当然だろう。ちよを助けると言っていたのに、いつの間にか逃げ出していたんだから。
「行くさ。ぼくが様子を見てくる。チアキ、よつばを抑えていろよ。絶対手を離すな」
「やだ! よつばもちよをたすけにいくんだー!」
チアキは黙っていた。なんと言っていいか分からなかった。
ちよを助けたいという気持ちに嘘はない。よつばを応援したい。
でも――心の底では危険人物との遭遇を先延ばしに出来た事にホッとしていた。
この世界に放り出されてから出会ったのは百戦錬磨のパタリロと純真無垢なよつば。
今までチアキは恵まれていたのだ。
その恵まれた境遇が彼女に一歩踏み出すことを躊躇させていた。
『パタリロが何とかしてくれるなら、それで良いかもしれない』
何かが起こっても誰かが何とかしてくれる。そう思いながら、よつばを抑えていた。
そんなチアキの耳元でパタリロが囁く。チアキにだけ聞こえるような小さな声で――
「さっき不審者に死体が刻まれていた。多分ちよって子だ」
「!?」
「お前たちに無残な死体も殺し合いも見せたくないんでな」
それだけ言うとパタリロはチアキの返答を待たずに駆け出した。
さっきの場所へと戻るのだろう。そして一人で不審者と対面するのだろう。
「こらー! にげるのかー!」
「おいバカ野郎、すぐに戻るんだろうな?」
「もしも三時のオヤツまでに帰らなかったら、後の予定は任せる!」
まるでちょっとそこまで買い物に行って来る、と言わんばかりに気軽な言葉を残して
鈍重そうなペンギンの着ぐるみを着たまま、パタリロは軽快に走り去っていった。
○ ○ ○
そんなペンギンの出てきた住宅を3軒ほど斜向かいから見つめる影があった。
藤木茂だ。生乾きの半ズボンに、住宅から失敬したランニングシャツを着てコッソリと
塀から顔を出す彼は、ワンパク小僧というより身包み剥がされた中年のように見えた。
(た、助かった……ぼ、僕には気がつかなかったみたいだ……)
明神弥彦と不意に風呂場で遭遇した後、当座の衣類の確保とペットボトルに水道水を
詰め込んだだけで、火傷の痛みも我慢して住宅を出ていたのだ。
それは『アイツが戻って来たら怖い』という至極まっとうな理由からだった。
そして弥彦の歩いて行った方向に興味はあれど、堂々と追う勇気もなかった彼は、
幾つもの家に隠れながら彼の向かった沼地の方角に気を配っていたのだ。
殺す為ではなく『戻ってきたら、すぐに逃げられるように』という情けない理由。
だがその消極的な努力は実を結び、弥彦と入れ違いで来たパタリロ達に気付かれる事なく、
狙っていた白銀のコートを着た少女、よつばを発見できたのだ。
(あの子、きっと僕のことを話しているに違いない。見つかったら殺される)
よく分からないが相手は三人、しかも自分を人殺しだと知っている。勝てるわけがない。
藤木は唇を青くして震えながら三人が動くのを待っていた。
逃げ出す勇気すらなく、早くどこかへ行ってくれる事を心から願っていた。
そして願いが通じたのか、しばらくしてペンギンはどこかへ走り去っていったのだ。
残るは二人。両方とも弱そうな女の子だった。
ゴクリと藤木は喉を鳴らした。水分の採りすぎか、汗がポタポタと垂れる。
あの二人を殺せば『ご褒美』が貰えるはず。そうすれば火傷を治せるんだ。
藤木はルーンの杖を握り締め、体の震えが止まるのを待った。
相手が女の子でも、二人が相手じゃ負けるかもしれない。
でも――もし弥彦が戻ってきたら、もしペンギンが戻ってきたら、そうしたら絶望的だ。
だから早く行動しなければいけないと思うが、焦れば焦るほど決断できない。
藤木茂、彼はとことん気弱な少年であった。
藤木茂だ。生乾きの半ズボンに、住宅から失敬したランニングシャツを着てコッソリと
塀から顔を出す彼は、ワンパク小僧というより身包み剥がされた中年のように見えた。
(た、助かった……ぼ、僕には気がつかなかったみたいだ……)
明神弥彦と不意に風呂場で遭遇した後、当座の衣類の確保とペットボトルに水道水を
詰め込んだだけで、火傷の痛みも我慢して住宅を出ていたのだ。
それは『アイツが戻って来たら怖い』という至極まっとうな理由からだった。
そして弥彦の歩いて行った方向に興味はあれど、堂々と追う勇気もなかった彼は、
幾つもの家に隠れながら彼の向かった沼地の方角に気を配っていたのだ。
殺す為ではなく『戻ってきたら、すぐに逃げられるように』という情けない理由。
だがその消極的な努力は実を結び、弥彦と入れ違いで来たパタリロ達に気付かれる事なく、
狙っていた白銀のコートを着た少女、よつばを発見できたのだ。
(あの子、きっと僕のことを話しているに違いない。見つかったら殺される)
よく分からないが相手は三人、しかも自分を人殺しだと知っている。勝てるわけがない。
藤木は唇を青くして震えながら三人が動くのを待っていた。
逃げ出す勇気すらなく、早くどこかへ行ってくれる事を心から願っていた。
そして願いが通じたのか、しばらくしてペンギンはどこかへ走り去っていったのだ。
残るは二人。両方とも弱そうな女の子だった。
ゴクリと藤木は喉を鳴らした。水分の採りすぎか、汗がポタポタと垂れる。
あの二人を殺せば『ご褒美』が貰えるはず。そうすれば火傷を治せるんだ。
藤木はルーンの杖を握り締め、体の震えが止まるのを待った。
相手が女の子でも、二人が相手じゃ負けるかもしれない。
でも――もし弥彦が戻ってきたら、もしペンギンが戻ってきたら、そうしたら絶望的だ。
だから早く行動しなければいけないと思うが、焦れば焦るほど決断できない。
藤木茂、彼はとことん気弱な少年であった。
○ ○ ○
楼観剣の切れ味は素晴らしかった。
無造作に振り下ろしただけで物言わぬ少女の首は蛙のように飛び跳ねた。
普通ならば首を一撃で落とすなど余程の腕か、重量のある業物でなければ務まらない。
手には枯れ枝を一本へし折ったくらいの軽い手応えしか残していなかった。
その所有者を魅了するような切れ味も弥彦の興味を動かしたりはしない。
今の彼は盲目的に命令に従っているだけの人形に近かったから。
『首輪と解体に使えそうな工具をタワーに持って帰る』
ただその命令を守るために、恨みがましい少女の視線も無視して赤い水溜りを探る。
ずるりと引き抜いた手に赤く染まった小さな首輪が一つ握られていた。
少女の遺留品は苦境を抜ける道標となるか、冥界へと誘う片道切符となるか。
「……あとは工具……探さねぇと」
もしニアが一つだけ間違いを犯しているとしたら、盗聴に気を使うあまりに
言葉を選びすぎた事だろうか。
明治生まれの弥彦にとって工具とは、金槌でありノミやノコギリであった。
時計くらいは知っているが、どんな道具が必要なのか詳しく知っていなかったのだ。
「……工具って……どこにあるんだ?」
腑抜けた声で呟きながら見渡せば、少女の右手には鋭い短剣が握られていた。
小刀はどんな細工や作業にも適した万能の工具である。少なくとも弥彦の知る範囲では。
無造作に伸ばした指先がサラマンデルの短剣の刀身に触れた途端、炎が弥彦の腕を
包み込んだ。罪人を咎するかのように燃える盛る炎は弥彦の精神、動物としての本能を
突き動かし、この少女を殺めた少年と同じように泥沼を転げ回らせた。
無造作に振り下ろしただけで物言わぬ少女の首は蛙のように飛び跳ねた。
普通ならば首を一撃で落とすなど余程の腕か、重量のある業物でなければ務まらない。
手には枯れ枝を一本へし折ったくらいの軽い手応えしか残していなかった。
その所有者を魅了するような切れ味も弥彦の興味を動かしたりはしない。
今の彼は盲目的に命令に従っているだけの人形に近かったから。
『首輪と解体に使えそうな工具をタワーに持って帰る』
ただその命令を守るために、恨みがましい少女の視線も無視して赤い水溜りを探る。
ずるりと引き抜いた手に赤く染まった小さな首輪が一つ握られていた。
少女の遺留品は苦境を抜ける道標となるか、冥界へと誘う片道切符となるか。
「……あとは工具……探さねぇと」
もしニアが一つだけ間違いを犯しているとしたら、盗聴に気を使うあまりに
言葉を選びすぎた事だろうか。
明治生まれの弥彦にとって工具とは、金槌でありノミやノコギリであった。
時計くらいは知っているが、どんな道具が必要なのか詳しく知っていなかったのだ。
「……工具って……どこにあるんだ?」
腑抜けた声で呟きながら見渡せば、少女の右手には鋭い短剣が握られていた。
小刀はどんな細工や作業にも適した万能の工具である。少なくとも弥彦の知る範囲では。
無造作に伸ばした指先がサラマンデルの短剣の刀身に触れた途端、炎が弥彦の腕を
包み込んだ。罪人を咎するかのように燃える盛る炎は弥彦の精神、動物としての本能を
突き動かし、この少女を殺めた少年と同じように泥沼を転げ回らせた。
燃えたのが右腕だけだったこと、直ぐに泥で消化できたことで大事には至らなかった。
皮肉にも道着に染み付いた大量の血糊が彼の体を守ったのだ。
右肘から先は大きな火傷に覆われ、付着した泥も合わせて早急な治療が必要だろう。
だが幸いにして手首や指は問題なく動かせた。激痛を伴うものの我慢出来ないほどではない。
そしてその激痛は心地良かった。自分が自分である事を教えてくれるからだ。
弥彦がニアに受けた眠り火の催眠暗示は解けていた。
炎はその揺らめきで見たものを惑わし狂気に貶めるいうが、同時に闘志の象徴でもある。
火の元素霊サラマンデルの炎は、腕ともに精神に巣食う眠り火を焼き払ったのだ。
乱暴な言い方をすれば、ケツに火を点ければ誰だろうと正気に戻るという寸法だ。
「畜生、ニアの奴。やっぱりあんな奴には協力できねぇ!」
手にした楼観剣を力一杯地面に叩きつけた。その先に転がった少女の首が目に入る。
殺したわけじゃない。ここに来た時には、もう死んでいた。手遅れだった。
自分に言い聞かせるが、そう簡単に割り切れるくらいなら二アに協力している。
弥彦は泥に塗れた少女の首を手にすると、胴着で顔を拭いて、目を閉じさせてやった。
そしてギュッと抱きしめた。謝罪の言葉を呟きながら抱きしめた。
正気でなかったときの事もボンヤリと覚えている。悪い夢のようだったが覚えている。
殺してしまった少年を供養したいと思っていたのに、首輪を探して死体を弄んだのだ。
こうやって目を閉じてやる事も出来なかった。そんな自分が心底情けなくて、涙が出た。
皮肉にも道着に染み付いた大量の血糊が彼の体を守ったのだ。
右肘から先は大きな火傷に覆われ、付着した泥も合わせて早急な治療が必要だろう。
だが幸いにして手首や指は問題なく動かせた。激痛を伴うものの我慢出来ないほどではない。
そしてその激痛は心地良かった。自分が自分である事を教えてくれるからだ。
弥彦がニアに受けた眠り火の催眠暗示は解けていた。
炎はその揺らめきで見たものを惑わし狂気に貶めるいうが、同時に闘志の象徴でもある。
火の元素霊サラマンデルの炎は、腕ともに精神に巣食う眠り火を焼き払ったのだ。
乱暴な言い方をすれば、ケツに火を点ければ誰だろうと正気に戻るという寸法だ。
「畜生、ニアの奴。やっぱりあんな奴には協力できねぇ!」
手にした楼観剣を力一杯地面に叩きつけた。その先に転がった少女の首が目に入る。
殺したわけじゃない。ここに来た時には、もう死んでいた。手遅れだった。
自分に言い聞かせるが、そう簡単に割り切れるくらいなら二アに協力している。
弥彦は泥に塗れた少女の首を手にすると、胴着で顔を拭いて、目を閉じさせてやった。
そしてギュッと抱きしめた。謝罪の言葉を呟きながら抱きしめた。
正気でなかったときの事もボンヤリと覚えている。悪い夢のようだったが覚えている。
殺してしまった少年を供養したいと思っていたのに、首輪を探して死体を弄んだのだ。
こうやって目を閉じてやる事も出来なかった。そんな自分が心底情けなくて、涙が出た。
○ ○ ○
まだパタリロが去って10分も経過していないのだが、既にチアキはウンザリしていた。
大きなソファーに癒しの杖を立てかけて、一息つこうかと腰掛けた矢先、
よつばがリビングを出て行こうとしたのだ。それを捕まえて以来、押し問答が続いている。
「はなせー! ちよをたすけるんだ!」
「今、パタリロが行ってるから、もう少し待てって説明してるだろ」
「よつばもいくんだ! ちよがまってるんだ!」
「危ないって言ってるんだ。よつばが怪我したら意味ないだろ。パタリロが帰るまで――」
これで8度目。チアキはよつばを引き止めて延々と同じような会話を繰り返している。
もしかしたらパタリロは、この子の面倒を見るのが嫌で押し付けていったのではないかと
勘繰りたくなるほどに、ウンザリしていた。子供は嫌いだ、図々しいから。
少しでも目を離せば一人で出て行こうとする。こちらが甘やかせばそれだけ増長する。
話が通じない分、我が侭なカナよりも更に輪をかけてタチが悪い。
友達を見失って焦る気持ちは分かる。だけど、ちょっと聞き分けがなさ過ぎないか。
「あいつはうそつきだ! いやなやつだ! ちよをたすけるきなんてないんだ!」
「……そんな事はない。誰の為を思って――」
「チアキだってうそつきだ! ちよをたすけてくれるっていったのに!
あいつとおんなじだ! ちよをいじめるわるいやつだ! ひとごろし――」
「いい加減にしろ!!」
パンッ!
リビングに乾いた音が響き、よつばの大声がピタリと止まった。
時計の音だけが響く静寂中で、チアキはよつばの頬を叩いた手をジッと見つめた。
シルバースキンを着たよつばに怪我はなく、むしろ叩いた手がジンジンと痺れている。
まるでブロック塀でも叩いたかのような痛みが骨に響いた。
痛みのあるなしは問題ではない。
何故、手を上げてしまったのだろうか。チアキは手を見つめ、自問するが答えは出ない。
末っ子の彼女は年下の世話など経験がない上、自分の幼少時を基準に考えたならば、
よつばが我慢ならないバカ野郎に見えるのも無理はなかったかもしれない。
悪いことをしたら年長者にお仕置きされる。これは南家の鉄則でもあったかもしれない。
それでも感情に任せて幼児を叩いたことは、年長者として恥ずべき行為だと思った。
「よつば、その、ごめ――」
「……き……いだ」
謝罪の言葉と一緒に差し出した手は、強い拒絶と共に払い除けられた。
新たな痛みが、拒絶も仕方ないとチアキに語りかけてくるようだった。
「え……?」
「チアキなんて……だいっきらいだっ!!!」
目に涙を溜めて叫ぶよつばに圧され、罪悪感からかつい手を離してしまう。
こういう時、なんと声を掛ければいいのだろう。どうすれば良いのだろう。
我が侭や癇癪といった行為から縁遠いチアキは途方に暮れた。
大きなソファーに癒しの杖を立てかけて、一息つこうかと腰掛けた矢先、
よつばがリビングを出て行こうとしたのだ。それを捕まえて以来、押し問答が続いている。
「はなせー! ちよをたすけるんだ!」
「今、パタリロが行ってるから、もう少し待てって説明してるだろ」
「よつばもいくんだ! ちよがまってるんだ!」
「危ないって言ってるんだ。よつばが怪我したら意味ないだろ。パタリロが帰るまで――」
これで8度目。チアキはよつばを引き止めて延々と同じような会話を繰り返している。
もしかしたらパタリロは、この子の面倒を見るのが嫌で押し付けていったのではないかと
勘繰りたくなるほどに、ウンザリしていた。子供は嫌いだ、図々しいから。
少しでも目を離せば一人で出て行こうとする。こちらが甘やかせばそれだけ増長する。
話が通じない分、我が侭なカナよりも更に輪をかけてタチが悪い。
友達を見失って焦る気持ちは分かる。だけど、ちょっと聞き分けがなさ過ぎないか。
「あいつはうそつきだ! いやなやつだ! ちよをたすけるきなんてないんだ!」
「……そんな事はない。誰の為を思って――」
「チアキだってうそつきだ! ちよをたすけてくれるっていったのに!
あいつとおんなじだ! ちよをいじめるわるいやつだ! ひとごろし――」
「いい加減にしろ!!」
パンッ!
リビングに乾いた音が響き、よつばの大声がピタリと止まった。
時計の音だけが響く静寂中で、チアキはよつばの頬を叩いた手をジッと見つめた。
シルバースキンを着たよつばに怪我はなく、むしろ叩いた手がジンジンと痺れている。
まるでブロック塀でも叩いたかのような痛みが骨に響いた。
痛みのあるなしは問題ではない。
何故、手を上げてしまったのだろうか。チアキは手を見つめ、自問するが答えは出ない。
末っ子の彼女は年下の世話など経験がない上、自分の幼少時を基準に考えたならば、
よつばが我慢ならないバカ野郎に見えるのも無理はなかったかもしれない。
悪いことをしたら年長者にお仕置きされる。これは南家の鉄則でもあったかもしれない。
それでも感情に任せて幼児を叩いたことは、年長者として恥ずべき行為だと思った。
「よつば、その、ごめ――」
「……き……いだ」
謝罪の言葉と一緒に差し出した手は、強い拒絶と共に払い除けられた。
新たな痛みが、拒絶も仕方ないとチアキに語りかけてくるようだった。
「え……?」
「チアキなんて……だいっきらいだっ!!!」
目に涙を溜めて叫ぶよつばに圧され、罪悪感からかつい手を離してしまう。
こういう時、なんと声を掛ければいいのだろう。どうすれば良いのだろう。
我が侭や癇癪といった行為から縁遠いチアキは途方に暮れた。
大ッ嫌いだ。よつばは何も悪い事はしていないのに叩くチアキなんて大ッ嫌いだ。
一刻も早くちよの所へ行きたいのに、邪魔ばっかりするチアキが悪いんだ。
よつばはそう思っていた。ちよを思う真っ直ぐで純粋な心でそう思っていた。
言葉に詰まるチアキの手を振り払い、よつばはソファーに置かれた杖を奪い取る。
『この杖は怪我を治せるんだ。ちよって子もきっと助かる』
出会った時に聞いた言葉を思い出していた。この杖さえあれば、ちよを助けられる。
もうチアキにもパタリロにも頼らない。ちよは自分で助けるんだ。
そう心に決めて、よつばは脱兎の如く玄関へと駆け出した。
だが軽いとはいえ自分よりも長い杖を抱えて、消耗したよつばが早く走れるはずもなく、
玄関に辿りつく前にチアキが追いついてきた。
「よつば、外に出ちゃ――」
「うるさ――い!!」
振り向き様、遠心力に任せて薙ぎ払った杖が、追いすがったチアキを打ち倒した
癒しの象徴たる天使を模した装飾が僅かに汚れ、小さな血痕を絨毯に作る。
「よつ……ば!?」
身を起こすチアキの額から流れ出た生暖かいものが、蒼白になった顔に紅を添えた。
傷口に当てた手が赤く染まっていく。
杖の先が僅かに当たっただけだ。出血はあるが傷自体は深くない。
しかし零れ落ちる赤い色が、二人の間に深い溝を作りだしていた。
(チアキがわるいんだ! よつばがわるいんじゃない)
負傷して見上げるチアキの姿が、最後に見たちよの姿と重なる。
それはよつばに酷い嫌悪感を感じさせた。
(チアキがじゃまをするからいけないんだ。ちよをたすけるんだ)
よつばは一歩二歩と下がりながら自分のしたことを必死に肯定する。
そうしなければ自分があの嫌な男と同じになってしまう気がして怖かった。
「行っちゃダメだ……外は……危ない……」
起き上がりながらチアキが手を伸ばす。
それが罪悪感から出たものだとしても、よつばの身を案じてのこと。
だがよつばが感じ取ったのは謝罪でも優しさでもなかった。
糾弾と罪悪感だけ。赤く染まったチアキの手が、自分を責めているように見えた。
「チアキがわるいんだ! チアキなんてだいっきらいだ!! ひとごろし!!!」
恐怖を打ち払うかのように力の限り叫んで、よつばは玄関を飛び出した。
よつばは悪くない。悪いのは全部チアキなんだと自分に言い聞かせて。
もし後ろを振り向いたなら、力なく手を降ろすチアキが目に止まっただろう。
だから前だけを見て駆け出した。振り返るのが怖かったから。
一刻も早くちよの所へ行きたいのに、邪魔ばっかりするチアキが悪いんだ。
よつばはそう思っていた。ちよを思う真っ直ぐで純粋な心でそう思っていた。
言葉に詰まるチアキの手を振り払い、よつばはソファーに置かれた杖を奪い取る。
『この杖は怪我を治せるんだ。ちよって子もきっと助かる』
出会った時に聞いた言葉を思い出していた。この杖さえあれば、ちよを助けられる。
もうチアキにもパタリロにも頼らない。ちよは自分で助けるんだ。
そう心に決めて、よつばは脱兎の如く玄関へと駆け出した。
だが軽いとはいえ自分よりも長い杖を抱えて、消耗したよつばが早く走れるはずもなく、
玄関に辿りつく前にチアキが追いついてきた。
「よつば、外に出ちゃ――」
「うるさ――い!!」
振り向き様、遠心力に任せて薙ぎ払った杖が、追いすがったチアキを打ち倒した
癒しの象徴たる天使を模した装飾が僅かに汚れ、小さな血痕を絨毯に作る。
「よつ……ば!?」
身を起こすチアキの額から流れ出た生暖かいものが、蒼白になった顔に紅を添えた。
傷口に当てた手が赤く染まっていく。
杖の先が僅かに当たっただけだ。出血はあるが傷自体は深くない。
しかし零れ落ちる赤い色が、二人の間に深い溝を作りだしていた。
(チアキがわるいんだ! よつばがわるいんじゃない)
負傷して見上げるチアキの姿が、最後に見たちよの姿と重なる。
それはよつばに酷い嫌悪感を感じさせた。
(チアキがじゃまをするからいけないんだ。ちよをたすけるんだ)
よつばは一歩二歩と下がりながら自分のしたことを必死に肯定する。
そうしなければ自分があの嫌な男と同じになってしまう気がして怖かった。
「行っちゃダメだ……外は……危ない……」
起き上がりながらチアキが手を伸ばす。
それが罪悪感から出たものだとしても、よつばの身を案じてのこと。
だがよつばが感じ取ったのは謝罪でも優しさでもなかった。
糾弾と罪悪感だけ。赤く染まったチアキの手が、自分を責めているように見えた。
「チアキがわるいんだ! チアキなんてだいっきらいだ!! ひとごろし!!!」
恐怖を打ち払うかのように力の限り叫んで、よつばは玄関を飛び出した。
よつばは悪くない。悪いのは全部チアキなんだと自分に言い聞かせて。
もし後ろを振り向いたなら、力なく手を降ろすチアキが目に止まっただろう。
だから前だけを見て駆け出した。振り返るのが怖かったから。
○ ○ ○
よつばを引き止められなかったチアキは呆然とした様子で、そのまま座り込んでいた。
(言うにこと欠いて『ひとごろし』かよ)
不思議ともう否定する気にはならなかった。
初めてパタリロと出会った時、銃を撃った。殺す気だったかどうかは覚えていない。
でも相手が死んでも良いとは思っていた。立派な殺人未遂、人殺し候補だ。
もしも姉達が誰かに襲われていたら、自分はどうするだろうか。
もしも姉達が誰かに殺されてしまったら、自分はどうするだろうか。
よつばのように制止を振り切っても行くだろう。
だからあの時、パタリロが止めても二人でちよを探しに行こうとしたんだ。
(なのになんで、さっきは一緒に行ってあげなかったんだろう)
ちよがもう死体になっているとパタリロから聞いて知っていたからだ。
でも――よつばはそれを知らない。
一緒に行ってくれると言った相手が、手の平を返したように引き止めたのでは、
裏切り者と思われても仕方ない。
(よつばを追おう。会って、謝って、そして一緒に行こう)
チアキは立ち上がると玄関を出た。彼女が悩んでいた時間はたった数分。
だがその数分は取り返しの付かない時間だった。
(言うにこと欠いて『ひとごろし』かよ)
不思議ともう否定する気にはならなかった。
初めてパタリロと出会った時、銃を撃った。殺す気だったかどうかは覚えていない。
でも相手が死んでも良いとは思っていた。立派な殺人未遂、人殺し候補だ。
もしも姉達が誰かに襲われていたら、自分はどうするだろうか。
もしも姉達が誰かに殺されてしまったら、自分はどうするだろうか。
よつばのように制止を振り切っても行くだろう。
だからあの時、パタリロが止めても二人でちよを探しに行こうとしたんだ。
(なのになんで、さっきは一緒に行ってあげなかったんだろう)
ちよがもう死体になっているとパタリロから聞いて知っていたからだ。
でも――よつばはそれを知らない。
一緒に行ってくれると言った相手が、手の平を返したように引き止めたのでは、
裏切り者と思われても仕方ない。
(よつばを追おう。会って、謝って、そして一緒に行こう)
チアキは立ち上がると玄関を出た。彼女が悩んでいた時間はたった数分。
だがその数分は取り返しの付かない時間だった。
○ ○ ○
(何をやってるんだアイツは?)
座り込んだ弥彦から100メートルほど離れた叢に、様子を伺うペンギンが一匹。
カサカサっと住宅地まで行って帰ってきたパタリロである。
(どうもネクロフィリアじゃなさそうだが、死体漁りでもないみたいなんだよな)
状況が良く分からない。パタリロが戻って来た時、既に弥彦は正気に戻っていたのだ。
死体の首を抱きしめているなんて死体愛好家以外なら、後は親類知人の類だ。
(よつばはカグラって子も探してたな。確かちよの友人で名簿にも乗っていたはず……)
友人の死体を見つけた。そう考えると弥彦の不自然な行動も自然に思えるから不思議だ。
不意打ちで銃殺、という選択肢をパタリロは心の中で消す。
(だけど推測は推測だ。しっかり見て、聞いて確かめないとな)
警戒は解かず、根来忍術皆伝の忍び足で背後から近付いて行った。
座り込んだ弥彦から100メートルほど離れた叢に、様子を伺うペンギンが一匹。
カサカサっと住宅地まで行って帰ってきたパタリロである。
(どうもネクロフィリアじゃなさそうだが、死体漁りでもないみたいなんだよな)
状況が良く分からない。パタリロが戻って来た時、既に弥彦は正気に戻っていたのだ。
死体の首を抱きしめているなんて死体愛好家以外なら、後は親類知人の類だ。
(よつばはカグラって子も探してたな。確かちよの友人で名簿にも乗っていたはず……)
友人の死体を見つけた。そう考えると弥彦の不自然な行動も自然に思えるから不思議だ。
不意打ちで銃殺、という選択肢をパタリロは心の中で消す。
(だけど推測は推測だ。しっかり見て、聞いて確かめないとな)
警戒は解かず、根来忍術皆伝の忍び足で背後から近付いて行った。
「お前がカグラか?」
突然、背後から掛けられた声に弥彦はギョッとして振り向く。
そして振り向き様に火傷した右腕で楼観剣を構えようとするが、切先を返すよりも早く
得体の知れない物体の短い足が右肘を押さえ、弥彦の剣と構えを封じた。
どれだけ近付かれていたんだと相手の力量に驚くと同時に、自分の無警戒さに腹が立つ。
「乱暴な奴だなぁ。僕は名前を聞いているだけだぞ」
「くっ!」
火傷に触られて声が漏れるが、剣を落としたりはしない。
肘の痛みを省みず、力任せに押し切って間合いを離すと片手で楼観剣を正眼に構える。
左手は少女を抱いたままだった。
「せっかちな奴だな。サムライは戦う前に名乗りを上げるんじゃないのか?」
「……人に名を尋ねるたけりゃ、まず自分から名乗りやがれ!」
「そろもそうか。はっはっは、失敬失敬」
そうコホンと咳払いをして三歩ほど下がると大袈裟に歌舞伎のような見得を切った。
「やあやあ遠くの者は音に聞け、近くばよって目にも見よ! 我こそ西海は常春の国、
マリネラ王国が国主、八代目パタリロ=ド=マリネールなるぞ!! 頭がたかーい!!」
少し変な時代劇が混じっているらしい。
「……なんの真似だ?」
「あれ? サムライの挨拶って、こんなんじゃなかったっけ?」
「いつの時代だ! 江戸時代どころか戦国時代よりも前じゃねーか!」
「そーか。どうりで変だと思った。んじゃ改めて。ぼくパタリロ!」
弥彦は突然の事に毒気を抜かれていた。
なんなんだコイツ。マリネラって一体どこの国だ。いやそれ以前に人間なのか?
サメだかタヌキだか分からない格好で。胸から顔が出ているから夷腕坊みたいなものか?
次々と浮かぶ疑問に答えは出ない。分かるのは会話のできる相手だということだけだ。
「おい、僕は名乗ったぞ。自分で言ったからには礼儀を守れ」
「あ、ああ。俺は――――」
突然、背後から掛けられた声に弥彦はギョッとして振り向く。
そして振り向き様に火傷した右腕で楼観剣を構えようとするが、切先を返すよりも早く
得体の知れない物体の短い足が右肘を押さえ、弥彦の剣と構えを封じた。
どれだけ近付かれていたんだと相手の力量に驚くと同時に、自分の無警戒さに腹が立つ。
「乱暴な奴だなぁ。僕は名前を聞いているだけだぞ」
「くっ!」
火傷に触られて声が漏れるが、剣を落としたりはしない。
肘の痛みを省みず、力任せに押し切って間合いを離すと片手で楼観剣を正眼に構える。
左手は少女を抱いたままだった。
「せっかちな奴だな。サムライは戦う前に名乗りを上げるんじゃないのか?」
「……人に名を尋ねるたけりゃ、まず自分から名乗りやがれ!」
「そろもそうか。はっはっは、失敬失敬」
そうコホンと咳払いをして三歩ほど下がると大袈裟に歌舞伎のような見得を切った。
「やあやあ遠くの者は音に聞け、近くばよって目にも見よ! 我こそ西海は常春の国、
マリネラ王国が国主、八代目パタリロ=ド=マリネールなるぞ!! 頭がたかーい!!」
少し変な時代劇が混じっているらしい。
「……なんの真似だ?」
「あれ? サムライの挨拶って、こんなんじゃなかったっけ?」
「いつの時代だ! 江戸時代どころか戦国時代よりも前じゃねーか!」
「そーか。どうりで変だと思った。んじゃ改めて。ぼくパタリロ!」
弥彦は突然の事に毒気を抜かれていた。
なんなんだコイツ。マリネラって一体どこの国だ。いやそれ以前に人間なのか?
サメだかタヌキだか分からない格好で。胸から顔が出ているから夷腕坊みたいなものか?
次々と浮かぶ疑問に答えは出ない。分かるのは会話のできる相手だということだけだ。
「おい、僕は名乗ったぞ。自分で言ったからには礼儀を守れ」
「あ、ああ。俺は――――」
○ ○ ○
(やったぁぁ! あの子一人だ! これなら……僕でも)
路地に隠れていた藤木は、住宅からヨタヨタと飛び出したよつばを見つけて狂喜した。
僕にはツキがある。火傷とかしちゃったけど、すぐに消せたし水も見つかった。
風呂場で出会った男の子は何故か見逃してくれた。
そして今、取り逃がした幼女はたった一人で路地を駆けて行く。
三人もいたのに勝手にバラバラになってくれた。僕のために。
神様と仏様とキリスト様に感謝したいくらいだ。きっと僕には神様が付いているんだ。
(あんな小さな子に負けるわけがない。負けるわけがないんだ。そうだ。絶対だ)
自分の方が優位だと確信した藤木の行動は早かった。
ノロノロと走るよつばの進行方向を予測して先回りした。
その際も逃げ道の確保は忘れない。
いざという時のために、的の紙を裏路地の何箇所かに張りつけながら移動する。
万が一にも負けそうだったら、これで足止めをして逃げるつもりなのだ。
情けないが卑怯で臆病なことは優れた戦術家に必要な資質の一部とも言えよう。
路地に隠れていた藤木は、住宅からヨタヨタと飛び出したよつばを見つけて狂喜した。
僕にはツキがある。火傷とかしちゃったけど、すぐに消せたし水も見つかった。
風呂場で出会った男の子は何故か見逃してくれた。
そして今、取り逃がした幼女はたった一人で路地を駆けて行く。
三人もいたのに勝手にバラバラになってくれた。僕のために。
神様と仏様とキリスト様に感謝したいくらいだ。きっと僕には神様が付いているんだ。
(あんな小さな子に負けるわけがない。負けるわけがないんだ。そうだ。絶対だ)
自分の方が優位だと確信した藤木の行動は早かった。
ノロノロと走るよつばの進行方向を予測して先回りした。
その際も逃げ道の確保は忘れない。
いざという時のために、的の紙を裏路地の何箇所かに張りつけながら移動する。
万が一にも負けそうだったら、これで足止めをして逃げるつもりなのだ。
情けないが卑怯で臆病なことは優れた戦術家に必要な資質の一部とも言えよう。
小さな足音が近付いてきていた。後一つ路地を曲がれば、待ち伏せは成功だ。
藤木は大きく深呼吸をしてから、手の平に人という字を三回書いて飲み込む。
相手は長い杖を持っている。でもあんな小さな子に喧嘩で負けるはずがない。
(大丈夫、負けるわけないんだ)
高々とルーンの杖を掲げて藤木は、路地に入ってきたよつばに襲い掛かった。
藤木は大きく深呼吸をしてから、手の平に人という字を三回書いて飲み込む。
相手は長い杖を持っている。でもあんな小さな子に喧嘩で負けるはずがない。
(大丈夫、負けるわけないんだ)
高々とルーンの杖を掲げて藤木は、路地に入ってきたよつばに襲い掛かった。
突然の奇襲に、前だけを見ていたよつばは声も立てずに殴り飛ばされる。
シルバースキンに守られて怪我は無いが、その衝撃の全てが防がれるわけではない。
よつばは塀に叩きつけられ、癒しの杖はカラカラと乾いた音を立てて転がった。
「うふふふ、まままた会ったねぇ、キミ」
藤木は普段出さないような歓喜の声をあげ、倒れたよつばを出迎えた。
己の優位を信じて疑わない、完全に人を見下した目つきだった。
忘れもしない藤木の顔に、怒りを露わにしたよつばが叫ぼうとするが、
金魚のようにパクパクと口が開いただけだった。
「くくく、喋れないだろう? ルーンの杖って言うんだ。凄いだろう?」
笑いながらよつばを沈黙させた杖で再び殴りつけた。
最初、人を殴ることに恐怖を覚えていた少年とは思えない残酷な笑み。
反撃できない小動物をいたぶる様に、倒れたよつばを殴り続ける。
それは風呂場であった少年に対する憤りでもあった。
恐怖で失禁までした弱さを認めず、無力な少女を殴ることで己の強さを誇示していた。
「ハァハァ、ここはあの家からは見えないし、こ、声も出せない。助けは来ないよ」
自分を安心させるように言葉にする。ちよの時は最初の一発で勝負が付いていた。
それなのに何度殴ってもよつばは死なない。何度でも起き上がろうとする。
泣かずに何度でも藤木を睨み付ける。何でだ! ちっちゃい子供のクセに!
シルバースキンに守られて怪我は無いが、その衝撃の全てが防がれるわけではない。
よつばは塀に叩きつけられ、癒しの杖はカラカラと乾いた音を立てて転がった。
「うふふふ、まままた会ったねぇ、キミ」
藤木は普段出さないような歓喜の声をあげ、倒れたよつばを出迎えた。
己の優位を信じて疑わない、完全に人を見下した目つきだった。
忘れもしない藤木の顔に、怒りを露わにしたよつばが叫ぼうとするが、
金魚のようにパクパクと口が開いただけだった。
「くくく、喋れないだろう? ルーンの杖って言うんだ。凄いだろう?」
笑いながらよつばを沈黙させた杖で再び殴りつけた。
最初、人を殴ることに恐怖を覚えていた少年とは思えない残酷な笑み。
反撃できない小動物をいたぶる様に、倒れたよつばを殴り続ける。
それは風呂場であった少年に対する憤りでもあった。
恐怖で失禁までした弱さを認めず、無力な少女を殴ることで己の強さを誇示していた。
「ハァハァ、ここはあの家からは見えないし、こ、声も出せない。助けは来ないよ」
自分を安心させるように言葉にする。ちよの時は最初の一発で勝負が付いていた。
それなのに何度殴ってもよつばは死なない。何度でも起き上がろうとする。
泣かずに何度でも藤木を睨み付ける。何でだ! ちっちゃい子供のクセに!
(そんなに僕が弱いって言うのか。キミの方が弱いくせに! ちっちゃいくせに!)
藤木に焦りの表情が出た。負ける気はしないが、もう一人に探しに来られると不味い。
それを心配して通りの方に視線を送った瞬間、よつばが動いた。
一瞬の隙を突いて逃げるのではなく、立ち上がると同時に全力で体当たりをしたのだ。
「ギャッ!」
よつばの頭突きを腹部に受けた藤木が、短い悲鳴を上げてよろめく。
あまりの痛みに涙がちょちょ切れた。
頭突き自体は痛くはない、シャツの下の火傷が痛むのだ。
そのまましがみ付いてくるよつばを振り払おうと杖を振り上げるが――
逆の腕によつばが噛み付いた。餓えたピラニアが肉を食いちぎらんばかりに。
「いいい痛い痛い痛い痛い痛い! 離れろ、離れろよ――!!」
火傷の上に噛み付かれた痛みに悶絶しながら、藤木は何度もよつばを杖で殴った。
頭、背中、腕、足、全部殴ったがほとんど効いていない。
防護服の武装錬金が砕けては再生を繰り返している事に、藤木は気が付かなかったのだ。
「離せ離せ離せ離せ離せ離せぇぇぇ―――!!!」
とうとう藤木は杖を捨て、よつばを手で引き剥がそうと必死に力を込め始めた。
絶対に負けないはずの幼児相手に苦戦する屈辱。そんなことを考える余裕すらも無い。
だがその必死の抵抗は、シルバースキンの隙間からよつばの喉を探り当てた。
「離せ、離せよぉぉぉ!」
よつばの細い喉に爪を立て、力の限り叫びながら締め上げる。
幼い顔が苦悶に歪み、変色しながら顎の力が緩むまで数秒とかからなかった。
力任せに口から腕を外すとそのまま両手で喉を更に締め上げる。
よつばの手足が乱暴に振り回されるが、そんな抵抗も藤木には届きはしなかった。
「許さないぞ。絶対に許さないぞ! 死ね、死ね、死ねぇぇ! 大人しく死ねよぉぉ!
お前なんかに、お前みたいなちっちゃい子供に、僕が負けるわけないんだよぉぉぉ!!」
藤木に焦りの表情が出た。負ける気はしないが、もう一人に探しに来られると不味い。
それを心配して通りの方に視線を送った瞬間、よつばが動いた。
一瞬の隙を突いて逃げるのではなく、立ち上がると同時に全力で体当たりをしたのだ。
「ギャッ!」
よつばの頭突きを腹部に受けた藤木が、短い悲鳴を上げてよろめく。
あまりの痛みに涙がちょちょ切れた。
頭突き自体は痛くはない、シャツの下の火傷が痛むのだ。
そのまましがみ付いてくるよつばを振り払おうと杖を振り上げるが――
逆の腕によつばが噛み付いた。餓えたピラニアが肉を食いちぎらんばかりに。
「いいい痛い痛い痛い痛い痛い! 離れろ、離れろよ――!!」
火傷の上に噛み付かれた痛みに悶絶しながら、藤木は何度もよつばを杖で殴った。
頭、背中、腕、足、全部殴ったがほとんど効いていない。
防護服の武装錬金が砕けては再生を繰り返している事に、藤木は気が付かなかったのだ。
「離せ離せ離せ離せ離せ離せぇぇぇ―――!!!」
とうとう藤木は杖を捨て、よつばを手で引き剥がそうと必死に力を込め始めた。
絶対に負けないはずの幼児相手に苦戦する屈辱。そんなことを考える余裕すらも無い。
だがその必死の抵抗は、シルバースキンの隙間からよつばの喉を探り当てた。
「離せ、離せよぉぉぉ!」
よつばの細い喉に爪を立て、力の限り叫びながら締め上げる。
幼い顔が苦悶に歪み、変色しながら顎の力が緩むまで数秒とかからなかった。
力任せに口から腕を外すとそのまま両手で喉を更に締め上げる。
よつばの手足が乱暴に振り回されるが、そんな抵抗も藤木には届きはしなかった。
「許さないぞ。絶対に許さないぞ! 死ね、死ね、死ねぇぇ! 大人しく死ねよぉぉ!
お前なんかに、お前みたいなちっちゃい子供に、僕が負けるわけないんだよぉぉぉ!!」
○ ○ ○
道を歩いていた。細くて長い長い散歩道。
その先にちよの姿が見えた。何人かの人に囲まれ、楽しそうに笑っていた。
なんだかとても懐かしくて、一緒に混ぜて欲しくて、勢いよく駆け出した。
なのに左右から変なペンギンと年長の女の子が手を掴んで引き止めたんだ。
ちよの所へ行きたいのに邪魔をしたんだ。悪い奴らだ。
その手を力一杯振り払って、もう一度駆け出した。
こっちに気付いたちよは困ったような悲しそうな顔をしていたけれど、
小さな溜息の後、大きく腕を広げて優しい笑顔で迎えてくれた。
だから、その腕の中に飛び込んだ。
その先にちよの姿が見えた。何人かの人に囲まれ、楽しそうに笑っていた。
なんだかとても懐かしくて、一緒に混ぜて欲しくて、勢いよく駆け出した。
なのに左右から変なペンギンと年長の女の子が手を掴んで引き止めたんだ。
ちよの所へ行きたいのに邪魔をしたんだ。悪い奴らだ。
その手を力一杯振り払って、もう一度駆け出した。
こっちに気付いたちよは困ったような悲しそうな顔をしていたけれど、
小さな溜息の後、大きく腕を広げて優しい笑顔で迎えてくれた。
だから、その腕の中に飛び込んだ。